潜在的反日分子の育成

  朝鮮人は日本のガンと言えよう。ちょうど歐洲でユダヤ人やイスラム教徒が問題になっているように、日本において朝鮮人や支那人は社会の厄介者である。もともと、彼らとは文化的・歴史的に違うし、祖先つまり肉体・遺伝の点についても異なっているのだ。こんな異質で劣悪な婚族を抱えて共存しようなんて、気違い沙汰でなければ大量破壊兵器の設置である。こんな穢らわしいアジア人に対して日本人に同化しろ、と勧告する保守派知識人は左翼と同じだ。一般の日本人なら、朝鮮顔の者が同化したって嫌だし、なるべく「近づくな」というのが本音だろう。しかし、日本の役所は朝鮮人に税金や国籍まで与えるのだ。朝鮮学校なんか法律的根拠もないただの私塾に過ぎない。朝鮮学校の教師といったって、北鮮工作員と変わらないじゃないか。朝鮮人学校の内情についてに金漢一(キム・ハニル)という在日北鮮人が本を書いている。(『朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ』 光文社 2005年) 朝鮮学校が不気味なことは分かっているが、具体的にどんな風なのか知る手段として、この本はとても役に立つ。

  金漢一は日本の公立学校に通わず、福島朝鮮初中級学校に入学したという。「学校」と名が附いているが、実際はカルト宗教の洗脳施設みたいだ。第一、子供を教育して将来何の職に就かせたいんだ? パチンコ屋とか朝鮮料理屋か。朝鮮総聯に勤められれなければ、ヤクザくらいが優良就職先であろう。学歴がないのも同然の朝鮮人卒業生は、まともな日本企業に勤められない。日本人社員だって大変なのに、企業運営を心配する経営者が、わざわざ厄介者を背負(しょ)い込むことはしないだろう。朝鮮人生徒は学問よりもケンカの方が得意だ。日本人中学生と朝鮮人中学生の間では、血で血を洗うような抗争が繰り広げられていたらしい。通学路や駅は戦場と化したのだという。朝鮮学校が建つと、その周辺は紛争地帯になる。刑務所が建っても、囚人が街に繰り出すことはないが、朝鮮人の施設が出現すれば、悪党どもが跋扈(ばっこ)し始める。朝鮮人生徒の相田では、ケンカのルールや訓示があったそうだ。兇器をもって戦うとき、殺してはいけないので、刺すときは太ももを狙え、といった教えもあったという。(p.21) あのー。「ナイフは持つな」の間違いじゃないのか。

  朝鮮学校は教育施設といっても、よく言って更正施設、本音を言えば少年院じゃないのか。小学校の寮では当初テレビ禁止どころか、テレビそのものもが無かったという。しかし、テレビが入ったら、子供ちはアニメに夢中だった。マンガは禁止で、教師に見つかれば没収された。学校ではマンガより音楽の方が厳しく規制されていたという。流行歌にはアイドル歌手の曲も含まれていた。アイドル歌手にうつつを抜かすことは、「資本主義に嵌る」ことを意味したという。なんか支那の文化大革命のようだ。ラジカセは没収だったが、英語講座や野球の試合を聴く場合は許可された。その一方、レコードやカセット・テープは常に没収の対象であったという。漢一はキャンディーズの曲が入っているカセット・テープには、「朝鮮民謡名曲集」と書いておき、発覚しないように対処していたという。用心したければ、カモフラージュ用に本物の朝鮮民謡のカセットを持っておくことが推奨された。イヤフォンをつけて押し入れの中で聴くのが、安全だったが、そうすると外の様子が把握できないので怖かったらしい。いつ教師が部屋に入ってきたのか気づかずに、押し入れで不審な行為をしていたらマズイからだ。小学校五年生の時、同室の者がビートルズのベスト盤を持っていたが、留守にしていた掃除の時間に部屋に教師が入ってきて没収となったしまった。その子は教師に向かって「先生、ビートルズはもうクラッシックじゃないですか」と。ビートルズをきいて悪影響があるわけでもないので、その教師は渋々ながらだが折れてくれた。ビートルズがクラッシック、って問題点がズレている。

  朝鮮人はプライドが異常に高い。惨めな者ほど下層民に甘んじることを恐れる。口では高い文化を誇るが、実際は貧相な文化で、内心嫌になってしまう。日本の文化は魅力的で、乞食より貧しかった朝鮮人には抵抗できない。つい日本の歌謡曲に手が出てしまう。高校生の漢一は井上陽水やサザンオールスターズなどの曲が好きだったが、日本人を認めたくないから素直に好きと言えなかった。「日本人を好き」と認めることは、裏切り者と判断されかねないからだ。日本人歌手を否定するときは、「まだ世界に通用するほどじゃない」とか「米国のビルボードや英国のメロディーメーカーのチャートでは、末端にすら現れない」とかいって卑屈に否定したりする。(p.120) じゃあ、朝鮮人歌手で世界に通用する者が居たのか? 朝鮮語の歌なんか、日本人には馬鹿らしくてとても聞く気にならない。もっとも、笑う演技に苦労している俳優にとっては便利だ。すぐ笑える。

    朝鮮人生徒は日本人への憎しみと対抗心が強い。得意のサッカーで日本人との対戦試合になれば燃えてしまうし、どうして勝たねばならぬとプレッシャーがかかる。自分の子供が出場していなくても、わざわざ観戦に来る父兄もいた。裕福な保護者だと、試合に勝てばユニフォームを新調してもらえたりする。しかし、いつも順調とは限らない。日本人に負けることだって年に一度くらいある。そんな時、観戦した父兄は明らかに不機嫌になる。勝つと焼き肉だが、負けるとジュースの差し入れで終わり。年配の朝鮮人ほど日本人への対抗心が強い。「オレが若いときにはなあ・・・」と昔話の自慢。「日本人に抜かれたら、後ろからでもぶっ倒せ ! 」と反則のすすめ。この朝鮮魂はソウル・オリンピックで発揮された。反則のオンパレード。大失敗のソウル大会でも、朝鮮人は大成功と喜んでいた。いいなぁ。バカって。

  ある時、日本の学校に転校した朝鮮人同級生が交通事故で死亡し、サッカー部の子供たちが葬儀の参列に遅刻してきた。遅れそうな理由をあらかじめ故人の父親に話していたので、葬儀には支障がなかった。葬儀のスピーチが終わった後、父親が仙台育英との試合結果を尋ねた。部員の一人が「もちろん勝ちました」と答えると、その父親は「そうだよな、そうでなきゃ」とつぶやいたという。しかし、葬儀の帰りに電車の中で同級生が漢一に本当は試合に負けたことを告げた。まさか日本人との試合に負けたことを息子が死んで落ち込んでいる親に言えるわけがなかった。これほどまでにサッカー部は朝鮮学校の中心であった。(p.216) まぁ、ほかに誇れるものがないんだから、大目に見なくっちゃ。朝鮮人は頭より体を動かせ。世界一になれるチャンスはそれしかないんだから。

仙台の東北朝鮮初中高級学校

  朝鮮人と日本人は遺伝子を異にするから、本質的に敵対してしまう。しかも、朝鮮人は気位が高いくせに、日本人を植民地支配者と罵りながら、その悪魔の本国に住み続けている。矛盾を抱えたまま成長する子供は当然性格がひねくれる。日本人から嫌われていることを祖父母・両親のせいとは思わず、民族差別ゆえの苦難としか捉えない。子供ほどむき出しの敵対心を示す。朝鮮学校の生徒にとり、中央通りと青葉通りで、暴走族やつっパリ連中を排除することが、「仙台を絞める」の定義である。グレていることが当り前の朝鮮人は、地元の暴走族を中心としたグループと乱闘騒ぎを度々起こした。たいていは流血騒ぎになったから、警察が出動することも珍しくなかったのだ。朝鮮人生徒には勉強よりもケンカや犯罪の方が本業なのか、と思いたくなる点がある。朝鮮人生徒は警察官に追いかけられるので、街に出るときは学生ズボンでも運動靴が奨励された。革靴では逃げ切れないからだ。

  恐喝(カツアゲ)のときは、「カネを貸せ」という遠回しな言い方はせず、ずばり「出せ」と迫ったという。持ってないと言えば、徹底的に調べる。ジャンプをさせたり、ジャケットの裏ポケットはもちろんのこと、靴下のゴムの部分まで調べたという。カネを持ってそうな奴は誰でも狙うようになったらしい。給料袋をもった奴を狙ったら、「カネが無くてどうやって暮らすの?」「できません。実は困るんです。」「だったら戦えよ。素直にカネだすな。このバカ野郎 !」中には本当に給料袋を奪った朝鮮人がいたらしい。ひどいんしゃないか、との問いに、「チョッパリに何しようが構わないよ」と答えた。ちなみに、「チョッパリ」とは日本人を指す蔑称だ。日本人は鼻緒の附いた下駄や草履を履いていたから足袋をはいていた。それが蹄(ひずめ)の割れた豚の足のように見えた訳だ。在日朝鮮人は「日本人みたい」な在日朝鮮人を「半チョッパリ」と呼ぶ。サッカー選手の李忠成も南鮮留学中、同胞から「チョッパリ」と呼ばれていたのだろう。それなら、日本人が朝鮮人を「ヨボ」と呼んでも怒るんじゃない。

  朝鮮学校には、日曜日は必ずケンカするという「規律」があった。ところが、1982年に悲劇が起きた。一年生が暴走族らしき連中から襲撃され、おめおめと退散することがあった。そこで、一年生の監視役を自負していた二年生が、一年はたるんでいるから、奴らが二年生に進級する前に一度「絞め」ようとなった。二年生数人が文化室に一年生を招集し、「ヤキ」を入れることに決めた。暴行後、ある一年生が意識不明になり、病院に担ぎ込まれたが、間もなく息を引き取ってしまった。死因は外傷性の内出血と頭部打撲であったという。不審に思った病院から警察へ通報がなされて「事件」になった。

  調査を始めた警察が学校へ立ち入ろうとしたら、学校側が校長不在を理由にして拒否。試験を控えた生徒が居るから刺戟しないでくれと宮城県警に要望したらしい。翌日夜に、二年生2名が傷害致死の容疑で逮捕された。さらに2名を追加逮捕。これには事情(わけ)があった。逮捕者を最初の2名だけにすると罪が彼らに集中してしまう。そうなれば少年院送りもありうるので、もう2名追加すればせいぜい鑑別所止まりだ、との思惑があったらしい。(p.69) 当時の金元燮(キムウォンソプ)校長は、事件の背景には民族差別問題が深くからんでおり、単純な暴行事件ではない」と発言していた。(p.70)つまり在日朝鮮人は日本人から差別されるため、それに打ち勝つためにガキ大将となる。そうした乱暴な生徒が朝鮮人学校に集まってくるから、暴力沙汰をつい起こしてしまうとの理屈である。日本国民諸君、「朝鮮人と真面目に議論しよう」とか「肚を割って話し合えば分かる」なんて思っちゃいけないよ。よーく、相手を見てから行動しなきゃ。

  生徒が兇暴なら、保護者代わりの教師は傲慢不遜。心臓が鋼鉄製で、脳味噌は糞尿で詰まっている。子供が事件や揉め事を起こせば、親が警察署に出向くはずだが、寮生だと教師が引き取りに来る。ただ、教師が謝るといったことはまず無い。それどころか、植民地時代の話を持ち出し、強制連行などの理由で日本に渡ってきた境遇を説明したそうだ。よっ ! 朝鮮人の十八番(おはこ)。待ってました ! 日本で民族差別に遭ったから、このようなケンカや事件を起こすことになった、と開き直る。捏造話を滔々(とうとう)と演説して、堂々と警官にくってかかる。講談師もビックリの話術。腕に磨きがかかっているじゃないか。でも、盗人猛々しいんじゃないか。捕まった生徒も、日本人の挑発に乗ってケンカ沙汰になったとの一点張。教師も歴史的経緯を持ち出して、結局は日本政府が悪い、と言い出してどんどん話を大きくする。(p.36) わーぃ、「朝鮮人の国技、聞くも涙、語れば鼻水、ご存じ人生劇場の始まり、始まり ! !」 これじゃあ、聞いている警察官が可哀想だ。困ると言うより、呆れかえって怒りたくなるだろう。堪忍袋にも限界があるってもんだ。相田みつをじゃないが、警察官だって人間だもの。それに日本人である。いくら犯罪者に馴れているとはいえ、内心「この不逞鮮人め」と思ったかも知れない。「仙台の犯罪の50パーセントは朝鮮学校」、と逮捕された朝鮮人が警官から言われたそうだ。その通り。よ、大統領。(あっ、ストリップ劇場じゃなかった。)

  朝鮮人生徒たちには「チョン狩り」注意報が発令されることがあった。朝鮮人にやられた日本人の不良や暴走族などが報復行為に出るからだ。朝鮮人だからといって全員がケンカの達人ではない。支那人が皆ブルース・リーじゃないのと同じだ。「チョン狩り」が行われると、捕まった朝鮮人はボコボコにされ、ボロ雑巾のようにされたという。負傷した同胞に対して、「チョッパリ(日本人)なんかにやられやがって」と逆に叱る朝鮮人は冷酷だ。暴走族も異民族に対する本能的憎悪を持っているのかも知れない。朝鮮学校は街はずれの僻地にあるのに、暴走族が山奥までわざわざ挑発に来たらしい。朝鮮学校の門の前でクラクションを鳴らしたり、アクセルを吹かしたりして、朝鮮人を挑発し無事に戻ってこれるかを試していたという。一種の「肝だめし」だ。この挑戦者が襲来すると、朝鮮人は「族だ、族だ!」と騒ぐ。まるで文禄・慶長の朝鮮征伐みたい。五千年とかの歴史をもつ民族は一味違うねぇ。

  しかし、反応が一番早いのが男の先生だった。おいおい。冷静になるべき教師が昂奮してどうする。燃える闘魂か? こんな有事が勃発すると、朝鮮高校出身の先生が「公然」と一暴れできる機会もあったという。(p.37) ケンカを売られた朝鮮人は、逃げようとする暴走族を追うのだが、誰も校門前には向かわず、そのまま山道を通って、一本道の出入り口を封鎖する。忍者か? サッカーで鍛えた脚力は凄いな。山道の出入口には、封鎖用にドラム缶や丸太が常に準備されていた。朝鮮人の追跡者は、先回りして山道の出口付近で待ち伏せるのだ。暴走族も迎え撃ちを恐れて慎重だった。山道では爆音がひびくから、朝鮮人生徒らは一本道の入り口にある神社で待ち伏せしたという。これを彼らは「警備」と呼んでいた。やれやれ。朝鮮学校って北鮮軍養成所かよ。

 
洗脳教育が重要科目

  朝鮮学校には子供を朝鮮人にしてください、と頼んで預けに来る親がいるという。朝鮮人としての自覚をもつように教育してくれ、という訳だ。なら、「お前は朝鮮人だ。朝鮮に帰って、そこに住め」で充分だろう。でも日本にたかりながら、朝鮮人のアイデンティティーを保持したい、なんてぬかすから始末に困る。まづは名前から、ということで、1970年代には日本人ぽい名前を朝鮮風に直させることが多かった。女子なら「○子」式の名を「淑」や「順」の入った名前にしたりする。つまり「金学順」とか「桂銀淑」みたいにするのだろう。さすがに「金玉」という実在する北鮮金王朝の女性名は嫌だろう。恥ずかしくてとても日本で暮らせない。男の場合は、「浩」が「浩明」、「満」が「斗満」になる。しかし、改名したところで、生徒の親は元の名で呼ぶし、卒業したら元の名前に戻す生徒もいるから、無駄な努力である。朝鮮学校の利用では規則正しい日課になってはいるが、朝の6時から寮中に北朝鮮の音楽が流れる。日本の刑務所よりひどい。当時の朝鮮学校では、民謡を除いて、「金日成、人民、首領、祖国」のキー・ワードが含まれない曲はなかったという。朝から「首領様の命令さえあれば、米帝をこの世から葬り去るぞ」「この幸せを与えて下さった父鳴る首領・金日成元帥萬歳、万々歳」とかいう曲が朝から流れてくる。クァンタナモのテロリスト収容所では、アラブ人の嫌がる「デス・メタル」を一日中流していたという。アメリカ兵は喜んで聞いていたらしい。朝鮮学校ではどうなのかな? 金日成の賛美歌なんて「デス・メタル」より遙かに苦痛じゃないのか。

  北朝鮮の金王朝礼賛教育は有名だ。日本人でも朝鮮人が金日成を「首領様」とか「将軍様」と呼んでいたのを知っているが、朝鮮人生徒は「元帥様」だったらしい。副読本の絵本『金日成元帥の幼少時代』が、実はメインの教科書として使用されていた。金日成の生地である万景台、家族、幼少の頃のエピソード、十四歳で朝鮮の独立を近い満洲に渡る頃までが描かれているそうだ。また捏造かよ。朝鮮人の歴史って、ファンタジー物語だから、TVゲーム用じゃないか。しかし、その中身は低品質だから魅力がない。在日朝鮮人の子供だって、こんな子供騙しに乗らないだろう。たとえば、「一番熟れた桃をおばあちゃんにあげた」とか「牛を連れて、本を読んでいたら暗くなるのを忘れるくらい夢中になり、牛だけが帰ってきた」なんて話が紹介されていた。小学生のガキどもは、一番熟れた桃を渡したのは、年寄りが遠慮して自分が食べることになるのを計算したからだろう、と反論した。また、当時の朝鮮には電灯も無かったはずだから、暗くなっても本を読み続けたのは嘘だと主張した子もいたという。先生もこれには困ったらしい。文明国の日本に育つと朝鮮人でも「疑問を持つ力」が身に付くものだ。

  爆笑エピソードがてんこ盛りの教科書は日本人にも配布すべきかも。金日成が七歳くらいの時、木に登って虹を掴もうとしたエピソードは、少年の金日成が如何に純粋で志が高いかを物語る話。漢一は馬鹿らしく思っていた。彼は虹を掴もうとするのは、権力欲の象徴で、当時から権力志向だったと解釈している。(p.136) こんな絵本を暗記して、クラスの皆に発表するのだそうだ。手のひらに絵本をのせて、「この写真は」と前置きし、憶えたキャプションを暗唱する。(絵本なのに「写真」と呼ぶところが、見栄張りの朝鮮人らしい。)「この写真は」のタイミングで、絵の方を向いて首を傾げたり、膝をちょっとまげたりして、可愛らしいしぐさをする。よく調教された北鮮の子供は、こんな真似を上手に出来るのだが、在日朝鮮人の子供は難しく、あの作り笑顔でさえ中々マネできない。しかも、発表会の時には、担任の教師が子供たちに薄化粧をして口紅を塗ってやり、タイツを穿かせるという。こんな姿で壇上に昇るのだから、恥ずかしくてたまらない。日本人の子供がこんな爆笑授業を知ったら、朝鮮系の子供をからかってしまうのではないか。「この写真では ?」と首を傾げて朝鮮人のポーズを茶化し、涙を流してゲラゲラ笑ってしまうかも。笑いすぎて腹筋が痛いこが続出。朝鮮系の子供は激怒してケンカを売るだろうな。

  その教科書が小学校4年生からは、『金日成元帥の革命活動』とタイトルが変わる。金日成の曾祖父母と祖父母の部分を軽く流した後、両親や弟、叔父などの家族や親戚に触れ、少年時代から青年時代の生い立ち、抗日軍を組織し祖国を解放する話とつづく。労働党を創立し、建国、朝鮮戦争、復旧建設、計画経済で近代史をカバーしているそうだ。これが学科試験で出題されるという。試験で答えに窮したら、「日本帝国主義に大打撃を与えた」とか「祖国解放への第一歩となった」と書けば、ちょっとくらいは点数がもらえたりする。読書感想文でも、同じような手口が通用したらしい。労働者や兵卒が何らかの困難な状況に陥っても、突然そこに首領様が手を差し伸べて、万事解決。労働者や一兵卒に優しい将軍様、と持ち上げれば合格点だ。これじゃあ子供はろくに勉強しないだろう。金日成が祖国を独立させたというのに、おかしい。1940年までは重要な戦闘や会議があったというのに、40年以降になると重大事がなくなり、あっけなく祖国解放(8月15日)の章に入ってしまう。南鮮がしかけたという朝鮮戦争は1950年6月25日に勃発したのに、翌7月にはソウルが陥落したとなっている。この矛盾について教師は、「1940年かは小部隊活動に入り、地下活動をしていた」とか「南の挑発に万全な準備をしていたので、即時反撃に映ることが出来た」と答えている。(pp.140-141) 「あぁ~果てしない夢を追いかけて~」と歌っちゃいけないぞ。(クリスタルキングの『大都会』はもう誰も知らないだろうな。) 名誉教科の「革命歴史」は重要科目とされている。朝鮮人の子供は、将来何の役にも立たない科目を繰り返し勉強するのだ。これじゃあ、ヤクザになるしかないよね。

  朝鮮学校では在日朝鮮人の子供に自覚と誇りを持たせる方針だそうだが、嘘が多すぎる。算数の問題でも「人民軍の戦闘機が米軍の戦闘機をこれだけ撃墜しました。残りは何機でしょう?」といった問題が出る。北鮮のオンボロ飛行機が米軍の高性能戦闘機を撃ち落とせるわけないいだろう。しかし、初心(うぶ)な漢一少年は、あの朝鮮人民軍兵士が撃ち遺すなんて有り得ないと思い、何かの引っ掛け問題かと本気で勘ぐったらしい。えっ。朝鮮人が戦闘機を操縦できるだけでも、驚異の出来事じゃないのか。

  朝鮮学校では教師の質がとにかく悪い。合法的な学校じゃないから、しょうがないのかも知れぬが、日本人への怨みで凝り固まった鮮人が教鞭をとっているのは問題だ。漢一は教師からこう質問されたという。

  教師 「君たちは、線路にある枕木を知っていますか? あの枕木の数と日本人に殺された朝鮮人の数は一緒なのです」
  生徒 「枕木っていくつあるんですか。」
  教師 「それほど多くの人が殺されたってことです」

  あのさぁー。どんな譬(たと)えなんだ? 枕木の数と死亡者数が一体どんな関連があるんだ? こんな異常思考の教師が、いわゆる「関東大震災での朝鮮人大虐殺」を教えたのだ。(p.159) 嘘八百の虐殺話を本当のように説明するんだから、朝鮮人の教育とは文明国のそれとは次元が違う。

  滑稽な作り話がある。北朝鮮の映画『遊撃隊の五兄弟』の中で、カナダとアメリカを命名したのは朝鮮の神様という件(くだり)がある。映画の中ではジョークとして語られているという。アメリカ人が威名をお願いしたところ、朝鮮の神様が「アムロッムナ(好きにすれば)」と答えたので、よろこんで「あめりか」と名付けた。カナダ人が来たときには、「カ・ナ・ダ(朝鮮語の“あかさたな”に当たる)」と言ったので、「カナダ」になったという。(p.161) これだって、嘘ばかり教えられている朝鮮人は“歴史的事実”と信じてしまうだろう。

  北鮮人から見れば、朴正煕や全斗煥の南鮮(大韓民国)はアメリカの傀儡政府となる。子供たちは南鮮を軍事独裁政権と思っていたのだ。岩波書店の雑誌『世界』に掲載されていたT・K生「韓国からの通信」も、テーマによってはコピーして配布されていたという。朝鮮学校の子供たちは、韓国はこの世の地獄だと本気で信じていたのだ。日本人でも信じていたアホが大勢いたのだから、無知な鮮人の子が信じても仕方がない。だから朝鮮人の子供は大人から、「悪いことをすると、九州の大村収容所に連れて行かれて、韓国に送還される」と脅されていた。子供たちは、あんな国に連れて行かれたら、すぐに拷問されるか、死刑に処せられてしまう、とビビっていたらしい。1979年に朴大統領が暗殺されると、先生が食堂に走り込んできて、「みなさん ! 朴正煕が死にました」すると「ワッー」と歓声が上がったという。「これで80年代には統一だな」と思ったみたいだ。

   しかし、教師が暗殺を「朗報」として子供に教えてあげる、北朝鮮の学校って何なんだ? それに子供が「わぁーい」とはしゃぐなんて異常だろ。でもさぁ、韓国への送還は現在でも在日南鮮・北鮮人の大人にとって悪夢じゃないのか? 楽園の日本から追放されて南鮮に戻るなんて、想像しただけで背筋が寒くなる。親と祖国の仇(かたき)たる日本に、意地でも住み続けたい。離れるなんて絶対イヤ。爪が剥がれようともしがみつく。憎いはずの日本人が忘れられない。「朝鮮人は朝鮮に帰れ」と勧める日本人は、「極右の民族排斥主義者」だ。子供のみならず大人だって、韓国への強制送還なんて、地球が滅びたって嫌である。(でも地球が消滅すれば、日本だって無くなるのに。こんな論理的思考は朝鮮人には無縁である。心配ご無用。) この脅しは怠け者の受験生に使えるんじゃないか? 受験に落ちたら不合格通知じゃなくて、韓国パスポートが送られてくるとか。そうすれば必死で勉強するかも。うーん、でも思い詰めた者が自殺しては困るから、やっぱり止めといた方がいいだろう。

  朝鮮学校の雰囲気は悪党が集まる刑務所みたいだ。さすがに小学生で喫煙はないが、高校生なら喫煙は当り前の習慣。上級生が下級生にジェスチャーでタバコを要求する。先輩が後輩にタバコを差し出す事が日常茶飯事。そのため、下級生はタバコのストックをいつも用意していたらしい。友だちに借りるか自分で買いに行く羽目になる。ストックを切らすと2キロほどの道をダッシュして店に買いに行かねばならなくなる。囚人みたいな寮生には配給制が待っている。トイレット・ペーパーが配給制一人につき二週間で2ロールだった。その他、先輩が歯磨きを要求するが、銘柄まで指定する。心労でくたくたの下級生に取り、授業中だけが平和な時間。(pp.44-45) 勉強じゃなくて休息の時間とは。トホホ。犬だって、「ごくろうしゃま! 」と慰めてくれるんじゃないか。喫煙が当り前なら飲酒も常習であった。朝鮮人の大酒飲みや酒乱の父親は有名だが、小学生でも飲酒の習慣があったらしい。寮のセントラル・ヒーティングは消灯時間と共に切られたから、とても寒かったらしい。酒を飲んで体を温めていたという。(p.109) どんな収容所なんだろう?

   朝鮮学校では朝鮮語が公用語なのは理解できる。「ウリマル(母国語)100%運動」を常にやっていて、日本語が混じると指摘されてしまう。でも、しょうがないだろう。朝鮮人の親だって、家庭で日本語を喋って子供と会話しているんだから。朝鮮学校では、真面目な女子生徒や先輩のアラを探す下級生の目が光ってしたらしい。たいていボロを先に出すのは、男子生徒だったという。男同士で雑談していると、気を許して日本語を喋ったりする。油断していると、女子生徒に聴かれたりして、「イルボンマル、ハンボン(日本語一回)」と言われて、吊し上げられる。叱られた男子は仕返しをしたいが、女の子は中々ヘマをしない。だから頭突きして、彼女が「痛っ !」と日本語を発するよう仕掛けたという。反射的に出る言葉は、やはり日本語である。こんなズルいやり方でも、彼女は“総括”されてしまうらしい。(p.174) 熱心に習得している朝鮮語は日本語に比べて罵倒語が非常に多い。支那語も同様で、下劣で野卑な言葉に困らない。下品な民族には汚い言葉か豊富。優等生の生徒でも「この店(の料理)、マズい」とか「あのブス」など悪口を言うときは必ず朝鮮語になるらしい。

  朝鮮人の間では上下関係が厳しい。年長者は年下の者に対し非常に横柄だ。下級生が上級生に対して日本語を使うと、「てめえ、俺に日本語使ってんじゃねえよ ! 先輩に対してなれなれしいぞ」と怒鳴られたりする。後輩は朝鮮語が出てこない場合、日本語で話したあと、文末だけ「~イムニダ(です・ます。)」くらいは附ける。日本人が聞けば「くすっ」と笑ってしまう。日本人の小学生だと、面白がって「ぶん殴ぐっちゃうニダ」とか「痛いニダ」「かんべんしてスミダ ! 」「ごめんスミダ」とか言ってしまうだろう。これだから、朝鮮人は日本人から「ニダ君」とか「○□△スミダ君」と呼ばれるのだ。

  朝鮮学校という閉鎖空間では和鮮折衷語が話されていた。たとえば、「ぶっチュギンダ」は「ぶっ殺すぞ」という意味で、「殺す」の部分だけ朝鮮語にしたものだ。また、生徒らが朝鮮語を話していても、日本の方言に引きずられていたらしい。関西出身者だと、朝鮮語のイントネーションが関西弁風だったりする。もう、朝鮮人の頑迷固陋(がんめいころう)さには呆れてしまう。北鮮に戻るわけでもないのに、朝鮮語を習得したから何になるのか? 無駄なことに貴重な青春時代を使うんだから、つくづく朝鮮人は馬鹿と思えてくる。

  朝鮮人について述べるとキリがない。大事な点は、朝鮮学校を出た者が大人になっても、連帯感をもち、日本人に対して敵意をもつことだ。とくに朝鮮人は先輩後輩の連携が強く、良いことも悪いことも一緒にしてしまう。社会のモラルよりも、仲間の絆の方が優先される。藝能界を見れば、朝鮮系藝人の結束は強いのが分かる。こんな問題民族が続々日本に増殖しているのだ。本当に、「鮮人駆除」を考えないと、日本の存亡にかかわるぞ。



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