無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2022年04月

正義は金で動く / 逃亡者マーク・リッチ(後編)

犯罪者を庇う人々

Marc Rich 8832Denise Rich & Clinton & Michael Jackson








(左 : 晩年のマーク・リッチ   / 右 : クリントン夫妻とマイケル・ジャクソンと一緒のデニス・リッチ  )

  数々の悪事がバレて逃亡者となったマーク・リッチだが、このユダヤ人には意外と味方が多かった。危ない橋を渡って儲ける奴というのは、ヤバくなった時に備えて、事前に色々な"保険"を掛けておくものだ。特に、何処でも“嫌われ者”になってしまうユダヤ人は同胞に頼ることが多く、社会的影響力を有する大物やユダヤ人団体、政治家にコネが利く財団などに寄付しておく。そうすれば、彼らと親しくなれるので、有事に直面した際、"友人"からの掩護を期待できるのだ。

Abraham Foxman 13234(左  / エイブラハム・フォックスマン )
  マーク・リッチが昵懇にしていた組織で注目すべきなのは、米国で絶大な権力を誇る「ADL(名誉毀損防止同盟)」と「AJC(米国ユダヤ人議会)」である。ADLはビル・クリントン大統領に恩赦依頼の書簡を送る1ヶ月前、リッチから10万ドルの寄付を受けていた。(Brian Blomquist, 'Rich Tried To Tempt Jewish Group', New York Post, March 29, 2001.) もちろん、ADLの代表であるエイブラハム・フォックスマン(Abraham Foxman)は、嘆願書と小切手は関係ないと言い張っていた。しかし、ADLはリッチが米国を逃げ出した頃から、すなわち1983年以来、合計で25万ドルの寄付金を貰っていたのだ。(Justice Undone : Clemency Decisions in the Clinton White House, House of Representative Report 454, Second Report by the Committee on Government Reform, U.S. Government Printing Office, Washington, 2002, p.167.) これじゃあ、どう見たって怪しいじゃないか。

  「AJC(American Jewish Congress)」の方もリッチからのアプローチがあったようで、かなりの金額を提示されたらしい。どれくらいの寄付金を貰ったのかは明らかにされていないが、運営担当者のフィル・バウム(Phillip Baum)は報道陣に対し、献金と支援とは関係ないと語っていた。AJC会長のジャック・ローゼン(Jack Rosen)は、リッチの代理人から依頼を受けた際、恩赦の嘆願書を書くつもりはないと断っていたそうだ。

Jack Rosen 1Michael Steinhardt 001Marlene Post 01









(左 : ジャック・ローゼン  /  中央 : マイケル・シュタインハルト  / 右 : マリーン・ポスト  )

  一方、リッチは別のユダヤ人組織に対しても“黄金の饅頭”を贈っていたそうで、「Birthright Israel」の創設者であるマイケル・シュタインハルト(Michael Steinhardt)、そして北米支部のマリーン・ポスト(Marlene Post)会長は、リッチからの"毒饅頭"を食べた可能性が高い。(この「Birthright Israel」は、イスラエルを訪問あるいは旅行しようとするユダヤ人の若者にお金を与える団体である。) 言い訳は何であれ、リッチが500万ドルを寄付すると約束したら、早速この団体はさっそく動き出した。

  もう呆れてしまうけど、統括者のポスト氏は嘆願書を作成する際、わざわざ「Birthright Israel」のロゴが印刷された便箋を使っていたというのだ。団体スポークスマンのジョー・ワグナー(Joe Wagner)氏によれば、シュタインハルト氏も「Birthright Israel」の便箋を用いて嘆願書を認(したた)めたという。なるほど、彼は前々からリッチと親しかったから、窮地に陥った親友のために一肌脱いだのかも知れない。シュタインハルト氏は嘆願書の中で次のように述べていた。

  ・・・・私は友人であるマーク・リッチの代わりに訴えます。私が思うに、彼は充分に罰せられました。1980年代初頭、マーク・リッチが訴追された件に関しては議論の余地はあります。だが、その前後を問わず、彼が成功したビジネスマンであり、恐ろしい経験をしたことには間違いない。彼はずっとビジネスで成功を収めてきました。彼は責任ある父親であり、祖父であり、息子でもある。と同時に、生涯を通しての比類無き慈善家でもあります。一つの経験を除いて、マークは非の打ち所の無い称讃に値する人生を送ってきました。(Letter to President William Jefferson Clinton from Michael H. Steinhardt on December 7, 2000.)

  いやぁぁ~、ホント、ユダヤ人の友情は素晴らしい。どんな悪人にも良い点はある。でも、日本人がこうした書簡を読めば唖然とするだろう。我々は恥知らずな擁護論と屁理屈に辟易してしまうが、同胞愛に満ちたユダヤ人は何とも思わない。アメリカやヨーロッパ、あるいはイスラエルに住むユダヤ人は、澄ました顔で「いつもの事さ !」と受け流す。報道陣は事件に飛びつき、あれやこれやとゴチャゴチャ騒いでいたけど、マスコミに対応するワグナー氏は至って冷静。恩赦要求は寄付金の「見返り(quid pro quo)」じゃない、ときっぱり否定していた。

Irving Greenberg 1( 左 / アーヴィン・グリーンバーグ )
  つくづく思うけど、ユダヤ人は本当に仲間思いだ。例えば、「米国ホロコースト記念博物館評議会(U.S. Holocaust Memorial Museum Council)」で会長を務めるラビ(Rabbi)のアーヴィン・グリーンバーグ(Irving Greenberg)も、リッチを助けたいユダヤ人の一人だった。この宗教指導者も所属団体の権威を利用したようで、わざわざ団体名が印刷された便箋を使い、リッチの恩赦依頼を書いていた。(House of Representative Report 454, p.168.) さらに言うと、このグリーンバーグ師というのは、「Birthright Israel」の姉妹団体である、「Jewish Life Network」の議長も務めていた人物だ。何とも慈愛に満ちたグリーンバーグ師であるが、リッチからの金銭は貰っていないという。さぁぁ~すが、ユダヤ人。同胞のためなら無償で動く。これがブルックリンの黒人なら居留守か居眠り、さもなくば目玉が飛び出るほどの謝礼を要求したりして。

Ehud Olmert 002( 左 / エフード・オルメルト )
  困っている同胞を救うのは、何も宗教家だけじゃない。政治家も助け船を出す。例えば、2006年から2009年のでイスラエルの首相を務めたエフード・オルメルト(Ehud Olmert)は、1993年から2003年までイェルサレムの市長だった。1993年、オルメルト氏が始めて市長選に立候補した時、リッチはオルメルトに2万5千ドルを寄付していたそうだ。(William A. Olme, Jr. , 'Marc Rich Aided Israeli Official', New York Times, February 22, 2001.)  しかし、この政治献金は数あるギフトの一部であった。「コネ社会」の利点を知っていたリッチは、様々な人や団体に"餌"をバラ撒いていたようで、イスラエルにある文化・医療・教育に関する組織に約1億ドルを投じていた。

  そして、リッチの"慈善活動"はイスラエルやアメリカに留まらず、本拠地のスイスでも行われていた。このユダヤ商人は1986年、「ドロン財団(Doron Foundation)」という組織を拵え、6万3千ドルをかけて「ドロン賞(Doron Prize)」を創設した。そして、スイスの個人や団体にこの賞を与え、各分野に食指を伸ばしていた。(Elizabeth Olson, 'Pardon in U.S. For Marc Rich Creates Storm In Switzerland', New York Times, February 4, 2001.)  この餌撒きが功を奏したのか、約52名の著名人がリッチを支援する書簡にサインを連ねたのである。

      例えば、チューリッヒ市長のヨセフ・エスターマン(Josef Estermann)とか、UBS銀行の重役であるピェール・デ・ヴェック(Pierre de Weck)、「Union Bancaire Privée(ジュネーヴを本拠地とするプライヴェート・バンク)」のマイケル・デ・ピチートー(Michael de Picciotto)、スイス赤十字の代表を退任したカート・ボリンガー(Kurt R. Bollinger)などである。しかし、リッチの恩赦を求める「支援者」の中には、身に覚えがない人やインタヴューを断る人もいたという。

Josef Estermann 02Pierre de Weck 133Michael de Picciotto 112









(左  : ヨセフ・エスターマン / 中央 : ピェール・デ・ヴェック  /  右 : マイケル・デ・ピチートー )

  リッチから利益を得る人々が彼の恩赦を求めるのは理解できるけど、別れた女房までが元亭主の熱心な支援者になるのは、ちょっと奇妙だ。確かに、マーク・リッチはデニス・リッチ(Denise Rich / 旧姓 : アイゼンバーグ)夫人との間に三人の娘をもうけていたが、この碌でなし亭主は家庭を顧みないダメ親爺で、仕事ばかりにあくせくしていた。しかも、1990年頃になると夫婦仲が冷めてしまったのか、ジゼーラ・ロッシ(Gisela Rossi)という若いモデルを愛人にしていたというのだ。この姦通に対しては、さすがのデニスも堪忍袋の緒が切れたようで、二人は1991年に離婚する。しかし、離婚訴訟が泥沼化するなか、娘のガブリエル(Gabrielle)が白血病に罹り、1996年に亡くなってしまう。娘の死去でデニスは精神的に参ってしまい、報道によれば、不貞の元夫マークを赦すようになったらしい。

Gisela Rossi & Marc Rich 1Denise Rich 1213








(左 : 愛人のゼーラ・ロッシとマーク・リッチ   /  右 : 元夫人のデニス・リッチ )

  ところが、この「お涙頂戴話」は建前であった。実は、元亭主のマークがデニスに金銭をちらつかせていたのだ。もし恩赦のために奔走してくれたら、彼女の財団に100万ドルの寄付をする、とマークは約束していたという。(House of Representative Report 454, p.180.) というのも、愛する娘を失ったデニスは、「G&P Charitable Foundation」という財団を創っており、癌治療の研究に資金を流していたから、大口の献金は大歓迎。だいたい、別れた女房が自分を裏切った元亭主を支援するなんて、どう考えてもおかしいじゃないか ! やはり、金が動機だろう。

Bill & Hilary Clinton 001(左  /  大統領時代のビル・クリントンとヒラリー)
  犯罪者の恩赦を得るためには、直接クリントン大統領に働きかけるのが一番いい。そこで、社交界のマダムを気取ったデニスは、1993年から2000年にかけて、政界に110万ドルをバラ撒き、クリントン政権末期の1998年から2000年にかけて、62万5千ドルを民衆党に流した。(House of Representative Report 454, p.175.) ウィリアムとヒラリーのクリントン夫妻は、マモン(銭の神)でさえ三舎を避ける程の銭ゲバだ。彼らは札束を見ると胸がときめく。どんな悪党でも天使のように扱い、満面の笑みを浮かべて抱擁(ハグ)する。デニスはビル・クリントンが相手なら、ハニー・トラップでも構わないが、彼女は建設予定のクリントン・ライブラリーに目を附けた。1998年から2000年にかけて、デニスは45万ドルをクリントンの図書館に寄付したそうだ。(House of Representative Report 454, p.176.)

Avner Azulay 11(左  / アヴナー・アズレイ )
  デニスの他にも、マーク・リッチには頼もしい味方がいて、それがモサド(Mossad)の高官であったアヴナー・アズレイ(Avner Azulay)である。いかにも狡猾なリッチらしいが、彼はアズレイを自分の組織である「マーク・リッチ財団」と「ドロン財団」の総裁に据えた。アズレイはリッチの恩赦を求めるチームを統括する中心的人物で、彼はイスラエルやヨーロッパ、アメリカを駆けずり回り、様々な人物に働きかけていた。アブラハム・フォックスマンやアーヴィン・グリーンバークに加え、ホロコースト・ビジネスで儲けていた、あの詐欺師エリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel)を動かしたのもアヴナーであった。(ヴィゼールの嘘は彼の晩年と死後に暴露されたが、ここでは触れないことにする。)

  アヴナーは支援者集めに奔走したが、その中には政治家や宗教家、ビジネスマンだけじゃなく、貴族までもが含まれていた。例えば、アヴナーはスペイン国王であるホアン・カルロス(King Juan Carlos)陛下にも声を掛けていたのだ。なぜ、スペインの国家元首が悪党のユダヤ人に加担したのかは明らかではない。しかし、幾つかの推測が囁かれていた。(House of Representative Report 454, p.195.) ある憶測によれば、カルロス国王はリッチを支援するマドリッドのユダヤ人コミュニティーに依頼され、この逃亡者を庇う勢力に賛同したのかも知れない、というのだ。

  クリントン大統領の補佐官を務めていたジョン・ポデスタ(John Podesta)によれば、カルロス国王は元ニュー・ヨーク大学の総長ジョン・ブラデマス(John Brademas)からの電話をもらっていたそうだ。このブラデマスは政界の大物で、元々はインディアナ州選出の下院議員(民衆党)。民衆党が議会で多数派の時、ブラデスマは下院総裁(Majority Whip)になっていた。となれば、ワシントンの重鎮クラスと言っていい。さらに、彼は数々の役職に就いており、「American Dichley Foundation」の会長や「ロックフェラー財団」の理事、「ニュー・ヨーク連邦準備銀行(FRB New York)」の理事などを歴任していた。ブラデマスが亡くなる前の2011年、カルロス国王は彼に「Order of Isabella the Catholic」という勲章を与えていた。おそらく、二人は親密な間柄であったのだろう。

King Juan Carlos 1John Brademas 002Shlomo Ben Ami 12


  





( 左 : ホアン・カルロス国王 /  中央 : ジョン・ブラデマス  / 右 : シュロモ・ベン・アミ )

  確実な証拠は無いが、もしかするとユダヤ人の大物に助けを求めていたアヴナーは、イスラエルの外務大臣であるシュロモ・ベン・アミ(Shlomo Ben Ami)にも接触していたのかも知れない。このベン・アミはカルロス国王と一緒にリッチの恩赦を求め、クリントン大統領に働きかけていた。西歐史を学校で習った日本人は、イザベラ女王の時代に、多くのユダヤ人が追放されたと教えられている。だが、この異民族はしぶとく生き残っていた。一部のユダヤ系国民は、未だにスペインで隠然とした権力を有しているのかも知れない。君主政とフランコ将軍に反対するスペインの左翼陣営には、かつて「マラーノ(キリスト教に改宗したユダヤ人)」と呼ばれたユダヤ人の子孫や、復讐に燃える外国のユダヤ人が混ざっていた。

  ユダヤ人のネットワークは世界各地に張り巡らされている。異国に根を張る者やイスラエルが植え付けた「草(忍び)」、モサドに協力する現地人など、あらゆる分野に同胞が潜んでいる。マーク・リッチの顧問弁護士は、法学を専門にするマーティン・ギンズバーグ(Martin Ginsburg)教授やバーナード・ウォルフマン(Bernard Wolfman)教授に依頼し、彼らを"独立"の分析官に仕立て上げた。(House of Representative Report 454, p.160.) しかし、これはペテンだ。なぜなら、ウォルフマン教授はリッチの会社に雇われたコンサルタントであったし、彼は時給250ドルから300ドルを貰っていたのだ。しかも、恩赦を法的に分析した報酬として3万754ドルを受け取っていた。

Bernard Wolfman 111Martin Ginsburg 455Ruth Bader Ginsburg 99921









( 左 :  バーナード・ウォルフマン / 中央 : マーティン・ギンズバーグ  /  右 : ルース・ベイダー・ギンズバーグ )

  ギンズバーグ教授も同じ穴のムジナで、彼はリッチの裁判に関する仕事で6万6千199ドルを貰っていたのだ。しかも、この法学者はユダヤ人の連邦最高裁判事、あのルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsbueg)の夫であった。それゆえ、ギンズバーグ教授は、とても「中立」とか「独立」の法学者と呼べる人物じゃない。「良心派」とか「進歩派」、あるいは「人権派」と称するリベラル派のユダヤ人でも、同胞の裁判とか審査になれば、矢鱈と“同情的”になるから、判断力や洞察力の乏しい西歐人は、ユダヤ人の修辞や論理にコロっと騙される。明治の頃、日本の庶民は弁護士(詭弁を弄して他人を騙す代弁者)を指して「三百代言」と侮蔑したものだ。しかし、今では「人権派弁護士」とか「国際弁護士」という肩書きが持て囃され、犯罪者を無実にする技術者がやたらと尊敬されている。

  とにかく、普通の日本人がマーク・リッチの恩赦を求めた面々を見れば、「どうして、こんな奴を助けてやるのか?」と訝(いぶか)しく思うだろう。何しろ、リッチは脱税や詐欺、恐喝、違法ビジネスに手を染めた廉で訴追され、1億5千万ドルの罰金を払い、恩赦で帰国してからもニュー・ヨーク州から1億3千780万ドルの追徴課税を請求される男だ。それなのに、高い地位や様々な名誉を持つ人々が、この逃亡犯を支援したのである。通常なら、こんな擁護は有り得ない。

  でも、金と女に目がないビル・クリントンは、大統領を退任する直前、すなわち2001年1月20日にマーク・リッチを赦免したのだ。まさしく驚愕のフィナーレだが、クリントン大統領が提出した恩赦リストには、あの“ふてぶてしい”リッチの名前が載っていた。これにはアメリカ国民もビックリ仰天。しかし、有力者からの嘆願書やデニス・リッチからの献金を受けたから、銭ゲバのビル・クリントンが恩赦を与えたのも当然だ。後に暴露された事だけど、クリントン夫妻は様々な“ギフト”を貰っていたという。その中には、油絵、ランプ、椅子、陶器、カーペット、銀食器、キッチン・テーブル、テレビ、ビデオ再生器、ソファー、などがあった。(Alison Mitchell and Raymond Hernandez, 'Lott Criticizes Clintons for Gifts and Pardon of Exiled Trader', New York Times, January 30, 2001.) まぁ、これだけ「プレゼント」を貰ったら、さすがに考えちゃうよねぇ~。

Bill Clinton & Monica Lewinsky 11Bill & Hilary Clinton 0567








(左 : 研修生のモニカ・ルインスキーとビル・クリントン大統領   /  右 : スキャンダルの弁解を述べるクリントン大統領)

  それに、ビル・クリントンだって、女房のヒラリーから不貞を赦してもらった過去がある。一応、バプティスト教会のキリスト教徒だから、どんな罪人にも寛大なんだろう。まだ、クリントンが二期目の大統領職にあった1998年、彼はモニカ・ルインスキー(Monica Lewinsky)との不倫が発覚し、致命的なセックス・スキャンダルに見舞われた。彼女は1995年から1996年にかけて、ホワイトハウスの研修生をしていたのだが、その時に女たらしのクリントンと性的関係をもってしまった。もっとも、ビル・クリントンは彼女に自分のペニスを咥(くわ)えてもらっただけで、本番をやった訳じゃないから、罪は軽いと思っていたのだろう。

  ただ、モニカ嬢の青いドレスに精液が附いてしまったのはマズかった。ところが、女性初の大統領を目指していたヒラリー・クリントンは、夫の裏切り行為を赦し、テレビ局の取材番組で夫の不倫を弁護した。(山崎拓の奥様じゃ出来ないだろう。) 確かに、ヒラリーは遣り手の弁護士だったから、詭弁で「黒」を「灰色」にでっち上げ、最終的に「ほぼ白」に持って行くのが上手い。ちなみに、モニカ・ルインスキーはユダヤ系アメリカ人。彼女の父親バーナード・ルインスキー(Bernard Lewinsky)はドイツ系ユダヤ移民の息子で、母親のマルシア・ルインスキー(Marcia Kay Vilensky)は、リトアニア系ユダヤ人で、サミュエル・ヴィレンスキー(Samuel Vilensky)の娘だ。

Monica Lewinsky & Beanie Feldstein 2Clive Owen & Edie Falco 2








(左  : モニカ・ルインスキー /  ビーニー・フェルドシュタイン  / クライヴ・オーウェン   /  右 : イディー・ファルコ )

  このスキャンダルは2021年、FX(フォックスTVの子会社)によりドラマ化され、『弾劾 / アメリカの犯罪物語(Impeachment : American Crime Story)』というタイトルで放映された。ハリウッド俳優のクライヴ・オーウェン(Clive Owen)がビル・クリントンの役を演じ、ヒラリー役には『ナース・ジャッキー』で有名なイディー・ファルコ(Edie Falco)が抜擢された。そして、モニカ役には、ユダヤ人女優のビーニー・フェルドシュタイン(Beanie Feldstein)が起用された。正常な日本人だと呆れてしまうが、ショウビス界の重役どもは、破廉恥事件を「恥」とは思わず、逆に銭儲けの「種(ネタ)」と考える。現在のアメリカン・リパブリックは、ソドムとゴモラのレプリカ。キリスト教の倫理が存在した昔のアメリカとは、完全に異なっている。

  話を戻す。逃亡犯のマーク・リッチに恩赦が与えられたので、大半のアメリカ国民は激怒したが、リッチの支援者は胸をなで下ろしていた。「モサド」の元長官であったシャバタイ・シャヴィッド(Shabtai Shavit)などは、リッチの恩赦に喜んでいたという。(Douglas Martin, 'Marc Rich, Financier and Famous Fugitive, Dies at 78', New York Times, June 26, 2013.) このユダヤ政商はイスラエルの有力者と昵懇で、二人の元首相、エフード・バラク(Ehud Barak)とシモン・ペレス(ShimonPeres)は、リッチの恩赦をクリントン大統領に頼んでいた。

Shabtai Shavit 333Ehud Barak 00121Shimon Peres 2








(左 : シャバタイ・シャヴィッド /  中央 : エフード・バラク /  右 : シモン・ペレス )

  強欲で狡猾なリッチであったが、閻魔大王からの召喚状には逆らえず、2013年6月、スイスのルツェルン(Lucerne)で息を引き取った。彼の遺体はスイスからイスラエルに輸送され、キブツ・アイナット(Kibbutz Einat)の墓地に埋葬されたという。('Billionaire trader who funded Mossad buried in Israel', The Jewish Chronicle, June 27, 2013.) やはり、ユダヤ人にとって本当の「祖国」はイスラエルだ。たとえ、アメリカ国籍を持っていても、そんなのは只の「紙切れ」に過ぎない。世俗の肉体はニュー・ヨークやロサンジェルスにあっても、その魂はイェルサレムやテルアビブにある。マーク・リッチはロシアやイラン、イラク、リビアで悪行を重ねたが、裏舞台では「心の祖国」であるイスラエルに尽した。それゆえ、モサドが彼の功績に報いたんだろう。マーク・リッチ享年78。




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悪徳商売に専念したユダヤ人 / 逃亡者マーク・リッチ (前編)

ロシアとアメリカで暗躍した政商

Russia & Israel 01Marc Rich 3








  最近では批判するのも厭になるが、日本のマスコミは歐米からの偏向報道を垂れ流すだけの媒体となっている。日本人がどんなにウクライナ人を憐れんでも、所詮は「他人事」で、「対岸の火事」にしか思えない。だから、表面的な同情で終わってしまうのも当然だ。なるほど、ウクライナ紛争では大勢の一般人が被害に遭い、ある者は拷問の末に虐殺され、別の者は着の身着のままの難民となった。でも、歐米の政治家からすれば、ウクライナ国民は単なる「捨て駒」だ。グローバリストに利用されたウクライナ国民は、その大半が何らかの不幸に見舞われ、日本にまで逃げ込む破目になった。

  ただし、我々が注意すべきは、紛争の舞台裏でアメリカの"ネオコン"が糸を引いていることだ。幾人かは素性が露呈しているけど、たぶん表に出ない国際オルガルヒのユダヤ人とか、アメリカの政界を牛耳る金融業者が何らかの談合をしているのかも知れない。そして、なぜかイスラエルは積極的に対露の金融制裁に参加せず、奇妙な中立を保っていた。同じ事を日本がやれば非難囂々だが、イスラエルだと歐米の政治家は沈黙となる。さすがに、政界の大御所でもユダヤ人の旦那衆を叱ることはできないから、なるべく言及しないよう心掛け、ロシア批判だけに専念するしかない。

  今回のウクライナ紛争では、戦争で儲けるユダヤ人が浮き彫りになっている。アメリカがNATOをウクライナにまで拡大したのは、西歐諸国の安全保障というより、プーチン政権の打倒とロシアの掠奪を目指したからだ。相手を挑発し、"最初の一発"を撃たせるのは、アメリカが用いる"いつも"の遣り口だ。つまり、戦争を正当化するための常套手段。侵掠行為の火蓋が切られれば、あとは楽勝で、支配下にあるマスコミを使って宣伝報道を繰り返せばいい。

Boris Berezovsky 1( 左 /  ボリス・ベレゾフスキー)
  元々、アメリカはロシアを"民主化"させるつもりは毛頭なく、最初から銭儲けのカジノにするつもりなんだろう。このユーラシア大陸には石油や天然ガスに加え、稀少金属がザクザク埋まっている。文字通り宝の山だ。それゆえ、ソ連が崩壊した後、歐米のハゲタカ共がロシアに群がった。鷲鼻のユダヤ商人どもは、国営の石油会社を民営化したり、自動車会社を作って売りつけた。政治闘争に敗れて英国へ逃亡したボリス・ベレゾフスキー(Boris Berezovsky)なんかは、「AVVA」という自動車会社を拵えて大儲け。さらに、米国のユダヤ人を真似たのか、彼は「ORT」というテレビ局を創設し、雑誌社や新聞社まで手に入れていたのだ。

  もう、ユダヤ人のオルガルヒはどいつもこいつも、やりたい放題。そこに、米国のビル・クリントン大統領が参加してきたから、売国奴のボリス・エリツィンは、この銭ゲバ大統領を大歓迎。ユダヤ人の手先となったクリントンとエリツィンは、笑顔で記念撮影をしていたくらいの間柄になった。保守派のアメリカ国民は大激怒だったけど、合衆国政府は困窮したロシアに税金を運んで、オルガルヒ共にプレゼント。

  でも、このオルガルヒ共に先んじて、ソ連で大物ビジネスマンになっているユダヤ人がいた。それが、世界的に悪名を轟かせた逃亡者、あのマーク・リッチ(Marc Rich)だ。ユダヤ人俳優のハリソン・フォードは、『逃亡者』という映画に出演し、無実の罪を着せられて逃げ惑う「善良な医者」を演じたが、このリッチは誰もが認める悪人だった。以前、当ブログで彼の事を紹介したが、米国の対ロシア政策を理解するうえで、リッチの犯罪はとても参考になる。

Marc Rich 4(左  / マーク・リッチ )
  一般的に「マーク・リッチ」と呼ばれている「アメリカ人ビジネスマン」は、1934年、ベルギーのアントワープに生まれたマルセル・ダビド・ライヒ(Marcell David Reich)を指す。(リッチの生涯については、Daniel Ammann, The King of Oil : The Secret Lives of Marc Rich, <New York  : St. Martin's Press>, 2009. が詳しい。彼の幼少期に関しては、第三章を参照。)1930年代にナチスが台頭すると、1940年にドイツ軍はベルギーに侵攻し、アントワープはドイツによって占領されてしまった。そこで、ナチスによる迫害を避けるべく、ライヒ家は住み慣れたアントワープを離れ、まだ占領されていない南フランスに向かうと、そこからモロッコのカサブランカへと渡った。

  マルセルの父親、デイヴィッド・ライヒ(David Rich)と母親のパウラ(Paula Wang)は、モロッコに定住するつもりは更々なく、一家はデイヴィッドの妹を頼ってアメリカへ逃れようと考えた。この移住エピソードも、ユダヤ人らしい物語である。マークの叔母はユダヤ人であったが、キリスト教の団体で働いていたという。兄の家族を心配した妹は、所属団体を梃子にして国務長官のコーデル・ハルに接触を図ったそうだ。当時の米国では、1924年の移民法がまだ健在で、国別の移民枠があったし、民族選別も厳しかったので、そう易々と移住するとは限らないんだが、運良くライヒ家は移住できた。

  ちなみに、父親のデイヴィッドはガリチア地方の生まれで、母親のパウラはドイツ生まれのユダヤ人。二人は結婚してからユダヤ人の宝石商が多く住むアントワープに移り住み、この地で息子のマルセルをもうける。新天地となったアントワープには、デイヴィッドの従兄弟に当たるネル・トラウが居たそうだ。ホント、ユダヤ人は色々な場所に親戚や友人を持っている。日本人とは大違いだ。

  ユダヤ人というのは危機管理が得意で、「いざ」という時のために色々な「保険」を掛けている。この賤民には昔から各国に親戚や友人がいて、何らかの迫害が起きそうな、あるいは起きた時、みんなで助け合い、「同胞を救い出さるば !」という本能が発動するようだ。アメリカやブリテンなどは自分の国じゃないけど、まるで「自分の祖国」のように考え、憐れな同胞を地元の国へ引き寄せる。もちろん、アメリカの主流国民であるブリテン系アメリカ人にしたら、"とんでもない奴ら"と映ってしまう。

  だが、ユダヤ人は先祖代々「タカリ屋」だ。彼らは別に何とも思わない。逆に、同胞を拒む現地人を「ゴイム(異教徒のケダモノ)」と罵り、「反ユダヤ主義者」と非難する。日本や西歐にウジャウジャいるクルクルパーの高学歴者は、この魔術用語に怯えてしまい、「ユダヤ人の皆様、いらっしゃぁぁ~い !」と歓迎してしまうのだ。何処の国でも、バカは救いようがない。

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(左 : 消滅しつつある旧来のアメリカ人家庭  /  右 : アメリカで繁殖するユダヤ人支配者)

  話を戻す。北アフリカから船に乗ってやって来たマルセル・ライヒは、初めて見るニュー・ヨークの光景に胸をときめかした。ライヒ家はとりあえず"ユダヤ人が群れる"ニュー・ヨークへ上陸したが、一家はこの地に留まらず、フィラデルフィアに向かい、そこからミュズーリ州のカンザス・シティーへと定着した。間もなく、一家の大黒柱たるデイヴッドは、如何にもユダヤ人らしい商売を始める。彼は天賦の才能を遺憾なく発揮し、小さな宝石店を開いた。そして、自分の店を徐々に発展させるや、最終的に「リッチ商会(Rich Merchandising)」という貿易会社に育て上げた。デイヴッド・リッチは宝石の他にも、自動車部品とか麻製のバッグ、日用雑貨やタバコなどを扱い、手広い商売を行っていたそうだ。

  さらに、このユダヤ商人は南米のボリビアにも食指を伸ばし、現地で銀行口座を開設したり、袋一杯のジャガイモや砂糖を仕入れてくる。後に、息子のマークがボリビア国籍を取得するのは、こうした過去があったからだろう。日本ではあまり知られていないけど、ユダヤ人は第17、18世紀頃から、既にラテン・アメリカへ進出しており、大規模な農場を所有し、サトウキビのプランテーションから奴隷貿易まで、幅広い商売に従事していた。選民思想に凝り固まったユダヤ人からすれば、黒人奴隷なんかは農耕馬や水牛と同じ家畜だ。「可哀想」なんていう感情は無い。

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(左 : アメリカにやって来るユダヤ人  / 右 : アメリカに定住したユダヤ人 )

  「マーク・リッチ」と改名したマルセルは、根っからの根無し草だった。所謂「放浪のユダヤ人(Wandering Jew)」といったところだが、ヨーロッパからアメリカへ渡ってきても、彼には「故郷(祖国)」というものが無い。少年時代の12年間に、12回も転校を繰り返したというから、マークには「親友」と呼べるアメリカ人がいなかったし、たとえ友達になっても、彼は「異邦人」のままだった。こんなユダヤ少年がアメリカで成長したからといって、本当の「アメリカ人」になるとは思えない。立派なアメリカ公民なんて無理。徴税を逃れて世界中を飛び回る「グローバリスト」がお似合いだ。事実、マーク・リッチは愛国者ではなく、アメリカに背く「成金」へと成長する。

  マーク・リッチの悪事について詳しく述べると長くなるので省略する。しかし、幾つかの点だけは紹介したい。「Marc Rich & Co. Holding Gmbh」、後に「Glencore International AG」を率いるリッチは、1990年代後半のオルガルヒと呼ばれるユダヤ人大富豪の魁(さきがけ)で、ソ連時代にもうロシアの掠奪に手を染めていた。彼はソ連との貿易に勤しみ、穀物や砂糖、亜鉛、ボーキサイトをロシア人に販売すると、その対価として石油やアルミニュウム、ニッケル、銅、その他の金属を受け取っていた。アラブ人と同じく、ユダヤ人というのは元々メソポタミアの商売人だ。人々が欲しがるモノを右から左に流して利鞘を取る。それが絹でも銀でも何でもいい。金貨を庶民に貸して暴利を貪る「高利貸し」というイメージは、ユダヤ人にピッタリだ。

  マーク・リッチと比べれば、住友金属の営業マンなんて洟垂れ小僧くらい。例えば、リッチが扱うアルミニュウムの量は年間200万トンに達し、世界のスポット市場では約3分1を占めていたそうだ。まるでアーマンド・ハマーみたいな奴だが、ユダヤ人というのは下らないイデオロギーよりも、現実的な"お金"を重視する。「資本制市場経済vs社会主義統制経済」なんて学者の戯言に過ぎない。「儲かりゃいい !」というのが彼らのモットーだ。

  ここで日本人が刮目すべきは、リッチがソ連の共産党と太いパイプを持ち、KGBの高官が行っていた資金洗浄(money laundering)に一役買っていたことだ。何と、このリッチはKGBのお偉方に国際取引やフリーランスになって儲ける方法を伝授する指南役であった。(Paul Klebnikov, Godfather of the Kremlin : Boris Berezovsky and the Looting of Russia, New York : Harcourt Inc., 2000, p.63.) リッチは大先輩というか銭儲けの先生らしく、"インサイダー価格"でロシアの資源を安く買い取り、それを国際市場で"普通"に売りさばき、莫大な利益を得ていた。なるほど、誰も実現できない破格の買い付けだから、歐米の市場で"ちよっと"ばかり値引きをしたって、充分な利益を得ることができる。他のライバル企業は普通の仕入価格だから、国際市場の安売り合戦ではとてもリッチには勝てない。

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( 左 : 商売上手なユダヤ人  /  右 : ソ連時代のロシア人)

  ついでに、KGB高官の瀆職や裏稼業を述べたい。 ソ連時代末期から1990年代にかけて、ロシアはバカ高い値段で外国から品物を輸入し、安値で自国産の製品を輸出していた。そうした時期、例えば1980年代、ソ連は1300トンもの金を保有していたそうだ。ところが、1989年から1991年の僅かな期間に、こうした純金のほとんど(約1千トン)が消えてしまったのだ。まぁ、貿易赤字の穴埋めだからしょうがない。それでも、為替レートの下落による損失は痛かった。ソ連では約200億ドルものキャピタル・フライト(資金流出)が起こっていたのだ。

Dmitri Vasilyev 2(左  /  ドミートリ・ウァシリエフ)
  アメリカやヨーロッパのみならず、ナショナリズムという国民感情は、何時でも何処でも起こり得る。外国人、とりわけユダヤ人からの搾取や暴利の収奪を目にすれば、一般のロシア人でも激昂し、拒絶反応が起こってもおかしくはない。ロシアには昔から「ポグロム(ユダヤ人虐殺)」の伝統があったから、強欲なユダヤ人がやって来てロシアの富を奪い去れば、屈強な国粋主義者は黙っちゃいないだろう。武闘派のロシア人が"よそ者"を叩きのめそうと図っても当然だ。案の定、ロシアのナショナリストは立ち上がり、「パミヤチ(Pamyat)」という愛国運動を展開し始めた。英国の調査によれば、この政治団体は約2万人のメンバーを擁し、役者上がりの活動家、ドミートリ・ウァシリエフ(Dmitri D. Vasilyev)が代表になっていた。でも、実際はKGBの後ろ楯による大衆運動であったらしい。(William Korey, Russian Antisemitism : Pamyat and the Demonology of Zionism, New York, Harwood Academia Press, 1995, p.131.) 

Grigory Luchansky 01(左  /  グリゴリー・ロウチャンスキー)
  脱線したので話を戻す。マーク・リッチという政商は、銭になれば違法なビジネスにも手を染めるようで、ロシアで金(gold)やニッケル、穀物、石油などを売り買いする際、ロシアン・マフィアとも取引していたというのだ。彼が持つ"裏の顔"は米国でもバレていて、CIAとFBIはリッチとマフィアが金融面で繋がっていると述べていた。(Matthew McAllester, 'Rich's Suspect Ties /Sources : Clinton Could Have Learned Russian Mob Links', Newsday, March 1, 2001.) ソ連で商売を行っていたリッチには、グルジア生まれのビジネス・パートナーがいて、グリゴリー・ロウチャンスキー(Grigori Loutchansky)はイスラエル国籍を持つユダヤ人。しかも、マフィアとツルんだ極道で、ロシア産の石油やアルミニュウムを販売していたが、裏では麻薬の密売や核兵器の密輸にまで行っていたというから凄い。それゆえ、彼はアメリカ国務省が作成した監視リストに名を連ねていたそうだ。

Web キャプチャ_21-4-2022_213342_alchetron.com( 左 /  ピンカス・グリーン)
  マーク・リッチの犯罪的ビジネスは米国議会でも取り上げられ、彼が暗躍した外国というのはどれもこれもヤバい国ばかり。リッチには長年の相棒がいて、それがブルックリン出身のユダヤ人、後に彼と一緒に逃亡することになるピンカス・グリーン(Pincus Green)だ。元々、この二人は様々な商品を扱う「Philipp Brothers」で働いていたが、1974年に独立し、リッチはスイスのツーク(Zug)に「Marc Rich & Co」を創業した。この州都は企業に対する税制優遇措置を設けており、密かなタックス・ヘヴン(租税回避地)となっていた。狡猾なリッチは商品の売買だけじゃなく、スイスを牙城にしながら様々な人脈を築いていたようで、ヨーロッパの貴族や政治家、外政官だけじゃなく、色々な情報を与えてくれる諜報機関、例えばイランのSAVAK(秘密警察・諜報組織)やイスラエルのMossad(諜報・対外工作機関)とも関係を持っていたそうだ。(Ken Silverstein, A giant Among Giants, Foreign Policy, April 23, 2012.) 

  基本的に、マーク・リッチとピンカス・グリーンには遵法精神というものが無い。彼らは国際政治の掟を次々と破っていた。甘い蜜を吸うことができると分かれば、袖の下を使い、詐欺や恐喝なども厭わず、大金を狙ってせっせと商売に励む。だが、彼らの悪徳商法は米国の下院委員会で糾弾されることになる。

  例えば、リッチとグリーンはアメリカと敵対関係にあったイランともビジネス関係を築き、密かにペルシアの石油を購入していたのだ。当時のイランはホメイニ師が君臨するシーア派の独裁国。イランは51名のアメリカ人を人質にしており、敵対するアメリカは厳しい経済制裁を課していた。それなのに、リッチはスイス国籍の会社(Marc Rich & Co. AG)を通してイラン産の石油を輸入し、その見返りに小型の武器や自動ライフル、携帯用ロケットを渡していたのだ。(Justice Undone : Clemency Decisions in the Clinton White House, House of Representative Report 454, Second Report by the Committee on Government Reform, U.S. Government Printing Office, Washington, 2002, p.110.) これなら、合衆国政府が激怒したのも当然だ。

  リッチとグリーンの悪徳ビジネスはこれだけじゃない。彼らはアパルトヘイト政策で世界中から批判されている南アフリカにも進出していたのだ。ここへも石油を輸出し、その取引で10億ドルの利益を得ていたというから呆れるばかり。彼らはソ連やイランで仕入れた石油を南アフリカへ流す代わりに、ナムビア産のウラニウムを譲ってもらい、それをソ連に転売していたのだ。(House Report 454, pp.110-111.) また、彼らはフィデル・カストロが支配するキューバにも目を附け、カストロの息子と交渉を行い、兵器に使われる濃縮ウランのプログラムに関与していた。確かに、キューバとの貿易なら旨い汁がありそうだ。1991年、リッチの会社は砂糖や石油の貿易で儲けたらしく、約390万ドルの取引を行っていた。

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(左 :  フィデル・カストロ /   ムアマール・カダフィー  / 右  : サダム・フセイン )

  「類は群れる」というが、リッチとグリーンの商売相手は悪人ばかり。彼らは米国の爆撃を受けたリビアともビジネスを行い、カダフィー体制のリビアから原油を買い付けていた。ムアマール・カダフィー大佐を相手に銭儲けをできるくらいだから、イラクの独裁者であるサダム・フセインとの取引だって平気だろう。時はペルシャ湾岸戦争の最中。リッチはイランとも取引を行ったそうで、値引きされた石油に夢中であった。もちろん、合衆国政府はイラクに対する禁輸措置(embargo)を課していたけど、銭ゲバのリッチはあっさり無視。ライバルが居ない状況なら、それこそ儲けるチャンスだ。

  もう、リッチとグリーンはユダヤ・マフイアと呼んでもいいくらいの悪党である。中東アジアの他にも彼らはビジネスを展開していたそうで、ホセ・エドワルド・ドス・サントス(José Edouard dos Santos)大統領が君臨するアンゴラとも太いパイプを築いていたという。西歐諸国がアンゴラ産の石油を欲しがっていたから、リッチが仲介役になってエクソンなどの業者に流していた。冷戦時代、独裁者は東歐諸国にもいて、ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceausescu)は日本でも有名だ。1980年代後半、リッチはチャウシェスク政権を相手に穀物取引を行っていたが、貿易商品にしていた穀物には問題があった。なぜなら、リッチは米国農務省が補助金を出して生産された穀物に着目し、余剰となった穀物を手にして外国に売っていたからだ。これでは、間接的に農務省から利益を受けたことになる。

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(左 : ホセ・エドワルド・ドス・サントス /  ニコラエ・チャウシェスク / 右 : ミハイル・チェルノイ )

  「Marc Rich & Co」は「Glencore」と改名したが、やっている事は同じで、ビジネス相手も悪人がほとんどで、ユダヤ人が目立つ。顔が広くて外国にも人脈を持っているビジネス・パートナーは頼りになるから、リッチはウズベキスタン出身のオルガルヒであるミハイル・チェルノイ(Mikhail Chernoy)とも親しかった。彼はウズベクスタン生まれだが、イスラエル国籍を有するユダヤ人。スペイン政府から組織犯罪の容疑で「お尋ね者」になるや、彼は「心の祖国」であるイスラエルに逃れた。

Roman Abramovich 011(左  /  ローマン・アブラモヴィッチ)
  そう言えば、プーチン大統領を支持するユダヤ人オルガルヒのローマン・アブラモヴィッチ(Roman Abramovich)も"保険"を掛けていたのか、2018年、彼はイスラエル国籍を取得した。経済犯罪者やマフィア風のユダヤ人は、ロシア国籍を有してロシアやブリテンに住んでいても、常に逃亡手段を考えており、イスラエルを「避難場所」と見なしている。ユダヤ人というのは本当に図々しく、アブラモヴィッチは2021年にポルトガル国籍も取得していた。

  リッチが運営する「グレンコアー(Glencore)社」は、悪人と組んで成長する国際企業のようで、コンゴ民主共和国にも食指を伸ばし、この国でもユダヤ人のビジネスマンとグルになっていた。リッチが親交を持つ「ワル仲間」の一人に、イスラエル出身のダン・ゲルトラー(Dan Gertler)がいた。彼は「ダン・ゲルトナー・インターナショナル(Dan Gertler International)」の社長を務める大富豪で、祖父はイスラエルのダイヤモンド業界の大御所だ。「Israel Diamond Exchange」の創業者であるモシェ・シュニッツァー(Moshe Schnitzer)が、ダンのお爺ちゃんとなっている。孫のダンも銭儲けが得意で、彼は大統領のジョセフ・カビラ(Joseph Kabila)とも癒着していた。ちなみに、ジョセフの父親であるローラン・カビラ(Laurent Kabila)も大統領であったが、彼は2001年に暗殺され、息子のジョセフが親爺の跡を継いでいる。いかにもアフリカらしい権力の伝承だ。

Dan Gertler 03Moshe Schnitzer 1Laurent Desire Kabila 13Joseph Kabila 2016







( 左 : ダン・ゲルトナー  /  モシェ・シュニッツァー / ローラン・カビラ  /  右 : ジョセフ・カビラ)

  銭儲けに奔走したマーク・リッチは、会社の資産を300億ドルにまで増やし、その個人資産は約15億から80億ドルくらいと推定されている。しかし、彼は"カタギの商売人"ではなかったから、その繁栄は永く続かなかった。1983年、リッチは脱税や詐欺、恐喝、禁輸措置違反、不法取引などの廉で合衆国政府から起訴される破目に。何と、彼は65件の容疑で裁判にかけられ、もし有罪判決が下れば300年の懲役刑となる。

  ところが、リッチはスイスに拠点を構えていたから、アメリカへ連行されることはなかった。というのも、合衆国政府はスイス政府にリッチの引き渡しを求めたが、スイス政府は自国の公用語で要求状が書かれていなかったから、門前払いで拒否したそうだ。しかし、法廷に現れなかったリッチは、手痛いペナルティーに直面し、憤慨した裁判所は1日50万ドルの罰金を科したそうだ。せっかく脱税で儲けたのに、リッチは裁判沙汰でどんどん資産を失って行く。彼は刑事裁判や離婚訴訟を避けるべく、大金を浪費する破目になっていたのだ。それにしても、20年間の逃亡生活なんて気が重くなる。まるで、焚き火の無い森林キャンプのようだ。果てしなく続く深い暗闇の中でさまよい歩く日々には、心の平安なんて全く無い。

  ところが、マーク・リッチには頼もしい味方が存在した。彼はあらゆる手段を講じて懲罰を逃れようとしたのだ。

  後編へ続く。  


 
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