馬鹿にする黒人と同じ風習

  朝鮮人が日本人から嫌われる理由とは何か。色々あって説明するのに困る。尊大だったり、不潔だったり、短気であったり、と悪いところを挙げたらキリがない。朝鮮人の顔が嫌い、という生理的拒絶反応はしょうがないとしても、朝鮮人が馬鹿にされ敬遠されるのには、それなりの理由があるのだろう。それに、日本人だけではなく、在日朝鮮人でも恥ずかしく思う文化・慣習があるのだ。朝鮮人が自分の正体を隠しながら、日本で生きているのも分かる気がする。朝鮮人の実態があまりにも酷くて、貧困を極めているからだ。そんな朝鮮人の一面をちょっと述べたい。

  日本では頭上に物品を載せる習慣は無いが、朝鮮では婦女子が物を頭に載せて運ぶ風習があった。これは各家庭に井戸が無かったし、共同井戸をもつ部落が少なかったせいもあって、水汲みのために水甕(みずがめ)を頭に載せて歩いていたのである。科学技術が未熟というより、あまりにも惨め過ぎる原始的生活しかなかったから、運搬手段の改良すら発想できなかったのであろう。頭に載せることで相当重い物でも運べたらしい。外出の時でさえ、風呂敷包みを頭上に載せる習慣があったという。マヌケな小僧みたいだ。ちょっと滑稽である。朝鮮の女は働き者と言われるのも分かるなぁ。でも、朝鮮人はこうしたウォーキングが、いいエクササイズになったんじゃないか。現代の我々はお金を払ってジムに通い、ルームランナーで走ったり、重いベンチ・フレスを持ち上げているのだから。しかし、朝鮮人の歪んだ体形は嫌だろう。朝鮮女性が蟹股(かにまた)で歩くのは、重い荷物を頭に載せて歩いていたせいかも知れない。(堀貞次良 『内鮮風習理解の書』 朝陽社 昭和18年 p.95) 

   朝鮮人は黒人であるアフリカ人を見下し馬鹿にするが、実は彼らと同じ風習をもつことが恥ずかしい。カゴを頭に載せて物を運ぶなんてことは外人に知られたくない。とりわけ憎い日本人に知られたくないのだ。泣き女だって在日朝鮮人は、本心ではとても恥ずかしく思っている。朝鮮で生まれていれば、人生で重大な葬儀に鼻水垂らして泣いても平気だろうが、大げさな身振りをしない慎み深さや、人前で感情を堪えることが美徳とされる日本に生まれ育つと、在日朝鮮人だって祖国の慣習がおかしいことに気づく。お金を払って他人に泣いて貰うことで、葬儀を盛り上げようなんて、その発想自体が嫌である。朝鮮人が泣き女について語りたくない別の理由は、同じ風習がアフリカにもあるからだ。たとえば、ケニアでは葬儀のとき泣く職業があり、プロの「泣き女(男)」が存在する。サミュエル・オチェングというプロの泣き男によれば、ついていない時は3.8ポンドしか貰えないが、多いときは12ポンド貰えることがあるという。(Dennis Okari, Kenya's paid mourners face uncertain future, BBC News, 7 November 2014) 面白いのは、葬儀の時どうしても涙が出ない場合は、笛を吹いて誤魔化すそうである。でも、運動会かドリフターズのコントみたいで、つい笑いたくなるが。(しかし、太ももをつねってアザをつくるよりいいか。)

  朝鮮人のジェスチャーが日本人に不快感を与えることもある。日本では一般に腰に手を廻したり、当てたりすることは横柄な態度とされているが、朝鮮では男女とも腰に手を廻して相手に接するという。無知な朝鮮人が日本にやって来たのだから、日本人と軋轢が生じるはずだ。普段から生意気な態度をとる朝鮮人が、こんな身振りをしたら日本人は怒ってしまうだろう。日本人が激怒する朝鮮人の仕草の一つに、足で物を動かすことが挙げられる。(p.147) 支那人もよくやる動作だが、日本人にしたら無礼極まりない。朝鮮人女が膝を立てたまま坐ったり、その姿勢で飯を食う姿も、日本人は「はしたない」と感じてしまうから、よけい朝鮮人に対する嫌悪感が増してしまう。不作法に足を使う朝鮮人だが、妙にその履き物は大切にしたのである。朝鮮人は履き物を脱いで上がる所なのに、かえって部屋に上がってから脱ぐといった滑稽な行動をとる。(p.159)

軍艦に喜ぶ朝鮮人と呆れる日本人

  支那人のミニチュア版というべき朝鮮人は、自分の真価が分かっていないくせに、やたらと大人(たいじん)ぶって、自分を実力以上に見せたがる。軍事組織の構築や科学技術の開発においても、日々発展させる地道な努力より、一挙に獲得しようとする傾向が強い。そこで、朝鮮人が日本人から劣等民族とみなされる原因を探るため、一例を紹介し考えてみたい。

  朝鮮にまだ大韓帝國があった頃、皇帝高宗の即位40年称慶礼式を挙げるにあたって、朝鮮人は馬鹿らしいほどの大騒ぎをしていた。世界の列国から大使を招待するというので、何が何でも一流でなくてはならぬ、と張り切っていたのだ。いかにも面子を重んずる朝鮮人らしい。そこで、東京から馬車や上等な椅子を購入するとかして、一切万事ハイカラにせねばならぬと見栄を張ってしまった。朝鮮人にとって命よりも大切な、あのアホらしい“見栄”である。世界各国の軍艦が仁川で祝砲を放った時、答礼せねば一国の体面に関わるといった名(迷?)論が出たという。そこで、月尾島に砲台を築き、軍艦揚武(ようぶ)を購入することになったそうだ。(塩崎誓月 『最新の韓半島』 青木嵩堂 明治39年)

  慎重な行動を取れぬばかりか、論理的思考すらない朝鮮人は、面子を優先させて後先考えずに行動してしまう。月尾島の砲台を造ったのはいいが、未だ国際上の通牒も済まさぬというのに、たまたまドイツの軍艦が祝砲を打ったものだから、朝鮮人指揮官は早速答礼をせねば、と単純な心得で突然発砲してしまったのだ。仁川周辺の朝鮮人もその轟音に驚いたが、もっと驚いたのはドイツ軍艦の方であった。ドイツ軍人は即座に京城のドイツ公使館へ通達したのである。ドイツ公使が国際法を無視した発砲を咎めると、朝鮮側の外交担当者や軍部のおエラ方は真っ青になり、平謝りの醜態を晒した。昔から朝鮮人は国際常識がなかったのである。

  軍隊という訓練を要する武装組織は、もともと朝鮮人には縁遠い代物であった。箸とペニスより重い物をもったことがない両班にとって、武人というのは野蛮人であって、漢詩を詠む高級文人には及ばない。文弱の朝鮮人支配者層にとって、軍事は専門外だったから、軍艦は自国生産ではなく、外国から輸入するものであった。「軍艦」と称されていた「揚武」だが、元は英国船「Pallas」を日本が25万円で購入し、石炭運搬船として使っていたのである。この商船を三井物産が仲介して、朝鮮に売買する契約を結んだのである。こんな中古船舶に12インチ砲などを設置して戦艦らしく見せかけた。朝鮮人にとって晴れがましい唯一の軍艦だから、その艦内の装飾は手が込んでいたらしい。皇帝が乗船するときのために玉座の船室を設けており、高級な椅子や銀の燭台が設置されていたという。(p.198)

  しかし、軍艦の内装は見事でも、乗組員の質が最低であった。何か沈没したセオル号を想い出してしまう。軍艦揚武には、もちろん朝鮮人の艦長や副艦長が乗っていたのだが、これがズブのアマチュア軍人であった。艦長の愼順晟は25、6歳の若造で、日本に留学して大坂商船学校を卒業したらしい。四等運転師の免許をもらったばかりの鮮人が船長になっていたのだ。一方、副艦長は金肅房という髭面の鮮人だが、この男も軍人ではなく、仁川の花開洞で女郎屋の亭主をしていたという。こんな野郎が一躍軍艦の副艦長になってしまったのだ。朝鮮人のいい加減さはこんなもんじゃない。船の水兵が乞食だった。というのも、食事をたかる乞食を抱えた朝鮮の官吏が、軍艦見物に一緒に連れてきて、そのまま水兵にしてしまったのだ。中には、詭弁を用いて厄介な乞食どもを軍艦に残したまま、何食わぬ顔で帰ってしまう官吏がいたそうだ。あぁ~、朝鮮的人材活用だねぇー。

  驚くなかれ、こうした官吏は泥棒でもあった。軍艦内部を見学した序(つい)でに、玉座にあった銀の皿や洋食用のナイフなどを持ち帰ってしまった。(p.202) これじゃあ、日本のホテルでバスローブからトイレット・ペーパーまで盗んで帰る支那人と変わらないではないか。不要な食客乞食は置いていくのに、貴重な器物は懐に入れて持ち去るとは、呆れてモノが言えない。そんな泥棒官吏を処分すればよいではないか、と塩月氏が艦長に問うと、処罰できる権限は何もないし、泥棒官僚のほうが地位が高いので手が出せないと答えたという。トホホ。

  武士に睨まれただけで失禁(小便漏らし)しそうな朝鮮人は、軍事が苦手でも“一流国家”の体面だけは守りたかったらしい。ロシア公使から揚武はボロ船で実弾一個発射しただけで船が破損するのでは、と馬鹿にされたのだ。そこで朝鮮人の軍部大臣は、実弾発射を命令したのである。しかし、軍事訓練も受けていない、だらしない船員で砲撃が出来るわけがない。当時は秘密であったが、揚武には日本人の参謀である某佐官が、監督という肩書きで平服に身を包み乗船していたのである。その他にも、休職あるいは予備役の日本人海軍将兵がたくさん乗っていて、機敏に動き回りながら砲弾を発射していたのだ。(p.199)

  これらの覆面日本人乗組員等が舷側の速射砲4門を各5発づつ発射すると、見学していた朝鮮人官吏は着弾した実弾による水柱を見て拍手喝采。轟音で耳が聞こえなくなった朝鮮人らは、12インチ砲を発射するとき、震えが止まらず怖くて近づけなかった。実弾発射を喜んでいる朝鮮人は、日本人「監督」から「お前等もいずれ士官になるのだから、チト発砲してみろ」と揶揄されたとき、皆で「麗しい」譲り合いを始めたという。勇気を発揮したある朝鮮人が、砲に向かって射撃しようとしたのだが、なんともへっぴり腰で、恐怖と緊張のあまり指先に全身の力が集中されていた。清水の舞台から飛び降りるような心境で、砲を発射するとその衝撃で朝鮮人一同が腰を抜かしてしまった。日本人から見れば、抱腹絶倒の一場面であったらしい。朝鮮人のある高官は巧みな日本語で「朝鮮にもこれで軍艦が出来ました。今後大いに海軍拡張の方案を立てるつもりです」と真面目に語ったという。「おいおい、本気かよ!」とツッ込んではいけません。

  熱しやすくて醒めやすいのは朝鮮人の性格だが、自分勝手な解釈で約束を反故にするのも彼らの特性である。朝鮮人は礼式が終わると、せっかく購入した軍艦揚武も無用の長物に思えてきた。にわかに軍艦不要論が持ち上がり、契約者の三井物産と韓国宮廷の間に揉め事が生じてきたのである。四月に仁川に着いた軍艦は五月になっても授受の手続きが済んでいなかった。そこで日本の林公使が間に入って調停役を果たし、50万円の契約金を減額して月払いの分割支払いにしたのである。代金支払いでゴネた朝鮮人は、軍艦の維持すら出来なかった。それまでは三井物産が食料や燃料の調達をしてあげていたが、引き渡しが済んだ後は、朝鮮人が艦を運行する羽目になったしまった。日本人に頼りきりだった朝鮮人は、艦の食料が尽きて大慌て。軍部と艦長は相談したあげく、艦長と副艦長が懐からお金を出して込めと塩を買うことになったらしい。食料でさえ頭になかった朝鮮軍部なのだから、船員の給料が一度も支払われていなかったと聞いても驚かない。この軍艦揚武は老朽化すると、朝鮮人の船員育成のため実習船として活用されたらしい。

  朝鮮人と係わるとロクなことがない。律儀で真面目な日本人は、無礼で無能な朝鮮人と接すれば、繊細な精神が擦り切れて疲れてしまう。永遠の劣等国である朝鮮とは、アフリカの未開国並に付き合えばよい。無理して友好を築こうとするから、日本人は損害を被るのだ。しかし、南鮮人は身の程知らずというか、根拠もなしに先進国と公言できるのだから、精神構造が我々と根本から違っているのだろう。「日韓友好議連」の政治家には思考能力があるのだろうか。



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