無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2021年05月

輝かしきナチス時代のドイツ / ヒトラーの趣味と経済政策

独裁者に牽引されたドイツ経済

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  日本人は大学で金融政策とか経済理論を学んでいるけど、経済の根本は、「我々がモノを生産し、それと同時にサービスを行って、色々な消費をする」ということだ。大抵の国民は「セックス・スポーツ・スクリーン」に興じ、後は適当にグルメやファッションを楽しむ。いくら大学教授がケインズ経済学とか財政問題を論じても、庶民に活力や欲望が無ければ、どうしようもない。景気は人々の気分に左右される。左翼学者の講義なんか兎の屁よりも軽くて胡散臭い。李朝時代の朝鮮人みたいに、支配者からの搾取ばかりじゃ、やる気を無くすじゃないか。乞食よりも汚かった鮮人は、キセルをくわえたまま、ボケ~と空を見上げて一日を過ごしていた。両班にイジメられていた平民が新たな産業を興したり、画期的な技術を開発する、なんてことはない。白いチョゴリを鮮やかにする染料も無かったんだから、日本統治以前の朝鮮半島はアカンタレの聚落(しゅうらく)でしかなかった。

  話を戻す。消費増税に加え、デフレ・スパイラルと緊縮財政によって苦しめられる日本人は、消費意欲が驚くほど削がれている。高度成長期の日本人には信じられないが、「自動車なんて要らない ! そんなの維持費ばかりかかって無駄!」と思う若者が増えてきた。日本経済が好調な頃は、「格好いいクルマを買って、恋人と一緒に遠くへドライヴ」というのがデートの定番であったが、今では「電車に乗って近場のファミレス」というのが普通になっている。夜の営みも「フォア・シーズン」とか「センチュリー・ハイアット」みたいな御洒落なホテルじゃなく、自宅の小部屋でフライド・チキンを食べながら、という節約志向の生殖行為なんだから哀しくなるじゃないか。一生に一度(人によっては数回)の新婚旅行だって、憧れのパリやミラノじゃなくて、沖縄からちょっと足を伸ばした台湾くらい。たとえ奮発しても、パック旅行のハワイ程度。こんな暗い時代となれば、とても民間企業による斬新なイノヴェーションなんて望めないだろう。

  現在の歐米諸国や日本では、ナチス時代のドイツは徹底的に批判されているが、アドルフ・ヒトラーの経済政策や国家ヴィジョンは、リベラル学者がこき下ろすほど酷いとは思えない。例えば、『第三帝国の社会史』(邦訳 / 彩流社)を書いたリヒャルト・グルベンガーなどはナチスの政策に厳しい批判を加えているが、一般の日本人は彼が英国へ亡命したユダヤ人であることに気づいていない。ナチス批判については別の機会に述べることにする。かつて、経済学を専門としていた小室直樹先生は、ヒトラーのことを「ケインズ以前のケインジアン」と評し、ナチスの公共事業やインフレ退治について否定的ではなかった。

  しかし、筆者が興味を抱いたのは、ナチ・ドイツの経済政策だけではない。その背後にある考え方だ。極悪非道の権化とされる独裁者とはいえ、ヒトラーは意外と魅力的で、今でも人々の関心を引いている。もちろん、ユダヤ人にとったらヒトラーとその取り巻き連中は「不倶戴天の敵」でしかない。千年経っても赦せない悪魔だ。ところが、ユダヤ人の血が混ざっていないゲルマン人(昔ながらの西歐人)にとっては“ちょっと”違っており、国家社会主義といえども、その公共事業や福祉政策は“そこそこ”良いものだった。

  「ゲルマン人のためのドイツ帝國」とか「アーリア人による世界支配」というスローガンは、ユダヤ人に牛耳られた学会では悪魔の囁きにしか聞こえないが、多民族主義に苦しむイギリス人やデイン人、そして気違いじみたオランダ人やスウェーデン人、ナショナル・アイデンティティーを失ったフランス人にとっては、しんみりと「心に響く理念」である。ヒトラーを目の敵にしたウィストン・チャーチルは、ユダヤ人に買収された売国奴であったが、人種論や優生思想に関してはヒトラーと同類だった。チャーチルは根っからのレイシスト(白人を最上級と考える人種差別主義者)で、茶色いアジア人(インド人やビルマ人)なんか見るのも厭で、飢餓でパキスタン人が何人死のうとお構いなしであった。マルバラ公爵の御曹司は、デブ猫の「ミッキー(Mickey)」やオレンジ(マーマレイド)色の「タンゴ(Tango)」、ホレイショ・ネルソン提督に因んで名付けられた灰色の「ネルソン(Nelson)」を溺愛していたんだけどねぇ~。

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(上写真   /  ドイツ人の子供を増やそうとしたヒトラー)

  ユダヤ人はドイツから追い出されて恨み骨髄であったが、ユダヤ人が居なくなってドイツ人は清々していたのも事実だ。ドイツはドイツ人の国で、ドイツ人が増えるのは良いことだ、というのかヒトラーの信念だった。「生命の泉」を意味する「レーベンスボルン(Lebensborn)」は、ゲルマン人の少子化に対する社会政策で、強制的な側もあったから不評となっているが、国民の激減を食い止めるにはやむを得ない手段であった。現在、人口減少に悩む歐米人にとったら羨ましい限りの解決策である。ヒトラーは理論家ではなく実践家であったから直感に優れていた。権力を握ったヒトラーは、失業中の男性に職を与え、女性は家庭に戻って子育てに励むべし、という考えを持っていた。総理になった安倍晋三と違って、専業主婦が存在する健全な家庭を望んでいたから偉い。

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(左  : 現在のドイツで減少する親子のタイプ  /  右 : リベラルな現代ドイツで称讃されるカップル)

  1933ヒトラーは「既婚者向け融資法(Ehestandsdarlehen)」を作り、結婚したけど金銭的に困っている人へ1千マルクをバウチャー形式で貸し付けることにした。しかも無利子で。これは同時としては相当な金額で、ドイツ人労働者の月給が平均で132から140RM(ライヒスマルク)くらいだったから、お金を手にした労働者はニコニコ顔だった。翻って、令和の日本はどうか? 政府自民党は武漢ウイルスで困った国民に、たった10万円しか給付せず、それもたった1回だけ。30万円か40万円くらい渡したっていいのに、財務官僚は与党の先生方に「プライマリー・バランスを考えると、2回目は無理です !」とレクチャーする。ところが、飲食店への“自粛要請”は牛の涎(よだれ)みたいに延々と続き、今年の大型連休どころか、五月下旬になっても緊急事態宣言が解除されず、六月まで再延長されるという。まったく、令和の日本とナチス時代のドイツと、どっちの方がいいのか判らない。

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(左 : 現在のドイツで嫌われるタイプの白人女性   / 右 : 多文化社会のドイツで大切にされる人々 )

  話を戻す。この借金には大変「お得」な条件が附いており、子供を1人産む毎に返済金の4分の1が免除される、という「特典附」だった。しかも、4人もうければ全額免除となったから最高だ。夜の悦楽に励むと借金がチャラになるなんて夢みたい。ドリームジャンボ宝くじを買っても百万円すら当たらないのに、ベッドの中でハッスルすれば、有り難い御褒美が貰えるんだから、ヒトラー総統万歳だ。ここ重要なのは、ナチスの政策が「アーリア人」を対象にしたことである。もし、多民族社会になったドイツで同じ事を行えば、ユダヤ人ばかりでなく、アラブ人やアフリカ人も大量繁殖だ。さらに、東歐や南歐からも貧民が雪崩れ込み、ジプシーみたいな連中が街に溢れかえってしまうだろう。これじゃあ、民族復興の処方箋じゃなく、民族滅亡への劇薬だ。

クルマ好きの独裁者

  現在の日本人は少子化防止や過疎対策に頭を悩ましている。地方の繁華街は嘗ての輝きを失い、今ではシャッター商店街が当たり前となっている。テナント・ビルさえ幽霊屋敷だ。でも、在日支那人なら悪霊よりも図々しいから、日本の幽霊が立ち退いた空き部屋に住み着くぞ。そう言えば、昭和63年から平成元年(1988年から89年)にかけて、竹下登が「ふるさと創生事業」とやらで各地に1億円配ったけど、これは見るも無惨な大失敗だった。「地方自治」なんて「痴呆自治」と呼ばれるくらいだから、国会議員よりも酷い連中が「棚からぼた餅」と大喜び。各市町村の田舎議員は、「自由の女神」(青森県)や「UFOの里」(福島県)、「ビッグ・スライダー(長い滑り台)」(兵庫県)などを作って交付金の無駄遣い。賢かったのは青森県の石黒市くらいで、1億円のプレゼントで「純金こけし」を購入した。しかし、2006年頃から財政的に困った市は売却を検討し始める。当時、一部の住民から反対の声も上がったが、予定通り売却できたという。最初は「こけし」を惜しむ声もあったが、2億円で売れたから反対派も沈黙するしなかった。

  地方自治体や国家全体を大金で「活性化」させようとするなら、烏合の衆による「文殊の知恵」じゃ駄目だ。こういう時は、鋼鉄の意志を持った独裁者が登場し、鶴の一声で実行するに限る。ヒトラーによるアウトバーンの建設は有名だけど、そこを走るクルマも重要だ。元絵描きの総統は無類のクルマ好きであった。1930年代といえば、自動車時代の幕開けであったから、アメリカ人やヨーロッパ人はモーター・スポーツに興味津々。ユダヤ人のヘンリー・キッシンジャーはヒトラーのことを“メガロマニア(megalomania / 誇大妄想狂)”と呼んで蔑んでいたが、当時のヨーロッパ人にとっては、伍長上がりの“カー・マニア”でもマシだった。それどころか、ヒトラーがドイツ民族の優秀性を示すためにとった数々の政策は、後の世に語り継がれる偉業となったのである。

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(左 : フォルクスゲンの人気車「ビートル」を前にするヒトラー  /  右 : フォルクスワーゲンの模型を見るヒトラー)

  ヒトラーの功績はドイツ民族の精神を激しく鼓舞したことにある。元々、ドイツ人が能力のある種族であったことも成功の要因であったが、それでもヒトラーの理念が果たした役割は大きい。ドイツ人は論理や理性で物事を押し通してしまう欠点も否めないが、この民族が何らかの理想に燃え、学問や事業に集中すると物凄い結果を産むことがある。レーシング・カーの開発でもドイツ人は偉業を成し、ヒトラーの期待に応えることができた。

  1930年代のヨーロッパ・グランプリでは、ドイツ人チームの成績は芳しくなく、フランスの「ブガッティ(Bugatti)」やイタリアの「アルファロメオ(Alpha Romeo)」、「フェラーリ(Ferrari)」に引けを取っていた。したがって、ドイツのレーシング・カーはまだ開発途中。それでも、ドイツ・グランプリではルディー・カラッツィオラ(Otto Wilhelm Rudolf Caracciola)」 が、メルセデスの「SSK(Super Sport Kurz)」に乗って脚光を浴びていた。ところが、メルセデスで有名なダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)社だけではレーシング業界を牽引できず、ドイツ人は「どうしたものか?」と頭を悩ませていた。そこでドイツの自動車会社はタッグを組んでGPレースに臨むことにしたそうだ。1932年、「アウディ(Audi)」、「ホルヒ(Horch)」、「アヴンダラー(Wanderer)」、「DKW(Damfp Kraft Wagen / Deutsche Kinder Wagen)」の四社が合併して、「アウト・ウニオン(Auto Union)」を結成した。現在のアウディー社は四つの輪を自社のロゴ・マークにしているが、これは統合した四社を表している。

  幾つかの自動車会社が連携したとはいえ、直ぐさま実績をあげた訳ではない。それゆえ、まだ脆弱な業界に対し、ヒットラーは国家による梃子入れを行った。モーター・スポーツに熱を入れる総統は、「国家社会主義自動車部隊(NSKK / Nationalsozialistisches Kraftfahrkorps)」を創設し、そこのトップに突撃隊(Strurmabteilung /SA)のアドルフ・ヒューレイ(Adolf Hühnlein)を据えることにした。このヒューレイが部隊の指揮を執ると、ドイツ・チームは徐々に好成績を残すようになり、ベルント・ローズマイヤー(Bernd Rosemeyer)も注目の的になっていた。彼はニュルンベルクのレースやチェコのグランプリ、さらに米国のヴァンダービルト・カップなどに出場し、華々しい成績を収めた。ただし、オート・ウニオンのドライバーであるアドルフ・ローゼンベルガー(Adolf Rosenberger)はユダヤ人であったのでレースの出場が認められなかった。フランス人ドライバーのルネ・ドレフュス(René Dreyfus)も父親がユダヤ人であったため、メルセデスのチームから排除されたという。二人はヨーロッパを去り、アメリカへ移住したそうだ。

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(左 : アドルフ・ヒューレイ   /  ベルント・ローズマイヤー  / アドルフ・ローゼンベルガー  / 右 : ルネ・ドレフュス )

  1933年、ヒトラー総統は50万ライヒスマルクをアウト・ウニオンに与え、画期的なスーパー・カーを開発するよう注文を付けた。ダイムラー・ベンツ社は政府に100万マルクの補助金を要求したが、半分しか受け取れなかったそうだ。それでもダイムラー・ベンツ社はめげず、従来のロードスターであるSSK(Super Sport Kurz)をベースに改良を加え、パワーアップした500馬力の「W125」を開発した。ヒトラーはアウト・ウニオンが造り出した革命的レーシング・カー、「シルバープファイル (銀の矢 / Silberpfeil)」を目の前にし、「素晴らしい !」と胸をときめかせていた。メルセデス・ベンツのフォーミュラー・ワンとなる「W25」も、シルヴァーのボディーであったため、銀の弾丸というイメージと重なって、「銀の矢」というニックネームの由来になっていた。

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(左 : アウト・ウニオンが開発したニューモデル「銀の矢」を視察するヒトラー  / 右 : 現在のドイツで展示されているシルバープファイル (銀の矢 / Silberpfeil)」 )

  これは偶然なんだけど、ペンキを塗って白くすると車体が重くなるので、なるべく軽くするためにアルミニウムが剥き出しのままにしていた、というのだ。ちょうど、旅客機が軽量化を図るため、機体にペンキを塗らないのと同じ理屈だ。何しろ、ドラム缶数個分の量になるから、塗装といっても馬鹿にならない。燃料費を節約したい航空会社は、140kgにもなる塗装をしないことで約240万円の節約をしたそうだ。また、機内に積むコンテナも従来のアルミニウム合金製を改め、ガラス繊維強化プラスチック製にして約26kgの軽量化を図ったそうである。さらに、こうした取り組みは機内に持ち込む食器や装備品にまで及び、スプーンやフォークでさえ見直されたという。1本あたり2gの軽量化をすれば、合計で約2.5kgの軽量化になるらしい。航空会社は飲料メーカーにも協力を求め、500mLのペットポトルを改良してもらい、1本あたり9gの軽量化に成功したそうだ。ホント、民間企業は地道な努力を積み重ねている。ビールが飲みたいから冷蔵庫を買ってしまう役人とは大違いだ。

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( 左 : メルセデス・ベンツ社のレーシング・カー「W125」  /  右 : 流線型のアウト・ウニオンType Cである「ストロムライン」 )

  脱線したので話しを戻す。アウト・ウニオンが世に送り出したレーシング・カーは素晴らしく、試作品の「Type A」を基に「TypeB」が作られ、後続の「Type C」や「Type D」はヨーロッパ・グランプリで大活躍。「シルバープファイル」はドイツ・グランプリに出場し、「スクーデリア・フェラーリ(Scuderia Ferrari)」や「マセラッティー(Maseratti)」、「ブガッティー」を抜いて堂々の1位に輝いた。カラッツィオラは1935年、1937年、1938年とヨーロッパのレースに出場し、メルセデスを操って三度優勝した。メルセデスの「W25」は後に改良され、8気筒600馬力の「W125」へと生まれ変わった。ドイツ人もイタリア人に負けず劣らずで、レーシング・カーのデザインにも注意を払い、目を奪われるような流線型の「Type C」まで製造されていたのである。1930年という時代を考えれば、斬新なデザインと言えるんじゃないか。まるで、「マッハGoGo」(タツノコプロ/ 1967年放送)に出てくる「マッハ号(レーシング・カー)」を観ているみたいだ。

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(左 : レースに出場したアウト・ウニオンのType C   /  右 : 人々の脚光を浴びたメルセデスのレーシング・カー )

総統専用列車「アメリカ」の出現

  ヒトラーの趣味というのは自動車だけじゃなく、自分が搭乗する列車にも独自のポリシーを持っていた。鉄道ファンには周知の事実だが、ヒトラーは自分専用の特別列車を作るよう「ドイツ国営鉄道(Deutsche Reichsbahn)」に注文していた。そこで、二年の歳月をかけて総統特別列車(Führersonderzug)が製造され、1939年に「アメリカ(Amerika)」と呼ばれる列車が誕生した。しかし、ネーミングがマズかったのか、後に「ブランデンブルク(Brandenberg)」と改名され、この列車は移動時の司令部となった。当時のドイツには他にも「特別列車」があって、「アフリカ(Afrika)」は陸軍最高司令部のウィルヘルム・カイテル(Wilhelm Kaitel)元帥が乗る特別列車で、別名「ブラウンシュヴァイク / Braunschwig)」と呼ばれていた。海軍の元帥が乗る列車は「アトランティック」という名で、別名が「大雷鳥(オオライチョウ / Auerhahn)」であった。これはエーリッヒ・レーダー(Erich Raeder)元帥やカール・デーニッツ(Karl Dönitz)提督が乗る御用列車だ。敗戦時に国家元帥となったヘルマン・ゲーリング(Herman Wilhelm Göring)には、空軍司令官用の「アジア(Asien)」という列車があり、「ポンメルン(Pommern)」という別名が附いていた。(英語の地名表記だと「ポメラニア」である。)

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(左 : ウィルヘルム・カイテル  / エーリッヒ・レーダー  /  カール・デーニッツ  / 右 : ヘルマン・ゲーリング )

  こんな豪華な列車を観れば、日本の鉄道ファンは大喜びで、「ぜひ車内を見学したい !」とせがんでしまうだろう。とりわけ、小学生の鉄道オタクがドイツに赴き、列車内部を隈なく歩き回ったら感謝感激するんじゃないか。まぁ、日本の列車も負けてはおらず、豪華な列車は結構あって、「ななつ星」とか「とれいゆつばさ」、「トワイライトエクスプレス瑞風」も味わい深い。しかし、世界史に名を刻んだドイツの特別列車は“格別”である。

Hitler train the Beast 04(左  / 総統の特別列車「ブランデンブルク」号)
  総統の特別列車は重量が1,200トンで全長が430m、走行速度は80km/hから120km/hくらい。二台の機関車に牽引された列車は、蒸気と電気のエンジンで走る。空や地上からの攻撃に備えて、砲弾を発射できる武器が搭載され、まさしく動く要塞と化していた。司令部として機能するために通信設備(Befehlswagen)も整えられていたが、注目すべきは、総統が乗る「Führerwagen)」という車輌である。車内には護衛兵が常駐するラウンジがあり、大きなテーブルとくつろげるソファーがあった。別の車輌にはバスルームがあり、散髪も出来るようになっていた。その他、食事を楽しむ車輌や寝台車、記者を乗せる広報用の車輌などもあったから凄い。この特別列車にはフランスのペタン元帥、スペインのフランコ将軍、イタリアのムッソリーニも乗ったことがあるそうで、戦後は英米の軍人が戦利品として利用していたそうだ。

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(左 : 車内で執務をこなすヒトラー総統   /  右 : 司令部となった列車内部の部屋 )

  ナチス・ドイツに関しては様々な罵詈雑言が投げかけられるが、ユダヤ人以外の民族だと「敵ながら天晴れ」という畏敬の念が芽生えてしまうだろう。一般の知識人は言いづらいだろうが、ナチスの人種論や政治理念には眉を顰めたくなる部分もあるが、全否定するには抵抗がある。日本やドイツの一般国民はあまり触れないが、ドイツの軍服や装備には、何とも言えない格好良さがあった。歐米の主流メディアや日本のテレビ局は、ナチ党員や国防軍の将兵、親衛隊(SS)などを紹介する時には、必ず「冷酷非道な極悪人」として描く。

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(左 : 勲章を身につけるドイツの軍人   / ドイツ軍将校が着る皮のオーバーコート  / ドイツ軍士官が身につけた皮の軍服  / 右 : ナチス時代のコスプレをする現代の少女 )

    だが、ミリタリー・グッズを集めるオタク族には意外と好評で、ドイツ軍の備品やナチ・グッズは「お宝モノ」みたいだ。時たま、ドイツ軍の標章とか軍服などがオークションに出品されるが、密かなファンは高値がついても落札することがある。日本の陸軍だと野暮ったい軍服となるが、ドイツ軍の将校が着ている皮のコートや被っている帽子、首に附けている騎士十字勲章などはセンスがいい。古代ローマ人に倣ったのか、ドイツ人も鷲を標章のデザインに用いたり、ドクロ・マークを帽子に附けたりしていた。日本だと「キャプテン・ハーロック」か「エメラルダス」くらいしか用いないけど、歐米の軍隊だと、「不謹慎」に思えるような絵柄を軍隊が使っていたりする。合衆国陸軍や海兵隊の将兵だと、犬鷲や骸骨をデザインしたシールを好む。

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(左 : ドクロのデザインを用いた軍人の帽子   /  右 : ナチスのエンブレムとなった黄金の鷲 )

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  確かに、ナチス時代のドイツ人には魅力がある。日本の戦車は敵の弾丸が容易く貫通するので「鉄の棺桶」と評されるが、ドイツ陸軍にはソ連軍を蹴散らした「ティガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausführung B)」があって、ハインツ・グーデリアン(Heinz Wilhelm Guderian)将軍率いる装甲部隊は、ポーランド侵攻やバルバロッサ作戦で大活躍。その他、海戦では有名な「Uボート」が出没してブリテン海軍を苦しめた。ドイツ空軍(Luftwaffe)にも切り札があって、「ジェリコの壁」を切り裂くような音を立てて急降下するユンカース社の「ストゥーカ(Junkers Ju 87 Stuka)」はよく知られている。高性能を誇るメサーシュミットの「Me262戦闘機(Messserschmitt Me 262 Schwalbe)」も人気が高く、日本の戦闘機ファンにとっては基礎知識だ。

  真っ赤な大学教授はともかく、日本の一般国民はドイツの物理学、数学、医学、化学、工学、建築学などに度肝を抜かれているから、ドイツ人の卓越性に畏敬の念を抱いている。戦後に搭乗したICBM(大陸間弾道弾)の魁となる「V-2 ロケット」だって、フォン・ブラウン博士の業績だから、勝者のアメリカ人でもドイツの科学力には脱帽だ。原子爆弾を開発した「マンハッタン計画」でも、ドイツで育成されたユダヤ人科学者のお陰だから、強要のあるアメリカ人が「ドイツ人、恐るべし」という感情を抱いても不思議じゃない。アルベルト・アインシュタイン博士は超有名だが、その他にも亡命ユダヤ人はたくさんいる。例えば、マックス・ボルン(Max Born)とかジェイムズ・フランク(James Franck)、ハンス・ベーテ(Hans Bethe)は皆ノーベル賞をもらった物理学者だし、オトー・ロベルト・フリッシュ(Otto Robert Frisch)はオーストリア生まれのユダヤ人であったが、ノーベル賞学者のオットー・スターン(Otto Stern)の指導のもとハンブルクで勉強していた。

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(左 : マックス・ボルン  /  ジェイムズ・フランク /  ハンス・ベーテ  /  右 : オトー・ロベルト・フリッシュ )

  ちなみに、日本でも有名なロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer)と弟のフランク(Frank Friedman Oppenheimer)はアメリカ生まれのアシュケナージ系ユダヤ人である。同じく、マンハッタン計画に参加していたリチャード・フェイマン(Richard Phillips Feynmann)もアメリカ生まれのユダヤ人。彼の両親はベラルーシ移民で普通のユダヤ人であったが、理論物理学者となったリチャード自身は信仰に興味が無く、無神論者を自称していた。量子力学の天才として有名なニールス・ボーア(Niles Bohr)はちょっと毛並みが違い、彼の父親であるクリスチャン・ボーアはデンマークの生理学者であったが、母親のエレン・アドラーは金融業を営むユダヤ人家庭の出身だった。

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(左 : ロバート・オッペンハイマー  / エドワード・テラー  / ニールス・ボーア  /  右 : ジョン・フォン・ノイマン)

    ホント、自然科学を専攻する研究者を調べてみると、矢鱈とユダヤ人が多いことに気づく。例えば、「水爆の父」と呼ばれるエドワード・テラー(Edward Teller)や、コンピューターの開発で有名な天才数学者のジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)は誰でも知っているし、物理学者のレオ・シラード(Léo Szilàrd / 本名Spitz)はハンガリー出身のユダヤ人であった。ノーベル賞をもらった物理学者のユージーン・ウィグナー(Eugene P. Wigner)もブタペスト生まれの亡命ユダヤ人で、マンハッタン計画に加わったデイヴィッド・ボーム(David Bohm)も米国生まれだが、両親はハンガリーとリトアニアからのユダヤ移民ときている。物理学者のフィリップ・モリソン(Phillip Morrison)もニュージャージー生まれの「アメリカ人」であったが、民族的には「ユダヤ人」として生まれた。彼はMITで量子力学を教えていたが、一般の科学者と同じく精神的には幼稚で、現実を弁えない反核運動家になっていたから厄介なユダヤ人と変わりがない。プルトニウム型の原子爆弾を作っていたアーロン・ノヴィック(Aaron Novick)も、戦後になると反戦活動家に転向だ。分子生物学に没頭してればいいのに、ベトナム戦争に反対する民衆党員になっていたんだから、「ユダヤ人はどこか精神に異常があるのか?」と訊きたくなる。

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( 左 : ユージーン・ウィグナー  /  レオ・シラード / アーロン・ノヴィック  /  右 : フィリップ・モリソン )

  敗戦後の日本人やドイツ人は、自国の過去を闇に葬り、自虐史観で「善人」を演じているが、本当に国家の再興と繁栄を目指すなら、自国民の魂を揺さぶるような教育は不可欠だ。ヨーロッパやアメリカの教育機関ではドイツ人への“仕置き”が主流となっているけど、ドイツ人が国内でドイツ人の優秀性を鼓舞して何が悪いのか? ナチスの非道をなじり、ドイツ人の罪(人種差別や国家主義)を咎めるユダヤ人は、さっさとアメリカやヨーロッパを去って、同胞が暮らすイスラエルに帰ればいいじゃないか。ドイツ人はユダヤ人に遠慮なくゲルマン人の偉業を誇り、ゲルマン系の子供を優先的に教育し、学問やビジネスの面で活躍できるよう育成すべきだ。これはイギリス系アメリカ人や日系日本人にも言えることで、仲間の国民を蔑ろにし、ユダヤ人や支那人、アラブ人、アフリカ人を招き入れ、彼らの子供に手厚い教育予算を与えるなんて言語道断。テキサス州では不法移民の子供でも公立学校に迎え入れ、ヒスパニックの子供と西歐系アメリカ人の児童を混ぜて、多文化教育を施しているんだから“まとも”じゃない。

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(左 : ゲルマン系ドイツ人の子供達  / 右 : 娘のグドルンと一緒のハインリッヒ・ヒムラー )

  日本人も「優秀」だからといって支那人や朝鮮人の移民を受け容れている。だが、そんな外人輸入は日本の変質と凋落を招くだけだ。もし、国家の将来を担う人材を育成したければ、まづ「日系日本人の子供」を最優先にすべきだろう。東日本大震災で不幸になった日系人の子供が大学進学を諦め、一生懸命働きながら納税しているのに、政府は不愉快な支那人留学生に奨学金(税金)を与えて国公立大学に招いているんだから、馬鹿でなければ異常である。日本経済も支那人に頼らず、日本人が立て直すべきだ。自民党の売国奴は二階派以外にもたくさんいて、平然と支那人を擁護している。賄賂をいくら貰ったのか判らないけど、日本人の血が流れているんなら、せめて「恥」くらいは知るべきだ。支那人が企業の経営者や大株主となり、日系日本人がヒラ社員とか派遣労働者になって、顎でこき使われるなんて真っ平御免だ。これなら、ドイツ国民を主体にした社会主義経済の方がマシに思えてくるじゃないか。ナチスを批判する者は、ナチスの支配よりも良い体制を示さねばならない。でも、ウイルス騒動くらいであたふたしている菅総理を観ていると、愚民政治の象徴にしか思えないんだけどねぇ~。


  

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つまらないドライヴ / 庶民を苦しめる重税国家

利益が薄い自動車販売

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(左 : 次世代のEVスーパーカーとなる「NIO-EP9」 / 左 : フェラーリのコンセプト・カー)

  昔、トヨタ自動車のTV広告に「FUN TO DRIVE, TOYOTA」というキャッチコピーがあった。おそらく、「トヨタのクルマを買って、ドライヴを楽しんでください!」というメッセージなんだろうが、現在、日本の購買者は「運転を楽しむ」というより、度重なる増税で「ゼイ、ゼイ」と喘息を患う状態となっている。というのも、自動車を購入した時だけでなく、走行・維持するだけでも、相当な金額を払っているからだ。以前なら新車を買えば「自動車取得税」を払うことになっていた。しかし、消費増税でそれが廃止(令和元年)になっても、今度は「環境性能割」という新たな税が導入され、一瞬だけ喜んだ庶民は「そんなぁぁ~」とガッカリして糠喜びに終わった。聞くところによれば、燃費性能に応じて0%~3%が課税されるそうだ。

  とにかく、クルマの購入時には“ちゃんと”10%の消費税が吸い取られるので、無力な一般人は泣けてくる。例えば、本体価格が300万の自動車を買ったら、ちゃっかり30万円の消費税が附いて、330万円も払う破目になるのだ。税金をむしり取られる「お客様」からすれば、「俺がいったい、何か悪い事をしたというのか? これって、贅沢への罰金じゃないか !」と言いたくなる。しかも、ディーラーは昵懇の信販会社とグルになっているから、お客に月賦支払いを勧めボロ儲け。何しろ、販売店のディーラーはカード会社からのバークマージンが懐に入るからニッコリ。結局、損をするのは購入者だ。サラリーマンだともっと悲惨で、自家用車を通勤に使っても、「必要経費」として認められないという。それゆえ「税控除」は無し。クルマなんてちょっと乗れば新車でも直ぐ値打ちが下がるのに、税制上は「資産」と見なされ、仕事で使う「経費」と認められないのだ。でも、実際はドンドン目減りする「消耗品」でしかない。なら、役所に訊きたいが、10年後に“どれほど”の「売却益」をもたらす「資産」となるのか?

  自宅にかかる固定資産税も同じ塩梅で、30年から40年くらい住んでしまうと、その「資産」とやらは、“市場価格”で「ゼロ円」、ないし解体費用がかかる「マイナス資産」となってしまう。それなのに、税務署員の“査定”では、「500万円です」とか「900万円の価値があります!」と言われてしまうのだ。つまり、税金を取るための「方便」だろう。また、一般国民は固定資産の金額が算定される「ポイント」についてもよく分かっていないのだ。家屋が木造か鉄筋コンクリート製かで税率が変わることくらいは知っているが、家の中にある「モノ」までが税金の対象になっているとは夢にも思わない。例えば、玄関の扉とか障子、風呂場や台所、冷暖房器具、フローリングの床などがポイント化され、家屋にかかる税金の基礎となっている。しかし、大学生でも父親に尋ねることはないから、世帯主がどんな仕組みで税金を払っているのか分からない。というより、こうしたカラクリに気づいていないのだ。

  話を戻す。自動車の走行や維持にも多額の費用がかかる。排気量にょって変化するが、自動車税も悩みの種だ。

                          2019年9月までに購入          2019年10月以降に購入

軽自動車                          1万800円                   1万800円
排気量 1000cc超から1500cc以下                      2万9500円                               2万5000円
              1500cc          2000cc                           3万9500円                                    3万6000円
              2000cc           2500cc                          4万5000円                                    4万3500円
              2500cc           3000cc                5万1000円                                     50,000円
              3000cc           3500cc                           5万8000円                                    5万7000円

  自動車税に加え、購入時からの経過年数によって変化する自動車重量税もある。さらに、年々上昇する燃料にもガソリン税や軽油税が課せられ、その上、消費税まで掛かってくるから二重課税となっている。もっと厭なのは、2年ごとにやってくる車検だ。日本各地を廻って年間10万kmないし30万km以上も走行する営業車と、日曜日にしか乗らない高齢者の骨董自動車が同等に扱われ、無理矢理にでも数万円がフッ飛んでしまうのだ。車種にもよるが、だいたい5万円から10万円くらいかかるんじゃないか。

  歐米諸国にも車検制度はあるが、その金額はかなり低い。例えば、フランスだと車検手数料は60ユーロ(約7千900円)で、ドイツだと83ユーロ(約1万1千円)、ブリテンでは54ポンド(約9千800円)、ベルギーでは40ユーロ(約5千280円)、アメリカだと州ごとに違うが、NYでは20ドルくらい。こうして比べてみれば、日本の車検料は異常に高いことが判る。自賠責保険も入っているから高くなるんだろうが、一般国民はソニー損保とかチューリッヒの自動車保険にも入っているから、あと数万円くらい余計に払っていると思う。細かい事になるが、よく車検の時に「発煙筒」の買い換えを勧められるが、4年ごとに有効期限が切れる発煙筒は本当に必要なのか? 確かに、線路でクルマが止まった時には必要だけど、発煙筒を一度も使わずに死んだ人は結構多い。

   ここでは関係ないけど、昔、筆者は運転免許書き換えの時、警察署で渡される「交通規則のパンフレット本」について文句を言ったことがある。窓口の女性に「毎回毎回、新しい教則本が必要なのか?」と詰問したら、彼女は返答に困っていた。筆者は印刷業者と警察の癒着を知っていたので、「全国のドライバー1人1人が、同じ教則本を精読しているのか? あなたの親戚の従兄弟や叔父叔母、友人はどうなんだ?」と県庁でも確かめたことがある。もし交通規則に変更があれば、1枚のコピー用紙を渡せばいいじゃないか。どうして、毎回毎回、1冊の本を渡すのか不思議である。

  とにかく、車検って1951年に出来た制度だから、当時の日本車と現在の日本車と一緒にするのは間違っている。だいたい、2、3年で故障するホンダ車とかトヨタ車なんてあるのか? 昔は、坂道を走っている時にエンストする自動車もあったというが、今そんなクルマを販売したら赤っ恥だ。令和の国産車で、冬になったらエンジンを温めるために、鍵を廻す時に「チョーク」を引くとか、パワー・ステアリングが無いからハンドルが重い、なんてクルマを販売したら満座の席で笑われるぞ !

  日本経済は凋落の一途を辿っているが、一時は隆盛を極めた自動車産業だって安泰ではない。いくらトヨタ自動車が好調とはいえ、電気自動車(EV)の登場となれば、低価格路線で強さを見せる支那企業が優勢となる。例えば、日本車にとって、48万円から50万円台で購入できる、上汽通用五菱の(ウーリン)の小型EV「宏光」とか、BTD(比亜迪)のSUV車である「ダイナスティー(王朝)」は、なかなか魅力的な商品で、日本の企業でさえ購入を検討てしまうほどだ。特に、利幅が薄い運送業界の中堅企業だと、支那製のミニヴァンとか軽トラックを大量に買って経費を抑えようと考えても不思議じゃない。実際、業界大手の佐川急便は、配送用の軽自動車7,200台をEV車に換えると発表し、広西汽車集団が小型のEV車を供給するみたいだ。確かに、電気モーター車は比較的簡単に作れるので、ガソリン・エンジン車の場合と違って、物凄い技術力を必要とする訳じゃないから、支那製でもOKとなる。

  国内外でトヨタやホンダが販売する自動車は多い。トヨタが発表した2021年3月の生産・販売・輸出実績の報告によると、2021年3月の国内販売は、前年同月と比べて6.4%増の19万1,000台、海外販売は57.8%増の79万1,000台となっている。これだけ聞くと「すごぉぉ~い !」と思ってしまうが、思慮深い人なら「1台当たりの販売利益はどれくらいなんだ?」と尋ねてくるだろう。なるほど、販売台数よりも、利幅の方が重要だ。確かに、外国で数百万台のクルマを輸出できたとしても、1台当たりの利益率が低ければ、「骨折り損のくたびれ儲け」となってしまうだろう。それもそうで、黒鉛を3kg売ったとしても、EX/D.E.F/FL(上等・無色・傷無し)のダイヤモンドを300カラット(60g)売る方が遙かに利益が高い。同じ元素で構成されるのに、結合が違っているだけで価値が全く違うんだから妙なものである。(ダイヤモンドの価値は4つの「C」で決まるという。つまり、透明性clarity, 色colour, 削りcut, 重量caratである。)

  GMやフォードといった大手企業を尻目に、スーパーカーを専門とするフェラーリ社は異なった戦略を取ってる。以前、フィアット社が発表したデータによると、2019年、フェラーリ社は1台の販売する毎に9万4千ドルを稼いでいたそうだ。("Ferrari earns as much as profit selling 1 car as Ford does selling 908", Hindustan Times, 29 April 2020.) もし、BMWが同じ利益を得ようとすれば、同社のクルマを30台売らねばならない。そして、ボルボ(Volvo)だと45台、 PSA(プジョー・シトロエン)なら65台、「メルセデス・ベンツ」で知られるダイムラー社だと67台、トヨタ自動車では44台といった具合だ。しかし、米国のフォード社はもっと大変で、908台も販売しなければならない。ホント、業界屈指のフェラーリ社は羨ましくなるほどの利益を上げている。

John Elkann 5(左  / ジョン・エルカン )
  ただし、フェラーリ社が稼ぐ収入のうち、30%は他の項目が占めている。例えば、「マセラッテ(Maseratti)」社に自社のエンジンを提供して5千800万ユーロを得ているし、様々なグループのスポンサーになったり、異分野での商売で1億2千800万ユーロを得ていた。("Ferrari averages more than $ 100,000 profit per car", Motor, 9 May 2019.) 時代の流れを見越してか、フェラーリ社もEV事業に本格参入するそうだ。CEO代行のジョン・エルカン(John Philip Jacob Elkann)氏によれば、2030年までにハイブリッド車ではなく、完全な電気自動車を生産するらしい。(Neil Winton, "Ferrari Profits Slipped In 2020, But Should Remain Strong As Electric Threat Looms", Forbes, February 3, 2021.)

  これは筆者の個人的な意見なんだけど、やはりフェラーリ社の「ラ・フェラーリ」とか「スパイダー」はガソリン・エンジンを搭載したマニュアル車でなきゃ。エンジンを廻したときの重低音はドキドキする。アクセルを吹かした時の昂奮は忘れられないし、カーブにさしかかった時のスリル感やギア・チェンジの醍醐味は堪らないじゃないか。オートマチック車に馴れた人には分かりづらいけど、マニュアル車にはマニュアル車にしかない独特の“味わい”がある。

La Ferrari 003Ferrari Spider 001








(左 :  ラ・フェラーリ  / 右 : フェラーリ・スパイダー  )

  ちなみに、フェラーリ社を統括するジョン・エルカンはフィアット社の会長も務め、有名な「アニェリ(Agnelli)ファミリー」の一員だ。彼はマルゲリータ・アニェリ(Margherita Agnelli)の息子で、祖父は「法律屋(L'Avvocato)」の渾名を持つジョヴァンニ・アニェリ(Giovanni Agnelli)ときている。爺ちゃんのジョヴァンニは、フィアット社の筆頭株主でもあったが、一般的にはイタリアのサッカー・チーム「ユヴェントス(Juventus)」のオーナーとして知られている。このジョヴァンニの父親はエドワルド2世(Edoard Agnelli)で、祖父は一族を有名にしたジョヴァンニ・アニェリ(Giovanni Agnelli)だ。アニェリ財閥の基礎を築いた大御所のジョヴァンニは、「フィアット(FIAT/ Fabbrica Italiana Automobili Torino)」社を創業した一人としても知られている。

Margherita Agnelli 4Giovanni Agnelli 002Edoardo Agnelli the 2nd 001Giovanni Agnelli 222







(左 :  娘のマルゲリータ・アニェリ  / 祖父のジョヴァンニ・アニェリ / 曾祖父のエドワルド・アニェリ2世  /  右 : 創業者のジョヴァンニ・アニェネリ )

  とまぁ、ジョン・エルカンはフェラーリ社を支配する華麗なる一族の出身だ。しかし、一般の日本人なら「どうして氏族名が“アニェリ”じゃないの?」と疑問に思ってしまうだろう。実は、この若社長、母親の血筋でフェラーリの支配者になっていたのだ。彼の母親マルゲリータはジョヴァンニの長女であるが、ジャーナリストで小説家のアラン・エルカン(Alain Elkann)と結婚したため、息子のジョンは父親の「エルカン」を名乗っている。母親の信仰を受け継ぎ、カトリック教会で洗礼を受けた「お坊ちゃま」であるが、その体にはユダヤ人の血が流れている。

Alain Elkann 2John Elkann 3Margherita Agnelli 5








(左 :  父親のアラン・エルカン  / 中央 : 息子のジョン  / 右 : 母親のマルゲリータ・アニェリ  )

  父親のアランはニューヨークで生まれたアメリカ系ユダヤ人。その父親であるジャン・ポールはフランス系ユダヤ人で、母親のカーラがイタリア系ユダヤ人であるため、アランは世間の人々から「イタリア系アメリカ人」と呼ばれている。でも、その実態は、歐洲からやって来たユダヤ移民の息子でしかない。それにしても、ヨーロッパを代表する「フェラーリ社」と「フィアット社」の経営者がユダヤ人なんて、あまりにも酷い。西歐社会の上流階級には、ユダヤ人の遺伝子が大量に混ざっている。ヨーロッパ人のように見える老舗企業の御曹司や貴族の若旦那でも、父親か母親の血筋で「ユダヤ人」となっている場合が多い。

  ちなみに、アランにはラポ(Lapo Edovard Elkann)という息子もいるが、彼はスキャンダルを起こしたのでアニェリ家から叩き出されてる。また、マルゲリータの兄エドワルド・アニェリ3世(Edoardo Agnelli)も「困ったちゃん」で、カトリック信徒であったのに、イスラム教に改宗したというバカ息子。彼はプリンストン大学を卒業すると、前々から興味があった神秘主義に惹かれてインドへと赴く。その後、イランへ渡りスンニ派のイスラム教徒になったらしい。名前も「ハシャム・アジズ(Hasham Aziz)」に変えたというから、両親のみならずアニェリ一族の親戚もビックリ。この碌でなしは“まとも”な職業には就かず、一族のコネでサッカー・チームの役職に就いただけ。ところが、ヘロイン所持で捕まってしまうのだ。でも、有力者のお坊ちゃんだから、不可思議な力が働き、起訴は取り下げられたという。

Lapo Elkann 221Edoardo Agnelli 001Edoardo Agnelli 666








(左 : ラポ・エルカン   / 中央 : エドワルド・アニェリ  /  右 : イランのイスラム教徒と一緒のエドワルド )

  しかし、エドワルドが心を入れ替えることはなく、彼はイランで革命家のホメイニ師と出逢う。この偉人に感激したのかどうか知らないが、エドワルドはシーア派に鞍替えし、またもや名前を変えて、今度は「マフディー(Mahdi)」と名乗った。もう、銀座のホステスじゃあるまいし、寄り添う団体で名前を変えるなんて、彼の家族はどう思ったのか? 日本でもそうだけど、「問題児」というのはロクな最期を迎えることが出来ない。「マフディー」となったエドワルドは、2000年11月にイタリアのトリノへ赴き、橋から飛び降りて自殺する。享年46。自殺の理由は定かではない。しかし、80mも落下すれば、かなり痛いぞ。あの世で感想を訊きたい。


 後編へ続く。
  

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