きれいな惨殺死体

  帝国陸軍佐倉第57連隊の鈴木博雄・衛生兵が出版した『体験的慰安婦の生態』に奇妙な出来事が載っていた。鈴木氏が山東省済南で野外演習をしていたときに、偶然出くわした屍体について語っている。済南市街地から外れた農村地帯を歩いていたとき、蠟白色(ろうはくしょく)の瓜実顔(うりざねがお)の遺体が仰向けに横たわっていた。それは青白くなった面長の美少年で、両手両足のない裸の屍体であった。(p.69) 大きな犬がその遺体の肋骨の中に顔をっこんで臓器を喰っては、時折鈴木氏を凝視してたいた。その犬の首周りは血や肉汁でかなり汚れていたが、どういう訳か顔はきれいだったという。鈴木氏の他に仲間40名が目撃したが、皆沈黙したままであった。屍体には馴れてはいたものの、この凄い光景は部隊に戻っても他の仲間に伝えなかったという。

  いくら市街地とはいえ、大通りでそんな屍体があるのか、と鈴木氏は考えてみた。日本兵が来る前に、数匹の犬が屍体の手足の付け根を食いちぎって、互いに引っ張り合って肉がちぎれたり、手足を引きずったりしてもおかしくはない。ところが、屍体の周りに手足はなかったし、顔の頬も囓(かじ)られていない美顔のままである。鈴木氏は気になって再度考えてみた。第一、腰と股の付け根や腕と肩の付け根の四カ所だけを食いちぎったのか。手足腰肩などを犬が奪い合いしたら、屍体は無惨な姿に変化していただろう。それに、犬が腹部の内臓を食い破って引きずり出したら、胸のみぞおちあたりは、グチャグチャになっていたはず。胸や付け根あたりが妙にきれいだった。

  そこで鈴木氏は、その屍体は人肉食の残り物ではなかろうか、と推測する。若い男を殺してから、血を抜いてそれを飲む。そして四肢を切断して食用に取っておく。取り出した内臓は珍味として食べたのではないか。陰茎はどうなったか分からない。必要な部分の肉だけ取ったら、頭と胴体は要らないから、道端に捨てたのではないか。(p. 73) こう推理してみれば筋が通る。支那人には食人慣習があるので納得できる。

  支那人は人間を人間と思わない。ある事件を鈴木氏は紹介している。山海関の華北交通に勤める日本人社員の娘が行方不明になった。いなくなった三歳の娘を母親は探しに、毎日駅構内を探した。10日程たって、ある停車中の汽車の窓に、我が子を抱いた阿媽(女)を発見した。母親は駅の警備兵を呼び、その女を捕らえてもらう。娘は既に死亡しており、その子の腹には生阿片が出てきたという。(p. 72) しかし、その子の腹にあった内臓はどうしたのか。もしかして、食用になってのではないか。支那人にとって他人の子など殺したって、あるいは煮たり焼いたりしたって平気。牛、馬、豚、人間が同列になっている。日本人など、同等の人間ではなく、東の獣(東夷)であるから、朝鮮人同様に殺したってよいのだ。

食人慣習は支那の風習 

 支那人が人肉を食べる風習は学校で習わない。漢文教師はもちろん知っている。だが、政治的正しさ(political correctness)に配慮せねば馘(クビ)になってしまうから黙っている。漢文の授業では『論語』を教えるより、『韓非子』や『孫子』、余裕があれば『三略』『六韜(りくとう)』を教えるべきだ。これらの古典を読めば支那人の正体がよく分かる。『韓非子』には「齊(さい)の桓公味を好み、易牙(えきが)その子の首(あたま)わ蒸してこれを進む」(二丙 第七 3)とある。つまり、臣下の易牙は自分の子供を蒸して主君に献上したのである。自分の子供を殺して料理する、といった社会を日本人は理解できない。支那人の論理からすれば、子供はいくらでも作ればよい。出世の方が重要。そんな支那人でも親は大切らしい。なぜなら、親は父母の二人しかいないから。両親を産むことはできない。

  『荘子』に書かれてある晋の文公が、周遊中に食料が尽きたので、臣下の介子推が自分の股の肉を削いた。彼がの股肉を文公は食べて上を凌(しの)いだという。(盜跖篇) 『荘子』には別の有名なエピソードがある。孔子が泥棒で悪党の盜跖(とうせき) に説教してやろうと出かけ彼のもとを訪ねた。そしたら何と、盜跖は昼食中で人肉を食べていたという。まあ、よくある作り話、寓話の類だろうが、当時の支那人からすれば普通のことだったのであろう。支那人が人家本を食べた例など山ほどあり、『資治通鑑』や『後漢書』について漢文教師に聞けば、いくらでも教えてくれるだろう。だが、教科書に無いこんな事実を教えたら、良心的教師はPTAで吊し上げのリンチか、朝日新聞に叩かれて辞職となるだろう。

  支那の食人風習は外国人も記述している。かの有名なイタリア人マルコ・ポーロも述べている。福建地方の食人について、

  そこの人々はあらゆる種類の不潔な物、たとえ自然死ではない人間の肉までも食べるのである。彼らは殺害された人間の遺体を探し回り、その肉を美味(最高)だとみなして食べるのだ。  (Marco Polo, The Book of Ser Marco Polo: the Ventian Conderning the KIngdoms and Marvels of the East,  Vol. II, ed. and trans by Colonel Sir Henry Yule, discovered by Henri Cordier, John Murray, London , 1903, p. 225 )

  どうだ。支那人は何でも食べる。腐った鶏肉のチキン・ナゲットを作ったくらいでガタガタ言うな。人肉ナゲットでなかっただけ良かったろう、マクドナルドの諸君。支那人はどぶネズミや病死の豚からでも日本向け食品を作るのだ。支那版「もったいない精神」かな?

  支那人は人肉だけではなく、人骨、血液、毛髪、爪だって医薬と思って食べることがある。明代の宦官高宷が自分の生殖器を再生させる目的で、多くの童貞を買い取り、殺害してその脳髄を啖色(たんしょく/ぱくぱく食べること)したという。支那の迷信は恐ろしい。自分でペニスを切断したのが悪いのに、他人の脳味噌を食べるなんて、やっぱり「支那人」としか言いようがない。

  こんなんだから、戦前支那大陸で日本の将兵はおぞましいソースかけ饅頭を見たのである。昔むかし、北京で罪人が斬首刑にされた。

  斬首後数秒でその体は膝で支えきれず、ゆっくりと後ろに傾き、左側に倒れた。処刑人は剣を脇の役人に預け、一個がオレンジくらいの饅頭を五個数珠繋ぎにした。切断された首からとうとうと吹き出る血に浸した・・・その屍体はまだ微かに動いていて、心臓がまだ停止したい無かったか、血が体にめぐっていた・・・血に浸された饅頭は引っ掛けられて、太陽の下で乾燥させた。こうした饅頭は「血饅頭(shue-mantou)」として売られたのである。  ( David Field Rennie, Peking and the Pekingese, Vol. II, John Murray, London 1865, pp. 243-244 )

  日本でも肉まんが売られているが、人血を掛けて食べる異常者はいない。せいぜいトマト・ケチャップだろう。日本人は鎖国中、ずうっと支那を聖人・君子の理想郷と勝手に思っていた。だが、支那は地球上最も下劣・野蛮な地域で、そこに住むのは爬虫類だと考えた方がいい。日本人はイルカのような心の優しい哺乳類だとしたら、支那人はワニや大トカゲまたは人食いザメの一種と見なすべきだ。こうした兇暴な人種に我々は日本国籍を配っているのである。正気を失った民族に未来はない。 



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