国産品を買え!
朝鮮人慰安婦は「鮮ピー」と呼ばれていたことは以前このブログに書いた。しかし、読者には言えなかったことがある。鮮ピーについては、鈴木博雄の『体験的慰安婦の生態』(全貌社 平成9年)が具体的に語っている。鈴木氏は当時の日本人が慰安所のことを「ピーヤ」と呼んでいたことを教えている。「P」は「プロスティトゥート(prostitute)」の訳の他に、支那語の「ぴー」から由来していることである。漢字はどうかと言えば、「尸(しかばねかんむり)」に「穴」を組み合わせた漢字。つまり、女性の性器を指す。「ヤ」の方は、魚屋とか八百屋の「や」である。つまり、「女性自身屋」という日・支混ぜ語である。(p.14) この語源を披露しなかったのは、中学生や高校生の可憐な少女が読むことを危惧していたからである。本当のことでも下品な事を言うのは、日本男子として躊躇(ためら)いが生じるのだ。 つくづく思うが、支那人という奴は実に卑猥な言葉を考えるものである。
日韓併合で朝鮮人は日本国民なってしまったから、建前上は日本人と同格。朝鮮ピーも日本ピーも「国産品」売春婦であった。当時の軍隊では送金や貯金が強く奨励され、外国でお金を使うときは日本商店で落とせと言われていた。「国産品を愛用せよ」がひとつの標語であった。よって我が軍の兵卒が性欲を満たそうとすれば、日本人か朝鮮人の慰安婦を買うよう奨励されたのである。民主党の連舫や辻元清美がキャンキャン吠えそうなモットーだが、戦前は公娼制度があったから女性でも金切り声を上げて非難しなかった。当時、娼婦は甲乙丙でランクがあり、甲は2円で十代の若い娘が一般的で、乙は1円でも二十代から三十代の増女(としま)が混ざっている。他に丙があるが、このランクは不潔で病気持ちが多かったから、丙の娼婦がいるピーヤに日本兵は立ち入り禁止。料金もいくらか分からない。
支那大陸でのピーヤがどんな風なのか知りたい。山東省齊南に派遣された鈴木氏が支那ピーヤでのエピソードを語っている。彼が支那ピーヤに入って支那ピーと契約が成立すると、彼女が「媽(マー)」と呼ぶ。郭(くるわ)の「お母さん」といったところか。すると、纏足(てんそく)をしたやり手ババアが洗面器を持ちながら出てきて、客から料金を受け取る。すると、支那ピーは紐で結んだだけのズボンを降ろし、下着も着けていない裸の下半身を露出する。各部屋に備え付けてある便器に小便をして、それからババアが持ってきた洗面器にまたがって、その中にあるお湯で「商売道具(性器)」を洗うのだ。股を布で拭いたら準備完了。(p.208)
鈴木氏はこの娼婦が字を知っていたのに驚いた。筆談で彼女が苦力(クーリー)の娘で、ピーヤが「地獄」と書いたという。鈴木氏は没落した家庭の子かと推測したが、可哀想なので質問を遠慮したそうだ。鈴木氏がある時このピーヤに再訪してみると、あの娼婦は居らず、居合わせた女が「小孩カンホ」としきりに言うので何かと思った。鈴木氏が、あの娼婦は何歳かを尋ねた。その女は「十三歳(シーサンスイ)」と答えた。(pp. 212-213) その支那人女は少女とセックスをする日本兵を非難していたのだろう。だが、支那では幼女売春など普通で、誰も気にしていなかった。人間の肉を食べる支那人が外国人をどうこう言うのは滑稽である。
「朝鮮娘を奴隷狩り」の嘘
今頃になって吉田清治の捏造本と朝日新聞の共犯関係が暴露されたが、慰安婦の実態は1990年代には明らかになっていたのである。鈴木氏が、朝鮮人女性の強制連行など馬鹿らしくて話にならぬ、と思っていたのには訳がある。戦前、内地(日本)の中学生が朝鮮女生徒の髪型か何かをからかったのが原因で、半島全域で大騒ぎになり、1528名もの退校処分者を出したことがあった。朝鮮人生徒が大勢、いつものごとく激怒したのだろう。今の日本でも見られるあの激昂しやすい朝鮮人が戦前にもいたのだ。
また、光武帝葬儀の時、朝鮮人の泣く姿があまりにも酷かったので、ある日本人が軽蔑的言葉を発してしまった。それを聞きつけた朝鮮人が「殺してしまえ」と叫び大騒動に発展したという。朝鮮人は葬儀の時、いかに悲しんでいるかを他人に誇示するために、みっともないくらい号泣するのである。泣き女を雇ってまで悲しい葬儀を演出するのだ。日本人なら呆れて「ばっきゃじゃなかろうか」と言いたくなる。
ある傷害事件が半島で起こった。在鮮日本人の中学生が些細なことで鮮人中学生と口論になって、その朝鮮人を短刀のような物で刺した。おそらく、その朝鮮人生徒に負けそうになって、錯乱した日本人生徒が刺したのではなかろうか。鈴木氏は、負けそうになっての凶行と推測している。まさか謝った相手を日本人が刺すわけないだろう。昔は道徳的教育や躾がしっかりしていて、子供だって卑怯なマネは嫌だった。朝鮮人生徒らが激怒し、194校から5,4000名の鮮人が抗議デモに参加して大騒ぎになった。(p.31)
こうした事件を知っていた戦前の世代は、朝日新聞の捏造報道に押さえきれない憤りを感じていたのである。若い母親から娘を奪ったり、父親・兄・近所の若い衆がいる前で少女等を無理矢理引っ張ってトラックに載せるなど妄想も甚だしい。娘を守ろうとした朝鮮人の男どもを殴る蹴るの暴行を加えたり、木刀で殴打したなど馬鹿らしい。「朝鮮娘を拉致して護送車の中で輪姦した日本人」と言う左翼どもの嘘を日本人の多くが信じてしまった。如何に「戦前の日本は下劣」という「日本人前科者」史観が浸透していたかが分かる。不思議なのは、朝日や吉田が朝鮮の男は腑抜けだと宣言していたのに、なぜ在日南鮮・北鮮人の男らは黙っていたのか。在日鮮人が誰も朝日新聞に石を投げつけなかった。驚きだ。奇蹟だ。天変地異が起こったのか? ちょっとしたことで、唾と鼻水を飛ばして怒り狂う朝鮮人が、戦後になってもおとなしく無口でいた、などと朝日記者は本気で信じるのか。
朝鮮から引き揚げてきた日本人なら、朝日新聞のヨタ記事などアホらしくて読めない。ただ侮蔑と公憤を投げかけるだけだ。そうはいっても、高齢の日本人は大新聞に対して個人的に抗議できるわけもなく、ただ新聞を破り捨てることしかできなかったのだ。子や孫から侮蔑されるのを耐えるしかなかったのである。では、戦争で亡くなった英霊の怒りは誰が代弁するのか。英霊の魂と肉を受け継ぐ我々ではないのか。我々一般国民もできることがある。友人や知人、役所、銀行などに朝日新聞購読を止めるよう訴えることである。英霊が戦場で流した涙を思えば、それくらいやったっていいじゃないか。
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朝鮮人慰安婦は「鮮ピー」と呼ばれていたことは以前このブログに書いた。しかし、読者には言えなかったことがある。鮮ピーについては、鈴木博雄の『体験的慰安婦の生態』(全貌社 平成9年)が具体的に語っている。鈴木氏は当時の日本人が慰安所のことを「ピーヤ」と呼んでいたことを教えている。「P」は「プロスティトゥート(prostitute)」の訳の他に、支那語の「ぴー」から由来していることである。漢字はどうかと言えば、「尸(しかばねかんむり)」に「穴」を組み合わせた漢字。つまり、女性の性器を指す。「ヤ」の方は、魚屋とか八百屋の「や」である。つまり、「女性自身屋」という日・支混ぜ語である。(p.14) この語源を披露しなかったのは、中学生や高校生の可憐な少女が読むことを危惧していたからである。本当のことでも下品な事を言うのは、日本男子として躊躇(ためら)いが生じるのだ。 つくづく思うが、支那人という奴は実に卑猥な言葉を考えるものである。
日韓併合で朝鮮人は日本国民なってしまったから、建前上は日本人と同格。朝鮮ピーも日本ピーも「国産品」売春婦であった。当時の軍隊では送金や貯金が強く奨励され、外国でお金を使うときは日本商店で落とせと言われていた。「国産品を愛用せよ」がひとつの標語であった。よって我が軍の兵卒が性欲を満たそうとすれば、日本人か朝鮮人の慰安婦を買うよう奨励されたのである。民主党の連舫や辻元清美がキャンキャン吠えそうなモットーだが、戦前は公娼制度があったから女性でも金切り声を上げて非難しなかった。当時、娼婦は甲乙丙でランクがあり、甲は2円で十代の若い娘が一般的で、乙は1円でも二十代から三十代の増女(としま)が混ざっている。他に丙があるが、このランクは不潔で病気持ちが多かったから、丙の娼婦がいるピーヤに日本兵は立ち入り禁止。料金もいくらか分からない。
支那大陸でのピーヤがどんな風なのか知りたい。山東省齊南に派遣された鈴木氏が支那ピーヤでのエピソードを語っている。彼が支那ピーヤに入って支那ピーと契約が成立すると、彼女が「媽(マー)」と呼ぶ。郭(くるわ)の「お母さん」といったところか。すると、纏足(てんそく)をしたやり手ババアが洗面器を持ちながら出てきて、客から料金を受け取る。すると、支那ピーは紐で結んだだけのズボンを降ろし、下着も着けていない裸の下半身を露出する。各部屋に備え付けてある便器に小便をして、それからババアが持ってきた洗面器にまたがって、その中にあるお湯で「商売道具(性器)」を洗うのだ。股を布で拭いたら準備完了。(p.208)
鈴木氏はこの娼婦が字を知っていたのに驚いた。筆談で彼女が苦力(クーリー)の娘で、ピーヤが「地獄」と書いたという。鈴木氏は没落した家庭の子かと推測したが、可哀想なので質問を遠慮したそうだ。鈴木氏がある時このピーヤに再訪してみると、あの娼婦は居らず、居合わせた女が「小孩カンホ」としきりに言うので何かと思った。鈴木氏が、あの娼婦は何歳かを尋ねた。その女は「十三歳(シーサンスイ)」と答えた。(pp. 212-213) その支那人女は少女とセックスをする日本兵を非難していたのだろう。だが、支那では幼女売春など普通で、誰も気にしていなかった。人間の肉を食べる支那人が外国人をどうこう言うのは滑稽である。
「朝鮮娘を奴隷狩り」の嘘
今頃になって吉田清治の捏造本と朝日新聞の共犯関係が暴露されたが、慰安婦の実態は1990年代には明らかになっていたのである。鈴木氏が、朝鮮人女性の強制連行など馬鹿らしくて話にならぬ、と思っていたのには訳がある。戦前、内地(日本)の中学生が朝鮮女生徒の髪型か何かをからかったのが原因で、半島全域で大騒ぎになり、1528名もの退校処分者を出したことがあった。朝鮮人生徒が大勢、いつものごとく激怒したのだろう。今の日本でも見られるあの激昂しやすい朝鮮人が戦前にもいたのだ。
また、光武帝葬儀の時、朝鮮人の泣く姿があまりにも酷かったので、ある日本人が軽蔑的言葉を発してしまった。それを聞きつけた朝鮮人が「殺してしまえ」と叫び大騒動に発展したという。朝鮮人は葬儀の時、いかに悲しんでいるかを他人に誇示するために、みっともないくらい号泣するのである。泣き女を雇ってまで悲しい葬儀を演出するのだ。日本人なら呆れて「ばっきゃじゃなかろうか」と言いたくなる。
ある傷害事件が半島で起こった。在鮮日本人の中学生が些細なことで鮮人中学生と口論になって、その朝鮮人を短刀のような物で刺した。おそらく、その朝鮮人生徒に負けそうになって、錯乱した日本人生徒が刺したのではなかろうか。鈴木氏は、負けそうになっての凶行と推測している。まさか謝った相手を日本人が刺すわけないだろう。昔は道徳的教育や躾がしっかりしていて、子供だって卑怯なマネは嫌だった。朝鮮人生徒らが激怒し、194校から5,4000名の鮮人が抗議デモに参加して大騒ぎになった。(p.31)
こうした事件を知っていた戦前の世代は、朝日新聞の捏造報道に押さえきれない憤りを感じていたのである。若い母親から娘を奪ったり、父親・兄・近所の若い衆がいる前で少女等を無理矢理引っ張ってトラックに載せるなど妄想も甚だしい。娘を守ろうとした朝鮮人の男どもを殴る蹴るの暴行を加えたり、木刀で殴打したなど馬鹿らしい。「朝鮮娘を拉致して護送車の中で輪姦した日本人」と言う左翼どもの嘘を日本人の多くが信じてしまった。如何に「戦前の日本は下劣」という「日本人前科者」史観が浸透していたかが分かる。不思議なのは、朝日や吉田が朝鮮の男は腑抜けだと宣言していたのに、なぜ在日南鮮・北鮮人の男らは黙っていたのか。在日鮮人が誰も朝日新聞に石を投げつけなかった。驚きだ。奇蹟だ。天変地異が起こったのか? ちょっとしたことで、唾と鼻水を飛ばして怒り狂う朝鮮人が、戦後になってもおとなしく無口でいた、などと朝日記者は本気で信じるのか。
朝鮮から引き揚げてきた日本人なら、朝日新聞のヨタ記事などアホらしくて読めない。ただ侮蔑と公憤を投げかけるだけだ。そうはいっても、高齢の日本人は大新聞に対して個人的に抗議できるわけもなく、ただ新聞を破り捨てることしかできなかったのだ。子や孫から侮蔑されるのを耐えるしかなかったのである。では、戦争で亡くなった英霊の怒りは誰が代弁するのか。英霊の魂と肉を受け継ぐ我々ではないのか。我々一般国民もできることがある。友人や知人、役所、銀行などに朝日新聞購読を止めるよう訴えることである。英霊が戦場で流した涙を思えば、それくらいやったっていいじゃないか。
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