日本肇國いらい初めて天皇陛下が臣から支那人に売り飛ばされてしまった。時に平成四年十月のことである。天安門大虐殺事件により国際社会で窮地に立たされた江沢民は、我が国を利用して苦境を脱出せんとした。幸運なことに当時の総理大臣は宮澤喜一である。我が国にとっては不運であった。揉み手擦り手が得意な宮澤は、ためらいもなく江沢民に隷従してしまった。世間では天皇陛下をなぜ支那人の親玉へ売るのかで非難囂々、保守派知識人と国民が大反対を表明したのである。そんな野次など馬耳東風。宮澤には『朝日新聞』の天声しか聞こえなかった。かくして、今上陛下は屠殺場へ送られる犠牲の山羊、いや支那共産党というマフィアに対して捧げる生け贄となってしまったのである。「聖上」、「天子さま」と叫ぶ国民の絶叫は無視されたのである。かくて経済制裁は解除となった。江沢民の狡猾な笑みが憎らしい。
  私益のためらな何でもやるのが、この売国奴である。以前、総裁候補競争の時、田中派の若き幹事長小沢一郎に笑顔で面接を受けて合格し、日本国首相にしてもらった。小沢には、「担ぐなら軽くてちょっとパーがいい」といって、三木派の海部俊樹を首相に担いだ前科があったのだ。宮澤なんぞ竹下七奉行の敵ではなかった。勉強はできても、からっきし度胸と人気がない「お公家」衆の政治家が、海千山千の田中派に刃向かえるはずもない。尻尾を丸めて腹を見せるしかない負け犬が宮澤であった。

孫娘を使って一儲けのフジテレビ

  10月12日の日曜朝、たまたま掃除中にフジテレビ放送『ワイドなショー』を視ていた。どうでもよい番組なので消そうとしたら、宮澤喜一の孫娘、ラフルアー宮澤エマというのが祖父喜一の話をしていたのである。この小娘がどんな芸人なのか知らなかったが、無邪気に祖父喜一の昔話をしていたので、テレビ局に腹がたった。能無しなの親の七光りで出演するドラ娘を売り出して、学歴家系に弱い国民から金を巻き上げようとしているのだろうと推測したからだ。名家の娘ならどんな馬鹿でも尊敬されるから採用したのだろう。賢い娘なら、破廉恥漢の祖父は隠しておきたいものだ。しかも、売国奴の10乗、奸臣の100倍、卑劣の極みと並べても言い尽くせないほどのクズを自慢するなんて天然阿呆かサイコパスとしか考えられない。もちろん、この馬鹿娘に罪はない。知らぬ顔して彼女を利用するフジテレビ制作者に憤りを感じるのである。何だって視聴率が上がればいいのだ。本当のことを報道して陰鬱になったらお通夜みたいな番組になってしまう。だって「楽しくなければテレビじゃない」と言っていただろう。
  ここで宮澤の罪状を少し述べておく。

  喜一が鈴木内閣で官房長官だった時、有名な「教科書書き換え事件」が起こった。文部省検定官が実教出版社の高校生用歴史教科書に記されている「侵略」を「進出」に書き換えさせたという報道であった。その後、日本テレビの取材を元にした誤報であったことが、産経新聞の訂正記事によって世間に知られるようになった。事実は違うのに官房長官の宮澤は、日本が支那や朝鮮、アジア諸国に迷惑をかけましたと謝罪の談話を発表したのである。近隣諸国条項など有害なものは排除しようとする気概は更々なかった。朝日新聞にどう書かれるかだけは心配していたのだろうが。
  教養人ぶって澄まし顔の宮澤には或る性質があった。国家の名誉など眼中にも脳裏にも無いくせに学歴だけは人一倍機敏であったのだ。政治家や官僚に会ったとき宮澤は「君、何期?」と訊く癖があった。これは東京帝国大学卒業年次のことをたずねているのであって、地方の国立大学や私立大学のことを訊いているのではない。東大法学部だけが大学であって、竹下登の早稲田大学なんぞ商業専門学校くらいに思っていたのだ。小学校卒の田中角栄など虫けら以下である。

闇に葬った古傷

  燦然と輝く学歴と家系を誇る喜一だが、その心の奥底で常に疼く古傷があった。あまりにも痛いので他人に触られたくない。それは何か。ずばり、徴兵逃れである。この貧相な宰相は1941年に東京帝国大学を卒業して1942年に大蔵省に入っている。軍歴が欠けている。なぜか。喜一の母こと「おが平」こと衆議院議員小川平吉の娘である。司法大臣や鉄道大臣を歴任した父親に、息子喜一の助命をせがんだのである。喜一の同級生等は徴兵で激戦に耐えたり戦死したのに、喜一は大蔵省で銭勘定。せいぜい税務署に派遣されたくらいだ。ガダルカナル島で餓死とかバシー海峡で沈没なんてことは一切なかった。権力者の祖父が裏から手をまわして孫の喜一を国内に留めたのである。女子供から「卑怯者!」と呼ばれても仕方ない過去を持つ。米軍の将兵でも栗林忠道中将や本間正晴中将を敵ながらあっぱれと認めるが、徴兵逃れの卑怯者には唾を吐きかけるのだ。孫娘のエマはさぞ米国で恥ずかしい思いをしたことだろう。ジョージ・H.W.ブッシュやジョン・F・ケネディは軍人として出征したのに、喜一は母親の胸にうずくまって隠れていたのだ。男のクズを祖父に持つ恥ずかしさは、泣きたくなるほど悔しい。

 こんな意気地なしの虫けらでも首相になってその汚い面を天皇陛下に披露したのだから、喜一の顔の皮膚はテフロン加工されていたのではないか。陛下の御尊顔を拝して平静を保てるのだから、こいつの血管には日本人の血は流れていない。この卑劣漢と全く違うのが小野田寛郎・陸軍少尉である。小野田少尉は上官からの正式な任務解除の命令を拝していなかったので、戦後何年たってもフィリピンで任務を継続していたのである。日本軍人の鑑である。陸軍中野学校出身の少尉とは何と素晴らしいのか。心打たれる美談である。

  この対照的な二人がフジテレビの『報道2001』に出演したときの映像は忘れられない。国家の為に命懸けで闘った勇者は、日本に居場所が無くなってブラジルに移住。片や、戦争を忌避して池田勇人の腰巾着になった下郎が総理大臣。この男は恥ずべき過去を隠蔽しただけではなく、我が国の将兵を侮辱したのである。戦没者が鮮人女性を拉致して性欲のはけ口にしたと認めて、韓国政府に謝ったのだ。宮澤が首相の時の官房長官が、あの山形の恥さらし加藤紘一であった。軍の関与ががあったとして、宮澤に謝罪を促したのである。徴兵逃れの卑怯者と支那人の手先がコンビを組んで我が国の将兵と名誉を踏みにじったのである。

  南方戦線を思い浮かべてみよ。弾丸飛び交う嵐の中で壮絶な最期を遂げた将兵、飢えに苦しみ息絶えた者、傷口が腐って蛆が涌きながも闘い続けた者、満州シベリアで虐殺された邦人などに、宮澤は何の感情も抱かなかった。日本人の慟哭を聞いても涕涙は一切なし。日本人なら怒りを込めて言うだろう。「宮澤、テメエの血は何色だ。」


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