無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2020年09月

大学に棲息する珍獣教師 / アジア大陸に近づく日本

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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アジア人の再流入 !?

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(左 : 大挙して外国を旅行する支那人  / 右 : 路上で我が子に大便をさせる支那人 )

  9月下旬、菅義偉総理大臣は新型コロナ対策本部会で、外国人の入国制限を緩和する方針を明らかにし、日本への留学生やビジネスマン、および日本に家族がいる外国人を迎え入れるそうだ。今のところ、外国人観光客の受け容れは控えるようだが、この緩和措置は「観光立国」再開への布石だろう。何しろ、日本人だけの国内旅行だと、色々な補助金を附けての刺戟策なので財務省が臍(ヘソ)を曲げてしまい、政府に意地悪をしかねない。保守派国民が何と言おうとも、爆発的な利益を恢復するには、どうしても支那人の大量流入が必要だ。(と思っている人もいる。) 政治家にとって「お金」は原動力であり潤滑油でもある。北京政府から賄賂をもらえば国賊だけど、国内の業者が渡す献金なら違法性は無い。政治家は銭の匂いで股を開く。一票乞食の不平なんて一時的なもで、仔犬の屁と同じく、最初は臭いけど、やがて消えてしまう代物だ。

  しかし、平穏な生活を望む庶民からすれば、やはり支那人がいない方がいい。あの横柄な態度に接すると腹が立つし、支那語を耳にすると下品なガチョウが側にいるようで実に不愉快だ。つい、「支那人用のキンチョールはないものか?」と思ってしまう。「留学生の再入国を許す」といえば“響き”がいいけど、要するに支那人を始めとするアジア人の輸入を再開するということだ。一般的に、日本人は「勉強に励む若者」を好ましく思ってしまうが、実際は出稼ぎ目的の支那人というケースが多い。仮に、学問を目的とする支那人がいても、その本音は何処にあるのか分からないし、卒業後に残留となれば問題だ。事実、日本の大学を卒業して、そのまま日本企業に就職し、本国へ帰らず、日本に永住しようとする輩(やから)が少なくない。第一、あの“おぞましい”大陸から脱出することは支那人共通の夢で、高級な暮らしができる日本は正しく天国だ。歐米に移住すると、異人種ということで辛い人生が予想できるが、日本に来れば似たり寄ったりの人種が居て安心できる。しかも、日本人は脳天気な民族だから、新入りの外人にも手厚い福祉を与えるし、「レイシズム」という言葉を聞けば自動的に譲歩する。「馬鹿を利用する」藝当に長けた支那人からすれば、日本人なんか鍋を背負った鴨のようだ。

  日本の一般国民は、マスコミや政府から「少子化が進んで大変だ !」と聞かされているので、技能研修生(実質的な出稼ぎ人)や低賃金労働者を迎えるのが当然と思っている。しかし、庶民は想像力と判断力に乏しいから、「労働者」という動物を輸入したら“どんなこと”が起きるのか予想できない。牛や馬なら餌を与えて終わりだけど、「アジア人」という喋る家畜を導入すれば、色々と面倒な問題が湧き起こってくる。アジア移民だって長く勤めれば日本人と同じ待遇を要求するし、家族を持てば国籍だって得ようとするはずだ。そして、アジア人労働者が結婚するとなれば更に事態は深刻で、日本各地にアジア人租界が出来てしまう。では、日本人との結婚ならどうか? それも困った問題で、ウンザリするような混血児の増殖となってしまう。移民の流入で人口が増えても、「日本人とは思えないタイプ」が増えたら気分が悪い。子供を持つ親は戦々恐々だ。「日本人の孫」を当然のように思っていた親は、朝鮮人みたいな孫を見るや涙が出てくる。タイ人とかフィリピン人も脅威で、タガログ族みたいな孫を目にすれば、「えっ ! そんな ! 馬鹿な !」と仰天し、毛細血管が凍ってしまうだろう。もし、これがベンガル人とかインド人、あるいはケニア人との混血児となれば、もう手の震えが止まらなくなる。

  朝日新聞とかTBSといった左翼メディアは、アジア人を嫌う日本人を右翼とか民族主義者と罵り、外人嫌い(ゼノフォビア)の排外主義者と侮辱する。しかし、日本人は昔から驚くほど開放的な民族だ。ただし、気に入った外国人に対してだけ。地球上の全民族を好きになる国民がいないように、我々だって「好き嫌い」がある。イギリス人とかドイツ人は尊敬に値する民族だから、日本に招いてその文化を学びたいと欲するが、支那人や朝鮮人じゃ来て欲しくない。江戸時代までは準鎖国状態にあったから、日本人は書物の中で描かれる支那人や朝鮮人しか知らなかった。ところが、明治になって自由に渡航できるようになると、“生身”の支那人や朝鮮人と邂逅(かいこう)したから、「目から鱗が落ちる」というより、腰が抜けるほどの衝撃だった。彼らは心身共に穢らわしく、鼻が曲がるほど臭い。傲慢不遜を絵に描いたような民族で、根拠も無いのに矢鱈と尊大だ。形式的に笑顔を見せても、腹の中は真っ黒で、何を企んでいるのか判らない。しかも、恐ろしく残忍で狡猾だった。

  日本の一般国民は学校教師から「日本はアジアの一部」と教えられ、「東洋人たる日本人」と洗脳されているが、そんなのは“まやかし”で、日本はアジアから隔絶した別次元の楽園である。そもそも、「アジア」というのはヨーロッパ人が勝手に作った概念で、訳の解らぬ「トルコから東にある野蛮な地域」を表す言葉だ。つまり、不気味な容姿のエイリアンが棲息する暗黒大陸、ないし、ゴチャゴチャしたオリエントの世界を指す。だいたい、トルコ人やアラブ人、アフガニスタン人、インド人、ベンガル人、マレー人、タイ人を目にして、普通の日本人が「同じ文明圏の仲間だ !」と思うのか? 明治の頃には“冒険”好きの日本人が多く、アジア諸国を漫遊して「変わった国や民族があるもんだなぁ~」と感心していたくらいだ。「五大洲探検家」の中村直吉が記した見聞記は実に面白く、別の機会に紹介したい。

  とにかく、日本人はアジア人とは“質的”に違っている。大学教授や評論家は、アジア人との共存を促すが、巷の庶民は別の感情を抱いており、アジア人との混淆は嫌いだ。昔、日英同盟を結んだときの日本は、一等国との友好を喜び、ユニオンジャックを掲げて歓迎したが、日韓併合が実現されるとたちまち陰鬱になった。乞食より汚い朝鮮人は、新しく「日本国民」となって大喜びだったが、内地人は彼らを敬遠し、「同胞」として認めなかった。この「穢族(わいぞく)」を炭鉱夫とか港湾人足で使うことはあっても、結婚相手にすることは滅多にない。政府のお偉方は熱心に「日鮮融合」を説いたが、各地の庶民は「日鮮分離」を望んでおり、鮮人との血縁関係なんてほとんど無かった。もし、世話好きの婆さんが縁談の話を持ちかけ、その見合い相手が朝鮮人と判ったら一大事。家門を誇る父親は、「この無礼者 !」と激怒し、先祖伝来の刀を抜きたくなる。士族はもちろんのこと、商人や職人だって鮮人との縁組みなんて厭だ。だいいち、恥ずかしくて隣近所に話せないじゃないか。親戚だって反対だろう。だから、そもそも朝鮮人を紹介する仲人なんて有り得ない。

  ところが、現在は優生学とか人種衛生学がタブー(禁忌)となっているから、結婚相手がアジア人であろうと、黒いアフリカ人であろうと、両者の合意があれば問題無くOK。もし、こうした混淆に反対する者がいれば、主要メディアから叩かれ、右翼とかレイシスト、ネオナチ、頑固者といったラベルを貼られて集団リンチに遭うのがオチだ。もちろん、中には批判を気にしない親もいるだろう。しかし、反対する根拠が感情論だから、理路整然と説得することはできない。結局、恋に盲目となった子供に押し切られて、渋々ながらの了承となる。

    世界史的に見て、日本が素晴らしいのは、長いこと日本人同士で暮らしてきたからだ。アジア諸国で日本風の「気配り」とか「察し合い」は存在せず、そんなのは瞬間移動とか千里眼といった超能力の類いである。しかし、日本には幸せな人々を憎み、社会を根底から覆そうとする左翼分子がウジャウジャいる。共産主義の残滓を自覚していない学者も多く、多民族社会が「善」と思っているんだから救いようがない。最近、アジアから移民とか留学生が増えてきたが、まだ一般人はその危険性に気づいていないから、なんとも暢気だ。一旦彼らを受け容れれば、異民族との混淆は避けられず、日本人は肉体的に変わってしまうだろう。そうなれば、自ずと日本人の精神だって変わってくる。ここが左翼の狙い目だ。

驚愕の授業が行われている大学

  日本人が肉体的に健康でも精神的に異常となっているのは、大学で真っ赤な洗脳教育が行われているからだろう。そもそも、一般の大学生だと、何が「左翼教育」なのか判らない。例えば、学生食堂で毒入り味噌汁が販売されていたとする。しかし、毒の分量が僅かで無色無臭だと、誰も気がつかないから、数ヶ月後か数年後、中毒症状が出でも、被害者は「どこ」で劇物を口にしたのか判らない。まさか、学食のオバちゃんが「サイコ・キラー」なんて考えられないから、「ロシアの諜報機関が毒を盛ったのかも・・・」と考えてしまう。(アホらしい憶測だけど、判断力と推察力が乏しい学生には原因究明なんて無理。)

  大学での赤化教育はもっと厄介で、毒を盛った教授自身が「毒」に気づいていない場合もあるからだ。 例えば、明治大学の「情報コミュニケーション学部」に属している根橋玲子教授は、「静かなる民族の自殺」を学生に刷り込んでいる。彼女は表面上、“中立・公正”な立場で意見を述べているように見えるが、その根底には多民族社会への“誘導”がある。根橋教授は両極端な意見を退け、外国人を一方的に排除する考え方や楽観的に肯定する考え方を「おかしい」と思っているそうだ。しかし、ここに巧妙な罠がある。根橋先生曰わく、

  外国人を受け入れるということは、一緒に暮らす仲間として受け入れることであり、そのためには、互いの問題を一緒に考えていくことが必要です。それは、国とか日本国民という立場ではなく、同じコミュニティーの市民として一緒に考えるということです。(「『留学生30万人計画』が抱えている将来的課題とは」 Meiji.net、2017年3月29日)

  根橋教授は「シチズンシップ・エデュケーション(Citizenship Education)」という歐米の考えを紹介し、移民となる外国人に対し、社会で役割を果たせるような教育を施すべし、との提案を行っていた。「国民」ではなく「市民」といった言葉を使うところが、如何にも左翼らしいが、彼女は「市民社会」の視点から外国人との共生を考えるべきだと主張する。人を「外国人」とか「何とか人」とラベルを貼って見るのではなく、「同じコミュニティーの一員」として接するべきなんだって。しかも、彼女は「自然に接することができるような教育」を説く。根橋教授が強調するのは、「責任ある寛容性」だ。

  留学生たちが日本人と区別されず、選択肢が平等に同じように与えられるよう、政策だけでなく、それを可能にする市民社会を構築していくことが、留学生をはじめ外国人を受け入れる私達の責務だと思います。それが“責任ある寛容性”です。それを実践する社会を実現することが、留学生それぞれが、安心して日本に定住する選択肢を可能にしていくことにつながると考えます。

  世間の厳しさや実社会の仕組みを知っている大人であれば、根橋教授の話を聞いた瞬間、腹を抱えて笑ってしまうが、外の世界を知らない大学生だと、「そうなのかぁ !」と納得してしまう虞(おそれ)がある。何しろ、大学生といっても、その大半は受験勉強だけで過ごしてきた元高校生。ナマズみたいにポカ~んと口を開けて授業を聴いている学生だと、「アジア人を差別しちゃいけないんだよねぇ~」と信じてしまい、移民排斥を呼びかける日本人を「右翼」と思ってしまう。こういう学生は、「なぜ日本人がアジア人に譲歩し、自分の国を多民族国家にすべきなのか」という点に疑問を持たない。そもそも、「寛容」を持ち出す学者というのは、アジア移民や留学生の側に立って発言する弁護士のような存在だ。赤い教授は生理的にアジア人を嫌う日本人を見つけては叱責し、「つべこべ言わずに我慢しろ !」と説教する。予備知識の無い学生は教師(詐欺師?)の口車に乗ってしまい、厭がる自分の方が悪いんだ、と考えてしまうから憐れだ。

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(左 : 歐洲に住む北アフリカ系のフランス人  / 中央 : 「ヨーロッパ人」のフリをするユダヤ人  / 右 : 歐洲で生まれた黒人の赤ん坊 )

  だいたい、なんで留学生が「安心して暮らす」ために、我々が本音を隠して辛抱せねばならないのか ! 普通の日本人は「世界市民のコミュニティー」など欲していないぞ。そもそも、「日本人」というのは「古来からの権利」を受け継ぐ「公民」だ。いつの世でも皇室と共に歩み、陛下を敬愛する「日本国民」というのが大前提。我々はずっと同質社会で暮らしてきた民族だ。同じ種族から困った時には共に助け合い、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた。そして、仲間が嬉しい時には、自分も嬉しくなり、その喜びをみんなで分かち合おうとする。日本の「素晴らしさ」は、こうしたところにある。

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(左 : オールド・タイプのゲルマン人少女   / 現代のドイツで称讃されるニュー・タイプのドイツ国民  / 昔の理想的フランス人  /  右 : フランスで帰化するアフリカ人)

  しかし、高い賃金や手厚い福祉を目当てにやって来たアジア人は違う。彼らは同胞じゃない。ヨーロッパ諸国に定住したトルコ人やチュニジア人、アルジェリア人を見れば分かるじゃないか。いくらフランスの国籍を取得したからといって、モロッコ人がケルト系のガリア人になる訳じゃないし、ベトナム人がパリに移住しても所詮「インドシナの外人」だ。ジプシーなんかは永遠の賤民で、ベルリンやアムステルダム、海を渡ってロンドンに引っ越そうが、一生「ジプシー」のままである。ジプシー藝人だった喜劇王のチャーリー・チャップリンは生涯、自分の家系を語らず、そっと自分の血統を恥じていた。歐洲のイスラム教徒も同じだ。フランスに帰化したイラク人がカトリック信徒になっても、顔つきがケルト人やゲルマン人に変化する訳じゃないから、ベルギーやデンマークに移住しても、依然として「中東アジア人」と見なされる。マグレブ諸国からやって来たムスリム移民の2世や3世が、成長するにつれ、どうしても“ひねくれて”しまうのは、肉体的な変化が不可能であるからだ。フランス語やドイツ語の習得は日常生活に便利だけど、心の治療には役立たない。

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(左 : 「少数派」になったヨーロッパ人の少女   / 歐米で「多数派」となるアフリカ系少女  / 北米で嫌われる保守派のプティボーン姉妹 /  右 : 人種的多様性に賛成するアンジェラ・デイヴィス )

  日本にやって来るアジア移民もマグレブ移民と同じで、たとえ帰化人になっても日本社会に同化することはない。アジア人留学生は日本の大学を出ても、依然として「よそ者」のままで、「日本人」と見なされることはない。せいぜい、日本語が上手な「外人さん」程度だ。だいたい、アジア人が日本国籍を取得したからといって、日本の伝統を守り、皇室に忠誠を誓う「同胞」になるのか? 根橋教授だって支那人留学生のことくらい知っていよう。利己主義の権化たる支那人は、銭のためなら一心不乱に働くが、日本の安全と独立を守るために戦う気概なんて微塵も無い。在日南鮮人は脱税どころか、「血税」逃れの常習犯である。彼らは本国の徴兵制度を嫌い、祖先が眠る朝鮮半島に戻らない棄民だ。そのくせ、日本での参政権を要求するんだから、本当に図々しい。(註 : 「血税」というのは「血を流して払う税」のことで、「国民が納めた金銭」ではないぞ。)

  どこの大学にも左翼教授はいるもので、何も明治大学だけが異常なのではない。教授会には赤蕪(カブ)みたいな古株が盤踞し、クズ論文を「業績」とする左翼の巣窟となっている。でも、情報発信サイトの「Meiji.net」で紹介される教授陣はあまりにも酷い。「何で、こんな奴が大学教授なのかぁ~」と呆れてしまう。どいつもこいつも左巻きで、非常識な学者ばかり。「常識」を強調したサミュエル・ジョンソン博士なら卒倒するぞ。

  例えば、政治経済学部の専任講師である下斗米秀之は、初歩的な知識が無いのか、アメリカを「移民によって形成された国」と紹介している。そして、移民規制を強めるトランプ大統領は、国際社会における米国の経済的優位性を失わせる人物であるそうだ。(「移民が引き寄せるアメリカの魅力が、日本にあるのか」 2020年6月3日) 下斗米氏の視点は如何にも左派らしく、反トランプ陣営の主張をそのまま反映している。しかし、彼の見解は南米からの移民による損害を考えていない点で片手落ちだ。それに、アメリカは「移民の国」じゃなく、「イギリス人入植者によって創設された共和国」である。アメリカ合衆国は謂わば、総本家から独立した分家のような国家だ。褐色の異民族が寄り集まって建設した国家じゃない。だいたい、アラブ人やアフリカ人、あるいはインド人や支那人が共生すると、外人が憧れる立派な国家が誕生するのか? 常識で考えろ ! でも、こうした人物には理解できないようで、下斗米氏はこう述べていた。

  移民に不寛容で、摩擦や軋轢を生む一番の原因は、人々の無知だと思います。感情論に流されることなく、客観的な事実に基づいた建設的な政策を創り出していく必要があるのです。

  もう、天を仰いで嘆きたくなるが、こんな頭をしているから大学教師は馬鹿にされるのだ。「実際のアメリカを見てこい !」と言いたい。メキシコやブラジル、グァテマラ、ホンデュラスなどは腐敗の倉庫で、ここで生まれ育った下層民は「寛容」という言葉には縁が無い。「刃向かう奴は殺せ !」というのが彼らの鉄則だ。理性で社会を設計できるというのはデ・カルト主義者の妄想で、国家は国民感情に基づいている。したがって、ヒスパニックを嫌う西歐系アメリカ人が、南米からの移民を排除しなくなるのは当然だ。中南米諸国なんかは、「ギャングランド」かと見間違うほど、犯罪が充満している。ギャング集団の抗争も激しく、負けた連中の遺体は切り刻まれ、血塗れの腕や脚が荒野で野ざらしだ。切断されない場合でも、死体が歩道橋からロープで吊され、人間版の「照る照る坊主」となっている。(実際の惨殺死体を撮影した写真があるんだけど、ライブドア社の検閲があるので掲載できません。ブログの閉鎖となってしまうので。)

  普通の日本人は唖然とするが、南米では警察署長がマフィアに買収されているケースも多く、アリストテレスやグッチャルディーニが述べた「公共善」は一切ない。幽霊と同じ。聞いたことはあるけど、誰も信じないし語ることさえない。日本のお巡りさんは安月給なのに、スピード違反の取締で金(カネ)をセビることがないんだから驚きだ。東南アジアでは警察のトップでさえ賄賂を要求するのが当たり前。とにかく、中南米諸国は国全体が刑務所みたいな場所だから、そこで育った子供の倫理観は西歐人のものとは根本的に異なっている。2009年、カルフォルニア州にあるリッチモンド高校で起きた輪姦事件は象徴的だ。

  当時、学校が連休となったので、浮かれた生徒達は夜中に集まって、酒を飲んだり踊ったりと馬鹿騒ぎをしていた。ところが、みんなが酒に酔い始めると、ある男どもが15歳の女子生徒に襲いかかってしまったのだ。主犯となる強姦魔は、リッチモンドに住むホセ・カルロス・モンタノ(Jose Carlos Montano / 18歳)とマルセルズ・ジェイムズ・ピーター(Marcelles James Peter / 17歳)の二人だった。彼らに続いて輪姦に加わったのは、エルヴィス・トレンテス(Elvis Torrentes)とマヌエル・オルテガ(Manuel Ortega)、アリ・モラレス(Ari Morales)、サン・パブロ(San Pablo)、ジョン・クレイン(John Crane)等で、それぞれが懲役刑の有罪判決を受けている。("Richmond High Gang Rapes Victim's Father Speaks : It Was A Horror", The Contra Costa Times, June 5, 2013.)

Jose Montano 1Marcelles Peter 1Manuel Ortega 1









(左 :  ホセ・カルロス・モンタノ   /  中央 : マルセルズ・ジェイムズ・ピーター   /   右 : マヌエル・オルテガ  )

  南米社会では「マチズモ(Machismo)」という考えがあり、元々は男性らしい強靱さや逞しさ、勇敢な気質を表す言葉であったが、やがてそれは女性に対する男性の優越性を表す概念となってしまった。ドヤ街で育つ男の子は、筋肉が強くなっても脳味噌が弱いから、大したこともないのに矢鱈と自分の「男らしさ」を誇張し、体力で劣る女の子を軽く見るようになる。こういう風潮は野放しにすると誠に危険で、実際、一部のヒスパニック男性は野蛮そのもの。「女がどう叫こうが、押し倒してヤっちまっえばいいのさ !」という考えなんだからバカとしか言い様がない。たぶん、リッチモンド高校の不良も「マチズモ」に感染した類いなんだろう。輪姦現場を目撃したサルバドール・ロドリゲス(Salvador Rodriguez)によれば、犯人達は少女の服を剥ぎ取り、頭を蹴飛ばしたり殴ったりと、人間扱いしていなかったそうだ。しかも、連中の一人が携帯電話で強姦シーンを撮影していたというから酷い。この陵辱は約二時間ほど続いたそうだ。

John Crane 1Elvis Torrentes 1Ari Morales 1









(左 : ジョン・クレイン   / 中央 : エルヴィス・トレンテス  / 右 : アリ・モラレス  )

  この輪姦事件は非常に衝撃的で、強姦に参加した奴も悪いが、それを眺めている生徒が10数名いたというから驚く。たとえ、強姦をやめさせることができなくても、警察に通報することくらい出来たはずなのに、誰も携帯電話を使おうとはしなかったのだ。一般の日本人なら、「どうして誰も通報しなかったのか? 一体どんな高校なんだ?」と怪訝に思うだろう。でも、この高校の人種構成を調べれば、「なるほど !」と納得できる。リッチモンド高校では、白人生徒の割合は全体の約2%足らず。後はアジア人が8%で、黒人は10%くらい。生徒の大半はヒスパニックで、全体の78%を占めている。米国の主要メディアは一応、この「ローカル・ニュース」を報じていたが、犯人の人種や学校の民族構成にはあまり触れていなかった。もちろん、全部のヒスパニック移民が悪い訳じゃないけど、こんな連中を受け容れたら、どんな結果になることか。日本の大学教授はよく考えろ。高校生や中学生の娘を持つ日本の親は、現実をよく弁えている。転勤や派遣で米国に移住することになれば、子供を通わせる学校を厳しく審査する。大多数の親は白人が主流の私立学校を選ぶことだろう。ヒスパニックや黒人がウヨウヨいる公立学校などは問題外である。

  国際日本学部の山脇啓造教授に関しては、以前、当ブログで述べたので省略するが、この学部には他にもビックリするような教師がいる。例えば、渋谷区の「同性パートナーシップ条例」を取り上げた鈴木賢志教授だ。彼は同性愛者の結婚に深い理解があるようだが、その日本観や愛国心には疑問が残る。鈴木教授曰わく、

  多様性の受容、尊重こそが、日本の伝統的価値なのです。その意味で、「同性カップル」を否定し、いびつな愛国心、伝統的といわれる価値観にしがみついている人こそ日本人の伝統に反しているとも言えるのです。(「同性パートナーシップ条例と多様性国家・日本 --- 内向きな愛国心が日本をダメにする」 2015年4月1日)

Jessica Yaniv 2(左  /  女性に憧れた元男性)
  もう、鈴木教授の意見を聞いていると頭がクラクラしてきて、「私は誰? ここは何処?」と自問したくなる。普通の日本人が「同性愛カップル」なんて聞いたら、「何を考えているの ?!」と眉を顰め、「アホじゃないか」と思ってしまう。鈴木氏は家父長や専業主婦がいる伝統的な家庭が嫌いなようで、「同性カップル」を否定する人は「昭和的な日本人」であるらしい。そして、彼は「サザエさん的価値観」と小馬鹿にする。でも、一般家庭の親はホモの結婚に反対である。もし、自分の息子が男を連れてきて、「父さん、母さん、紹介します。彼が僕の恋人。今直ぐじゃないんだけど、いずれ結婚したいと思っているんだ・・・」と言ったら、両親ともショックで膝から崩れ落ちてしまうだろう。父親は「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか !? よく考えろ、バカ野郎 !! ふざけるんじゃない!」と激昂し、往復ビンタに背負い投げだ。母親の方は気が動転し、「何かの間違いよね ! 嘘と言ってちょうだい !」と息子にしがみつき、大粒の涙を流すだろう。でも、鈴木教授には庶民の気持ちが判らない。たぶん、中学校の男性教師が赤いブラジャーをして授業をしても、鈴木氏は「それを受け容れるのが日本の伝統」と言い張るんじゃないか。一方、生徒の保護者は怒り狂って校長室に殴り込みだ。鈴木教授の方こそ、「日本の常識」を学ぶべし。

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(左 : 「美人」に変身したつもりのユダヤ人   /  右 : アメリカのゲイ・カップル )

  もう一人、“とんでもない”教師を挙げるとすれば、文学部の大畑裕嗣教授である。彼は朝鮮問題や日鮮関係を研究しているそうだ。でも、その考え方が恐ろしく左寄りで、北鮮人が喜びそうな専門家である。彼は金正恩が支那を見習い、資本主義的な社会主義を目指している、と述べていた。この大畑教授によれば、金委員長はアメリカからの体制保障を取り付け、自国の市場を開放するという。ただし、労働党によるコントロール附きである。そして、日本人は「北朝鮮脅威論」というプロパガンダに凝り固まっているから、偏った見方しかできないという。他方、金正恩は若い頃からヨーロッパで学び、日本を訪れたこともあるから、冷静な交渉相手になるそうだ。確かに、北朝鮮は破局的な選択をしないだろう。大畑氏が言うように、北鮮は日本のビジネス界にとって良い「パートナー」になるかも知れない。だが、日本国民にとっては赦しがたい「拉致の実行犯」であり、空爆で報復したくなる「敵対国家」だ。

  大畑教授の日鮮文化論を聞けば、「やれやれ」という気分になってくる。まぁ、朝鮮問題を専攻するくらいだから、朝鮮人に肩入れしても不思議じゃない。でも、「日本によって植民地にされた傷は深い」なんていう解説はバカ丸出しだ。日本統治時代こそ、朝鮮史における唯一の黄金期である。「日本人に支配されたから朝鮮人は不幸を味わった」というのは真っ赤な嘘だ。日韓併合で得をしたのは朝鮮人の方であり、日本人は政府から税金を吸い取られ、嫌いな民族が「同胞」となった訳だから、それこそ大迷惑。我々の方が損害賠償を請求したくなる。

  それにしても、未だに「進歩的文化人」の残党が存在するなんて驚きだ。大畑教授の日本論は誠に香ばしく、アジア大陸の附属品たる朝鮮半島への同情が深い。でも、日本だと別。大畑氏曰わく、

  島国育ちの日本人は、いわゆるムラ意識が強く、一面的な見方に偏りがちです。自分の立場ではなく、相手がどう見ているかということを学ぶ教育が必要です。(「『日韓併合』に口をつむぐ日本人でいたくない」 2018年8月1日)

   この言葉はそっくり朝鮮人に返してやれ。朝鮮人こそ、偏頗な歴史観に凝り固まっており、歴史を捏造する常習犯じゃないか ! 大畑教授は学生に向かって「日本の近代史をしっかり学ぶように」と述べているが、大畑氏こそ「まともな日本史」を学ぶべきだ。

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(左 : アフリカ人と同じ風習を持つ朝鮮人  / 右 : 昔ながらの怠惰な朝鮮人 )

  彼らの他にも、明治大学には目眩がしそうな教授がゴマンといる。左翼教授の一人一人を批判すれば、一冊の本が出来てしまう。しかし、息子や娘を大学に通わせる親は、我が子が何を勉強し、どんな授業を受けているのかを知らないから本当に気の毒だ。もし、筆者が個々の教授について解説してやれば、「えぇっっ、そんな馬鹿な !! どうして非常識な人が教授になれるの?」と驚いてしまうだろう。そもそも、日本人は「学歴」や「身分」を取得するために大学に通っているので、講義の中身については関心が無い。つまり、四年間熱心に勉強しようが、サークル活動に夢中になろうが、“お構いなし”ということだ。ただし、頭が朱色かピンクに染まってしまうので、その知的障碍は一生続くことになる。

  昔、日本の食品業者が支那からクズ野菜を輸入して漬物にしていたことがある。ところが、あるケースでは夏場の港で放置されたから大変だった。コンテナに入っていた野菜は暑さで腐ってしまい、そのままでは商品とはならなかった。でも大丈夫。腐った野菜は漂白され、着色と味付けで立派な商品へと様変わり。事情を知らない消費者は、お金を払ってクズ野菜の漬物を食べていた。もし、お客が産地の支那や製造過程を知っていたら、絶対に購入しないだろう。大学教育も同じで、日本人は包装紙が綺麗なら、中身の商品も高級だと思ってしまう。残留農薬が基準値の300倍を越えるメロンでも、桐の箱に入っていれば高級メロンだ。まさか、1万円もする高級フルーツが毒物であるとは思わない。学校教育を公正中立と思っている親は、教師の政治思想や倫理観をよく調べてみることだ。自分の目と耳で検証すれば、ゾッとするような現実が見えてくるぞ。

  次回に続く。



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製薬会社の暗躍

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  武漢ウイルスのせいで、令和二年は散々な幕開けとなってしまった。天皇陛下が御即位されたのに、二月の一般参賀は中止になったし、「全国植樹祭」も「感染拡大になるから」との理由で中止だ。四月に予定されていた「立皇嗣の礼(立太子礼)」も延期となってしまった。(マスコミは秋篠宮殿下を「皇嗣(こうし)」と呼ぶが、筆者は「皇太弟」の方が分かりやすく、正しいと思っている。) 一般庶民だって被害が多く、飲食店は軒並み赤字に転落で、倒産しない店でも閉店スレスレだ。ロック・コンサートも次々と延期・中止が決定され、ライヴハウスは倉庫みたいに暗くなっている。中を覗けば、ミュージシャンでなく閑古鳥が鳴いているんだから、経営者は首を吊って楽になりたいと思ってしまうじゃないか。かつて、井上陽水は『傘がない』という名曲を唄っていたが、今じゃ『客が居ない』と唄いたくなる状況だ。(今剛がギターを担当していた陽水のコンサートは良かったよねぇ~。)

  一般的に日本人は物忘れが激しいのか、もう武漢ウイルスが支那大陸からもたらされた災難という事実を忘れている。これはテレビ局が意図的に「コロナ」と宣伝したせいだ。だいたい、暖房機メーカーの社名じゃあるまいし、なぜ不特定の「コロナ・ウイルス」を特定の名称に用いるのか? ちゃんと「支那産ウイルス」と明言すべきだだろう。事実、米国に亡命した科学者の閻麗夢(えん・れいむ)が述べたように、武漢ウイルスは人民解放軍第三医大学と南京軍区軍事医学部が拵えた人工ウイルスである。彼女によると、コウモリ・コロナウイルスZC45とZXC21をベースにて人為的に培養された生物兵器であるらしい。(たぶん、開発・実験の段階で外部に漏れてしまったのだろう。)

  ところが、日本の地上波テレビは「今日の感染者数」ばかりを取り上げている。テレ朝の玉川徹などは、矢鱈と第二波や第三波の恐怖を煽るけど、このウイルスを蔓延させた北京政府を咎めることはない。たとえ無駄でも、テレビ局や新聞は支那側の隠蔽工作を糾弾し、日本政府は習近平に損害賠償を請求すべきなんじゃないか。ところが、主要マスコミと二階俊博は違う。この自民党幹事長は「習近平閣下」を温かく迎えたいそうだ。信じられない発想だけど、二階は今でも習近平の来日を望んでいるという。彼は「支那との長い冬の時代もあったが、今や春」と述べていた。普通の日本人なら耳を疑ってしまうが、この御仁は「穏やかな雰囲気の中で習近平の訪日を期待している」そうだ。米国は本気で習近平政権を叩き潰そうとしているのに、二階はやがて雪解け時代が到来し、拍手を以て「習近平様」を歓迎できる、と思っているんだから正気じゃない。耄碌しているのか買収されたのか分からぬが、二階は本当に我が国の政治家なのか?

  賠償請求はともかく、このウイルス騒動が終熄するには、集団感染かワクチンの開発しかない。でも、ワクチンの安全性には色々と問題がある。英国の大手製薬会社である「アストラゼネカ」は、オックスフォード大学と一緒に武漢ウイルスのワクチンを開発したというが、安全性に問題があるので、臨床試験を一時的に中断したそうだ。厚生労働省によれば、「ワクチンを接種した一人に重い症状が確認された」のが理由らしい。何となく「急ぎすぎなんじゃないか?」と不安になってしまうが、新薬の開発にはよくある出来事だ。通常、ワクチンの開発には臨床試験を含め、二年くらいかかるものだが、今回は一年弱だ。しかも、日本政府の対応がこれまた怪しい。政府はアストラゼネカ社と合意書を結び、新型コロナウイルスワクチンAZD1222の供給を受けるわけだが、健康被害が出ても製薬会社は免責されるそうだ。すなわち、何らかの副作用が表面化した時、日本政府は契約通りにその責任者となり、製薬会社の訴訟費用や賠償金を肩代わりするという。

  医者や製薬会社は、感染拡大を防ぐワクチンの「安全性」を宣伝するが、それなら“どうして”こんな契約内容となるのか? たとえ、新薬による副作用が出ても、それほど“深刻”な状態にはならず、被害者の数も微々たるもの、というのであれば、製薬会社が訴訟費用や賠償金を負担してもいいはずだ。それなのに、“なぜ”研究・開発に係わっていない日本政府が新薬のリスクを背負って、賠償金まで払うのか? もしかしたら、製薬会社は何らかの危険性を予知しており、その賠償金が巨額になることを分かっているんじゃないのか? もし、自分が製造するワクチンに自信があるなら、「仮に健康被害が出ても、全部ウチが保障します !」と言えるはず。自動車会社は世間に販売したクルマに不具合や欠陥が見つかれば、自前でリコールを行い、もし裁判で負ければ被害者に賠償金を支払う。トヨタやホンダは政府に「肩代わりしてくれ !」と要求しないぞ。以前、三菱自動車工業が欠陥車のリコールを隠して大問題となったことがある。三菱自工は民事裁判で負けてしまい、被害者に対し約1億6千万円支払ったそうだが、税金からの補填は無かった。また、経営危機に陥った三菱自工を支援したのは、日本政府じゃなく、三菱東京UFJ銀行や三菱商事などの三菱グループである。

不正が蔓延る医療業界

  ワクチンに関する見解は、科学者や医者により様々だが、一般人のワクチンに関する疑念は未だに根強い。なぜなら、製薬会社が医療を“ビジネス”と考えているからだ。例えば、1億人ないし10億人に対してワクチンの供給を行えば、莫大な利益が転がってくるので、どうしても早く認可を得て販売したい、と躍起になる。そのためには、多少の問題が予想されても、そこには目を瞑って許認可へ猛突進。本来なら、長期に亙って多くの人々に臨床試験を行い、患者への安全性を確保すべきなんだが、時折、困った副作用が発見されてしまうので、製造元は大騒ぎとなる。莫大な研究費をかけて開発したのに、残念な“空振り”じゃ、株主からの突き上げに耐えられない。したがって、銭儲けに走った製薬会社は、臨床試験で不正行為を画策したり、医者に働きかけて自社製品を宣伝してもらおうとする。

  製薬会社と医師との癒着で有名なのは、「ディオバン事件」である。以前、医学専門雑誌である『ランセット(The Lancet)』に、ノバルティスファーマ(Novartis Pharma)社が売り出そうとした高血圧の治療薬「ディオバン(成分名 / バルサルタン)」ついての論文が掲載されたが、この薬に関する臨床研究に不正があったので、5つの論文が撤回される事態となった。論文を発表したのは、京都府立医科大学と東京慈恵会医科大学、滋賀医科大学、千葉大学、名古屋大学の五校で、各論文にはノバルティスファーマの社員である「Shirahashi Nobuo」という人物が名を連ねていたからビックリ仰天。最初、この「シラハシ」氏はノヴァルティスファーマの社員という身分を隠し、「統計解説者」と称していたのだ。これなら、製薬会社と大学側が利益相反関係にある事を黙っていた、と思われても仕方がない。事件の発覚を受けて大学側も責任者の「責任」を追求したようで、京都府立医科大学の松原弘明教授は退職金の返納処分となったし、東京慈恵会医科大学の望月正武教授は客員教授の椅子を失ったそうだ。

  医療業界には「悪しき慣習」が蔓延っているようで、製薬会社のMR(医薬情報担当者)は、「処方権」を持つ医者に“接待攻撃”を仕掛けて自社製品の普及に努めているそうだ。(尾崎章彦、「医者と製薬会社の『悪しき慣習』」、LIFE、2019年12月号) 例えば、製薬会社のMRや社員は、医学に関する講演会を開き、ターゲットにする医者を「講師」として招く。そして、同業者(医者)の聴衆に向かって自社製品の宣伝を“それとなく”てしもらうそうだ。そうすると、講義を聴いた先生達が「お勧めの薬剤」を病院で使ってくれるという。何しろ、普通の医者は日常の診察で忙殺されているから、薬剤の成分一つ一つを自分で確かめようとはしないし、医学雑誌に載った研究論文に目を通す暇なんてない。だから、病院に戻って診療を行った時、「そういえば・・・」と講演会で紹介された薬剤を思い出し、患者への処方箋で使ってくれるそうだ。

  製薬会社のMRは講師に招いた先生への“アフター・ケア”も抜かりがない。講演の謝礼金として10万円くらい手渡すし、タクシー券はもちろんのこと、新幹線代、宿泊所の手配、懇親会への準備も怠らないそうだ。とりわけ、臨床試験に係わる「先生」には手厚い“おもてなし”が用意され、複数の医者に対してだが、その「費用」は数千万円から数億円にも上るらしい。でも心配ご無用。この「必要経費」は薬代に上乗せされるから、製薬会社はへっちゃらだ。要するに、医者への「顎足枕(あごあしまくら)」代は、何も知らない患者と国民健康保険が払うこ破目になる。“慣習”として病院へ通う老人は、病院でお薬をたくさんもらうと、「なんて親切な先生なんだろう !」と喜ぶが、本当に喜んでいるのは“ベストセラー”の元締である製薬会社の方なのだ。アメリカでも似たような癒着があって、CBSかNBCが暴露していたけど、ある医者はMRから度々高級レストランで接待を受け、長期休暇になると、女房を連れて豪華客船のクルージングを楽しんでいたという。もちろん、クルーズ船のチケットはMRからの「プレゼント(賄賂)」である。こんな「ご厚意」に接すれば、不都合な治験の結果は出せない。ちょっとした薬の副作用があっても、「誤差」とか「例外」にしたくなるじゃないか。

自分の子供だけは「除外」に

  一般的に、ウイルス感染を予防するワクチンは、疫病の蔓延を防ぐ有効策とされているが、世の中にはワクチンの危険性や無効性を説く医者もいる。たぶん、一部の医学者が反対してもワクチンは有効なんだろうけど、上流階級や高額所得者の中にはワクチンの「否定論者」や「懐疑論者」が少なくない。例えば、疫病撲滅に熱心なビル・ゲイツは“天使”のような人物で、全世界の人々にワクチンを届けようとする。ところが、なぜか自分の娘には大切なワクチンを接種させていなかったのだ。一般の日本人が聞けば、「えぇっっっ !  なんで・・・!」と驚いてしまうが、歐米の知識人なら「やっぱりねぇ~」と頷いてしまう。これは1990年代にゲイツ氏の私的医師(private doctor)が暴露した話なんだけど、この先生は個人的な会話で同僚にゲイツ家の“秘密”をうっかり喋ってしまったのだ。彼は言う。

Bill Gates 092Bill Gates family 2






(左 : ビル・ゲイツ   /  右 : ビル・ゲイツの家族 )

  私は彼(ビル・ゲイツ)が成人した子供達に接種させたかどうかは知らないが、彼らが子供の時にワクチンを接種させたという話は聞いたことがないし、ゲイツ氏が拒否していたことは確かだ。(S.D. Wells, "Bill Gates and the World's Elite DO NOT VACCINATE their own children ・・・・and for good reason", Newstarget, January 22, 2019.)

     事実、ゲイツ氏には娘のジェニファーとフィービー、および息子のローリイがいるけど、彼らが10代の頃にワクチンを打っていなかったという話は衝撃的だ。どうして、ゲイツ氏のような知的で合理的なビジネスマンが、重要なワクチン接種を拒絶したのか? エリート階級に属する高額所得者は、偏見に満ちた低学歴の庶民と違って、上質な医学情報を何時でも入手できるし、医療技術や最新科学に詳しい友人だって持っている。それゆえ、自分の子供を感染の“危険”に曝すとは考えにくい。こうした裏話を聞くと、無知な庶民はワクチンの有効性を疑い、「本当はその危険性を分かっていたから子供に接種させなかったんじゃないか?」と勘ぐってしまうだろう。ワクチン開発に熱心なゲイツ氏は、公共善のためにも「なぜ子供達に接種させなかったのか」を説明し、過去の判断を告白すべきだ。一般人が持つワクチンへの誤解と偏見を正すためにも、ぜひ理由を明らかにしてもらいたい。

John le Carre 2(左  / ジョン・ル・カレ)
  新薬開発には様々な闇があるようで、こうした内情は映画の題材にもなっている。例えば、2005に公開された『ナイロビの蜂(The Constant Gardener)』は、製薬会社の不正を描いた映画だ。この作品はイギリス人作家のジョン・ル・カレ(John le Carré)の小説に基づいている。彼はスパイ小説家として有名で、日本の映画ファンなら、リチャード・バートンとクレア・ブルームが共演した『寒い国から帰ってきたスパイ(The Spy who came In from the Cold)』を覚えているんじゃないか。ジョン・ル・カレの小説はよく映画化されており、2001年に公開された『Tailor of Panama』は記憶に新しい。元007のピアース・ブロスナンがMI6のスパイを演じ、ジェイミー・リー・カーティスとジェフリー・ラッシュと共演していた。特にラッシュの演技は絶妙で、「さすが、英国の俳優はひと味違うなぁ~」と感心する。日本の評論家は香川照之とか役所広司を持ち上げるけど、こんな役者は俳優の名札をぶら下げて演じているようなものだ。

  『ナイロビの蜂』に話を戻す。映画の中でレイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)扮する「テッサ」は、製薬会社「KDH Pharmaceutical」の不正を暴こうとするが、その途中で暗殺されてしまう。政府や大企業の悪事を告発しようとする彼女の姿は、如何にもヨーロッパにいそうな左翼を偲ばせる。テッサは矢鱈とアフリカの黒人に優しいし、ヨーロッパ人が持つ人種差別に敏感で、貧しい民衆を救おうとする。ケニアで人道活動に従事するテッサには、「社会正義の戦士(Social Justice Warrior)」という言葉がピッタリだ。一方、彼女の夫であり、英国の在ケニア大使館に勤めるジャスティン・クェール(ラルフ・ファインズ)は、厳しい現実を解っているのか、貧困の撲滅は無理と諦めている。だが、妻の活動に理解を示すリベラル亭主は、女房を咎めることがてきず、ある程度の自由を与え、陰ながら助けていた。ところが、愛する妻が亡くなったことを同僚のサンディーから告げられると、その訃報に愕然とする。しかし、彼は気を取り直して事件の真相を摑もうとした。ジャスティンは「なぜ妻が死亡したのか?」という謎を現地で調査し、その答えをやっと突き止めたが、やがて同じ暗殺者によって殺されてしまう。

  ここでは関係ないけど、妻の死亡を告げられた時のジャスティンは、如何にも英国紳士らしい態度を示していた。彼は部屋の観葉植物に水を撒いており、死亡報告の言葉を聞いても取り乱すことなく静かに応える。まだ、遺体確認をしていないジャスティンは、声を震わせながら「信じられない !」と驚愕するが、冷静にテッサの死亡を受け容れ、それを伝えてくれた同僚に感謝した。感情を抑えながら対応する姿勢は、どことなく日本の武士と似ている。もし、これがメキシコ人とかイタリア人なら、どうだったのか? おそらく、彼らは直ちに理性を失い、頭を抱えながら大声で泣き叫んでしまうだろう。アル・パチーノかロバート・デ=ニーロの演技が目に浮かぶ。もし、これが朝鮮人なら、スライムみたいに床にしゃがみ込んで、子供の如く暴れ回り、鼻水を垂らしながら号泣だ。「アイゴォ~、アイゴォォ~」と泣き叫ぶ朝鮮人を見ると、つい「みっともない連中だなぁ~」と思ってしまう。人間というのは気が動転したり、衝撃的な事件に出くわすと、生まれ持った民族性とか国民性が出てしまうものだ。

Rachel Weisz 0021Rachel Weisz 11









( 左 : レイチェル・ワイズとラルフ・ファインズ  /  右 : アフリカ人の子供に優しい「テッサ」 )

  主人公のテッサは典型的な左翼活動家で、エイズや疫病で苦しむケニア人に同情していた。他方、製薬会社の「KDH ファーマスーティカルズ」は、結核の治療薬である「ディプラクサ(Dypraxa)」をケニア人に大盤振る舞い。一見すると、アフリカでの慈善活動のように思えるが、この製薬会社は善人のツラを被った悪徳業者で、黒人を騙して臨床試験を行っていたのだ。新たに開発した薬が認可されるには、その安全性が確認されねばならない。当然、新薬の販売を任される「スリー・ビーズ製薬(Three Bees Pharmaceuticals)」も治験には熱心で、何が何でも治験をクリアーしたいと望んでいる。そのためには、多少の汚れ役だって引き受けねばならず、KDHとグルになって「不都合な真実」を葬ろうとする。甘い蜜には蜂以外も群れるようで、ケニアに駐在する英国の高等弁務官も仲間だった。陰謀を嗅ぎ回るテッサは、告発の手紙を高等弁務官のバーナード・ペリグリン卿(ビルナイ)に送るが、彼はテッサの直訴状を握り潰した。

  新薬の有効性に疑問を感しるテッサは、製薬会社にとったら「邪魔者」だ。彼女には消えてもらうしかない。昔、ロッキード事件が騒がれた時、榎本三恵子が夫の証言を覆したので、マスコミは「蜂の一刺し」と評したことがある。(榎本氏は、田中角栄の秘書を務めていた榎本敏夫の夫人だった。) 巨額の利権が蠢く世界では、正義漢を気取った左翼なんか目障りだ。五月蠅(うるさ)く嗅ぎ回る蜂は、殺虫剤か棍棒で叩き潰すのが一番。同僚の黒人医師と一緒に真相を探ろうとしたテッサは、企業が雇った暗殺集団によって殺されてしまう。後に、テッサの死を告げられたジャスティンは、調査を進めて行くうちに本国のお偉方が製薬会社と癒着していることに気づく。しかし、ジャスティンが新薬の開発者に接触すると、またしても「闇の掃除屋」が動き出し、彼の口封じを謀ろうとした。暗殺集団から逃れられないと悟ったジャスティンは、誰もいないケニアの土地に留まり、静かに死を待っていた。やがて、製薬会社の傭兵が到着すると、ジャスティンは無残にも“蜂の巣”に。

  誠に哀しい最期だけど、やはり大企業の前では個人の正義は無力だ。貧しいケニア人も憐れな存在で、彼らは何も知らされず、ただ「良い薬がもらえる」という話で長い列に並んでいるだけ。一応、彼らは製薬会社の職員から提示された同意書に署名するが、何が書かれているのかさえ分からないんだから、白紙の委任状にサインしているのと同じだ。気前の良い企業にしたら、副作用が出ようが出まいが、そんなのはお構いなし。これは黒人を使った人体実験なんだから。この映画には印象的な会話がある。英国大使館に勤めるサンディー・ウッドローは、テッサとジャスティンの友人なんだけど、製薬会社の陰謀に薄々気がついていた。危険性を孕む薬と判っていても、サンディーは騒がず、むしろ目を逸らそうとした。曰わく、「俺達はまだ死んでいない人々を殺しているんじゃない」、と。つまり、「俺達は健康な人間を殺している訳じゃない。あの黒人どもは、何をしたって助からないんだ ! 要するに、死人同然の連中ということさ ! 今生きている連中だって、この先どうなるのか分からない。だから、そんな奴らに薬の副作用がどうのこうの、と叫んだところで何になるんだ?」とサンディーは言いたいのだ。

上流階級が率先するワクチン接

  ワクチンの開発は巨大な利益をもたらす。もし、世界各国の政府が新薬を購入すれば、その売り上げは鰻登りだ。何十億人が接種するとなれば、その回数は1回じゃなく数回となるし、保険制度が整った先進国で導入されれば、毎年お客様がやって来る。政府が取引相手なので、代金の踏み倒しはない。仮に副作用が発覚し、医療訴訟が起きても、現地の政府が対応してくれるから、製薬会社は旨い汁だけ啜って売り逃げだ。損害賠償は税金から出る。仮に、副作用に関する裁判がなされても、判決までには何年もかかるし、10年とか20年経ってからの勝訴じゃ意味が無い。最終的な判決が下るまで、ずっと原告は苦しむし、中にはあの世へ旅立つ被害者もいるだろう。それに、賠償金を貰っても昔の体が戻ってくる訳じゃない。

  ということで、日本の庶民は自己防衛として安全策を練るべきだ。もし、武漢ウイルスに対応する新しいワクチンが出来たら、最初に投与される対象者は、医者の子供とか国会議員の家族、有名企業の社長や重役、弁護士の親とか孫にすべきだろう。以前、子宮頸癌ワクチンの接種が全国の学校で実施された時、一部の保護者がワクチンの副作用を懸念し、子供への投与を拒絶したことがある。そこで、医師の村中璃子(むらなか・りこ)はHPVワクチンへの誤解や偏見を正そうと、その有用性とメリットを宣伝し、少女達への再接種を呼びかけていた。しかし、厚生労働省は世間の反撥を恐れているのか、接種の再開を躊躇(ためら)っている。

  しかし、接種再開には一つの秘策がある。それは全国各地の医者に呼びかけて、彼らの娘や孫娘すべてに接種させればいいのだ。医者の娘を実験台にすれば、子宮頸癌ワクチンへの偏見は解消されるし、マスコミも大々的に取り上げるはず。村中氏は頑固な平民の啓蒙活動などせず、先に医者の協力を仰ぎ、安全性のキャンペーンに努めるべきだろう。さらに、10代の少女ばかりでなく、若い医者の女房(20代から40代の女性)にも接種させて、ジャンジャン注射を打ち続けるシーンを公開すべきだ。ただ、残念なのは、村中氏がワクチンの接種をしていなかったことである。彼女は少女達にワクチンを熱心に勧めていたが、村中氏自身は「打っていません !」とTV番組で答えていた。安倍宏行のインターネット番組を観ていた一般人は、村中氏の告白を聞いて「えっ !」と驚いたが、大人の女性は打たなくても大丈夫であるという。でも、どうして村中氏はまだ若いのに、ずっとワクチンを打たずに暮らしてきたのか? 子宮頸癌への恐怖は無かったのか?

  ある産婦人科医への調査によれば、10代の少女に接種を推奨しない医者が約30%もいたという。もっと興味深いのは、2014年の時点であるが、自分の娘には接種させないという産婦人科医が多かったことである。一般人の娘にはワクチンを勧めるのに、どうして我が子には躊躇うのか? 新たなワクチンが出来たら、まず全国にいる医者と議員の娘に接種させて、数年間の状況を観察すべきだ。何人かに拒絶反応や異常が見られても、それがワクチンの影響なのかどうなのか、直接的な関係が分からないので、時間をかけて検証するしかない。ただし、医者の中には、「もっともな言い訳」をして我が子を「除外」する者がいるから、我々は簡単に了承せず、専門家の尋問にかけるべきだろう。仮に、理由を告げず、ワクチン接種を拒む医者がいたら、全国民に知らせて質問攻めにすべきだ。こういう時こそ、テレビのワイドショーは疑惑の人に突撃インタビューをかけるべきなのに、テレビ局ときたら「隣の晩ご飯」と「藝人の不倫」くらいしか興味がないんだから。

  子宮頸癌ワクチンと同じく、武漢ウイルスのワクチンが開発されたら、真っ先に中高年の医者やその家族、国会議員の家族と親戚・友人等に打ってもらおう。副作用の危険性など微々たるものだから、医者の息子や娘にはドンドン投与すべきだろう。科学知識が乏しい一般人は、彼らの健康状態を数年見守ってから、ワクチンを接種すればよい。また、医療訴訟が起きたら、製薬会社が矢面に立つべきだ。安全なワクチンなんだから、訴訟で負けるはずがない。日本政府が賠償金の肩代わりをするなんて変だ。それに、武漢肺炎で重症になるのは高齢者に多いから、自民党や立憲民主党の長老議員に先ず投与すべきだろう。国会議員に限らず、地方議員の家族にも優先的に投与し、その安全性をアピールしもらおうじゃないか。新薬の宣伝には、東証一部上場企業の社長とか高齢の会長、経団連の重鎮などの協力も必要だ。もし、高価なワクチンが不足するなら、重要人物に譲ってやろう。日本には「敬老の日」があるんだから。NHKにも60代や70代の管理職が多いから、彼らにドンドン打ってもらい、その経過を映像に収め、ETV特集にしたら凄い社会貢献になるぞ。優秀なエリートは自ら率先し、無知蒙昧の庶民を啓蒙すべきである。
  


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