王室をもつ国家と人民だけの国家

  ブリテン聯合王国のジョージ王子が誕生日を迎えられ、その成長ぶりを示す写真が披露された。ブリテン国民は幼い王子の愛くるしい姿を見て大はしゃぎ。もっともだ。ハンサムなウィリアム王子と美しいキャサリン妃とのあいだに生まれたのだから。ジョージ王子の顔をみれば、我々日本人だって、ウィリアム王子の幼少時代を思い出す。無邪気に笑顔を振りまくジョージ王子は、今は亡きダイアナ妃に抱かれたウィリアム王子と瓜二つ。キャサリン妃に抱かれて国民の前に現れる小さな王子は、イングランドの民衆に大人気で、中年婦人でさえ、少女のように声援をあげて手を振っている。マスコミもここぞとばかりに張り切って写真を撮ったり、王子のよちよち歩きをテレビに映し出す。

  いいねぇー、イギリス人は。フランス人が羨んでいるぞ。くやしいフランス人は粋がって「共和政萬歳」を叫ぶが、心の底で「ブルボン王家よ戻ってきて」とつぶやくだろう。ピューリタン革命で一時期共和政をとってしまったイギリス人は、オリヴァー・クロムウェルが死去すると、息子のリチャードをあっさり見限って捨ててしまった。あの高名な法学者マシュー・ヘイル卿(Sir Matthew Hale)でさえクロムウェル側についていたが、護国卿亡きあとは王国に戻すことに賛成だったのである。共和政論者のジェイムズ・ハリントン(James Harrington)なら、君主政への回帰を反対しただろうか、多くの国民はスチュアート朝のチャールズ2世が戻ってくる方を選んでしまった。やっぱりイングランドは王国でなけりゃ。共和政では「人民に幸あれ」とか「民衆が主体」なんて言ったって元気が出ない。「国王陛下に乾杯」と叫んでウィスキーを飲んだ方が景気がいいだろう。議会で与野党が殴り合いの討論をしたって、国王陛下お出ましとなれば、鼻血を垂らした野党議員だって、喧嘩相手と一緒に「国王陛下萬歳」と雄叫びを上げてしまうのだ。日本でも帝國議会において予算編成でもめると、伊藤博文が明治天皇にご相談となり、陛下がご内帑金(ないどきん)を下賜されたりする。すると怒号はげしく与党を攻撃していた議員も、陛下の御宸襟(みこころ)を悩ましたことに気づき、めでたく予算が通る。ただし、マスコミは伊藤が「袞龍(こんりゅう)の袖に隠れた」(陛下の庇護に逃げた)と陰口をたたいたが。

   
  最近も、ウィリアム王子とキャサリン妃が米国をご訪問された。アメリカ人も大喜びで大歓迎。ニューヨーくを訪れるのは、ダイアナ妃と同じでマスコミ対策もあっただろうが、ロイヤル・ファミリーをもたないアメリカ国民にとっては、高貴な青い血(blue blood)は憬れである。アメリカ黒人は彼らのブラック・プリンスたるオバマを大統領にもてたから満足だろうが、アメリカ白人は黒人元首にはうんざりしている。黒人どもが何かと言えばオバマを絶賛するし、有色人種に媚びるマスコミはこぞってオバマを援護する。西欧系アメリカ人は合衆国が自分たちの国である、という実感が欲しいのだ。もちろん、星条旗を掲揚して忠誠を誓うことは毎日でも出来るが、自分に向かって言葉をかけてくれる高貴な国家元首がいい。とくにイギリス系アメリカ人は英国王族と会うことで、自分の体に流れるアングロ・サクソン人の血が騒ぐ。自らの血管に流れる歴史を再認識したいのだ。

  ヨーロッパ貴族に興味がある日本人なら知っているが、歐洲の小国リヒテンシュタイン公国には黒人のプリンセスがいる。ハンス・アダム2世の次男プリンス・マクシミリアン(Prince Maximilian of Liechtenstein)は、パナマ出身のアンジェラ・ジゼラ・ブラウン(Angela Gisela Brown)と結婚した。2000年に結婚した彼らには、黒い肌のアルフォンス(Alfons Constantin Maria)が生まれてしまい、ヨーロッパの王侯貴族にアフリカ人の血が混じってしまったのだ。リヒテンシュタイン国民が心から祝福したかどうかは定かではない。しかし、落胆した国民は多かったのではないか。アルフォンスの顔を見て「我らの若きプリンスだ」と喝采を送る者はどれほどいたのか疑問だ。

国家の形成は貴族による

国王を拝することで国民は国家を実感することができる。ヨーロッパのゲルマン民族は広大な帝国というものが嫌いだ。ドイツ人は小さな領邦国家に満足していたし、イギリス人はブリテン島で過ごしていた。ネーデルラントも連邦国家である。ヨーロッパ人には適度な国家の尺度があるのだ。古代ギリシア人は、一万人の成人をもって国家の単位としたのである。都市国家(polis)にとって、その構成員が可視的であることが肝要であった。(ホセ・オルテガ『ヨーロッパ論』 吉田秀太郎・訳 オルテガ全集 第8巻 白水社 p173) イギリス人が女王陛下が片田舎をご訪問された、とかコーギー犬を連れて散歩された、とかの些細な日常でも国民はそこに国家を見るのだ。共和国のアメリカ人は大統領の日常を見ても心が弾まない。シカゴの黒人共産主義者オバマがテキサスやヴァージニアの田舎町を訪れたって、昔からの白人住民にとったらフットボールの試合の方が楽しい。ジョージ・ワシントン大統領に息子がいて跡継になっていたら、アメリカ白人はどんなに幸せだったことか。

  日本では左翼知識人が歴史学界を牛耳っているので、スペインのフランコ将軍に関する評価がすこぶる悪い。共産主義者の本性を隠しながら授業を行う教師が日本には以上に多いからだ。従って、フランコ将軍はスペイン国民を押さえつけるファシスト軍人としか紹介されない。ここでは詳しく述べないが、いわゆる“右翼”政権だったからこそ、フランコ将軍没後に王政が復活たのである。人民戦線の左翼政権だったらブルボン家の復活はなかっただろう。共和国のままならスペインの人は、フェリペ6世やレティシア妃、レオノール王女、ソフィア王女を拝することができない。国旗を振りながら両陛下や王女を祝福する喜びもないのだ。スペイン国民は投票権をもっていても、野心満々の政治家と不快な顔した役人なんか見たくないだろう。やはり何の見返りも求めず国民を大切に思う王族の方が素晴らしい。

  日本の高校や大学には皇室や王室、貴族を憎む赤い教師が溢れているから、彼らが教える歴史には君主制の重要性が欠落している。民衆の味方を装う進歩的文化人や左翼崩れの学者は、農民や賃金労働者、貧乏人を煽り、社会を支配するブルジョア階級や貴族、王室を社会・国民の敵と位置づける。しかし、国家とは貴族によって形成されるのだ。農民とは植物的であり、大地に根を張って生きているが、国家をつくる能力を持たない。宗教家は大衆を魅了するが、所詮は口先だけの説教坊主である。行政の実務能力に欠けるし、戦争になったらまったく頼りにならない。国家を形成するのは土地に根を張り、民衆を指導する一方で、文化を醸成する役目を担う。有名なドイツの歴史家オズワルド・シュペングラー(Oswald Spengler)はこう述べてる。

  貴族と農民は全然植物的であり、本能的であり、先祖の土地に深く根をおろし、飼育し、また飼育されれつつ、種族の樹をなしてひろがっていく。(『西洋の没落』 第二巻 村松正俊 訳 五月書房 昭和53年 p.278)

  貴族や王室は治安維持や生活全般をカバーする行政、宗教を含む文化事業に加え戦争を行うのだ。王が貴族を顧問官として王国の将来を決めていく。だから支配家族の血が全国民の運命を体現しているのだ。しばしばヨーロッパでは継承戦争が起こる。オーストリアやスペインの王位継承をめぐる争いは有名だ。英国のヘンリー2世などは、フランス王かと思われるくらいフランスの領土を相続していた。ホーエンツォレルン家のプロイセンは国王と軍隊が国家をもつと言われたくらいだ。スイス人とネーデルラント人が存在するのは、ハプスブルク家に叛逆した結果であり、ロートリンゲン(ロレーヌ)は土地の名として残っているが、国家としては存在していない。ロタール王が没した後に後継者がいなかったためである。

  名望をあつめる貴族が力を持つようになると、国家の歴史は偉大な家族の私生活の中に統合されていく。第5世紀のアテナイ史は大部分がアルクマイオン家の歴史であったし、、ローマの歴史はファビウス家とラウディウス家の歴史と言っていいくらいだ。バロック時代とはブルボン家とハプスブルク家の歴史である。日本の歴史は皇室(朝廷)を中心として武士が政権を担った物語である。朝廷が実権をもたずとも、常に日本という藩を超えた全国の統治者となっていた。幕府将軍がいかに兵馬の権を拡大しても、天皇の地位にはつけなかったのである。足利氏や徳川氏が皇位についたって誰も尊敬しない。民衆の敬意がなければ何の権威もないからやるだけ無駄。神話時代に系譜を遡って祖先を語ることができる皇室は世界の奇蹟である。ヨーロッパの貴族社会で古株のイングランド王室だって、皇室と比べたら霞んでしまうだろう。エリザベス女王のご先祖を遡ったって、せいぜいローマ帝国時代のゲルマン人傭兵部隊の親分(rex)くらいだろう。歴史の重さが違うのだ。

  可愛いジョージ王子に見とれているイギリス臣民は、王政を復活させた祖先に感謝すべきだ。フランス革命でブルボン王家を抹殺してしまったガリア人は愚かである。ルイ16世を処刑したら、独裁者ナポレオンが現れて、大戦争になってしまった。その後は王政が復活したが、共和政が巻き返してフランスの国家体制は、猫の目のようにクルクル変わっていった。ドイツに二度も負けた上に、日本軍にもインドシナで破れて追い払われてしまった。スエズ動乱ではアメリカに屈服。社会主義者の政治家がうじゃうじゃいるし、ハンガリー出身のユダヤ人サルコジが大統領になってしまった。しかも中東アジアやアフリカからの移民で白人国家だったフランスは茶色の雑居房に転落している。泣きっ面に蜂だが、大好きなフランス代表のサッカー・チームは有色人が占めているだ。本当に泣きたくなるではないか。フランス人はいっそのことみんな赤白青の化粧をして、酔っぱらいながら暮らした方がいいのかも知れない。我が日本には悠仁親王殿下がいらして本当に良かった。我々は日本人の皇族を拝することができるのだ。日本人が当たり前に思っていることは、意外にも稀な幸せである場合が多い。




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