人体実験でわかった人種の違い

  フランス革命の害毒を汲むマルクス主義によって、西歐世界が崩壊の危機にさらされた。保守思想の巨星エドマンド・バーク(Edmund Burke)が彗星の如く現れ、フランスに蔓延したペスト的過激思想を退治する嚆矢(こうし)となったことは有名な話。我が国でも遅まきながら、兇暴なマルキストから祖国を守る保守思想が、少しだけ蘇生してきた。日本の歴史を貶め、政治・経済のみならず文化までも根底から破壊しようとする、怨念に凝り固まった左翼勢力は忌まわしい。日本の伝統と皇室を守ろうとする正常な国民は、そうした蝮(マムシ)の共産主義者に知的戦いを挑む。これに筆者は大賛成。しかし、悠久の歴史を誇る我が国の遺伝子は守らなくてもいいのか、と保守派知識人に問いたい。伝統文化を守ることには皆で一致するのだが、肝心の国民の肉体は変質してもいいのか?日本の國體(こくたい/constitution)は、数千年の時間をかけて形成されたが、日本人が親子代々受け継いだ国土に、皇室と共に暮らしてきたことで成り立つ。国民の遺伝子はどうでもよい問題なのか? これは我が国の保守思想家が避けている論点である。

  西歐世界はヨーロッパ人、主にゲルマン人とケルト人などの白色人種によって、様々な王国が形成されて今日に至っている。明治維新前後に西洋視察を経験した日本人は、白人だらけのヨーロッパ諸国を目の当たりにした。まるで長崎のオランダ商人ばかりが住んでいるように思えたであろう。たまに黒人やインド人を見かけても、下男下女か奴隷だったりするから、社会の主流民族とは見えなかったはずだ。しかし、第20世紀も半ばを過ぎた頃から、異人種間結婚(または同衾・内縁関係)が段々と増えてきた。1960年代までの米国では、異人種交際、つまり白人と有色人種との交際は忌避されたし、社会からも譴責(けんせき)されたのである。それでも、各国から異なる人種・民族が流入するので、異人種混淆は不可避であった。人道主義や平等思想の建前上、あからさまに有色人種との交際はダメと白人の親は子供に言いづらい。でも、本心では有色人種との結婚はやめて欲しいのだ。アメリカ白人は露骨に有色移民に反対したくないが、できれば彼らの流入を阻止して、昔のような白色アメリカを復活させたいと思っている。

  白人が主体だったアメリカ社会を変えてしまった要因は様々あるが、主なものを挙げると、マルクス主義のユダヤ人や下層移民、白人リベラルといった左翼知識人、黒人団体、米国を支配下に置こうとする国際主義者(グローバリスト)など、詳しく述べたらきりがない。いまの学校で異人種混淆の具体例をあげて警告するわけにもいくまい。そこで、「百聞は一見にしかず」にしだがい、有名人を例にして考えてもらいたい。

  1980年代の米国で大ヒットしたTVドラマ『マイアミ・バイス』は、日本でも放送されたので、覚えているかたも多いだろう。主役のドン・ジョンソン(Don Johnson)はその甘いマスクでアメリカ人女性のみならず、日本人女性も虜(とりこ)にしてしまった。南鮮人俳優(所謂“韓流スター”)と違って、本当の人気を博していたのである。ハンサム俳優のドン・ジョンソンは、美人女優のメラニー・グリフィス(Melanie Griffith)の夫であった。メラニーはあの有名女優ティピ・ヘドレン(Tippi Hedren)の娘である。ティピ・ヘドレンといえばあるふれっど・ヒッチコック監督が惚れ込んだくらいの美女で、『鳥』と『マーニー』で主役を演じたから、日本の映画ファンでもよく知っているだろう。若き日のショーン・コネリーと『マーニー』で共演したティピは本当に魅力的であった。(当時、北欧系美人女優は人気者であった。)007のジェイムズ・ボンドと別人のコネリーを観て感動した人もいたのではないか。母親の仕事柄、メラニーは14歳の頃にドンと出逢って、1976年1月に結婚したものの、6月には離婚してしまった。まだ幼かったのだろう。そのあとスティーヴ・バアウーと結婚し、息子アレクサンダーをもうけるが離婚してしまう。1988年にドン・ジョンソンとよりを戻して再婚し、娘のダコタ(Dakota Johnson)が生まれた。ダコタも今は女優になっているから、祖母と母に次いで三代目だ。

  若いメラニーがドンと初めて結婚した頃の写真をみると、とても爽やかで初々しい感じがする。古き良き時代のアメリカを想い出させるような若いカップルだ。何というか、ちょっとした恋愛映画のいち場面でも観ているかのような、ほろ苦い少女の恋みたいな印象を受ける。若い頃から女にもてたドンに、一人の女で一生我慢しろとは言いづらいが、再婚して娘ができた頃にはうまくいくよう願ったものだ。父親によく似た美しい娘を悲しませるような離婚はやはりよくない。子は鎹(かすがい)と言うじゃないか。ちょっと古いか。(若者への註/鎹とは木材を繋義合わせる釘のこと。)しかし、女優の性(さが)かわがままか、ドンとはうまくいかず1994年にまたもや離婚となる。


  その後、映画がきっかけとなって1996年有名俳優アントニオ・バンデラス(AntonioBanderas)と再婚したメラニーは、娘ステラを出産した。結婚ごとに子供を産むから少子化対策には役立っているし、子供手当も要らないから大したものだ。でも、ステラの顔を見るとやはり、アントニオのラテン系遺伝子が強いのかと思ってしまう。同じ母親の腹から生まれたにしては、ステラの方が魅力に欠けてのかなぁ。これは主観的判断だから、各人違った感想をもつであろう。日本男子2000人くらいのアンケート調査が欲しいところだ。西欧系白人男子なら、ダコタの方が人気が高くなりそうだし、女優としても彼女の方がステラより仕事のオファーが多いだろう。実際、ダコタは人気小説『フィフティメシエイズ・オブ・グレイ(Fifty Shades of Gray)』の映画化で主役を演じている。共演者は当初チャーリー・ハナム(Charlie Hanamであったが、スケジュールの関係でジェイミー・ドーナン(Jamie Dornan)に替わってしまって、ファンは少々ガッカリ。だってハナムはあの高視聴率ドラマ『サンズ・オブ・アナーキー』で、主役ジャクスを演じた人気上昇中のハンサム英国俳優である。日本の女性ファンも落胆しただろう。ダコタは親の七光りで主役を得たかも知れないが、ある程度美人でないと映画で主役は張れないだろう。

  アントニオ・バンデラスとは長続きしそうだったが、2014年になると関係が怪しくなり、またもや離婚を繰り返してしまった。女優の離婚は珍しくないが、結婚の意義が一般人と違うのだろう。彼女の離婚は家族の問題なので、他人がどうこう言うことではないので、ここではそっとしておく。我々が注目すべき点は、同じ女性の卵子と子宮で生まれた娘ふたりが、アングロ系とラテン系の精子により違ってしまったことだ。アングロ・アメリカ社会において、北欧ゲルマン系のイギリス人やスカンジナヴィアまたはネーデルラント系の住民なら、ダコタの方を仲間として迎えたいだろう。自らの容姿に似た、つまり肉体の質が同じような少女の方が、同族の青年たちにふさわしいし、大人たちも安心である。メキシコの原住民や北アフリカのベルベル人みたいな男から、不気味な遺伝子をもらった少女は、できればラテン・アメリカで暮らしてほしい。ステラがアントニオを父として選んだのではないから、彼女には罪がない。しかし、メラニーには選択権があり、妊娠の結果を予測できたのだから、生まれてくる子供の将来はだいたい察しがついたずだ。

黒人の遺伝子は恐ろしい


  白人と黒人の異人種間結婚(miscegegenation)は、白色人種にとっては脅威である。白人女性と黒人男性が結婚し、子供が生まれる場合、黒人の遺伝子の方が優性となるからだ。1660年代の植民地時代のアメリカでは白人と異人種との結婚は罪であった。メリーランドでは1664年に異人種間結婚が罪になっていたし、ウァージニアで1691年に反異人種間結婚法が成立すると、翌1692年にはメリーランドでも同じ法案が通ったのである。1960年代になると有名なラヴィング対ヴァージニア裁判が注目を集め、1967年には白人と黒人の結婚を禁じる法律が違法とされてしまった。この判決により、白人の夫リチャード・ラヴィング(Richard Perry Loving)と黒人妻ミルドレッド(MIldred Delores Jeter)の結婚は承認され、長らく続いた法的な人種隔離が崩れ始めたのである。いったん崩れた壁は修復することができない。修理する白人より、ハンマーで徹底的に壊そうとする者の方が圧倒的に多いからだ。

  白人女性と黒人男性の結婚による混血児で有名なのがオバマ大統領である。カンザス州の白人娘アン・ダナムの遺伝子より、ケニア人留学生のバラク・オバマの遺伝子の方が、明らかに優性だった。(ただし本当の父親かは不明である。) オバマ大統領には異母兄弟がいるが、アフリカ人の兄弟たちなので皆黒くて違いが鮮明ではない。そこで参考になるのが、ドイツ人スーパー・モデルのハイディ・クルム(Heidi Klum)だ。

  ハイディ・クルムは2004年にイタリア人フラビオ・ブリアトーレとの間に白人の娘レニ(Helene Boshoven Klum)をもうけるが、2005年黒人ミュージシャンのシール(Seal/ Henry Olusegun Olumide Adeola Samuel)と結婚してしまう。彼との間には息子を二人、ヘンリー(Henry)とヨハン(Johan)をもうけ、2009年には娘のルウ(Lou)を出産する。ハイディは有名雑誌の『ヴォーグ』や『エル』『マリー・クレア』ならびに『ヴクトリアズ・シークレット』でモデルを務めたくらい人気者である。金髪のドイツ人美女が、ブラジル人の父とナイジェリア人母との間に生まれた黒人歌手と結婚して、子供を三人産んだのだ。大衆雑誌の『ピープル』などはその異人種カップルを持て囃したが、白人のなかには眉を顰(ひそ)める者が少なくなかった。長女のレニと父親を異にする兄弟を見たらゾッとしてしまうかも。また、義理の娘レニを抱くシールは不思議ではないのだが、事情を知らぬ他人が目撃したら、黒人が白人少女を拉致したのか、と勘違いしてしまうだろう。全然似ていない親子だからしょうがない。1960年代のアメリカだったら、誰でも警察官を呼んでしまうだろう。それくらい現代のアメリカは昔と違うのだ。

  芸能界で生きているクルムは、人種を気にしていないように振る舞うが、彼女が育った時代や環境を想い出せば異常だ。せっかく親からもらった美しい容姿を子供に継承させずに、黒人男性の遺伝子と混ぜて台無しにしてしまったのだ。母親のハイディは黒人男性とセックスしても容姿は変わらないが、その結果の子供は別の容姿で生まれてくるのである。彼女は両親から受け継いだ美貌で現在の地位があることを自覚していない。希有(けう)な金髪美女だから、さしたる才能がなくてもファッション・モデルや女優の仕事が舞い込んでくるし、バラエティー番組の仕事で審査員をしたくらいで大金を獲得できるのだ。アフリカ人顔した黒い肌の子供たちは同様の地位や人生を望めまい。現在の白人社会の病理は、自分の人生だけが素晴らしければそれでよい、とする考えが蔓延(まんえん)していることだ。親は子供に教育を施すとともに、祖先から受け継いだ遺伝子を子孫に渡す義務がある。命は血の河を流れるのだ。二人の親と四人の祖父母、八人の曾祖父母、と先祖を遡ってみれば、いかに多くの遺伝子が自分の体に凝縮されているか分かるだろう。

  日本では老舗旅館や老舗料亭などが尊敬される。先代や先々代が築いた家業を子孫が受け継ぐ姿は素晴らしい。現在の経営者は、創設者からの伝統を尊び、代々語り継がれた訓戒を守り、後世に伝える義務を有する。こうした伝統重視の精神は、肉体的に繋がっている子孫が実践している場合が多い。もしも、血が繋がっていない外国人(例えば支那人や朝鮮人)経営者が跡継だと、経営難に陥るや伝統ある老舗店を、買収を持ちかけてくる他者に売却しかねない。親戚の者が反対しても、合法的手続きを踏めば問題ない。創業家の経営者なら、ご先祖様に申し訳ない、と思って赤字でも何とかして店を存続させ、いつかは復活させようと思うだろう。それは自分の利益を超えた血統の重さを感じるからである。

  国家においても同様なことが言えるのではないか。現在の日本は現在生きている日本国民だけのものではない。先人が血と汗と涙で維持してきた貴重な遺産である。国家の存続は崇高な義務を求める。先祖から受け継いだ領土は、たとえ海に浮かんだ岩礁でも他国に譲ってはならない。奪われた国土は奪還するのが子孫の務めである。百年千年かけても必ず取り戻す。拉致された邦人は核攻撃を受けようが、絶対奪還する覚悟を持たねばならない。大東亜戦争や日清・日露戦役で、我々の祖先は勇敢に戦って没した。突撃すれば手足を爆弾で吹き飛ばされようが、心臓を弾丸が打ち抜こうが、渾身の力をふるって敵に挑んだのである。全身から鮮血が流れ出る中で、故郷の両親兄弟、妻や子供を思いながら絶命した将兵を、我々は一瞬たりとも忘れてはならない。我々は栄光に包まれた誇りある日本の国民である。勇敢な帝國陸海軍の魂と血を受け継ぐ子孫である。誰が何と言おうが、天皇陛下が君臨する日本は世界の奇蹟だ。ローマ人がローマを愛したように、日本人は日本を愛する。我々の愛国心は生まれたときから心に刻まれているのだ。

  日本民族の遺伝子保存というと人種主義みたいで嫌だ、と感じる国民も多いだろう。しかし、我が子を見つめる親の心と、親を大切に思う子の心は血で繋がっているのだ。我々が相続した日本は、世界各地の雑種民族が勝手に生きている、寄ゴミ捨て場のような島国ではない。日本の伝統を守るなら、日本人の遺伝子を守ることだって重要じゃないのか。今回は芸能記事みたいだから、次回はちょっとだけアカデミックに論じてみたい。



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