ウクライナは西歐への入り口
日本のテレビ局はウクライナ紛争が始まってから、ロシア軍の侵攻やウクライナ兵の反撃、あるいは地元国民の動向とか戦争の犠牲者について連日連夜、漫然と報道している。また、戦闘が激化するにつれ、祖国を離れる国民も増えてきたので、日本のメディアも現地の状況を伝えているようだ。しかし、日本のテレビは幾つかの事実を"わざと"無視する。たぶん、実際に起こった事の中には"不都合な事実"があるからだろう。
地上波テレビは戦場となった地元を脱出するウクライナ国民を映し出す。だが、その中に紛れている非ウクライナ人を取り上げることは滅多にない。我々はヨーロッパ人みたいなスラヴ系ウクライナ人ばかり目にするが、ウクライナには結構「エイリアン」が混じっている。この国にはアフリカやアジアからの留学生が多く、彼らも危険を察知して脱出を試みていた。ウクライナ政府の統計によれば、外国からの留学生は7万6千人くらい居て、その内の約25%はアフリカ出身者でしめられているそうだ。特にナイジェリアやモロッコ、エジプトからの学生が大半である。その他の外人留学生といえば、インド人が筆頭で、2万人ほどい居るそうだ。これらの留学生は主に医学やエンジニアリンク、ビジネスなどを学んでいるらしい。
それにしても、どうして彼らはウクライナで勉強しているのか? 各人の意識や目的は様々だろうが、アフリカ人やアジア人の若者は、そんなにウクライナが大好きで、ウクライナ語やロシア語を学んで現地の病院や会社に勤めたいのか? これはどうも違うようだ。BBCによれば、彼らにとってウクライナの大学は、ヨーロッパへの入り口らしい。(Soraya Ali, 'Ukraine : WHy so many African and Indian students were in the country', BBC News, 4 March 2022.) つまり、西歐で就職するための玄関口になっているようだ。何しろ、ウクライナの大学では比較的ハイ・クォリティーの教育が受けられ、そこで得た学位はヨーロッパでも通用するから、ソルボンヌやオックスフォードの代わりになる。しかも、入学条件が"緩い"から外国人も入りやすい。
もっと呆れてしまうのは、多くの授業が英語で行われていることだ。彼らはウクライナ語ではなく"英語"で専門知識を習得するという。なるほど、ウクライナ語で職業訓練を受けたら、就職先はウクライナだになってしまう。たとえロシア語を習得しても、あのロシアで就職活動となれば気分が暗くなる。本心ではイングランドやアメリカに行きたい黒人学生でも、学費と生活費のことを考えれば、ウクライナで学んだ方がいい。ドイツやフランスといった西歐先進国の物価水準はビックリするほど高いから、比較的物価の低いウクライナは"お得"だ。それに、街並みだって歐洲の雰囲気が漂っているから、プラハやブダペストに居るような気分になる。
(左 : 避難を始めたインド人留学生 / 右 : ウクライナの大学で勉強するアフリカ人留学生)
しかし、ウクライナ紛争が勃発したので、アフリカ人やアジア人の留学生は勉強を中断することになったという。だが、「戦時難民」となった彼らは、避難先のポーランドやルーマニアで、「ウクライナ人」とは違った扱いを受けた。ナイジェリアやカメルーン、セネガル、ガボンからの黒人だと、ウクライナの大学からの支援や協力も得られないし、たとえ東歐諸国に逃れることが出来ても"厄介者"扱いだ。それに彼らの祖国も冷酷だから、政府がチャーター便を飛ばして自国民を救い出す、ということもない。日本政府だってロシア在住の邦人には冷たいじゃないか。外務省の役人は快適なオフィスから自国民に訓示を垂れるだけで、あとは「"自腹"と"自助努力"で脱出して下さい」と言うのみ。現金の引き出し制限があるのに、どうやって自分と家族の旅費を工面できるのか?
いくら可哀想な「避難民」といえども、非ヨーロパ人の有色人種となれば、東歐諸国で色々な差別に遭う。アドエモ・アビンボル氏はポーランド行きの列車に乗りたかったが、中々搭乗できなかったという。(Deena Zaru, 'Many nonwhite refugees fleeing caught in limbo at borders amid reports of discrimination', ABC News, 3 March 2022.) やはり、ウクライナ人の方が優先されるそうだ。彼は「俺達の命だって大切なのに」と嘆く。南アフリカのレソト王国から来たリカビソ・レコアサ氏はスロヴァキアとチェコを経由して、友人が住むドイツに逃れたかったが、スロヴァキアの国境を越えることが難しかった。なぜなら、スロヴァキアでもウクライナ人の方が最優先で、アフリカ人は全てのウクライナ人が通過してからじゃないと許可されないらしい。
(左 : アドエモ・アビンボル / 右 : ジェシカ・オラクポ )
ナイジェリア人留学生のジェシカ・オラクポ氏も、ザンビア出身の友人と一緒にウクライナを脱出したそうだが、まるで"野生動物"のような扱いを受けたという。('Nigerian student says she andherfriend were treated like animals trying to flee Ukraine', CBC News, March 2, 2022.) たとえ人種差別を受けても、ウクライナを無事に脱出できた人はまだ良い方で、ポーランドへ逃れた三名のインド人学生は、現地のゴロツキみたいな五人組の男に殴られ、インド人学生の一人は病院送りになったそうだ。(Lorenzo Tondo and Emmanuel Akinwotu, 'People of colour fleeing Ukraine attacked by Polish nationalists', The Guardian, 2 March 2022.) ポーランドでも有色人種の難民に対する反感は強いようで、アフリカ人や中東アジア人の難民は毛嫌いされたそうだ。彼らは列車に乗ろうとした時、ポーランド人の男達から侮辱され、「さっさと国へ帰れ !」と罵られた。
白い肌のウクライナ人なら歓迎だ
外国からの「難民」というのは、所詮「赤の他人」である。受け容れ国の住民からしたら「余計な負担」というか「手間の掛かる厄介者」でしかない。それでも、西歐諸国には親切な人がいるから、ある程度の難民が滞在できる隙間はある。でも、難民の種類や容姿によって扱い方は違ってくる。ウクライナ難民の中にはポーランドやルーマニアを通過して、ドイツやフランス、ブリテン、あるいはアメリカやカナダに逃れる人もいるが、彼らが激しい抵抗に遭うことは少ない。なぜなら、白色難民は好ましく、彼らが長期滞在や帰化申請をしても不愉快になることはないからだ。
ケルト系やゲルマン系の人口減少に悩む歐米諸国にしたら、可愛らしい子供を連れた白人夫婦は歓迎すべき移民である。イラクやシリア、アフガニスタン、ビルマ、エチオピア、ルワンダ、モロッコ、リビアなどからの移民や難民はおぞましく、共存共栄なんて真っ平御免だ。近所に住み着かれたら治安が悪くなるし、自宅の価値も暴落するじゃないか。それに、もしアフリカ人やアラブ人の子供が公立の幼稚園や小学校に入ってきたら、自分の子供と一緒になるので、我が子の将来を考える親なら出来るだけ排除したい。城壁で囲まれた高級住宅地に住む上流階級なら心配無いけど、普通の市街地に住む下層中流階級にしたら一大事。有色難民は「侵掠者(インベイダー)」と変わりがない。ロシアの侵掠によって逃れてきた黒人が、避難先で「侵掠者扱い」となったらギリシア悲劇よりも悲惨である。
(左 : アフリカ大陸からの難民 / 右 : アジフ大陸からの難民 )
歐米のマスメディアにも多少の人種差別があるようで、ウクライナ人の戦争犠牲者には"より"多くの同情が集まるようだ。例えば、三大ネットワークの一つ、CBSのベテラン海外特派員は、ウクライナを特別扱いしていたそうで、「イラクやアフガニスタンとは違う。ここは比較的文明化された都市だ。歐洲の都市と似ている」と述べたらしい。(Janice Gassam Asare 「『青い目のの欧州人が殺されている」ウクライナ報道の人種バイアス』、Forbes Japan、 2022年3月8日)
(上写真 / 「難民」になったウクライナ人の親子 )
BBCでも有色人種の感情を逆撫でするような報道があったそうで、ウクライナの元次長検事が"問題発言"を口にしたそうだ。ウクライナ紛争が彼の感情を揺さぶるのは、金髪の青い目をした歐洲人が殺されているからだという。確かに、アメリカやヨーロッパの白人視聴者からすれば、アフガニスタンでパシュトゥーン人やパキ人が何人死のうが構わない。派遣されたアメリカ兵だって、現地人はみんなゲリラ兵に見えるから、ちょっとでも怪しい行動を取れば、女子供老人でも容赦なく撃ち殺す。
(上写真 / 殺されたら惜しいタイプのウクライナ人)
異人種の命は同胞の命と対等ではない。例えば、アフガニスタンの辺鄙な村で、怪しい雰囲気の住民や奇妙な言葉を喋る山岳民族を4、5人殺したって、そんなのは「付随的損害(コラテラル・ダメージ)」だ。本部へ報告する価値すら無い。司令部の上官だって気にしないだろう。たとえ、誤解に基づく"虐殺"や"鬱憤晴らし"の乱射であっても、部隊の仲間が黙っていれば「問題」にならないし、「存在」すらしなかったことになる。アフガン人の命なんか単なる「数字」だ。「6名死亡」と「10名死亡」のどこに"違い"があるのか? 名前も分からない「挽肉死体」について、米国のFBIや陸軍が調査に乗り出すとは思えない。
歐米諸国と同じく、日本でも人種に基づく難民差別や排外主義を非難する人はいる。だが、そもそも受け容れ国に「選択の自由」が無いことの方がおかしいんじゃないか? 左翼分子は人道主義(ヒューマニズム)とやらを持ち出して、難民拒否の人々を批判するが、どうして外人を引き取ることが「義務」になってしまうのか? 「人権」という概念には、「何時でも何処でも、好きな国へ入ることができる」という特典が含まれているのか? 「人権」というのは地球上に住む人間なら誰でも有している「権利」であるから、アフリカのブッシュマンでもパプアニューギニアの裸族、あるいは北朝鮮の貧民ですら持っている。
しかし、普通の日本人は無条件で「難民」を受け容れることはない。だいたい、飛行機に乗ってやってくる「難民」なんて怪しいぞ。出身国で内戦や紛争が勃発したら、クルド人やビルマ人、ソマリア人でも迎え入れなければならない、と言うが、何割の日本国民がこうした外国人を受け容れるのか? NHKやTBSは昔から熱心に移民・難民の受け容れを主張するが、そこで働く一般職員が憐れな外国人を自宅に迎え入れたというニュースを聞いたことがない。 平穏な生活を大切にする庶民なら、こんな連中が来たら大騒ぎだ。「うちには年頃の娘がいるんだ ! 得体の知れない黒人なんか家に泊められるか !ドアホ !」と叱り飛ばすだろう。
また、もしも20年くらい風呂に入ったことがないインド人が、突然「難民」としてやって来たら、自宅に泊めて風呂に入れてやるのか? 仮にもし、このインド人がトイレで大便をしたら、家族の者はその便器に坐ることは出来まい。さらに、この居候がリビングルームにあるソフアーに寝転がっていたら、家の主人は烈火の如く怒り、問答無用で叩き出したくなるだろう。 ウガンダ人やルワンダ人はもとより、支那人や朝鮮人の難民だって御免蒙る。もし、こんな外人が自宅に住み着いたら、家に帰るのが憂鬱になるじゃないか。もし1ヶ月でも毎日毎日、家に帰る度に彼らの顔を見るとなったら、嫌悪感とストレスで胃が痛くなる。一週間も経てば野球バットで滅多打ちにしたくなるだろう。マスコミに洗脳された日本人は気づかないが、日本へやって来る難民だって、ちゃんと避難先を選んでいる。いくらクルド難民が祖国に帰れないとしても、あの"おぞましい"支那や朝鮮には行かないだろう。やはり、豊かで心優しい日本人がいる国を選んでしまうのだ。
(左 : 出稼ぎ人となるインド人 / 右 : タバコ好きのインド人)
難民問題を研究する専門家や大学教授は、「日本は難民の受け容れ人数が少ない」と説教を垂れるが、誰を受け容れるかは受け容れ国の住民が決めることで、象牙の塔から見下すインテリが決定すべきことではない。例えば、長屋(「メゾン・ド・何とか」というアパートメント)で一人暮らしの女性が、ベトナム人男性を引き取ることはないし、たとえ「強姦したり、風呂場を覗かないから」と約束しても、その日本人女性は絶対に信じない。たぶん、「死んでもイヤ !」と拒絶するだろう。我々はこうした女性を「差別主義者」とか「排外主義者」と糾弾できるのか? これがもし、福山雅治とか竹野内豊なら大歓迎だ。食事や風呂の提供どころか、「えぇぇ~、ちょっと美容室とエステに行くから待っててね !」と頼み、自分の部屋に案内してしまうだろう。
隣人・同胞にするのは同じ種族
(左 : 祖父母が生まれ育った西歐社会で同じように生きる西歐人の親子 / 右 : 異国のフランスで暮らす異人種のイスラム教徒 )
移民や難民の身分で入国した者は、努力して現地に同化し、何年か経った後、ようやく帰化申請を許されるかも知れないが、地元民から「仲間」とは見なされない。確かに、ブリテンへ渡ったアフリカ難民やアラブ移民は、市民講座で英語を学び、イギリス文化に適合するよう努力する。不安な人は頼りになる友人をつくり、学位を取って安定した就職先を見つけることもあるだろう。場合によっては、イスラム教からキリスト教に改宗し、アングリカン教会の信徒になることも有り得る。家族ぐるみの改宗だってあるから、同じ出身国の仲間や親戚はビックリ。中には「裏切者」と言って侮蔑したりする者も出てくる。
しかし、黒いアフリカ人や褐色のアラブ人は、どんなに頑張っても白いアングロ・サクソン人にはなれない。なぜなら、ホスト国の教育や本人の努力では肉体や遺伝子を変えられないからだ。なるほど、有色移民でも優秀なサッカー選手とかラップ・ミュージシャン、ヒップ・ホップ・ダンサー、アクション俳優になれば人々から称讃されるし、大学教授や高度な技術を持つ者、政府や民間で働く通訳、高齢者の尻を拭く介護師、病人を救う医者、銭儲けを教えてくれる経済アナリストになれば、社会に役立つ「良き外国人」と見なされるだろう。だが、才能や特技を有する本人ならともかく、その家族が同じように好かれるかどうかは甚だ疑問である。
( 左 : 黒人のラップ・ミュージシャン / 右 : 黒人俳優のダニエル・カルーヤ)
フランスでは2006年のサルコジ法により、高度な技術や特定の才能に秀でた外国人を優先的に受け容れる体制になったが、これは恐ろしい缼陥(けっかん)を含んでいた。フランス人は所謂「選ばれし移民(immigration choisie)」を迎える代わりに、「押しつけられた移民(immigration subie)」を撥ねつけようとした。ところが、この方針転換には意外な"落とし穴"というか"死角"があった。つまり、招待する移民の配偶者や子供のことを考えていなかったのだ。日本人は単身赴任に馴れているが、外国人は家族で一緒に暮らすことを優先し、離れ離れの処遇を残酷と考える。
(左 : 金メダルを獲得した黒人アスリート / 中央 : 政治学者のイブラヒム・ケンディ / 右 : 政治家のジェイムズ・ボウマン )
確かに、インド人の科学者やギニア人の研究者は、フランス社会に「利益」をもたらすゲストなのかも知れないが、その女房や息子、あるいは娘が"優秀"であるとは限らない。異文化圏から異人種を受け容れることは、国家の将来に深刻な影響をもたらす。例えば、「優秀」だからという理由で、マリ共和国から黒人の陸上選手を迎えたとする。オリンピックで金メダルを獲得すれば国威発揚となるだろう。ただし、彼が黒人を女房にすれば、息子や娘も両親と同じ黒人となる。たとえ、白人と結婚しても、生まれてくる混血児はアフリカ人の人相になってしまうから、配偶者の親が猛反対する。それに、もし異人種の女房がフランス文化に馴染めず、アフリカ出身の黒人だけと付き合い、モスクに通ってベールを纏う生活を続ければ、いつまで経っても「異邦人」のままだ。こういった場合、アフリカ人の妻はフランス語を習得せず、祖国の言葉を使い続ける。
翻って、移民の二世や三世にも厄介な問題は多い。たとえ、母親と違う生活スタイルを選んだ子供であっても、周囲のケルト人やゲルマン人とは明らかに"違う"から、どうしても疎外感を抱くことになる。いくら流暢なフランス語を操っても、どことなく"異質"な感じは拭えず、彼らのアイデンティティーは「よそ者」だ。それに、アスリートやエンジニアの息子でも、親爺の「知能」や「能力」を受け継ぐわけじゃないから、バカ息子が生まれることも有り得る。立派な親爺を持つ"ロクでなし"は存在するし、高名な親と比較されてグレたりする息子なんて珍しくない。
まぁ、親が知識人なら、その子もある程度は知能が高くなる。だが、そうじゃないケースだってあるだろう。例えば、科学者の倅(せがれ)であっても、学校で数学や物理のテストを受けたら平均以下、という移民の子供は少なくない。また、スポーツ選手の娘だからといって運動神経が良いとは限らないし、俊敏なボクサーからどんくさい息子が生まれる場合もある。競馬で毎回優勝するサラブレッドなら、その精子は高値で取引されるが、短距離走の金メダリストに輝いた黒人の精子を欲しがるヨーロッパ人女性はいないだろう。仮に"居た"としても、どこか精神に異常性を持つ白人女性だ。猫を愛するあまり、顔に刺青を彫って「キャット・ウーマン」になる白人もいるから、どんな変人がいてもおかしくはない。黒人女性だと直ぐ「黒猫」になれるから、運送会社のマスコットになれるんじゃないか。
サッカーやバスケットが得意な親でも、祖国での教育レベルが低く、知的好奇心のカケラもない黒人が多いから、その子供が親と同じく「勉学での劣等生」になる確率は高い。「蛙の子は蛙」ということだ。しかも、フランスやネーデルラント、ブリテン、デンマークなどに移住した黒人の二世は、疎外感ゆえに不良となる者も多い。さらに、こうした悪ガキどもが白人警官に逮捕されれば、もっと複雑な問題になる。特に有色人種の子供は、その異質な容姿ゆえに、いくらフランス国籍を有していても、周囲のフランス人から常に「エイリアン」扱いだ。たとえ手錠を掛けられなくても、普段の行動がヤンチャだから、白人警官による職務質問の時に「外人」とか「移民」と見なされる。だが、本人はこの偏見に我慢できず、「俺はフランス生まれのフランス国民だ !」と叫んで、警官に向かって反抗的な態度を示す。
(左 : 「男らしい」アラブ系移民 / 右 : アフリカ難民と親しく触れ合うマクロン大統領 )
ビジネスやお見合いの時と同じく、知らない者同士が暮らす都会では、「見た目」が大切になってくる。「人は外見によらず」というのは、長く付き合ってからの判断だ。フランス国籍を持つマグレブ諸国出身の青年は、普通に街をブラついていても、ベテラン巡査から怪しまれる。時には、いきなり「身分証を見せろ !」と要求されることもあるし、「お前は何処に行くんだ?」という不条理な質問を受けてしまう。中には本能的に抵抗する者や、いきなり逃走する者までいるから、大袈裟な追跡劇に発展する場合もある。とりわけ、発砲逮捕になれば新聞沙汰であろう。不良のガキどもは特に"これ"といった罪を犯していないのに、急に走り出すから警官は犯罪者と思ってしまうのだ。たぶん、彼らには普段隠している"やましい"点があるんだろう。
このような現実を考えてみれば、歐米や日本といった先進国は、異質な移民や難民を受け容れるべきではない。引き取る外国人は同質民族に限る。戦争が勃発して多くのウクライナ人が「避難民」となったが、受け容れ先のドイツやフランス、ブリテンでは激しい反対論は無かった。むしろ、ウクライナ難民を招き入れようとする人までいるくらいだ。中には自宅に招いてもよいと申し出る人までいるらしい。一方、ウクライナから脱出してきたアフリカ人やインド人は、「来るんじゃない !」と門前払いされて、「人種差別だ !」と怒っていた。彼らも途方に暮れているのに、喜んで迎え入れてくれるヨーロッパ人は皆無。仮にいたとしても、NPO法人が臨時のシェルターを用意してくれるくらい。
(左 : ウクライナ人の少女 / 右 : 父親と一緒の幼いウクライナ人 )
大学教授はともかく、常識を備える日本の庶民なら、「扱いの違い」に関して異論はなかろう。なぜなら、「好ましい難民」と「厭な居候」とは明らかに違うからだ。例えば、ウクライナ人の移民や難民なら、フランスやドイツだけじゃなく、アメリカやカナダに渡っても、現地に同化できるだろう。たとえ親がドイツ語とかフランス語、あるいは英語で苦労したとしても、幼い子供なら友達と遊ぶうちに言葉を覚えるし、「見た目」も変わらないから、幼稚園や小学校で差別されることはない。若い夫婦なら避難先に定住するかも知れないし、赤ん坊を産んでも何となく安心だ。近所の白人とは直ぐ仲良くなるし、「外人」や「異邦人」に見えないから、そのまま現地の社会に溶け込む。カナダにもウクライナ系住民は多いけど、彼らがアングロ系国民から毛嫌いされたという話は聞いたことがない。
避難先・移住先に溶け込めるタイプ
映画ファンの日本人なら、こうした「現実」を直ぐ理解できるはずだ。例えば、映画『バイオハザート(Resident Evil)』シリーズでお馴染みのミラ・ジョヴォヴィッチ(Milica B. Jovovich)は、セルビア人の父親とロシア人女優の間に生まれた娘である。彼女の生まれはモスクワじゃなく、ウクライナのキエフ。もう一人有名人を挙げるとすれば、2019年に公開された『ゴジラ(Godzilla)』に出演し、「Dr. Emma Russell」役を演じたヴェラ・ファーミガ(Vera Farmiga)だ。彼女もイギリス系アメリカ人ではなく、ニュージャージー州で生まれたウクライナ人の娘である。二人の女優とも「異邦人」には見えず、普通の"アメリカ白人"に思えてしまう。
( 左 : ミラ・ジョヴォヴィッチ / 中央 : ヴェラ・ファーミガ / 右 : キャサリン・ウィノック )
さらに、もう一人著名なウクライナ系役者といえば、カナダ人女優のキャサリン・ウィノック(Katheryn Winnock)を挙げねばなるまい。彼女は「Historyチャンネル」の大人気ドラマ『ヴァイキングズ(Vikings)』に出演し、一躍人気役者となった。ウクライナ系カナダ人ではあるが、スカンジナヴィアの時代劇に出ても違和感は無い。ヴィノックは伝説の王ラグナー・ロスブロック(Ragner Lothbrok)の妻、「ラガサ(Lagertha)」を演じたが、もし彼女が「スウェーデン人女優」と紹介されても不審に思う人はいないだろう。
古代史を学べば判るけど、ノルマン人はロシアにも進出していたから、彼女のような「ロシア人」や「キエフ人」がいたとしても不思議じゃない。ノヴゴロド(Novgorodskaya Rus)を建てたラドガのリューリック(Rurik of Ladoga)は、たぶん北方種族のヴァリヤーグ(Varyag)を率いる族長であったはず。モンゴル的なロマノフ朝以前の「リューリック朝」を考えれば、ロシアに大勢のスラヴ人やゲルマン人の末裔がていも当然だ。
( 左 : カイリー・バンベリー / 右 :「ラガサ」役を演じたウィノック)
ちなみに、ウィノックは探偵ドラマの『Big Sky』に出演しているが、彼女の相棒というのが、これまた黒人女優のカイリー・バンベリー(Kylie Bunbury)ときている。彼女の母親はポーランド系の白人なんだが、父親がガイアナ出身の黒人だから、バラク・オバマみたいなクレオール黒人だ。彼女がウィノックみたいに「ヴァイキングの女房」を演じたら、きっと視聴者からのブーイングが起こってしまうだろう。さすがに、リベラル派のプロデューサーでも、色黒の混血児を準主役にすることはない。でも、イングランドのテレビ業界には筋金入りの左翼がいるから、英国の時代劇でも、黒人のプリンセスを登場させてしまうのだ。
バンベリーの起用を目にすると、カナダやアメリカの視聴者は、「また、人種的配慮のキャスティングかよぉ~」と嘆きたくなるが、エンタメ業界の"掟"だから仕方がない。米国の人気TVドラマであった『マイアミ・バイス(Miami Vice)』と同じで、二人組の一方が白人だと、もう片方は必ず黒人となる。日本のテレビ・ショッピングでも、「抱き合わせ商法」というのがあって、買いたい品物に余計な「おまけ」が附いてくる。(ここでは関係ないけど、先日、「Beck'sコーヒー」店でコーヒーを注文したら、「パズル&ドラゴンズのカードを店員から貰った。でも、筆者はコレクターじゃないから、処分に困っている。小学生なら欲しがるかも知れない。)
これは歴史的事実みたいなんだけど、新しい土地を求めたヴァイキングは、アイスランドやクリーンランドを経由してカナダに渡ったらしい。考古学者によれば、ニューファンランド島(Newfoundland)やラブラドール地方(Labrador)に住み着いたそうである。ちなみに、「ラブラドール・レトリバー」はこの地域原産の犬種であるらしいが、元々はイングランドやアイルランドにいたそうだ。ラブラドールとゴールデン・レトリバーはちょっと似ているけど、交配種が違うから別々の血縁になるという。でも、どちらも可愛いから日本では大人気。小学生くらいの子供だと、黒ラブよりもバター・スコッチ色のゴールデン・レトリバーを選んでしまうけど、大人はどちらでもいい。仔犬だと両方とも可愛いから関係ないんだろう。
ところが、これが人間だと大違いで、日本人が養子を迎える際、やはり外見は重要で、嫌いな種族だと愛情が湧かない場合がある。それゆえ、何となく罪悪感が芽生えても、アフリカ人の黒ん坊よりも圧倒的に北歐のゲルマン人を選んでしまうのだ。難民をホームスティさせる時だって同じである。受け容れるゲストの人種や容姿は重要だ。いくら可哀想でもルワンダ人やベンガル人、あるいはアフガン人やイラク人では厭である。スラヴ系のウクライナ人やロシア人の方がよっぽどいいし、男性よりも女性の方が好ましい。年齢も若い方がいいから、出来るだけ10代や20代の女性を求める。日本人は本音に正直なのか、髭面のオッさんよりも青い瞳の少女や金髪を靡かせる乙女の方を選んでしまうのだ。
(左 : 若いウクライナ人女性 / ウクライナ人の少女 / アフリカ人の少女 / 右 : イスラム教徒の教師)
こうした選択をする日本人は、やれ「人種差別主義者」だとか、「性差別主義者」、「年齢差別主義者」と非難されてしまうが、私生活での共存なんだから相手を選んで当然だ。そもそも、難民の全てを庇護することはできないから、我々は否応なしに誰かを選ぶことになる。したがって、選ぶ時に「選択基準」があってもおかしくはない。逆に、各家庭に委託する難民を"無差別・無作為"に割り当てたら大変だ。不満を抱く人々が物凄い剣幕で怒鳴り込んでくるだろう。ポーランドやルーマニアでは、黒人の難民に対して嫌がらせが起きたというが、日本人でも隣近所にアフリカ難民やアラブ系移民が住み着いたら、町内会で問題となるはずだ。おそらく、役所に抗議の電話が殺到するぞ。外人に不慣れな親だと、「ウチの娘が通学途中に襲われたらどうするんだ !」と怒り狂ってしまうが、普通の日本人はこうしたヒステリーや不安が人種偏見に基づくとは思っていないのだ。
昔は「怪しい人を見かけたら110番」というポスターまであったから、警察だって外見で人を判断していた。今は「人権教育」が浸透しているから常識的な注意勧告ができない。もし、子供から「どういう人が怪しいの?」と訊かれると、両親や祖父母は答えに窮する。まさか「変な容貌の外国人」とは言えないから、具体的な例を挙げることが出来ず、ただ「知らない人には近づいちゃ駄目」と言うしかない。スウェーデンにはリベラル思想にかぶれたアホな国民が多いので、"可哀想"なイラク難民を自宅に泊めたりする。しかし、無邪気な少年のフリをする難民もいるから、親がちょっと留守にした隙を狙って、彼らの白人娘を強姦する奴もいるそうだ。難民を気前よく受け容れるスウェーデンには、「人を見たら泥棒と思え !」とか「後悔先に立たず !」という言い回しが無いんだろう。
(左 : 怪しく見えるがシカゴ市長になったロリ・ライトフット / 右 : 不気味に見えるが憐れなアジア難民)
歐米諸国から何と言われようが、日本は難民を引き取るべきではない。NHKや朝日新聞の左翼分子は、「日本政府はもっと難民を受け容れろ !」、「欧米並に人権を配慮しろ !」と言いたい放題。しかし、彼らは個人生活で難民を自宅に泊めたり、自分の貯金から難民への支援金を出したことがあるのか? 2千円とか1万円くらいじゃ義援金にならないぞ。高額所得が当たり前のNHK社員なら、500万円とか1千万円くらい寄付をしなきゃ。彼らからすれば、こんな金額は「はした金」と同じだから、ちょっと観光旅行や外食を控えればいいだけだ。
ウクライナ国民は西歐の闇組織に利用され、祖国を失いかけている。だが、幸いにも彼らは西歐人に近いので、避難先の国で新たな生活を築くことができるだろう。いくら愛国心が強いとはいえ、瓦礫になった我が家へ戻って残骸整理となれば泣けてくる。祖国から逃げ出したロシア人も、戦闘が終結したからといって、経済的に疲弊したロシアに戻るのは気が進まないだろう。若いロシア人だと将来を悲観したくなる。今や、ルーブルなんて紙屑同然だ。羽振りが良かったロシア人でも、ルーブの暴落後に貧民になってしまった。「米ドルかユーロで貯金していれば良かった」と後悔しても"後の祭り"だ。賢いロシア人やウクライナ人は、純金や英国ポンドで資産を守っていたんだろうが、一般人はスイスの銀行で外貨預金なんかしていないはずだ。
日本に住むウクライナ人やロシア人は、幾らか日本円で貯め込んでいるから、当分の間は祖国に戻らず、日本で暮らすことになるだろう。まぁ、スパイやマフィア、酌婦と売春婦はともかく、日本にやって来る東歐人やロシア人は、在日参政権を求める反日分子という訳でもないから、ある程度容認されるんじゃないか。これは半分冗談みたいな願望だけど、もしも北方領土に住むロシア人が「貧乏なロシアはイヤだ」と言い出したら、彼らの要望に応じて「日本への併合」を認めてもいい。日本は橋本内閣から安倍内閣まで、さんざんロシアに騙され続けてきたんだから、クレムリンが窮地に陥った時にこそ、奪還のチャンスがある。そもそも、クリミアの併合だって「住民投票」で決めたんだから、住民の意思で「日本への帰属」が決まれば、プーチン大統領も反論できまい。
「戦争が勃発すれば難民が生じる」というのは昔からよくあることだが、難民を受け容れるというのは、絶対的な義務でもなければ普遍的な道徳でもない。例えば、ジンバブエで内戦が起こったからといって、そこから逃れてくる黒人をドイツ人やイギリス人が受け容れる義務は無いし、ヨーロッパ諸国が排斥する方針を取ったとしても、それを国連職員が批判するというのは「お門違い」だ。誰を受け容れ誰を排斥するかは、各国が自主的に決めることで、国連の難民高等弁務官や左翼団体の運営者が、とやかく言うことじゃない。どうして歐米諸国の左翼は、第三世界の難民を排斥する「右翼」を非難するのか? もし、ジンバブエやコンゴから難民が出たら、ボツワナやタンザニアが引き取ればいいじゃないか。あれだけ広い国土があれば、寝袋とテントで生き延びる事ができるだろう。
日本人は戦禍を逃れて西歐に非難するウクライナ人を不憫に思っているが、我々が考えるべき事は、北鮮や支那といったアジア諸国から難民が到来した時の対応である。NHKや朝日新聞を始めとする左翼メディアは、必ず「日本政府は人道的支援をすべきだ !」と騒ぎ立てるぞ。しかし、日本のマスコミ人は本社ビルに難民を迎え入れることはせず、全ての厄介事を政府に丸投げする。ましてや、一般社員が難民を養うなんてことは絶対に有り得ない。たとえ、リベラル派の論説委員や御用学者でも、朝鮮難民やビルマ難民ともなれば玄関先で塩を撒く。「ウチは狭いし、家族がいるから無理」と断ったりしてね。「人道支援は税金で !」というのが、左翼インテリのモットーだ。「口は出すが、金は出さない」というのも左翼の行動原理。倫理道徳は書物の中だけにある。
これは筆者の妄想だけど、麻布や恵比寿、田園調布なんかに「難民宿泊所」が出来たら大騒ぎになるだろうなぁ~。上流階級の国民は「環境問題」に敏感だから。でも、菅直人が選出された東京18区(府中市・武蔵野市)のリベラル住民は、アジア難民を温かく迎えるかも。まさか、「地球市民」を自称する善良市民が、憐れな外人を門前払いにすることはないだろう。でも、中には戸締まりを厳重にしたり、「難民反対 !」の垂れ幕を掲げる住民がいるかも知れないぞ。テレ朝の「スーパー・モーニング」は、こうした冷血漢を取材・報道するのかなぁ~。
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日本のテレビ局はウクライナ紛争が始まってから、ロシア軍の侵攻やウクライナ兵の反撃、あるいは地元国民の動向とか戦争の犠牲者について連日連夜、漫然と報道している。また、戦闘が激化するにつれ、祖国を離れる国民も増えてきたので、日本のメディアも現地の状況を伝えているようだ。しかし、日本のテレビは幾つかの事実を"わざと"無視する。たぶん、実際に起こった事の中には"不都合な事実"があるからだろう。
地上波テレビは戦場となった地元を脱出するウクライナ国民を映し出す。だが、その中に紛れている非ウクライナ人を取り上げることは滅多にない。我々はヨーロッパ人みたいなスラヴ系ウクライナ人ばかり目にするが、ウクライナには結構「エイリアン」が混じっている。この国にはアフリカやアジアからの留学生が多く、彼らも危険を察知して脱出を試みていた。ウクライナ政府の統計によれば、外国からの留学生は7万6千人くらい居て、その内の約25%はアフリカ出身者でしめられているそうだ。特にナイジェリアやモロッコ、エジプトからの学生が大半である。その他の外人留学生といえば、インド人が筆頭で、2万人ほどい居るそうだ。これらの留学生は主に医学やエンジニアリンク、ビジネスなどを学んでいるらしい。
それにしても、どうして彼らはウクライナで勉強しているのか? 各人の意識や目的は様々だろうが、アフリカ人やアジア人の若者は、そんなにウクライナが大好きで、ウクライナ語やロシア語を学んで現地の病院や会社に勤めたいのか? これはどうも違うようだ。BBCによれば、彼らにとってウクライナの大学は、ヨーロッパへの入り口らしい。(Soraya Ali, 'Ukraine : WHy so many African and Indian students were in the country', BBC News, 4 March 2022.) つまり、西歐で就職するための玄関口になっているようだ。何しろ、ウクライナの大学では比較的ハイ・クォリティーの教育が受けられ、そこで得た学位はヨーロッパでも通用するから、ソルボンヌやオックスフォードの代わりになる。しかも、入学条件が"緩い"から外国人も入りやすい。
もっと呆れてしまうのは、多くの授業が英語で行われていることだ。彼らはウクライナ語ではなく"英語"で専門知識を習得するという。なるほど、ウクライナ語で職業訓練を受けたら、就職先はウクライナだになってしまう。たとえロシア語を習得しても、あのロシアで就職活動となれば気分が暗くなる。本心ではイングランドやアメリカに行きたい黒人学生でも、学費と生活費のことを考えれば、ウクライナで学んだ方がいい。ドイツやフランスといった西歐先進国の物価水準はビックリするほど高いから、比較的物価の低いウクライナは"お得"だ。それに、街並みだって歐洲の雰囲気が漂っているから、プラハやブダペストに居るような気分になる。
(左 : 避難を始めたインド人留学生 / 右 : ウクライナの大学で勉強するアフリカ人留学生)
しかし、ウクライナ紛争が勃発したので、アフリカ人やアジア人の留学生は勉強を中断することになったという。だが、「戦時難民」となった彼らは、避難先のポーランドやルーマニアで、「ウクライナ人」とは違った扱いを受けた。ナイジェリアやカメルーン、セネガル、ガボンからの黒人だと、ウクライナの大学からの支援や協力も得られないし、たとえ東歐諸国に逃れることが出来ても"厄介者"扱いだ。それに彼らの祖国も冷酷だから、政府がチャーター便を飛ばして自国民を救い出す、ということもない。日本政府だってロシア在住の邦人には冷たいじゃないか。外務省の役人は快適なオフィスから自国民に訓示を垂れるだけで、あとは「"自腹"と"自助努力"で脱出して下さい」と言うのみ。現金の引き出し制限があるのに、どうやって自分と家族の旅費を工面できるのか?
いくら可哀想な「避難民」といえども、非ヨーロパ人の有色人種となれば、東歐諸国で色々な差別に遭う。アドエモ・アビンボル氏はポーランド行きの列車に乗りたかったが、中々搭乗できなかったという。(Deena Zaru, 'Many nonwhite refugees fleeing caught in limbo at borders amid reports of discrimination', ABC News, 3 March 2022.) やはり、ウクライナ人の方が優先されるそうだ。彼は「俺達の命だって大切なのに」と嘆く。南アフリカのレソト王国から来たリカビソ・レコアサ氏はスロヴァキアとチェコを経由して、友人が住むドイツに逃れたかったが、スロヴァキアの国境を越えることが難しかった。なぜなら、スロヴァキアでもウクライナ人の方が最優先で、アフリカ人は全てのウクライナ人が通過してからじゃないと許可されないらしい。
(左 : アドエモ・アビンボル / 右 : ジェシカ・オラクポ )
ナイジェリア人留学生のジェシカ・オラクポ氏も、ザンビア出身の友人と一緒にウクライナを脱出したそうだが、まるで"野生動物"のような扱いを受けたという。('Nigerian student says she andherfriend were treated like animals trying to flee Ukraine', CBC News, March 2, 2022.) たとえ人種差別を受けても、ウクライナを無事に脱出できた人はまだ良い方で、ポーランドへ逃れた三名のインド人学生は、現地のゴロツキみたいな五人組の男に殴られ、インド人学生の一人は病院送りになったそうだ。(Lorenzo Tondo and Emmanuel Akinwotu, 'People of colour fleeing Ukraine attacked by Polish nationalists', The Guardian, 2 March 2022.) ポーランドでも有色人種の難民に対する反感は強いようで、アフリカ人や中東アジア人の難民は毛嫌いされたそうだ。彼らは列車に乗ろうとした時、ポーランド人の男達から侮辱され、「さっさと国へ帰れ !」と罵られた。
白い肌のウクライナ人なら歓迎だ
外国からの「難民」というのは、所詮「赤の他人」である。受け容れ国の住民からしたら「余計な負担」というか「手間の掛かる厄介者」でしかない。それでも、西歐諸国には親切な人がいるから、ある程度の難民が滞在できる隙間はある。でも、難民の種類や容姿によって扱い方は違ってくる。ウクライナ難民の中にはポーランドやルーマニアを通過して、ドイツやフランス、ブリテン、あるいはアメリカやカナダに逃れる人もいるが、彼らが激しい抵抗に遭うことは少ない。なぜなら、白色難民は好ましく、彼らが長期滞在や帰化申請をしても不愉快になることはないからだ。
ケルト系やゲルマン系の人口減少に悩む歐米諸国にしたら、可愛らしい子供を連れた白人夫婦は歓迎すべき移民である。イラクやシリア、アフガニスタン、ビルマ、エチオピア、ルワンダ、モロッコ、リビアなどからの移民や難民はおぞましく、共存共栄なんて真っ平御免だ。近所に住み着かれたら治安が悪くなるし、自宅の価値も暴落するじゃないか。それに、もしアフリカ人やアラブ人の子供が公立の幼稚園や小学校に入ってきたら、自分の子供と一緒になるので、我が子の将来を考える親なら出来るだけ排除したい。城壁で囲まれた高級住宅地に住む上流階級なら心配無いけど、普通の市街地に住む下層中流階級にしたら一大事。有色難民は「侵掠者(インベイダー)」と変わりがない。ロシアの侵掠によって逃れてきた黒人が、避難先で「侵掠者扱い」となったらギリシア悲劇よりも悲惨である。
(左 : アフリカ大陸からの難民 / 右 : アジフ大陸からの難民 )
歐米のマスメディアにも多少の人種差別があるようで、ウクライナ人の戦争犠牲者には"より"多くの同情が集まるようだ。例えば、三大ネットワークの一つ、CBSのベテラン海外特派員は、ウクライナを特別扱いしていたそうで、「イラクやアフガニスタンとは違う。ここは比較的文明化された都市だ。歐洲の都市と似ている」と述べたらしい。(Janice Gassam Asare 「『青い目のの欧州人が殺されている」ウクライナ報道の人種バイアス』、Forbes Japan、 2022年3月8日)
(上写真 / 「難民」になったウクライナ人の親子 )
BBCでも有色人種の感情を逆撫でするような報道があったそうで、ウクライナの元次長検事が"問題発言"を口にしたそうだ。ウクライナ紛争が彼の感情を揺さぶるのは、金髪の青い目をした歐洲人が殺されているからだという。確かに、アメリカやヨーロッパの白人視聴者からすれば、アフガニスタンでパシュトゥーン人やパキ人が何人死のうが構わない。派遣されたアメリカ兵だって、現地人はみんなゲリラ兵に見えるから、ちょっとでも怪しい行動を取れば、女子供老人でも容赦なく撃ち殺す。
(上写真 / 殺されたら惜しいタイプのウクライナ人)
異人種の命は同胞の命と対等ではない。例えば、アフガニスタンの辺鄙な村で、怪しい雰囲気の住民や奇妙な言葉を喋る山岳民族を4、5人殺したって、そんなのは「付随的損害(コラテラル・ダメージ)」だ。本部へ報告する価値すら無い。司令部の上官だって気にしないだろう。たとえ、誤解に基づく"虐殺"や"鬱憤晴らし"の乱射であっても、部隊の仲間が黙っていれば「問題」にならないし、「存在」すらしなかったことになる。アフガン人の命なんか単なる「数字」だ。「6名死亡」と「10名死亡」のどこに"違い"があるのか? 名前も分からない「挽肉死体」について、米国のFBIや陸軍が調査に乗り出すとは思えない。
歐米諸国と同じく、日本でも人種に基づく難民差別や排外主義を非難する人はいる。だが、そもそも受け容れ国に「選択の自由」が無いことの方がおかしいんじゃないか? 左翼分子は人道主義(ヒューマニズム)とやらを持ち出して、難民拒否の人々を批判するが、どうして外人を引き取ることが「義務」になってしまうのか? 「人権」という概念には、「何時でも何処でも、好きな国へ入ることができる」という特典が含まれているのか? 「人権」というのは地球上に住む人間なら誰でも有している「権利」であるから、アフリカのブッシュマンでもパプアニューギニアの裸族、あるいは北朝鮮の貧民ですら持っている。
しかし、普通の日本人は無条件で「難民」を受け容れることはない。だいたい、飛行機に乗ってやってくる「難民」なんて怪しいぞ。出身国で内戦や紛争が勃発したら、クルド人やビルマ人、ソマリア人でも迎え入れなければならない、と言うが、何割の日本国民がこうした外国人を受け容れるのか? NHKやTBSは昔から熱心に移民・難民の受け容れを主張するが、そこで働く一般職員が憐れな外国人を自宅に迎え入れたというニュースを聞いたことがない。 平穏な生活を大切にする庶民なら、こんな連中が来たら大騒ぎだ。「うちには年頃の娘がいるんだ ! 得体の知れない黒人なんか家に泊められるか !ドアホ !」と叱り飛ばすだろう。
また、もしも20年くらい風呂に入ったことがないインド人が、突然「難民」としてやって来たら、自宅に泊めて風呂に入れてやるのか? 仮にもし、このインド人がトイレで大便をしたら、家族の者はその便器に坐ることは出来まい。さらに、この居候がリビングルームにあるソフアーに寝転がっていたら、家の主人は烈火の如く怒り、問答無用で叩き出したくなるだろう。 ウガンダ人やルワンダ人はもとより、支那人や朝鮮人の難民だって御免蒙る。もし、こんな外人が自宅に住み着いたら、家に帰るのが憂鬱になるじゃないか。もし1ヶ月でも毎日毎日、家に帰る度に彼らの顔を見るとなったら、嫌悪感とストレスで胃が痛くなる。一週間も経てば野球バットで滅多打ちにしたくなるだろう。マスコミに洗脳された日本人は気づかないが、日本へやって来る難民だって、ちゃんと避難先を選んでいる。いくらクルド難民が祖国に帰れないとしても、あの"おぞましい"支那や朝鮮には行かないだろう。やはり、豊かで心優しい日本人がいる国を選んでしまうのだ。
(左 : 出稼ぎ人となるインド人 / 右 : タバコ好きのインド人)
難民問題を研究する専門家や大学教授は、「日本は難民の受け容れ人数が少ない」と説教を垂れるが、誰を受け容れるかは受け容れ国の住民が決めることで、象牙の塔から見下すインテリが決定すべきことではない。例えば、長屋(「メゾン・ド・何とか」というアパートメント)で一人暮らしの女性が、ベトナム人男性を引き取ることはないし、たとえ「強姦したり、風呂場を覗かないから」と約束しても、その日本人女性は絶対に信じない。たぶん、「死んでもイヤ !」と拒絶するだろう。我々はこうした女性を「差別主義者」とか「排外主義者」と糾弾できるのか? これがもし、福山雅治とか竹野内豊なら大歓迎だ。食事や風呂の提供どころか、「えぇぇ~、ちょっと美容室とエステに行くから待っててね !」と頼み、自分の部屋に案内してしまうだろう。
隣人・同胞にするのは同じ種族
(左 : 祖父母が生まれ育った西歐社会で同じように生きる西歐人の親子 / 右 : 異国のフランスで暮らす異人種のイスラム教徒 )
移民や難民の身分で入国した者は、努力して現地に同化し、何年か経った後、ようやく帰化申請を許されるかも知れないが、地元民から「仲間」とは見なされない。確かに、ブリテンへ渡ったアフリカ難民やアラブ移民は、市民講座で英語を学び、イギリス文化に適合するよう努力する。不安な人は頼りになる友人をつくり、学位を取って安定した就職先を見つけることもあるだろう。場合によっては、イスラム教からキリスト教に改宗し、アングリカン教会の信徒になることも有り得る。家族ぐるみの改宗だってあるから、同じ出身国の仲間や親戚はビックリ。中には「裏切者」と言って侮蔑したりする者も出てくる。
しかし、黒いアフリカ人や褐色のアラブ人は、どんなに頑張っても白いアングロ・サクソン人にはなれない。なぜなら、ホスト国の教育や本人の努力では肉体や遺伝子を変えられないからだ。なるほど、有色移民でも優秀なサッカー選手とかラップ・ミュージシャン、ヒップ・ホップ・ダンサー、アクション俳優になれば人々から称讃されるし、大学教授や高度な技術を持つ者、政府や民間で働く通訳、高齢者の尻を拭く介護師、病人を救う医者、銭儲けを教えてくれる経済アナリストになれば、社会に役立つ「良き外国人」と見なされるだろう。だが、才能や特技を有する本人ならともかく、その家族が同じように好かれるかどうかは甚だ疑問である。
( 左 : 黒人のラップ・ミュージシャン / 右 : 黒人俳優のダニエル・カルーヤ)
フランスでは2006年のサルコジ法により、高度な技術や特定の才能に秀でた外国人を優先的に受け容れる体制になったが、これは恐ろしい缼陥(けっかん)を含んでいた。フランス人は所謂「選ばれし移民(immigration choisie)」を迎える代わりに、「押しつけられた移民(immigration subie)」を撥ねつけようとした。ところが、この方針転換には意外な"落とし穴"というか"死角"があった。つまり、招待する移民の配偶者や子供のことを考えていなかったのだ。日本人は単身赴任に馴れているが、外国人は家族で一緒に暮らすことを優先し、離れ離れの処遇を残酷と考える。
(左 : 金メダルを獲得した黒人アスリート / 中央 : 政治学者のイブラヒム・ケンディ / 右 : 政治家のジェイムズ・ボウマン )
確かに、インド人の科学者やギニア人の研究者は、フランス社会に「利益」をもたらすゲストなのかも知れないが、その女房や息子、あるいは娘が"優秀"であるとは限らない。異文化圏から異人種を受け容れることは、国家の将来に深刻な影響をもたらす。例えば、「優秀」だからという理由で、マリ共和国から黒人の陸上選手を迎えたとする。オリンピックで金メダルを獲得すれば国威発揚となるだろう。ただし、彼が黒人を女房にすれば、息子や娘も両親と同じ黒人となる。たとえ、白人と結婚しても、生まれてくる混血児はアフリカ人の人相になってしまうから、配偶者の親が猛反対する。それに、もし異人種の女房がフランス文化に馴染めず、アフリカ出身の黒人だけと付き合い、モスクに通ってベールを纏う生活を続ければ、いつまで経っても「異邦人」のままだ。こういった場合、アフリカ人の妻はフランス語を習得せず、祖国の言葉を使い続ける。
翻って、移民の二世や三世にも厄介な問題は多い。たとえ、母親と違う生活スタイルを選んだ子供であっても、周囲のケルト人やゲルマン人とは明らかに"違う"から、どうしても疎外感を抱くことになる。いくら流暢なフランス語を操っても、どことなく"異質"な感じは拭えず、彼らのアイデンティティーは「よそ者」だ。それに、アスリートやエンジニアの息子でも、親爺の「知能」や「能力」を受け継ぐわけじゃないから、バカ息子が生まれることも有り得る。立派な親爺を持つ"ロクでなし"は存在するし、高名な親と比較されてグレたりする息子なんて珍しくない。
まぁ、親が知識人なら、その子もある程度は知能が高くなる。だが、そうじゃないケースだってあるだろう。例えば、科学者の倅(せがれ)であっても、学校で数学や物理のテストを受けたら平均以下、という移民の子供は少なくない。また、スポーツ選手の娘だからといって運動神経が良いとは限らないし、俊敏なボクサーからどんくさい息子が生まれる場合もある。競馬で毎回優勝するサラブレッドなら、その精子は高値で取引されるが、短距離走の金メダリストに輝いた黒人の精子を欲しがるヨーロッパ人女性はいないだろう。仮に"居た"としても、どこか精神に異常性を持つ白人女性だ。猫を愛するあまり、顔に刺青を彫って「キャット・ウーマン」になる白人もいるから、どんな変人がいてもおかしくはない。黒人女性だと直ぐ「黒猫」になれるから、運送会社のマスコットになれるんじゃないか。
サッカーやバスケットが得意な親でも、祖国での教育レベルが低く、知的好奇心のカケラもない黒人が多いから、その子供が親と同じく「勉学での劣等生」になる確率は高い。「蛙の子は蛙」ということだ。しかも、フランスやネーデルラント、ブリテン、デンマークなどに移住した黒人の二世は、疎外感ゆえに不良となる者も多い。さらに、こうした悪ガキどもが白人警官に逮捕されれば、もっと複雑な問題になる。特に有色人種の子供は、その異質な容姿ゆえに、いくらフランス国籍を有していても、周囲のフランス人から常に「エイリアン」扱いだ。たとえ手錠を掛けられなくても、普段の行動がヤンチャだから、白人警官による職務質問の時に「外人」とか「移民」と見なされる。だが、本人はこの偏見に我慢できず、「俺はフランス生まれのフランス国民だ !」と叫んで、警官に向かって反抗的な態度を示す。
(左 : 「男らしい」アラブ系移民 / 右 : アフリカ難民と親しく触れ合うマクロン大統領 )
ビジネスやお見合いの時と同じく、知らない者同士が暮らす都会では、「見た目」が大切になってくる。「人は外見によらず」というのは、長く付き合ってからの判断だ。フランス国籍を持つマグレブ諸国出身の青年は、普通に街をブラついていても、ベテラン巡査から怪しまれる。時には、いきなり「身分証を見せろ !」と要求されることもあるし、「お前は何処に行くんだ?」という不条理な質問を受けてしまう。中には本能的に抵抗する者や、いきなり逃走する者までいるから、大袈裟な追跡劇に発展する場合もある。とりわけ、発砲逮捕になれば新聞沙汰であろう。不良のガキどもは特に"これ"といった罪を犯していないのに、急に走り出すから警官は犯罪者と思ってしまうのだ。たぶん、彼らには普段隠している"やましい"点があるんだろう。
このような現実を考えてみれば、歐米や日本といった先進国は、異質な移民や難民を受け容れるべきではない。引き取る外国人は同質民族に限る。戦争が勃発して多くのウクライナ人が「避難民」となったが、受け容れ先のドイツやフランス、ブリテンでは激しい反対論は無かった。むしろ、ウクライナ難民を招き入れようとする人までいるくらいだ。中には自宅に招いてもよいと申し出る人までいるらしい。一方、ウクライナから脱出してきたアフリカ人やインド人は、「来るんじゃない !」と門前払いされて、「人種差別だ !」と怒っていた。彼らも途方に暮れているのに、喜んで迎え入れてくれるヨーロッパ人は皆無。仮にいたとしても、NPO法人が臨時のシェルターを用意してくれるくらい。
(左 : ウクライナ人の少女 / 右 : 父親と一緒の幼いウクライナ人 )
大学教授はともかく、常識を備える日本の庶民なら、「扱いの違い」に関して異論はなかろう。なぜなら、「好ましい難民」と「厭な居候」とは明らかに違うからだ。例えば、ウクライナ人の移民や難民なら、フランスやドイツだけじゃなく、アメリカやカナダに渡っても、現地に同化できるだろう。たとえ親がドイツ語とかフランス語、あるいは英語で苦労したとしても、幼い子供なら友達と遊ぶうちに言葉を覚えるし、「見た目」も変わらないから、幼稚園や小学校で差別されることはない。若い夫婦なら避難先に定住するかも知れないし、赤ん坊を産んでも何となく安心だ。近所の白人とは直ぐ仲良くなるし、「外人」や「異邦人」に見えないから、そのまま現地の社会に溶け込む。カナダにもウクライナ系住民は多いけど、彼らがアングロ系国民から毛嫌いされたという話は聞いたことがない。
避難先・移住先に溶け込めるタイプ
映画ファンの日本人なら、こうした「現実」を直ぐ理解できるはずだ。例えば、映画『バイオハザート(Resident Evil)』シリーズでお馴染みのミラ・ジョヴォヴィッチ(Milica B. Jovovich)は、セルビア人の父親とロシア人女優の間に生まれた娘である。彼女の生まれはモスクワじゃなく、ウクライナのキエフ。もう一人有名人を挙げるとすれば、2019年に公開された『ゴジラ(Godzilla)』に出演し、「Dr. Emma Russell」役を演じたヴェラ・ファーミガ(Vera Farmiga)だ。彼女もイギリス系アメリカ人ではなく、ニュージャージー州で生まれたウクライナ人の娘である。二人の女優とも「異邦人」には見えず、普通の"アメリカ白人"に思えてしまう。
( 左 : ミラ・ジョヴォヴィッチ / 中央 : ヴェラ・ファーミガ / 右 : キャサリン・ウィノック )
さらに、もう一人著名なウクライナ系役者といえば、カナダ人女優のキャサリン・ウィノック(Katheryn Winnock)を挙げねばなるまい。彼女は「Historyチャンネル」の大人気ドラマ『ヴァイキングズ(Vikings)』に出演し、一躍人気役者となった。ウクライナ系カナダ人ではあるが、スカンジナヴィアの時代劇に出ても違和感は無い。ヴィノックは伝説の王ラグナー・ロスブロック(Ragner Lothbrok)の妻、「ラガサ(Lagertha)」を演じたが、もし彼女が「スウェーデン人女優」と紹介されても不審に思う人はいないだろう。
古代史を学べば判るけど、ノルマン人はロシアにも進出していたから、彼女のような「ロシア人」や「キエフ人」がいたとしても不思議じゃない。ノヴゴロド(Novgorodskaya Rus)を建てたラドガのリューリック(Rurik of Ladoga)は、たぶん北方種族のヴァリヤーグ(Varyag)を率いる族長であったはず。モンゴル的なロマノフ朝以前の「リューリック朝」を考えれば、ロシアに大勢のスラヴ人やゲルマン人の末裔がていも当然だ。
( 左 : カイリー・バンベリー / 右 :「ラガサ」役を演じたウィノック)
ちなみに、ウィノックは探偵ドラマの『Big Sky』に出演しているが、彼女の相棒というのが、これまた黒人女優のカイリー・バンベリー(Kylie Bunbury)ときている。彼女の母親はポーランド系の白人なんだが、父親がガイアナ出身の黒人だから、バラク・オバマみたいなクレオール黒人だ。彼女がウィノックみたいに「ヴァイキングの女房」を演じたら、きっと視聴者からのブーイングが起こってしまうだろう。さすがに、リベラル派のプロデューサーでも、色黒の混血児を準主役にすることはない。でも、イングランドのテレビ業界には筋金入りの左翼がいるから、英国の時代劇でも、黒人のプリンセスを登場させてしまうのだ。
バンベリーの起用を目にすると、カナダやアメリカの視聴者は、「また、人種的配慮のキャスティングかよぉ~」と嘆きたくなるが、エンタメ業界の"掟"だから仕方がない。米国の人気TVドラマであった『マイアミ・バイス(Miami Vice)』と同じで、二人組の一方が白人だと、もう片方は必ず黒人となる。日本のテレビ・ショッピングでも、「抱き合わせ商法」というのがあって、買いたい品物に余計な「おまけ」が附いてくる。(ここでは関係ないけど、先日、「Beck'sコーヒー」店でコーヒーを注文したら、「パズル&ドラゴンズのカードを店員から貰った。でも、筆者はコレクターじゃないから、処分に困っている。小学生なら欲しがるかも知れない。)
これは歴史的事実みたいなんだけど、新しい土地を求めたヴァイキングは、アイスランドやクリーンランドを経由してカナダに渡ったらしい。考古学者によれば、ニューファンランド島(Newfoundland)やラブラドール地方(Labrador)に住み着いたそうである。ちなみに、「ラブラドール・レトリバー」はこの地域原産の犬種であるらしいが、元々はイングランドやアイルランドにいたそうだ。ラブラドールとゴールデン・レトリバーはちょっと似ているけど、交配種が違うから別々の血縁になるという。でも、どちらも可愛いから日本では大人気。小学生くらいの子供だと、黒ラブよりもバター・スコッチ色のゴールデン・レトリバーを選んでしまうけど、大人はどちらでもいい。仔犬だと両方とも可愛いから関係ないんだろう。
ところが、これが人間だと大違いで、日本人が養子を迎える際、やはり外見は重要で、嫌いな種族だと愛情が湧かない場合がある。それゆえ、何となく罪悪感が芽生えても、アフリカ人の黒ん坊よりも圧倒的に北歐のゲルマン人を選んでしまうのだ。難民をホームスティさせる時だって同じである。受け容れるゲストの人種や容姿は重要だ。いくら可哀想でもルワンダ人やベンガル人、あるいはアフガン人やイラク人では厭である。スラヴ系のウクライナ人やロシア人の方がよっぽどいいし、男性よりも女性の方が好ましい。年齢も若い方がいいから、出来るだけ10代や20代の女性を求める。日本人は本音に正直なのか、髭面のオッさんよりも青い瞳の少女や金髪を靡かせる乙女の方を選んでしまうのだ。
(左 : 若いウクライナ人女性 / ウクライナ人の少女 / アフリカ人の少女 / 右 : イスラム教徒の教師)
こうした選択をする日本人は、やれ「人種差別主義者」だとか、「性差別主義者」、「年齢差別主義者」と非難されてしまうが、私生活での共存なんだから相手を選んで当然だ。そもそも、難民の全てを庇護することはできないから、我々は否応なしに誰かを選ぶことになる。したがって、選ぶ時に「選択基準」があってもおかしくはない。逆に、各家庭に委託する難民を"無差別・無作為"に割り当てたら大変だ。不満を抱く人々が物凄い剣幕で怒鳴り込んでくるだろう。ポーランドやルーマニアでは、黒人の難民に対して嫌がらせが起きたというが、日本人でも隣近所にアフリカ難民やアラブ系移民が住み着いたら、町内会で問題となるはずだ。おそらく、役所に抗議の電話が殺到するぞ。外人に不慣れな親だと、「ウチの娘が通学途中に襲われたらどうするんだ !」と怒り狂ってしまうが、普通の日本人はこうしたヒステリーや不安が人種偏見に基づくとは思っていないのだ。
昔は「怪しい人を見かけたら110番」というポスターまであったから、警察だって外見で人を判断していた。今は「人権教育」が浸透しているから常識的な注意勧告ができない。もし、子供から「どういう人が怪しいの?」と訊かれると、両親や祖父母は答えに窮する。まさか「変な容貌の外国人」とは言えないから、具体的な例を挙げることが出来ず、ただ「知らない人には近づいちゃ駄目」と言うしかない。スウェーデンにはリベラル思想にかぶれたアホな国民が多いので、"可哀想"なイラク難民を自宅に泊めたりする。しかし、無邪気な少年のフリをする難民もいるから、親がちょっと留守にした隙を狙って、彼らの白人娘を強姦する奴もいるそうだ。難民を気前よく受け容れるスウェーデンには、「人を見たら泥棒と思え !」とか「後悔先に立たず !」という言い回しが無いんだろう。
(左 : 怪しく見えるがシカゴ市長になったロリ・ライトフット / 右 : 不気味に見えるが憐れなアジア難民)
歐米諸国から何と言われようが、日本は難民を引き取るべきではない。NHKや朝日新聞の左翼分子は、「日本政府はもっと難民を受け容れろ !」、「欧米並に人権を配慮しろ !」と言いたい放題。しかし、彼らは個人生活で難民を自宅に泊めたり、自分の貯金から難民への支援金を出したことがあるのか? 2千円とか1万円くらいじゃ義援金にならないぞ。高額所得が当たり前のNHK社員なら、500万円とか1千万円くらい寄付をしなきゃ。彼らからすれば、こんな金額は「はした金」と同じだから、ちょっと観光旅行や外食を控えればいいだけだ。
ウクライナ国民は西歐の闇組織に利用され、祖国を失いかけている。だが、幸いにも彼らは西歐人に近いので、避難先の国で新たな生活を築くことができるだろう。いくら愛国心が強いとはいえ、瓦礫になった我が家へ戻って残骸整理となれば泣けてくる。祖国から逃げ出したロシア人も、戦闘が終結したからといって、経済的に疲弊したロシアに戻るのは気が進まないだろう。若いロシア人だと将来を悲観したくなる。今や、ルーブルなんて紙屑同然だ。羽振りが良かったロシア人でも、ルーブの暴落後に貧民になってしまった。「米ドルかユーロで貯金していれば良かった」と後悔しても"後の祭り"だ。賢いロシア人やウクライナ人は、純金や英国ポンドで資産を守っていたんだろうが、一般人はスイスの銀行で外貨預金なんかしていないはずだ。
日本に住むウクライナ人やロシア人は、幾らか日本円で貯め込んでいるから、当分の間は祖国に戻らず、日本で暮らすことになるだろう。まぁ、スパイやマフィア、酌婦と売春婦はともかく、日本にやって来る東歐人やロシア人は、在日参政権を求める反日分子という訳でもないから、ある程度容認されるんじゃないか。これは半分冗談みたいな願望だけど、もしも北方領土に住むロシア人が「貧乏なロシアはイヤだ」と言い出したら、彼らの要望に応じて「日本への併合」を認めてもいい。日本は橋本内閣から安倍内閣まで、さんざんロシアに騙され続けてきたんだから、クレムリンが窮地に陥った時にこそ、奪還のチャンスがある。そもそも、クリミアの併合だって「住民投票」で決めたんだから、住民の意思で「日本への帰属」が決まれば、プーチン大統領も反論できまい。
「戦争が勃発すれば難民が生じる」というのは昔からよくあることだが、難民を受け容れるというのは、絶対的な義務でもなければ普遍的な道徳でもない。例えば、ジンバブエで内戦が起こったからといって、そこから逃れてくる黒人をドイツ人やイギリス人が受け容れる義務は無いし、ヨーロッパ諸国が排斥する方針を取ったとしても、それを国連職員が批判するというのは「お門違い」だ。誰を受け容れ誰を排斥するかは、各国が自主的に決めることで、国連の難民高等弁務官や左翼団体の運営者が、とやかく言うことじゃない。どうして歐米諸国の左翼は、第三世界の難民を排斥する「右翼」を非難するのか? もし、ジンバブエやコンゴから難民が出たら、ボツワナやタンザニアが引き取ればいいじゃないか。あれだけ広い国土があれば、寝袋とテントで生き延びる事ができるだろう。
日本人は戦禍を逃れて西歐に非難するウクライナ人を不憫に思っているが、我々が考えるべき事は、北鮮や支那といったアジア諸国から難民が到来した時の対応である。NHKや朝日新聞を始めとする左翼メディアは、必ず「日本政府は人道的支援をすべきだ !」と騒ぎ立てるぞ。しかし、日本のマスコミ人は本社ビルに難民を迎え入れることはせず、全ての厄介事を政府に丸投げする。ましてや、一般社員が難民を養うなんてことは絶対に有り得ない。たとえ、リベラル派の論説委員や御用学者でも、朝鮮難民やビルマ難民ともなれば玄関先で塩を撒く。「ウチは狭いし、家族がいるから無理」と断ったりしてね。「人道支援は税金で !」というのが、左翼インテリのモットーだ。「口は出すが、金は出さない」というのも左翼の行動原理。倫理道徳は書物の中だけにある。
これは筆者の妄想だけど、麻布や恵比寿、田園調布なんかに「難民宿泊所」が出来たら大騒ぎになるだろうなぁ~。上流階級の国民は「環境問題」に敏感だから。でも、菅直人が選出された東京18区(府中市・武蔵野市)のリベラル住民は、アジア難民を温かく迎えるかも。まさか、「地球市民」を自称する善良市民が、憐れな外人を門前払いにすることはないだろう。でも、中には戸締まりを厳重にしたり、「難民反対 !」の垂れ幕を掲げる住民がいるかも知れないぞ。テレ朝の「スーパー・モーニング」は、こうした冷血漢を取材・報道するのかなぁ~。
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