歴史書と称して嘘を書き連ねる

  「折れた煙草(たばこ)の吸いがらで、あなたの嘘がわかるのよ~、誰かいい女(ひと)できたのねぇ~、できたのね~ぇ」と中条きよしが昭和49年(1974年)に歌っていた。滅多に演歌を聴かない筆者も知っている。しかし、作詞家山口洋子に代わって、朝鮮人が作詞したらどうなっただろうか? 「ひどい日本の憲兵がぁ~、いい鮮人(チョンコ)らを~、殺したのよぉ~、殺したのよぉ~ぉ、ニダ、ニダ、スミダぁ~」と歌うのではないか? 作曲家の平尾昌晃・大先生は激怒するだろうが、著作権なんか無視の朝鮮人だから、「ウリ(俺)のオリジナルだぁーい」と平気で言うかもよ。日本人はタバコの吸い殻でも「ウソ」が分かるのに、朝鮮人は見え透いた大嘘を堂々とつく。姜徳相(カンドクサン/当時和光大学講師)という朝鮮人は、朴殷植(ぼくいんしょく)(『朝鮮独立運動の血史』 1と2東洋文庫 平凡社 昭和47年)を翻訳して、平凡社から出版したのである。

  3・1独立騒擾で最も非難されているのが、1919年に水原郡で起きた「堤岩里(ていがんり)教会事件」(大正8年4月15日)である。日本人でも朝鮮人の一方的な事件説明を鵜呑みにして、日本人が無辜(むこ)の朝鮮人を虐殺したと思い込んでいる。誇り高き日本の官憲が、無抵抗で非武装の民間人を殺戮するはずないだろう。しかし、日本の大手出版社たる講談社が、写真付きの冊子を大々的に出版していたのだ。一般人でも、テレビCM(commercial film)で、『日録 20世紀』というシリーズで何十冊も出版されたフォト雑誌を覚えているだろう。その第2管第36号通巻79号『1919年大正8年 「三・一」「五・四」“抗日”の叫び ! 』(平成10年9月29日)でも特集されている。日本が朝鮮人の独立運動を弾圧していて、京畿道(キョンキド)の堤岩里(チェアムリ)という村で、キリスト教徒を教会に集め、封鎖したまま焼き殺すという「水原郡堤岩里事件」(二九人死亡)が起きました、と紹介しているのだ。(p.4) 写真付きの小冊子を見た一般人は、本当に民間人惨殺事件が起きたと信じてしまう。

  では、朴殷植がどのように述べているかみてみよう。4月15午後、

  日本軍の一中尉が指揮する一隊が、水原郡南方の堤巌里に出現、村民に対して論示訓戒すると称して、キリスト教徒と天道教徒三十余名を教会に集合させた。そして、窓やドアをきつくしめ、兵隊がいっせい射撃を開始した。堂内にいたある婦人が、その抱いていた幼児を窓の外にだし、「わたしはいま死んでもよいが、この子の命は助けてください」と言った。日本兵は、子供の頭をつき刺して殺した。
  堂内の人々が全員ほとんど死傷した頃、兵士は教会に放火した。洪某氏は、負傷したまま窓からとびだしたが、日本兵はこれを射殺した。康某の妻は、布団にくるまって、墻下にかくれたが、日本兵は同女を銃剣で突き刺し、布団にむして火をつけた。
  また、洪氏の夫人は、消火に来て射殺されたが、母親についてきた幼児二人もまた、殺された。また、ある若い婦人は、その夫をたすけにきて殺された。こうして教会のなかで死んだ者は二十二名、教会構内で死んだ者六人となった。死体は焼却された。( 『朝鮮独立運動の血史』 1巻 p.212-214)

  あ~ぁ、毎度お馴染みのちり紙交換屋、じゃなかった、お馴染みのホラ吹き鮮人ですな。日本兵が幼子を抱えた母親を襲い、赤ん坊を刺し殺すわけないだろう。朝鮮人がやるような真似を日本人はしない。射殺した女を布団にくるんで焼くなんて、ヤクザか匪賊のすることだろう。朴は続けて嘘をつく。日本兵が釆巌里の民家31戸に放火したから、村の317戸に延焼し、死者が39名出てしまった、と。近隣の村では、連日銃撃、焼却、殴打の蛮行がおこなわれ、死者が千人余りにも上ったという。また、日本兵は同郡の竜珠里に住む老夫婦の住宅に闖入した。日本兵が彼らの子供3人と孫3人を連行しようとしたので、老夫婦はひれ伏して懇願した。しかし、無慈悲な日本兵は、彼らの目の前で六名全員を殺してしまったという。あのさーぁ。この71歳の老人が言うことを信じる奴って日本人でいるのか? 日本兵が子と孫の腹と喉を刺し、その遺体に草をかぶせて焼き、手も足も耳も鼻もきれいに無くなってしまった、というのだ。(pp.214-215) 嘆き悲しむ老人は、息を詰まらせて絶句した、と記されているが、読者の方が絶句するだろう。この爺さんを信じて、草をかぶせて焼いたとしよう。たき火程度じゃ死体は生焼けだぞ。原形が無くなるまで焼くのに、どれくらいの火力が必要か、朝鮮人は分かっていないのだろう。まあ、元々ウソだから仕方ないが。

  真相はこのヨタ話と全く違う。不逞鮮人を捜査していた有田俊夫(ありたとしお)中尉は、騒擾の元兇が堤岩里における天道教徒ならびにキリスト教徒であるとの情報を掴んだ。そこで、堤岩里に到着すると、巡査補に命じて天道教徒とキリスト教徒20余名をキリスト教会に集合させたのだ。有田中尉が彼らに質問している時、そのうちの一人が逃亡を企てたのである。そこで捕まえようとしたところ、朝鮮人の一人が妨害したので、これを斬り捨てたという。この状況を見て、他の朝鮮人全員が反抗して、木片や腰掛椅子を持って襲いかかってきた。中尉らは直ちに外へ出て、兵卒に射撃を命じ、ほぼ全員を射殺するに至ったという。この混乱の最中、西側隣家より出火が起きてしまった。その日は運悪く暴風だったので、教会堂に火が燃え移り、他の20戸と共に火事になってしまったらしい。(杉本幹夫 『「植民地朝鮮」の研究』 展転社 平成14年 p.64) 何てことはない、有田中尉が正当防衛で暴徒の朝鮮人を殺しただけである。捜査官の質問中に、尋問された人物が逃走したら、容疑者か犯人と思われるだろう。しかも、朝鮮人らは有田中尉ら日本人に向かって兇器を持って襲いかかったのだ。射殺するのが当然だろう。欧米の警察官なら日本人を全面的に支持するだろう。アメリカで警官に暴行を加えようとしたら、即座に殴られるか、銃口を向けられて警告を受ける。従わぬ場合は、すぐ射殺されてしまう。当時、朝鮮人は狂暴だったから、有田中尉がとった判断は正しい。

  こんな常識的判断だったのに、朝鮮総督府の長谷川好道総督は、検挙班及び軍隊の行為は、行き過ぎであると遺憾の意を述べたのである。火事は検挙の際に起きた失火なのに、当事者は行政処分に付されてしまった。総督府の失策は有田小隊の不手際ではない。日本の軍人が朝鮮人キリスト教徒を聖堂内に閉じ込めて、生きたまま焼き殺した、との嘘が海外に発信されたのに、外交的消火活動を行わなかったことにある。長谷が和総督だって、有田中尉の対応は不可抗力だったことを分かっていたはずだ。堤岩里の朝鮮人らは、有田小隊の二倍か三倍くらいたのである。有田中尉が甘い対応をしていたら、部下の小隊員らは何をされたか分かったもんじゃない。木原悦子という作家が『万歳事件を知っていますか』(平凡社1989年 pp.110-115)で、堤岩里事件を取り上げているが、彼女は事件を紹介しても、暴力的朝鮮人を非難していないのだ。結局読者は事件の実態が把握できず、残酷な事件が起こったとの印象を持ってしまう。木原氏は朝鮮人に同情しながら、萬歳事件を書いている。朝鮮贔屓の左翼崩れと一緒じゃないか。朝日新聞の植村隆と同類である。残念ながら日本では、こんな赤い人物しか朝鮮本を書かないのだ。

日本人の暴虐を創作する朝鮮人

  朴殷植は次々と日本人による虐殺を創作する。こんな朝鮮人のプロパガンダ本が、有名な東洋文庫に納められていることが信じられない。4月6日本兵が水原の狩川地方を襲って放火し、教会と民家34戸を破壊した。日本兵は消火に当たった村人を一人射殺。4月21日には日本の憲兵や巡査らが花樹里で民家に放火したうえ発砲し、逃げまわる村民を追跡して射殺。(p.215) 市場で「萬歳」を叫んだら、日本人巡査が発砲して、村人を殺害したという。怒った群衆がその巡査を撲殺し、巡査分遣所を焼いてしまったという。謂原郡や江界郡では、日本人警官40人が支那兵20人を引き連れて、民家と村人を包囲し、家産を没収したのち民家を焼き払った。重傷を負った住民は数百名になったらしい。老人4名と独立運動か数名が森の中で暗殺された。その他に撲殺されたり銃殺された者の遺体は、鴨緑江に投げ込まれたという。(p.225) 何で日本人警官が支那人を連れて村を襲うんだ? 朴の頭の中では、残虐行為と支那人が一体化しているのだろう。やはり支那人が登場しないと、朝鮮民族には恐怖が伝わらないのだ。

  定州では日本兵が示威運動を探知したので、先制攻撃を仕掛けようと、キリスト教の牧師らを暴行し「血の雨」を降らせた。激昂した民衆25,000人は怯まず、「萬歳」を唱えたところ、日本人はデモ参加者50名と傍観者約70名を殺戮。つづいて、日本人は同地のキリスト教会天道教会とその学校に放火したばかりか、李昇薫や李明竜、趙衡均の自宅を壊した。(p.216) 密陽郡のある山間の部落では、山に一本の道しか無く、日本兵はここを押さえて老若男女が皆殺しにあう。咸安郡の趙声根は、示威運動の指導者であったから日本兵に銃殺された。憤激した趙一族は示威運動を続けたので、日本兵はまた銃の乱射を始め、趙一族70余名を殺してしまった。おい ! ヨボ ! 日本人はシルヴェスター・スタローンの「ランボー」じゃないぞ。これじゃぁ銃の乱射が趣味みたいだろう。規律正しい日本兵が、メキシコのギャングみたいなことするかよ。

  朴の捏造に戻ろう。陝川郡の市場で集まった朝鮮人が示威運動を展開すると、日本人警官は、まず鉄棒で滅多打ちにし、次に鳶口(とびぐち)で突いたが、人々は解散しなかったので、ついに発砲することとなった。死者と重傷者が出たという。(p.219) 天安郡の朝鮮人は並川市場で示威運動を行った。日本兵はデモ隊の旗手を刀で突こうとしたが、旗手は素手で白刃を受け止めたため、手から血が噴き出した。それでも日本兵は旗手の腹を刺して殺したという。指導者の金求応が日本人警官に抗議すると、答弁に困った警官は突然彼を射殺した。金氏は頭を砕かれ、四肢を滅多刺しにされた。息子の死体を見て倒れた老母をも、日本兵は刺し殺したという。(p.222) ちょっと待て、ジジイ ! 日本の警察官が鳶口を持って人間を突いて引きずり回したとでも言いたいのか? 消防夫の道具を持ち出して暴行を加えるなんて、日本人には考えつかない。朝鮮人の発想だろう。それに、朝鮮人が真剣白刃取りしたのか? 時代劇でも見たのだろう。朝鮮人なら眠狂四郎の円月殺法で、日本兵は朝鮮人を殺したと言いかねない。

  日本人は宗教弾圧まで行ったらしい。 天道教徒が多かった孟山郡では、日本兵が集会を指導した者を逮捕し、分遣所に拘留して拷問にかけた。仲間の釈放を求めて抗議に訪れた群衆を、日本兵は中庭に引き入れるや、その門を閉めて一斉射撃を行った。60余名が死亡し、まだ息のあった者を銃剣で突いてトドメを刺した。日本兵はキリスト教徒や天道教徒に、信仰を棄てるよう強要。(p.217)日本兵は京城でキリスト教徒の男女を捕縛して、日本キリスト教会堂に拘留した。無数の十字架を並べて、彼らを十字架にくくりつけ、日本兵が彼らを滅多打ちにした。(p.222) 郭山郡で示威運動が起きた時、老体の朴志協は日本人に殴り殺されたという。警察に逮捕された者は百人異常に上り、この内の大半が苛酷な拷問のために死亡した。キリスト教会は放火されて焼け落ちてしまった。京城、安壌、平沢、平壌などで、日本兵は銃弾ばかりではなく、鳶口を使って群衆を撲殺した。死者は数千人に達したらしい。(p.223) 日本人は信仰だけを取り締まったのではない。平沢駅で22歳の青年が、マッチ箱に太極旗を画いていただけで、日本軍に銃殺されたという。(p.228) いい加減にしろ、ヨボ鮮人 ! 何で日本人が十字架刑を用いるんだよ ! ローマ人じゃないぞ。朴は本当に鳶口での殺害が好きだ。よほど恐怖をかき立てるのだろう。批判するのも馬鹿らしいが、マッチ箱の絵を見て殺す気違いの日本人なんかいないんだよ。しかし、よくそんなアイデアを思いついたものだ。「犯罪小説」大賞を貰えるんじゃないか。

  日本人の弾圧はもう猟奇殺人の域に達している。全羅道で教師だった文容基は、キリスト教徒で、一万人も集まった示威運動に参加していた。そこへ数百名の日本兵が襲いかかり、剣をふるったり銃を撃つなどした。日本兵は国旗を持っていた文容基の右腕を切り落とした。容基はすかさず国旗を左手に持ち替え、なおも「萬歳」を叫んだ。ところが、日本兵は彼の左腕さえも切断した。それでも容基は群衆の中で「萬歳」を叫んだので、日本兵は彼の胸を刺してしまった。彼は、「諸君よ、諸君よ。私は鮮血をもって、陰ながらわが大韓新政府を援助しよう。諸君を大韓の新国民たらしめよう」と言い残して死んでいった。(p.226) チョーセン人朴、てめえ。調子に乗ってデタラメもいい加減にしろよ。腕を切断されても、萬歳を叫び名セリフを残して絶命した、だって? B級香港映画じゃないか。志村けんの「バカ殿」だって刀を抜くぞ。(註/ 由紀さおりとのコントを知っている方しか分からない。)

  京城では3月28日に、具洛書という青年が独立運動に参加した。日本兵は剣を用いて彼の左耳を削ぎ落とし、その顔面を刺した。洛書が抗議すると、さらに暴行を加え、滅多刺しにした。しかし、日本兵が死んだものと思って遺棄した洛書は、まだ息があって、出血にもかかわらず、家に帰ることができた。友人らが彼を教会病院に運び、治療をしてもらおうとしたら、日本の警官が搬送を邪魔し、病院到着が遅れてしまった。具洛書は出血多量で死んでしまった。(p.226) 『太陽に吠えろ』のジーパン刑事が殉職したときを思い出すじゃないか。刺されて瀕死の朝鮮人が、どうやって家にたどり着けるんだ? 朝鮮民族はみんな怪僧ラスプーチンなのか?

  日本人は女性に対しても残酷で野蛮な行為に及んだらしい。平壌に果物を売ってようやく生活していた貧しい婦人がいた。ある日、南門の路傍に籠(かご)を置いて坐っていた彼女を、通り掛かりの日本人警官が理由も無しに足で蹴った。彼女はちょうど妊娠していたので、流産してしまい、彼女は悲嘆に暮れていたという。咸従郡で魚売りのある貧しい婦人がいたが、日本軍は彼女を独立運動家として刺殺した。残された二歳の乳のみ児が母を求めて泣いていたという。(p.229) 5月5日、宣川郡で一人の老婦人が愛国的演説を行うと、日本兵は鋭い剣で彼女の口を引き裂いた。それを目撃した者は血の気が引いたという。3月7日、平壌の日本消防隊五、六名は病院近くの朝鮮人宅に押し入り、女学生2名を捕まえた。日本人は鳶口で彼女らの頭髪を引っ掛け、電柱に縛り付けると、警察を呼び連行させたという。礼拝堂の日曜学校で、ある女教師が日本兵を避けて急に逃げようとしたため、消防団の鳶口で肋骨を折られ、ついに廃人となった。また鳶口での殺人かよ。これって朝鮮人の手口だろう。朝鮮人は妊婦をよく蹴っていたんじゃないか? だから、朴は日本人も同じ事をすると思ったのだろう。

  三月下旬、出獄してきた京城の女学生が、監獄の内情を暴露した。拘束された時に暴行を受け、裸にされたうえ、手足を縛られたまま厩舎(きゅうしゃ)に放り込まれた。夜は寒いのに藁草さえも無かった。日本人は彼女たちから美人を選んで、輪姦を繰り返したという。彼女たちの目は腫れ上がり、体は傷だらけとなった。訊問の時に廬永烈は十字架の上に坐らされたが、側にあった炭炉では鉄線が真っ赤になるまで熱せられていた。日本人はその熱い鉄線を彼女の乳頭に刺してから、縄を解き、刀で四肢を瓜のように分割切断した。血が雨のように滴り落ちた。彼女を別の十字架に移すと、火にかけて溶かした膏薬を頭髪と陰部、両腋(りょうわき)に塗り、乾いたら引っ張った。髪の毛も皮膚も剥げて血があふれ出た。日本人はこの蛮行を楽しんだ。日本人の拷問は続き、女学生は食事も与えられない。日本兵は女学生の頭に束ねた竹針を刺したが、彼女が屈服しないので激怒した。そこで、刀を抜き彼女の唇を裂こうとしたが、鳥瞰が「顔の表面は傷つけるな」と命じて止めさせた。(pp.231-232) もう、ここまでくるとバイオレンス・ポルノ映画だろう。朴はSMの趣味があったのでは?

  朴殷植によれば、日本人は淫乱の鬼畜であった。釜山では、日本兵が民家に押し入って、新婚の若妻を強姦しようとしたので、彼女の母が代わってその恥辱を受けた。未婚の女性たちは山に非難した。日本兵は各家を荒らし回り、逃げ遅れて捕まった女たちは陵辱された。日本兵の略奪や強姦に耐えられなくて自殺した村民は男女30人にも上った。平壌では拘留された女学生に対し、日本人は焼きごてを彼女の陰部に押しつけながら、「男は何人いるのか」と尋問し、拷問を加えたという。(p.233) 京城で逮捕された李慈敬は牢獄に入れられた。そこでは、女子の囚人は裸にされ、尋問場に連行された。竹の針で全身と爪先を滅多刺しにされ、侮辱されたという。顔に唾や痰を吐きかけ、髪の毛を引き抜き、首筋を何回も踏みつけた。責め道具を使っての拷問もあり、「西洋人がどんな干渉や指図をしたのか」と尋問したという。(p.233-234) ここまで嘘を書かれたら、冷静な日本人だって下品な朝鮮人みたいに激怒するぞ。これって李朝時代の拷問だろう ! 違うのか !! 竹で爪と指先の間に刺す拷問て、蒋介石の国民党が台湾人に対して行ったやり口である。もっと有名なのは、ベトナム戦争の時、ベトコン側がよく用いた拷問方法であった。

欧米で反論書を出さない日本

  朴殷植とは、いったい何者なんだ? 「悪質」とか「捏造」とかの表現を超えた、下劣な嘘を書き連ねている奴の正体を知りたいものだ。朴は黄海道黄州郡で生まれたらしいが、その後の経歴は、朝鮮人にもはっきりしない。経学院で講義をしたり、漢城師範学校で教員養成をしていたとか、皇城新聞の社長を務めていたというが、少なくとも反日過激分子だったこととは確かだ。西間島(かんじょう/豆満江近くの朝鮮人地域)に亡命して、朝鮮人らと同済社を結成したらしい。名目だけだが、1925年には上海臨時政府の第三代大統領に就任していた。こんな札付きの反日鮮人が書いた本なら、『血史』が捏造の政治宣伝でも不思議ではなかろう。朴の本は保守派言論人から批判されているが、批判の矛先が間違っている。嘘を平気で書ける朝鮮人がいてもしょうがない。彼らの特技だ。それに馬鹿や気違いは地球上に腐るほどいるだろう。問題なのは、こんな虚構本というより、下品なエロ本と呼ぶべき代物を平凡社が、歴史書として出版したことだ。しかも、東洋文庫に加えているのだから、タチが悪いと言うより、確信犯の仕業と言えよう。東洋文庫といえば、『ミリンダ王の問い』とか『アラビアのローレンス』、『モンゴル帝国史』『アラビアン・ナイト』といった名作が収められている。読者には政治宣伝目的の虚構本とか創作本という説明をせぬまま、嘘が満載の“トンデモ本”を加えたのである。これでは何も知らぬ一般人が、朴の記述を真実と思ってしまうだろう。

  平凡社のみならず、戦後の昭和には左翼が出版社になだれ込んだ。左翼に都合のいい本や捏造と分かっても政治活動の一環として「トンデモ本」を出版していたのだ。こうしたことは、誰も買わない左翼教授の学術本を、せっせと出している出版社を見てみれば分かるだろう。恐ろしいのは、こんなデタラメ本を米国の朝鮮系アメリカ人学者が英訳して出版することだ。朝鮮系アメリカ人は、国籍は合衆国でも精神は朝鮮にあるから、平然と偽書を出版したりする。それに、在米鮮人学者は、日本語など読めないし、また学ぶ気もさらさら無い。したがって、一次資料primary sources)を精読せずに、「研究書」と銘打って出版し業績にしてしまう。根拠の無い噂話をアカデミックな論文に堂々と混ぜるのだ。しかも、まともなアメリカ人学者がチェックできない。高名で保守派のアメリカ白人でも、朝鮮や支那の歴史となれば異次元の世界である。疑問に感じても、反論するだけの基礎知識が無い。アイリス・チャンの例を思い出せば分かるだろう。支那人同様、朝鮮人はアメリカで生まれ育っても、精神は朝鮮人のままである。異常な精神と低脳が親子代々遺伝するのだ。

  さらに悪いのは、こうした学術書と言えぬ偽造書物が各大学図書館に置かれて、無知なアメリカ人学生が論文用に参照してしまうのだ。日本語が読める学生などまずいないから、彼らは英語の歴史書しか調べない。アメリカ人は若い頃仕入れた知識で一生過ごすから、大人になってからの修正はほとんど不可能。外務省のぐうたら官僚は、国費でハーバード大学に留学して、他人に自慢するためだけの箔(はく)は附けるが、日本の国益を考えたことが無い。アメリカの大学図書館には、正確に日本の歴史を伝える英語の本はごく僅か。否、ほとんどゼロという状態だ。その一方で、日本に恨みを抱く在米朝鮮系アメリカ人は、掃いて捨てるほど存在する。悪質鮮人を非難するの保守派はいるが、欧米の出版界に良質な日本紹介本を増産しようとする計画を提唱しない。これは本来、外務省が実行すべき計画だろうが、「キックバック」や出世に関係が無い事案なので誰も動かない。悲しい現実である。筆者は日本国内で朝鮮批判をしても空しいばかり。ワインの銘柄だけは詳しい外務官僚は反省しろ。

(独立を夢想する朝鮮人の前編後編)


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