全身の血を入れ換えたい朝鮮人

  朝鮮人は矛盾した民族である。千年も怨み続けたい日本に自ら移住してくる。朝鮮では地面にしゃがみ込んで大声で泣く朝鮮人が、法を犯しても日本に潜り込み、警察の目をかいくぐって永住したいのだ。日本人は日韓併合で朝鮮を植民地にして「すまない」と謝罪しているが、これは大きな間違いである。日本政府が謝罪すべきは、税金を浪費された一般国民に対してであり、人類史上最大の恩恵を受けた朝鮮人に対してではない。朝鮮経営に貢ぐ国富を東北の旧幕府側地域に投資すれば良かった。帝国議会は日本国民からお金を搾取し、乞食より惨めな朝鮮人に渡す暴挙を実行したのだ。しかも、日本国内に朝鮮人の居住を許すといった愚挙まで追加し、将来にわたる禍根を残してしまった。「内鮮融和」というスローガンを掲げて、日本人は異星人(エイリアン)の朝鮮人を同化させようとしたのだ。「馬鹿」としか言いようのない政策である。本音では嫌なのに、併合の建前から無理をしてしまう。格好悪くても過ちは正すべきだし、残酷な解決策だってしなければならない。帰化した朝鮮人だって、来日手段や定住経歴を調べて、国籍剥奪だってすべきである。

  朝鮮人に理解を示せば仲良く共存できるというのは幻想である。朝鮮人と日本人の反目は、遺伝子レベルの諍(いさか)いなのだから、法律や行政で解決できる問題ではない。同族で幸せに暮らしてきた日本人には、血みどろの紛争を繰り返すバルカン半島を理解できない。異なる民族が雑居する火薬庫で、タバコを吹かせることができるのは日本人だけだ。幽霊だって交際したくない呪われた朝鮮人を、善意と誠実を示せば、日本人は同胞に出来ると考えてしまう。こうした甘い妄想を打ち砕く材料を朝鮮人作家の朴寿南(ぼくじゅなん)が提供している。(朴寿南 「在日朝鮮人のこころ」 『展望』 7月号 1967年を参照)

  朴は日本統治下の朝鮮で生まれ、日本の学校で教育を受けたという。したがって、その思考は日本人の子供と似ているが、朝鮮人としての意識を持たざるを得なかった。しかし、祖国朝鮮は「貧困」という言葉では言い表せぬほどの「みじめさ」で、どうしても日本人になりたかったらしい。日本に住み着く朴が17歳の時、一旦祖国朝鮮に帰る機会があった。「そのとき、わたしは痛切に、自分が日本で生まれ、そして育ったことの意味を大切にしたい、と思った」そうだ。(上掲論文 p.145) その「意味」とは、こんな悲惨な朝鮮に生まれなくて良かったという「感想」だろう。洗練された文化をもつ日本に住めば、朝鮮など刑務所以下の牢獄である。希望の光さえ差さない、じめじめとした地下の牢獄に閉じ込められ、牢屋主からも忘れ去られた囚人というのが朝鮮人だ。糞尿が医薬品になるような不潔で迷信に満ちた僻地。いつも支配者に虐待される専制君主国の朝鮮。夢の中のご馳走だって、日本人が知ったら吐き気を催す。詳細な歴史を知らぬ子供だって、朝鮮を訪れればその異様さを察知するだろう。

  今では在日南鮮人は捏造教材で洗脳されているから、朝鮮人という血統を恥ずかしく思うことが少なくなったが、1980年代くらいまでの頃は、朝鮮人という出自は隠したい恥部であった。朴が小学二年生の時の出来事だ。下校時に雨が降っていたというから、息子を心配して母親が迎えに来たのだろう。ところが朴は素直に喜べなかったらしい。「母を見つけるとわたしは恥ずかしさで熱くなった。いそいで背を向けると雨の中を走り出していた。」すっかり日本人として通っていたのに、母親が学校に現れて朝鮮人であることが知れ渡れば、その息子である朴の正体が学校の友人にバレてしまう。それが怖くて雨の中を一目散に駆け抜け、知らない街中にまで走って行ったという。朴は雨でびしょびょに濡れながら、「わたしは朝鮮人なんかじゃない、辱しめられる子じゃないんだ ! 」と声にならぬ声で叫んだらしい。

  大人に社会的面子があるように、子供にだってそれなりの面子がある。否、子供だからこそ、必死で隠したい秘密があるのだ。朴少年は何としても朝鮮人という正体を内緒にしたかった。「物ごこころつくにつれ、わたしは自分の血を憎みはじめた。アンデルセンの人魚が人間になることにこがれたように。もし、からだの中の血を日本人の血と入れ換えてくれるのならば、その生命である声を人間の足と引き換えたアンデルセンの人魚のように、わたしも海の魔女に自分の魂まで引渡しただろう。」(p.145) 以前、このブログで、母親に「なぜ朝鮮人に産んだのか、イギリス人やフランス人に産んでくれたらよかったのに」と母親に泣いて詰問した朝鮮人少年の話をしたことがある。朝鮮人という肉体は「汚点(stiugma)」である。自分の努力では変えることが出来ない宿命と言えよう。敏感な子供にとったら、意地悪な神様による呪いである。

  日本人ではないのに、日本人みたいに過ごしていた朝鮮人の子供は、魂が二つに引き裂かれたような状態にあったのだ。朴は「おしになった人魚が地を踏むたびに人間の足から血を流しつづけたように、わたしの砕かれた自尊心もきりなく血を流していた」と振り返る。大好きな両親からもらった体なのに、それが嫌でたまらないのだ。親孝行が絶対の朝鮮人が、その怒りの矛先を日本人に向けるのは、日本人に取ったら筋違いだろうが、自然の成り行きだろう。こうしてみれば、朝鮮人を無理矢理でも朝鮮に送還しなかった日本政府の罪は重いのだ。また、それ以上に、日本での豊かな生活を選んだ在日一世は、子孫に対する永遠の罪を犯したことになる。解決できぬ仕打ちを遺産にしたのだから。

支離滅裂な在日朝鮮人の回顧談

  ジャーナリストを自称する朴は、様々な在日朝鮮人を尋ね、その体験を紹介している。ただし、裏付け調査をしないところが、いかにも朝鮮人らしい。インタヴューした朝鮮人の話が真実かどうかの検証をしないのだ。宣誓証言という文化を持たぬ朝鮮人の証言は、鵜呑みにできないし、話半分に聞き流す方がいいだろう。

  長崎に住むMという帰化鮮人(62歳)の話。Mは1902年くらいに生まれた者と推測される。彼は22歳(1924年)のとき日本に亡命してきたと語るが、実際は密入国者だろう。抗日パルチザン(義兵)という経歴も怪しい。安東(アンドン)の高等小学校を経て中学校に進んでから、朝鮮の独立運動に加わったという。つまり、当時の不逞鮮人というわけだ。昼間は普通の学生を装い、夜になると銃を取り兵卒になって戦った自慢しているが、どこまで本当やら。「同胞に圧力や危害を加えた日本の警察や軍隊に夜襲をかけた」と語るが、真実かどうか疑問である。日本の官憲を逆恨みする鮮人か、たんなる街のゴロツキだったのかも知れない。大正8年に萬歳事件に関係して、官憲に目をつけられたので、身の危険を感じたMはソ連へ向かおうとしたところ、満洲の安東県で捕まった。その後、彼の叔母が長崎の崎戸(さきと)で炭鉱の下請け飯場をやっていたので、Mの親は日本の炭鉱に一年くらい行ってこい、としきりに勧めたらしい。朝鮮人同胞を苦しめた日本の本土(内地)に出稼ぎに行くようすすめる親だったとは、抗日パルチザンの息子は何と思ったのか? 朝鮮人の身の上話には、嘘がふんだんに混ざっているから、日本人読者は注意せねばならない。

  Mによれば日本の警察が常に監視していたという。不逞鮮人のリストにでも載っていたんじゃないか。敗戦後の朝鮮人らしく、Mも犯罪者集団の在日朝鮮人連盟に属し、そこの委員長になったらしい。しかし、この役職に就いて破壊活動を行っていたわけではなく、日本人と朝鮮人の仲介役程度のものだいという。日本人から見れば、反日暴力団であっても、朝鮮人からすれば、「戦勝国民」が結成した民族団体だったから、罪の意識は無かったのだろう。日本の「植民地支配」に抵抗していた朝鮮人Mだが、炭鉱の崎戸でしたいたことは、水商売や女郎屋の主人であった。Mを知る朝鮮人C氏によれば、昭和9年から売春宿を始めたMは、朝鮮ピイ(淫売)を食い物にして儲けたらしい。Mは朝鮮語で酷い悪口を言われても知らぬ振りをし、眉一つ動かさず微動だにしなかったという。C氏は唾を吐きながらMを「裏切り者たい、朝鮮人の」と罵っていた。(p.151)

  恨み骨髄の日本に渡ってきて、女郎をこき使って金を儲けたMは、女房子供を養いながらけっこう幸せな日々を送っていたようだ。憎んでいた日本に永住したく、なんと8年間も帰化申請を行っていた。共産主義活動のせいで、法務局がなかなか許可しなかったらしい。Mは女郎の生き血をすすって太っていたのに、炭鉱での日本人が朝鮮人労働者を畜生扱いしたと非難する。だが、Mも朝鮮人のダメさ加減を自覚したいた。「とくに朝鮮人となれば、豚と同じ、朝鮮人という者は、どこを見たけんちゃ、バカしかおらんじゃった・・・朝鮮人というのはバカであり、ヌケ者であり、悪にせよ、朝鮮というのは嘲い者である」と語っていた。朝鮮人であることを気にするMは、自分の子供をどうやってひがみ根性を持たぬ真っ直ぐな大人に育てるか、という悩みを持っていた。そこで、家庭では一切朝鮮語を使わず、子供が朝鮮人であることを忘れさせるよう育てたという。女郎屋で相当金が貯まったのか、彼の子供四人は皆大学に進学した。Mはこれをたいそう自慢している。長男は日本人の嫁をもらって直ぐ帰化し、他の兄弟も父親と一緒に帰化したのだ。ところが、日本に帰化できてもMは不満だった。自分の戸籍に帰化朝鮮人の記録が残ってしまい、子や孫まで朝鮮人という出自がつきまとう、と怒っているのだ。彼は「こげん、ばかげた話、帰化したならば帰化したいうこと戸籍に書き入れる必要なか」と憤りを隠さない。おい、朝鮮女衒よ。日本統治に叛逆した「義兵」としての誇りはどこへ行ったのだ? これだから「ヨボ」と馬鹿にされるのだ。帰化などせずに、一家揃って朝鮮へ戻れ。

  朝鮮人がいかにして日本に渡ってきたかとか、どのような生活を送ったのかを、具体的に調べていくと、朝鮮人の身勝手さや、ご都合主義に呆れてしまう。それに、朝鮮人が過去を語る時、しばしば嘘を混ぜてしまうので、正直が美徳の日本人は嫌気がさしてしまうのだ。(慰安婦独立騒擾の記事を参照。) たとえば、徴用を強制連行と言い換えることは有名だが、炭鉱労働をさせられた朝鮮人は、日本人による扱いが悪かったので、戦後になって不平をぶちまける。もっとも、その朝鮮人がどんな態度で働いたのかを“正直に”語らないから、真相は闇の中である。ある朝鮮人の回顧談によれば、日本人は体が弱っている鮮人鉱夫にも、重労働を強制し、休もうとすれば半殺しの目に合わせたという。劣悪な条件の下、坑内でひっくりかえったり、意識が変になって怪我したり、あるいは発狂したりする者が出たらしい。そんな扱いに堪えかねた鮮人鉱夫が脱走すると、叩き殺されたり、酷い拷問にあったという。「男のナニを去勢したり、なぶり殺しにする」といったこともあった。(p.159) あぁ~あ、また朝鮮人の十八番(おはこ)、お得意の虚言癖だ。なんで日本人が朝鮮人を処罰するために、男の性器(ペニス)を切断するという宮刑を行うんだ? 日本人は家畜の去勢方法も知らないのに。それは朝鮮人のやり口だろう。去勢された鮮人鉱夫は、出血多量になったり、傷口が化膿して死んでしまうかも知れない。朝鮮人の話によれば、日本人はそうしたリンチ殺人を仕事中の事故死や、本人の不注意による死亡として処理したという。アホらしい。こんなんだから、朝鮮人は日本人から軽蔑されるのだ。

  朝鮮人には客観的な思考力はない。糞尿まみれの朝鮮人が、文明国の日本によって、まともな人間にしてもらったのに、それを「植民地支配」と糾弾し、戦後賠償まで求めようとする。しかも、自己の矛盾した行動には気づかない。民族的性格から、朝鮮人は暴れるのが好きで、抗日パルチザンもどきになって日本人に反抗してみせる。しかし、貧困を絵に描いたような朝鮮に嫌気がさし、憧れの日本に向かってしまう。これといった能力も無い朝鮮人が、幼稚な夢を描いて日本にたどり着いても、希望する上等な職にありつけるはずもない。せいぜい、炭鉱労働者か土建屋の人夫くらいしかなれず、不平不満に思うのは分かるが、それなら朝鮮に戻ればいいだけの話である。しかし、つらい炭鉱の重労働でも、朝鮮に帰るよりマシだった。日本には「希望」があるが、朝鮮には「絶望」しかない。単純な発想で一儲けしようと日本に出稼ぎに来ただけなのに、強制連行の被害者と嘘をつく朝鮮人は実に多かった。やましさからか恥ずかしさからか判らぬが、子や孫に真実を語らぬまま死んでいった朝鮮人が沢山いるのだ。「見栄」や「面子」が命より大切な朝鮮人にとって、「事実」や「真相」は何の価値も有さない。朝鮮であれほど日本人を憎んでいたMが、朝鮮に戻らず家族揃って帰化して永住したのだ。朝鮮人の精神構造は歪んでいることが正常な状態なのだろう。


「チョーセンジーン」という名称は嫌だ

  朴寿南は日本人の子供にも話を訊いたという。(p.153)何人かの意見を簡単に紹介してみよう。

  少年A 「朝鮮の子はおこりっぽい。男子の一部はえらそうにしたり、いいかっこうをしすぎている。日本人でもそういう子がいるが、朝鮮の子の方がひどい。」
  卑屈な歴史が長かった朝鮮人は、なんとかして偉くなりたいという願望が異常に強い。自分が惨めなのを充分自覚しているので、ちょっとでも他人に気づかれると激怒する。人間の器が極端に小さい。

  少女Bは朝鮮人を軽蔑しているわけではないが、好きになった子は日本人ばかりだという。「そして朝鮮人と聞くとその人はなぜか好きになれなかった。母も私が大きくなったら相手の人はぜったいに日本人でなかったらお嫁にやらないと言っていた。父も同じ意見です」
  実に正直な意見である。友人とは気の合う者同士だから、どうしても異質な朝鮮人だとくつろげないものだ。米国の意識調査でも、白人だと黒人の友を持たぬ者がほとんどであった。映画やテレビ・ドラマの中で見られる「黒人の親友を持つ白人」という設定は、やはり虚構だった。日本人でも朝鮮人の友を持つことには、無意識の抵抗があるのだろう。朝鮮人との結婚だと、もちろん論外。当然。自然。結婚したら両親は愕然。

  少年Cの意見はさらに正直だった。「顔立ちや柄から見てすぐ朝鮮人だと分かる。毎日の新聞を見ても殺人とか、殴り合いの記事は、大部分が朝鮮人が主になっている。ぼくの友達は小学校のときでも今も朝鮮人だ。なかにはよく喧嘩したり悪いことをする子もいた。小さい時は朗らかな人間が大きくなってなぜ、悪くなるのだろう。」朝鮮人がグレることは普通だ。生まれた時から劣等民族なのだから、物心つく頃にはひねくれた性格を身につける。しかも、勉強が苦手だと、ゴロツキ、ヤクザ、パチンコ屋になるしかない。進学校を卒業しても、まともに就職できないから、社会の落伍者か左翼活動家になってしまう。藝人かスポーツ選手になれれば良い方だ。

  少年Fの二種類の朝鮮人という見解はおもしろい。「一つは大人の朝鮮人、もう一つは子供の朝鮮人。大人の朝鮮人をぼくは一番きらう。それは酒飲みで家庭を大切にしないいで親子どうし喧嘩するので、一番ぼくはきらいだ。」少年Fは朝鮮人の子供は好きで、可哀想に思っている。「朝鮮人の子供はほとんど心の奥底に深い悩みを持っている。かいしょうのない親、びんぼうな家庭、悪いかんきょう、この三つのうちどれか二つそろっている家庭が多いからだ」日本人らしい心を持つ少年Fは、本当に悪い朝鮮人は少ない、と語る。子供はよく観察しているものだ。朝鮮人の父親というのは、短気で能無しなくせに、大物を気取って威張っている。大酒飲みで暴れ出すと始末に困るし、そこに博打好きが加われば家族は大迷惑。不幸を絵にした家庭が多い。

  少年Hの意見は物事を公平に見なければならぬ、という強迫観念にとらわれた日本人の典型例である。「おとなたちは『朝鮮人とつきあうな』という。そのわけは朝鮮人は悪いというからだ。そんなばかなことがあってたまるか。日本人にも悪い人がいるように朝鮮人にも悪い人がいるだろう。しかし、その一部の人々のことから朝鮮人全体を悪く言うのはまちがっている。事実、朝鮮人にも良い人がたくさんいる。それを見ようとしないで悪く言うなんて、日本人として、ほんとうに恥ずかしい。」彼はまだ未熟な少年だから、大人の偏見に義憤を抱くのだろうが、大人だって個人の朝鮮人がすべて悪いと断定しているのではない。朝鮮人が日本に住めば、自然と民族的団結を呼びかけるし、日本人とは違う点を認識してしまうのだ。たとえば、日本人生徒同士の喧嘩なら、「この日本人野郎」という罵声はない。しかし、朝鮮人と日本人の喧嘩だと「チョンコ」とか「チョッパリ(日本野郎)」といった侮蔑語が出てしまう。これは朝鮮人が帰化しても無くならぬ。日鮮の区別を無くしたいのであれば、日本人を全員盲(めくら)と聾(つんぼ)にすべきだ。そうすれば相手が朝鮮人なのか支那人なのか判らなくなる。

  次に朴は朝鮮人の子供にもインタヴューをしていた。その中で興味深いものを拾ってみる。

  少年B 「私はなにも悪いことはしていないのだが何かやはり恥ずかしい」と告白するが、日本人に朝鮮人であることを告げて仲良く遊んでいたという。しかし、「何人と区別なく、言葉やそのほかの区別するものがなくなって、地球人ということになって欲しいと思う。そうなればおそらく戦争はなくなると思う」と心情を語った。朝鮮人であることを恥じる少年は、「地球人」という今で言えば「世界市民」を夢見ていたのであろう。

  少年Cは「李」という名をもつ。皆が「朝鮮、朝鮮」と呼び、馬鹿にしたので、李少年はそいつらを殴ってしまった。それを先生に叱られたが、馬鹿にした生徒を叱らなかったことを恨んでいる。彼は「どうして同じ人間なのに区別するのかふしぎでしょうがない」と言い、「ぼくは日本で生まれて日本の国で育ったので、日本人の方がいい。考えてみるとぼくは朝鮮人でありながら朝鮮人ではないのだ」と吐露する。朝鮮人は自分のアイデンティティーで悩んでしまう。意識は日本人なのに肉体が朝鮮人という矛盾に悩む。朝鮮に帰れば解決するのだが、その朝鮮が異国なのだ。

  少年Dは日本人が朝鮮人の悪いところばかりを見て、良いところを理解しない、と不満をのべる。「おなじ人間なのに、ただ国が違うということだけで、そんな朝鮮人をばかにするとみんなが段々悪くなっていくだけです」と言う。「アメリカ人の言うことは何でもきくのに、なぜ朝鮮人をばかにするのですか。同じ人間なのに朝鮮人だからといって、とくべつに悪くみるのですか」と疑問を投げかける。まず、人間は平等ではない。国境があるから国家がある。自国民と他国民の区別が無くなれば国家は融解するだろう。朝鮮人の子供には難しくて理解できないだろうが、朝鮮人には尊敬できる長所がほとんど無いのだ。日本が特別高級すぎることもあるが、朝鮮に偉大さが全くないことに加えて、あまりにも情けないのだ。アメリカ人は悪徳をもつが、それ以上に美徳を持ち、立派な人物が多くて尊敬に値する。察しのいい日本人はこうしたことが肌で判るのだ。朝鮮人とアメリカ人を比べてしまうこと自体が、朝鮮人の無知をさらけ出していると言えよう。

  少年Fは日本で生まれ、日本の学校で勉強しているから、自分を日本人だと思っている。「でも、朝鮮人の悪いことをきくと、ふるえてくる。また悪いことをしのか、どうしてそんなに暴れるのかと私自身情けなくなる時がある。それは私自身、日本人だと思っていても、心の底のどこかに『お前は朝鮮人なのだ』という気持ちがどこかで遠慮しているのです」と述べている。(p.156) 確かに、朝鮮人の犯罪者をよく耳にする。李朝500年の秕政(ひせい)のせいか、それとも民族性なのか判断に迷うが、朝鮮人には無知蒙昧の乱暴者が多いのは否めない。偉人より悪党の方が、朝鮮人のイメージに合っている。

  福岡県にある廃坑の村に住む李という青年は、自分の過去を語っている。この23歳になる朝鮮青年は、自分の出自を恥じていた。「“チョーセンジン”のチョの字、聞いただけでカァーとなるんだな、恥ずかしいんだから。でもよ、俺に一目おくんだ。わんぱくだったからな。だから直接いじめられはしない。だけど弱い子いじめられんだ、おとなしい奴はな。するとすぐ言ってくるんだ、“チョーセンジン”といわれたと。すると直ぐ集めるんだな朝鮮人の子ばかり20人くらい。それで集団で仕返しにいくわけだ。そしたら先生も手がつけられないんだ。俺らの力は団結力だ。全校で1000人ぐらいおるだろ、朝鮮人集めたら、1000人くらいおるんだ。チョッパリ(日本人野郎)からバカにされて負けるのが好かんのだな・・・“チョーセンジン”いわれたらカァッときちゃう・・・恥ずかしいんだな、死にたいくらい自分が。」

  李は典型的な朝鮮人の心情を持っている。本人もどうして「朝鮮人」という言葉の響きを嫌うのか理解していないだろう。それは彼らでさえ、同胞の朝鮮人を下劣な民族と感じているからだ。貧乏で下品な下層民と鏡に映った自分が同じだから、どうしても自分自身を恥ずかしく思ってしまう。朝鮮人に対して差別心や偏見を持っていないと宣言する日本人でも、無意識のうちに朝鮮人を差別している場合がある。たとえば、報道番組のアナウンサーが、南鮮人を「韓国のかた」と恭(うやうや)しくお呼びするのだ。どうして朝鮮南部の国民を、特別に「韓国人」と呼ぶよう、視聴者に刷り込むのか? 拉致問題発覚以前は、NHKなど北鮮を「朝鮮民主主義人民共和国」とフルネームで呼んでいたが、他の国だと略称だった。たとえば、英国を形容詞の「イギリス」と呼び、固有名詞に使っていたし、ドイツ連邦共和国を「西ドイツ」または「西独(せいどく)」と呼んでいた。報道番組では英国を「大きい方のブリテンの連合王国および北アイルランド」と呼ぶことはなかった。もっと酷いのは、ネーデルラント王国をオランダという「州名」で呼んでいるテレビ局は同国を侮辱しているのか? 「オランダ女王」は連邦全体の君主であり、「オランダ州」という地方の君主ではない。

  言葉の名称でも朝鮮人に対して遠慮している。日本のマスコミは「朝鮮語」を必ず、「韓国語」と呼ぶ。しかし、両者の違いはほとんど無い。それよりも、日本語の方が複数言語の塊だ。「津軽弁」と「薩摩弁」を外人の前で話したら、とても同じ言語とは思わないだろう。それぞれの方言をそのままカタカナで表記したら、日本人だって何を言っているのか迷ってしまう。しかし、我々はどんな方言があろうとも「日本語」としか呼ばない。イングランドの言葉を、アメリカ合衆国やカナダ、オーストラリア、インド、ケニアの国民が話しても、すべて「英語」と表記している。「カナダ語」とは呼ばない。同様に、我々はオーストリア人が「ドイツ語」を話したからといって、「君、オーストリア語と呼びなさい」などと他人を注意しない。しかし、南鮮人に対しては殊のほか気を使っているのだ。なぜだ? 差別反対主義者は根拠を示して説明すべきである。

  朝鮮人に媚びる日本人でさえ、朝鮮人に対して無意識の侮蔑感情を持っている。一方、朝鮮蔑視の日本人を憎む在日朝鮮人も、自らの文化や民族を恥じているのだ。朝鮮半島の外で育ってしまうと、客観的に朝鮮を見ることができ、大衆文化やファッション、行動様式(エートス/ethos)の点で朝鮮と外国を比較できる。在日朝鮮人は心の底で朝鮮民族やその文化を「ダサい」とか「野暮ったい」と感じてしまうのだ。同胞への愛情があるのに、「彼らと一緒にされたくない」という拒絶反応が芽生えてしまう。「民族意識を大切にせねば」という焦りから、鮮人の親は無理矢理娘に、あのダサい「チマチョゴリ」など着せたりする。しかし、朝鮮人娘は内心嫌だろう。正直な鮮人女性なら、顔から火が出るほど恥ずかしい。でも、民族の裏切り者にならぬよう、顔で笑って心で泣くのだ。朝鮮の民謡に合わせて太鼓を叩いたり踊ったりする姿を、日本文化に染まった若い朝鮮人は好きではない。やれパンソリだ、アリランだとはしゃぐ朝鮮老人を毛嫌いしているのだ。こんな朝鮮人文化を日本人に見られてしまうと、日本人になりきってひっそりと暮らす帰化鮮人はたまらなくなる。帰化しようか迷っている朝鮮人なら、もっと複雑な感情を抱いているに違いない。在日朝鮮人はそうした劣等感を皆共有しているから、日本人に馬鹿にされぬよう皆で徒党を組む。自国文化を恥じる朝鮮人は、どうしても自尊心が傷つきやすいから、余計に突っ張る。日本人と朝鮮人の対立は、話し合いで解決がつくものじゃない。朝鮮人とは細胞一つ一つに「朝鮮印」が刻まれている種族なのだ。

  朝鮮人が不良になるのは、その出自と劣悪な環境も影響している。親が多少まともでも、周りにいる朝鮮人の子供たちが“ワル”揃いなのだ。朝鮮人が多数住んでいる大阪について李青年は言う。「朝鮮人の友だちができるわ。そういうのと遊んでいるうちにまたグループになってかたまりだすんだな。これはもうふしぎなもんだ。遊びにいくといえば悪いことばっかし、良いことはひとつも覚えんよ。酒も覚えたし、タバコもその頃覚えたし・・・そして飲みに行くとか、また金もうけのおもしろ味がわかったんよ。」彼が付き合った遊び仲間が、ヤクザだったりする。ヤクザとつるんで遊ぶと、映画館からバーまで全部タダで、「顔」だけてどこでも入れる。李青年にとっては魅力的だったという。「悪い道に入るなんて簡単に入れるよ。そのときできた友達が全部ヤクザ関係やったろ。悪いこといろいろやったよ。今考えるてもドキッとするようなことをやったよ。刑務所行きになるようなことを・・・」(p.162) 在日朝鮮人には、ゴロツキやチンピラ、暴力団組員が本当に多い。ヤクザの組長になる奴まで現れているのに、日本政府は南鮮に追放しないのだ。米国のFBIだって在日朝鮮人ヤクザをリスト・アップしているにもかかわらず、厄介なことになるので政治家は無視を決め込む。どうせ被害を受けるのは庶民だから、平気なのだろう。護衛官が附く政治家に、無防備な庶民の気持ちは分かるまい。

  一般の日本人は朝鮮人駆除を民族差別と考え、在日朝鮮人の一掃をためらっている。しかし、朝鮮人の子供は、日本に暮らすから性格が「いびつ」になって、どうしてもグレてしまうのだ。日本に生まれ育っても、日本人になれるわけではない。帰化したところで、「元朝鮮人」であることに変わりがないので、日本国民とは異質な集団と分類されてしまう。創氏改名で朝鮮名を奪われたとか、強制連行で日本に住むようになったとか、捏造を基礎とする定住しかできない朝鮮人が立派になれるはずがない。朝鮮の言葉や文化を守るためにも、朝鮮人は日本を去り、祖国朝鮮(南鮮)に帰るべきだ。それに、日本政府は朝鮮人の安易な帰化申請を受理すべきではない。帰化人が増えるということは、日本の崩壊を助長することに繋がるので、できれば遡及法を用いても、朝鮮人を排除すべきである。日本はアメリカ法理学によって、禁断の「遡及法」を手にしたのだから、それを利用すべきである。(東京裁判でアメリカ人が遡及法で日本人を裁いたのだから、戦勝国からは文句は出ないだろう。それにマッカーサー憲法を未だに保持しているのだから、日本人に遵法精神は無い。) 日本人は非情な決断を避けるため、将来の禍根を残してしまう。為政者は長期的利益を考えねばならない。朝鮮人が鼻水垂らして泣き叫ぼうが、我々の祖先が犯した「朝鮮人特別永住」という誤りを正さねば、将来の子孫にツケを押しつけることになる。日韓併合を非難する朝鮮人は、千年の怨みを持つというから、2910年くらい、すなわち第30世紀まで日本に文句を言い続けるだろう。でも、その頃までには日本人は朝鮮人に征服されているかも知れない。




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