囚人が兵隊になるソ連軍

  日本の人権派弁護士とか平和教育屋といった左翼文化人は、アジア人の“人権”には敏感だが、日本人が代々受け継ぐ“国民権”には鈍感である。学校で習う「人権」とは、地球上の人間なら持ってると推測される最低の権利で、日本人はこれと比較にならない高級な「日本国民の特権」を有している。反日勢力はわざと混同しているのだ。人権なんていうのは、西欧の左翼が有色人種を見て、野生動物よりはマシな哺乳類だし、「彼らも一応人間なんだから」という憐れみで賦与した概念である。だから、優越者の西欧人がアジアやアフリカの野蛮に対して、「殺すな、犯すな、盗むな」といった簡単な禁止項目くらい守れよ、と叱っているに過ぎない。それ以上の倫理・道徳など彼らには理解不可能だから。しかし、日本人には、こんな下らない「人権」など要らない。高度倫理国の日本で、常識論でも取り上げない基本倫理を叫ぶ左翼はどうかしているのだ。アジア人の人権なら熱心に取り上げるくせに、日本国民に加えられた暴力や凌辱に沈黙している「良心派」は実に怪しい。とても同じ日本国民とは思えない。

  敗戦の衝撃は帝國陸海軍の将兵のみならず、朝鮮や支那の在留邦人にとっても甚大であった。ここでは終戦時、羅南憲兵隊に所属していた中島實・憲兵曹長が遺した体験記を紹介したい。(中島實 「北鮮凌辱記」其の1と其の2 『昭和史研究所会報』平成11年1月10日第21号と同年2月10日第22号参照。)日本国民を育成するはずの公立学校には、皇國軍人が目撃した惨劇と同胞の屈辱を若い世代に伝える教育が全くないのだ。こんにちでは、朝鮮人の非道は段々知れ渡ってきたが、ソ連兵による犯罪はそれぼど宣伝されていない。ソ連軍の朝鮮侵攻をうけて、中島氏も他の日本人と同じく北鮮脱出組の一人であった。彼が城津(じょうしん)の町に着くと、そこは既にソ連軍の先遣隊が到着しており、町は暗くて冷たい「死の町」と化していて、ただ南へ南へと歩く避難民で溢れていたという。邦人保護を試みた羅南憲兵隊の隊長・村井中佐は、やむを得ず「ソ連軍と協力して治安の維持に当たれ」と命令していたが、不運というか案の定、村井隊長以下全員がソ連軍捕虜になってしまったらしい。

  そこで中島氏は、長年住み馴れた咸鏡北道(かんきょうほくどう)を離れて、まだ敵に蹂躙されていないはずの咸鏡南道へ向かった。南へ下った中島氏が端川駅に着くと、間もなくして汽車が到着したという。歓喜の声を上げた群衆が駆け寄ると、その列車にはソ連兵が乗っていたのである。しかも、それは「地獄の鬼よりも怖い」と悪名高いソ連の囚人部隊だった。坊主頭で軍帽軍服もろくに無い兇悪犯の一団だ。こんな獣(ケダモノ)は絶対、日本で見ることができない。そもそも棲息していないし、日本の土壌から生まれないだろう。この囚人部隊は監督役の正規兵に自動小銃で監視されていた。戦闘地域でもない端川駅に着いた囚人らは、アコーディオンを鳴らしながらロシア民謡を歌い、曲が終われば「ウラー、ウラー」と喚声(かんせい)を上げていたという。想像しただけで戦慄を覚える。スラブヴ系のみならず、グルジアやアジア系のならず者が駆り出されたのだろう。あんな悪人面を目にしたら、ヒグマがデディー・ベアに見えてしまう。

  この野蛮人は列車から飛び降りると、「ハラショ、ハラレヨ」と叫びながら、突然の恐怖で立ちすくむけ者から、腕時計や万年筆を奪い取った。刺青をした腕に幾つもの時計をはめ、万年筆を胸のポケットに刺して勲章のように飾り立てたという。「ハラショ、ハラショ、ウラランラ、ウラランラ」とはしゃぐ極悪人は、長年の刑務所暮らしから解放されて、シャバで思い存分暴れることがてきるのだ。本質的に野蛮なロシアの軍部は、こんな外道の奴らを使って戦争を行うのである。飢えた狼よりも兇暴なソ連兵を目の当たりにした人々は、汽車を諦め端川の日本人学校へ避難した。

  避難所で夜を過ごそうと決めた中島氏は、夕方宿舎の便所で用を足して外に出ると、自動小銃を手にしたソ連兵二名と遭遇した。彼れは心臓が止まる思いで立ちすくんでいると、彼らは気にも留めず素通りし、炊事の支度をしている女たちのもとへ向かったのである。彼らは女たちに近寄ると、「ハラショ、ハラショ」と声を掛けながら、一人一人の顔をのぞき込んだ。気に入った女を見つけると、青いリンゴを嫌がる娘に押しつけた。彼らが去ると、恐れおののく娘らは気味悪がって、そのリンゴを投げ捨てて講堂に駆け込んだ。中島氏は、囚人部隊の奴らがきっと何か悪いことを企んでいるのだろう、と疑いながらも、このまま夜まで何も起こらぬよう願ったという。人々が眠りにつこうとした夜中に、突然講堂の入り口で鋭い銃声が響いた。すると、懐中電灯を持った朝鮮人が現れた。この不逞鮮人は通訳として夕方訪れたソ連兵を案内していたのだ。卑しい朝鮮下郎はハッキリとした日本語で、「この中に夕方リンゴを貰った女の子がいるだろう。直ぐに出てこい」と高飛車に怒鳴った。あの青いリンゴは予約票だったのかもしれない。このグス鮮人が命令しても、誰一人として名乗り出る女の子はいなかった。

  そこで、苛立ったソ連兵は朝鮮人の手から懐中電灯をもぎ取ると、女たちの顔を一人一人確かめ、次々に引きずり出した。「嫌、嫌っ」「誰か助けてーっ」と女の子は悲痛な叫び声を上げたが、敗残兵だった中島氏にはどうすることも出来ない。母親が娘の身を案じてソ連兵の手にすがりつき、「あまり酷いことをしないでください」と必死に頼み込んだ。だが、日本語など分からぬソ連兵は、冷酷にその手を払いのけたのである。獣欲の塊となったソ連兵は、いきなり自動小銃を天上に向けて発射し、「ニエット、ニエット」と叫びながら、涙を流してすがりつく母親を足蹴りにした。そうして、五名の女の子を拉致し、その場を後にしたのである。中島氏の悔しさたるや、我々にだって想像できるだろう。女子供を守ることを誇りにした日本男子が、目の前で獣に拉致されるのを見て、何もできなかったのだ。連れ去られる娘たちの悲鳴が耳から離れない。胸が張り裂けるほどの屈辱である。切腹して詫びたいだろう。

  中島氏は自分の命が惜しかったから、傍観していたのではない。憲兵としての彼には守らねばならぬ大勢の
避難民がいたのである。一人を助けようとして騒動を起こせば、何十何百の民間人が危険に晒されるのだ。涙を呑んで堪えるしかなかった。中島氏の気持ちを察すれば、我々だって一緒に泣きたくなる。翌朝、女の子らは裂傷を負い、足を引きずりながら眼を真っ赤にして帰ってきた。彼女たちが如何に強姦されたかは、涙で腫れ上がった眼を見れば直ぐ分かる。その中の一人、鈴木という名の女の子は自分の前途を恥じて自害した。当時、貞操は命より大切と教えられていたから、輪姦された大和撫子は、その子の悲壮な決意に同情すると共に、犬畜生にも劣るソ連兵の蛮行を憎まずにはいられなかった。

  皆が被害者少女らの告白を聞いて、その場が重苦しい雰囲気になった時、一人の婦人が長い黒髪をバッサリ切り落とし、男女の区別がつかぬよう鍋尻の墨を顔に塗りたくった。それを見ていた女たちは、誰彼言うともなく自らの手で墨を塗り始めたのである。そうして男か女か分からぬ姿に変身したという。

  選挙で選ばれた代議士や社会の木鐸を詐称する朝日新聞、国民の受信料で贅沢をするNHKは、日本国民が堪え忍んだ苦悩を滅多に取り上げない。従軍慰安婦という用語を発明し、大金を稼いだ売春婦を、ただ朝鮮人だからという理由で同情を寄せる左翼は、本当に日本人なのか。悪徳弁護士の戸塚悦朗は、商売女を性奴隷に置き換えて、世界に宣伝していた。左翼リベラル派と称する格好つけどもには、邦人女性が渾身の力を込めて放った叫び声が聞こえない。人間の良心など一欠片(ひとかけら)も有さない、あの下劣な強姦ロシア人に対して、ただの一言も口にしないとは。お前らの血は何色なんだ? 非難するのは立派な日本の軍人に対してのみ。中島氏のような憲兵が噛みしめた恥辱への共感が全くない。「誰か助けて」と泣き叫ぶ少女を肉眼に映しながらも、他の女たちを守らねばならぬ日本男子の辛さが分からない愚か者である。昔の日本人なら怒りで血管の血が沸騰してしまう。武力を放棄してしまった現代の日本人には、もう祖先から受け継いだ誇りが無いのだろうか。国軍の再建を急がねばならない。馬鹿な国民から「軍国主義者」とか「極右」と呼ばれようがいいじゃないか。強姦されて命を絶った日本の婦女子のことを思えば、それくらい何だ。我々の体には勇敢に戦った武人の気概が宿っているのを忘れてはならない。 



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