無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2021年06月

ディズニーの人魚姫は色黒になった !

フランスだって反ユダヤ主義か強かった

Halle Bailey as Little MermaidDaryl Hannah in Splash








(左 : 実写版の『人魚姫』を演じるハル・ベイリー   /  右 : 映画『スプラッシュ』で人魚を演じたダリル・ハンナ)

  「反ユダヤ主義」と言えば、日本人やアメリカ人は、直ぐアドルフ・ヒトラーやナチスが支配したドイツを連想してしまうが、この「セム人嫌い(Anti-Semitism)という感情は、フランスでも昔から根強かった。フランスの左翼陣営は「ドレフュス事件」の冤罪とかヴィシー政権の批判を自慢して、良心的な知識人はレイシズムと反ユダヤ主義に対抗してきた、と宣伝する。だが、フランスの庶民は違っており、心の底で「ユダヤ人なんかフランスから出て行け !」と思っていた。ところが、第二次大戦後、所謂「解放」という茶番劇が実現すると、ナチスに協力した「コラボ(collaborateur)狩り」が始まり、ドイツ人を支援していたフランス人は大慌て。共産主義を掲げる左翼やユダヤ人が、積もりに積もった復讐心を爆発させ、保守派や協力者を血祭りに上げていたのだ。

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(左 : フィリップ・ペタン  / 中央 : ヴィトクン・クヴィスリング  /   右 : 服を剥ぎ取られた「コラボ」の女性達)

     例えば、ドイツの軍人や官僚に寄り添ってベツドを共にしていた女を捕らえ、その髪をバっさり切り落としていた。この公開陵辱は日本でも有名だ。また、ヴィシー政権を支えていたペタン(Philippe Pétain)将軍は裁判にかけられ、死刑を宣告されるが、一応、終身刑に減刑され、1951年に亡くなっている。しかし、国防相や首相を務めたノルウェーのヴィトクン・クヴィスリング(Vidkun A.L.J. Quisling)は不運だった。彼は「裏切者」として法廷に引きずり出され、叛逆者として銃殺されたのだ。

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(左 : ナチスの鉤十字を顔面に書かれた女性   /  中央 : ドイツ人と懇ろになった女性 /  右 : 公衆の面前で髪を切られる女性)

  イギリス人やアメリカ人も同じだけど、フランス人は「ユダヤ人に対して酷いことをした !」という理由を以てドイツ人を倫理的に非難するが、そもそもフランス人にドイツ人を責める資格があるのか? 本当はユダヤ人がフランスから一掃されて清々した国民も多かったんじゃないのか? ユダヤ人を嫌っていたのは、何もナチ政権下のドイツ人だけじゃないぞ。ネーデルラントやウクライナ、ポーランドでも反ユダヤ主義はかなり根強かったし、ポーランド人なんか、戦後になっても国内のユダヤ人を迫害していたんだから。(詳しくはヤン・ロスの『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義』、白水社、2008年、第二章を参照してね。また、Samuel Bakの『Painted in Words』Indiana University Press, 2001.も興味深く、どれほどポーランド人がユダヤ人を憎んでいたかが判る。) もちろん、ワイマール時代や第二帝政の頃もドイツ人のユダヤ人嫌いは存在したが、当時のドイツ人は意外にもこの異民族を受け容れていた。

  日本人が直ぐに思い浮かぶ「同化したユダヤ人」といえば、「カイゼルのスパイ」と呼ばれたマックス・フォン・オッペンハイム(Max von Oppenheim)だろう。ドイツの経済界でオッペンハイム家といえば、大富豪のユダヤ人一族として有名だ。マックスの父であるアルバート(Albert)は家業を継いで銀行家になったが、息子のマックスは父の期待に反し、金融業ではなく美術や歴史に興味を持ってしまった。そして、趣味が職業にまで発展し、中東アジアを旅行する考古学者になってしまった。ところが、こうした“趣味”が幸いし、マックスはドイツの外政官として活躍することになったという。(詳しくは、Lionel Gossmanの著書『The Passion of Max von Oppenheim』やDonald McKaleの雑誌論文「The Kaiser's Spy」を参照。)

  他のユダヤ人で日本人に知られているのは、オーストリアの伝記作家であるシュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)だろう。彼の著作集は「みすず書房」から出ているので、一般国民でも『マリー・アントワネット』や『昨日の世界』を読んだ人は多いんじゃないか。また、『皇帝フリードリッヒ二世(Kaiser Friedrich der Zweite)』や『王の二つの身体(King's Two Bodies』といった名著で知られるエルンスト・カントロウィッチ(Ernst H. Kantorowicz)も、ドイツ国家に同化したユダヤ人学者であった。彼はナチスの台頭で米国に移住する破目になったが、ドイツ文化に対する考え方はずっと変わらなかったそうだ。

Max von Oppenheim 003Stefan Zweig 004Ernst Kantorowicz 002








(左 : マックス・フォン・オッペンハイム  / 中央 : シュテファン・ツヴァイク  / 右 : エルンスト・カントロウィッチ  )
 ちなみに、筆者がツヴァイクの作品でお薦めしたいのは、ジャン・カルヴァンの本性を剔った『権力とたたかう良心(Castellio gegen Calvin oder Ein Gewissen gegen die Gewalt)』、および「これぞ策士!」といった革命家を描いた『ジョセフ・フーシェ(Joseph Fouché : Bildnis eines politischen Menschen)の二冊である。さすが、一流の売れっ子作家だけあって、ツヴァイクの語り口は素晴らしい。洗練された文体と豊富な語彙で読者を魅了し、いつの間にか彼独自の世界へと導いて行く。

 古典的作品というのは、何度読み返してみても非常に面白い。例えば、権謀術数に長けたフーシェは、討論でロベスピエールを失脚させ、革命が成就されると、警察長官に上り詰めてゆく。ひっそりとしたオフィスの中で、他人の情報を集めた極秘ファイルを覗いているなんて、如何にもフーシェらしい。一方、ジャン・カルヴァンはユダヤ人みたいに旧約聖書の誡律に憧れ、厳格な生活を己の信者に強要していた。彼の恐怖政治により、スイス国民は精神的に苦しめられていた。世俗の快楽を奪われた庶民は、文化的創造力を失い、自慢できるものといったら時計作りくらい。確かに、窒息しそうな毎日を送っていたら、心が弾むような文化は生まれないだろう。(別の機会に、これらの人物を紹介したい。)

  以前、当ブログではフランスのナショナリストである小説家のモウリス・バレス(Maurice Barrès)や『ユダヤ人のフランス』で一躍有名になったエドゥアルド・ドュルモン(Édouard Adolphe Drumont)、「アクション・フランセーズ(Action française)」の創設者であるシャルル・マラス(Charles Marras)を紹介した。だが、フランスにはユダヤ人を警戒する言論人は他にもいて、マラスの盟友であるアンリ・ヴォジョワ(Henri Vaugeois)や「右翼」と評されるモウリス・プジョ(Maurice Pujo)、ジョルジュ・サンドの養子で議員に選出されたフランシス・ラウール(Francis Laur)といった人々がいる。現在、彼らは左翼の知識人から断罪されているが、ユダヤ人の脅威からフランスを守ろうとした愛国者であった。

Charles Maurras 11Maurice Barres 112Maurice Pujo 221Edouard Drumont 111







(左 : シャルル・マラス  /  モウリス・バレス  / モウリス・プジョ   / 右 : エドゥアルド・ドュルモン  )

  アルプス=ド=オート・プロヴァンス県から選出された代議士、ポール・アントニン・デュグ子爵(vicomte Paul-Antonin d'Huges)も「反ユダヤ主義者」として有名で、彼は1895年3月30日に開かれた議会の席で、絶え間なく浸透してくるユダヤ人種の危険性(les dangers de l'infiltration incessante de la race juive)」を指摘していた。(Journal officiel, débats à la Chambre des députés, séance du 30 mars 1895,p.1114.)  現在のフランス議会で、こんな事を言えば即刻“辞任”となり、世間からの集中砲火を受けて社会的に抹殺されてしまうだろう。

  さすがに、国民連合(Rassemblement National)のマリーヌ・ル・ペンでも口にできまい。デュグ子爵と同じような事を言えるのは、サックスフォン演奏者のジラッド・アツモン(Gilad Atzmon)か、オーストリア出身のユダヤ人思想家、オットー・ウァイニンガー(Otto Weininger)くらいだろう。イスラエル生まれのアツモンはユダヤ教に嫌気が差した世俗派のユダヤ人で、英国に移住してユダヤ人批判の本『The Wandering Who?』を書いた。ウァイニンガーも自己嫌悪型のユダヤ人で、ヒトラーやナチ党の幹部から評価された唯一のユダヤ人。彼は1902年にキリスト教へ改宗するが、翌年の1903年に銃を持って自らの胸を撃ち抜き自殺する。享年23。

Francis Laur 001Paul Antonin d'Hugues 001Gilad Atzman 001








(左 : フランシス・ラウール   / 中央 : ポール・アントニン・デュグ子爵   / 右 : ジラッド・アツモン )

Pedro Banos 03(左  / ペドロ・バニョス )
  別の記事で触れたいが、スペインの元陸軍大佐であるペドロ・バニョス(Pedro Baños)は、『彼らはどうやって世界を支配するのか(Asi se domina el mundo)』を祖国で出版した。しかし、ブリテン大手のペンギン・ブックス(Penguin Random House)が英訳本を出そうとした時、ユダヤ人側から「反ユダヤ主義」のイチャモンがつけられ、“削除”要求を受ける破目になったという。相手がユダヤ人だから、出版社もビビってしまい、渋々“検閲版”を発売することになったそうだ。これは、執筆者のバニョスが原書でロスチャイルド家に言及し、その財力や権力で世界に影響を与えていると述べたからだ。保守派の西歐人や一部の日本人なら「承知の事実」だが、西歐諸国に住み着くユダヤ人にとったら「不愉快な事実」なんだろう。日本の地上波テレビや全国紙は、ヨーロッパ特派員をロンドンやパリに置いているのに、この言論抑圧について全く報道しなかった。いつもは、「言論の自由を守れ !」と叫んでいるのに、なぜか都合の悪い事態になると、ピタっと無口になる。まぁ、日本のマスコミには「報道しない自由」があるんだろう。

  デュク子爵が指摘した「ユダヤ人の浸透」は単なる“暴言”や“陰謀論”の類いではなく、歐米各国で実行された事実である。国際政治ではお馴染みだから今さら言うまでもないが、庶民の日常生活にも悪影響を与えるユダヤ人の害悪は見過ごせない。もちろん、全部のユダヤ人が悪意を持って「侵掠行為」をしている訳じゃなく、意図的に謀略工作を計画する大富豪もいれば、無意識的に文化破壊を行う者もいるのだ。アメリカではADLやAIPAC、SPLCといったユダヤ人組織が豊富な資金をもってシオニズムや反米活動に勤しむけど、知識人や映画人も本質的には同じで、無意識的あるいは特定のイデオロギーを以て、西歐社会を変質させようと企む。文化破壊型のマルキストは、マスコミや大学に棲息するユダヤ人ばかりじゃなく、娯楽産業に携わるビジネスマとか映画制作者、作曲家や藝術家にも数多くいる。

人種が変わった人魚

  最近、ディズニー社が以前アニメ版として上映した『リトル・マーメイド(The Little Mermaid /人魚姫)』をリメイクし、実写版として制作することを発表した。往年のディズニー・ファンは「どんな俳優が演じるのかなぁ~」と楽しみにしていたが、公表されたキャスティングを目にしてビックリ。何と、主役の「アリエル(Ariel / 人魚姫)」には、子役上がりの黒人、ハル・ベイリー(Halle Bailey)が抜擢されていたのだ。これには日本人だって愕然とするだろう。なぜなら、我が国では1971年、フジテレビで『アンデルセン物語』が放送され、お茶の間の子供達は「人魚姫」のみならず、「みにくいアヒルの子」や「親指姫」、「マッチ売りの少女」、「裸の王様」などを観ていたからだ。番組の挿入歌も印象的で、『ズッコの歌』は「ルパン三世」でお馴染みの山田康雄が唄っていたし、『キャンティーの歌』は「峰不二子」の声で有名な増山江威子が唄っていたのだ。中高年世代なら懐かしいはず。この番組では『人魚姫』のエピソードもちゃんと放映されていたが、ヒロインとなる人魚姫はもちろん北方種族、つまり金髪を靡かせた白人少女であった。

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(左 : ハル・ベイリー   / 右 : ベイリーの家族 )

  ところが、世界市場を念頭に置いたディズニー社は、「人種的多様性(racial diversity)」とやらを“売り”にし、黒、黄、茶色の役者を揃えることで儲けようとした。海外市場で銭を稼ぐには、色々な人種を適当に登場させ、アジア人やアフリカ人、および南米人が「疎外感」を抱かぬよう配慮せねばならない。ディズニー社のユダヤ人によれば、日本人も黄色人種だから、支那系や朝鮮系の役者を登場させると大喜びになるらしい。へぇ~、令和の日本人、とりわけDVDでアニメを楽しむ幼稚園児や小学生は、ベトナム人やフィリピン人のキャラクターが登場するとワクワクするのかぁ~。筆者が育った昭和時代とは大違いである。

  脳天気な日本人は、「そうは言っても、王子様のエリック(Eric)が白人だから、まんざら変でもないよねぇ~」と思ってしまう。だが、採用されたジョナ・ハウアー・キング(Jonah Hauer-King)は西歐系白人じゃなくユダヤ人。本人の説明によれば、ジョナの祖父母は1930年代にポーランドからやって来たユダヤ移民であるという。("World On Fire", Bradford Zone, 26 September 2019.) ハリウッドのユダヤ人は、西歐系アメリカ人を幼少期から洗脳すべく、子供が好きそうな映画をユダヤ人の色に染めている。例えば、『スパイダーマン』のアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)はユダヤ系アメリカ人で、『ワンダーウーマン』のガル・ガドット(Gal Gadot)はイスラエル出身のユダヤ人。「タカラ(現 / タカラトミー)」の変形ロボットを基にしたハリウッド映画、『トランスフォーマー』で主役を演じたシャイア・ラブーフ(Shia LaBeouf)も母親の血筋でユダヤ人。彼は「Angelus Temple(キリスト教の一派)」で洗礼を受けたのに「バル・ミツバ(Bar Mitzvah / ユダヤ教の成人式)」を祝った変人ときている。でも、彼の家庭環境を考えれば、別に不思議じゃない。シャイアの両親は元ヒッピーで、父親はヘロイン中毒のベトナム帰還兵。ヤク中の亭主を抱え、貧乏生活に苦しんだ母親は、やむを得ず離婚を決め、そのせいで息子のシャイアも貧乏になったという。

Andrew Garfield 4Gal Gadot 11Shia LaBeouf 111








(左 : アンドリュー・ガーフィールド  /   中央 : ガル・ガドット /  右 : シャイア・ラブーフ  )

  ハリウッドを牛耳るユダヤ人は西歐系の男どもに屈辱感を与えるためか、ユダヤ人の男性が西歐人の女性を「モノ」にするシーンを流す。例えば、主演女優をティア・レオーニとかジェニファー・アニストンみたいな西歐系にしても、その相手役の男優には、アダム・サンドラーとかベン・スティーラーの如き不愉快なユダヤ人にしたり、場合によっては、“ヨーロッパ人もどき”のユダヤ人にしたりする。まともな日系移民なら、「アメリカ人はイギリス風だからけしからん! 我々が暮らしやすいよう、奴らの精神を変えてしまえ !」とは考えない。もし、 こんな恐ろしい日本人がいたら、間違いなく悪党だ。常識的な日本人は「郷に入れば郷に従え」の精神で、現地のアメリカ人を見倣おうとする。

Joel & Ethan Coen 1(左   /  ジョエルとイーサンのコーエン兄弟)
  話を戻す。アリエルの父親である「トリトン王(King Triton)」は、007の映画(Skyfall)で「ラウル・シルヴァ(Raoul Silva)」役を演じたハビエル・バルデム(Javier Bardem)が務めている。このスペイン人俳優は、ヒット作になった『ノーカントリー(No Country for Old Men)』で、サイコパスの殺し屋「アントン・シガー」を演じていた。ハビエルの容姿を見ると、何となく冷酷なベルベル人やムーア人を連想してしまうので、ヒスパニックの殺人鬼には適役である。劇中では良心の呵責が一切無く、虫でも踏み潰すかのように人を殺すんだから、やはり南米人やマグレブ人みたいな役者は凄い。また、こうしたサイコ・スリラーの映画を監督したのも、ユダヤ人のコーエン兄弟(Joel & Ethan Coen)なんでから、「なるほど」と納得ししまう。でも、子供向けアニメに登場する人魚姫の父親が、ハビエル・バルデムなんて、あんまりだ。

Jonah Hauer King 2Javier Bardem 993Daveed Diggs 3








(左 : ジョナ・ハウアー・キング   / 中央 : ハビエル・バルデム   /  右 : ダヴィード・ディッグズ  )

  驚くのはこれだけじゃない。王子様のお供を務める「グリムズビー(Grimsby)」役には、ジュード・アクウリケ(Jude Akuwudike)という英国出身の黒人が採用されている。また、王子様の家政婦役である「カルロッタ(Carlotta)」役には、これまた英国出身で、ウガンダ・ケニア系の黒人、ノーマ・デュメズウェニ(Noma Dumezweni)が起用されている。さらに、声優陣までが人種的多様性に富んでおり、蟹の「セバスチャン」役には黒人ラッパーのダヴィード・ディッグズ(Daveed Diggs)があてがわれ、鳥の「スキュトル」役には支那・朝鮮系のアウクワフィナ(Awkwafina / 米国名 : Nora Lum)が抜擢されているのだ。コメディアンやラッパーでもあるアウクワフィナの本名は「林家珍(りん・かちん)」という。父親のウォリーが広東系の支那人らしく、母親のティアは南鮮からやって来た移民であるそうだ。

Noma Dumezweni 233Jude Akuwudike 22Awkwafina  as Scuttle








(左 : ノーマ・デュメズウェニ  /  中央ジュード・アクウリケ  / 右 : 鳥の「スキュトル」を担当する声優になったアウクワフィナ  )

  ディズニー好きの日本人なら、「こんなキャスティングをしたのは、いったい誰なんだ?」と訊きたがるが、プロデューサーや監督の正体を知れば、「えっっ ! これなら・・・まぁ、しょうがないか!」と納得してしまうだろう。監督のロブ・マーシャル(Robert Doyle Marshall, Jr.)はプロデューサーも務めているが、共同プロデューサーにはジョン・デルカ(John DeLuca)がいる。彼とロブは私生活でも「パートーナー」であるそうだ。つまり、二人はゲイ・カップルというわけ。となると、我が子に映画を見せる日本人の母親は、「えぇぇっっっ !! 良い子のみんなが楽しむアニメを同性愛者が作っているの !」と驚愕し、全身が凍りついてしまうだろう。相思相愛のジョンとロブは、自宅で脚本を一緒に練ったあと、二人でお風呂に入ったり、ベッドで舐め合ったりしてるんじゃないか。想像しただけでも“おぞましい”が、ゲイ・カップルというのはこんなものである。

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(左 : ロブ・マーシャル  / ジョン・デルカ   /  マルク・フラット  /  右 : リン・マニュエル・ミランダ )

  最新作の『リトル・マーメイド』には他にもプロデューサーがいて、ライアン・ゴスリングが主演した『Drive』(2011)や、ヒット作の『アラジン』(2019)を手掛けたマルク・プラット(Marc Platt)に加え、作曲家や歌手、俳優の肩書きを持つリン・マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)がいる。プラットの方はこれまたユダヤ人で、ミランダはメキシコ・プエルトリコ系のアメリカ人であるという。つくづく思うんだけど、ハリウッドの映画作品は正常なアングロ・サクソン系のプロデューサーや監督によって制作されないのか? たまに原作者となる小説家が西歐系アメリカ人の場合もあるが、それを映画化にするのは大抵ユダヤ人。配役の権利を握るのもユダヤ人なら、原作を歪めて脚本を書くのもユダヤ人であったりする。もちろん、制作会社や配給会社の経営陣もユダヤ人であるから、西歐系の観客を”第一”に考えた映画制作ではない。アクション映画でも恋愛映画でも、特定の人種に偏らぬよう、白人の俳優を主役にする場合、必ず重要な脇役には黒人や南米人、あるいはインディオとかアジア人を採用することにしているそうだ。

黒人のスーパーヒーローを望む俳優

Rachel Zegler 7743(左   / レイチェル・ゼグラー )
  我々は『人魚姫』くらいで驚いてはならない。何と、ディズニー社はヒット作のアニメである『白雪姫』も実写化するようで、主役のお姫様を選ぶ際、大規模なオーディションを行ったそうだ。そして、この主役を勝ち取ったのは、ポーランド・コロンビア系アメリカ人のレイチェル・ゼグラー(Rachel Zegler)であった。彼女は今、スティーブン・スピルバーグが制作中の映画、あの有名な『ウェスト・サイド・ストーリー』のリメイク版で「マリア」を演じるそうだ。(Justin Kroll, "Snow White : West Side Story 's Rachel Zegler to Play Title Role in Disney's Live-Action Adaptation of Animated Classic", Deadline, June 22, 2021.) 『白雪姫と七人の小人(こびと)(原題 : Snow White and Seven Dwarfs)』は、創始者のウォルト・ディズニーにとって感慨深い初期作品で、中世ヨーロッパのメルヘンをアメリカ風にアレンジした自信作であった。

  1937年12月に封切られた本作品は、800万ドルの興行成績を収めたそうである。(Terri Martin Wright, "Walt Disney's Adaptation of the Grimm's Snow White", Journal of Popular Film and Television, Vol. 25, 1997.)  劇場への入場料が大人で23セント、子供が10セントの時代だから、800万ドルの売り上げがいかに凄いかが解る。日本でも大正末期から昭和初期にかけて、タクシーの料金が「市内1円均一」であったから、通貨の価値というのは時代を反映するものである。まぁ、当時、フォードのタクシーなんかは高級車だから、乗る人も限られていた。面白いのは、泥道を走ると「割増料金」を取られたことだ。しかし、昔の日本は危険なNYと違って、乗客が運転手を撃ち殺してお金を強奪することはなかったから、1円以上の料金でも満足できるサービスであった。

Michael B Jordan 003( 左 / マイケル・B・ジョーダン )
  とにかく、アメリカ社会の変質は著しい。とりわけ、第21世紀に入ってからというもの、多文化主義に基づく教育が功を奏したのか、アメリカ映画では有色人種の採用率が急に高くなった。社会的地位の低い黒人でも、自らの種族意識が高揚すると、従来の映画作りだと不満になるらしく、「もっと黒人を前面に出した演劇にしろ !」とか「黒人が主人公の映画を観たい !」、といった願望が強くなるらしい。黒人のマイケル・B・ジョーダン(Michael B. Jordan)は、人種意識の高い俳優で、『Vanity Fair』のインタヴューを受けた時、自分の意見を熱く語っていた。黒人だらけのユートピア映画、『ブラックパンサー』に出演したジョーダンは言う。

   俺達は黒人の神話とか民話といったのを全然もっていないんだ・・・ということで、自分たち独自の神話を創り出すのは、とても重要なことなんだぜ ! なぜなら、それは夢を助けることになるからさ。つまり、人が夢を見るよう助けるって訳さ ! (Joe Hagan, "Michael B. Jordan's Technicolor Dreams", Vanity Fair, October 2, 2018.)

  政治意識の高い両親を持つジョーダンは、心の底から「黒人にも独自の英雄が必要だ」と思っている。(ここで言う「政治意識」というのは、「白人社会に対する根深い怨み」ということ。) 彼が先輩のデンゼル・ワシントン(Denzel Washington)と対談した時も、黒人俳優がヒーローとして登場する映画に言及していた。ジョーダンは自身が出演した『Fahrenheit 451(華氏451)』の監督にも、自説を熱く語っていたそうだ。これを聞いたワシントンは笑いながら答えた。

  私が子供の頃は、黒人のスーパー・ヒーローなんて一人もいなかったからね。(上掲記事)

 ちなみに、『Fahrenheit 451』を監督したのは、ペルシア系アメリカ人のラミン・バーラニ(Ramin Bahrani)である。彼もアメリカで苦労する非西歐人だから、黒人やヒスパニックの気持ちは理解できるだろう。しかし、配給会社と交渉し、歐米での興行成績を考える立場だから、頭でっかちの小僧に「そうだよねぇ~」と気軽に同調するわけにも行くまい。だいたい、黒人を主役にしたヒーロー映画はリスクが高く、儲からない場合がほとんど。日本での興行収入だって芳しくないから、全米興行収入とヨーロッパ市場を考えると二の足を踏んでしまうだろう。日本人でも『24 / Legacy』とか『Avengers』、大ヒットした『インディペンデンス・デイ』を観た人がいると思うが、コリー・ホウキンズ(Corey Hawkins)やイドリス・エルバ(Idris Elba)、ウィル・スミス(Will Smith)のファンは各都道府県でいったい何人いるんだ? ちなみに、ホーウキンズの『24』は不評で、シーズン1で打ち切り。以前、エルバが黒人版の「007」になるんじゃないか、と噂になったが、白人のボンド・ファンから猛反対が湧き起こったので、この企画は頓挫した。

Denzel Washington 1Ramin Bahrani 122Corey Hawkins 1Idris Elba 1








(左 : デンゼル・ワシントン  /  ラミン・バーラニ  / コリー・ホウキンズ  / 右 : イドリス・エルバ  )

  マイケル・ジョーダンはインタヴューの中で、レオナード・デカプリオ(Leonardo DiCaprio)やマット・デイモン(Matt Damon)みたいな二枚目俳優(matinee idol)になりたいんだ、と語っていたが、それは黒人映画に出演し、黒人相手の商売をしているからだろう。そもそも、彼が“大物俳優”になれたのは、黒人組織や左翼ロビーの“お陰”である。ハリウッドにはフォード財団やロックフェラー財団から資金を貰った左翼分子が、憎しみを込めて政治的圧力をかけており、「配役の多民族化」を強く求めているのだ。白人社会を憎む赤い活動家は、鼻息を荒くして制作者に迫り、「もっと黒人やヒスパニックの俳優を登庸しろ ! 」、「なんで白人ばかりが主役を射止めているんだ? お前等はレイシストなのか? こんなのは現実のアメリカを反映させてないぞ !」と叱責する。さらに進んで、「白人ばかりが重要なキャラクターなんてけしからん ! キャスティングにもっと人種的多様性をもたせろ !」と凄んでいるそうだ。そして、対応するのがリベラル派のユダヤ人ときているから「じゃあ、ドラマの中心になる役者には、黒人とかムスリムを積極的に採用しましょう」となる。

  こんな要求に屈服するハリウッドだから、ジョーダンみたいなチンピラ黒人でも「ヒーロー」役をもらえるのだ。彼がテレビや雑誌でチヤホヤされるのも、最初から仕組まれたヤラセであろう。それに、業界から「裏のボーナス」を頂く評論家は、歯の浮くような言葉で黒人俳優を称讃するから、白人の観客も黒人の主役に抵抗感が無くなっている。昔のアメリカ白人なら、黒人俳優が正義の味方となり、悪党の白人をやっつけるドラマなんて端っから観なかった。馬鹿らしいというか、目にするだけで不愉快になるから、ドラマの脚本家やプロデューサーは、決して黒人の大佐とかヒスパニックの刑事を主役にする事はなかった。第一、映画スタジオの重役達がOKを出すはずがない。アクション映画のみならず、黒人女優と支那人男優の恋愛映画なんて誰が観るんだ?

  『リトル・マーメイド』で人魚を演じるハル・ベイリーだって、チヤホヤされるのは黒人の間だけである。黒人文化に興味の無い普通の日本人が、わざわざ劇場に足を運んで、色黒の人魚姫にてウットリするのか? 普通の日本人が黒人女性に魅了されるとは思えない。一般の観客が「綺麗だなぁ~」と見蕩(みと)れるのは、ダリル・ハンナ(Daryl Hannah)のような白人女優が人魚に扮した時である。彼女は1984年に『スプラッシュ(Splash)』という映画に出演し、トム・ハンクスが一目惚れする人魚を演じた。丸裸のハンナがマンハッタンに現れるシーンは滑稽だが、北歐種族の美人だから何となく赦せてしまう。

Daryl Hannah 3332Hans Christian Andersen 01Halle Bailey 07Little Mermaid by Hans Christian Andersen








(左 : ダリル・ハンナ  /  ハンス・クリスチャン・アンデルセン   /  ハル・ベイリー   /   右 : アニメ『リトル・マーメイド』のポスター )

  童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)は、1805年に生まれ、1875年に亡くなった人物だ。つまり、第19世紀のヨーロッパ、日本の元号で言えば文化・文政の頃に育ち、明治8年に亡くなったノルウェー人である。それゆえ、色黒の人魚姫なんて考えもしなかったはず。確かに、架空の生物だから、黒髪の縮れ毛で、鼻孔が大きく、アフリカ人みたいな容姿の人魚でもいい訳だが、これだと王子様が振り向かない。見かけても素通りするか、錨に括り付けて海底に沈めてしまうかのどちらかだ。物語では、人魚姫が元の姿に戻るため、魔女に貰った短剣で王子様を刺そうとするシーンがあるけど、やはり、愛する王子を殺すことができず、海に飛び込んで泡になる、という結末であった。でも、実写版で黒人女性が刃物を持ち、王子様の寝込みを襲えば、西歐白人は本能的に拳銃で撃ち殺したくなる。黒い人魚が泡となっても、「ざまあみろ !」と吐き捨てて終わりだ。

ユダヤ人に乗っ取られた夢の国

  第21世紀に入ってからのディズニー社を見ていると、つくづくウォルト・ディズニーが気の毒に思える。彼はヨーロッパの御伽噺(おとぎばなし)を色鮮やかなアニメ作品にし、アメリカ風にアレンジしても、キャラクターはヨーロッパ人のままにしていたのである。公民権運動以前の時代ということもあるが、いくらなんでも、主役や重要なキャラクターをアフリカ人やヒスパニックにする考えは無かったはずである。しかし、ディズニー社がユダヤ人に支配されると、創業者の精神なんて中古の褌(ふんどし)と同じで、雑巾にすらならない。マイケル・アイズナー(Michael Eisner)やボブ・アイガー(Robert Allen Iger)といったユダヤ人が社長や会長になると、黒人や南米人を取り込むために、ヨーロッパのファンタジーを第三世界のゲットーに変えてしまうのだ。日本人の母親も『アバローのプリンセス』を我が子に見せたとき、主人公のお姫様「エレナ」がラテン系だったのに驚いたはずだ。実は、この「プリンセス・エレナ」、ヒスパニックのユダヤ人という裏の設定で、「ハヌカ(Hanukka / ユダヤ教の記念行事)」を祝う異色のキャラクターでもあった。もう、目眩がするほどディズニー作品は汚染されている。

Michael Eisner 332Bob Iger 332Walt Disney 04Elena of Avalor 2







(左 : マイケル・アイズナー  /  ボブ・アイガー /  ウォルト・ディズニー  / 右 : ラテン系の「プリンセス・エレナ」 )

  さらに、「ディズニーランド」を「ユーデンラント(Judenland / ユダヤ人の国)」に変えた連中は、「夢の世界」である「ディズニー・ワールド」で、「ゲイ・デイズ(Gay Days / 同性愛者の日)」という特別期間を設けた。米国の日産自動車もスポンサーに連なり、ゲイやレズビアンといった同性愛者を大歓迎。2010年には、15万人のLGBTが集まったというから、もしウォルト・ディズニーが生きていたら自殺しかねない。今のディズニー社なら、もっと「寛容の精神」を発揮するから、「トランスジェンダーの日」も有り得る。まさか、元男性をキャスティングした『性転換のターザン』とか、レズビアンのキスで目覚める『バイセクシャルの眠り姫』、カルーセル麻紀が演じる『オカマの国のアリス』、雄が主役の『ライオン・キング』は不平等だから、雌ライオンを主役にする『ライオン・クィーン』は、まさか無いよねぇ~。もし制作されたら驚きだ。

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(左 : ミッキーマウスを愛するゲイのユダヤ人   /  右 : 「ディズニー・ワールド」に集まった同性愛者 )

  そう言えば昔、「東レ」がマリア・シャラポワ(Maria Sharapova)を大会に招き、日本人のアナウンサーが「ロシアの妖精」と呼んでいたが、誰も大声で異を唱えなかった。筆者はロシアに棲息する妖精なんか見たことないので、『ベルセルク』に出てくる妖精くらいしか知らない。しかし、不思議なことに、テニス界で有名なセレナ・ウィリアムズ(Serena Williams)とヴィーナス・ウィリアム(Venus Williams)の姉妹は、「アメリカの妖精」とか「アフリカの妖精」と呼ばれることはなかった。実力者のヴィーナス・ウィリアムは、「美の女神」をファースト・ネームにしているが、なぜか日本では人気者とならず、写真集やポスターが発売されなかった。たぶん、商業的に採算が合わなかったのだろう。

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(左 : マリア・シャラポワ  / 中央 : ウィリアムズ姉妹  /  右 : エラ・フライヤ )

  ところが、日本語を話すオランダ人ユーチューバーだと話しが違うようで、出版大手の講談社は、密かな人気を誇るエラ・フライヤ(Ella Freya)のデジタル写真集を制作し、異例の価格、3,960円で販売した。さすが、銭儲けに敏感な有名出版社だけあって、無名の少女であっても利益が出ると踏めば強気になる。他のモデルだと800円前後か2,000円未満の値段なのに、ユーチューバーの外国人だと4,000円近くの値札をつけるなんて法外だ。事情はよく分からないけど、講談社の編集者はゲルマン人を優遇するレイシストなのか?

  近年活発になったBLM運動を見れば判るけど、本当にアメリカ社会は「多文化・多民族主義」に汚染されている。日本人は洗脳とか侵掠をアカデミックな世界でしか考えないが、本当に恐ろしいのは娯楽小説やTVドラマ、アニメといったサブカルチャーの世界で浸透するプロパガンダの方である。一般のアメリカ人は学術書とか雑誌論文を読まない。彼らは歴史や政治を映画や漫画を通して学ぶから、笑ってしまうような捏造を気軽に信じる。制作者が如何に邪悪であっても、大衆は表面の現象しか見ないので、改造された自分の頭に気づかない。巨大財閥や大口献金者にとって、全米に散らばる頓馬な有権者は、使い捨ての「便利なアホ」にすぎず、メディアの扇動で揺れ動く憐れなイワシだ。しかし、周りの者が一緒に狂っているから、何をされても意外とパッピー。例えば、大勢の中で一人だけ臭くて汚ければ、自分を恥ずかしいと思うが、みんなが等しく“ウンコまみれ”なら気にならないのと同じである

  それはともかく、イギリス系と西歐系のアメリカ人は、祖国に住みながら「家なき子」になっている。祖先から受け継ぐ故郷が、いつのまもにか異人種で埋め尽くされ、「同胞」とは思えない連中ばかりになっているのだ。そもそも、「移民の国アメリカ」というのが真っ赤な嘘。アメリカ合衆国はイギリス人が入植者となり、本国から独立して「共和政イングランド」になっただけ。本質的には変わりがない。左翼知識人は「人種の坩堝(るつぼ)」を宣伝するが、アメリカというのは、日本風に言うと北海道みたいな国である。つまり、会津藩や水戸藩、桑名藩の幕臣が北の大地へ移住し、そこで独立国を作ったようなものだ。北海道の入植者は世界市民じゃなく、先祖伝来の文化を守り、親から受け継ぐ日本語を話す日本人。肉体的にも本州の住民と違いは無い。女優の高橋惠子や歌手の松山千春は、関東や関西に住む国民と同じである。鳩山由紀夫だけが音羽御殿に現れる宇宙人。(総理になった鳩山は、北海道第9区から選出されていた。)

  左巻きの大学教授は「多民族共生」を絶賛するが、支那人や朝鮮人、インド人、アラブ人、アフリカ人が日本人と混淆したら、素晴らしい国家が誕生するのか? 常識を備える日本人なら、直ちに否定するだろう。日本が素晴らしいのは、日本人同士が寄り添って暮らし、みんなが天皇陛下を崇敬しているからだ。帰化鮮人の2世や3世は、生まれた時から日本に住んでいるけど、日系国民と一緒になって、「私は皇室を尊ぶ愛国者」と言えるのか? 日本人は同じ文化と同じ種族で数千年も暮らしてきたから、世界で一番平和な国をつくることができたのである。

  これからディズニー社はどんどん、多民族主義のアニメや進歩的文化人の映画を制作するだろう。しかし、何割かのアメリカ白人は、こうした潮流に逆らい、「昔の方が良かった」と懐かしむはずだ。日本のアニメも徐々にアメリカ左翼の影響を受け、多民族主義の害悪で汚染されるかも知れない。それに、アジア系帰化人が増えれば、『エースをねらえ!』や『はいからさんが通る』、『ベルサイユのばら』といった昭和の人気アニメは、金髪碧眼の北歐人を称讃する「レイシスト作品」と糾弾されるだろう。もし、令和の時代にリメイク作品として実写版が作られても、メインキャラクターに採用されるのは、支那人かフィリピン人の混血児、あるいは朝鮮系やインド系の帰化人かも知れない。哀しい予測になるが、日本のアニメは段々と“無国籍化”されるだろう。そして、民族や国籍に囚われない、全地球市民が参加するアニメーション、ないしグローバル市場で切り売りされる「商品(commodities)」になりそうだ。

   

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支那人が増殖する恐怖 / 城内に浸透する異人種

蛇を仕留めるには頭に釘を刺せ !

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(左 : ひょうきんな支那人  /  右 : 勉強熱心な支那人の子供)

  現在、我が国は恐ろしい侵掠行為を受けている。しかも、日本国民の大部分がその征服に気づいていないから事態は更に深刻だ。もし、外国勢力が日本を征服しようと思えば、日本全土を攻撃する必要はない。支那人は征服戦争の要諦を弁えているから、わざわざミサイルや戦車を用いて上陸作戦を敢行することはないだろう。孫子と韓非子をマスターした支那人にとって、「戦わずして勝つ」のが鉄則だ。自軍の血を流して損失を出すのは下策の極みである。脳天気な日本人は尖閣諸島での紛争に気を揉んでいるが、本当に恐ろしいのは武器を用いない盲流の波である。日本は民衆政治(衆愚政治)を金科玉条にしているから、支那人スパイは国家の中枢を牛耳る政治家を籠絡しようと考える。元々、国家意識の無い有権者が選んだ政治家だから、国家意識や危機意識がないのも当然で、女や金でコロっと買収できる木偶の坊ばかり。1億円くらい渡せば直ぐ飼い犬になるし、ベッド・シーンの写真を見せれば真っ青になって北京にひれ伏す。

  支那人というのは悪事になると天賦の才能を発揮する民族だ。海軍を派遣して尖閣諸島を占領することもあれば、貧民を送り込んで日本国籍を取得させるという手口まで思いつく。悪魔よりも狡猾な毛沢東や周恩来は「日中友好」を掲げて田中角栄や池田大作を丸め込んだし、鄧小平は支那人の飽くなき欲望を解き放ち、日本人から資金を巻き上げて経済発展に努めた。極左の巣窟たる東京大学や立命館大学は、支那人の留学生がアリのように群がっている。真っ赤に染まった早稲田大学はもっと酷くて、支那人の留学生を大量に抱え込んだうえに、あの孔子学院を受け容れ、未だに「若手研究者の育成」や「学術交流の促進」を謳っているのだ。でも、この早稲田には、日中学院の名誉学院長になった安藤彦太郎や、文革礼讃で有名な新島淳良がいたくらいだから、支那贔屓は伝統に基づく早稲田の校風なんだろう。

  左翼分子というのは日本人の支那嫌いには敏感でも、支那人の人権蹂躙には鈍感である。平成20年(2008年)、チベット人の大量殺戮で有名な胡錦濤が来日した時、早稲田大学はこの殺人鬼を大歓迎。もし、大隈重信が生きていたら「どこのバカが招いたんだ !」と激怒するはずだが、この創設者はあの世に居るから地団駄を踏むだけ。しかし、佐賀の先輩である副島種臣からは大目玉を食らうんじゃないか。何しろ、この副島伯は清朝の役人が強要した「三跪九拝(さんききゅうはい)の礼」を一蹴り。それでも、執拗に「華夷序列」を主張する支那人に激怒した副島公使は、それならば「帰国する!」と通告したので、清朝の役人はしどろもどろに。副島伯のお陰で西歐諸国の公使も、この屈辱的な儀礼に従う必要がなくなり、立礼で皇帝に謁見できるようになったという。外務省の中江要介や田中均には絶対真似できない。というより、チャイナ・スクールの官僚は北京の代理人だから、彼らの頭には支那人に抗議するという発想すら無いだろう。

Soejima 0011(左  / 副島種臣 )
  今の外務官僚と副島伯を比べるなんて言語道断だが、副島種臣は陸奥宗光と同じくらい偉大な日本人であった。あの饒舌な大隈伯爵でさえ、重厚・博学な蒼海伯(副島)の前では寡黙であったというから、明治の頃には凄い人物が綺羅星の如くいたというこだ。ちなみに、蒼海伯は侍講局の総裁を務めていたから、明治天皇の師傳(しふ)としても有名である。しかし、現在の佐賀県民は副島種臣のことをあまり知らないんだって。

  話しを戻す。福岡の太宰府にある日本経済大学も支那人を大歓迎で、最近では支那人だけじゃ足りなくて、ベトナム人まで受け容れているそうだ。それでも、支那人の流入は年々増えており、九州大学や筑波大学にも支那人を筆頭にアジア人留学生がウジャウジャいる。もっと恐ろしいのは、大学を目指す支那人が集まる予備校が日本にあることだ。JR大久保駅の近くには、「名校志向(めいこうしこう)塾」という予備校があって、東京大学や京都大学、一橋大学などの名門校に合格すべく、野心家の支那人が猛勉強している。生徒が支那人なら、教師も支那人で、塾長の豊原明(本名: 魏大比 ?)も支那人ときている。彼は日本に帰化したが、元々は福建省出身の留学生で、支那の高校を卒業すると、両親が働いていた日本にやって来て、東京大学へ入ったという。彼は同大学院の博士課程に進み、情報理工学の博士号を取得した。(中島恵『中国人エリートは日本をめざす』中央公論新社、2016年、pp.66-67.)

  日本に住み着いた支那人が、同胞の留学生を支援して、日本の各大学に送り出すというのは理解できるが、豊原氏の塾が十数校に増大し、何千人もの支那人が予備校生になっているなんて寒気がする。しかし、こうしたブローカーは支那人だけじゃなく、日本人も一役買っている。「関西言語学院」という日本語学校は支那人の手助けをしている予備校だ。京都にある養成所を経営しているのは、松尾英孝(まつお・ひでたか)という校長で、元々は高校教師であったらしい。当初、松尾氏はピアノを扱う調律師を育成すべく専門学校を開設したのだが、ある時、遼寧省の支那人から、瀋陽音楽学院の学生を受け容れてくれないか、という依頼を受けたそうだ。1980年代の支那では、ピアノを調律する技術なんて誰も知らなかったので、学院の担当者はそうした特殊な技術を習得できる学校を探していたという。両者の話し合いが纏まり、見習いの支那人がやって来たところ、彼らが優秀だったので、松尾氏は引き続き支那人留学生を受け容れるようになったらしい。(上掲書、p.74.)

  ホント、支那人というのは目の付け所がいいというか、柔軟な思考の持ち主である。支那の高校を卒業して、いきなり日本の大学へ進むのは難しいから、それよりも簡単で、入国しやすい日本の私塾に潜り込み、充分な「準備体操」をしてから、希望の大学に入ろうとするんだから。しかし、やっぱり「支那人は何処へ行っても支那人」で、やって来る「留学生」は名ばかりの連中が多かった。彼らが狙う真の目的は、日本での就労だ。松尾校長は悩んだ挙げ句、瀋陽の日本国総領事館に相談する。でも、尋ねた相手が悪かった。日本の外務省は日本の“国益”を顧みない売国奴の集団として名高い。総領事館は憂国の念を以て「支那人を排斥せよ !」とは言わず、逆に支那人の利益を考え、日本語教育に熱心だった東北育才学校を紹介したのだ。(上掲書、p.75.) もう、立ち眩みがしそうだが、外務省の役人には外政官が持つべき祖国愛が無い。この連中は日本人としての矜持すら無いくせに、学歴自慢だけは人一倍強く、高等文官とか勅任官という自惚れの権化である。(別の機会に紹介したいが、外国へ派遣された領事や大使には、とんでもない奴が多い。ホント、呆れてしまうぞ。)

  お人好しの松尾氏は支那人の狡猾さに気づかず、逆に「これほど日本で勉強したい支那人がいるのかぁ~」と感心し、優秀な支那人を集めるため、瀋陽に「東北育才外国語学校」を設立した。こうして「日本への留学」を看板にする学校が設立されると、たちまち遼寧省を中心に、各地から優秀な学生が殺到したそうだ。この予備校は支那各地で大評判になったから、創設者である松尾氏本人は喜んでいる。ただし、同校の学費は年間で約30万円もかかるというから、決して気軽な学校じゃない。2015年の時点で支那の公立高校の学費が、年間1万4千円くらいしたというから、松尾氏の学校はかなり高値の学費を要求したことになる。しかし、日本を目指す支那人にとったら、20倍もする学費なんて屁じゃない。日本に潜り込んで数百万円ないし数千万円稼げばいいだけだ。30万円なんて初期投資と思えばいい。日本に移住し、国籍を取れれば、学費の30万円なんて端金(はしたがね)である。日本人は日本国籍を一体「いくら」と思っているのか? 50万円の値札がついても「お買い得」なんだぞ。

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(左 : 大学受験に臨む支那人  /  右 : 幸せそうな支那人留学生 )

  松尾氏の関西言語学院は、「普通の日本語学校」という枠を越え、日本の難関校への水路となる人気予備校となった。在校生は約800人で、全員が支那人。学費は年間74万円で、その他、寮の費用が30万円ほどかかるという。でも、「必ず日本の一流校に合格できる !」と確信する支那人が多いから、高い学費も賄賂の一部と考えれば苦にならない。実際、東京大学へ12名が合格し、京都大学へは26名、大阪大学だと8名、名古屋大学へは25名、東北大学に10名、九州大学9名、東京工業大学24名、一橋大学9名、早稲田大学8名、慶應義塾大学17名、上智大学3名、立命館大学へ26名となっていた。合計で約600人近くの支那人が現役で有名校に合格したというから驚異的だ。銭のためならSEALs(米国海軍特殊部隊)やSAS(英国陸軍特殊部隊)の訓練にも堪える支那人だから、同学院へ留学したいと望む支那人は絶えない。

  さらに、驚愕するのは、日本の財団が複数、支那人の優秀な学生に奨学金を渡していることだ。ある財団は支那人の高校生に月額18万円も渡しているというから驚く。それなら、大震災で貧乏になった日本の高校生に与えてやればいいのに、と思ってしまうが、日本の篤志家というのは矢鱈と支那人に優しい。たぶん、支那大陸での商売にとって「プラス」になると考えているのだろう。また、支那人を受け容れる教育機関も暢気(のんき)である。例えば、東北育才の支那人が“優秀”というので、慶應義塾大学も安心したのか、同校からの推薦入学を認めており、何ら危機感を抱いていないようだ。まぁ、竹中平蔵とか国分良成なんかを雇っていたくらいだから、学長や理事長もクルクルパーなんだろう。せめて、加藤寛か小泉信三くらいの人物が経営者になっていれば、最低限の「常識的な判断」を下せるはずなんだが・・・。東京工業大学の教授なんかは、もっと脳天気で、日本人の理系離れを危惧しているから、支那人の「優秀な学生」を確保したいんだって。それなら、日本の子供をもっと教育すべきなのに、左巻きの教授は支那人に希望を託しているそうだ。(名門の京都大学でも、バカにつける薬はまだ開発していないという。) 何とも情けないが、日本人を見棄てた連中は、続々と関西言語学院にやって来る。

  松尾校長は「反日分子」というわけではないが、「地獄への道は善意で舗装されている」ということを分かっていないようだ。彼は19歳で日本へやって来た周恩来に言及する。(短期間であったが、周は明治大学の留学生であった。) この国務院総理は嘗て、東北育才外国語学校の姉妹校に当たる東北育才学校に在籍したことがある。松尾氏は日本へ留学したいと望む支那人学生に「周恩来の再来」を期待しているようで、将来の「日中関係」に良い影響をもたらすんじゃないか、と考えている。松本校長は、次のように述べていた。

  日本にやって来た学生たちの中から、いつか日中の将来に貢献できるような若者が出てきたら、とてもうれしいですね。うちから日本の大学に進学して、日本の大手企業に勤務している中国人は大勢います。若いうちに日本に来て、素直な心で日本社会を見れば、きっと日本が好きになります。私はそんな学生を育てたい。彼らが将来中国に戻って、中国の政治や経済を動かすリーダーになってまれたら、こんなにうれしいことはないですね。(上掲書、p.80.)

   もう、「何処までお人好しなんだ?!」と腹が立ってしまうが、一般人だとこうした意見は普通である。支那人というのは徹頭徹尾「自己中心的」で、他人の利益を考えて行動することはない。鶴や日本人の「恩返し」なら有り得るが、「鰐の恩返し」や「鮫の滅私奉公」なんて有るのか? 平凡な支那人でも本質的には習近平や江沢民と同じで、北京が放射能で汚染されたり、上海が濁流に呑み込まれても、決して「祖国が大変だぁ~」とか「みんなを救わなきゃ」とは思わない。心配するのは自分の肉親だけ。日本にやって来た支那人は、困った同胞を助けず、自分の家族だけを助けようと努める。彼らが考えることといったら、日本人と結婚して日本国籍を取得することか、日本企業に就職して永住権を得ようとするくらいだ。「日中関係に貢献する」なんて微塵も考えない。(北京政府から銭を貰えば別だけど。) 松尾氏の見解を北京政府の支那人が聞いたら大爆笑するに違いない。小学生の支那人だって、「このオっちゃん馬鹿なの?」と母親に訊いてしまうくらいだ。もちろん、松尾氏はちゃんと勉強を積んだ教育者である。でも、冷酷な現実を理解できない典型的な日本人。なぜなら、受験対策の教科書に「韓非子を咀嚼した支那人」という項目は無いし、「馬鹿を騙して大金を得る」という詐欺講座も無いからだ。

支那人を招き入れる神奈川県

  支那人に対して全く警戒感が無いのは政治家も同じで、神奈川県の林文子(はやし・ふみこ)横浜市長や同県選出の小此木八郎(おこのぎ・はちろう)国家公安委員長、河野洋平の息子で防衛大臣や外務大臣にもなった河野太郎、実力も無いのに総理候補となる小泉家の“セクシー”進次郎、そしてウォール街へ参詣することで日本の総理大臣になった菅義偉には、為政者が持つべき「国家意識」というものが無い。市長を退任する林文子なんかは左翼の典型で、市民に対する公約を翻しても平気である。彼女は最初、カジノ誘致には反対だったのに、いつの間にかIR(大型の賭博場)の賛成派に鞍替えし、一般有権者を騙していた。政治家になる前はBMW
やホルクスワーゲン、日産のクルマを販売していたから、国を賭博業者に販売しても平気ないんだろう。普通の日本人なら、マフィアの暗躍や資金洗浄を心配してしまうが、赤い市長というのは二枚舌のスペシャリスト。表の顔はリベラルでも、裏の顔は冷酷なリアリストである。したがって、不特定多数の貧乏国民よりも、特殊利益をもたらす富豪外人の方が大切だ、と考えてしまうものだ。

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(左 : 林文子  / 中央 : 小此木八郎  / 右 : 習近平と一緒の任正非 )

  さらに、林市長は西歐諸国で問題となっている「ファーウェイ(HUAWEI)」を横浜に誘致した元兇である。どれくらい税金(企業立地促進条例による交付金)をくれてやったのか判らぬが、日本の「ファーウェイ研究所」は、神奈川区金港町(きんこうちょう)にある商業ビルに入っている。しかし、現在、ここは閉業中で内情は闇の中。まぁ、「ファーウェイ」クラスの国際企業が乗り込んできたんだから、「公金のプレゼント」は“かなり”の金額になるはずだ。まさか、最低額の1億円じゃないだろう。もしかすると、数十億円だったりして・・・。林市長が退任することで、国家公安委員長を務める小此木八郎が、地元の自民党から支援を受けて立候補するというが、この委員長と現市長、現総理は選挙スタッフで繋がるズブズフの関係である。彼らが支那人に対して強硬姿勢を取ることは先ず無い。むしろ、任正非(じん・せいひ / ファーウェイの社長)を称讃し、任が属する人民解放軍と習近平に媚びるだろう。

  ちなみに、我が国の治安を担当する公安には、監視対象になるような議員がトップに就いてしまうことがよくある。小此木氏ばかりじゃないけど、どうして公安の委員長には反日議員や左翼分子が就くのか? あの石井一(いしい・はじめ)も公安委員長になったし、日本を呪っていた部落民の野中広務、偽名を使って違法カジノ店に通っていた白川勝彦、南鮮で反日を叫んだ極左の岡崎トミ子、「永住外国人の参政権を実現します」と韓国民団に誓った山岡賢次など、もう公安の職員がマークしたくなる人物がウヨウヨいた。こんな人事で国家機密を本当に守れるのか?

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(左 : 石井一   /  野中広務   /  岡崎トミ子   /   右 : 山岡賢次 )

  そう言えば、菅内閣は9月にデジタル庁を創設する予定であるというが、この役所はNTTデータや東芝、富士通、パナソニックが集積した企業情報と、国民の個人データを支那に献上する窓口なんじゃないか。トヨタやデンソー、キャノンといった大手企業は、「優秀」だからという理由で支那人を雇っていたが、機密情報の管理なんて考えていなかった。事実、2007年にデンソーに努めていた支那人の楊魯川(41歳)が、13万件にも及ぶ情報データを密かにダウンロードし、パソコンに入れて持ち去ろうとする事件があった。幸い、この支那人社員は警察に逮捕されたけど、もしかすると、他の支那人は誰にも気づかれずに情報を抜き取り、外国で密売したのかも知れないぞ。機密保持が徹底している大手企業といえども、帰化支那人の子孫が「日本人」として就職しているから、「モグラ」としてスパイ行為をしながら、重役へと昇進しているケースも有り得る。

  現代の日本人は警戒心と愛国心が無いから、大陸の支那人や帰化支那人の子供が「日本で勉強したい」と言えば、笑顔で機会を与えてしまい、気がつくと「至る所に支那人がウジャウジャ」という惨状がよくある。支那人や朝鮮人といったアジア人は、たとえ勉強熱心であっても、日本の学校へ招いてはならない。もし、朝鮮人や支那人、あるいはフィリピン人やベトナム人の子供を地元の小学校に許してしまうと、日本人の子供が変質する虞(おそれ)がある。日本の子供は同情する心を持っているから、「日本の国益」を優先する愛国者にはならず、むしろ日本の国益を犠牲にし、アジア人を支援する左翼になってしまうのだ。つまり、日本の中学生や大学生は、アジア人との共存とか人種平等を尊重する「地球市民」、ないし「人権重視のコスモポリタン浮浪者」になってしまう。日本人の過半数は、幼稚園の頃から「差別はダメよ !」と教えられているので、大学生になっても精神的には幼稚園児のままである。

  また、常識的な日本人でも、左翼陣営の洗脳に気づかない人が多い。例えば、左巻きの教育者は移民や帰化人の子供を日本社会へ“同化”させようとするが、よく調べてみると、日本人の子供が“アジア人”になってしまう、というのが現実だ。日本の伝統を守ろうとする「保守派知識人」でも、日本人の遺伝子プールや同質性を守ろうとする人は皆無に等しく、大半は「ネオナチ」のレッテルを懼れて民族平等の原則を掲げたりする。しかし、帰化鮮人や永住支那人の何割が、心から日本社会を愛し、皇室伝統を尊重しているのか誰にも判らない。世論調査に詳しい大学教授だって、帰化鮮人の子孫や日鮮混血児が、如何なる「愛国心」を持っているのかを調査しないし、巷の心理学者もアジア系国民の本音を引き出す意識調査に加わることはない。どちらかと言えば、近藤敦(名城大学)や駒井洋(筑波大学)、関根政美(慶應義塾大学)、佐久間孝正(立教大学)、宮島喬(お茶の水女子大学)みたいな連中に賛同するのが普通で、一般国民も排外主義者の保守派を嫌って非難する場合の方が多い。

   そもそも、日本の大学で「アジア人やアフリカ人の移民を排除せよ !」と呼びかける教授なんて居るのか? 本来なら、「賛否両論」ということで教授陣の50%くらいは、リベラル派に異議を申し立てる「移民・難民の反対派」に廻るはずなんだが、実際は99%が移民・難民の賛成派になっている。心の底では多文化・多民族主義に反対の教授でも、公の席ではリベラル派の同調者となってしまうのだ。なぜなら、学校の教室に在日朝鮮人の子弟とか、ベトナム人研修生、日印混血児、帰化したアジア人の子供、支那残留邦人の孫などが混ざっているからだ。もし、ナショナリズムを掲げる教師が授業中に支那人の侵掠行為に言及すれば、たちまち激しい非難が湧き起こる。支那系学生は時と場所を弁えずに、堂々と口汚く教師を罵るし、教室の外でもアジア系の学生が抗議集会を開くので、事態に焦った理事会はネオナチもどきの教師を排除しようと動く。支那人留学生や帰化鮮人がウヨウヨいる東京大学とか京都大学、一橋大学、筑波大学、九州大学などでも状況は似たり寄ったりだ。実際、支那人学生を「支那人」と呼ぶことすらできないくらいだから、門前払いなんて夢の又夢である。したがって、日本の教育機関が異人種の温床になるのは既定路線。

  大阪とか神戸も同じだけど、神奈川県はアジア人の巣窟になっている。役所のデータによれば、令和2年1月の時点で、住民基本台帳に記された外国人の数は22万8千275人となっているから、実に県民40人のうち1名は外国人となっているのだ。1985年には県内に住む外国人の数は4万7千279人であったのに、その後毎年着々と増え続け、2005年には15万7千947人となってしまった。その後も減ることはなく、2017年には18万6千人を突破し、平成の末期になると20万人を越えてしまったそうだ。神奈川でも在住外国人は、支那人や朝鮮人、フィリピン人、ベトナム人、ブラジル人がトップを占めている。

       2015年度       2016年度       2018年度     2019年度          2020年度
支那人        57,103                   60,934                  65,065                  68,912          73,136
朝鮮人    29,165                   27,192                  27,578                  27,781          27,964
フィリピン人 19,053                   20,008                  20,980                   22,192          24,269
ベトナム人   10,852                   13,496                  16,153                  19,801           23,076
 
  一方、日本人が好ましいと思う西歐人は極僅かで、イギリス人は1,685人、ドイツ人が1,241人、スウェーデン人だと160、オランダ人で157人、デイン人(デンマーク)になるとたった41人だけである。(神奈川県国際文化観光局国際課調べ / 令和2年1月時点。) 左翼メディアは保守派国民を「排外主義者」と糾弾するが、普通の日本人は“特定アジア人”を嫌っているだけで、全世界の外国人を嫌っている訳じゃない。NHKやTBSが御用学者を使って印象操作をしているだけだ。

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( 左 : 日本人に歓迎されるが、日本に住み着かないタイプの子供  /  右 : 日本人に歓迎されないが、日本に定住しそうな子供達 )

  NHKはずっと前から「多文化主義に基づく混淆社会」を願っており、国連難民高等弁務官の緒方貞子や法政大学の本間浩を招き、「難民を僅かしか受け容れない日本政府はけしからん!」と視聴者に刷り込んでいた。NHKは支那人だけじゃなく朝鮮人も大好きで、東大教養学部で教授を務めていた姜尚中を美術評論家にしていた。また、赤い鳥取県知事で朝鮮人を大切にする片山善博をも大絶賛。この片山氏は知事を辞めた後、菅直人の内閣で総務大臣に就任した。そして、大臣の退任後は慶應義塾大学へ天下りして、行政に精通した大学教授に変身だ。片山氏は早稲田大学の教授(政治経済学術院)にもなったが、注目すべき側面は彼の官僚時代にある。片山氏は国土庁にいた頃(1980年代)、お隣の国家(南鮮)から見倣うべき点があると考え、独学で朝鮮語を勉強したそうだ。(片山善博・剱持佳苗 『地域間交流が外交を変える』 光文社新書、2003年、p.101)  

Katayama 001(左  / 片山善博 )
  これは背筋が寒くなるほど恐ろしい。我が耳を疑ってしまうほどだ。何しろ、日本人は朝鮮統治の時代になっても、一向に朝鮮文化に関心が無く、朝鮮語を学ぼうとする役人は極僅かだった。困った朝鮮総督府は、特別給金を餌にして朝鮮語の習得を促進したほどだ。それなのに、片山氏は自ら進んで鮮人の言葉を学び、固定資産税の改革をする時には、南鮮の交付税課長である金振兟を自治省に招いたという。(上掲書、p.102.) 一般の日本人が聞けば目を丸くしてしまうが、片山氏によれば、「日本人と韓国人は基本的にあまり変わらない」、「生活様式も違うようで、違わない」、「逆に、あまりにも似ているから、お互いの違いが目立つ」そうである。(上掲書、p.107.)
  
  平成時代、一般国民は片山氏を支援するテレ朝の「サンデー・プロジェクト」(田原総一朗と島田紳助の番組)を観て、「片山氏の行政手腕は凄いなぁ~」と感心していたが、彼がテレ朝の贔屓になったのは北鮮への姿勢にもあった。片山氏は拉致事件を棚上げにし、北鮮との国交を優先させ、経済交流を提唱していたのだ。(上掲書、p.138.) 片山氏によれば、いきなり北鮮人との交流は無理だから、先ず「認識のギャップ」があることを認め、お互いに違った価値観を持って生きている事を認識すべきだという。北鮮人と酒を飲みながら話しをすれば、日本人と朝鮮人が共に子育ての悩みを持ち、家族を大切にする気持ちがある、ということが判るらしい。そして、両者がこうした心の交流を持てば、北鮮人も拉致被害者家族の悲しみや苦悩を理解できるというのだ。(上掲書、p.139.)

  もう、目の前が真っ白になるほど呆れてしまうが、中央官庁や地方自治体には、こうした左巻きの人物が結構多い。信じられないが、真面目にアジア人との交流を考えている人もいるそうだ。NHK職員も同様で、「コリア・ファースト」や「チャイナ・ファースト」が常識となっている。「皆様のNHK」といっても、その「皆様」とは支那人や朝鮮人を指す。昔、筆者が電話で「ハングル講座」について質問した時、NHKの職員は筆者を「北鮮人」と勘違いして、VIP待遇と思えるような話し方で質問に答えてくれた。というのも、筆者が「韓国語」を口にせず、「朝鮮語」と言い続け、「ハングルは文字の名称だろう」と強く述べたので、NHKの担当者は在日北鮮人からの「抗議電話」と思ってしまったのだ。しかし、筆者が「日本人」と判るや、担当職員は「普通」の態度に戻ってしまった。こうした豹変は如何にもNHKらしい。

  とにかく、NHKは日本人からの批判が大嫌い。NHKの『ジャパン・デビュー』を非難し、痴漢・殺人・窃盗のNHK職員を咎める日本人は、みんな「極右分子」か「保守反動」の類いである。NHKは明治大学の山脇啓造を招いて、横浜市の「いちょう小学校」をよく取り上げるが、正常な日本人であれば、支那人や朝鮮人、ベトナム人などの子供が蝟集する公立学校を観てゾッとするはずだ。おそらく、「私の子供なら絶対に通わせない」と思う日本人は、NHKの願望とは違って意外と多いのかも。(現在、「いちょう小学校」は統廃合されて、「横浜市立飯田いちょう小学校」となっている。)

  この小学校には、アジア人向けの特別クラスがあって、日本語を不得意とする生徒が支那人やベトナム人の教師から日本語を学んでいる。小学校の近くには日本で働く支那人やベトナム人が入居するアパートもあるそうで、高額所得者なら近づかない「租界」となっている。NHKは中学生や高校生になった移民の子供達(混血児も含む)をウキウキしながら紹介していたが、異民族との共生社会なんて真っ平御免だ。支那人や朝鮮人の子供は、日系日本人と混ざって勉強し、「疑似日本人」として大学に進んだり、正体を隠しながら民間企業へ勤めたりしている。神奈川県の統計には、「永住外国人」とか「外国籍の定住者」しか、「外国人」と表記されないが、実際の社会を見れば、もっと多くのアジア人がいるはずだ。日本人の常識からすれば、日本国籍を取っても支那人は支那人としか言い様がないし、帰化鮮人の子供は、たとえ「生まれながらの日本国民」であっても、依然として「朝鮮人」のままである。日本人の母親から生まれたベトナム系混血児でさえ、「日本人」とは思われず、「日本人の血が混ざったベトナム人」でしかない。

  日比混血児はもっと悲惨で、学校の友達は私的な詮索ができない。ちょっと賢い日本人の生徒は、母親がスナック、またはキャバレーの酌婦で、父親は浮気で子供をつくった既婚者じゃないか、と怪しんでいるからだ。実際、フィリピン人の子供は母子家庭出身者が多い。離れて暮らす父親は、電話に出てくれることもあるけど、大抵、本当の家族(日本人の妻と子供)と一緒に住んでいる。もちろん、本家の異母兄弟との交流は無い。また、こうした「日本人のパパ」には、「碌でなし」とか、日本人女性から相手にされない「ダメ男」が多く、女体を求めた結果、フィリピン人と懇ろになるというケースが少なくない。

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(左 : ナイト・クラブにいそうなフィリピン美女  /  中央 : 男前のフィリピン人モデル /  右 : 日本に移住しそうなフィリピン人カップル)

  精子の噴射が得意でも、甲斐性無しのボンクラが父親(籍を入れていない亭主)となっているから、養育費を払う者はまだマシな方である。中には別れたはずのフィリピン人妻にお金を無心したりするアホがいるそうだ。自分の生活と仕事で精一杯のダメ親爺は、フィリピン人の息子や娘に充分な教育を授けることもできず、高校を卒業した娘は母親と同じ水商売に就くか、男をつくって妊婦となる。息子の方も勉強が苦手だから、就職先といえば、筋肉労働の下働きか、派遣社員のパートタイムていど。頭が弱くても体が丈夫なら、ダンサーとか格闘家になって稼げるが、やはりプロの道は厳しいから、大抵の混血児は脱落する。結局、安月給の「つまらない職業」に落ち着いて一生を終えるのが定番だ。

  保守派知識人は混血児の問題を意図的に避けてしまうが、こうしたアジア系の子供は、中流階級の日本人、つまりカタギの家庭で育った常識的な国民と同じように、我が国の伝統や文化を自発的に学び、悠久の歴史を誇る皇室を尊敬することはない。愛国心に燃えた日鮮混血児や帰化フィリピン人なんて存在するのか? 『正論』や『WiLL』といった雑誌に登場する知識人は、支那人や朝鮮人の人口侵掠になら警鐘を鳴らすが、「血と土(Blut und Boden)」のテーマとなれば、地雷を敢えて踏む自殺行為と思っているから、滅多に言及することはない。雑誌の対談やネット番組で勇ましい発言をする知識人でも、人種問題となれば「尻込み」か「知らん顔」となる。しかし、日本の伝統は日系日本人が守るものだ。「役所に丸投げ」というのはおかしい。全国各地にアジア系混血児が増えれば、「日本らしい日本」を守る国民はマイノリティーか変人扱いだ。

  とにかく、支那人は民族対立や人種問題を懼れる日本人の弱点、つまり「非難や恐怖に怯える心」を突いてくる。北京政府の幹部は、日本人が人道主義や人権思想に弱いと判っているから、工作機関はどんどん支那移民を送り出してくるだろう。支那人というのは謀略や支配の天才だから、相手の弱みを見つければ、最大限に利用しようと考える。支那人には「良心の呵責」とか「他人への配慮」というものが一切無いから有利だ。支那人は同胞の移民がどんな境遇になっても、お構いなし。どんな移民規制があろうとも、大量の支那人を輸出すれば、いずれ日本は支那の「特別区」になると思っている。日本人は軍事を勉強する自衛官や国家戦略を専門とする学者でも脳天気だから、人種衛生や優生思想なんて考えない。異人種が流入しても、「どうしようもない」と諦め、ぼんやりと傍観するだけ。地政学を専攻する奥山真司なんかも「戦略家」を自称しているが、根本的にはリベラル派だ。日本人の肉体と血統を守る防禦法を提唱したことはなく、人種差別になるから意図的に避けている。自身のYouTube番組では、濠洲のクライヴ・ハミルトン教授に倣って、支那人の「静かな侵掠」を警告するが、支那系日本人が増えていることには沈黙だ。混血を阻止する制定法の呼びかけをすることもない。

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(左 : ハンサムな朝鮮人男性  /  日本で増えそうな鮮人女性  / 普通の支那人  /  右 : 日本人男性にモテそうなフィリピン人女性)

  だいたい、政治家や高級官僚に「支那系」が増えれば、いくら自衛隊が陸海空で頑張っても無駄である。支那系総理や朝鮮系幹事長が、有事になっても防衛出動要請を口にしないから、現場の自衛官は唇を噛みしめ、敵兵の上陸を眺めるだけだ。あの蓮舫や福山哲郎が首相になったら、防衛予算を削減することはあっても、増額することは絶対にない。北京の支那人は日本の欠点を徹底的に突いてくるから、銃弾を一発も撃たずに我が国を征服することができる。なぜなら、支那人が用意する実弾は、フルメタル・ジャケットの銃弾ではなく、黄金や紙幣の「実弾」であるからだ。

  目下のところ、支那人は日本の仲介業者を通して老舗旅館や歴史的建築物を買い漁っているが、経済不況に悩む大手企業も狙っており、安くなった株価を大量に購入して大株主になっている。こうなれば政治家への企業献金も合法だし、帰化支那人を経営幹部に送り込めば、社名が日本風でも実質的には支那企業と同じだ。しかも、経団連を手下にできるから一石二鳥である。支那人は銭(賄賂)の使い方を心得ているから、日本の政治家や財界人なんかチョロいものだ。日本という蛇を捕らえるには、釘を「頭(政官財)」に刺して胴体を無力化すればいい。総ての日本国民を相手にするのは愚策だ。ハニー・トラップと札束ビンタで屈服した政治家や財界人がどれくらいいるのか判らないけど、現状を見てみると「2、3人だけじゃない」ことだけは確かである。
 
  次回へ続く。


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