尻を舐める朝鮮の犬と豚

  クリスマス・イヴにフランス料理店やイタリア料理店といったお洒落なレストランで、ちょっと奮発して食事やデートを楽しむ日本人カップルは多い。なかには焼き肉屋を選ぶ者もいるだろう。しかし、この「焼き肉屋」といえば、「朝鮮料理屋」を指すのは不思議だ。肉を焼いて客に出す店はいくらでもあるから、ハンバーグ専門のドイツ料理店やケバブ(串刺し焼き肉)のトルコ料理屋台だって焼き肉屋である。在日や帰化朝鮮人は事あるごとに朝鮮文化を自慢するのに、料理名には「朝鮮」をつけたくない。南鮮人は「韓国料理」と呼ぶが、国名と民族料理名は一致いない場合がある。朝鮮戦争以降の大韓民国をもって民族料理名とするなら、戦前の朝鮮料理は何と呼べばいいのか。高麗(コリア)料理? 朝鮮民主主義人民共和国料理と「大韓民国」料理の違いはどうなんだ? 朝鮮人は和食を東日本料理と西日本料理に区別しないだろう。「朝鮮料理」という名称を在日鮮人が嫌う理由は、そのメニューにもあるのではないか。

  朝鮮人は長いこと貧乏だったから、朝鮮料理にろくなモノはない。牛の舌や臓器、性器、豚の足といったゲテモノやクズ野菜を唐辛子で漬けたキムチなど臭くて辛い。犬鍋の食材だって、人糞を食っていた犬を朝鮮人は食っていたのだから、ある意味エコロジーだ。朝鮮を初めて訪れた日本人は、汚穢(おわい)まみれの家屋を見てビックリした。まさしく豚小屋である。街中でも糞尿が散乱していたが、家の便所などはさながら養豚場であった。日本人訪問者が便所に入ると、ご馳走と思った豚がさっそく尻のあたりに寄ってくるから、用を足すことが出来なかったという。(沖田錦城 『裏面の韓国』 岡島書店 明治38年 p.36) 夜中に便所に入って豚の襲撃に遭ったときは、一目散に飛び出したことも度々あったらしい。糞便用に犬を飼っている朝鮮人もいて、豚と犬が絶えず便所付近にいて、お客が来ると何度追い払っても立ち去らなかった。沖田氏は言う、

  豚と犬とが便所の掃除役を勤め不潔の此国には非常なる貢献をなし、不潔を以て不潔を制する仕組みとなつてて居るのも面白いではないか。(p.36)

  我々よりもずっと前から「もったいない精神」を備えていた朝鮮人は、衣類や足袋の頑固な汚れ落とすため、小便に漬けてから洗ったという。(朝鮮人が好きな花王は見習ったどうだ。)しかも、病気治療のために、人糞で薬を作ったり、小便を飲んだりするから、糞を食べた犬を食材にするのは何てこと無いだろう。

犬殺し稼業の実態

  朝鮮人が朝鮮半島で何を食おうが筆者は関心がない。しかし、日本に何代にもわたって住み着く朝鮮人が、ある特定の地域を汚染することには反対する。ある地区に朝鮮人が集まって住みむことで、そこが朝鮮部落となって、朝鮮人向けの食料品店が出現する。朝鮮人の臭いとニンニクの匂いが充満する青空闇市だ。まともで多少の所得がある日本人なら、粗野で下品な文化を誇る朝鮮人とは隣人になりたくない。目障りな朝鮮語看板が掲げられる地区は、おぞましい鮮人ゲットー(Korean Ghetto)になり、昔で言うところの租界になってしまう。関西には鮮人ゲットーがあちこちにあるが、東京でも戦前から朝鮮人が蝟集(いしゅう)する地域があった。荒川区日暮里あたりには昔、三河島(みかわしま)という地名があって、多くの朝鮮人筋肉労働者が住んでいた。出稼ぎ朝鮮人の中では済州島出身者が多く、主に土木工事の人夫や皮革産業の職工になっていたらしい。こうした状況下での朝鮮料理食材を紹介しよう。(大淵善吉編 『聞いて吃くり世間の裏面』 駸々堂 大正11年 参照)

  時は大正時代、場所は東京日暮里元金杉から三河島にかけての地域は、犬殺しが盛んだった。焼き鳥やフライ、カツレツ、牛飯と称するモノの大半は、この日暮里や三河島あたりから売り出されたものであったという。1頭の野良犬で三円くらいの肉が取れる。金杉には犬肉問屋まであったらしい。もっとも、犬肉を買う客はいつもの常連だから、問屋の主人は店舗を構えていなかった。普通の家屋の裏で、夫婦揃って犬を切っているのだ。ちょっとどころか、かなりグロテスクである。犬肉卸では赤斑(ぶち)肉が上等で1斤15銭、白犬(中等)だと10銭で、白黒斑犬(並等)だと6銭くらいが相場であった。そのうち赤斑の美味い肉は焼鳥や牛飯に化け、白あるいは黒の中肉は牛皿盛りとなり、並はフライあるいはカツレツに化ける。なんか一時騒がれた「ミート・ポープ」の偽装食肉製品みたいだ。現在だって、ファスト・フード店のソーセージには何の肉が入っているのか不明だから、昔の悪口は言えないだろう。

  大正時代後半には狂犬病が流行して、犬肉屋が不景気になった代わりに、犬殺し屋が儲かったという。犬肉問屋と犬肉料理店は食材不足で商売にならない。したがって、嫌でも馬や豚を買うことになってしまい、料理屋はどうにかなっても、問屋はほとんど飯の食い上げである。多忙になった犬殺し屋は、夜通しで犬の皮を剥ぎ、その肉を別ける。骨やアラは四斗樽にいれ、近くの空き地や河に投げ込むのだ。犬を解体して得た皮は生のまま皮屋へ、肉は犬肉屋へ持ち込み、一匹殺せばまづ三日くらいは遊んでいられたらしい。(p.230)

  でも、犬殺し屋はどうやって犬を仕入れたのか。以前は、尻切れ袢纏(はんてん)に素足足袋(すあしたび)を履いた殺し屋が、大きな棍棒をもって犬を追いかけていたらしい。今は針金仕掛で犬の首を絞めるという。それでも狩り尽くせば犬泥棒をはたらいたのである。犬殺し業者は腰に犬肉をぶら下げて、野外をうろつく犬に嗅がせて、肉を食わせると、その首に例の針金を引っかけて仕留めるそうだ。不逞の業者は他人の邸宅に忍び込んで飼い犬を盗むというし、時には上等な猟犬をかっぱらったようだ。夜陰に乗じて盗むときは、その場でスルリと皮を剥いて持ち帰ったという。まさしく職人技。そして盗品を仲間同士で入札にかける。(p.229) 盗んだ犬はたいてい撲殺だった。可哀想なもんだ。

  犬肉業界の内幕を取材しようとしたある記者は、三河島に赴き、犬殺しの大御所親分を尋ねたという。その取材記者が訪問したときは、親分は丁度犬鍋をつついていた。胸がムカムカする臭いだったという。犬鍋を勧められて食べた後、その記者は親方が坐っている床板を剥がしてもらい、腐敗した犬の臓物で一杯の四斗樽を見せてもらった。臭さに堪えかねて鼻をつまみながら、その腐敗物のことを親分に聞くと、捨てる予定の肥料だと言う。その記者は犬を解体する骨切りや、止め釘、皮剥といった道具を見せてもらったらしい。(p.237)普通の日本人では目を背けたくなる光景である。今では有名になったが、朝鮮人は旨い肉にするため、天井から犬を吊してなぶり殺しにするらしい。恐怖に駆られた犬の肉は旨くなるという言い伝えである。だから、朝鮮人と日本人の感覚はかなり違うと言えよう。

  ある時、日暮里元金杉では、犬の臓物が溝に落ちて真っ赤な水が流れてしまった。すると住民が殺人事件と勘違いして、巡査まで駆けつける騒動になってしまったという。また、三河島のある長屋では、新たな入居者が鼻が落ちそうな異臭がするので、床下を掘ってみると一面に犬の臓物を見つけたのである。今度は、ある人が工場を新築するので地均しをしていると、犬の骨が40ないし50個も出てきた。(p.238) 大淵氏の著書では、犬殺しの業者や問屋などの素性は明記されていないが、おそらく朝鮮人だったのではないか。普通の日本人肉屋が犬肉販売で生計を立てるとは考えづらい。そういえば、2005年12月に、東京都小菅の拘置所近くの堀で、犬の頭30個が発見されて話題になった。警視庁亀戸署によれば、近くに住む韓国籍の男性老人が、支那から輸入した犬の残部を捨てたという。(2005年12月16日共同通信)

  日本人は心の底で朝鮮人が嫌いなのに、いざ朝鮮人を排除しようとすると、急に遠慮がちになってしまう。はっきりとモノを言えない日本人だと、外国人には隣人になってもいい人と、迷惑な人がいることを区別しない傾向がある。朝鮮人を甘く見くびっていると酷い目に遭う。他人に対するマナーを知らない朝鮮人を、文明国の外人と一緒にしてはならない。朝鮮人が日本を乗っ取ることは簡単である。朝鮮人らしく、大声でわめいたり泣いたり、唾を飛ばして口論したり、粗野な朝鮮民謡に合わせて踊り出せば、気弱な日本人は逃げ出す。こうして街をいったん占領すれば、そこは朝鮮人街となり、日本人は二度と戻らない。商店街で堂々と豚や犬の頭や肉を並べたら、一般の日本人は寄りつかないだろう。外部からは支那人客くらいしか来ない。朝鮮人児童がこのまま増えれば、やがて給食に犬鍋が出るかも知れない。キムチが献立にあるくらいなら、犬肉料理まであと少しだ。



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