高山正之の親アジア主義

  ときどき日本人は視野が狭くなって悲劇に陥る。ちょっとした損なら諦められるが、命に関わる誤りだと取り返しがつかない。明治維新後から日本人の根底に、西歐白人への反感が潜んでいる。我々の心の奥に「反白人感情」が地下水脈のように流れており、水ならいいがガソリンのように引火しやすい。反日分子や共産主義者は、本性と本音を隠しながら、単純な一般人の心にチョイッと火をつける。こういう放火魔は、往々にして「大東亜秩序」とか「大東亜共栄圏」の提唱者、あるいは「西歐列強からの解放者」「八紘一宇を掲げる皇国主義者」などの衣装を身にまとう。日本人を「黄色い猿」と呼んで愚弄する欧米白人に鉄槌を下すのだ、と雄叫びを上げる。まことに耳元をくすぐる言葉だ。胸のつかえが一気に降りて気分爽快となる。しかし、こうしたスローガンは無惨な結果に終わるのだ。

  最初に正直な意見を述べれば、筆者は高山正之さんを好意的に評価している。高山氏のコラムは面白いし、雑誌『テーミス』の連載も毎月面白く読んでいた。ロクで無しや悪徳しジャーナリストが多い中で、高山氏は優秀だし、要点を簡潔に述べるエッセーは一般読者にとって有益である。しかし、残念なのは彼の感情的な西歐白人観や日本の国益を二の次にした反西洋史観である。一口に白人といっても、ピンからキリまでいるし、米国の白人になれば、保守から極左まで幅広い。もし、アメリカ人が黄色人種を非難する場合、日本人を支那人や朝鮮人のカテゴリーに入れて論じたら、日本人は怒って反論するだろう。高山氏はその点が雑なのだ。高山氏が人道主義をもって西洋人を弾劾するのは結構だが、日本国民にとってそうした白人批判が有益だとは思わない。日本人にとって大切なのは、日本の国益であって、アジア諸国の利益ではない。極端な言い方をすれば、日本人にとって有利なら、帝国主義者の西歐白人と提携し、アジア人を踏みつけたって構わない。血も涙もない仕打ちだが、国際政治は冷酷非情の原理で動いているのだ。日本人は内政で温情主義が効果を上げているから、対外政策でも同じ方針が通用すると思っている。しかし、外政というのは各国の思惑が武力を交えて衝突するから、八方美人の態度を排除した現実主義が王道となる。高山氏が東南アジアで日本軍の奮闘を称えると、読者は膝を打って喜ぶだろうが、日本国の利益にとっては害になることが多い。それに、これは筆者の勝手な憶測だが、高山氏はロサンジェルス駐在時代に、下劣な白人記者などに意地悪でもされたんじゃないか。ジャーナリストには歪んだ精神の持ち主や横柄さの塊みたいな奴が多いし、白人面したユダヤ人も沢山混じっているから、そうとう嫌な思いをしたのでは、と勘ぐりたくなる。

  高山氏の『白人が仕掛けた黒い罠』(WAC, 2011年)という歴史論集は、白人に不満を募らせる保守派の日本人には好評である。戦後、左翼文化人が一貫して帝國陸海軍の将兵をアジアの侵略者だとか帝国主義者、軍国主義者だと罵ったから、その反動で愛国的保守派が西歐諸国の悪事を暴いて反論の材料にした。日本軍は西歐列強の軛(くびき)からアジアの民を解放したのだ。彼らは我が軍の奮闘に感謝しているぞ。我らは侵略者に非(あら)ず。東亜の解放軍なのだ。まぁ、こんなセリフが保守派国民の中で人気がある。しかし、歴史の流れを鳥瞰(ちょうかん)すれば、何かおかしいことに気づくだろう。大日本帝國は崩壊し、多くの将兵が亡くなり、武装解除されたままで、商人国家に成り下がってしまった。武士の皇国が町人の寄り合い所帯になってしまったのだ。誰だってどこかおかしいと感じるだろう。

   高山氏は西歐白人のアジア支配を痛烈に批判する。たとえば、オランダ人はインドネシアを植民地にし、現地のマレー人を酷使した、と指摘する。そんな極悪非道のオランダ人に日本軍が電光石火の攻撃を仕掛けて、威張っていたオランダ兵を蹴散らした。高山氏によれば、帝國陸軍の空挺部隊がパレンバンに降下し、意表を突かれたオランダ兵は怯えてしまった。インドネシアの現住民は「空の神兵」を笑顔と歓呼で迎えたという。「パレンバンでは伝説通り空から降った落下傘部隊が悪いオランダ人をやっつけた。」(p.25) 第17世紀には海洋覇権国だったオランダも、当時は二流国だったから日本軍に立ち向かえるほどの力はなかったのである。

  オランダ人の残酷な支配から解放してもらったのに、インドネシア政府は日本人の功績を表彰せぬばかりか、日本軍はインドネシアの資源や労働力を搾取したことになっていた。(p.30) これは独立の功績を独り占めしようとした初代大統領スカルノ(Sukarno)の仕業であった。日本が敗れた後も、帝國軍将兵がインドネシアの対オランダ戦に協力してあげたのに、その恩義をさっさと片付けてしまった。さらに腹立たしいのは、スカルノは日本に戦時賠償金を要求し、1958年に藤山外相とスパンドリオの間で総額6億3千万ドルの賠償・経済借款が合意されたのである。高山氏はインドネシアを評して、旧宗主国に文句も言えない「彼らは弱い存在だ」と述べる。(p.32) また、「しょうもない白人の非道をはっきり指摘」して、日本人の強さを褒めている。日本は悪くないと信じたい現在の我々は、高山氏と同じく日本軍が白人神話を打破したと絶賛してしまう。

祖国破壊の南進論

  日本軍による東南アジア侵攻は、英蘭仏の植民地を打倒したこと以上に、我が国の安全保障を壊滅的状況に追い込んでしまった。そもそも「南進」とは、ソ連を救い日本を共産化しようとする反日主義者の陰謀であった。日露戦争が終わっても日本の主敵はロシアであり、とくに帝國陸軍はソ連軍対策を講じていたのである。辛うじてロシア軍に勝った帝國軍人にとったら油断できない。いつまたロシア人が南下してくるか分かったもんじゃないからだ。ただでさえ兇暴なロシア人が、共産主義というウィルスに感染して一段と兇悪になった。皇室に害が及ぶ危険性は充分にあったし、事実多くの軍人や官僚に共産主義者が多かった。何と言っても、近衛文麿が筋金入りの共産主義者だったから、事態はさらに深刻であった。今の我々だってもう目が眩んでしまう。有名な共産主義者の河上肇に憧れて、近衛は東京帝國大学を中退し、京都帝國大学に入ったのである。そこまで心酔するなんて異常だ。ところが、五摂家筆頭の近衛家に生まれた坊ちゃんは、「期待のプリンス」と持て囃されて総理大臣になってしまった。しかも、戦後の歴史書では近衛の悪行が、後任の東條英機に押しつけられたのである。

  歐洲最強のドイツ陸軍と対峙するソ連にとって、満洲から日本軍に背後を突かれることは絶対避けねばならぬ。そこで近衛が助っ人になった。尾崎秀美や風見章らは札付きの共産主義者として悪名高い。近衛のブレーン・トラスト「昭和研究会」は赤い悪党の伏魔殿。そしてソ連のスパイであったリヒャルト・ゾルゲも協力して、日本軍を西欧諸国にぶつけて、共倒れを仕掛ける。ゾルゲや尾崎はさぞかし嬉しかったであろう。また、陸海軍にもソ連の手下が浸透していて、米軍との戦争を望んでいたのである。陸軍の瀬島龍三や海軍の米内光政を思い浮かべれば理解できよう。(瀬島龍三は「日本の夜明け」という番組で、笑福亭鶴瓶相手に自慢話をしていた。自分がスターリンの犬であることを隠したかったのであろう。フジテレビには、瀬島を持ち上げるロシアの手下がいるということだ。)

  近衛は日本軍を「南進」させてソ連軍を助ける一方、対英米戦争で日本国を滅亡に導く下拵えをする。敗戦に自信を持っていた近衛は、米軍に徹底破壊された日本が、きっと共産主義者の天下になるだろうと予測していたのだ。この売国奴は、本当に祖国をスターリンに貢ごうとした。天皇陛下も「おまけ」に付けて、スターリン大元帥に差し出す肚じゃなかったのか。近衛は何としても米国と決裂したかった。だから、欧米諸国のアジア支配を批判する日本人を焚きつけて、「南進」の正当化を計ったのである。(詳しくは中川八洋 『大東亜戦争と「開戦責任」』 弓立社 2000年 第1章と第3章を参照) 近衛はきなり米国との対決ではなく、手始めに英蘭仏が東南アジアにもつ植民地を狙ったのだ。簡単な戦闘から始めて、対米戦争に持っていくつもりだったのだろう。これって、よく役人が公共事業を始める手口に似ている。たとえば、最初から100億円の事業を提言せず、30億円くらいの計画を立てて、議会の承認を得たら、待ってましたとばかりに、70億円の追加予算を附けてしまう。これが俗に言う「小さく産んで大きく育てる」方式だ。

  「南進」を提唱した帝國海軍は石油などの資源確保を大義名分とした。日本が決定的に「南進」政策へと踏み出したのは、昭和15年7月22日に第二次近衛内閣が発足した直後である。『基本国策要綱』と『世界情勢の推移に伴う時局処理要綱』は歴史の転換をもたらす決定であった。東南アジアから資源を輸入しようとしたって、海上交通路の護衛を考えてしなかったし、どうやって石油を運送するかの具体案も無かったのだ。海軍ですら海上航路の安全確保に責任を持っていなかったのである。(中川八洋 『亡国の「東アジア共同体」』 北星堂 2007年 p.223) そもそも陸海軍の高官は、日本経済の運営なんてまったく関心がなかった。軍隊維持のため、石油の確保を叫ぶのに、日本独自で石油を輸送できなかったのだ。インドネシアの石油だって、大手のロイヤル・ダッチシェルとスタンダードオイルから油田を強奪すればいい、くらいにしか考えていなかった。でもさぁ、タンカーをほとんど持っていなかった日本がどうやって石油をもってくるんだ? ドラム缶をみんなで背負って海を泳ぐのか? 支那人なら出来そうだが、日本人では無理だ。「自存自衛だ」と勇ましく叫んでいた軍人も、現実の問題にぶつかれば、「精神論」しか口にできなくなる。

  「南進論」は昭和10年代にブームとなり、後に首相となる小磯国昭はその形成に一役買ったのである。参謀本部第五課兵要地誌班長だった小磯は、大正6年「帝國國防資源」という論文を書いたことがある。こんな経歴もあってか、小磯は対蘭印政策や東亜経済圏についての意見書を書いたという。こうして南方資源を研究した小磯は、昭和15年年8月の関係閣僚会議に出席した。しかし、商工大臣の小林一三から「蘭印にはいったいどんな資源があるんですか」という「非常に無関心な」質問が出たらしい。(矢野暢 『「南進」の系譜』中央公論社 昭和50年 p.153) 小林一三って、あの宝塚歌劇団をつくった阪急電鉄の大御所だ。ビジネスに精通しているはずの小林大臣でさえ、南洋諸国については関心が薄く、南方の知識もほとんど無かった。日本人は既に西歐諸国が開発した南方へ強引に進出し、現地を独占しようとしてのである。さらに厄介なのは、政府内部では真剣な具体案が無いのに、外野では「南進論」を煽る文化人が大正時代から多かった。論壇では竹越與三郎や志賀重昻の「南進論」が有名だ。南方進出に関しては、『実業之日本』社も熱心で、マスメディアで南洋ブームが起きたくらいだ。それに「南洋協会」まで設立されたのである。

オランダ批判は国益にならず

  異民族に対しお節介な日本人は、オランダ(ネーデルラント)の植民地支配を厳しく批判する。しかし、ヨーロッパの白人だけが苛酷な支配を行ったのではない。日本人は西歐の歴史を熱心に勉強したから、どうしても白人の悪行が目につきやすい。では、アジア大陸の諸民族は、極悪非道なヨーロッパ人と違って、親切で慈愛に満ちた異民族支配を行ったのか? アジアは異民族への専制支配が当り前の地域である。たとえば、インド帝國の支配者はモンゴル人の末裔だ。「ムガール」とは「モンゴル」がなまった名称である。あの蒙古軍が心優しい征服者のはずがなかろう。北条時宗が笑うぞ。アジアやアフリカ大陸は、ヨーロッパ人が来なくても、残忍な征服者に事欠かない。世界には日本人のような老婆心を持った教師民族なんて居ないのだ。どの民族も他者を支配すれば、搾取や弾圧が当たり前。ヨーロッパ人に支配されてアジア人は幸せになった方だ。香港の支那人を見ればよく分かる。オランダ人に支配されて、現地のマレー人は悔しかっただろうが、その恩恵はけっこう素晴らしいものであった。そもそもオランダ人は経済的利益を求めてアジアに進出したのである。だから、経済発展を考えてインフラ設備を行っていたのだ。忌々しいのは、オランダ人の背後で、ちゃかり支那人華僑が儲けていたことだ。

  当初彼らはインドネシアで、土民に対しては公平と誠実をもって懐柔を試み、自国オランダの繁栄を図ったのである。(菅稲吉 『南洋ところどころ』 東京堂書店 大正6年 p.57) 有名なデンデルス(Herman Willem Daendels)総督は、農産物栽培に土民を強制して使う一方、道路網の敷設、水道の布設、下水道の修繕を決行したという。とくに道路は後世に賛美される遺産となった。(p.58) オランダ人が現地での利益獲得に執着していたのは確かだが、呑気で怠惰なマレー人を勤勉に働かせるには強制くらいしか手段がなかったのである。菅稲吉も、「天性懶惰にして自ら進んで労役するを好まぬといふ、瓜哇土人を率ゆるには斯くの方法は、方法として決して悪い選択ではなかった」と評している。(p.60 / 註、「瓜哇」とは「ジャワ(Java)」のこと。) 高山氏は、よく西欧人はアジアの被支配民に教育を施さなかった、と批判するが、日本人のように現地人を育成するために面倒を見て、必要とあれば本国から税金を持ってくる民族の方が例外なのである。西欧人にとって、自国の富を浪費するなど、本末転倒だから絶対しないのだ。「天使のような日本人」はとても地球上の生物とは思えない。(神様が「スターゲイト」を使って、どこかの惑星から送り込んだのかも知れない。もしかしたら、スーパーマンのクリプトン星からかも。) 西歐の支配を批判する保守派国民に聞きたいが、あれだけ世話をしてやった朝鮮人は日本人に感謝したのか? 日本の高等教育を受けた鮮人ほど、日本の朝鮮統治に不満を抱いたのだ。中には日本の警察官や役人に対して暴力をふるう者までいた。内地に留学できた朝鮮人には、共産主義者が多かったのも事実。乞食の劣等民族が一等国民にまで昇格したのだから、博愛主義を掲げた西欧人でさえこんな真似はとても出来ない。朝鮮人は親孝行に熱心でも、親より偉大な日本人の恩には報いず、かえって日本人を虐殺したのだ。ヨーロッパ人がアジア人に教育を与えなかったのは正解である。学問を附ければ、かならずや反抗心が芽生えるからだ。

  日本人は南方に攻め込むといった愚挙・暴挙を称賛している。アホか。保守派まで釣られて「東亞の解放」とやらを宣伝しているのだ。西欧人が東南アジアを面倒見てくれるのだから、日本人にとっては有り難い。フィリピンなんかアメリカ人に押しつければよい。日本人は自国を犠牲にしてまで、インドネシアに尽くしたかったのか? オランダ人が日本人に石油を売らないよ、て言ったのか? お金を差し出せば、喜んで売ってくれたのである。高山氏はオーストラリアの白豪主義も批判するが、イギリス人入植者は白人だから当然だろう。アボリジニは自分で白人と戦え。日本人の知ったことではない。オーストラリアを味方につけておけばどれほど良かったことか。彼らは強力な日本海軍を恐れていたのだから、日本人は無理して戦いを仕掛ける必要はなかったのだ。インドやビルマをイギリス人が支配したっていいじゃないか。日本人が何か困ったか? イギリス文化の恩恵を受けたインド人は日本人より、イギリス白人に今だって憧れている。フィリピン人も黄色い日本人より、白いアメリカ人が大好きだ。イギリス人が植民地を持てば、必ず現地人と揉め事を起こすから、日本人にとっては絶好のチャンスだ。善意の仲介者(honest broker)として、両者の仲裁役を演じることができる。公平で中立な日本人は、イギリス人に恩を売れる。やった! 英国から日本へ利益がもたらされる。日英同盟を思い出せば一目瞭然。

  筆者がオランダ人との提携を推奨するのは、何も西歐白人に媚びたいからではない。オランダ人と交易を続けていたら、日本人はオランダ本国の政界や財界に食い込むことができたであろう。そうすれば人脈を広げるチャンスが訪れる。何と言っても、帝國陸海軍を背景にした日本人は魅力的だ。オランダ貴族の何人かと昵懇になれば、彼らから僅かでも貴重な情報がつかめる。貴族社会には良質な情報が流れやすい。だから君主政国家とは仲良くしておいた方が得。ベルギーやデンマークを見れば分かるだろう。アジアの貧民と付き合ったって、日本の命運を左右するような情報は入ってこない。歐洲の動きをしっかりと把握するには、高度な諜報組織が必要で、日本にそうしたものがあれば、どれだけの日本軍将兵が助かったことか。なぜ保守派国民は、死ななくてもすんだ日本人が大勢いたことに言及しないのか。ただでさえ情報音痴の日本人なのに、西歐諸国と離反して全面戦争に突入するなんて、正気の沙汰ではない。ドイツ軍と組むなら、米国ではなくソ連を挟み撃ちにすれば良かった。

  ドイツにしか頼れなくなった日本は、糸の切れた凧(たこ)みたいで、行き当たりばったりの外交しかできない。それなのに、国内では隠れ共産主義者がニセ情報をバラまき、日本人が破滅するように導いていたのだ。日本が英米仏蘭と敵対したら、喜ぶのはスターリンと毛沢東。アジア人に味方する保守派は、我が軍の将兵が共産軍の駒として使われたことに気づかないのか? 対米開戦の前だって、アメリカ国民のほとんどが反対だったのに、日本人はそれを利用して戦争回避を試みなかった。戦場で実際に干戈を交える一般兵卒は、アメリカ軍との戦争と聞いて目の前が真っ白になった。国力が違いすぎる。自分が担いでるライフルをみれば、溜息が出てしまう。アメリカ軍はジープで移動しているのに、日本兵は荷車に大砲積んで徒歩で行進。せいぜい馬を使うくらい。ボロ船に載せられて、南方戦線に送り込まれた日本兵は、ヤンキー軍団より日本の軍部を恨んだ。大東亜戦争について述べるとキリが無いのでここらで止めておく。

  ここで筆者は保守派知識人に再度問いたい。我が軍将兵は祖国のためと言われて必死で戦ったのだが、実は共産主義者のために戦っていた。今では明らかなのに、なぜ宣伝しないのか? 昭和天皇は終始、対英米戦争に反対なされていたし、我が軍の国民がつぎつぎと斃れていくことに堪えられなかった。大都市では空襲により女子供や老人までが大量に焼き殺され、国民は飢えや怪我に苦しみながらも、戦争継続に耐えていた。「一億玉砕」なんて狂気のスローガンを叫んでいた軍人は、終戦を聞いて責任を取ったのか? 切腹せずに敗戦後も生き続けた者が沢山いたではないか。敗戦は必然なのに、終戦を言えない空気とは。指導者層に勇気がなかった。誰も「戦闘停止」という“貧乏くじ”を引きたくなかったのである。原子爆弾攻撃を受けて、天皇陛下は忍耐の限界に達せられた。いくら立憲君主制の原則があっても、日本人が絶滅したら無意味だ。陛下がご聖断を決意されたお陰で日本人は救われたのである。また陛下に頼ってしまった。誠に申し訳ない。保守派知識人には、改めて大東亜戦争の正体を調べて貰いたい。
  


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