支那人とユダヤ人だけは優秀?

  支那人とユダヤ人はどこに住んでも変わらない。彼らの本性はチタン合金よりも強固だ。しぶとく生き延びる術(すべ)を弁(わきま)えている。ユダヤ人は古代バビロニアやエジプトあるいはロシア、スペイン、ドイツ、フランスに移住しても、ユダヤ教を厳守しユダヤ人のままであった。支那人も同様にしぶとい。北方や西方の夷狄に征服されても、時間と文化を使って彼らを支那人化し、逆に征服してしまう。支那大陸から外へ移っても、支那人根性は永久不滅。アメリカ大陸に出稼ぎに行けば、現地の白人に迫害されようが、ゼニを稼ぐまではテコでも動かない。それなのに、ゼニを貰えばコロッと手のひらを返す。支那人の言論だって、利益によって二転三転、万華鏡のように変化する。日本人は二枚舌が精一杯だが、支那人の舌はタコの足より多い。だから、支那人の信念なんて黄金の輝きの前では、いくらだって曲がるのだ。「曲学阿世(きょくがくあせい)の徒」と言われれば、日本人は恥ずかしくなってしまう。(註: 学問の真理を曲げて世間におもねる人のこと。) しかし、こんな罵倒すら支那人の顔とっては、カエルの小便くらい。漢字を読めない西欧系アメリカ人は、支那の歴史について無知だから、簡単に騙されてしまう。支那がちょろまかしても分からない。

  2014年にエイミー・チュア(Amy Chua)という支那系アメリカ人女性が、『The Triple Package』(The Penguin Press, 2014)という本を出版した。この支那人女が、アメリカ社会で成功する優秀な民族を論じて、物議を醸したのである。彼女の言うことはもっともだ、と感心するアメリカ人もいれば、他の人種・民族に対する偏見に満ちている、と批判する者もいた。日本人が聞けば、「また支那人かよ。どうせ、粉飾したホラ話だろ」と思うだろう。筆者の感想としては「お金を出して読むものじゃない」といったところ。では、どんなことを書いたのか要点を述べてみたい。

  移民社会のアメリカには、様々な民族・人種・宗教を基にした集団がいるが、その中でも八つの集団が優秀とされるらしい。何と言っても、支那人が先に浮かんだ。自分が支那人だからだろう。では、他の七つは?

  ユダヤ人、インド人、イラン(ペルシア)人、レバノン人、ナイジェリア人、亡命キューバ人、モルモン教徒。

これらの集団が、所得・資産や社会的地位、テストの成績などで秀でている。チュアは優秀リストに載らない他の集団と区別される特徴を3つ挙げている。

① 優越意識(Superiority complex)
    どの民族集団でも、自分の方が他者より遺伝的に優秀だという意識をもつ。しかし、アメリカではこうした優越思想は人種主義や植民地主義、帝国主義、ナチズム、と見なされてしまう。ところが、優秀集団ではそうでもなく、自分の民族集団に自身をもっている。
② 不安感 (Insecurity)
  優秀集団は迫害などの恐怖感が心の底にあるので、成功を手にせねば安心できない。こうした不安感は成功への動機づけとなるらしい。

③ 衝動制禦 (Impulse Control)
  堅忍不抜の精神は一般アメリカ人、つまり西欧系アメリカ人には希薄である。しかし、優秀集団では、苦痛や苦労に堪えることは美徳(virtues)である。遠大な(将来の)目標のためには、現在の享楽に溺れず、厳しい努力を積み重ねること。要は、今の楽しみを先延ばしにして、まずは目的を達成する方が先、という考え。

  著書のタイトル『3つの品物』とは、上掲の3つの要素を指している。チュアの言説が注目を浴びたのは、出世のハウ・ツー(How To)本がやたらと売れるアメリカだから、という事情がある。それに、著者が西欧系白人ではなく、黄色のアジア人で女性ということだったから、全面否定にならず、一応の討論ができる話題の本となった。もし、著者が金髪碧眼の北欧系男性なら、すぐにネオ・ナチ本として排斥されたであろう。チュアはアメリカ社会の傍系民族集団に属していたから、あんないい加減な本でもテレビや雑誌が取り上げてくれたのである。これって、一種の人種偏見ではないか。黄色いアジア人だと、人種差別は許されるなんて、おかしいだろう。

  ところで、エイミー・チュア(支那名/蔡美兒)とは一体何者だ? 彼女は支那系移民の娘で、アメリカ生まれのアメリカ育ち。彼女の父親レオン・チュアはフィリピンの支那人で、福建省出身の華僑だ。彼は電子工学を専攻し、カルフォルニア大学でコンピューター・サイエンスの教授職を務めた。彼女の母親は支那大陸で生まれたが、2歳の頃にフィリピンに連れてこられた。聖トマス大学で化学を専攻し、優秀な成績(magna cum laude)で卒業したという。この母親はフィリピン育ちのせいもあってか、カトリック信徒になったのである。娘のエイミーもカトリック信徒だという。怪しいものだ。支那人のキリスト教徒なんて、ヨーロッパのキリスト教徒と同日の談ではない。どうせ表面だけの信仰心で、頭と体の中核は中華思想だろう。

  学識の高い両親に育てられたエイミーは、カルフォルニアの高校を母親と同じく優秀な成績で卒業すると、ハーバード・カレッジで経済学を専攻した。彼女はエリザベス・カリー・アガシ奨学金とジョン・ハーバード奨学金を得ていたというから、学校秀才だったのだろう。ハーバード・ロー・スクールで法学位を取ったエイミーは、権威ある学術雑誌『ハーバード・ロー・リヴュー』でアジア人女性初の編集員になったそうだ。彼女はデューク・ロー・スクールで教授を7年間務めた後、イェール・ロー・スクールの教授に納まった。このアジア系才女が後に、イェール大学教授のジェド・ルーベンフェルド(Jed Rubenfeld)と結婚する。この亭主はアメリカ系ユダヤ人で、ユダヤ教徒である。彼らには娘が二人、ルイザとソフィアをもつが、彼女らはユダヤ教徒として育てられた。

  他人の家庭だからどうこう言うのは気が進まないが、エイミーはかなりの教育ママである。(まぁ、そうでなきゃ、あんな本は書けないが。) エイミー自身、支那移民の子供という意識が強烈にあり、勉強しなければ惨めな下層移民階級のままという焦りがあった。しかも、自分で告白しているが、アメリカ人(白人?)の同級生は、彼女の発音(アクセント)や容姿をからかったという。「私は眼鏡をかけてるし、歯には矯正用ブレスレットをした醜い子でした。英語は第二言語でした。(家では福建語だったのか?)みんなが「つりあがった目」と言っていたことを憶えています。母親は最も古い文明である支那をとても誇りにしていました。支那はすべてのものを発明したし、私たちは高度な文化をもっているの。みんながどう言おうと何なの? 私たちは、これを民族愛と呼んでいます。」(Kira Cochrane, The truth about the Tiger Mother's family, The Guardian, 7 February 2014) 出ました。支那人お得意の自慢(ホラ)話。世界にある全てのモノは支那人が発明したのだ。紙も火薬も羅針盤も、世界三大発明は支那人のモノよ ! スパゲッティーの起源だって、支那の饂飩(うどん)なんだから。(でも、支那人観光客は日本のラーメンは支那の麺より美味しいと感動している。) 日本人という野蛮人だって、「漢字」の恩恵を受けているの。・・・なんて、ほざいて子供に支那人は世界一と言い聞かせている。はい、はい、よかったねぇー。えらいねぇ~。日本から出て行ってくれ。アメリカの白人も拍手喝采。

  支那人が教育熱心だというのはよく分かる。孟母三遷というから、子供のためなら引っ越しくらい何回でもするのだろう。エイミーも教育熱心だ。人呼んで「タイガー・マム(Tiger Mom)」だってさ。エイミーから見れば、アメリカ白人の親は子供に甘い。彼女は娘たちに許さないことがある。それを列挙すると、

 ・ 友だちの家に外泊すること。(アメリカの子供はよく仲良しの家に泊まったりする。庭の木の上に作った丸太小屋で一夜を過ごしたりする。秘密基地気分で楽しい。)
  
 ・ 時間をあらかじめ決めておいて、友だちと一緒に遊ぶこと。
  
 ・ TVゲームをすること。

 ・ 自分で習い事を決めること。(エイミーはヴァイオリンとピアノしか許さない。他の楽器はダメ。)

 ・ 体育と演劇を除いて、一番になれぬこと。

 ・ 成績ではAがとれないこと。(つまり最高得点の評価以外は許さない。)
 (Amy Chua ,Why Chinese Mothers Are Superior, The Wall Street Journal, January 8, 2011)

  エイミーはこんな禁止条項を娘に課している。これって、スパルタ教育じゃないか。あっ、支那式調教だった。厳格な管理教育を信奉するエイミーは、西欧系アメリカ人の親が施す躾や教育方針に反対する。ある調査を参考にして支那と西歐を比較した。西欧人だと、子供に学業での好成績を強要するのは、精神的重荷(ストレス)となるから、いいやり方だとは思わない。学ぶことは楽しいことと教えた方がいい。西欧人の7割くらいはこのように考えている。しかし、この支那人かあちゃんは、そう思わない。調査では西欧式教育に賛成する支那人は、ほぼゼロ。うぉぉぉ。さすが、支那人はスンバラしいあるヨ。支那人の親は自分の子供を最良だと思っているし、学校の成績が人生の成功を決めると信じている。もし、子供が好成績を収められねば、何らかの問題があると詮索し、親は充分な努力をしていないと反省するのだ。しかも、支那人の親は西欧人の親より十倍も、子供に附きっきりで勉強を見てやるという。一方、西欧系の子供は勉強より、スポーツ活動により多くの時間を費やす。支那人の親は、楽しみは目的を達成してからだ、と信じて疑わない。月月火水木金金の一週間に金曜日をもう一つ。お金が好きな支那人ならでは。ダイムやクォーター(硬貨)が水に落ちたら、海底10キロでも潜って平気だ。原力潜水艦アシュヴィル(ロサンジェルス級 Uss-758)の乗組員が、ソナーに映る支那人にびっくり。

  こんな鬼軍曹みたいなエイミーは、娘たちへの叱咤激励をやめない。(アメリカ人からすれば、罵倒にちかい。) エイミーが小さい頃、母親に楯突いたら、父親が「このゴミ(garbage)」と福建語で叱ったという。支那人の言葉には罵倒語が豊富だから、日本人には想像もつかない。不潔でも構わない支那人には、汚い言葉がいっぱいある。支那と西歐の違いを示すエピソードがある。(上掲 Why Chiese Mother Are Superior) エイミーはある食事会の席で、娘のソフィアが反抗的な態度を取ったので、彼女を「クズ(garbage)」といつものように呼んでしまった。すると、同席していた幼いマーシーが涙ぐんでしまった。ホスト役でエイミーの友人スーザンが、同席していたゲストに配慮して、その場を取り繕ったという。支那人だから、その場の空気を読まずに、本性をむき出しにしたんじゃないか。デリカシーがないんだよな。支那人って、人間に化けた悪魔みたいに、ちょっと油断すると尻尾を出してしまうのだ。

  ピアノを習っていた娘のルイーズ(ルル)が7歳の時、「リトル・ホワイト・ドンキー」を上手く弾けずにいた。何度も繰り返して習得するよう言いつけたエイミーに、ルイーズは反抗し、母親に殴りかかってきたという。そして楽譜を掴み、ビリビリと引きちぎってしまった。その破れた楽譜をエイミーは、テープで貼り付けて、プラスチックのファイルに差し込み、もう破れないようにして練習を続けさせた。演奏を習得しないと、お気に入りのオモチャ(ドール・ハウス)を救貧団体に寄付してしまうよ、と脅かしたという。そして食事もお預け、誕生会もなし、クリスマスのプレゼントもダメ、と言い渡したそうである。亭主のジェドは、もう侮蔑したり脅かしたりするのを止めたらどうか、と言い出した。しかし、エイミーは諦めることは敗北に繋がるから、断固拒否したらしい。彼女は娘を助けている、と弁解したのだ。結局、ルイーズは上手に弾けるようになったという。支那人の執念は恐ろしい。あの支那人特有のねばり強さ、というか執着心は並じゃないな。でも、どうして上昇志向の支那人女は、ピアノとかヴァイオリンにこだわるんだ? そして演奏する娘と一緒に写真を撮って、他人に自慢したがる。日本人が写真を見ると、どことなく醜いなぁ、と思えてくる。


中華思想の偽装工作

  筋金入りの支那人、すなわち中華思想の権化たるエイミーは、優秀な集団を八つリストアップしているが、本当は支那人と亭主のユダヤ人だけにしたかったのではないか。アメリカ社会で白人以外の優秀民族を考えた場合、裕福で頭のいい支那人とユダヤ人だけが突出していると考えたのだろう。しかし、自分と亭主の民族だけでは、躊躇いが生じて他の民族を付け足したのではないか。たとえば、ナイジェリア人を卓越した民族としているのだ。えぇっ! 支那人が黒人を称賛している !! そんな馬鹿な。どうして? 米国のナイジェリア人は、西アフリカ人よりも立派だという、優越思想を持っているからだって。(Maureen Callahan, Tiger Mom: Some cultural groups are superior, New York Post, January 4, 2014) 一方、アフリカ系アメリカ人は、公民権運動があったからダメになったという。彼らから優越意識を奪い去ってしまったから。したがって、アメリカ黒人はうだつが上がらない、というわけ。レバノン系アメリカ人は、あのフェニキア人の末裔で、カルタゴ人は支那人同様、5000年の文明を誇る優秀民族だから、アメリカ社会で成功するそうだ。日産のカルロス・ゴーン社長も喜ぶだろう。(彼はレバノン系フランス人でルノーの社長となった。) おいおい、おーい。だったら、イラク人だって古代バビロニアの末裔だ、て言い出すぞ。

  夫のジェドはユダヤ人だから、今更くすぐったくなるような褒め言葉はいらない。でも、他の宗教団体も入れておかないと、差別主義者と思われるから、ちょっと変わった習慣をもつモルモル教徒を加えておく。エイミーはモルモルン教徒で大統領候補にもなったミット・ロムニーを挙げている。裕福な家庭に育ち、モルモン教の布教活動も行ったロムニーは、父親と同じ政界に入り、マサチューセッツ州知事にまでなれた。モルモン教徒は家庭を大切にし、道徳的腐敗に警戒しているから成功者が多い。でも、他の宗派で成功者がいるだろう。エイミーが成功者を計測する基準はまず持って金銭。そして都合のいいデータだけを使うのだ。ユダヤ系のマジョリー・インゴールという評論家が批判している。(Majorie Ingall, Do Jews and Cubans, and NigeriansKnow the Secret to Successin America ? , Tablet, February 11, 2014) 仕方ないだろう。だって支那人だもん。カラスに向かって、「黒んぼ」と叫んだって、「カラスが黒いのはカラスの勝手でしょ」と口ずさんで、山に帰るだけ。支那人だって同じ。

  支那人に親切心(kindness)とか創造性、気配り、フェア・プレー(fair play)と言ったって無駄。金額で計ることが出来る項目がすべて。人生の成功は金貨の重さとイコール。アメリカに移住したのも一攫千金が目的だ。エイミーの前提だっていい加減というか、恣意的な条件を用いて自説を述べているに過ぎない。アメリカ社会で支那人が優秀になるのは、日本人だとすぐ理解できる。どうせ「科挙」対策のような勉強法だろう。書物の中にお金が落ちている。ゼニの亡者たる支那人は、四書五経の丸暗記を米国でしているのだ。アメリカ白人には科挙なんてバカらしくて、とても出来ない。70歳になっても科挙の受験勉強をしている支那人は異常だ。アメリカ人は有意義な人生を望んでいるから、支那人のような「歪(いびつ)な」人生は嫌だろう。ユダヤ人も、トーラーやミシュナ(宗教戒律や注釈集の勉強)の伝統があるから、勉強が出来るのだ。支那人とユダヤ人は嫌われ者同士で、ウマが合うのだろう。どちらの祖国も魅力が乏しく、絶対に外国人は住みたがらない。

  支那人の言説は話半分に聞いていても害がある。インド人が優秀だと言って褒めているが、そもそもコンピューター産業で優秀な人材が、シリコン・ヴァレーに来ているだけじゃないか。インドに住んでいる何億人もの文盲や貧民は、いくらもがいても米国にすら来られない。ナイジェリア人が有能だと言っても、自国で欧米系の学校に通い、英語か仏語を話せる部族長の息子や親戚が渡米しているのだ。最初から選抜された者が米国に住んでいる。よく国連で見かける腐敗した連中だ。仲間の貧困なんか目にない、薄汚い黒人エリートである。日本人は気づいていないが、欧米式の教育を受けた「似非エリート」黒人は、日本人を本当に馬鹿にしているのだ。心の中で「何だあのチビどもは。オレたちの方が体形がよく、スポーツ万能だ」と平然と信じている。可哀想なアフリカ人と同情している日本人は、花火を背負って木に登れ。爆発で目が覚めるだろう。

  エイミー自身も、支那移民の中では特別な存在である。両親揃って高学歴で、客家(はっか/外国に住む支那人)の出身だ。ニューヨークやサンフランシスコによくいる、暗くて汚い縫い物工場で違法に働く、低賃金労働者ではない。彼女の両親は出身国のフィリピンで、支那大陸からやって来た“よそ者”であった。フィリピンの支那人は何十年何百年住んでも、地元原住民など野蛮人としか考えていない。国民の紐帯など一切無いし、夢にさえ見たことがないのだ。そんなフィリピンで蔡一族は、プラスチック製造企業を営んでおり、大土地所有者でもあった。彼らは純金を貯め込んでおり、エイミーは法科学院卒業祝いに金の延べ棒を、叔母のレオーナから貰っているのだ。(Khanh Ho, Why Amy hua Didn't Tell You: Why ‘The Triple Package ’is Dead Wrong, The Huffinngton Post, February 14, 2014) 卒業祝いに「金の延べ棒」をプレゼントするなんて、いやぁー、支那人らしく実践的贈答品じゃないか。露骨でいいねぇ。せめて掛け軸くらいにしておけば上品だったのに。これじゃあ、フィリピン人とはとても思えない。華僑は国富の独占をしていたから、民衆から憎まれている。エイミーは触れていないが、この叔母はフィリピン人の怨みをかって、虐殺されてしまったという。そういえば、フィリピン大統領コラソン・アキノも客家であった。コファンコ一族の令嬢だったことは、あまり日本で宣伝されていなかったよね。

  支那人や朝鮮人がどんな嘘をつこうが日本人にはどうでもよい。しかし、かれらの祖国ではなく、欧米諸国で勝手な言論を撒き散らすから、我々は注意せねばならないし、彼らに反撃せねばならない。とくに支那系アメリカ人は、米国籍を最大限利用して日本を誹謗することがある。アイリス・チャンを憶えていれば、よく理解できよう。アメリカ人のような生活を送るが、その精神の奥底には、あの支那人独特の狡猾さが潜んでいる。白人にはいかにもアメリカ人だとの印象を植え付けるが、支那人やアジア人、日本人に対しては、白人に見せない裏の顔を示す。エイミー・チュアはアジア系の成功者を持ち出すが、日本人については言及しないし、日系の友人もいない。昔の宋美齢みたいな、キリスト教徒を気取った雌ヘビみたいなのがチュアである。いつだって笑顔の貴婦人から殺し屋の目つきを持つ冷血漢に変身できるだ。米国で反日騒ぎが起きるときは、決まって支那人か朝鮮人が暗躍している。しかも、高学歴で社会的地位が高い。配偶者も政治家や学者、ジャーナリストとかの有力者だったりする。もう嫌になっちゃう。誰か支那人用バルサンを作ってくれないかな。



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