目立ちたい東洋担当ジャーナリスト


  ジャーナリストは蛹(さなぎ)に似ている。醜い姿のままは嫌だ。一刻も早く蝶になって大空を飛びたい。ジャーナリストの目的は、真相の追求や事実の暴露ではなく、いかに有名になって世間から“ちやほや”されるかである。アメリカ人ジャーナリストなら、首都ワシントンの主任記者にでもなって、有力議員や大統領の単独インタヴューを勝ち取り、格好良く質問攻めにする姿を披露したい。アメリカ人の関心はもっぱら国内問題なので、減税政策や教育、医療といった身近な話題に注目が集まる。異民族が溢れる国内が外国みたいだし、海外への知識が乏しいから、外政にはほとんど関心がないのだ。

  普通のアメリカ人にとっては、西歐の地理さえ難しくて分からないのに、アジア諸国の位置なんか銀河系の小惑星くらいにしか思えない。日本がハワイの西方で、支那大陸の近くにあることが分かるなら知識人だ。ましてや朝鮮人なんか、アジアのどこに住んでいるのか皆目見当がつかないだろう。アホなアメリカ人だと、「サン・フランシスコ」と答えてしまうかも知れない。「アジアのどこか」と質問されているのに、意味を把握できない低能アメリカ人は、アメリカの都市名を答えてしまうのだ。底なしの馬鹿が「ワールド・ニュース」の視聴者になっているのだから、テレビ局のアジア取材なんかいい加減。東京特派員なんか、日本特集を命じられれば、英語が話せる日本人にインタヴューして、藝者や忍者、力士を紹介すれば合格。日本人が取材映像を観たら、京都なのにロサンジェルス(LA)のチャイナ・タウンか、と言いたくなる場所を訪れたりする。そういえば、映画『X-メン』シリーズの駄作『ウルヴァリン:SAMURAI』に登場する日本人は、いかにも朝鮮人か支那人みたいだ。ヤクザだって香港マフィアみたい。日本人観客にとっては、日本人役の俳優人に日本人らしからぬ違和感がある。変な日本語を喋ったりする。字幕を見た方が分かりやすかったりして。現実の日本を報道すると、平穏で近代的なので、アメリカ人大衆にとっては面白くない。

  中東アジアに派遣されたアメリカ人記者は、軍人家族から注目を浴びるので熱心に取材する。ヨーロッパに派遣されたアメリカ人記者は、いい加減な報道をすれば同僚や白人から笑われるので、少しは西歐について勉強するだろう。しかし、アジアに飛ばされる記者は、僻地に左遷されたような待遇に不満を募らせる。アメリカの一般人が滅多に関心を持たない東洋で、どうやって花形記者になれるのか? 日本語なんて「へんちくりん」で難解なうえに、日本以外で誰も話さない言語を、外国語習得が苦手なアメリカ人は学ぼうとは思わない。だから、取材がとても不便。本国では日本報道は、三面記事よりも地味な扱いだ。日本でくすぶっているアメリカ人記者が、本国で注目されるには、何でもいいから強烈なネタを掴んで、センセーショナルな映像をこしらえるしかない。どキツいタイトルを付けたスキャンダル報道や話題になりそうなスクープ記事がいい。だから、ほのぼのした日本人の親切心や素晴らしい日本の職人技よりも、「ああ、無情。アジア人女性を強姦したり赤ん坊を虐殺する野蛮な日本兵」とか「発掘 !! 隠蔽された日本軍の人体実験を暴露」といった番組や記事の方が絶対注目される。資料調査や裏付け取材などはどうでもよい。どうせアメリカの大衆は気にしないのだから。学者だってわざわざ検証して、抗議の声を上げたりしないだろう。したがって、日陰者のアメリカ人記者にとり、反日報道の方が出世の近道である。

裏を取らない朝鮮人村の掠奪

  戦前でも日本を悪者にして報道する欧米の記者が多かった。言葉が通じない未開のアジア大陸を訪れた欧米人にとっては、日本人とアジア人が何で揉めているのか理解できない。欧米では教養と財産があったらジャーナリストなんかにならないから、東洋に来る新聞記者なんて低能社員か気軽な冒険家くらいである。日本に散々悪態をついたフレデリック・A・マッケンジー(Frederick Arthur McKenzie)は、スコット系カナダ人ジャーナリストであった。1900年から1910年まで英国の『デイリー・メイル』紙の記者で、ロンドン・タイムズやシカゴ・デイリー・ニューズにも勤めた経歴をもつ東洋特派員であったらしい。ハッキリしているのは一貫した反日記者であったことだ。理由を知りたいところだが、彼の思想や人格を知る詳しい伝記がないので、彼の記事や著作を読むしか我々には知る術がない。のこ避けれた文章を読むと、マッケンジーの取材は粗雑で、単なる噂に基づく記事を書いていたことが分かる。

  マッケンジーには日本の朝鮮統治が気に入らなかったらしい。日本人の努力なんかちっとも分からないのだ。単純思考から、外国人たる日本人が、善良な朝鮮人を支配するのはケシカラン、といった正義感を持っていただけ。日本人に抵抗する朝鮮人は、匪賊やゴロツキでも愛国心に溢れた英雄なのだ。馬鹿らしい認識だが、教養が無いのはジャーナリストの特徴である。恐らくマッケンジーは口舌の徒で、実学を学んだことも無いだろうし、実業の経験もないだろうから、観念論で記事を書いていたのだろう。それが分かる記述がある。

  マッケンジーは朝鮮で「義兵RighteousArmy)」を取材したという。この朝鮮人「義兵」とは、何ら軍事訓練を受けていない不逞鮮人で、武器や装備もお粗末な土匪みたいな連中である。マッケンジーはこの義兵を掃討するするために派遣された日本兵について書いていた。彼は朝鮮人のある村民や年長者から日本軍の蛮行を聴いたのである。ある朝鮮人の女は、マッケンジーのような西欧人が話を聞きにきてくれて嬉しかったという。いかにも朝鮮人らしい。自らの不幸を大げさに語るのが大好きなファイタジスシト。空想と現実の区別がつかない。では、その村民たちの話を聞こう。

  日本軍がこの村やそのほか七つの村にやって来ました。まわりをごらんなさい、何もかもが廃墟と化してしまっているでしょう。彼らはひどいことばで私たちに言いました『反乱軍らが電信柱をこわしてしまったのに、お前たちはそれをやめさせなかった。だから、お前たちは反乱軍と同罪だ。彼らをみなかったというなら、いったいお前らは目があるのか? 反乱軍が悪いことをするのをとめられなかったというなら、いったいお前らは力がないのか? 反乱軍はお前らの家に来、お前らは連中に食わせた。そして反乱軍たちは逃げてしまったのだから、こんどはお前らを罰してやろう』と。(『朝鮮の悲劇』 平凡社東洋文庫 昭和47年 p.185/同じ文章は彼の Korea's Fight for Freedom, Fleming H. Revell Comapny, 1920, pp.149-150にもある。こちらは和訳書がない。)

  こんなことを本当に日本人が言ったとは信じがたい。そして、この朝鮮人は驚愕の話をする。日本兵は各家にやって来て、欲しいものを朝鮮人から取りあげ、みんな燃やしてしまった。ある老人は赤ん坊に乳を飲ませている母親と一緒にいたらしい。日本軍が家々を焼くので、その老人は「どうか焼かないでください」と日本兵の膝にかじりつき懇願したという。ところが、必死で「許してください、許してください」と哀願する老人を日本兵は振り切り、銃を持ち上げて射殺してしまった。こんな捏造物語を村人はマッケンジーに話す。彼らはまた別の話を語る。ある村の若い衆が草刈りのために日向で鎌を磨いでいた。ところが、日本兵の一人が「ここに反乱軍がいるぞ!」と仲間に叫び、その若者を撃ち殺してしまったそうだ。まだある。火事を見ていたある村人が、自分の家にある書類が燃やされているのを見て、兵隊を押しのけてそれを取り出そうと飛び込んだらしい。すると、日本兵はその村人を射殺してしまったという。(p.186)  燃やされたのは先祖の記録であったというから、家系図だったのかもしれない。マッケンジーは「重い心を抱いてその村を出た」らしい。

  もう、唖然としてしまう講談である。ホントか、と言いたくなる。実際は朝鮮人義兵の仕業ではないか。同情を引き出すために朝鮮人は、それを日本兵がしたようにすり替えたのではないか。数日間、マッケンジーは日本兵により焼き払われ、破壊された数々の村を見て回ったという。焼き討ちに遭わなかった村でも、村の長老が日本軍の掠奪に抵抗したため、ひどく殴られたという話をッケンジーは耳にする。彼は利川(イチョン)へ赴いたが、いつもは人で賑わう町に朝鮮人がいない。彼はある市場で通りがかりの朝鮮人に、女や子供たちはどこにいるのか、と訪ねると、暴行されることを恐れて山で寝泊まりしている、との答えを得た。農民の大部分も、日本軍の暴挙を恐れて、山中に避難したらしい。小さな地方の町で1万から2万人ほどの朝鮮人が自宅を壊されたり、日本兵の乱暴に怯えて逃げてしまったという。

  マッケンジーは利川を去ってある村に着き、そこには赤十字の旗が翻るイギリス聖公会(アングリカン・チャーチ)があった。彼が泊まっている旅館に、その英国教会の長老二人が訪ねてきて、村を通過した日本軍について語ったという。日本人部隊は、欲しい物を掠奪し、暴虐をはたらいて村は大変な被害をうけた、と語りだす。たとえば、一人の日本兵が野菜売りの既婚女性を犯す間、他の兵士は着剣した銃を持って家を見張っていた。すると、その婦人の悲鳴を聞きつけたある少年が、強姦されている女性を助けようと思い、彼女の夫を呼びに行き、小刀を手にした亭主を連れてきたという。しかし、無力な夫は何もできなかったらしい。(p.190) 朝鮮人の目撃者から話を聞くにつれ、マッケンジーは日本軍により「村落が焼き払われるに際して、相当数の婦女子や子供が殺されたことは疑いない」と確信するようになった。(p.191) 彼は日本軍は村を急襲する際、近くに義兵がいようものなら、焼き払う前に銃の乱射を行う、と述べている。それって、アメリカ兵かイギリス兵がアジア人にするような殺戮じゃないか。日本軍の行動パターンとは思えない。

  日本軍の強襲に遭ったらしい村を訪れたマッケンジーは、焼き討ちでも二軒の家が残った部落を訪れた。そこの住民たちが言うには、日本軍がある家に押し入り、そこの10歳になる娘を射殺したから、その家は燃やされずに済んだという。村人たちは日本兵がその娘を殺したとき、「家まで焼くことはないでしょう」と懇願して、思い止まってもらったらしい。忠州や原州という町も日本軍の掠奪に遭って破壊されたが、堤川(チーチョン)の大破壊とは比べものにならないという。マッケンジーは「ここ堤川は、文字通り完全に破壊しつくされていた」と述べる。(p.191)

  人口2千ないし3千の堤川に義兵が流れ込み、日本軍部隊は援軍を得て、義兵に占領された堤川を奪還したという。だが、日本軍は義兵を迎え入れた堤川を、他の地方民に対する警告の見せしめとして、町全体を火の海にした、と言うのだ。町中のあらゆる物資を積み上げて炎を煽った結果、一体の仏像と一軒の官衙(かんが/役所)しか残らなかった。町の人々が逃げ去ったとき、残った男五人と婦人一人、子供一人が炎にに包まれてしまったという。日本軍に破壊された焼け野原に足を踏み入れたマッケンジーは、町を見下ろす丘の上に飜る日章旗を目にした。そこで彼は、この地方一帯の掃討作戦を指揮する日本軍本部を訪問した。外国人記者のマッケンジーは、指揮官の陸軍大佐から鄭重なもてなしを受け、自分が目撃したことに対して遺憾の意を表明したらしい。しかし、その大佐によると、討伐しているのは盗賊に過ぎず、マッケンジーが見るべきものは何もないという。それどころか、彼は返って色々な危険があるから気をつけるよう忠告をもらい、大佐から討伐作戦に関する親切な説明を受けた。大佐は地図を広げて、日本軍が朝鮮人義兵を円形状に包囲しながら、中心部へ追い込む作戦を立てており、堤川と原州を結ぶ地方をまだ制圧していないことを教えてもらったという。

  日本人なら「おい、マッケンジー! いいかげんにしろ」と怒鳴りたくなるだろう。無辜(むこ)の女子供や非力な老人を虐殺するような日本軍の司令部を訪ねて、指揮官と簡単に面会でき、そのうえ掃討作戦について丁寧な説明を受けたのだぞ。冷酷残忍な日本人から殺されなかったどころか、以後の取材旅行を心配して貰うなんてあるのか? しかも、彼は自分で見聞きした大虐殺をなぜ大佐に質問しなかったのか。彼の文章には、日本軍からの具体的な反論が一切記述されていないのだ。変だろう。彼は欧米の読者に親切な殺人鬼の記事を発信して、どんな反応が来るのか予想していなかったのだろう。雑な取材しかしないマッケンジーは、こうした矛盾に関して疑念を抱く頭脳を持っていなかった。もしかすると、二重思考の持ち主か、精神分裂症を抱える異常者だったのかも知れない。

朝鮮贔屓のジャーナリスト

  マッケンジーの記事で注目すべき点は、彼が朝鮮人の話だけを鵜呑みにして、戦闘や虐殺の現場を目撃していない所だ。物的証拠も何もない新聞記者が、被害者の伝聞だけを聴いて記事を書くのだ。たとえば、マッケンジーは焼き払われた村々を訪れたが、その破壊が義兵による蛮行かも知れないとの疑問を持たなかった。彼はまさか朝鮮人義兵が、同胞の朝鮮人に対して虐殺をはたらくとは、夢にも思っていなかったのであろう。現在の我々なら、朝鮮戦争で北鮮人が南鮮人に対して行った殺戮を知っているから、朝鮮人同士の殺し合いは納得できる。朝鮮人を入念に研究したことがないマッケンジーは、掠奪された村を見て外国人たる日本軍の仕業と勝手に想像したのではないか。まさか、朝鮮人が唾や鼻水と同じくらい、口から嘘を吐くとは思っていなかったはずだ。従軍慰安婦の件だって、朝鮮人は平気で嘘をつけた。朝鮮人という異常民族は、勝手にストーリーを頭に描いて、それを事実として外国人に話せる特殊な能力をもつ。自信たっぷりに話すから、詳細を知らぬ外国人はコロっと騙されてしまう。

  もうひとつ注意すべき点がある。マッケンジーは鮮人義兵を「正義の軍隊(Righteous Army)」と英訳して報道していた。「ライチャス」と呼べば、何か道徳的に正しく、悪と戦う善人のイメージを抱いてしまう。しかも、「アーミー」が附いているのだ。マッケンジーは義兵と直接会ったが、彼らは近代的軍隊や騎士のような武人ではなく、日本支配を感情的に反対する「ひねくれ」者か、気位だけは高いが無知で粗野な「ゴロツキ」といった方がふさわしい。よく目にする典型的朝鮮人である。彼は五、六人の義兵に会った。一人は軍服ズボンを穿いた青年で、もう二人は軽いボロボロの朝鮮服をまとった青年だったという。革靴を履いている者は一人もいなかった。頭にトルコ帽を被っている者や、頭に頭巾を巻いている者もいたそうだ。(p.199)

  マッケンジーは彼らの銃を見せて貰ったが、六人ともそれぞれ違った種類の銃であった。一人は相当古い型で先込め式の火縄銃を持っていた。こんな旧式の骨董銃が通常武器であったらしい。銃に火薬を詰める矢は、自分の家で木を削って作った代物だ。銃は錆びていて、皮のストラップは無く、木綿の紐が代わりに付いていた。二番目の男は朝鮮軍の銃を持っていたが、全くの旧式で粗悪品の見本みたい。別の男が抱えていた銃は、ちっぽけな先込め銃で、子供用玩具みたいなものだった。また別の者は馬上用の拳銃3丁を所持していたが、支那から流れてきたモノらしく、そのいずれも古錆がついて腐食したそうである。こんな装備の朝鮮人ゲリラを見て、マッケンジーは驚いてしまった。ロクな武器しか持たぬ朝鮮人の寄せ集めだ。とても軍隊とは呼べぬ義兵には、賃金労働者や、両班風の長い服を着た者まで居たという。マッケンジー曰く、「彼らは、かわいそうなグループに見えた」そうな。(p.200) しかし、彼は朝鮮人に光り輝く目を見出した。こうした勇敢な朝鮮人の叛徒も日本の正規軍の前では蟷螂(とうろう)の斧をもつ赤子に過ぎない。40名の日本人部隊が200名の義兵を蹴散らした。みっともない朝鮮人は即座に撤退したという。義勇軍のある朝鮮人は「われわれは死ぬほかないでしょう、結構、それでいい、日本の奴隷として生きるよりは、自由な人間として死ぬ方がよっぽどいい」と、マッケンジーに語ったらしい。(p.202) また、別の朝鮮人は白人のマッケンジーに、お金はどうにか都合するから武器弾薬を売ってくれ」と頼んだそうだ。朝鮮人の無知には呆れてしまう。単なる新聞記者にそんな武器密輸が出来るのか? 儒教のような空論しか学んでいない朝鮮人には、軍事はもちろんのこと、現実的対処が分からない。マッケンジーは朝鮮人からの頼みに困惑したという。当り前だ。

  こんな愚かな朝鮮人に出逢って、義兵というのが実は名ばかりの烏合の衆であることに、マッケンジーハ気づいたはずだ。しかし、彼は朝鮮人への支持を捨てなかったし、日本人への反感を持ち続けた。これは、ジャーナリストによく見られる特徴である。強大な権力者に立ち向かう無力な民衆を称賛する。彼らに同情することで、自分が正義の味方になったことを見せびらかす。こうした反骨の文士は裏の顔をもつ。新聞社内では社長や編集長に隷属し、長いモノのには巻かれて、臭い物には蓋をする。根拠無しに日本を批判したって、殺されないし、左遷されることもない。逆に日本人は西欧人記者に気兼ねして、色々な便宜を計ってくれるし、ご機嫌を取るために努力さえするのだ。ロシアや支那だったら、直ぐに暗殺されるか拉致されて闇から闇に葬られてしまうだろう。プーチンに睨まれたジャーナリストは死刑宣告を受けたのも同じだ。ポロニウムを食事に混ぜられなくても、交通事故に見せかけた抹殺方法があるからだ。

  出世と給料が一番大切なジャーナリストは、いったん社外へ出れば、新聞社の肩書きを葵の御紋にして威張り散らす。朝日新聞記者と同じだ。昔、「ニュース・ステーション」で久米宏の隣に坐っていた朝日新聞の菅沼栄一郎は、後に姦通相手となる女性と彼女の職場で出逢った。勝手に他人の電話を使った菅沼は、何も言わずに立ち去ろうとした。彼女が驚き「どちら様ですか」と尋ねると、菅沼は一言「朝日だよ」とのセリフを吐いた。彼女は週刊誌の取材に、愛人菅沼の第一印象を話していた。朝日新聞記者って、そんなに偉いのか。他人の電話を拝借したなら、小銭くらい置いてお礼をするのが普通だろう。新聞記者には常識はずれが多い。横道に逸れたが、昔の外人記者だって、欧米の新聞社の威光をちらつかせて日本人を脅していた記者が結構いたのだ。欧米の言葉で反論することが下手だった日本人は、ならず者のジャーナリストにやられっぱなしであった。マッケンジーの記事など、教養ある欧米人が読めば、ヨタ記事であることが分かる。しかし、大衆は火星人襲来だって信じるくらい無知だから、馬鹿馬鹿しい日本人の蛮行を信じてしまう。

  欧米のアニメ・ファンは優秀なのに、ジャーナリストにはロクな奴がいない。日本の政治や軍事がつまらないことが最大の原因かも知れないが、戦後半世紀以上も宣伝戦を考えてこない日本人も悪いのではないか。愚劣な人物しか日本特派員にならない現状を把握しているのだから、日本政府は優秀なジャーナリストをスカウトするか育成するかすべきである。戦争は砲撃・白兵戦ばかりでもないし、外政も役人だけを対象にした政治ではない。論語なんか勉強するより、支那人の狡猾な対外宣伝戦くらい学んだらどうか。つづく。



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