過去の男と現在の男

  過去の名作アニメを台無しにする実写化映画は後を絶たない。以前にも述べたが、ルパン三世もゼニゲバの映画資本に狙われてしまった。アイデアに困ったら昔の名作を手直しして二匹目のドジョウを得ようとする。宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムと同じ運命をたどるだろう。演技も弁えぬ若造が芸能事務所の巨大な力で主役にしてもらったのであろう。観客が押しかけてヒットしたからとて、駄作に違いない。観ていないから批判は出来ないが、金を払って銀幕を観る気がしないのだ。大人の観客を嘗めきっている映画など誰が見に行くのか。それが居るんだなぁ。悲しいくらい。平成の日本は昭和の我が国と違っている。外国みたい。

  こんな気持ち悪い映画はゴミ箱に捨てて、第9話『殺し屋はブルースを歌う』を論じてみたい。
 殺し屋プーンは三年前まで不二子と一緒に暗黒街でコンビを組んでいた。しかし、ある時組織の命令で不二子を射殺するよう命じられしまう。海岸の岸壁に立つ不二子に銃を向けるプーンには、どうしても彼女を殺す決断が下せない。組織の掟に逆らえないから引き金に指をかけるが、不二子の心臓を狙うことが出来ず、片を撃つしかなかった。撃たれた不二子は海に落ちてしまった。

  月日が経って不二子はルパンと組んで仕事をするようになったことが分かる。だが、プーンは彼女を忘れられず、ついに不二子を見つけるが、彼女は重傷を負って瀕死の状態に堕ちいる。山小屋に立てこもるプーンはルパンに不二子を帰さない。仕方なく、ルパンは竹の矢に医療道具を詰め込んで小屋に打ち込む。それを使って彼女を治療せとプーンに頼んだ。最期に石を投げつけてプーンの手下を倒したルパンは、うまく小屋に侵入できた。

  瀕死の不二子は、シーツを纏っただけの裸姿でルパンに抱きかかえられている。そこをプーンが見つけて銃を向ける。不二子を抱いたルパンに反撃は出来ない。しかし、みすみす不二子を置いて立ち去るわけにはいかない。プーンがルパンを殺そうとしたそのとき、不二子は自分の手にした拳銃でプーンを撃ってしまう。元恋人の不二子に撃たれたプーンの表情が意外性を物語っている。まさか自分を愛しているはずの不二子に撃たれるとは思っていなかった。崩れ堕ちるプーンを観ると、哀れに思えてくる。裏切られはしたが、死に際に納得した男の気持ちが伝わってくるのだ。

  その後、ルパンと不二子はディスコで踊って楽しい時間を分かつのだが、最後はルパンが彼女にロープで縛られ、ロッカーに押し込められてしまう。港でひとり佇みながら、遠くの海を見つめる不二子。無言の彼女は何を思っていたのか。何も考えないことが心を癒す秘訣かもしれない。

  しかし、不二子がプーンを撃ったときの心理と行動は興味深い。頭ではなく体がとっさにルパンを助けることを選んでしまったのである。プーンに対する気持ちが払拭されていなかったのに、彼を殺しルパンを救ってしまった。昔の男と今の男の間で心が揺れ動き判断が出来なかったのに、体がルパンにほんのわずかだけ傾いていたのである。「不二子」とつぶやいて死んでゆくプーンに、慚愧の念と悲しみがうねりを立てて不二子の全身を駆けめぐる。つくづく制作者の大隅氏は憎いほど上手い演出をしたなと思う。不二子の心と体が別の行動をとったのだ。いい仕事してるな大隅氏。こんなアニメ今じゃどこにもない。セル画の絵も幼稚なものになって、ストーリーも退屈で凡庸なものになってしまった現在のアニメ作品。これじゃ進化じゃなくて退化だ。筆者が古い人間とは思わないのだが、世間はいかに。



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