支那人が住み着いたら一巻の終わり

  かつて支那には西歐列強の租界が存在し、治外法権の領域があった。日本の歴史教科書では評判か悪い。しかし、香港やマカオといったヨーロッパ人に支配された都市は、外国の侵略者が奪った土地なのに不思議と魅力があって、かえって支那人が押し寄せて住みつく。日本の租界なんて別天地の楽園だ。日本人を侮辱するくせに、支那人は日本占領地区で安心して暮らせたのである。もし支那大陸全体が日本人に支配されたら、支那人は大喜びするだろう。書物の中でしか見られない桃源郷が実現するのだ。もっとも、日本人にとっては大迷惑だから、支那人が我々に統治者になってくれ、と土下座しても支那を支配してはならない。黴菌の巣窟を優良資産とみなす馬鹿はいないだろう。

  第21世紀になってから急激に支那人が増えてきた。片田舎でも支那人を普通に見かけるくらいだから、外人が住みやすい都会は更にひどい。アフリカ人に群がる蝿のように、あちこちに支那人が跋扈(ばっこ)している。観光客の支那人だって目障りで不愉快なのに、支那人が低賃金労働者としてやって来るし、密入国も当り前。許し難いのは、日本国籍を取得する支那人まで現れていることだ。我々は他国を侵略したり征服するときは、武装した軍隊を使って実行すると思いがちだ。しかし、武力を用いず相手を倒すことを上策と考える支那人は、むやみに武器を使わない。自分が死んではつまらないからだ。軍隊ではなく、移民を送り込めば、北京政府はラクして日本を支那の一部に出来る。大陸に溢れるほど棲息する支那人が、日本国籍を取得すれば、支那系有権者が多数派となり、支那人首相まで現れるかもしれない。支那人が街中が街中を堂々と闊歩しているのに、我々はだだ手をこまねいて黙認しているのだ。

  日本人は他人の失敗に学ばず、自分が失敗を体験しないと解らない。支那人街が出来てしまった災厄を、アメリカ人は既に経験しているのだ。移民規制法が緩くなった第二次大戦後、支那人が大量に飛来してきた。支那人には国家意識がない。これは日本の支那学者が度々指摘している。支那大陸にある王朝とは、巨大な秘密結社か匪賊集団であり、正義に基づく統治機構ではない。簡単に言えば、支那とは大小の暴力団で成り立つ社会である。この野蛮な社会がアメリカにも移転したのだ。一攫千金を目指す貧乏人や持て余し者、ならず者などの支那人が異国のアメリカに渡れば、頼りになるのは血縁の氏族や同郷の先住者、同じ方言を話す者の集団くらいしかない。支那人移民は同じ村の出身者で「房(部屋/フォン)」という集団を作り、それが幾つか集まって同郷団体を形成する。こうした同じ方言を話す相互扶助団体が、もっと大きな組織を創るために「会館(フィガン)」を結成した。これは墓地の維持や管理、貧窮者への医療費や埋葬費の援助などを行ったり、商業面の活動も手掛けたのである。(ピーター・クォン 『チャイナタウン イン ニューヨーク』 芳賀健一/矢野裕子 訳 筑摩書房 1990年 p.109)

  こんな組織なら善良な民間クラブと思ってしまうが、実は暴力団と変わらない結社である。「会館」は会員同士のもめ事を調停したり、外部との商取引に際しては、会館が会員の債務を保証した。ということは、会員が返せなくても会館が肩代わりをする仕組みである。したがって、借金の踏み倒しをした会員には、恐怖の制裁(リンチ)が待っているということだ。支那に帰ろうとする会員は借金を完済し、金銭問題を解決したことを会館に報告しなければならない。庇護を受けていた会員は、会館から仕事を貰えたり、争いを解決して貰ったりしていたが、上納金も差し出さなければならなかった。会館は親分と子分から成るピラミッド構造であり、その頂点には「僑領(キュウリン)」が君臨したのである。ある意味で、会館は行政機関を代行していたのだ。

  犯罪ジンジケートと同類の会館は、会員らの商売利権や勢力圏を守るために、独自の武闘派集団を備えていた。そうはいっても、チャイナタウンの外部といざこざが起これば、まづ会館が養っている連中が登場する。無知な当事者に代わり、英語を話せる書記か通訳、または弁護士が交渉にあたるのだ。場合によっては、暗殺や襲撃を担当するギャングを使ったという。ひとたび団体の縄張り争いが勃発すると、血の雨が降ったというから、やはり支那人はどこに住んでも変わらない。縄張りとなった地区では、会員しか営業が出来なかった。だから各団体とも縄張りの拡張競争が激しかったのである。誰もが強い団体に属したがるから、弱い団体は互いに聯合しなければならなかった。たとえば、「中華總民主倶楽部(Chinese Consolidate Democratic Club)」や「進歩的支那人協会(Progressive Chinese Association)」などが有名である。

  チャイナタウンには独自の統治機構が存在する。ニューヨークでは「中華公所(Chinese Consolidated Benevolent Association)」がそれに当たる。アメリカ人は支那人を相手にすると厄介だから、これがあると助かったのであろう。中華公所は何と、会員に税金を課す権利があると公言した。(p.113) 月々の税金(会費/上納金)は、事業規模によって違う。支那人のクリーニング店は2ドルから4ドルの年会費を払い、支那料理店だと4ドル16ドルの年会費を払っていた。支払いを拒否した者には、中華公所は支払いを「求める」と述べたが、拒否する馬鹿はいない。人間を命ある高等動物と見なさない残忍冷酷な徴税人がいるからだ。

  中華公所はすべての支那人を代表していると宣言するが、その役員選挙に参加する権利を持つ支那人はほとんどいない。中華公所の会長は「寧陽会館(ニンヨウ・アソシエーション)」と「聯成会館(リャンチェン・アソシエーション)」から二年交代で指名される。つまり、二つの暴力団組長が交代で会長を務めるというわけだ。こんなヤクザ社会だから、チャイナタウンでは鉄の掟が支配する。したがって、支那人街で紛争が起きれば、「支那人には支那人なりの解決法がある」となってしまう。これは、アメリカ人警官ではなく、支那人の仕置人が治安に当たることを意味する。支那人はどこに住んでも支那的慣習を捨てない。支那大陸で官吏が不正蓄財をしたように、アメリカの支那人団体幹部も私腹を肥やして腐敗していた。しかし、こんな中華公所も、より暴力的な「堂(トン)」に支配されることがあった。

  「堂」は「血盟の兄弟」で構成された結社である。堂には誰でも入れるが、会員であることは秘密にしなければならない。会員は特別な保護を受けたいときは、堂が飼っている「プロ」の兵隊に頼ることができた。そんな訳だから、堂が引き起こす抗争は血腥いものになった。アメリカ人も支那人の「殺し屋(hatchet man)」には手を焼いたのだ。第19世紀のアメリカ西海岸では「勇虎(Brave Tigers)」という支那人の(堂)兵隊がいて、包丁(hachet)」を武器にして暴れていた。支那人料理人が使う、あの大きな四角い肉切り包丁(ハチェット)を用いて人間を斬っていたのだろう。これが「殺し屋(ハチェット・マン)」という言葉の由来になった。堂は武力闘争や暗殺商売だけでなく、賭博、売春、恐喝、麻薬、その他の違法業種に手を染めていた。その上、政治家とのパイプを持っていて、戦前は国民党との深い関係を持っていたという。もっとも、蒋介石の国民党だって、軍閥というか匪賊と秘密結社を足した組織だから同類だ。戦後は北京の共産党とも親密であった。これが日本人にとって恐ろしい。

  1950年代以降、チャイナタウンには色々なギャングが出現した。移民の1世で形成されていた「黒鷲(Black Eagles)」「飛龍(Flying Dragons)」「鬼影(Ghost Shadows)」などが悪名高い。1980年代になると「東安(トンアン)」、「金星(Golden Stars )」、「白虎(White Tigers)」、「忠義(チュンイ)」「福青(フチュン)」「洪青(ホンチン)」が現れた。堂で絶大な権力を行使していたのは、「協勝堂(ヒップ・シン・トンHip Sing Tong)」の終身顧問であったベニー・オン(Benny Ong/伍佳兆)だろう。ニューヨークの堂で「アンクル・セブン」と呼ばれ、支那版ゴッド・ファーザーと見なされていた。こんなマフィアの親分がチャイナタウンの内政と外政を仕切っていたのだ。外国の支那人政治家はこうした長老権力者と結託して米国の政治に介入していた。アメリカ人政治家だって、選挙区にチャイナタウンがあれば、支那人の飼い犬になってしまう。アメリカの政治家が反日行動を取ったりするのも無理はない。それに比べたら、日系アメリカ人なんか日本政府にとって、何の役にも立たないし、彼らも日本政府に協力しようなんて思わない。

チャンナタウンの作り方

  支那人が米国に移住したとき、どうやってチャイナタウンを形成したかを紹介したい。支那人はユダヤ人と同じく都会に集中する。とは言っても、ゴールド・ラッシュ時代には砂金が見つかる鉱山に駆けつける支那人がいたし、大陸横断鉄道建設のために山脈地帯や荒涼とした僻地に向かった支那人労働者もいたのは確かだ。しかし、たいていは重労働仕事しかない田舎より、頭を使って大金を稼ぐことができそうな都市部に殺到したのである。

  アメリカの都会に潜り込んだ支那人は、町の角にある家が空くのを待って、それが空いたら直ぐに借りてしまう。そのうち、同じ通りの他の角が空くと、その家も別の支那人が借りてしまうのだ。つまり、一丁目の右角の家を抑えると、今度は二丁目の右角の家を手に入れる、というわけだ。支那人はその両角の家を借りて、その間にある歩道を朝から晩まで行ったり来たりするという。支那服の長い袖に手を隠しながら、支那靴でぴちゃぴゃ歩き、大きな声で「チョング、ガイ、エウ。シャング、ウィ、ホー。」とか、訳の分からぬ言葉を喋るのだ。こんな支那人が毎日その区画の道を歩いている。アヒルのようにうるさい支那人が隣に来るだけで嫌なのに、毎日その雑音を聞くことになるのだ。

  すると、この支那人二名が住む家の中間に住んでいる白人は、我慢できなくなって2ヶ月も経たないうちに引っ越してしまう。そこですかさず、空き家になった所に支那人が住み着く。こうなると前より一層支那人が足繁く通りを行ったり来たりするようになる。しかも、妙な油の臭いをたてて朝晩の炊事をするから、その町全体が支那人臭くなってしまうのだ。こうなっては、その町に住む白人はたまったもんじゃない。一軒、二軒、と引っ越しを始める白人が増え、空いた家には支那人が入居してくる。遂に町の片側は支那人によって占められるのだ。支那人の迷惑はこんなもんじゃない。アメリカ人には耳障りな、ドンガラじゃんがら、という支那人の音楽が始まり、向こう側の住宅地区は悲鳴を上げる。残っていた白人も皆町から逃げ出してしまうのだ。こうして下劣な支那人によって、その町は陥落するのである。(佐々木指月『米國を放浪して』 日本評論社 大正10年 pp.150-151) こうして支那人街が誕生するのだ。きゃぁ~。

犯罪者の巣窟たる支那人街

  支那人街が出来ると、そこは別の掟が支配する世界になり、まるで警察の手が及ばない租界になってしまうう。サンフランシスコには有名なチャイナタウンが今でもあるが、アメリカ白人は住んでいないし、不気味な店や支那人だらけの飲食店があちこちにある。日本人観光客だって、店のドアを開けたら支那人だらけだと、そ~と後ずさりして逃げたくなるだろう。あの不気味な顔をしたアジア人がわんさか居るドヤ街に、チャイニーズ・マフィアが暗躍していてもおかしくはない。昔からそうだ。佐々木氏も支那人マフィアの話を聞いたという。カルフォルニアのチャイナタウンで、ある巨漢の支那人が白人の前に立ちふさがり、その白人は倒れてしまった。通りの人々が気がつくと、支那服の長い袖から煙が出ていたらしい。拳銃を隠し持っていたのだ。その巨漢は袖を振りながら平然と立ち去ったという。こんなギャング共の訌争(こうそう)には巡査も手が出なかったらしい。プロの殺し屋に睨まれたら、警察官だって命が危ないからだ。

  佐々木氏はサンフランシスコで起きた支那マフィア事件を伝えている。ある巡査が支那人街に行ったまま、消息不明となった。同僚がいろいろと手を尽くして捜索したのだが、結局巡査の行方は掴めなかったのである。それから一年ばかり経ち、ある街路地清掃人が支那人街から買ってきた灰の中から金の入れ歯を見つけたという。その入れ歯には数字の番号がついていたので、探偵がその番号を照会したところ、まさしく行方不明の巡査が使っていた入れ歯であることが判明した。死亡した巡査は恐らく地下室にある大きな焼却炉で焼かれたのではないか、と推測できたのだが、その焼却炉がどこにあるのか皆目見当がつかない。灰の出所は分かっており、支那人街にある関羽廟の番人が、街路地清掃人に売ったものであることまでは掴めた。しかし、関羽廟は建物の二階にあり、一階は支那料理店で、その下は物置になっている地下室があるだけだ。とても人間を丸焼きに出来る焼却炉があるとは思えない。

  ある探偵が関羽廟を捜索したとき、関羽像の前に立って何気なくその像を見上げた。その像は人間より高く頭は光線の影になっていて、その玉眼だけがキラリと光っていたのである。その探偵がぼんやり眺めていると、片方の黒目はガラスの球になっているのに、他方の黒目はガラス球とは別の素材で出来上がっていることに気づいた。探偵は背伸びをしてその黒目を指で触ってみたところ、ぐらぐら動いたのでそれを押してみた。すると不思議なことに、像の右側にある壁が動き、それが厚い扉になっていたのである。目玉が扉のスイッチになっていたのだ。彼は外にいた巡査を呼び、壁の下にある梯子を降りて、殺し屋どもの巣窟に入ったのである。そこには大きな焼却炉があった。その梯子を降りると暗い通路があり、隣町にある地下室に繋がっていたのである。(p.153) こんな「からくりアジト」に屍体焼却施設があったなんて、まるで映画の世界である。支那人はやることが違う。

  日本の土は柔らかい。支那人にとったら簡単に耕して自分のものに出来る。支那人街が出来上がれば、そこが不逞支那人の巣窟になり、犯罪者の温床となってしまう。また、ここから政治勢力が生まれててくるのだ。支那人街で儲けてお金を貯めた支那人は、せっせと政治家に献金を行い、警察署長まで賄賂で抱き込んでしまうだろう。金銭や権力のためなら、がむしゃらに努力する支那人の子供は、猛勉強して官僚、政治家、裁判官、大学教授になって日本人を支配する。呑気な日本国民は、いつの間にか支那系帰化人に支配されて、どうにも身動きが取れなくなる。社会の枠組みが支那人によって固められれば、日本人はそれに隷属するしかない。今や北池袋界隈は支那人街になってしまった。支那人だらけの商店街に日本人は住みたくない。新大久保の朝鮮人街から朝鮮人商店がなくなれば、そこに支那人が入り込み、新大久保を支那人街に変えてしまうだろう。いったん朝鮮人に汚染された地域に、まっとうな日本人は戻ろうとはしない。だから、永久にその地区は支那人の国土になってしまう。そこから疫病が広がるように、支那人の勢力範囲が東京の各地に拡大するだろう。日本の都会が支那人の縄張りになるのは時間の問題かも知れない。今こそ支那人排斥法を作らねば、日本人は祖国を守ることが出来ないだろう。支那人に遠慮していると、我々の祖先にあわせる顔がなくなるぞ。



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