判決を正当化するだけの魔女裁判

  平成27年1月13日、NHK「クローズアップ現代」はヘイトスピーチを取りあげた。赤いスタッフが作る「最初に結論ありき」の魔女裁判番組は、正当化に必要な材料を揃えて視聴者に披露する。こうした特集はNHKの十八番(おはこ)。在特会は既に被告人席で判決が確定しているのだ。裁判長役の国谷裕子キャスターが検事をかねて、東大教授のロバート・キャンベル(Robert Campbell)氏を参考人とした。台本通りの八百長裁判では、如何に在特会ら反朝鮮人勢力を犯罪者にするか、それのみが焦点となる。在日鮮人反対デモがゴロツキの集団で、新大久保の朝鮮人は暴力団に怯える穏健な市民という構図を、編集映像を駆使して描き出す。何も知らない視聴者は自然と在日朝鮮人側に立って、味方のはずだった日本国民を敵視するのだ。共産国の国営放送と瓜二つ。さすが、NHKには筋金入りのコミュニストがいる。

  日本テレビにちょくちょく出演しているキャンベル氏は、在特会のデモを見学したらしいが、抗議の内容がとぼしい、とか内向きの議論だ、などと善意の第三者みたいに話していた。彼の役目は外人の目から見た冷静な意見と外国のヘイト・スピーチ情報を視聴者に紹介することだ。ヨーロッパでも、外国系市民に対するヘイト・スピーチが増えて、それが人種的憎悪となり、ついには犯罪となる。ノルウェーでは、排外主義者が銃を乱射して、大量殺人を犯した、と非難した。御用学者のキャンベル氏は、朝鮮人に対する日本人の排斥は、ちょうどフランスにおけるユダヤ人迫害と同じだ、と言いたいのである。ついでに加藤直樹とかいう息の掛かったフリー・ライターを雇って、街頭取材をさせて、いかにも「NHKは現場取材をちゃんとやってまっせ」と示していた。さらに、『諸君』や『文藝春秋』でお馴染みの左翼作家、保阪正康を登場させて、アカデミックに説明させる、なんとも後味の悪い「エスニック料理」のような番組である。

  今更NHKを非難してもしょうがないが、日本文学を教えているキャンベル教授に一つ問いたい。彼は在特会などのデモを観察して、抗議の内容を分からないと言っているが、たかが傍観者としてちょっと耳を傾けたくらいで、数十年にも及ぶ根深い在日問題を理解できるのか。キャンベル氏の研究内容は、10分くらい聴いたら理解できるほどの内容なのか、答えて貰いたい。大学教授は自分の講義を1年以上かけて学生に教えているではないか。キャンベル氏は朝鮮統治と戦後の在日特権を絡めた歴史を勉強して、少なくとも1ヶ月くらい毎日在特会の抗議内容を拝聴したらどうだ? そんなこともせずに、抗議内容が乏しいなどと言うのは、教科書や参考文献も読まずに授業を受けて、「私さぁ、先生の言ってること分かんな~い」とほざいているアホ学生と同じであろう。

規制社会での異常な縛り

  ヘイト・スピーチを規制する法は既に西歐諸国で実施されている。ドイツやフランス、スイスなどでは、ホロコーストを否定したり、ナチスに関する肯定的言論を公然と述べたら有罪になる。ドイツではヒトラーの『我が闘争』さえ出版禁止だった。フランスの国民戦線を率いていたジャン・マリ・ルペン前党首や英国の歴史家デイウッド・アーヴィング(David Irving)も、ナチ・ドイツに関する発言で有罪判決を受けている。かつて言論の自由を誇っていた西歐世界では、ユダヤ人が西欧人の体を容赦なく鞭で打ちつけるのだ。見せしめの鞭打ち刑を目にした西欧人は、ユダヤ人支配者からの仕置きが怖いから、首をすくめておとなしくユダヤ製新聞を読むだけ。テレビ局もユダヤ人経営者に牛耳られて、異民族への差別、特にセム系人種(中東アジアのユダヤ人)に対する自由な発言は厳禁。今のヨーロッパはチャウシェスクのルーマニアみたいに、いつ誰に密告されるか分からない、言いたいことは自分の部屋でのみ可能、という社会になってしまった。 

  第19世紀のヴィクトリア朝英国では、政治的自由や言論の自由があった。議会のみならず、公園だってイギリス人が自らの信条や意見を堂々と述べることが出来たし、聴衆は賛辞を送ったり、反対の罵声を浴びせたりして、言論を戦わせていた。陰湿な言葉狩りや禁句強制が無く、常識を守った討論があったのだ。しかし、現在の英国では、人種や容姿に関する差別的言葉を吐けば、幼児だってブラック・リストに登録されたり、人種差別者のレッテルを張られてしまう。2011年、英国では2万人以上の子供がヘイト・クライムを犯した差別主義者として登録されたのである。(Kate Lovers,‘Racists’aged THREE:Toddlers among thousands of children accused of bigotry after anme-calling, Daily Mail, 14 September 2011) そんな馬鹿な、と日本人は思うだろう。しかし、労働党政権下で、有色人種への特別配慮が強化され、白色イギリス人が環視・譴責される世の中になってしまったのだ。

  子供は大人と違って思ったことを平気で言ってしまう。二、三歳の子供だって美人だとジッと見つめたり、ブスが抱っこするとすれば嫌がる。幼稚園児だと、同じクラスの混血児に対して、「どうして顔が茶色いの?」とか「やだァー、髪の毛がチリチリだ」と面白がってつい口にしてしまうだろう。英国の教育機関が調査したところ、子供は、差別用語の意味も分からず、感情的に発言しているという。たとえば、何らかの物をめぐってクラスメートと口論となったとき、「ゲイ」とか「レズビアン」と互いに罵り合う小学生がいた、との報告がある。多民族国家になってしまったイングランドでは、ある小学生が級友を「支那人の子(Chinese boy )」とか「ソマリア人」と呼んだりするらしい。(Sarah Harris, Branded bigots at the age of THREE, Daily Mail, 1 January 2015) でも、支那人の男の子を「チャイニーズ」と呼んで差別になるのか? もし、日本人の小学生が、朝鮮系の同級生を「チョーセンジン」と呼んだら、民族差別主義者になるのか? そんな暗い世の中にしたい日本人はいないだろう。

  イギリス人の子供は表現力があるので、太った子を「ドーナッツ」とか「ケンタッキー・フライドチキンの脂ぎった容器(fat bucket of KFC)」「脂肪たっぷりのカスタード・クリーム」とか呼んだりするそうだ。アフリカ人のみならずインド人、パキスタン人系の子供が多いから、「黒んぼ」とか「板チョコレート」といった表現もある。英国では有名藝人のジミー・サヴィール(Jimmy Savile)が、幼児性愛の変態だったことが暴露されたこともあって、子供が教師を「ジミー・サヴィール」と呼んでからかったりするらしい。中東アジアや北アフリカ出身の子も学校に通うから、信仰内容にまつわる侮蔑用語や宗教戒律を馬鹿にする言葉も氾濫してしまう。差別発言をする子供の大半は、小学生か中学生だが、報告書の中では、幼稚園児までいるという。四、五歳の子供が喧嘩で、「黒んぼ」とか「デブ」と口にしたら、差別主義者リストに登録されてしまうのだ。こうなっては行き過ぎだろう。

  社会道徳が変質した英国では、ちょっと信じられない程の過剰反応がある。以前、ポウリン・ハウ夫人(Mrs. Pauline Howe)という67歳の白人女性が、街頭で同性愛者の行進を目撃したので、市議会に抗議の手紙を送ったのである。すると、この敬虔なキリスト教徒のご婦人は、市役所から「あなたはヘイト・クライムを犯したので、その件は警察に委ねます」との内容が書かれた手紙を受け取ったという。しばらくすると、二人の警察官が彼女の自宅を訪れ、罪に問われぬよう、発言の前には言葉を選びなさい、と説教されたのだ。彼女は非常に驚き、ショックを受けた。ハウ夫人のご主人はバプティスト教会の牧師で、彼女は妙な偏見を持つ変人ではなく、伝統的なキリスト教道徳を守る普通のイギリス人である。それが、まるで下劣なレイシストみたいに扱われたのだ。(Andrew Levy, Grandmother who objected to gay march is accused of hate crime, Daily Mail, 26 October 2009) かつての陽気なイングランドであったら、叱責されるのは公の場で堂々と行進する同性愛者の方であり、それを許した役人ある。現在では性的倒錯者の方が大威張りで街を闊歩しているのだ。

  西歐や日本は本来とても平穏で暮らしやすい国である。ところが、民間企業が第三世界から異質な人種を輸入したり、政府が永住または帰化を簡単に許したため、移民や難民を望まぬ一般国民が大損害を被る羽目になった。人間の体には白血球があって、体外からの細菌やウィルスが侵入すると排除する機能がある。つまり、外部の有害な黴菌から体を守る役目を果たすのが白血球である。HIVウィルスに感染して、エイズ患者になると、免疫機能が無くなって、我々は簡単に病気になってしまう。朝鮮人や支那人などの有害外国人を駆除しようとする国民は、日本にとっての白血球役を務めているのだ。有害外国人排斥を訴える者の多くは、堪忍袋の緒が切れた一般人である。特に保守派の国民は、左翼活動家あがりの政治家や一般人を装うプロ市民革命家とは違って、腰が重く余程のことがない限り街頭で大声を上げない。本当に国家が危ない、と肌で感じるくらい深刻な事態に陥ったから、抗議デモを起こすのだ。有り難い国家を命懸けで護ってくれた祖先に感謝し、この貴重な遺産を子孫に伝える義務を感じるからこそ、愛国派国民は立ち上がったのである。

  NHKは国民のお金で成立している。受信料や税金を払う国民は、寒くて身が震えても野外で働いたり、寒風や冷水で手にあかぎれが出来ても我慢して働く。こうして得たお金をNHKは貰っている認識がない。外国からの移民や難民を受け入れろ、と宣伝したあげく、労働賃金が下がり、街の治安が乱れ、人種・民族対立が激化しても、NHK職員は知らぬ顔を決め込むだろう。警備員に護られ、東京の一等地に勤務でき、快適なオフィスで気楽な仕事をすれば、手厚い給料と退職金が貰え、しかも天下り先まで用意されているのだ。年収200万円の庶民から金を巻き上げるNHK職員は、自分の年収が2000万円に減ってしまった、と青くなる。たった2千万円でどうやって暮らしていけるのか、NHK貴族社員は目の前が真っ暗になってしまう。不逞鮮人排斥を掲げる一般国民は悪なのに、給与削減に反対するNHK職員は正しい勤労者なのだ。キャスターの国谷裕子はどんなお屋敷に住んでいるのだろうか。薄汚い朝鮮人が寄りつけないような高級住宅地に住んでいる、なんてことはないよな。たぶん多民族共生のアジア人団地かもしれない。だが、支那人が大好きな国谷氏なら、共産党員と同じく赤い貴族の生活かもしれないぞ。



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