無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2021年07月

レーニンの命を狙った兇弾 / 個人の独立を奪う銃規制

国民から武器と抵抗を奪え !

American Militia 221Militia 11








(左 : 米国にあるミリシアの彫像  /  右 : アメリカの民兵組織)

  日本人が独立の精神を失ってから久しい。昔の日本には武士がいて、外国人に屈服しない根性があった。しかし、大東亜戦争で敗北を喫した日本人は、国家の命運すらをアメリカに丸投げし、邦人救出も放棄する卑劣な民族に成り下がってしまった。特に、法学部を出た若者は屁理屈だけは一丁前だが、実際の政治となれば稚児に等しい。だいたい、“仕置き”の「詫び状」を「平和憲法」と崇め、「もし廃止すれば大変なことになる」と思っているんだから呆れてしまうじゃないか。高等教育を受けた愚者は他にも大勢いて、内閣法制局長官の憲法解釈を拝聴する政治家や知識人は救いようがない。あんな役人が口にする「解釈」が、そんなに重要なのか?

  昔、『ブッシュマン』という映画が上映され、滑稽なシーンが遭ったのを覚えている。原始的生活を営むブッシュマンは、西歐人がセスナから投げ捨てた空き瓶を見つけて「何だろう?」と不思議がる。村のみんなは、天空から降ってきた透明な物体に興味津々。瓶を前にしての討論が始まる。そして、ある者は指を瓶の口に挿入するし、別の者は瓶を磨いて宝物扱い。村の女達は、丁度いいと思ったのか、穀物を潰すための道具にしていた。日本人はこうした黒い裸族を見てゲラゲラ笑うが、マッカーサー憲法を不磨の大典とする進歩的知識人はこれと同じだ。ちょっと頭のいいアメリカ人からすれば、日本の大学教授や新聞の論説委員なんて南洋土人ていど。「日本国憲法」といっても、所詮は便所紙に記した「御触書」なのに、未開部族の日本人は有り難がっている。

  日本人が腑抜けになった原因は色々と考えられるが、軍隊を放棄したことは、かなりの痛手であった。なぜなら、日本人は自分の家族や同胞を自分で守らず、銭を払って他国に任せているからだ。大抵の日本人が「アンタは奴隷と同じ」とか、「奴隷根性の属州民だ」と聞けば、すかさず「俺は違うぞ !」と反撥する。しかし、自分の運命や生命を他人に預けているということは、明日どんなことをされるのか分からない、ということだ。来週、あるいは来月、自分がどうなっているのかは、御主人様(奴隷の保有者)の胸先三寸で決まってしまうから、普通ならば不安で堪らないだろう。でも、そんなことを真剣に考えていると、毎日が辛くなるので、一般の日本人は無意識的に考えないようにしている。

  これとは対照的に、独立した自由人は、闘いにおいて悲惨な目に遭っても、自分で選択したという誇りがある。たとえ、敵国との戦闘や外政交渉で劣勢になっても、脳漿を振り絞って何とか打開しようとするだろう。なぜなら、反撃を諦めて死ぬことや、敵に屈服して隷属することは、いとも簡単な解決法であるからだ。しかし、現在の日本人は、独立を「苦痛」と考えているから、屈辱を嘗めても平穏な日々を選ぶ。「命が第一」と教えられた民族は、戦争を自然災害のように考え、如何なる惨状を体験しても「しょうがないよなぁ~」と嘆くだけ。これなら、「インティファーダ(Intifada / 投石暴動・抵抗闘争)」に奔走するパレスチナ人のほうが、よっぽどマシである。

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(左 : 米国の海兵隊  /  右 : 日本の自衛隊 )

  日本国内で暢気に暮らしていると、国家の安全保障などは考えずに済むけど、外国で暮らしてみると、ふと「日本は異常だよなぁ~」と思うことがある。これは筆者が米国にいた時に見た夢の話なんだが、筆者がある退役曹長(海兵隊)に射撃を教えてもらっていた時のことだ。練習が終わって銃の手入れをしていた時、何となく「日本人、とりわけ自衛官は何を守るために戦うつもりなのか?」と素朴な疑問が湧いてきた。普通、狙撃を習っている人は、如何にして標的を射止めるかに夢中となる。しかし、相手も撃ち返してくるので、現実的には危険な状態を想定しなければならない。映画では主人公は最後まで生き延びてヒーローになるが、実戦ではベテラン兵も死角からRPG(擲弾砲)を撃ち込まれて吹き飛ばされたり、“お陀仏”になるという場合もある。

  だから、士卒は必死で訓練に励むし、何としても生き延びたいという本能的も研ぎ澄まされる。これは快適な教室で国際関係論とか戦略論を勉強している青瓢箪(あおびょうたん)には解らない。戦闘を真剣に学ぶ者は、自分の腕が切り落とされても、相手の急所を攻撃して仕留めようとする。実戦ではマニュアル通りにいかないし、作戦計画だって瞬時に白紙となってしまうことも多い。例えば、2011年、アフガニスタンのカブールで、米軍のヘリ「CH47D Chinook」がRPGで撃墜されてことがある。このヘリコプターには、Navy SEALs以外にも、陸軍や空軍の戦闘員も乗っており、31名が一瞬で死んでしまったのだ。現地の司令部は「まさか!」と驚いたが、悲劇の詳細は次第に明らかとなった。いくら、特殊部隊の精鋭でも、移動中のヘリを狙われれば、ひとたまりもない。ムジャヒディーン(Mujahideen)の奇襲は予想以上に恐ろしかった。

  我が国の自衛隊は厳しい訓練を積んでいるが、悲惨な結果を招く実際の戦闘は無い。警察よりも安全な軍隊なんておかしいけど、これが日本の現実だ。ただし、平時であっても、「自分の命をを懸けて守りたい祖国とは何なのか?」と考えておくべきだろう。一票乞食が赴く人民選挙だと、「どの候補者にも魅力は無いけど、まぁ、立憲民主党じゃマズいから自民党に入れとくか!」となる。しかし、自分の身体や家族の運命が懸かっていれば、そういった気楽な「選択」はできまい。宇宙人の鳩山由紀夫や北鮮の菅直人が首相になっても割と平気なのは、日本人に「当事者意識」が無いからだ。「誰が最高司令官になっても、自分の生活は変わらない」と思っていれば、政治に無関心でも当然だ。

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(写真  / 合衆国海兵隊の狙撃手 )

  ちょっと脱線するけど、アメリカで生活していると、日本人とは違った英語の言葉遣いに気づく。例えば、日本人はライフルに装着する消音器を「サイレンサー(silencer)」と呼ぶが、アメリカでは「サプレッサー(suppressor)」と呼ぶ人が多い。二つの名称に本質的な違いは無いんだけど、「サプレッサー」の方が、弾丸を発射した時に銃口から出る光を防ぐ、という意味合いが強い。また、日本人は「Beretta 92FS」や「Beretta 92A1」といった拳銃を手にした時、「ベレッタ」と呼んでしまうが、普通のアメリカ人だと「ブレッタ」に近い発音となる。(ちなみに、ベレッタM9シリーズは合衆国陸軍で採用されたので、結構人気の高い拳銃となっている。が、数年前、陸軍は公式採用拳銃を「ベレッタ」から「シグザウエル / Sig Sauer M17」に変えたそうだ。) 

  筆者が夢から覚めた時、ふと思ったのは、やはり銃(武器)の所持が個人の独立心と気概を保っているのかも知れない、ということであった。ArmaLite社のM16やHeckler & Koch社のHK416ライフルでもいいけど、5.56 x 45mm NATO弾とか7.62 x 51mm NATO弾をアサルト・ライフルに装填して射撃を行えば、多少は、戦闘の恐ろしさと訓練の重要さを知ることができる。最初はフル・オート射撃の振動や反動に驚く人もいるが、左翼教授の講義だけでは知り得ない「現実」を知ることができるし、実際の武器に触れるのも貴重な体験である。大学生の中には拒絶反応を示す人もいるだろうが、別の人はこうした別世界を実感することで、今までの平和教育や人権思想に疑問を抱くようになる。

  確かに、アメリカでは銃による犯罪や事故、さらに銃の氾濫による社会的不安も多い。それでも、保守派のアメリカ人が銃規制に抵抗するのは、「自分の身は自分で守る」という原則を貫きたいからだ。近年、合法・非合法の移民や難民が増えたから、都市部や遠隔地に住む中流階級の白人も、警察だけでは心許ないと思い始めている。何しろ、不審者が敷地に侵入したから警察に連絡しても、パトカーが到着するまでには何十分もかかってしまうから、一家の大黒柱は「ライフルか拳銃を一丁くらい持っておかなきゃ!」と考えても不思議じゃない。実際、ギャングやゴロツキによる殺人・強姦・掠奪が年々増えているから当然だ。例えば、南米からの不法移民は、襲撃しやすい高齢者世帯を狙うし、道端で見つけた「白い肉」を攫うこともある。我々には信じられないけど、ヒスパニックの犯罪者だと、老婆を強姦する変態もいるらしい。だから、実家を離れて暮らす息子や娘は、高齢の両親が襲われるかも、と不安になる。また、若い白人女性は格好の標的となるので、掠奪・強姦されないために拳銃を携帯する女性もいるそうだ。

  「刀狩り」の伝統が強い日本と違って、米国では自存自衛が主流だ。合衆国憲法修正第二条は武器の所有権を保障しているから、一般のアメリカ人でも気軽にウォルマートなどで武器を購入することができるきる。何しろ、独立戦争以前からアメリカにはミリシア(民兵)が存在するし、大学でROTC(Reserve Officer Training Corps / 予備役プログラム)に入る学生もいるくらいだから、重火器に対する拒絶感は日本人よりも少ない。とりわけ、南部や中西部の田舎だと、中学生の少女でも自衛本能が強く、父親と一緒に射撃場に赴いたりする。まるで、サマー・キャンプのイベントみたいに、女子高生がグロックやベレッタの拳銃を撃ったり、自前のAR15ライフルを持ち込んだりしているから、普通の日本人が見ればギョッとするはずだ。日本人の親からすれば、「危険なことには近づかない」というのが鉄則だから、小学生の娘が拳銃をぶっ放しているなんて想像できない。ところが、アメリカ人の親だと記念写真を撮ったりするから、平和教育を受けた日本人とは大違いだ。

レーニン暗殺未遂事件

Lenin 00321( 左 / ウラジミール・レーニン )
  厳しい銃規制を持つ日本人が「あれっ!!」と驚くのは、共産主義時代のロシアで銃規制があったことだ。今だと、気晴らしに銃をぶっ放すロシア人なんて珍しくもないが、ロシアで革命を成功させたウラジミール・レーニンは、人民から武器を取り上げ、政権安定のために反抗の芽を予め摘んでいた。というのも、ロマノフ王朝を倒したからといって、直ぐボルシェビキの天下となった訳じゃないからだ。案の定、1918年の春には内戦が勃発する。そこで、中央委員会は1918年4月1日に銃規制の法案を可決し、4月3日にはその修正案が通過し、銃の所持は許認可制となった。(Alan Zelman and Richard W. Stevens, Death by “Gun Control” : The Human Cost of Victim Disarmament, Hartford, WI : Mazel Freedom Press, 2001, p.160.)

  この銃規制では、武器を所有する者は、チェカ(Cheka / 秘密警察)が発行する許可証を取得しなければならない。1918年8月17日の法令では、党の中央委員会による新たな証明書が必要となり、武器の所有者は「同志(Comrade)」あるいは「党のメンバー」と認識されたそうである。つまり、銃を持っている同志は、地方委員会に登録されている仲間でなければならない、ということだ。ボルシェビキの幹部どもは、徹底した銃の押収に取り組み、武器を隠匿する者や押収に反対する者は、1年から10年の懲役刑になったそうだ。(上掲書、 p.163.) 12月10日に発布された法令により、返上されていない銃や使い物にならない銃を見つけた者には、政府から報奨金が与えられたという。また、違法な機関銃を見つけた者は、二倍の報奨金が貰えたそうだ。

Fanny Kaplan 001(左  / ファニー・カプラン )
  しかし、暴力革命で誕生した国家には、暴力という妖怪が取り憑いている。ボルシェビキの連中がいくら銃規制を厳しくしようとも、総ての同志が共産党に従順という訳ではない。レーニンやトロツキー達のクーデタに不満な者はあちこちに居て、その中の一人にファニー・カプラン(Fanny Efimovna Kaplan)という女性だがいた。彼女は大胆不敵にもレーニンの暗殺を謀ったのだ。1918年8月30日、レーニンはモスクワで工場労働者の前で演説を行った。スピーチが終わって会場を後にしたレーニンは、待っていた車に乗り込もうとするが、パン不足を訴えるカプランに呼び止められたという。群衆の中で声を上げるカプランは、隠し持っていたブローニング(拳銃)を取り出し、銃弾を三発、レーニンへぶち込んだ。最初の弾丸はレーニンの外套を擦(かす)るだけであったが、二発目は肩に当たり、三発目は左の胸に命中してしまった。(Martin Sixsmith, ‘Fanny Kaplan's Attempt to Kill Lenin’, in Tony Brenton, ed, Was Revolution Inevitable? : Turning Points of the Russian Revolution, Oxford : Oxford University Press, p.179.)

  不意を突かれたレーニンは、その場で意識を失い、瀕死の重体に陥ったらしい。レーニンの状態はかなり深刻であったが、党の要人は政権の安定を優先したので、レーニンの負傷はそれほど酷くない、というプロパガンダを発表した。真実を隠蔽する党の機関紙『プラウダ』も、お得意の偽情報を流す。レーニンは二発喰らったが、翌日には新聞を読み、世界革命の運動を指導していた、と報じたのである。しかし、現実は奇蹟の復活とは程遠く、呼吸するのも困難な状態だ。この後遺症はやがて心臓発作へと繋がって行く。それでも、悪い奴は結構しぶとく、レーニンはその後六年間も長生きした。この独裁者が死亡したのは1924年1月21日である。

  一方、現行犯で捕まったファニー・カプランは、札付きの社会主義者で、武闘派のユダヤ人ときている。一般的に知られる「Fanya Kaplan」という名前は革命用の偽名で、本名は「Feyga Chaimovna Roitblat」。当時でも、ウクライナ出身のユダヤ人極左なんて珍しくもないが、カプランは10代の頃から過激派であったというから凄い。さすが、極左思想に染まったユダヤ人は人並み外れている。彼女は16歳の時、アナーキストのヴィクトール・ガースキー(Viktor Garsky)に惚れてしまい、一緒にテロ活動をする間柄になったという。二人はツァーリ(皇帝)の支配を打倒すべく、ホテルの一室で爆弾を用意していた。ところが、何を間違ったのか、その爆弾を床に落としてしまい、即座に大爆発。ヴィクトールの方は無傷であったが、ファニーの方は爆発で顔や腕に重傷を負ってしまった。ヴィクトールは大騒ぎになった現場から逃走するが、負傷したファニーは目をやられてしまい、ほとんど見えない状態になってしまった。こうして、置き去りにされたファニーは現行犯逮捕。

  1907年1月5日、お縄になったファニーは裁判で死刑を宣告される。しかし、まだ若かったので減刑されることに。ただし、命拾いをしたとはいえ、シベリアにある強制労働所に送られたから、彼女の運命は苛酷である。マルツェフ収容所にぶち込まれたファニーは、丸裸にされ、容赦なく鞭で引っ叩かれた。(上掲書、p 181.) ロシア人の仕置きだから想像しただけでもゾッとするが、彼女の体には未だ爆風の破片が残っていたから、傷口に塩を擦り込むというより、塩酸を流し込むといった懲罰である。しかも、爆発のせいで半分耳が聞こえなかったし、視力もほとんど無かったというから、正しく生き地獄としか言い様がない。

  ところが、運命の女神は時たま悪女に微笑む。1917年、帝政ロシアでは二月革命が勃発し、ロマノフ王朝の最期となる。王侯貴族には悪夢のような衝撃だが、無政府主義者や社会主義者にとっては喜ばしい朗報だ。暫定政府のアレクサンドル・ケレンスキー(Alexander Kerensky)は、投獄された革命家や政治犯を釈放したので、ファニー・カプランも一緒にシャバに戻る事ができた。と言っても、筋金入りのユダヤ人極左が反省してカタギの生活に落ち着くことはない。社会主義の理想に燃えるカプランは、人民の同意を得ずに権力を握ったレーニンを心底憎む。(上掲書、p.185.) それゆえ、レーニンを「裏切者」呼ばわりするファニーは、拳銃を懐に忍ばせ、レーニンを弾(ハジ)こうとする。だが、この暗殺者は失敗した。犯行時のカプランは眼鏡を掛けていなかったので、ほとんど標的を見えていなかった。それでも、弾を胸に当てたんだから、何とも凄い。さすが、ユダヤ人は犯罪の優等生だ。

  とにかく、カプランの人生は悲惨である。せっかく強制労働所から釈放されたのに、またもや牢獄送りとなったんだから。ルビヤンカでの尋問は凄惨の一言に尽きる。残忍を絵に描いたチェカの連中が、「共犯者を吐け!」と拷問を繰り返したんだから、ゴジラだって泣いてしまうだろう。最終的にファニーは口を割り、クルスキーやスクリプニク、ディアコノフの名前を吐いた。こうなりゃ、後は処刑されるだけ。酷い拷問を受け、ファニーの顔面は色褪せ、彼女の人相は、「如何にもユダヤ人らしく、醜い顔つき」であったらしい。(上掲書、p.190.) 1918年9月3日、ついに彼女の人生は幕を閉じる。ファニー・カプランは地下室のガレージに連れ出され、後頭部を拳銃で撃ち抜かれたそうだ。この死刑には何の裁判も判決も無かったという。

  ロシア人民の叛逆を懼れたレーニンは、「同志」であるはずのプロレタリア国民から武器を取り上げた。しかし、革命の前、レーニンは武装蜂起を民衆に呼びかけていたのだ。武闘派のコミュニストにとって、資本家やブルジョワ商人、地主階級、帝政支持派などは「人間」ですらない。「革命の敵」は徹底的に滅ぼすのが鉄則だ。共産主義者のモットーに忠実なレーニンは、「便利なアホ」でしかない民衆に向かって、次のように叫ぶ。

  我々にはどんなミリシア(民兵)が必要なのか? 働く者総て、プロレタリアなのか? 生粋の人民によるミリシアだ。例えば、第一に、総ての成人国民、すなわち男女の人民から成る民兵。次に、人民軍の機能や警察の機能、ならびに社会秩序と行政組織を兼ね備えたミリシアだ。(Vladimir I. Lenin, ‘Letters from Afar : Third Letter Concerning a Proletarian Militia, on March 11(24), 1917’, in V.I.Lenin Collected Works, Volume 23, August 1916 - March 1917, Moscow : Progress Publishers, pp.327-328.)

  いやぁぁ~、共産主義者って、昔から二枚舌というか、都合によって言論を変えるよねぇ~。モスクワ本店の命令に従う「日本共産党」も同じで、選挙の時には「民主主義」とか「平和憲法」を口にするが、一旦、政権を握れば一党独裁政権に豹変する。刃向かう奴らは皆殺し。自衛隊は違憲だが、人民を弾圧する赤軍はOK。おそらく、不破哲三や志位和夫は詐欺に遭って激昂する民衆に向かって、「騙される方が悪いんだ !」と言い放つだろう。共産党の幹部にとって、民衆なんか使い捨ての道具に過ぎない。もし、共産党政権が誕生すれば、日本の労働者はもっと貧しくなり、“搾取”されるだけの家畜となるだろう。いくらプロレタリア独裁の理想社会になっても、みんなが等しく貧乏になれば、「格差社会の方が良かった」と嘆く人も出てくるんじゃないか。

  まぁ、現代の日本では、昔風の共産主義は到来しないだろう。しかし、別の形で息苦しい世の中になる可能性がある。目に見えない全体主義というのは恐ろしいけど、丸腰の民衆は現体制に服従するしかない。封建制を棄てた日本人は、核となる指導者(藩主)を持たないし、抵抗するだけの気力も無いから、選択肢の無い選挙を繰り返すのみ。現在の日本人は自分の命を懸けて守る「祖国」を持たないし、自己犠牲の意味すら理解できない。自分の家族なら真剣に考えるが、漠然とした国家になると他人事になってしまうのだ。

  ところが、支那人や朝鮮人は着実に我が国を乗っ取ろうと謀っている。豊富な資金を有する華僑は、緊縮財政や武漢ウイルスで疲弊した日本に上陸し、赤字経営に傾いた老舗企業を買収し、美しい観光地を買い漁っているそうだ。それでも、普通の日本国民は黙っている。国民国家や民族主義を「右翼用語」と思っている日本人は、近所にアジア人が増え出すことで、初めて異変に気づく。だが、小学校や職場で帰化人や混血児が増えても、ただ困惑するのみで、排斥運動や抗議活動に参加することはない。せいぜい出来るのは、別の場所に引っ越しをすることだけ。高額所得者は僻地に逃れて、要塞化された高級住宅地に閉じこもる。日本各地に支那人街や朝鮮コミュニティー、リトル・ハノイ、埼玉クルドスタン、ネオ・パキスタンなどが誕生すれば、日本は極東アジアに存在するメルティング・ポットになってしまうだろう。バラバラな個人が集まるだけのモザイク国家なんて冗談じゃない。

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(左 : ブリテンのパキスタン系住民  /  右 : オーストラリアのアジア系住民)

  独立の気概と尚武の精神を失った国民には、情けない未来と隷属の生活しかない。フィリピン人を見れば判るけど、属州民というのは、たとえ幾らかの小銭を持っていても、所詮、二流、三流の下人である。将来の日本で、多少、まともな保守主義が残っていても、守るべき祖国がアジア人との混淆社会じゃ厭になってくる。第一、日系人は何を守るべきなのか解っていないのだ。いくら日本各地に神社が残っていても、初詣や夏祭りにやって来る住民が、アジア人や混血児だらけなら、日本文化の維持なんて意味が無い。「日の丸」が国旗で、「君が代」が国歌でも、唄っているのがベトナム系や帰化鮮人の子供じゃ気分が落ち込むし、多民族社会の到来ということで、北京語バージョンの「君が代」が普通になったから、日本の国歌じゃないだろう。また、国防意識も低下するはず。だいたい、在日華僑のような政治家や、パチンコ屋の朝鮮人を守るために、自分の手足を失ってもいいと思う日系人は居るのか?

  日本人が勇敢に戦うのは、同じ民族を守る時だ。すなわち、自分の祖父母や曾祖父と同じ日本人の血を共有する仲間を救う場合である。日本共産党は未だに共産主義の幻想に縋っているが、皇室破壊を目標とする党員の何割が、自分の命を捧げて暴力革命に馳せ参じるのか? レーニン全集を読んだこともない若い党員じゃ無理だろう。何しろ、令和の共産党員ときたら、レーニンの演説には興味が無く、「ユーミンのアルバムなら全部持っているだけど・・・」と答えてしまうんだから。「ブハーリン」と聞いて「パンク・バンドか?」と聞き返す民青メンバーなんてコミュニストじゃない。白髪のベテラン党員は、押し入れからゲバ棒やヘルメットを取り出し、昔を懐かしみながら涙を流すかも知れないぞ。
 
  

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銀座のフィクサーが動いていた?! / 太陽光の闇 (追撃篇)

菅政権の背後で動く政商

  利権と欲望が渦巻く政界には、色々な怪しい商人が潜り込んでいる。その中の一人が「大樹グループ」を率いる矢島義也(やじま・よしなり)だ。(本名は「義成」) このグループには、「大樹ホールディングス」や「大樹リスクマネージメント」、シンクタンクの「大樹リサーチ&コンサルティング株式会社(大樹総研)」などがあり、「戦略コンサルティング」とか「フェロー派遣サービス」、「政策の研究・提言」を業務にしているそうだ。でも、それは「表の顔」に過ぎない。

矢島義也(左  / 矢島義也 )
  矢島氏は政界と財界で蠢(うびめ)くブローカーのような側面を持っている。前の記事で紹介した「JCサービス」の中久保正巳代表と細野豪志議員を繋いだのも矢島氏だ。『週刊新潮』(2020年10月15日号)の記事で知られているように、「JCサービス」は矢島氏の影響下にある企業で、同社は委託業務費などの名目で、大樹総研に約5億円を支払っていた。永田町界隈の噂によれば、以前、東京地検特捜部がJCサービスに対し、本格的な捜査を始めたところ、突然、継続するはずの捜査が中止になったという。真相は闇の中だが、一説によれば、当時、官房長官を務めていた菅義偉が動いたんじゃないか、と囁かれている。

  なぜなら、矢島氏と菅総理は個人的に親しく、菅氏は大樹総研の忘年会にも顔を出したり、一緒に食事をするという間柄なのだ。共同通信の論説副委員長を務めていた柿崎明二(かきざき・めいじ)が、菅内閣で首相補佐官になったのも、矢島氏が絡んでいたという。彼は毎年「大樹会」を開催するが、その際、マスコミ陣の中心をなしていたのが柿崎氏であった。テレビのワイドショーでは、菅総理と柿崎氏が同じ「秋田出身」だから、と説明されていたが、実際は、矢島氏の助言があったからだろう。「SBIホールディングス」の北尾吉孝社長を菅総理に紹介したのも矢島氏だと言われている。本当の経緯は謎だが、「国際金融センター誘致計画」が持ち上がった時、その「受け皿都市」が検討されたことがある。ところが、候補地となる都市がどういう訳か東京ではなく、大阪と福岡になったのだ。これは偶然の一致なのかも知れないが、北尾氏は大阪と神戸に誘致する構想を掲げていた。そして、北尾氏は大阪の吉村洋文知事と対談し、吉村知事はその話に大賛成。なんか、“裏”がありそうな話である。

  矢島氏が率いる「大樹総研」には、前回の記事で紹介した「テクノシステム」の代表、生田尚之も頻繁に出入りしていたという。これは何も、矢島氏が太陽光発電に熱中していたから、という訳じゃなく、政財官の人々を招き入れる和風迎賓館、「大樹庵」を持っていたからだ。そこには、幹事長の二階俊博をはじめ、自民党の議員や細野豪志、長島昭久、野田佳彦など旧民主党の政治家も招かれていた。矢島氏が民主党系議員との人脈を築くことができたのは、羽田内閣で官房長官を務めた熊谷弘と浜町市長になった鈴木康友と親密な関係にあったからだ。市長になった鈴木氏は松下政経塾の一期生。同じ一期生には首相になった野田佳彦がいる。同期生ということで、二人は顔見知り。そこで、鈴木氏は友人の矢島氏を野田元首相に紹介したというわけ。矢島氏の人脈は更に広がり、民主党政権時代には、有力株だった細野豪志や安住淳に近づき、その一方で、野党に転落した自民党の菅義偉や二階俊博にも食指を伸ばしていた。

  政界に顔が利く矢島には、もう一つの「呼び水」があった。まるで「パソナ」の南部靖之(なんぶ・やすゆき)が創った「仁風林(にんぷうりん)」を髣髴させるが、矢島氏も有名俳優や人気アイドルを集めて“快楽”のパーティーを開いていたそうだ。この酒池肉林に、どのような政治家や財界人が招かれていたのか分からないが、何となく常連客がいそうな雰囲気である。自民党や民主党には女好きの変態議員が多いから、こっそりと通っている議員もいるんじゃないか? 矢島氏は接待が得意なようで、大樹総研を創設したのも、落選議員を救済するためだ。元民主党衆院議員の鈴木康友が落選した時、しっかりと「勉強」できるようシンクタンクを創ったというが、実際は浪人議員を養うためだろう。選挙に落ちた議員というのは本当に惨めだから、こういった辛い時期に「恩」を売っておくのは得策だ。権力者からすれば、羽振りの良いときに貰う「賄賂」より、落ちぶれたときに頂く「情け」の方が遙かに有り難い。

  マスコミは面白がって、矢島氏のことを「銀座のフィクサー」と呼んでいるが、驚くような権力は持っていないだろう。ただし、彼がある程度の有力者になったのは、各方面に人脈を広げたことにもあるが、著名人を近くに侍らし、「矢島ブランド」を確立した点が大きい。彼は大衆が家柄や肩書、あるいは学歴とか経歴に弱く、権威者の発言にひれ伏すと分かっている。学歴や家柄の点で劣等感を抱く者は、地位の高い者を盲目的に信用する癖があるものだ。矢島氏は平民の弱点を心得ているので、大樹総研に東大卒の元財務官僚や元国会議員などを呼び寄せた。日銀副総裁に就任した若田部昌澄も、かつては総研の客員研究員を務めていたという。また、矢島氏は德川宗家の当主である德川家広(とくがわ・いえひろ)にも目を附けており、德川氏は選挙に出る前、大樹総研の取締役であった。一般的に、彼は翻訳家として知られているが、德川記念財団の理事も務めている。ちなみに、「大樹」という名称は、ブランド好きの矢島氏が德川家の菩提樹である「大樹寺」にあやかって附けたそうだ。

  矢島氏の「ブランド好き」には、もう一つ、興味深いエピソードがある。それは「東京大学 大学院情報学環 SiSOC TOKYO 最高顧問」と印刷された名刺だ。以前、名古屋のベンチャー企業である「DDS」を経営する三吉野健滋社長が、東京大学に「サイバーセキュリティーの共同研究をしたいから、そちらへ3億円を提供したい」と申し込んだことがある。東大はこの提案に慎重であったが、サイバーセキュリティーを専門とする安田浩・東大名誉教授が仲介者になっていたので、東大の方も「安田先生の口添えでしたら」ということで審査を通してしまった。

  こうして2015年に「情報学環セキュア情報化社会研究」という寄付講座が創設される訳だが、どうも寄付金の源流は大樹総研にあったらしい。新設された講座では、「SISCO-TOKYO」というプロジェクトが推進され、東京電機大学や名古屋工業大学の教授が招かれていた。さらに、元財務官僚や日経新聞の編集委員を客員教授に迎えたというから実に用意周到だ。こうした「下拵え」をした上で、三吉野社長と安田教授は、本当の狙いを実現しようとする。二人は東大側に「矢島会長も客員教授に迎えてほしい」と打診したそうだ。しかし、東大側は困惑し、「研究実績が伴わないと、教授会で諒承が得られませんから」と述べて断ったらしい。それでも、大樹総研は諦めなかったようで、「東大情報学環と大樹総研で共同研究をまとめ、それを本にして出版したい」と提案してきた。ところが、大樹総研が示してきた論文のレベルが低すぎたので、出版に至ることはなかったそうだ。

矢島義也 名刺(左  / 矢島氏が作った名刺 )
  しかし、矢島氏は何としても立派な「肩書」が欲しい。そこで彼は勝手に例の名刺を作成し、周りに配り始めたというのだ。もちろん、寄付講座には「最高顧問」というポストは無い。これに気づいた東大は抗議したが、矢島氏は馬耳東風じゃないけど、サラリと流して知らん顔。こうしたトラブルもあってか、5年計画で始まった寄付講座は頓挫する。分割の寄付金が滞納されたこともあって、当初の計画は4年で打ち切りになってしまった。その後、DDSは株価操作の容疑を受けて、金融庁が調査に乗り出すことに。金融庁はDDSの財務調査を行い、架空取引や虚偽記載を見つけたので、DDSは3千330万円の課徴金を支払う破目になったという。

  週刊誌の記者は矢島氏を「政界のフィクサー」とか「永田町のタニマチ」と呼んで“大物扱い”するが、所詮は利権漁りの名人か、公共事業の旨味に付け込む「ニッチ産業」のブローカーといったところだろう。大抵の議員は馴染みの業者に“旨い汁”を吸わせて、恩返しの“キックバック”を期待したり、「1、2割くらいは還元しろよ!」と強要したりする。菅総理の場合は、自分の派閥を持たないから、色々な資金源が必要だ。彼が日本維新の会に太いパイプを持ち、自分の応援団にしているのは、自民党外の「菅派閥」にしたいからだろう。だいたい、菅義偉が総理になれたのは、米国に上洛し、ウォール街の旦那衆に謁見したからだ。たとえ、清和会や宏池会の連中がグチャグチャ言おうが、宗主国アメリカのパワー・エリートに認めてもらえば鬼に金棒で、安倍前総理や麻生副総理でも逆らえない。哀しいけど、これが日本の現実である。

  もっと情けないのは、『正論』や『WiLL』、『Hanada』といった“保守派”雑誌だ。こういったオピニオン雑誌は、支那や朝鮮に反論する定番特集を組、常連執筆者による野党批判を添えればOKだ。菅総理と矢島氏との癒着を詳しく調べて、生々しい記事を掲載するんなてことは無い。自民党を批判する時は、悪口を書いても安全な二階幹事長に焦点を当てればよく、危険な話題には触れないことになっている。原稿を依頼される知識人は、重要な政権批判をしているつもりでも、雑誌の出版社は会社の利益と雑誌の存続が目的なので、地雷を踏むような真似は絶対にしないものだ。

  雑誌の編集者は、読者が離れないように、一応「喜んでもらえる記事」を並べるが、スポンサーが離れてしまうような危ない記事は、たとえ読者に有益であってもNGとなる。花田編集長の『Hanada』は相変わらず、ちょっと保守的な月刊の週刊誌みたいだ。執筆者には『WiLL』と『Hanada』を掛け持ちしているような人物が多く、自民党をヨイショすれば読者が喜ぶと思っているのか、8月号ではまたもや櫻井良子を起用して、安倍晋三にインタビューさせていた。花田氏が喧嘩別れした『WiLL』は、相変わらず同じような特集を並べ、オリンピックと武漢ウイルスでお茶を濁している。それなら、リストラした深田萌絵を再び採用し、支那系帰化人を支援した足立康史を批判すればいいのに、それをしないのは日本維新に何らかの忖度があるんじゃないか?

  『正論』に至っては議論する気にもなれない。大島信三が編集長の頃までは「まとも」だったが、大島編集長が去ってからの凋落は著しく、田北真樹子が編集長になっても復活しないだろう。田北氏は真面目な産経社員なんだろうが、肝心の才能が無い。たぶん、産経新聞がウェッブ版に縮小するように、『正論』も人気を失い、やがては廃刊か、生き残ったとしても、ウェッブ版のミニコミ誌へ転落するだけだ。保守老人が徐々に鬼籍に入れば、『正論』も等しく衰退する。マンネリと無難な記事ばかりの雑誌なんてつまらない。お金を払う読者は、もっと刺戟的な記事を求めているが、雑誌社には地雷が埋まっている領域を突っ走るだけの勇気は無いよねぇ~。

   

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