精神的濃度が高い国民
(左 : ナチス時代に行われたドイツ人の結婚式 / 右 : アラブ人男性と結婚したユダヤ人女性の結婚式)
「地球上で一番」とまでは言わないが、日本人は非常に騙されやすい。たぶん、一般家庭の親が自分の息子や娘を「素直な子供」に育てようとするからだろう。よほど特殊な日本人でない限り、我が子を詐欺の天才、あるいは詐欺師を凌ぐような策士に育てようとは思わない。支那では孔子だって詐欺師だ。日本の学校では何処でも「誠実」や「正直」がモットーで、他人を罠に掛ける権謀術数を授ける学校とか、「脱税スレスレの節税方法」をカリキュラムに加える私塾は無い。したがって、日本人は大人になっても警戒心が薄く、他人の話を信じやすい人がいっぱい居る。これは一般国民のみならず、国際政治を専攻する大学教授や心理戦を習ったはずの自衛官も同じだ。「論語読みの論語知らず」どころか、ネギを背負った鴨という日本人が実に多い。
「詐欺の天才」と言えば、何と言っても支那人だ。しかし、歐米諸国で探すとすれば、「西洋の支那人」とも呼べるユダヤ人がダントツ一位。この両民族は想像以上に腹黒く、海千山千の匪賊よりも用心深い。支那人とユダヤ人は、五歳の童(わらべ)でも老獪だ。支那人は幼い頃からプロの詐欺師や犯罪予備軍の素人に取り囲まれて育つから、自然とスパイの素養が身につく。
他方、ユダヤ人は心理戦のエキスパート。しかも、相手を論理で打ち負かす方法を心得ているから手強い。ユダヤ人相手に議論で勝とうなんて無謀だ。彼らに対しては武器で闘うのみ。何しろ、ユダヤ人は陰謀の達人であるから、表の舞台で彼らを打ち負かすのはほぼ不可能。この賤民は団結力に優れており、各界に散らばった同胞が、無意識の連携で反ユダヤ主義を叩く。
鼻つまみ者のユダヤ人は、常に迫害のリスクを感じているから、いざ有事となれば蜂のように同胞で助け合う。日本に住む日本人がアメリカやブラジルに渡った日系人と連携して外敵を攻撃することはないけど、ユダヤ人ときたらアメリカのみならず、ブリテンやフランス、ドイツ、イタリア、カナダ、オーストラリアに同胞が棲んでおり、幅広い人脈を通してプロパガンダや賄賂で優位に立つ。しかも、結構タフ。二千年以上も異民族にタカリ続けたくらいだから、ちょっとしたポグロムくらいではめげないし、トカゲやヘビのようにしぶとい。ユダヤ人は人間の弱点に付け込むのが上手いから、どんなに貧乏な生まれでも、商売や学問で出世を果たし、大金を稼いでヨーロッパ人を手込めにする。実際、西歐の領主はユダの金貨に目が眩んだし、政治家は札束ビンタで恍惚となっていた。
日頃から“危機”に晒されている民族は「サバイバル・ゲーム」の達人だ。生き延びるためなら彼らは手段を選ばない。乞食を超えるほど卑屈になっても、家族と仲間を助けるためなら悪魔にでもなる。「生き恥を晒すのは厭だ !」といって玉砕したり、責任を取って切腹するのは日本人くらいだ。ユダヤ人が本当に危機感を感じたのは、アドルフ・ヒトラーが台頭したナチス時代のドイツであった。普通の政治家なら「値札」が附いているから、猫パンチほどの威力しかない札束ビンタでも靡く。
しかし、この伍長上がりの宰相は、身分や財産、経歴、職業に関係無く、賤民の“肉体”、すなわち“血統”という基準でユダヤ人を追放することにした。これはかなり痛い。ユダヤ人は「まな板の鯉」と同じだ。どんなに優秀な科学者でも、あるいは高名な裁判官、はたまたロスチャイルドのような大商人であっても、「ユダヤ人」という烙印が押されれば、問答無用で拘束され、強制収容所送りか国外追放という処分になるんだから。
もちろん、迫害されたユダヤ人は烈火の如く怒ったが、そもそもドイツは彼らの「祖国」じゃない。ある者は中世の頃、レコンキスタのスペインから追放され、逃亡先のベルギーかネーデルラント経由で住み着いたし、別の者はポーランドやガリチア地方からやって来た貧民だ。もっと賢い奴はキリスト教に改宗して「スペイン人」に成りすましたし、「マラーノ」である過去を隠して堂々と生き延びる者もいた。図々しい者になるとキリスト教の司祭になるんだから、日本人が聞けば呆れてしまうだろう。
一方、意外にも、ドイツはユダヤ人に寛大で、いかがわしいユダヤ人がアカデミック界やエンターテイメント界で幅を利かせても、ポグロムを実行する事は無かったのである。しかし、調子に乗りすぎたのか、ワイマール時代になるとこの異民族に反対する反撥が強くなり、ユダヤ人に憎悪を抱くドイツ人が徐々に増え始めた。それゆえ、ナチ党がユダヤ人批判で人気を博し、ドイツ・ナショナリズムを鼓舞すると賛同する者が続々と現れた。なぜなら、第19世紀後半から遺伝子学や優生学が勃興し始めたので、自国民の遺伝子プールに穢らわしい血が紛れ込むことを人々は恐れていたのだ。日本の大学教授はナチスの人種政策を厳しく批判するけど、大衆の中にそれを受け容れる素地が無ければ、いくらヒトラーやゲッペルスが喚(わめ)いても不発だろう。
そもそも、どんな民族にも多少の「中華思想」はある。すなわち、夜郎自大に近い自画自賛の思想だ。戦勝国の大衆は敗戦国のドイツ人を悪魔の権化と蔑むが、ドイツの敵であったフランス人やイギリス人にも同じような差別意識はあったのだ。イギリス人やフランス人はアフリカやアジアに広大な植民地を持っていたけど、彼らが現地人を「対等者」と見なしたことはない。コンゴを支配したベルギー人だって、黒人なんか「人間」じゃなかった。アフリカ人なんかは、言葉を喋るゴリラ程度。
支那人も同じで、日本人なんかは「東夷」、つまり東に棲む野蛮人で、「ムジナ」程度の下等動物だ。したがって、明治大帝でも蛮族の酋長に過ぎず、北京の宦官よりも「格下」の存在であった。でも、なぜか日本の学者は支那人の差別意識を糾弾しないんだから不公平である。歐米諸国で白人至上主義者を見つければ「ネオナチ」と呼ぶのに、アジア大陸で差別主義者を見かけても「パレオ・チャンコロ(昔ながらの支那人)」と罵ることはないんだから。
地球上に棲む各民族を眺めると、どの民族も何らかの自慢がある。ある民族は独自の宗教を世界一と思っているし、支那人は自国の文明だけが最高で、後の文化は亜流か三流と見なしていた。ユダヤ人なんかは夜郎自大の筆頭で、周辺の異民族を虐殺しても当然と考えていたんだから、旧約聖書の『ヨシュア記』を読んだ日本人はビックリする。こうした世界史を勉強すれば、ドイツ人やイギリス人が人種を基にした中華思想を持っていても不思議じゃない。だいたい、特定宗教への信仰心はOKで、特定人種への優越感はNGなんておかしい。
確かに、ゲルマン人やケルト人が民族的特性や肉体的特徴を讃美すれば、それを耳にした異民族は不愉快だ。でも、ドイツ人が自国や支配地域で何を自慢しようが彼らの勝手じゃないか。アメリカの一般白人だって「アメリカは世界一 !」と思っていたんだから。ケンタッキー州やオクラホマ州から一歩も出ず、ヨーロッパやアジアへ渡航したことも無い農民が、どうしてアメリカを「世界一」と判断できるのか? アメリカ人の自己中心主義はキリが無い。ドイツの領土拡大は「侵略行為」であり、邪悪な「世界征服」だけど、アメリカの南米支配は「裏庭での草むしり」程度の出来事で、フィリピンの支配だって外政の一環だ。この植民地化は、スペインからの土地購入にすぎず、タガログ族などの原住民は不動産取引に附随する「オマケ」であった。また、特殊利権絡みで戦争が起きても、アメリカは「正義の味方」で、「自由とデモクラシーの擁護者」と自画自賛。しかも、神様が“ケツ持ち”なんだから、呆れるほどの中華思想だ。
(写真 / チャーチルが嫌ったインドの人々 )
アジア人やアフリカ人からすれば、征服者の西歐白人はどれもこも鬼畜の類いと映ったが、支配者のヨーロッパ人からすれば「当然の運命(Manifest Destiny)」だ。もっと腹立たしいのは、キプリング(Rudyard Kipling)に同調して「白人の重荷(White Man's Burden)」と言い出したことである。こうした過去を振り返れば、イギリス人とドイツ人の戦争なんて内輪揉めの一種だろう。アメリカ人は自分を棚に上げてナチスを批判するが、アドルフ・ヒトラーとウィンストン・チャーチルなんかは、人種主義の点においてアイソトープだ。チャーチルのインド人種嫌いは有名で、イギリス人の優越性を誇るチャーチルは日本人を含めた有色人種を見下していた。
ただし、この名門貴族は常に金欠で、借金に追われた生活をユダヤ人の富豪に助けてもらっていたから、大のユダヤ贔屓。関西人の阪神ファンは凄いけど、チャーチルのユダヤ贔屓はそれ以上。やはり、出世を助けてくれたり、資金を融通してくれた「友人」には恩義を感じるものだ。例えば、「ブリティッシュ・シェル石油」の会長を務めていたロバート・ウェイリー・コーエン卿(Sir Robert Waley-Cohen)からは、「フォーカス(Focus)」グループを通して50万ポンドの大金をもらっていたのだ。(Robert Henriques, Sir Robert Waley-Cohen 1877 - 1952 : A Biography, London : Secker & Warburg, 1966, p.362.)
( 左 : ウィンストン・チャーチル卿 / 中央 : ロバート・ウェイリー・コーエン卿 / 右 : アーネスト・カッセル卿)
そのほか、ロスチャイルド家やアーネスト・カッセル卿(Sir Ernest Cassel)といったユダヤ人からも財政支援を受けていたので、ユダヤ人を迫害するヒトラーは不倶戴天の敵とナル。もし、ヒトラーを叩き潰すようユダヤ人から依頼されれば、「えぇぇ~、そんなの無理 !」と断ることはできない。兵卒になるイギリス人、特に労働階級の庶民だけでなく、紳士階級の上級国民も怒り狂ってしまうが、チャーチルは大量のイギリス人を犠牲にしても、ドイツに住むユダヤ人を助けたかった。しかも、イギリス人が蛇蠍の如く嫌う共産主義とタッグを組むんだから頭にくる。何で強盗のスターリンがイギリス人の相棒なのか? 共産主義のソ連と同盟して、反共主義者の総統を倒そうなんて異常だ。常識的に考えればチャーチルの方が悪魔である。
西歐人や日本人の大半は、本人の自覚がないまま幼い時から洗脳教育を受けているから、常識的な判断ができない。特に人種問題となれば重症だ。国家というのは「構成員(公民/ citizen)」の質よって國體(constitution)が変化してしまうのに、教養人でも異民族の流入に反対しないんだから、かなり深刻である。例えば、細菌が体内に侵入すれば白血球(好中球、リンパ球、好酸球)が攻撃するけど、歐米人は異人種が侵入しても排斥することはない。むしろ、喜んで受け容れるインテリが多い。
(左 / アルトゥール・グート )
ナチス時代のドイツで民族の血を守ろうとしたアルトゥール・グート(Arthur Julius Gütt)は、ドイツ人の遺伝子プールを尊び、なるべくその純潔性を保つために異人種との混血を避けるよう諭した。元々は医師であったが、彼は優生学を推進する「人口政策・遺伝衛生局(Amtes für Bevölkerungspolitik und Erbsesundheitslehre」の長官となり、親衛隊の少将(SS-Brigadeführer)にまで出世した人物である。グート曰わく、
ドイツ貴族は神聖なる祖先の種(核 / kern)を相続し、その祖先が持っていた血は最も純粋な形で子孫に受け継がれている。(Arthur Gütt, "Die Bedeutung von Blut und Boden für das deutsche Volk", Schriftenreich des Reichsausschusses für Volksgesundheitsdienst, Heft 4, Berlin : Reichsdruckerei, 1936, p .4.)
現在の西歐諸国では思想や言論の統制が厳しく、北歐種族の肉体を誇ったり、神話に基づく血統を口にすれば身の破滅となってしまうが、地球上の諸部族を調べてみると、神様の子孫たる王様とか自国民中心の世界観などは珍しくない。ユダヤ人はトーラー(モーセの五書)を掲げて「選ばれしイスラエルの民」と称しているし、アラブ人は全世界をイスラムの家にしようと謀っている。支那人は根っからの征服者で、チベット人やウィグル人を皆殺しにしたって平気だ。占領地に支那人の男を派遣し、現地の女に子供を産ませれば、その混血児はチベット人やウィグル人の意識を失い、「漢民族」の意識を持つ。異文化破壊にはこれが効果的だ。
日本人はちょっと複雑で、人種主義を耳にすると精神が乱れてしまう。特に、白人至上主義に敏感で、レイシズムを喧(やかま)しく非難する者ほど、その本性は差別主義者で、情けないほど白人に劣等感を抱いている。西歐人が何を自慢しようと勝手なのに、僻(ひが)みに狂った日本人は、その勝ち誇った態度が赦せない。なぜなら、彼らは心の底からヨーロッパ人の容姿に憧れ、西歐文化を「世界一」と思っているからだ。ヨーロッパ人に変身できない日本人は、優越感に浸る高等人種に我慢できなくなる。
ところが、こうした嫉妬に狂った日本人は、なぜか他の民族に関しては非常に寛容で、アジア人やアフリカ人の自惚屋が何を言っても怒らない。例えば、もし、在日モンゴル人が残酷なチンギス=ハンやフビライ=ハンを尊敬しても、「まぁ、いいんぢゃねぇ!」とアッサリ赦すし、「そんな奴ら、どうでもいいよ !」と素っ気ない。異民族を虐殺し、大帝国を築いた蒙古人は「お咎め無し」なんておかしいけど、朝青龍や白鵬を罵倒した日本人はほとんどいないだろう。在日のトルコ人やアラブ人だって「聖戦(ジハード)」をやらかしたイスラム教徒の子孫なのに、彼らを厳しく糾弾する日本人なんてほぼ皆無。しかし、ドイツ人になると鬼の表情。紀子妃殿下並の「般若顔」だ。(芝健介や武井彩佳については別の機会に論評したい。)
敗戦後の日本人は進歩的文化人やピンク・リベラルの学校教師、フランクフルト学派の大学教師などに洗脳され、日本の伝統的価値観をズタズタにされてしまったが、一部の保守派国民は左翼教育に刃向かっている。国家というのは健全な精神で成り立ち、それを涵養するのが温かい家庭となっている。そして、こうした家族は縦の意識、つまり先祖代々続く家系という意識を持たねばならない。「今だけ、金だけ、自分だけ」というモットーは、浮浪者と変わらない地球市民の考えだ。祖先の遺産という恩恵で育った日本人には、根無し草の生活なんて想像できない。
昔の日本人は日本全体を一つの家族と見なしていた。たとえ都会で暮らしていても、実家の肉親とは絶縁状態じゃなかった。分家の者は本家に連なり、各地の本家は総本家たる皇室に繋がっていると思っていたから、国家の栄光を目にすれば共に喜ぶし、国難に遭遇すれば共に悲しむ。天皇陛下は赤子の国民を慈しむ「国父」というのが昭和の常識だった。我妻栄とか丸山真男に洗脳されたインテリどもがアホなだけ。日本は観念的な国家ではなく、赤い絆で結ばれた国民国家である。
ナチス時代のドイツも国家の神髄は民族的結びつきにあると判っていた。現在のドイツ人はユダヤ人の折檻にあって気違いになってしまったが、敗戦前のドイツ人はいたって健全だった。だいたい、ドイツ政府が発行する旅券を持っているから「ドイツ人」なんておかしい。ドイツ帝国を構成する公民、すなわち神聖なるドイツ国家の「ドイツ国民」というのは、ゲルマン系のドイツ人、あるいは北歐種族の血を有する両親・祖父母から生まれた「アーリア人」を指す。(ただし、ポーランド人やチェコ人の血が混じっていても、そんなのは問題にならず、本音を言えば、基本的にヨーロッパ人ならOKだ。)
(左 : 昔のブリテンにいたイギリス人の少女 / 宣伝大臣の妻となったマグダ・ケッペルス / 「ネオナチ」と罵られるラナ・レクテフ/ 右 : ゲルマン的遺伝子を大量に保有するユダヤ人女優のメラニー・ローラン )
一方、祖父母の代からドイツに住み着くユダヤ人なんか、どんな身分になってもユダヤ人のままである。もちろん、ユダヤ人の中にはヨーロッパ人と混血してドイツ人みたいなユダヤ人もいるけど、その精神となれば、驚くほど反ヨーロッパ的で、ドイツ人やフランス人のナショナリズムに対して敵意を抱く。やはり、こうした混血児でもユダヤ人の意識を拭いきれず、「仲間」と言ったらガリチア地方やロシアからやって来たユダヤ移民となる。しかし、こうした流れ者は国家の景観を損ねるだけのエイリアンだ。
(左 / エルネスト・ルナン )
フランス人は敵国のドイツ人を打ち負かしたと自慢しているが、本当はナチスの人種政策に賛成だった。フランスの知識人はヴィシー政権を批判するが、ケルト系の白色国民は「ガリア人のフランス」と「ユダヤ人のフランス」のどちらを好むのか? 現在のフランスという国家は、「フランス人が激減した廃墟」と見なした方がいい。血みどろの大革命やナポレオン戦争で多くのガリア人を失ったフランスは、人種に基づく国家論を掲げることが出来なくなってしまった。エルネスト・ルナン(Joseph Ernest Renan)の如きインテリは、フランス人との意識を持てば「フランス人」になれると考えたが、そんな国家観は滑稽だ。口先だけの愛国心は非常に脆く、カードの屋敷(House of Cards)と同じである。やはり、血と肉(Flesh and Blood)で結びつく国民国家の方が強い。ヒトラーを始めとするナチ党員には、ドイツ人の肉体に宿るドイツ人の精神、すなわちドイツ人の血に流れるドイツ人の魂という信念があった。
我々(国家社会主義者)にとって、血というものは肉体的な何かを意味するだけに留まらない。それはまた、ある意味、外的な表現として肉(Leibe)と結びつく魂(Seele)でもある。(Ludwig Ferdiand Clauss, Rasse und Seele : eine Einführung in den Sinn der leiblichenGestalt, Munich : Lehmann, 1936, p.147.)
公民が血を流して守ろうとする国家は、家賃(税金)を払えば誰でも住民(国民)にれるテナント・ビルじゃない。だいたい、こんな国を守るために自分の命を賭けようとする者がいるのか? 今日では「優生学」という学問は不評だけど、色々な種族が混ざり合って同居する国家には魅力が無い。もし、普通の日本人がアジア大陸やアフリカ大陸を旅行し、褐色のアラブ人や黒色のアフリカ人だらけの街に迷い込んだら、一体どう感じるのか? たぶん、「何、この街?! 気持ちわる~い !」と呟い手立ち去りたくなるだろう。「うわぁぁ~、ここに永住したい ! 日本国籍を捨てて、ここの国籍を取得したいなぁ~」と考える者は相当なクルクルパーだ。「アジア主義」を口にする大学生でも、ベトナム人やラオス人、マレー人、ベンガル人、パキ人がウジャウジャ集まる都会を目にすれば、大半の者はそこに永住しようとは思わない。『地球の歩き方』で紹介されたって、そこは単なるエキゾティックな観光地に過ぎず、自宅を構えるような場所じゃないはずだ。
(左 : 中央アジアからやって来る難民 / 右 : アメリカに暮らすアフリカ系アメリカ人 )
領邦国家に分かれていたドイツが第19世紀に統一され、歐洲第一の強国になったのは、その人種的統一性に秘訣があった。もし、オーストリア・ハンガリー帝国のように、言葉が違う民族で構成されていれば、ドイツ軍はバラバラな個人の寄せ集めとなってしまい、あれほど強靱で機能的な組織にはならなかったはず。同じ気質の民族だったからこそ、効率的な軍隊になったのではないか? ナチス・ドイツのイデオロギーには、以下のような考えがあった。
我々国家社会主義者は国家を指す特別な定理を発見した・・・もし、活気ある民族性を保存することが最終的な任務なら、それは目的だけを有する。しかし、それは国民の生命を維持するものだけではなく、何よりも先ず、内に秘めたる神髄、すなわち国家の血を保つことだ。これ以外、国家は長期的な目的をもたない。(Hildegard von Kotze und Helmut Krausnick, eds, Es spricht der Führer : Sieben exemplarische Hitler-Reden, Gütersloh : Sigbert Mohn Verlag, 1966, pp. 126-27.)
ドイツ人とユダヤ人の違いは様々だが、ユダヤ人というのは根っからの放浪者なのか、買い物気分で国境を跨ぐ癖がある。アメリカに移り住んだユダヤ人を調べれば判るけど、ブルックリンやシカゴで生まれ育ったユダヤ人であっても、その両親や祖父母はポーランドやロシア、あるいはハンガリー、ウクライナ、リトアニア、ルーマニアからの移民だったりする。曾祖父母だって一種の流れ者だったりするから、曾祖父はガリチア地方からウィーンに移り住んだ職人であったりするし、曾祖母はギリシアから嫁いできたユダヤ教徒であったりする。でも、ユダヤ人の作家や大学教授は家系を恥じているのか、意図的に血筋を隠すから油断禁物だ。
(左 : ゲットーで暮らすユダヤ人 / 中央 : 現在のヨーロッパに暮らすユダヤ人の少年 / 右 : フランス共和国の首相になったマンデス・フランス )
ユダヤ人と比べたら、先祖代々の畑を守って暮らす日本人は大違い。德川家によって改易になった大名や家臣はしょうがないけど、大抵の武士は元々の領地に住んでいたし、漁師や大工だって故郷に留まっている。普通の武士なら諸国を渡り歩く浪人生活なんて厭だろう。尾張生まれの加藤清正は、海を隔てた九州に派遣され、肥後熊本の藩主になっていたが、これは島津家対策だから話は別。一方、改易で柳河を失った立花宗茂は、功績が認められて柳河藩を取り戻せたから幸運だった。長州藩は領地を減らされたが、萩からの追放とならなかっただけでもマシである。有り得ないけど、もし主君の毛利家が蝦夷地へ左遷となったら大変だ。有名な柴五郎大佐は戊辰戦争のせいで会津藩から斗南藩への移住となったが、その貧乏暮らしは悲惨だった。
( 左 : ナチス・ドイツが理想としたアーリア人の男性 / 中央 : アングロ・サクソン人が主流だった頃、西歐系のアメリカ人が理想としたアメリカ人の子供 / 右 : イギリス人が建てたカナダに生まれ、アメリカのコメディアンとして知られているユダヤ人作家のモート・サル )
脱線したので話を戻す。ナチスが理想としたのは、大地に根づくゲルマン人の姿であった。元々、ドイツ人というのは黒い森に棲むゲルマン人だったから、戦争が無ければ農業か牧畜というのが日常の仕事であった。しかし、ユダヤ人というのはローマ帝国に住み着いた商人や官僚で、ゴミゴミした都会や“むさ苦しい”ゲットーに暮らす賤民というのが一般的なイメージだ。狭いゲットーの中で暮らすユダヤ人といったら、「狡猾な高利貸し」か「髭面のラビ」といったところで、屈強な肉体を誇る戦士というイメージじゃない。古代ローマ人を手本にしたドイツ人からすれば、ミシュナ(Mishnah / ラビの註釈や議論を編纂した口伝集)を研究するガリ勉のユダヤ人とか、銭儲けに熱中する両替商なんて吐き気がする。アメリカ人と同じくドイツ人も、自国の青年を育てるとすれば、ローマの執政官だったルキウス・クィンクティウス・キンキナートゥス(Lucius Quincutius Cincinnatus)みたいな人物を模範にしたがる。ドイツに留学した日本の陸軍士官も、勇猛果敢で質実剛健な軍人を称讃していた。
「血と土」のイデオロギーと言えば、リヒャルト・ヴァルター・ダレ(Richard Walther Darré)を思い出すが、彼じゃなくてもこの思想に同調するドイツ人は多かった。
国民が都市に移り住む時、危険(Gefahren)が国民に襲いかかる。国民(民族)は二、三世代のうちに萎縮してしまうだろう。なぜなら、活き活きとした大地(Boden)との関係を失ってしまうからだ。もし生き延びようと欲するのであれば、ドイツ人は土に根を下ろしていなければならない。(Horst Rechenbach, Volk und Rasse, 10, 1935, p.376.)
全てのナショナリストが存在する基礎というのは、我々の祖国にある聖なる土(郷土 / heilingen Scholle)と血(Blutes)の関係である。(Karl Motz, Blut und Boden : die Grundlagen der deutschen Zukunft, Berlin : Zeitgeschichte, 1934, p.7.)
フランスのモリス・バレス(Maurice Barrès)も「大地に根づく国民」を唱えていたから、ダレの思想は決して奇妙なイデオロギーじゃない。日本では『20世紀の神話』を書いたアルフレート・ローゼンベルク(Alfred Ernst Rosenberg)も不評だけど、彼の思想全部を否定するのではなく、もし納得する点があれば参考にすべきだ。例えば、彼は著書『血と名誉』の中で農業の重要性を強調していたが、農民を大切にし、農耕を奨励することは間違いなのか? ローゼンベルクは言う。
獨逸の農民は一切の生命の源泉である。萬一われわれに農民の後援がないとすれば、われわれの都市は忽ちその命脈を絶たれることであろう。人間は死滅する、ただ少数の種族だけがその子孫を永世に傳へるのみである。(ローゼンベルク『血と名誉』上村清延・濱中英傳田 訳、紀元社、昭和17年 p.272.)
もちろん、ローゼンベルクの主張には根拠の薄い優越論や人種論もあるけど、文化論や芸術論には感情に左右される部分があるから致し方ない。所詮、「好き嫌い」の評論なんて、感情の随筆に過ぎないんだから。それよりも、ドイツ人の文化防衛や種族保存に対して文句を並べるユダヤ人の方こそ異常だ。そんなに多民族共存を叫ぶなら、アフリカ人やアラブ人と一緒に暮らせばいいじゃないか。どうして、厭がるドイツ人に纏わり付くのか? (日本のマスコミは報道しないけど、ユダヤ人の黒人蔑視は有名だ。ユダヤ人は黒人の移民を黴菌かペストのように扱っていた。)
( 左 : リヒャルト・ヴァルター・ダレ / 中央 : アルフレート・ローゼンベルクも / 右 : モリス・バレス )
日本人や歐米人はヒトラーの人種理論や優生学に嫌悪感を抱くが、異人種との結婚とか混血を嫌う傾向はユダヤ人にもある。雑婚に対するヒトラーの反対論とラビの異論を読み比べれば、ドイツ人ばかりを責めることは出来なくなるだろう。ヒトラーは異民族を征服したアーリア人について語っていたが、被征服者との関係についも次のように述べていた。
被征服者がかれら自身を高め始め、多分言葉の上でも征服者に近づくようになると、支配者と奴隷の間の厳格な隔壁も崩れた。アーリア人種はかれの血の純粋性を放棄し、それとともに自分自身のために創造した楽園の居場所を失った。かれらは混血によって没落し、徐々に、ますます自分の文化能力を失い、ついには、精神的なだけでなく肉体的にも、自分の祖先たちに似るよりも、むしろ被征服者や原住民に、より似始めたのである。・・・混血、およびそれによって引き起こされた人種の水準の低下は、あらゆる文化の死滅の唯一の原因である。なにしろ、人間は敗戦によって滅亡はしないものであり、ただ純粋な血だけが所有することのできる抵抗力を失うことらよって、滅びるからである。(アドルフ・ヒトラー『わが闘争』上巻 平野一郎・将積茂 訳、角川書店、昭和48年、p.421.)
(左 / ニサン・ドヴィッド・ドブノフ )
英国に住むユダヤ教のラビ(ユダヤ教の指導的教師)、ニサン・ドヴィッド・ドブノフ(Nissan Dovid Dobnov)の意見を聞くとビックリする。基本的に彼はユダヤ教徒が異教徒と結婚することに反対だ。彼は問う。「ユダヤ人であることは、単にユダヤ人として生まれた偶然なのか?」と。
我々全員は、過ぎ去った世代の所産であり、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫である。・・・イスラエルの子供達は、結果的にシナイの地に建てられた国家を構成した。・・・今日、ユダヤ人の歴史は3千3百年にも及ぶ。ユダヤ人に生まれたことは出産のアクシデントではなく、信念のために人生を捧げた英雄の歳月、すなわち祖先が犠牲を払った年月の合計なのだ。(What Is Wrong with Intermarriage? Chabad.orgより。)
ドゥボフ氏は『申命記』を引用して異教徒・異民族との結婚に反対していた。旧約聖書によると、イスラエルの民は主から雑婚を禁じられており、ヘト人やギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払うよう命じられていたのだ。
彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。あなたの息子を引き離してわたしに背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたがたに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである。(『申命記』の第7章3-4節)
ルバビッチ派(Chabad Lubavitch)のラビだからしょうがないけど、ドゥボフ氏は混血児のアイデンティティーを心配していたので、異教徒との結婚に反対していたのである。例えば、ユダヤ教徒の女性が異教徒の男性と結婚した場合、二人の間に生まれた子供は、どちらの文化に属したらいいのか判らなくなる。たとえ、母親が敬虔なユダヤ教徒であっても、父親が無神論者やマルキスト、カトリック信徒、イスラム教徒であったら、母親と同じ信仰や文化を共有しなくなるだろう。
(左 : アシュケナージ系のユダヤ白人に差別されるエチオピアからのユダヤ移民 / 右 : イスラエルの人種差別に抗議するアフリカ系の住民 )
アメリカではよくある話だが、ユダヤ教徒の母親とキリスト教徒の父親の間に生まれた子供は、クリスマスやハヌカを祝うのか? これは各人それぞれで、両方を祝う場合もあるし、両方を拒絶する場合もあるだろう。もし、ユダヤ教徒の父親が息子の割礼を望めば、キリスト教徒の母親から生まれた男の子でも、ペニスの包皮を切除され、一生「ユダヤ人」の意識を持つ。もし、ゲルマン人の女性が中東アジア系のユダヤ人と結婚すれば、生まれてくる子供は容姿の面でゲルマン人とは違ってくるし、本人だって母親の親戚とは異なった人種であると気づくだろう。混血児のアイデンティティー・クライシス(自己識別の危機と喪失)は、かなり深刻だ。
歐米諸国とおなじく、日本でもナチズムの話をすると「危険人物」と見なされてしまうが、我々はユダヤ人の思想戦やプロパガンダに丸め込まれず、自分自身の目で歴史を勉強し、日本人の常識で判断すべきだ。「なぜユダヤ人の洗脳が成功するのか?」と言う疑問に対する答えは明白だ。我々が独自に調べないから。つまり、学校の先生や評論家の「解説」を鵜呑みにし、「お説ごもっとも!」とひれ伏すからだ。案外、我々は巨大な詐欺に引っ掛かっているのかも知れない。まるでジム・キャリーが出演した『トゥルーマン・ショー』のように、生まれた時から24時間、他人から監視される人生なのかも知れないぞ。主人公のトゥルーマンは巨大なドームに住み、リアリティー番組のモルモットにされていた。日本人だってユダヤ人が作った虚構の中に住むネズミという可能性もある。富士サファリ・パークのライオンを笑っている日本人は、自分がどんな世界に住んでいるのかを確かめるべきだ。
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(左 : ナチス時代に行われたドイツ人の結婚式 / 右 : アラブ人男性と結婚したユダヤ人女性の結婚式)
「地球上で一番」とまでは言わないが、日本人は非常に騙されやすい。たぶん、一般家庭の親が自分の息子や娘を「素直な子供」に育てようとするからだろう。よほど特殊な日本人でない限り、我が子を詐欺の天才、あるいは詐欺師を凌ぐような策士に育てようとは思わない。支那では孔子だって詐欺師だ。日本の学校では何処でも「誠実」や「正直」がモットーで、他人を罠に掛ける権謀術数を授ける学校とか、「脱税スレスレの節税方法」をカリキュラムに加える私塾は無い。したがって、日本人は大人になっても警戒心が薄く、他人の話を信じやすい人がいっぱい居る。これは一般国民のみならず、国際政治を専攻する大学教授や心理戦を習ったはずの自衛官も同じだ。「論語読みの論語知らず」どころか、ネギを背負った鴨という日本人が実に多い。
「詐欺の天才」と言えば、何と言っても支那人だ。しかし、歐米諸国で探すとすれば、「西洋の支那人」とも呼べるユダヤ人がダントツ一位。この両民族は想像以上に腹黒く、海千山千の匪賊よりも用心深い。支那人とユダヤ人は、五歳の童(わらべ)でも老獪だ。支那人は幼い頃からプロの詐欺師や犯罪予備軍の素人に取り囲まれて育つから、自然とスパイの素養が身につく。
他方、ユダヤ人は心理戦のエキスパート。しかも、相手を論理で打ち負かす方法を心得ているから手強い。ユダヤ人相手に議論で勝とうなんて無謀だ。彼らに対しては武器で闘うのみ。何しろ、ユダヤ人は陰謀の達人であるから、表の舞台で彼らを打ち負かすのはほぼ不可能。この賤民は団結力に優れており、各界に散らばった同胞が、無意識の連携で反ユダヤ主義を叩く。
鼻つまみ者のユダヤ人は、常に迫害のリスクを感じているから、いざ有事となれば蜂のように同胞で助け合う。日本に住む日本人がアメリカやブラジルに渡った日系人と連携して外敵を攻撃することはないけど、ユダヤ人ときたらアメリカのみならず、ブリテンやフランス、ドイツ、イタリア、カナダ、オーストラリアに同胞が棲んでおり、幅広い人脈を通してプロパガンダや賄賂で優位に立つ。しかも、結構タフ。二千年以上も異民族にタカリ続けたくらいだから、ちょっとしたポグロムくらいではめげないし、トカゲやヘビのようにしぶとい。ユダヤ人は人間の弱点に付け込むのが上手いから、どんなに貧乏な生まれでも、商売や学問で出世を果たし、大金を稼いでヨーロッパ人を手込めにする。実際、西歐の領主はユダの金貨に目が眩んだし、政治家は札束ビンタで恍惚となっていた。
日頃から“危機”に晒されている民族は「サバイバル・ゲーム」の達人だ。生き延びるためなら彼らは手段を選ばない。乞食を超えるほど卑屈になっても、家族と仲間を助けるためなら悪魔にでもなる。「生き恥を晒すのは厭だ !」といって玉砕したり、責任を取って切腹するのは日本人くらいだ。ユダヤ人が本当に危機感を感じたのは、アドルフ・ヒトラーが台頭したナチス時代のドイツであった。普通の政治家なら「値札」が附いているから、猫パンチほどの威力しかない札束ビンタでも靡く。
しかし、この伍長上がりの宰相は、身分や財産、経歴、職業に関係無く、賤民の“肉体”、すなわち“血統”という基準でユダヤ人を追放することにした。これはかなり痛い。ユダヤ人は「まな板の鯉」と同じだ。どんなに優秀な科学者でも、あるいは高名な裁判官、はたまたロスチャイルドのような大商人であっても、「ユダヤ人」という烙印が押されれば、問答無用で拘束され、強制収容所送りか国外追放という処分になるんだから。
もちろん、迫害されたユダヤ人は烈火の如く怒ったが、そもそもドイツは彼らの「祖国」じゃない。ある者は中世の頃、レコンキスタのスペインから追放され、逃亡先のベルギーかネーデルラント経由で住み着いたし、別の者はポーランドやガリチア地方からやって来た貧民だ。もっと賢い奴はキリスト教に改宗して「スペイン人」に成りすましたし、「マラーノ」である過去を隠して堂々と生き延びる者もいた。図々しい者になるとキリスト教の司祭になるんだから、日本人が聞けば呆れてしまうだろう。
一方、意外にも、ドイツはユダヤ人に寛大で、いかがわしいユダヤ人がアカデミック界やエンターテイメント界で幅を利かせても、ポグロムを実行する事は無かったのである。しかし、調子に乗りすぎたのか、ワイマール時代になるとこの異民族に反対する反撥が強くなり、ユダヤ人に憎悪を抱くドイツ人が徐々に増え始めた。それゆえ、ナチ党がユダヤ人批判で人気を博し、ドイツ・ナショナリズムを鼓舞すると賛同する者が続々と現れた。なぜなら、第19世紀後半から遺伝子学や優生学が勃興し始めたので、自国民の遺伝子プールに穢らわしい血が紛れ込むことを人々は恐れていたのだ。日本の大学教授はナチスの人種政策を厳しく批判するけど、大衆の中にそれを受け容れる素地が無ければ、いくらヒトラーやゲッペルスが喚(わめ)いても不発だろう。
そもそも、どんな民族にも多少の「中華思想」はある。すなわち、夜郎自大に近い自画自賛の思想だ。戦勝国の大衆は敗戦国のドイツ人を悪魔の権化と蔑むが、ドイツの敵であったフランス人やイギリス人にも同じような差別意識はあったのだ。イギリス人やフランス人はアフリカやアジアに広大な植民地を持っていたけど、彼らが現地人を「対等者」と見なしたことはない。コンゴを支配したベルギー人だって、黒人なんか「人間」じゃなかった。アフリカ人なんかは、言葉を喋るゴリラ程度。
支那人も同じで、日本人なんかは「東夷」、つまり東に棲む野蛮人で、「ムジナ」程度の下等動物だ。したがって、明治大帝でも蛮族の酋長に過ぎず、北京の宦官よりも「格下」の存在であった。でも、なぜか日本の学者は支那人の差別意識を糾弾しないんだから不公平である。歐米諸国で白人至上主義者を見つければ「ネオナチ」と呼ぶのに、アジア大陸で差別主義者を見かけても「パレオ・チャンコロ(昔ながらの支那人)」と罵ることはないんだから。
地球上に棲む各民族を眺めると、どの民族も何らかの自慢がある。ある民族は独自の宗教を世界一と思っているし、支那人は自国の文明だけが最高で、後の文化は亜流か三流と見なしていた。ユダヤ人なんかは夜郎自大の筆頭で、周辺の異民族を虐殺しても当然と考えていたんだから、旧約聖書の『ヨシュア記』を読んだ日本人はビックリする。こうした世界史を勉強すれば、ドイツ人やイギリス人が人種を基にした中華思想を持っていても不思議じゃない。だいたい、特定宗教への信仰心はOKで、特定人種への優越感はNGなんておかしい。
確かに、ゲルマン人やケルト人が民族的特性や肉体的特徴を讃美すれば、それを耳にした異民族は不愉快だ。でも、ドイツ人が自国や支配地域で何を自慢しようが彼らの勝手じゃないか。アメリカの一般白人だって「アメリカは世界一 !」と思っていたんだから。ケンタッキー州やオクラホマ州から一歩も出ず、ヨーロッパやアジアへ渡航したことも無い農民が、どうしてアメリカを「世界一」と判断できるのか? アメリカ人の自己中心主義はキリが無い。ドイツの領土拡大は「侵略行為」であり、邪悪な「世界征服」だけど、アメリカの南米支配は「裏庭での草むしり」程度の出来事で、フィリピンの支配だって外政の一環だ。この植民地化は、スペインからの土地購入にすぎず、タガログ族などの原住民は不動産取引に附随する「オマケ」であった。また、特殊利権絡みで戦争が起きても、アメリカは「正義の味方」で、「自由とデモクラシーの擁護者」と自画自賛。しかも、神様が“ケツ持ち”なんだから、呆れるほどの中華思想だ。
(写真 / チャーチルが嫌ったインドの人々 )
アジア人やアフリカ人からすれば、征服者の西歐白人はどれもこも鬼畜の類いと映ったが、支配者のヨーロッパ人からすれば「当然の運命(Manifest Destiny)」だ。もっと腹立たしいのは、キプリング(Rudyard Kipling)に同調して「白人の重荷(White Man's Burden)」と言い出したことである。こうした過去を振り返れば、イギリス人とドイツ人の戦争なんて内輪揉めの一種だろう。アメリカ人は自分を棚に上げてナチスを批判するが、アドルフ・ヒトラーとウィンストン・チャーチルなんかは、人種主義の点においてアイソトープだ。チャーチルのインド人種嫌いは有名で、イギリス人の優越性を誇るチャーチルは日本人を含めた有色人種を見下していた。
ただし、この名門貴族は常に金欠で、借金に追われた生活をユダヤ人の富豪に助けてもらっていたから、大のユダヤ贔屓。関西人の阪神ファンは凄いけど、チャーチルのユダヤ贔屓はそれ以上。やはり、出世を助けてくれたり、資金を融通してくれた「友人」には恩義を感じるものだ。例えば、「ブリティッシュ・シェル石油」の会長を務めていたロバート・ウェイリー・コーエン卿(Sir Robert Waley-Cohen)からは、「フォーカス(Focus)」グループを通して50万ポンドの大金をもらっていたのだ。(Robert Henriques, Sir Robert Waley-Cohen 1877 - 1952 : A Biography, London : Secker & Warburg, 1966, p.362.)
( 左 : ウィンストン・チャーチル卿 / 中央 : ロバート・ウェイリー・コーエン卿 / 右 : アーネスト・カッセル卿)
そのほか、ロスチャイルド家やアーネスト・カッセル卿(Sir Ernest Cassel)といったユダヤ人からも財政支援を受けていたので、ユダヤ人を迫害するヒトラーは不倶戴天の敵とナル。もし、ヒトラーを叩き潰すようユダヤ人から依頼されれば、「えぇぇ~、そんなの無理 !」と断ることはできない。兵卒になるイギリス人、特に労働階級の庶民だけでなく、紳士階級の上級国民も怒り狂ってしまうが、チャーチルは大量のイギリス人を犠牲にしても、ドイツに住むユダヤ人を助けたかった。しかも、イギリス人が蛇蠍の如く嫌う共産主義とタッグを組むんだから頭にくる。何で強盗のスターリンがイギリス人の相棒なのか? 共産主義のソ連と同盟して、反共主義者の総統を倒そうなんて異常だ。常識的に考えればチャーチルの方が悪魔である。
西歐人や日本人の大半は、本人の自覚がないまま幼い時から洗脳教育を受けているから、常識的な判断ができない。特に人種問題となれば重症だ。国家というのは「構成員(公民/ citizen)」の質よって國體(constitution)が変化してしまうのに、教養人でも異民族の流入に反対しないんだから、かなり深刻である。例えば、細菌が体内に侵入すれば白血球(好中球、リンパ球、好酸球)が攻撃するけど、歐米人は異人種が侵入しても排斥することはない。むしろ、喜んで受け容れるインテリが多い。
(左 / アルトゥール・グート )
ナチス時代のドイツで民族の血を守ろうとしたアルトゥール・グート(Arthur Julius Gütt)は、ドイツ人の遺伝子プールを尊び、なるべくその純潔性を保つために異人種との混血を避けるよう諭した。元々は医師であったが、彼は優生学を推進する「人口政策・遺伝衛生局(Amtes für Bevölkerungspolitik und Erbsesundheitslehre」の長官となり、親衛隊の少将(SS-Brigadeführer)にまで出世した人物である。グート曰わく、
ドイツ貴族は神聖なる祖先の種(核 / kern)を相続し、その祖先が持っていた血は最も純粋な形で子孫に受け継がれている。(Arthur Gütt, "Die Bedeutung von Blut und Boden für das deutsche Volk", Schriftenreich des Reichsausschusses für Volksgesundheitsdienst, Heft 4, Berlin : Reichsdruckerei, 1936, p .4.)
現在の西歐諸国では思想や言論の統制が厳しく、北歐種族の肉体を誇ったり、神話に基づく血統を口にすれば身の破滅となってしまうが、地球上の諸部族を調べてみると、神様の子孫たる王様とか自国民中心の世界観などは珍しくない。ユダヤ人はトーラー(モーセの五書)を掲げて「選ばれしイスラエルの民」と称しているし、アラブ人は全世界をイスラムの家にしようと謀っている。支那人は根っからの征服者で、チベット人やウィグル人を皆殺しにしたって平気だ。占領地に支那人の男を派遣し、現地の女に子供を産ませれば、その混血児はチベット人やウィグル人の意識を失い、「漢民族」の意識を持つ。異文化破壊にはこれが効果的だ。
日本人はちょっと複雑で、人種主義を耳にすると精神が乱れてしまう。特に、白人至上主義に敏感で、レイシズムを喧(やかま)しく非難する者ほど、その本性は差別主義者で、情けないほど白人に劣等感を抱いている。西歐人が何を自慢しようと勝手なのに、僻(ひが)みに狂った日本人は、その勝ち誇った態度が赦せない。なぜなら、彼らは心の底からヨーロッパ人の容姿に憧れ、西歐文化を「世界一」と思っているからだ。ヨーロッパ人に変身できない日本人は、優越感に浸る高等人種に我慢できなくなる。
ところが、こうした嫉妬に狂った日本人は、なぜか他の民族に関しては非常に寛容で、アジア人やアフリカ人の自惚屋が何を言っても怒らない。例えば、もし、在日モンゴル人が残酷なチンギス=ハンやフビライ=ハンを尊敬しても、「まぁ、いいんぢゃねぇ!」とアッサリ赦すし、「そんな奴ら、どうでもいいよ !」と素っ気ない。異民族を虐殺し、大帝国を築いた蒙古人は「お咎め無し」なんておかしいけど、朝青龍や白鵬を罵倒した日本人はほとんどいないだろう。在日のトルコ人やアラブ人だって「聖戦(ジハード)」をやらかしたイスラム教徒の子孫なのに、彼らを厳しく糾弾する日本人なんてほぼ皆無。しかし、ドイツ人になると鬼の表情。紀子妃殿下並の「般若顔」だ。(芝健介や武井彩佳については別の機会に論評したい。)
敗戦後の日本人は進歩的文化人やピンク・リベラルの学校教師、フランクフルト学派の大学教師などに洗脳され、日本の伝統的価値観をズタズタにされてしまったが、一部の保守派国民は左翼教育に刃向かっている。国家というのは健全な精神で成り立ち、それを涵養するのが温かい家庭となっている。そして、こうした家族は縦の意識、つまり先祖代々続く家系という意識を持たねばならない。「今だけ、金だけ、自分だけ」というモットーは、浮浪者と変わらない地球市民の考えだ。祖先の遺産という恩恵で育った日本人には、根無し草の生活なんて想像できない。
昔の日本人は日本全体を一つの家族と見なしていた。たとえ都会で暮らしていても、実家の肉親とは絶縁状態じゃなかった。分家の者は本家に連なり、各地の本家は総本家たる皇室に繋がっていると思っていたから、国家の栄光を目にすれば共に喜ぶし、国難に遭遇すれば共に悲しむ。天皇陛下は赤子の国民を慈しむ「国父」というのが昭和の常識だった。我妻栄とか丸山真男に洗脳されたインテリどもがアホなだけ。日本は観念的な国家ではなく、赤い絆で結ばれた国民国家である。
ナチス時代のドイツも国家の神髄は民族的結びつきにあると判っていた。現在のドイツ人はユダヤ人の折檻にあって気違いになってしまったが、敗戦前のドイツ人はいたって健全だった。だいたい、ドイツ政府が発行する旅券を持っているから「ドイツ人」なんておかしい。ドイツ帝国を構成する公民、すなわち神聖なるドイツ国家の「ドイツ国民」というのは、ゲルマン系のドイツ人、あるいは北歐種族の血を有する両親・祖父母から生まれた「アーリア人」を指す。(ただし、ポーランド人やチェコ人の血が混じっていても、そんなのは問題にならず、本音を言えば、基本的にヨーロッパ人ならOKだ。)
(左 : 昔のブリテンにいたイギリス人の少女 / 宣伝大臣の妻となったマグダ・ケッペルス / 「ネオナチ」と罵られるラナ・レクテフ/ 右 : ゲルマン的遺伝子を大量に保有するユダヤ人女優のメラニー・ローラン )
一方、祖父母の代からドイツに住み着くユダヤ人なんか、どんな身分になってもユダヤ人のままである。もちろん、ユダヤ人の中にはヨーロッパ人と混血してドイツ人みたいなユダヤ人もいるけど、その精神となれば、驚くほど反ヨーロッパ的で、ドイツ人やフランス人のナショナリズムに対して敵意を抱く。やはり、こうした混血児でもユダヤ人の意識を拭いきれず、「仲間」と言ったらガリチア地方やロシアからやって来たユダヤ移民となる。しかし、こうした流れ者は国家の景観を損ねるだけのエイリアンだ。
(左 / エルネスト・ルナン )
フランス人は敵国のドイツ人を打ち負かしたと自慢しているが、本当はナチスの人種政策に賛成だった。フランスの知識人はヴィシー政権を批判するが、ケルト系の白色国民は「ガリア人のフランス」と「ユダヤ人のフランス」のどちらを好むのか? 現在のフランスという国家は、「フランス人が激減した廃墟」と見なした方がいい。血みどろの大革命やナポレオン戦争で多くのガリア人を失ったフランスは、人種に基づく国家論を掲げることが出来なくなってしまった。エルネスト・ルナン(Joseph Ernest Renan)の如きインテリは、フランス人との意識を持てば「フランス人」になれると考えたが、そんな国家観は滑稽だ。口先だけの愛国心は非常に脆く、カードの屋敷(House of Cards)と同じである。やはり、血と肉(Flesh and Blood)で結びつく国民国家の方が強い。ヒトラーを始めとするナチ党員には、ドイツ人の肉体に宿るドイツ人の精神、すなわちドイツ人の血に流れるドイツ人の魂という信念があった。
我々(国家社会主義者)にとって、血というものは肉体的な何かを意味するだけに留まらない。それはまた、ある意味、外的な表現として肉(Leibe)と結びつく魂(Seele)でもある。(Ludwig Ferdiand Clauss, Rasse und Seele : eine Einführung in den Sinn der leiblichenGestalt, Munich : Lehmann, 1936, p.147.)
公民が血を流して守ろうとする国家は、家賃(税金)を払えば誰でも住民(国民)にれるテナント・ビルじゃない。だいたい、こんな国を守るために自分の命を賭けようとする者がいるのか? 今日では「優生学」という学問は不評だけど、色々な種族が混ざり合って同居する国家には魅力が無い。もし、普通の日本人がアジア大陸やアフリカ大陸を旅行し、褐色のアラブ人や黒色のアフリカ人だらけの街に迷い込んだら、一体どう感じるのか? たぶん、「何、この街?! 気持ちわる~い !」と呟い手立ち去りたくなるだろう。「うわぁぁ~、ここに永住したい ! 日本国籍を捨てて、ここの国籍を取得したいなぁ~」と考える者は相当なクルクルパーだ。「アジア主義」を口にする大学生でも、ベトナム人やラオス人、マレー人、ベンガル人、パキ人がウジャウジャ集まる都会を目にすれば、大半の者はそこに永住しようとは思わない。『地球の歩き方』で紹介されたって、そこは単なるエキゾティックな観光地に過ぎず、自宅を構えるような場所じゃないはずだ。
(左 : 中央アジアからやって来る難民 / 右 : アメリカに暮らすアフリカ系アメリカ人 )
領邦国家に分かれていたドイツが第19世紀に統一され、歐洲第一の強国になったのは、その人種的統一性に秘訣があった。もし、オーストリア・ハンガリー帝国のように、言葉が違う民族で構成されていれば、ドイツ軍はバラバラな個人の寄せ集めとなってしまい、あれほど強靱で機能的な組織にはならなかったはず。同じ気質の民族だったからこそ、効率的な軍隊になったのではないか? ナチス・ドイツのイデオロギーには、以下のような考えがあった。
我々国家社会主義者は国家を指す特別な定理を発見した・・・もし、活気ある民族性を保存することが最終的な任務なら、それは目的だけを有する。しかし、それは国民の生命を維持するものだけではなく、何よりも先ず、内に秘めたる神髄、すなわち国家の血を保つことだ。これ以外、国家は長期的な目的をもたない。(Hildegard von Kotze und Helmut Krausnick, eds, Es spricht der Führer : Sieben exemplarische Hitler-Reden, Gütersloh : Sigbert Mohn Verlag, 1966, pp. 126-27.)
ドイツ人とユダヤ人の違いは様々だが、ユダヤ人というのは根っからの放浪者なのか、買い物気分で国境を跨ぐ癖がある。アメリカに移り住んだユダヤ人を調べれば判るけど、ブルックリンやシカゴで生まれ育ったユダヤ人であっても、その両親や祖父母はポーランドやロシア、あるいはハンガリー、ウクライナ、リトアニア、ルーマニアからの移民だったりする。曾祖父母だって一種の流れ者だったりするから、曾祖父はガリチア地方からウィーンに移り住んだ職人であったりするし、曾祖母はギリシアから嫁いできたユダヤ教徒であったりする。でも、ユダヤ人の作家や大学教授は家系を恥じているのか、意図的に血筋を隠すから油断禁物だ。
(左 : ゲットーで暮らすユダヤ人 / 中央 : 現在のヨーロッパに暮らすユダヤ人の少年 / 右 : フランス共和国の首相になったマンデス・フランス )
ユダヤ人と比べたら、先祖代々の畑を守って暮らす日本人は大違い。德川家によって改易になった大名や家臣はしょうがないけど、大抵の武士は元々の領地に住んでいたし、漁師や大工だって故郷に留まっている。普通の武士なら諸国を渡り歩く浪人生活なんて厭だろう。尾張生まれの加藤清正は、海を隔てた九州に派遣され、肥後熊本の藩主になっていたが、これは島津家対策だから話は別。一方、改易で柳河を失った立花宗茂は、功績が認められて柳河藩を取り戻せたから幸運だった。長州藩は領地を減らされたが、萩からの追放とならなかっただけでもマシである。有り得ないけど、もし主君の毛利家が蝦夷地へ左遷となったら大変だ。有名な柴五郎大佐は戊辰戦争のせいで会津藩から斗南藩への移住となったが、その貧乏暮らしは悲惨だった。
( 左 : ナチス・ドイツが理想としたアーリア人の男性 / 中央 : アングロ・サクソン人が主流だった頃、西歐系のアメリカ人が理想としたアメリカ人の子供 / 右 : イギリス人が建てたカナダに生まれ、アメリカのコメディアンとして知られているユダヤ人作家のモート・サル )
脱線したので話を戻す。ナチスが理想としたのは、大地に根づくゲルマン人の姿であった。元々、ドイツ人というのは黒い森に棲むゲルマン人だったから、戦争が無ければ農業か牧畜というのが日常の仕事であった。しかし、ユダヤ人というのはローマ帝国に住み着いた商人や官僚で、ゴミゴミした都会や“むさ苦しい”ゲットーに暮らす賤民というのが一般的なイメージだ。狭いゲットーの中で暮らすユダヤ人といったら、「狡猾な高利貸し」か「髭面のラビ」といったところで、屈強な肉体を誇る戦士というイメージじゃない。古代ローマ人を手本にしたドイツ人からすれば、ミシュナ(Mishnah / ラビの註釈や議論を編纂した口伝集)を研究するガリ勉のユダヤ人とか、銭儲けに熱中する両替商なんて吐き気がする。アメリカ人と同じくドイツ人も、自国の青年を育てるとすれば、ローマの執政官だったルキウス・クィンクティウス・キンキナートゥス(Lucius Quincutius Cincinnatus)みたいな人物を模範にしたがる。ドイツに留学した日本の陸軍士官も、勇猛果敢で質実剛健な軍人を称讃していた。
「血と土」のイデオロギーと言えば、リヒャルト・ヴァルター・ダレ(Richard Walther Darré)を思い出すが、彼じゃなくてもこの思想に同調するドイツ人は多かった。
国民が都市に移り住む時、危険(Gefahren)が国民に襲いかかる。国民(民族)は二、三世代のうちに萎縮してしまうだろう。なぜなら、活き活きとした大地(Boden)との関係を失ってしまうからだ。もし生き延びようと欲するのであれば、ドイツ人は土に根を下ろしていなければならない。(Horst Rechenbach, Volk und Rasse, 10, 1935, p.376.)
全てのナショナリストが存在する基礎というのは、我々の祖国にある聖なる土(郷土 / heilingen Scholle)と血(Blutes)の関係である。(Karl Motz, Blut und Boden : die Grundlagen der deutschen Zukunft, Berlin : Zeitgeschichte, 1934, p.7.)
フランスのモリス・バレス(Maurice Barrès)も「大地に根づく国民」を唱えていたから、ダレの思想は決して奇妙なイデオロギーじゃない。日本では『20世紀の神話』を書いたアルフレート・ローゼンベルク(Alfred Ernst Rosenberg)も不評だけど、彼の思想全部を否定するのではなく、もし納得する点があれば参考にすべきだ。例えば、彼は著書『血と名誉』の中で農業の重要性を強調していたが、農民を大切にし、農耕を奨励することは間違いなのか? ローゼンベルクは言う。
獨逸の農民は一切の生命の源泉である。萬一われわれに農民の後援がないとすれば、われわれの都市は忽ちその命脈を絶たれることであろう。人間は死滅する、ただ少数の種族だけがその子孫を永世に傳へるのみである。(ローゼンベルク『血と名誉』上村清延・濱中英傳田 訳、紀元社、昭和17年 p.272.)
もちろん、ローゼンベルクの主張には根拠の薄い優越論や人種論もあるけど、文化論や芸術論には感情に左右される部分があるから致し方ない。所詮、「好き嫌い」の評論なんて、感情の随筆に過ぎないんだから。それよりも、ドイツ人の文化防衛や種族保存に対して文句を並べるユダヤ人の方こそ異常だ。そんなに多民族共存を叫ぶなら、アフリカ人やアラブ人と一緒に暮らせばいいじゃないか。どうして、厭がるドイツ人に纏わり付くのか? (日本のマスコミは報道しないけど、ユダヤ人の黒人蔑視は有名だ。ユダヤ人は黒人の移民を黴菌かペストのように扱っていた。)
( 左 : リヒャルト・ヴァルター・ダレ / 中央 : アルフレート・ローゼンベルクも / 右 : モリス・バレス )
日本人や歐米人はヒトラーの人種理論や優生学に嫌悪感を抱くが、異人種との結婚とか混血を嫌う傾向はユダヤ人にもある。雑婚に対するヒトラーの反対論とラビの異論を読み比べれば、ドイツ人ばかりを責めることは出来なくなるだろう。ヒトラーは異民族を征服したアーリア人について語っていたが、被征服者との関係についも次のように述べていた。
被征服者がかれら自身を高め始め、多分言葉の上でも征服者に近づくようになると、支配者と奴隷の間の厳格な隔壁も崩れた。アーリア人種はかれの血の純粋性を放棄し、それとともに自分自身のために創造した楽園の居場所を失った。かれらは混血によって没落し、徐々に、ますます自分の文化能力を失い、ついには、精神的なだけでなく肉体的にも、自分の祖先たちに似るよりも、むしろ被征服者や原住民に、より似始めたのである。・・・混血、およびそれによって引き起こされた人種の水準の低下は、あらゆる文化の死滅の唯一の原因である。なにしろ、人間は敗戦によって滅亡はしないものであり、ただ純粋な血だけが所有することのできる抵抗力を失うことらよって、滅びるからである。(アドルフ・ヒトラー『わが闘争』上巻 平野一郎・将積茂 訳、角川書店、昭和48年、p.421.)
(左 / ニサン・ドヴィッド・ドブノフ )
英国に住むユダヤ教のラビ(ユダヤ教の指導的教師)、ニサン・ドヴィッド・ドブノフ(Nissan Dovid Dobnov)の意見を聞くとビックリする。基本的に彼はユダヤ教徒が異教徒と結婚することに反対だ。彼は問う。「ユダヤ人であることは、単にユダヤ人として生まれた偶然なのか?」と。
我々全員は、過ぎ去った世代の所産であり、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫である。・・・イスラエルの子供達は、結果的にシナイの地に建てられた国家を構成した。・・・今日、ユダヤ人の歴史は3千3百年にも及ぶ。ユダヤ人に生まれたことは出産のアクシデントではなく、信念のために人生を捧げた英雄の歳月、すなわち祖先が犠牲を払った年月の合計なのだ。(What Is Wrong with Intermarriage? Chabad.orgより。)
ドゥボフ氏は『申命記』を引用して異教徒・異民族との結婚に反対していた。旧約聖書によると、イスラエルの民は主から雑婚を禁じられており、ヘト人やギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払うよう命じられていたのだ。
彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。あなたの息子を引き離してわたしに背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたがたに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである。(『申命記』の第7章3-4節)
ルバビッチ派(Chabad Lubavitch)のラビだからしょうがないけど、ドゥボフ氏は混血児のアイデンティティーを心配していたので、異教徒との結婚に反対していたのである。例えば、ユダヤ教徒の女性が異教徒の男性と結婚した場合、二人の間に生まれた子供は、どちらの文化に属したらいいのか判らなくなる。たとえ、母親が敬虔なユダヤ教徒であっても、父親が無神論者やマルキスト、カトリック信徒、イスラム教徒であったら、母親と同じ信仰や文化を共有しなくなるだろう。
(左 : アシュケナージ系のユダヤ白人に差別されるエチオピアからのユダヤ移民 / 右 : イスラエルの人種差別に抗議するアフリカ系の住民 )
アメリカではよくある話だが、ユダヤ教徒の母親とキリスト教徒の父親の間に生まれた子供は、クリスマスやハヌカを祝うのか? これは各人それぞれで、両方を祝う場合もあるし、両方を拒絶する場合もあるだろう。もし、ユダヤ教徒の父親が息子の割礼を望めば、キリスト教徒の母親から生まれた男の子でも、ペニスの包皮を切除され、一生「ユダヤ人」の意識を持つ。もし、ゲルマン人の女性が中東アジア系のユダヤ人と結婚すれば、生まれてくる子供は容姿の面でゲルマン人とは違ってくるし、本人だって母親の親戚とは異なった人種であると気づくだろう。混血児のアイデンティティー・クライシス(自己識別の危機と喪失)は、かなり深刻だ。
歐米諸国とおなじく、日本でもナチズムの話をすると「危険人物」と見なされてしまうが、我々はユダヤ人の思想戦やプロパガンダに丸め込まれず、自分自身の目で歴史を勉強し、日本人の常識で判断すべきだ。「なぜユダヤ人の洗脳が成功するのか?」と言う疑問に対する答えは明白だ。我々が独自に調べないから。つまり、学校の先生や評論家の「解説」を鵜呑みにし、「お説ごもっとも!」とひれ伏すからだ。案外、我々は巨大な詐欺に引っ掛かっているのかも知れない。まるでジム・キャリーが出演した『トゥルーマン・ショー』のように、生まれた時から24時間、他人から監視される人生なのかも知れないぞ。主人公のトゥルーマンは巨大なドームに住み、リアリティー番組のモルモットにされていた。日本人だってユダヤ人が作った虚構の中に住むネズミという可能性もある。富士サファリ・パークのライオンを笑っている日本人は、自分がどんな世界に住んでいるのかを確かめるべきだ。
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