下劣な文化を嫌った独裁者

  西歐史を学ぶ者なら歴史上の極悪人と言えば、第一にアドルフ・ヒトラーを挙げるだろう。歴史の授業をろくに聞かない劣等生でも、ヒトラーの悪名とホロコーストくらいは知っている。ユダヤ人鏖(みなごろし)を計った兇悪な独裁者は、学術書のみならず、映画、小説、テレビ番組で盛んに取り上げられたからだ。ウィーン出身のドイツ陸軍伍長は、不遇時代にパン屋で臨時労働者をしていたが、もともとは画家を目指していたのだ。図工兼水彩画家として生活していたヒトラーは美術品について関心が高かった。最近も彼の水彩画が競売にかけられ、高値で落札された。

  ヒトラーのユダヤ人迫害はあまりにも有名だから、ここで講釈をする気はない。しかし、ヒトラーが台頭する前のドイツやオーストリアはどんな社会だったのか、あまりにも人々の関心が薄いのだ。ヒトラー勃興後のドイツについては、特にアメリカのユダヤ人が映画やドキュメンタリー番組で執拗に宣伝しているが、第三帝国以前のワイマール共和国になると一般人の知識は乏しい。

  ヒトラーはドイツ帝国を偉大な国家にしたかったから不愉快で有害な藝術を排除したかった。それというのも、ワイマール時代のベルリンは「エロ・グロ・ナンセンス」が横行していたのである。現代の我々はヌード写真や、エロ雑誌、アダルト・ビデオに馴れているから、卑猥な藝術作品を見ても驚かない。しかし、第19世紀末から20世紀中葉までの欧米人は、とても倫理・道徳にうるさかった。ヴィクトリア朝時代の英国やプロテスタント倫理色の強い米国は有名だ。ドイツもフリードリッヒ大王の厳格な軍隊を継承する尚武の国であった。キリスト教倫理とプロイセン気質が濃厚なドイツ人が、公共の場で卑猥な絵画や劇場を鑑賞するはずがない。大正時代の日本でも、士族の倫理が理想とされていたから、街中で卑猥な行為や公序良俗に反する演劇などは御法度であった。女学校で性人形を使って教育など絶対出来なかったし、もしSM小説や春画(江戸時代のエロ本)などを紹介したら一大事である。激怒した父兄が伝家の宝刀を抜いて学校に殴り込んだら大変だ。ほんとに教師を斬るかもしれない。(もっとも変態教師は採用されなかったから心配ないのだけれど。)

  ドイツ文化はドイツ人が担っていたと日本人なら思うだろう。しかし実態はそうでなかった。たとえば、1931年の映像分野では、67あるドイツ映画会社のうち41社がユダヤ人経営である。つまり61パーセントがユダヤ人の保有であった。28のレンタル会社のうち24社がユダヤ系で全体の86パーセントを占める。映画脚本が144本あって119本をユダヤ人が書いた。実に82パーセントである。映画製作の53パーセントはユダヤ人の掌中にあった。ドイツにはそんなにユダヤ人が大勢住んでいたのか。まったく違う。ドイツにおけるユダヤ人の人口比率は1パーセントに満たず、0.9パーセントであった。

  農業が嫌いなユダヤ人は、学術界やサービス産業となると張り切る。映画のステージ・マネージャーや役者の多くがユダヤ人で、同胞ユダヤ人の批評家が賞賛してヒット作品になる。こうした相互依存関係を我々は「出来レース」とか「八百長」と呼ぶだろう。アメリカのハリウッドでも、役者は英国風に改名したユダヤ人の男優や整形した女優で一杯だし、製作会社はユダヤ資本ばかり。脚本家はユダヤ人か彼らに媚びる白人だし、評論家は映画会社とグルか手下である。アカデミー賞の審査員だって大抵、ユダヤ人の息が掛かった者かユダヤ人そのものかである。テレビ局の経営者と映画プロデューサーは同じ穴のムジナ、つまり裏で手を結んユダヤ人である。詳しく具体例を挙げると一冊本が出来てしまうので止めとこう。

  ではユダヤ人はどんな映画を作ったのか。彼らが好んだのはセックス、犯罪、同性愛であった。大衆の欲情をそそる物や暴力、下品な話題が多かったのである。たとえば、『道徳と官能(Moral und Sinnlichkeit)』『悖徳の書(Das Buch des Lasters)』『恋の値段は?(Was kostet Liebe?)』『罪深きママ(Sündige Mutter)』『売春(Prostitution)』といったタイトルの作品である。(Dr. Friedrich Karl Wiehe, Germany and the Jewish Question, 1938 を参照 ) まるで一昔前の日活ロマン・ポルノ映画みたいじゃないか。軽い喜劇やミュージカルも卑猥で、良家の子女なら眉を顰(ひそ)めるものであった。たとえば、『服を脱いで(Zieh dich aus)』『千人の裸婦(Tausend nackte Frauen)』『世界の罪(Die Sünden der Welt)』『愛の館(Häuser der Liebe)』『厳禁(Streng verboten)』『甘美と罪深さ(Sündig und süss)』といったタイトルだけでも内容が分かるだろう。

  日本人が書店や図書館でワイマール時代を勉強しても、こうした風俗知識を通常目にすることはない。たとえば、我が国でも有名なジョージ・モッセ(George L. Mosse)はドイツにおけるユダヤ人についての著書を執筆しているが、性風俗で活躍したユダヤ人を紹介しない。(『ユダヤ人の<ドイツ>』 講談社 1996年) そもそも敬虔なキリスト教徒家庭に育ったドイツ人が、いきなり性風俗に従事したり、エロ映画の脚本を書こうとは思わない。由緒正しい家系のドイツ人青年が、ドイツ娘にセクシーなドレスを着せたり、脚を露わにしてカンカン踊りをキャバレーでさせるとは想像できない。日本でもそうだ。小村寿太郎や勝海舟がいくら貧乏だって性風俗で働かないだろう。藝者の「おかわり」をよくした伊藤博文だって、博打が大好きだった井上馨だって、いくら何でもエロ本業者にはなれまい。しかし、品格や名誉を気にしない異民族のユダヤ人は、ドイツ社会のアウトサイダーであったから、いかがわしい職業でも平気で就くことが出来たのだ。

  娯楽産業でエロ作品を作ったユダヤ人は、アカデミック界でも卓越していた。法学や哲学、物理学ならドイツ紳士にふさわしい学問分野だが、セックス学(sexology)という破廉恥学を専攻する者などいない。しかし、この分野でもユダヤ人が主導していたのである。日本でもジグムンド・フロイトやウィルヘルム・ライヒが性科学者として有名だろう。しかし、マグナス・ヒルシュフェルド(Dr. Magnus Hirschfeld)やイヴァン・ブロッホ(Ivan Bloch)はほとんど知られていない。彼らは学問の鎧を着けているが、実態はポルノ学であり、結婚や家族を貶める手段である。自由放埒な恋愛や同性愛、妊娠中絶を擁護するものである。特に噴飯物はマックス・ホダン(Dr.Max Hodan)が、労働者にマスターベーション(自慰行為)の習慣を勧める小冊子を配布したことだ。こんなことを当時の米国でしたら、抗議デモどころじゃ済まないだろう。大統領や上院議員、州知事ばかりではなく、牧師や在郷軍人、家庭の主婦まで皆が怒りの声を上げ、淫乱学者は処罰されるに違いない。

ユダヤ人による西洋文化破壊

  ベトナム戦争時代に前衛芸術とかフリー・セックスが流行った。変な格好をした男女が奇妙な踊りをしたり、大麻を吸った若者が野合するのを日本人でも憶えているだろう。こうしたアメリカ社会の腐敗堕落を推進したのもユダヤ人であった。たとえば、マックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)は当時の進歩的知識人であった。ドイツから亡命してきたユダヤ人学者で、悪名高いフランクフルト学派の主要メンバーである。戦争よりも愛し合おう、などと謳っていたのだ。

  それ以前、ドイツでも伝統文化や国民道徳を破壊したのは、ユダヤ人や共産主義者であった。ワイマール時代で頽廃藝術(Entartete Kunst)の画家といえば、ゲオルグ・グロース(George Grosz)が一番に挙げられるだろう。グロースはルーテル派キリスト教徒の家庭に生まれたというが、本当にドイツ人の家系か明確ではない。当時はキリスト教徒に改宗するユダヤ人がたいへん多く、ユダヤ教徒の中にはいずれユダヤ教徒がヨーロッパで皆無となりはしないか、と危惧するがいたくらいだ。確かにグロース家の信仰はキリスト教だったが、血統はユダヤ人かもしれない。しかも、彼の周囲にはユダヤ人画家がたくさんいて、従来の西洋的美術に反発するサークルに属していたのだ。同類は群れるものである。

  最近、米国の大手ネットワークCBSでゲオルグ・グロースを特集した番組が放送された。人気番組『48アワーズ』でナチ党に迫害され、ヒトラーに睨まれた藝術家の筆頭である、と紹介されたのである。(Degenerate Art: How the Nazi attacked modernism, CBS News , May 4, 2014)番組では息子のマーティ(Marty Grosz)が、米国に亡命した父の辛い人生を語ったが、父親の恥ずかしい作品には触れなかった。また、ユダヤ人により所有され、ユダヤ人キャスターやスタッフがごまんと居るCBSでは、ユダヤ人に不都合な事実は報道されない。何も知らない視聴者はただヒトラーによって人生を狂わされた藝術家としか思えないだろう。しかし、グロースが卑猥で下品な絵を描いていたことは、テレビで絶対放送できない。

  では、どんな絵なのか読者は知りたいだろうが、ライブ・ドアの検閲が予想されるので、実際の絵は掲載できない。あまりにも卑猥なので筆者に警告・禁止命令が来るからだ。たとえば、グロースは脂肪太りの裸婦が脱糞している姿や、醜い姿のデブ女が陰毛の性器を見せている絵を描いている。また、スケベそうな老人がズボンを下ろして男根を出し、娼婦の尻を撫でている姿や両脇に売春婦をかかえた紳士が、ペニスを出しで勃起しているところを描いている。口にするのもおぞましいが、母と娘の娼婦が客のペニスをいじくって三人プレーをしている場面も描いている。こんな破廉恥な絵画を一般人に公開できないのも当然だ。CBSだって視聴者が抗議の電話が殺到することくらい承知している。敬虔なキリスト教徒の家庭ならスポンサーにすら抗議するだろう。だから、番組では一切触れなかったのである。

  ユダヤ人が牛耳るマスメディアはズルい。肝心の絵画を隠したまま、ナチスによる現代アートの弾圧だけに焦点を当てるなら、当時の状況が現代人に分からない。当時の常識や状況を説明しないで、現代の価値観で過去を断罪するのは不当である。藝術の価値判断は人それぞれ違うから、一方的な攻撃が良くないのは分かる。しかし、ナチスが何でも悪いとするのはユダヤ人の見解であって、ヨーロッパ人や日本人の判断ではない。ユダヤ人が嫌われるのは、たかっている宿主を自分と同化させて、反ユダヤ主義者を共通の敵にしてしまう点にある。イギリス人や西欧系アメリカ人はユダヤ人よりドイツ人に近い人種である。文化的にもアングル人はドイツ人と重なるところが多い。西歐社会でユダヤ人が自己の立場を強化するため、ナチ・ドイツを徹底的に悪魔化し、英米の国民が迫害された民族へ同情するように操作しているのだ。ドイツのみならずヨーロッパ各国でユダヤ人がどれほど暴れまくり、世間の厄介者だったかは、映画やドキュメンタリー番組で語られないのである。

  ユダヤ人でも信仰を捨てた者は根無し草になりやすい。祖国に還らず異国に留まり、嫌われながらもしがみついて動かない。賤民として暮らしながら、コツコツと銭を貯めて地位や権力を得る。居住地の文化はユダヤ人にとって異文化であるから、保守派になれずかえって反発心が生まれる。惨めな境遇にした西欧人が憎い。西歐のキリスト教倫理や社会道徳は、異質な肉体を持つユダヤ人にとっては、抑圧装置としか思えない。エレガントな振る舞いや、上品なマナーとかは虫ずが走る。貞操よりも気軽なセックスのほうがいい。ユダヤ教でがんじがらめに育ったユダヤ人は、信仰を捨てるともう誰も止められない。倫理・道徳は眼中になく、欲望の赴くままでやりたい放題。どうせ困るのは異教徒のヨーロッパ人である。同性愛でも淫乱でもいいじゃないか。自由が一番。既存の秩序が嫌なら共産主義者になって破壊すればいい。だからマルキストにユダヤ人が多いのだ。ユダヤ人は世間体なんか気にしない。どこか在日朝鮮人に似ている。賤民として異郷で暮らすと似てくるのだ。

  第二次世界大戦中、アメリカ人は気前よくユダヤ難民を受け入れてしまった。すばらしかったアメリカのキリスト教社会が崩壊するきっかけを作ってしまったのである。それまでのアメリカは、厳格な中流家庭が理想とされ、敬虔な子供や貞淑な母親、威厳のある父親が居たのである。世間でも常識や伝統が疑問無く守られていた。映画でも下品さや卑猥さは無く、誰でも安心して鑑賞できたのである。だが、性格がひね曲がったユダヤ人や下層移民のユダヤ人が激増したことで、アメリカの文化・芸術・学問・財界・メディアが乗っ取られてしまった。戦後、共産主義者にとってハリウッドは、アメリカ人のモラルを破壊するための巣窟となったのである。下劣なユダヤ人と赤い工作員が結束して、道徳的な古き良きアメリカを攻撃したのだ。一部のアメリカ白人がヒトラーを再評価するのは、ユダヤ人によって内部崩壊したドイツを知っているからである。読者には是非グロースの絵をお見せしたかった。まことに残念である。
  


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