カートを足で蹴る

  以前このブログで星野ひろみさんの支那生活を紹介したことがある。(11月24日『尻を出す支那人 恥じらい無き野蛮人』)北京大学に留学経験もある星野氏は、支那人男性と結婚し二人のお子さんに恵まれた支那通日本人である。(『だから中国は救われない』 KKベストセラーズ 2003年 参照) 弁護士のご主人と北京で生活することになった彼女の苦労話や仰天体験は、他人事なので我々には面白い。そんな彼女が家族と一緒の時に起こった体験談を紹介したい。

  支那人のマナーが悪いことはもう周知の事実である。常識的な日本人では考えられないが、支那人は頻繁に足を使う。足で床の雑巾掛け、荷物を足でよける、タクシーやトイレのドアを足で閉める、引き出しや冷蔵庫の扉を足で蹴って閉める、など足で出来ることは足を用いる。いかにも良いことは苦手だが、悪いことは得意な支那人らしい。

  帰郷していた星野氏が北京へ帰るとき、彼女の両親が一緒についてきた時の話。北京に着いた彼らは、空港のターン・テーブルで荷物が出てくるのを待っていた。すると彼女の父親は荷物を乗せるためのカートを持ってこようとした。彼がカート置き場に行くと、そこには若い支那人女の服務員がいたのである。ズボンのポケットに両手を突っ込んだその服務員は、なんと星野氏の父に足でカートを蹴って渡したのである。支那人を知っている者なら、「行儀が悪い服務員だ」とか「女らしくない」と思うだけだろう。しかし、支那人の“器用な足技”を知らぬ星野氏の父親にとっては、仰天に値することであったし、見方によっては侮辱とも解釈できる行為であった。当然その態度に激怒した日本人の父親は、「貴様、やり直せ!」とその服務員に歩み寄り怒鳴ったのである。(p.246) しかし、彼の言葉が理解できなかったその支那人女は、彼の激怒に「何事か?」といった表情でキョトンとしていたそうだ。その異文化摩擦を目撃した星野氏は、彼女の父が激昂した理由をその服務員に分かって貰いたかったが、その支那人女には何の事やら分からぬ仕舞いであった。その後にカートを取りに来た人に対しても、件(くだん)の服務員は足で渡していたのだ。(やれやれ。支那人に念仏、じゃなかった良識だ。)

  支那人を知らぬ普通の日本男子にしてみれば、年上の男に対して足で物を蹴って渡すなど言語道断。星野氏の父は「まったく、けしからん」と息巻いて、腹に据えかねたのである。支那人服務員にしてみれば、親切心からカートを渡してやったのに、なぜこの外人は怒っているのか理解出来なかったはずだ。支那人の言行を弁えている星野氏からすれば、余計な親切をしてもらわない方がよかったのである。星野氏は激怒する父親に、「お、おっ、お父さん、ここは中国だから! まあー、そう怒らずに・・・」といってその場を抑えたのだが、彼女の父は相当気分を害したらしい。(p.247) 彼女の父は筋金入りの大和魂をもった戦前世代の日本人であった。小さい頃の彼女は“特攻隊”や“学徒動員”の話をよく聞かされたという。日本では“ひと様”に対する「気配り」や「おもてなし」が当然である。支那人の無礼な行為にいちいち腹を立てていたら、日本人は血圧が上昇して心臓が参ってしまうだろう。他人に対する「繊細な心遣い」など、支那人にとったら超能力であろう。日本人は映画『X-メン』に出てくるミュータント(突然変異の人種)である。一般の日本人は高度倫理国に住んでいることを自覚していないから、支那の如き野蛮な底辺国を想像できないのである。

自己中心的な支那人

  支那人には“他人の立場に立ってものを考える”ことができない。たとえば、食堂や公園、待合室など多く人が集まる場所でも、テーブルの上は食べ物のカスと果物の皮が山のように積み上げられ、絨毯の上は瓜子の皮が散乱している。湯飲みが灰皿代わりになっている。支那人がよく唾や痰を路上に吐く行為は、日本人にとって非常に不愉快な行為である。筆者がニューヨーク市(マンハッタン)の12か15番通りを歩いていたとき、すらりとした脚の白人美女が反対方向から歩いてきた。その道端には支那人らしき男が立っていて、痰を吐いたのである。彼を見たそのアメリカ人女性は、一瞬顔に不快と侮蔑の表情を浮かべたのである。高級なビジネス・スーツを来て上等なハイヒールを履いた彼女は、まるで別の生き物を目にしたかのように通り過ぎていった。やはり人間には質の違いがあるものだ。人類皆兄弟といった笹川良一は間違っていた。

  支那の便所は最悪だ。便器の中にはタバコの吸い殻が投げ捨られているくらいはまだいい。ても水を流さず、次に使用する者がその汚物を目にして水を流すのだ。手洗い場は水や石鹸が飛び散っているし、ティッシュ・ペーパーがそこら中に散乱している。支那人が汚した便座に坐れる日本人は、かなり心臓が強い者だろう。しかも、排便後に水を流したら汚水が逆流してきて、床が水浸しになったりするのだ。日本人女性なら、人生で初めての最大音量悲鳴を上げるだろう。ドアの無いトイレで他人の肛門を見ながら用便できる支那人の神経を日本人が理解するのは不可能である。「しつけ」という字は「身」に「美」と書くが、支那人には「躾」かあるとはとても思えない。生物学では同じ哺乳類だろうが、心理学では別の生物じゃないのか。

  他人への配慮がない支那人は電話の掛け方も日本人とは違う。日本人なら間違った相手に電話を掛けてしまったら、「あ、間違えました。すみません」と言って間違った者が謝るのが常識だろう。ところが、支那人は間違い電話を掛けた方が不愉快に感じるのだ。支那人だと受け手が先に名乗らないので、掛け手が相手を確認すると子になる。目的の相手ではないことが分かれば無言で切ってしまう。星野氏によれば、支那人から掛かってくる電話で最も多いケースが、「あんた誰!」の第一声であるそうだ。(p.252) 掛けた側が名乗ることなく、突然「あんた誰」と言われたら、受け手は面食らうだろう。丁寧に「〇〇です」と答えても、せいぜいガチャンと切られるのが
関の山らしい。星野氏もこの支那式コールを経験したという。

  星野氏がよる11時を回り寝床に着こうとしたとき、突然の電話が掛かってきた。暗闇の中で電話を取ろうとした彼女はベッドの端に思いっきり脚をぶつけてしまったという。それでも星野氏は受話器を取って「ウェイ、ニーハオ」と応じた。ところが電話の主は彼女の声を聞いて間違った相手と分かり、何ら謝りもせずにすぐ切ってしまった。それから2、3分後にふたたび電話のベルが鳴ったので、さっきの相手からだと推測した星野氏は、「ウェイ」とだけ答えた。すると電話主の女性は「あんた誰?」と訊いてきた。知らない相手からの夜中の電話だったので彼女は、「掛け間違いではないですか? 」と聞き返したそうだ。すると不愉快そうに間違えた側の支那人が、「私を呼んだのは誰よ」と言葉を返してきた。何らかの理由で番号が違っていたのだろう。二度も間違ったからその支那人の癪(しゃく)にさわったのだろうが、星野氏には何ら落ち度はない。星野氏が「私は呼んでいませんよ」と答えると、支那人女は星野氏を「你有病(病気持ち)」と呼んだあげく、思いっきり電話をガチャンと切ったという。星野氏は支那人女の捨て台詞(ゼリフ)に腹が立ってその夜は眠れなくなってしまった。彼女の支那人亭主によれば、「你有病」とは「お前はアホか」という意味であったらしい。

母親の辛い立場

  啓蒙された最近の日本では、支那人の悪いマナーばかりでなく、不潔な生活や兇悪犯罪がたくさん報道されるようになった。有毒食品や排日暴動などは週刊誌でも数多く取り上げられ、支那人に対するイメージが悪くなった。心の優しい日本人の中には、それが一面的な支那人報道だと解釈する者もいる。本当は支那人の正体をごく僅かしか伝えぬ、氷山の一角報道なのだが、日本人はあまりにも酷い事件が支那に多いので、支那人の良い面も見てあげようと考えてしまうのだ。支那人と結婚した日本人は、露骨だが正直な支那報道に心を痛めている。結婚相手は善良な支那人だが、その他の支那人は実に嫌な人物が多い。支那人と結婚しても日本人配偶者は日本人のままである。性格や習慣は多少支那人的になるかも知れぬが、精神や肉体は日本人のままだから妙な安心感がある。だが、生まれた子供は違ってくる。

  星野氏が2002年に子供をつれて帰国したときのことである。七歳になる彼女の息子は片言の日本語で「日本はけれい(きけい)、中国はけれいくない」と語ったという。二週間ほどの滞在であったが、そうした長男の感想は毎日のように発せられ、日を追うごとに「日本は好き、中国は嫌い」と変化し、仕舞いには「中国には帰りたくない」と言うようになった。(303) そりゃそうだろう。子供は世間体や異民族への配慮を気にせず正直な感想をのべるものだ。星野氏は率直な長男の発言に悩んだという。もしも息子が全くの日本人なら「中国の政治が悪い、大人が悪い」と言って簡単に片付けることが出来たであろう。しかし、彼女は長男に「中国もきっと良くなっていくよ」と答えることしか出来なかったのだ。長男は何食わぬ顔であのような感想を述べたのだが、母親の星野氏は「息子の身体の中で中国という血と日本という血が闘っているような衝撃」を覚えたという。(p.303)

  星野氏の結婚は「後悔先に立たず」の典型例である。支那人男性と惚れて夫婦になった頃は、そんな悲劇に気づかなかったはずだ。結婚すれは子供を授かることくらい分かっている。しかし、その混血児は半分支那人になるという認識がなかったのだ。我が子が、あのおぞましい野蛮人の同胞になることに気づかなかったのである。子供が物心つくようになって初めて分かるのだ。「きれい」な日本の母親を持つ子供は、「汚い」支那の父親を持ってしまったのである。日支混血児はたとえ日本に住んでも、いつも支那人という汚点(stigma)に苛(さいな)まれるだろう。細胞の一つ一つに“支那印”が刻印されているのだ。生まれながらにして背中に刺青が彫られているようなものである。鏡に映った自分の顔が毎朝嫌になるだろう。

  星野親子にとり、わずか二週間足らずの滞在であったが、その間にも支那人による殺人事件が2件も起きてしまった。星野氏は、息子が感受性豊かな年頃になって、日本でこうした事件を聞いたら、一体どんな風に感じるのか、と思いを巡らし胸を痛めた。「長男の身体に流れる血が一方で人を殺し、一方で殺されるという二役を演じているのだから」(p.304) 残酷なようだが答えは簡単。支那に永住して日本に戻らぬこと。混血児にとって日本が素晴らしい母国であっても、半支那人という劣等感を持ちながら生きるより、支那という暗黒大陸でがむしゃらに生きた方が精神に良い。家族にとってもその方がいい。日本人の祖父母だって孫が支那人との混血児だなんて友人に知られたくない。「チャンコロの精子で出来た」孫では恥ずかしい。両親にとり支那人と結婚した娘は、何があろうと日本人である。支那人にまで落ちぶれても箱入り娘であり、支那人の血が混じっても可愛い孫である。心の底で落胆している日本人祖父母にとっては、「支那人」という言葉は胸に突き刺さる。下等動物に嫁いだ娘が不憫に思えてならない。普通の父親なら娘の写真を手にして「何も支那人と一緒にならなくても」とつい愚痴をこぼしてしまう自分が許せなくなる。

  支那人と結婚した日本人女性は後悔するかも知れないが、子供を産んだら強くなる。母性本能は国家意識よりも強い。星野氏曰く、(自分は)「中国人の妻であり、日中の混血児の母であり、中国に根づく私は、外国人であっても、お客さんではない。」(p.302) 日本人女性は忍耐強く努力家が多いから、支那でも生きていけるだろう。ただ、子供のことだけは心配になる。支那人という負い目を与えてしまった罪悪感があるからだ。息子の将来を案ずる星野氏はこう主張している。

   “日中友好”は有名無実であってはならない。お互いがお互いを必要としているのだから。私はすでに十数年という人生を中国に捧げており、中国とはただならぬ縁をひしひしと感じている。(p.305)

  これは半分自己正当化であり、半分非現実的願望であろう。支那と日本が友好になることはあと数千年は無いだろう。日支混血児の子供が将来グレないよう願う母親の姿は痛ましい。母親を愛する息子は親を恨めないから、支那人を嫌う日本人を怨むようになる。同胞の支那人も嫌うが、それ以上に自分を日本人と認めぬ日本人を嫌うのだ。支那人が兇悪犯罪を起こしたり、破廉恥行為を平然と成す度に、「支那」という不快感が頭と心に
わき起こる。日本で歴史を学んだら、図書館と本屋に放火したくなるだろう。もしかしたら朝鮮人に同情するかもしれない。日本に憧れながらも日本に反発する矛盾に苦しむのだ。筆者は旧約聖書で有名なヨブの受難を思い出す。ヨブは天主(God)から幾多の苦難を受けながらも背教者にならなかった。しかし一般人はヨブにはならない。たいていはマルクスやレーニンのようになってしまう。支那人や朝鮮人との子供をもうける日本人女性は、覚悟せねばならぬ。その子の頭に666(悪魔の印)があるかも知れないぞ。




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