アジア帰化人は対等の国民なのか

  イスラム国のテロリストに邦人2名が拘束され、身代金を要求されたことに、日本の政府と世間は大騒ぎをしている。2億ドルの身代金を払わねば、日本人捕虜を殺害すると脅されても、政府は要求金額を払うことができない。もし、払ったらダッカの人質事件の悪夢が甦ってしまう。昭和52年(1977年)、日本赤軍は日航機をハイジャックして、囚人になっている過激派6名と600万ドルを要求し、福田赳夫首相はその要求を呑んでしまった。日本の卑屈な態度は各国から非難を浴び、テロリストを勢いづかせる愚挙として歴史に刻まれたのである。あの時、我が国の名誉は木っ端微塵に消し飛んだ。アメリカ合衆国の属州になったうえに、破廉恥国家に成り下がったのである。これを見た金日成は、安心して日本の女子供を攫(さら)うことができた。

  日本のマスコミは我が国の名誉より、安倍首相をいかに潰すかの方に熱心である。さっそくテレビ朝日が安倍降ろしを始めた。1月22日放送の「モーニング・バード」では、ジャーナリストの後藤氏を救えという名目で、玉川徹(テレ朝社員)が身代金を払うよう示唆する。以前、テレ朝の「サンデー・プロジェクト」で司会を務めていた宮田佳代子も、身代金を払うよう暗に勧めていた。テレ朝の御用コメンテーター吉永みちこは、テロリストに人質カードを切られる前に、どうしたらいいのか事前にルールを作っておくべきだったとの、気楽な文句を吐いていた。競馬の予想屋だけしていればいいのに、吉永は素人考えで政府に文句をつけている。こういった愚劣な人物を登用して、人質が殺されたときの安倍バッシングを準備しているのだ。安倍首相に恨み骨髄のテレ朝らしい卑劣な報道姿勢である。

  今回は単純バカの湯川氏と軽率な後藤氏が捕まって、日本政府が脅迫されたのだが、もし、人質が帰化した朝鮮人や支那人だったら、世間はどんな反応を示すのか。だいたい、国防軍だって反対の日本人が、テロリストにどうやって交渉したらいいのか、誰も自信がない。軍隊をもたない国家に諜報省を創れ、といったって絵に描いた餅である。外務省の役人がイスラム教世界の要人に太いパイプなんて作れない。試験秀才が教科書以外の事態に対応できるはずがないではないか。だから、お金を払う以外に救出手段がないのだ。したがって、我々は帰化人ジャーナリストあるいは観光客が拉致されたとき、テロリストの要求に屈服するのか、それとも如何なる交渉もしないとの決断を下すのか、決めておかねばならない。マスコミは支那人や朝鮮人だと殊の外熱心に応援するから、帰化して日本国民となったアジア人を救うためなら、日本の国際的地位など屁とも思わないだろう。テロリスト支援になっても、アジア系帰化人の命の方が地球より重いのだ。

  危機管理において「まさか」という言葉は不適切である。最悪の事態を想定するのが国家の義務だから、現在の状況でも推測・予想できることは考慮すべきだ。日本国籍を取得する在日朝鮮人や支那人、フィリピン人、タイ人などが増加しているのだから、将来アジア系日本人ジャーナリストが紛争地帯で拘束されるかも知れない。以前、アジア系アメリカ人ジャーナリストが支那側から北朝鮮へ不法に入国した廉で、北朝鮮に拘束される事件が起きた。(Jean H. Lee, Laura Ling, Euna Lee, US Journalists Captured In North Korea, Will Be Tried For Illega Entry, The Huffington Post, April 30, 2009) エウナ・リ(Euna Lee)は、南鮮生まれで米国の大学に入学した帰化人である。アメリカ人と結婚したときに米国籍を取得したのだろう。ロウラ・リン(Laura G. Ling/凌志美)は、移民である支那人の父と台湾人の母のもとに生まれた支那系アメリカ人2世である。アメリカのテレビ局に勤める二人は、合衆国の努力と圧力で解放された。合衆国の軍事力を見せつけられれば、北朝鮮は青くなって要求に応じて解放する。力でしか動かない犯罪国家は、強者には従順で、日本とは対応が違うのだ。

  毅然とした政権が無い日本は困った問題を抱えているのだ。在日朝鮮人3世あるいは4世などが海外で拉致されたら、対応するのは常識から考えて韓国政府だろう。しかし、彼らの家族が代々日本に永住しているから、問題は複雑になって、厄介なことになる。マスコミが在日鮮人を準日本人として扱うだろうから、日本政府に何らかの行動を要求するに違いない。生活保護みたいな、福祉給付金を在日鮮人に与えている日本は、殺害宣言を受けた在日朝鮮人を見殺しに出来るのか? 国籍賦与を簡単に考えている日本人は、外国人が帰化して日本のパスポートで外国を旅しているのに、何の不安も抱かないのだ。たとえば、支那人が拉致されたって、北京政府は鼻で笑って無視するが、帰化した支那人だと日本政府は「日本国民」として救出しなければならない。場合によっては、自衛隊の特殊部隊が投入され、帰化支那人を命懸けで助ける羽目になる。日本人の遺伝子をもたず、愛国心も更々無い支那人や朝鮮人を、国籍取得者という理由だけで、国家への義務と忠誠に満ちあふれた自衛隊員が殉職するかもしれないのだ。こんな馬鹿らしい事はないのに、帰化人の拉致はありえない、と大半の日本人は思っている。

ローマ人の流血で偉大になったローマ

  ローマが偉大だったのは、ローマ人が祖国を愛し、そのためには命を捧げる愛国者が続出ししたからである。祖国ローマのために、戦場で自らの命を犠牲にしたデキウス親子の殉死は、愛国心を涵養する書物でしばしば取り上げられる。(たとえば、Charotte Mary Yonge, A Book of Golden Deeds of All Times and All Lands, The McMillan Co., London 1896, pp.-59-66を参照) 紀元前340年に、ローマ人とラティウムのラテン人らが反目し合い、干戈を交える状態に陥った。このラテン戦争で指揮を執ったのが、ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス(Titus Manlius Torquatus)とプブリウス・デキウス・ムス(Publius Decius Mus)という二人の執政官であった。

  ローマ軍はウェセリス川の湖畔に陣を張り、執政官は慣習通り、戦の前に生け贄を捧げたのである。両執政官は共に、戦闘中に指揮官が倒れた方、つまり神に命を捧げた方の軍が勝利を得る、という夢を見たらしい。そこで二人の執政官は、戦場で苦戦を強いられた軍団を指揮する執政官が神にその身を捧げることにしよう、と取り決めたそうだ。戦闘では軍の右翼をマンリウスが、左翼をデキウスが指揮したのである。開戦となり、ラテン人の猛攻によりデキウスの左翼が押され、ローマ兵が後退しつつあった。すると、デキウスは神官のマルクス・ヴァレリウス(Marcus Valerius)を大声で呼び、天の助けが必要であることを告げた。その神官はデキウスが軍団を救うべく身を捧げるとの言葉を復唱し、彼に紫の線がはいったトーガ(toga praetexta)を着せた。デキウスは足許にある槍を踏み、ヤヌス、ユピテル、マルス、キリヌス(Quirinus)、ベローナ(Bellona)、ラルス(Lars)などの九つの神に、生け贄たる我が身を受け入れるよう希(ねが)った。(Livy, History of Rome, Vol. IV, Book VIII,ix 3-9, G.P.Putnam's Sons, New York)

  デキウスは腹心のリクトル(先導警吏)を呼び寄せ、同僚執政官(マンリウス)に、生け贄は受諾された旨を伝えよと命じた。そして白馬に跨り、敵陣の密集している箇所に突撃したのだ。剣を振りながら突進してくるデキウスは、まさしく戦場の鬼と化す。この気迫にはラテン人もおののく。敵兵がデキウスに群がり、彼の胸を武器で突き刺した。激戦の中で地面に落ちたデキウスの体には、非情にも矢の雨が降りそそぐ。満身創痍のデキウスは絶命したのである。

  その頃、命令を受けたリクトルがマンリウスの許にに赴き、デキウスの自己犠牲を告げると、マンリウスはその目に涙を浮かべたが、彼の崇高な死を無駄にはできぬ。多勢を誇るラテン軍を前にし、マンリウスは勇猛果敢に反撃し、ラテン人を撤退せしめ、ローマ軍を勝利に導いたのである。デキウスの遺体は、敵兵の死骸の山に埋もれていたという。まことに壮絶な最期であった。武人の鑑である。

  偉大なる父に倣い、その息子のプブリウス・デキウス・ムス(父と同名)も、祖国ローマのために命を捧げたのである。紀元前296年に対サムニウム戦争がまたもや起こった。この戦さでは、エトルリア人、ガリア人、サムニウム人、ウンブリア人が反ローマの共同戦線を張ったのである。執政官となったデキウスの同僚執政官は、あの高名なクウィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルッリアヌス(Quintus Fabius Maxmus Rullianus)であった。センティヌムの決戦でファビウスが二個軍団を率いて、サムニウム軍と戦ったが、戦闘はなかなか決着がつかなかった。デキウスが指揮を執った左翼では、ローマの騎兵隊がガリア人の戦車によって混乱し、ローマの正規軍(レギオ)も後退し始めたのである。するとデキウスは神官のマルクス・リウィウスを呼び寄せ、自分の首と敵軍も同時に冥府の神々に捧げるよう命じた。デキウスは父と同じようにガリア軍の最も厚い大集団の中に突撃し、命を絶った。この高邁な人物、人々に敬愛された将軍の鬼神も避けるような死にもの狂いの剛勇さは、無駄ではなかった。(テオドール・モムゼン 『ローマの歴史』 第一巻 長谷川博隆 訳 名古屋大学出版会 2005年p.352)

  逃走しつつあったローマ兵は立ち直り、最も勇敢な者が指揮官に続いて敵の戦列へ、デキウスの死を弔うかのように我が身を投げ出したのである。そこへファビウスの軍からルキウス・スキピオがローマの予備隊を率いて危機の迫った左翼に現れた。ガリア人の側面と背後を突き、戦の趨勢が決まってしまう。ガリア人は敗走し、ついにサムニウム人も撤退したのである。ローマ軍は高い代償を払って勝利を得た。9000名にものぼるローマ兵の遺体が戦場を覆っていたのだ。デキウスの亡骸は同僚執政官が弔辞を述べた後、壮麗な埋葬を受けた。

  ローマの栄光はこうした勇敢な将兵によって維持されてきたのである。我が国も何千何万のも武人(もののふ)が、日清・日露・大東亜の激戦で斃(たお)れたのだ。銃弾で体を貫かれた我が軍の将兵は、血しぶきを上げながら、異郷の地に沈んだのである。父や兄、息子を亡くした日本の女性は、紅涙を流すも、祖国のために堪えた。幼い少年は祖国の英雄を崇敬し、成長すると父や兄と同じくその身を戦場に置き、五体引き裂かれようとも決して怯まなかったのだ。れわれが現在手にする日本旅券には、祖先の地と汗と涙が染み込んでいる。子孫のために自らを犠牲にした日本国民の貴い遺産なのだ。我々の血と肉に宿る祖先の魂を粗末にしてはならない。こんにち平凡な暮らしをしている我々は、これほど尊い国籍をタダで支那人や朝鮮人に配布しているのだ。祖先の遺産を食いつぶしながら生きる我々は、子孫に対して何と詫びればよいのか。アジア人に帰化を許してはならない。祖先が示した勇気が数千分の一でも残っているなら出来るはずである。


人気ブログランキングへ