厄介な外来種を抱えた日本

  日本人が在日朝鮮人に弱いのはなぜか? どうして彼らに言い負かされて、反論できないのだろうか? 答えは簡単。日本人が朝鮮史を勉強していないから。戦前の朝鮮統治時代や戦後の在日鮮人を知らないのだ。中学生のお嬢ちゃん良い子の少年諸君が、手にして分かる説明書が無いからしょうがない。高校や大学でも、戦後の朝鮮人や共産主義者について教えないから、卒業生はある日突然、朝鮮人から非難されてオロオロするばかり。「勉強は自分でやれ」と命じても、朝鮮人について貴重な時間を割くのは嫌だ。スポーツをしたり、趣味に興じる方が有意義である。なにも私的時間を使って朝鮮人の顔を見ることはない。恋人や桜でも眺めていた方が嬉しいぢゃないか。受験生でも西洋史や英米文学を専攻するが、朝鮮学科になんか進まないだろう。しかし、現代の日本政治を理解するには、嫌なことでも勉強しなきゃ。それに、在日朝鮮人のトンデモない過去が分かれば、彼らに引け目を感じることはない。堂々と彼らを反論してやればいいのだ。

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(左:人力車に乗る朝鮮の両班/中央と右:日本統治以前の朝鮮人)

  戦前、朝鮮人が渡来してきた理由は、半島での生活難、出稼ぎ労働、漠然とした金稼ぎ、などが8、9割を占め、概ね下層階級の者が多かった。出稼ぎ根性と怠惰性から定着する者は極めて少なく、職場を転々としたり、絶えず日鮮間を往復していたのである。出身地別で見てみると、日本に近い慶尚南道と全羅南道からの朝鮮人が多かった。職業には鉱山人夫、建設の土方、日傭い人夫といった筋肉労働がほとんど。生活形態は、多数の世帯が一戸に群居するのが普通だった。今の下層支那人労働者と同じだ。内地(日本)で朝鮮人の評判が悪かったのは、一例を挙げると、家賃を滞納する鮮人が大家と諍(いさか)いを起こしたからである。朝鮮人の若者は、日本の「植民地支配(実際は併合)」を口汚く罵るのに、日本留学へ憧れる者が多かった。朝鮮独立を叫ぶのが大好きだったのは、「独立」後の事を想像できなかったからだ。たとえば、架空の話だが、ウルトラマンに憧れた朝鮮人が、サンシャイン60の屋上から月を目指して飛びたいとする。同ビルの警備員が引き留めても、それを身柄拘束か自由の剥奪と朝鮮人は考える。羽を持たない朝鮮人は、ビルから飛び降りて地面に激突。日本人なら、「アホか」と思うが、当の朝鮮人は真剣で、「以前『ドラゴンボール』でクリリンが飛ぶのを観たから、自分も飛べると思った」と理由を語るかも知れない。現実と妄想の区別がつかない朝鮮人は今でも沢山いる。こういうのが朝鮮流独立論で、他の政治論はこれと似たり寄ったり。

  日本人は自分が出来ることは、他民族も出来ると思ってしまう。異民族を肌で知らなかった日本人は、民族格差を理解できない、というより予習していなかった。朝鮮人の生態を確かめずに、「内鮮融和」を推進した日本人は愚かである。朝鮮人の本性が分かっていなかった。朝鮮人は日本人と戦ってもいないのに、敗戦を聞きつけた朝鮮人は「戦勝国民」を勝手に名乗っていた。朝鮮人が日本国民の意識を持っていなかったことは責められることではない。むしろ、日本国民として扱っていた日本人が精神異常者なのだ。昔から、日本の常識は世界の非常識。朝鮮人を“人間扱い”するなんて、日本人はどうかしている。征服した民族は奴隷か、下人(げにん)扱いが世界の常識だ。日本人は気付いていないが、一般家庭で朝鮮人の家内奴隷は何人いたのか? 答え。「いなかった。」アメリカ人が日本の朝鮮統治を「植民地支配だ」と批判するのは、異民族を支配したら、被征服民を奴隷扱いするのが当然だからだ。「日本人は朝鮮人を黒人みたいに酷使したに違いない」と、つい考えてしまう。黒人女中を手込めにした白人の奴隷所有者は、日本人も朝鮮女を台所や納屋で強姦したに違いない、と考えてしまう。まさか、被征服民族を同等の国民や貴族にするとは考えない。宇宙から来たバルタン星人だって日本語を喋るのが日本のテレビ番組。(確か、タバコを吸う宇宙人も登場していたなぁ。)アメリカ人なら宇宙人は英語を喋るのが“グローバル・スタンダード”だと思っている。征服された朝鮮人が同等国民だなんて、“ユニヴァーサル・スタンダード”に反している。

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(左:フランシスコ・ピサロ/右:スペイン人に懇願するインディオ)

  日本の朝鮮統治について、ちょっとだけ言及すると、圧政に苦しんでいた李朝の朝鮮人より、朝鮮を併合した日本人の方が不幸だった。豊臣秀吉は明朝支那を征服すべく、朝鮮に兵を進めたが、派遣された武将たちは大迷惑。加藤清正や小西行長に同情してしまう。(上様の気まぐれに従う家臣はつらいもんだ。) 結局、断念して帰朝(日本に戻ってくること)すると、恩賞は無いに等しい。だって、朝鮮の領地なんて誰も欲しくない。後のことだが、尾張生まれの清正公は熊本の領地をもらって嬉しかった。領民だって大歓迎。(築城の名手のお陰で今も熊本県民は潤っている。)やっぱり日本の土地でなきゃ。ジジィの褌(ふんどし)より汚い朝鮮の土地なんか、気持ち悪くて要らないし、あの“しょぼくれた”朝鮮人附きなら、「妖怪ウォッチ」プレゼントでも嫌だ。朝鮮を併合して、どんな金銀財宝が手に入ったのか? 「京美人」でさえ及ばない“うっとり”するような「朝鮮美女」がいたのか? イギリス人がインドを征服したら、かの地には宝石や財宝が一杯あって、英国紳士は大喜び。南米大陸を征服したスペイン人も、インディオの装飾品や財宝を奪ったし、銀山まで発見して大金持ちになった。それをちょっと紹介する。

  ある時、エルナンド・ピサロのもとに、クスコから金を持つ二人のスペイン人が到着した。クスコの館の壁から黄金の板約500を剥がしたもので、小さい板でも4ないし5リブラ(ポンドにあたり、約373グラムに相当する)もあった。薄い板でも10ないし12リブラほどの重量があったらしい。クスコの太陽神殿インティカンチャに飾られていた黄金の板は豪華だった。非常に良質な金で作製された(背もたれの無い)腰掛け椅子もあったという。また、金を全体に施した大皿もあり、巧みな技で造られ見事な工芸品だったらしい。これらを溶かして、金を合計したところ、250万ペソに上ったが、良質の金に還元すると132万ペソあまりとなった。そこから国王陛下への献上額に当たる5分1、つまり26万ペソが差し引かれた。銀の方は5万マルコであるから、国王陛下には1万マルコが送られてわけだ。(フランシスコ・デ・ヘレス/ペドロ・サンチョ 著 『インカ帝國遠征記』 増田義郎 訳 中公文庫 2003年 pp.141-142)

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(左:ウォーレン・ヘイスティング総督/右:大英博物館)

  日本人はどのような財宝を朝鮮人から掠奪したのか? 朝鮮の金銀財宝で大富豪になった日本人の名前を朝鮮人から教えてもらいたい。朴槿恵なら知っているんぢゃないかな。「千年の恨み」をもつ大統領らしいから、さぞかし日本人略奪者に詳しいのだろう。ブリテンには大英博物館という、別名「大英盗品展示館」というのか存在し、世界各地で蒐集(しゅうしゅう)した(あるいは盗んだ?)美術品や歴史的遺物を披露している。日本には「大日本帝國博物館」というのがあるのか? (筆者は知らないので誰か教えて下さい。) 売国民主党は2011年、朝鮮王室儀軌を南鮮人に渡してしまった。日本人が大切に保存していた貴重品を、あの図々しい朝鮮人に“ほれよっ”と与えたのである。日本人だから、正式に取得した物を鄭重に保管していたのだ。朝鮮人は自国の歴史的遺産をぞんざいに扱っていたし、大切に保存しようなんて思っていなかった。支那人と同じだ。日本人は貴重な税金と優秀な人材を朝鮮人のために使っていた。「搾取」されたのは日本国民の方である。しかも、宝石さえ強奪できなかった日本に、あの下劣な朝鮮人が渡ってきたのである。朝鮮人に接した日本の庶民がゾッとしたのも当然だ。日本政府はどうかしている。

日本の敗北で有頂天になった朝鮮人

  敗戦は我が国にとって大打撃どころか、未曾有の惨事であった。しかし、不幸中の幸いが一つある。それは朝鮮人との腐れ縁が切れたことだ。明治の日本人、もっと露骨にいえば、山縣有朋らの軍部が強引に行った日韓併合が、敗戦という悲劇で解消されたのだ。大日本帝國の崩壊と引き換えに、疫病神だって三舎(さんしゃ)を避ける朝鮮と手を切れた。(お化けでも恐ろしくて近づかない。だってニンニク臭いもの。) 敗戦が無ければ第21世紀まで、朝鮮統治(日本人搾取政策)が続いていたんじゃないか。アメリカ占領軍が朝鮮人の帰郷を命じたことは日本人にとって良かった。日本人なら朝鮮人追放は不徹底に終わり、しゃがみ込んで「帰らない」とゴネる朝鮮人に根負けしただろう。一旦住み着いた外人を排斥するのは難しい。敗戦の混乱と昂奮の中で秩序ある引揚は中々はかどらず、下関や博多に殺到滞在する者も多かった。こうして帰鮮引揚者は940,438名でその他統計漏れで40万人と推定された。この間、たんなる民間団体の「在日朝鮮人連盟」は、いずれも勝手極まる帰国同胞援助を行い、各地で引揚者名簿を作り、帰国証明書を発行し、財産管理にあたった。そして各地で日本官憲の無気力に乗じて、列車や船に乗せる世話まで行い、常に横暴きわまりない振る舞いで人々の顰蹙を買ったという。(坪井豊吉 『<戦前戦後> 在日同胞の動き 韓国人(朝鮮)関係資料』 自由生活社 1975年 p.14/ 以下この資料を参照) 今でも腹立たしいが、朝鮮人のゴロツキ集団は、引揚朝鮮人や日本人を相手に暴行、掠奪、横領、脅迫を行っていたのだ。

  在日一世の嘘を信じる戦後世代の若い朝鮮人は、戦時徴用を「強制連行」と言い換えて、「奴隷的労務」にしたがる。しかし、同じ国民という原則なのに、朝鮮人を例外にして徴用しなければ、そのほうが差別と特権になってしまうじゃないか。昭和14年から20年まで動員された朝鮮人は、合計約72万人(724,787人)で、そのほとんどは終戦後祖国に帰っている。帰国せずに日本へ残った朝鮮人は、日本での生活が楽しいからとか、闇市で儲けたからという本音を隠し、子供や孫に偽りの来日物語を教えていたのだろう。朝鮮人は戦後になってからも、「悪党の国」日本にやって来た。正規入国者は昭和24年だと79人だったが、26年には1,035人となり、28年に至っては3,772人に増え、29年でも3587人だった。もちろん出国した者がいたので全員留まったわけではない。ところが、不正入国者の方は正規入国者より遙かに多かった。昭和22年には6,010人、23年だと7,978人、24年になれば8,302人に急増し、25年でも2,434人いたのだ。(p.12) 当然、ほとんどの者が捕まり、強制送還となったが、ネズミのように姿を眩ました者も多かったのではないか。上記の数字は、不正入国を「発見された」者の人数であり、逮捕されなかった朝鮮人の数は把握されていないのだ。混乱しているうちに、日本へ潜り込もうとしていた朝鮮人がかなりいたことは事実である。

  朝鮮人は「強制的に日本人にされた」と嘆いてみせるが、心の底ではそれを歓迎していた。本当に嫌なら、着の身着のままでも日本を脱出したはずだ。カイロ宣言では「朝鮮を自由かつ独立のものとする」ことが謳われた。しかし、連合国の首脳がそう取り決めたからといって、自由になった朝鮮が「豊か」になったわけではない。だから、在日朝鮮人は帰国か残留かを迷った。占領軍総司令部(SCAP)は台湾人や朝鮮人を「解放人民」として扱うが、必要な場合は敵国人として扱うことにした。いわゆる第三国人になったわけだから、朝鮮人はもはや日本国民ではないのだ。それでも、日本政府は朝鮮人を「準国民」と見なしたのである。実際、昭和21年11月20日の渉外局発表は「引揚を拒絶した朝鮮人は、日本の法律と規則に服従しなければならない」とし、在日朝鮮人の法的地位を規定した。そして、「日本人と同一の権利」があるとしてもらったのである。昭和22年5月2日の外国人登録令で「朝鮮人は当分のあいだ日本人とみなす」とされたことは重要。これによれば、朝鮮人は日本の行政・司法権のもとに置かれたということになる。警察官に逮捕されることもあるし、法律を遵守せねばならない。また、「当分のあいだ日本人」なので、いずれ時期が来れば帰国するという意味が含まれている。二世三世あるいは五世まで永住できると想定して、作成された法令ではなかった。在日10世が出現すれば、何か王族みたいだ。日本人の常識では、親切心から、ある人に「当分の間、ここに泊まっていいよ」と許したからとて、それを半世紀のスパンで考える人はいない。地震で困った人を自宅に呼んで仮の宿にさせても、50年以上居座る奴はいないだろう。一週間もすれば自分から去るのが日本人だ。

在日朝鮮人の組織が出来る

  徒党を組んで暴れることは朝鮮人の十八番(おはこ)だ。呆れるほど潜在能力(ポテンシャル)に欠ける朝鮮人は、地道な努力と建設的発展ができないくせに、やたらと威張り散らし、身の丈に合わぬ生活をしたがる。見栄と面子が命で、スカンピンになってもお金持ち気取りを止めない。“アカンタレ”の典型だ。中身の無い演説と虚言が得意で、自分が如何に偉大で有能かを自慢する。しかし、その実態が暴露されれば、なりふり構わず激怒する困り者。まぁ、天地創造の際に神様が、くしゃみでもしてウッカリ拵えた失敗作じゃないか? 朝鮮人は創造となれば、からっきしダメだが、破壊だけは三度の飯より大好きで、竜巻が迫っても止めない。木片が頭に刺さって気づく激昂型。そんな不逞鮮人200万は日本の敗戦に直面するや、いよいよ“独立”だと大喜び。単純「馬鹿」は幸せだ。健康な痴呆民族に悩みは無い。日本人という監視役と指導員から解き放たれた朝鮮人労務者らは、職場である鉱山や事業所で就業を拒絶し、帰国を急いで乱暴狼藉をはたらいた。そしてお得意の掠奪、脅迫、監禁、暴行を全国規模で起こし、朝鮮を目指して西へ西へと進軍した。

  日本各地で小さな朝鮮人団体が発生したが、やはり東京に棲息する朝鮮人が呼びかけた民族集会が代表的な組織となった。昭和20年8月には、一心会の権嚇周(権藤嘉郎)、鄭寅学(丸山修司)、李在東(木原茂)ら従来の指導者によって、東京杉並区に「在留朝鮮人対策委員会」が設置され、渋谷区には「在日本朝鮮人帰国指導委員会」が組織された。神奈川県川崎には「関東地方朝鮮人会}ができるし、大阪だと生野区に「在留朝鮮人対策懇談会」が組織された。あれやこれやと色々な団体が集結して、9月に「在京朝鮮人全国協議会」が開催された。こうして10月に「在日本朝鮮人連盟(朝連)」が結成され、趙得聖(白川一宇)が委員長になり、権嚇周が副委員長に就任した。ところが、ここに左派や共産主義者が加わって、いつもの揉め事が起こるのだ。

Korean_shout_Manse(左/抗議デモを行う朝鮮人)

  朝鮮人が政治活動をすればロクなことにならない。戦前刑務所に入っていた朝鮮人は、共産主義者か無政府主義者でなければ、ゴロツキか殺人・強盗犯といった悪党ばかり。敗戦で左翼運動は活気づいた。昭和20年9月24日には、金斗鎔、宋性徹、朴恩哲らが中心となり、右派や日本人共産主義者を加えて、「政治犯釈放運動促進連盟」を結成した。彼らは総司令部と法務府に赴いて、政治犯と思想犯の釈放を陳情すると共に、釈放促進を訴える檄文をばらまいた。日本に住み着く朝鮮人が政治に目覚めれば、それは共産主義しかなかった。二等国民の朝鮮人が、日本の指導者になれるばすはない。もともと頭の悪い朝鮮人は、論理的思考が求められる学問に向かないので、破壊と暴力を主題とする共産主義なら得意科目にできた。数学だと厳格な定理や公式を理解しなければならないが、共産主義なら「打倒日本」とか「人民を解放せよ」とか叫べば合格となる。暴力団員になるのに受験は要らないだろう。低能児や落第生も出世できて、左翼グループの幹部になれは気分が良い。創造的仕事に向かない朝鮮人には、おあつらえ向きの思想である。

  朝鮮人は日本が憎い。だから朝鮮に帰らず、日本に留まり悪事を重ねるのだ。祖国朝鮮に帰ったら、海外からの日本攻撃となり、その効果が薄れてしまう。やはり、日本国内で活動した方が、日本人を弱体化できる。しかし、直接対立するよりも、日本の反日勢力を矛として使った方が悧巧だ。日本共産党から社会党に乗り換え、社民党が落ち目になれば、民主党に吸い付く。党員増強を図る公明党は、朝鮮人におもねる。創価学会の池田大作が、朝鮮人に擦り寄っていたのだから、朝鮮人獲得は学会の方針でもある。外来種は他国で金儲けに邁進するのが鉄則。お金で敵国の政治家を買収できるからだ。1億円献金しても、100億円の見返りがあれば、いい投資となる。支那人や朝鮮人はこぞって日本の政治家を手込めにするのだ。“銭”は“権”に通じる。権力構造を判っているパチンコ屋は、だから退職警察官を雇うのだ。朝鮮人の日本人抱き込みは、敗戦後とくに顕著であった。

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(左:徳田球一/中央:志賀義雄/右:金天海)

  共産主義者にとって、日本の敗戦は朗報だった。敵(日本)の敵(米国)が勝ったのである。そして、悪魔が牢獄から解き放たれる瞬間が訪れた。パンドラの箱が開かれたようなものだ。昭和20年10月、徳田球一(とくだきゅういち)や志賀義雄(しがよしお)、袴田里見(はかまださとみ)らの札付きワルだけではなく、朝鮮人共産主義者である金天海(きんてんかい/本名: 金鶴儀<かくぎ>)も一緒に、府中刑務所から釈放されたのだ。この日、朝鮮人を主とする400名が赤旗を持って、府中刑務所前へ出迎えに駆けつけた。徳田と志賀は凱旋将軍のように挨拶し、金天海も激しいアジ演説をぶっていた。「日本帝国主義と軍閥の壊滅、天皇制の撤廃、労働者と農民の政府を樹立すること、朝鮮の完全な独立と、民主政府の樹立」などが力説されたが、要は日本と朝鮮の極悪人が結託したということだ。共産主義者というのは、歯の浮くような「人民のための政府」を口にするが、裏ではゼニと権力が欲しいだけの下郎で、朝鮮人から多額のゼニを貰っていたのである。ホクホク顔の徳田球一は、早速感謝の印として、「日本共産党拡大強化促委員会」を作り、一緒に日本打倒を目指した。当時、共産党の日本人は約180名で、朝鮮人党員は約100名であった。

  共産主義者の金天海が出所してくると、朝連内部では左派陣営が地盤を強化し始めた。朝連中央委員会でも彼らの発言権が強まり、日本に対する妥協的な姿勢を持つ“右派”の追い落としにかかった。10月に行われてた連盟結成大会では、「朝鮮民衆新聞」の創刊号やビラが配布され、「親日派と民族反逆者を朝連から徹底的に一掃せよ ! 」と力説されていた。昔から、朝鮮人は政敵を攻撃する際、「親日派」という合い言葉を使う。相愛会、協和会、一心会、興生会の幹部は、“日本寄り”と目され、「吊し上げ」の標的にされたのである。一心会の権嚇周らの右派幹部は、十数名の左派青年により糾弾され、激しく罵られた後、ついに殴打されるまでになった。暴行を受けたうえに監禁さけた幹部を見て、他の右派鮮人らは左派の暴力に震え上がったという。(p.84) こうした左派の背後には、もちろんソ連の陰謀が働いていたのである。

朝鮮人団体の内ゲバと分裂

  日本に蔓延(はびこ)る不逞鮮人を「右派」とか「左派」と分類しても、日本人にとったらどちらも有害な外来種であり、色分けしても仕方ないが、便宜上彼らを区別する。朝連が共産系の左翼陣営に乗っ取られると、劣勢に立たされた徐鐘美や金相浩、朴元淳、許龍雲らは、旧親日派の反共幹部に呼びかけて、昭和20年11月に「朝鮮建国促進青年同盟(建青)」を結成したのである。(p.259) 金容太が委員長に就任し、徐鐘美が庶務事務班長、李在東が財政班長になってりしたいた。しばらくすると、朝連に浸透していた「朝鮮建国促進青年同盟」の一派は、共産主義者に牛耳られた組織に嫌気がさしてくる。そこで彼らは、朝連組織から脱落した右派幹部を糾合して、昭和21年1月に「新朝鮮建設同盟(建同)」を結成したのだ。それというのも、前年(昭和20年)11月27日、秋田刑務所から朴烈(ぼくれつ)が釈放されていたからである。日比谷で開かれた朝連結成大会に集まった約4千名の群衆は、閉会後司法省までデモを行い、テロリス犯朴烈の釈放せよと要求したのである。「要求」といっても朝鮮流の脅迫と暴力であることは言うまでもない。芸能界を見れば分かるが、朝鮮系藝人は派閥作りに熱心だ。在日藝人はよく群れる。昔も同じ。建青の朝鮮人らが、朝連から共産党の左派を除名せよ、と主張していたところ、朝連青年部約100名は神田神保町の建青本部に殴り込みをかけた。トラックに乗った青年部の朝鮮人が、本部事務所を襲撃し、破壊と暴行を繰り広げ、双方共に負傷者を出したのだ。まったく朝鮮人ってのは、日本で騒ぎを起こして、いつも日本人に迷惑をかける。

  こんにちの南鮮を見れば分かる通り、“内ゲバ”が起きると朝鮮人は張り切る。朝連の金天海、金斗鎔(きんとよう)、朴恩哲(ぼくおんてつ)などの共産主義者は、組織内の共産化を促進する目的で、邪魔な右派を粛正しようとしたのだ。理由は何でもよく、「親日派」「反逆者」「民族の敵」を口実にして、刃向かう勢力を追放したのである。全国にあった朝連支部でも、粛正作業が指示され、李在東、鄭寅学、権嚇周、朴春琴ら多数が襲撃されたのだ。この命令の下、拉致、監禁、拷問も行われたらしい。そこでは、いわゆる人民裁判方式がとられ、情け容赦の無いリンチが加えられたという。こうなりゃ右派だって黙っちゃいない。共産主義者を追い出せ、と叫ぶ建青行動隊と、民族の敵を一掃せんとする左派の朝連青年隊は衝突し、毎度恒例の乱闘騒ぎが勃発した。カッとなると理性を失う朝鮮人は珍しくない。建青派の丁賛鎮が、持っていた拳銃を発砲した。気違いに刃物じゃなかった、飛び道具。しかし、丁は朝連側に捕まって縄で縛られてしまう。すると、壇上に引っ張り出されて人民裁判にかけられたという。朝鮮人というのは、支那人の子分だから、やることは親分と同じだ。

  自然科学分野ではからっきしダメな朝鮮人でも、喧嘩となったら水を得た魚か、ブレーキの壊れた暴走機関車となる。丁の捕縛を見た建青派の鄭哲が「人民裁判とは何事だ」と壇上に駆け上がり、反対演説を行おうとしたところ、再び朝連青年隊と乱闘になってしまった。すると、鄭哲は持っていた拳銃を取り出し、数発発射して朝連青年隊の一人に重傷を負わせ、丁賛鎮を救って逃走したそうだ。(pp.97-98) ヤレヤレ、まったく。気違い鮮人に銃を持たせるとロクなことにならない。拳銃じゃなくて朝鮮人が兇器となってしまう。朝鮮人の喧嘩は毎度のことだけど、日本でなく朝鮮に戻ってからやってくれ。こんな連中を日本人に同化させようとした明治の日本人は反省すべきだ。異民族との共存なんてあり得ない。

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(左:若い頃の朴烈/中央:金子文子と一緒の朴/右:出所後の朴烈)

  日本で左派が勢力を持ち始めれば、本国朝鮮の共産党だって、ならず者の在日鮮人を利用してくる。朝鮮民主主義民族戦線が結成されるというので、日本からも裵哲(ぺてつ)、金天海、金斗鎔、李秉皙(りへいせき)らが駆けつけたらしい。こうして在日組織に北鮮の手が入ってきたのである。在日本朝鮮人連盟が金天海の出獄によって左傾化すると、38度線の撤廃と祖国統一を掲げる建青は、在日同胞を代表する真の団体を求めた。そこで、左傾化を不満に思っていた朝連の脱落組と建青の穏健派は、テロリスト前科者たる朴烈を担ぎ出そうとしたのである。朴烈を委員長に据えた李康勲、元心昌、権嚇周らは「新朝鮮建設同盟(建同)」の幹部に納まった。(p.246) 祖国統一を基本綱領に盛り込んだ右派の「建同」は、朝鮮右翼団体と居留民の結束を模索し、新たな組織を作るため準備委員会を発足させた。昭和21年10月3日、日比谷公会堂で結成大会が開かれたのだが、ここにも朝連の「嫌がらせ」があった。朝連は青年部から数十名の“暴力団員”を大会に潜入させ、騒擾を起こして妨害したという。しかし、MPが介入したので、大会は予定通り進行されたそうだ。こうして「在日朝鮮居留民団」が結成され、朴列が中央総本部団長となり、副団長に李康勲が就き、元心昌が事務局総長となった。注目すべきは、この朝鮮人たちは図々しくも、事務所を赤坂区青山の陸軍大学跡に設置したのだ。しかし、昭和21年12月、占領軍の命令で、牛込区若松町の旧陸軍経理学校跡に移転することとなった。(pp.250-251)

  ソウルの大韓民国臨時政府と交渉することになった朴烈は、在日同胞の擁護と指導をすることとなり、杉並区高円寺に「大韓国民会議駐日弁事公処」を開設した。するとまもなく、大韓民国臨時政府は、昭和22年4月に、朴烈を国務委員(大臣に相当)に任命したので、朴烈は本国の国務会議にも出席できたのである。李承晩から認められ、彼の激励を得て日本に舞い戻ってきた朴烈は、大韓民国の誕生をもって「大韓民国居留民団」と改名された組織の団長に就任した。この居留者団体が後に「在日本大韓民国団」、いわゆる今日の在日韓国人が集まる「民団」になったのだ。冷戦時代反共の韓国に連なる「民団」だから、北鮮の「朝鮮総聯」とは違うと見なしていた日本人保守派がいたが、民団とは元々テロリストを代表とする極悪団体なのだ。むしろ、反日を国是とする南鮮のフロント組織であり、日本を内部から攪乱させようとする工作機関である。

  共産主義の北鮮と連動する在日本朝鮮人連盟は、様々な下部組織をもっていた。敗戦直後には各地の朝鮮人団体には、青年行動隊、自衛隊、自治隊、突撃隊などが組織され、日本人相手に大暴れしていたのである。「青年組織」と言えば響きが良いが、その実態は若いゴロツキ集団で、掠奪・暴行・殺人を平気でこなす愚連隊であった。そこで、朝連はこれらの青年組織を統制し、あらゆる運動の便利な駒にしたのである。傘下におかれた各地の青年自治隊は、一定の制服を着用、あるいは腕章を附けて自警団のように振る舞った。掠奪や恐喝などの不法行為を行う中心的役割を担った。(p.169) 朝連青年部の綱領を読めば馬鹿らしくなってくる。たとえば、いくつか挙げてみよう。

 「封建的帝国主義残存勢力を徹底的に打倒する」(日本で封建制はとっくになくなっていることに気付かない馬鹿な朝鮮人は勉強しろ。)
 「進歩的民主主義を高揚する」(退嬰的な朝鮮人が言うな。民主主義なんて経験したこともない朝鮮人に向かって言え。)
 「祖国の敢然自主独立に協力する」(つべこべ言わずに、さっさと祖国朝鮮に帰れ。本国で朝鮮独立のために戦え。日本でぬくぬくとした生活を享受するな。)
 「国家全額負担の義務教育制度の実施」(なぜ日本政府が朝鮮人の教育にお金を出す必要があるのか? 朝鮮の臨時政府にでも頼め。さんざん日本人から掠奪したくせに、教育費まで要求する朝鮮人は、豪邸を要求する囚人以上に図々しい。) 
 「人身売買絶対反対」(なら朝鮮人の売春婦に呼びかけろ。敗戦後、日本人女性をさんざん強姦した朝鮮人が言えたものか? 同胞の性犯罪者をまず叱れよ。淫売を買った朝鮮人はいなかったのか? 嘘つくな、鮮人 ! )
 「全人民の平等と特権反対」(差別が日常の朝鮮人が口にするとは笑止千万。金日成に言ってやれ。在日特権を持っていた朝鮮人は、それを返上して朝鮮に帰れ。)(以上「朝鮮青年」創刊号からp.170)

  敗戦による日本警察の弱体化により、朝鮮人はやりたい放題だった。だから、日本人は朝鮮人を毛嫌いし、不逞鮮人として憎んだのである。「第三国人」と聞いて朝鮮人が癇癪を起こすのは、こうした暗い過去が蘇るからであろう。

  組織を創設する時、朝鮮人は掛け声は勇ましく立派だが、肝心の中身が伴わない。昭和22年3月に東京京橋公会堂で「在日本朝鮮民主青年同盟」結成大会が開かれた。そこで採択された綱領はアホらしい念仏の羅列である。たとえば、「われわれは絶対的な男女平等を主張し、とくに青年の政治的自由と経済的利益、民主主義民族文化建設のために闘争する」とある。朝鮮人家庭では、女は下女扱いで、他家からの嫁など無賃女中よりもこき使われるのに、何が「男女平等」だ。上下関係が厳しく、高圧的な社会を嫌がっているのは朝鮮人自身だ。また、「・・・真理を探究して、青年男女および少年少女に対する科学的知識の普及と、文盲退治事業に努力する」とあった。(p.172) これって何らかの漫才か? 真理・真実はどうでもいい朝鮮人は、歴史を偽造しているじゃないか。朝鮮人の子供に科学的知識が普及したのか? 「パクリ」文化しかない朝鮮で、科学的大発見など無い。文盲退治と言うが、実際に無知蒙昧な朝鮮人を啓蒙したのは「朝鮮総督府」じゃないか。それに、日本に住み着くから朝鮮人に教育の機会があったのだ。朝鮮に帰ったら、米軍相手の慰安所で働くしかない鮮人少女がほとんどだろう。日本はアラジンの魔法のランプみたいだ。朝鮮人が願いを唱えれば実現される。これなら南鮮に帰りたくないはずだ。

朝鮮人強制送還が特効薬

Koreans Repatriation_of_Koreans_from_Japa(左/朝鮮人を乗せる帰国船)
  在日特権の象徴となったのが、朝鮮総聯の免税特権だ。日本人なら税務署に所得を申告しなければならないし、脱税容疑があれば国税の査察を受ける。しかし、朝鮮人は朝鮮総聯が在日鮮人の代表機関になり、税務署に対して交渉を行ったのだ。在日鮮人がどんなお金を稼いでいるのか闇の中だった。パチンコなどの賭博業で、荒稼ぎをした朝鮮人がいたはずである。こんな特権が発生したのも、朝鮮人工業界や朝鮮人経済連盟という団体が存在したからだ。昭和20年12月、この二団体が合併して「朝鮮商工会」となり、3月には全国の商工業者代表が集まって、「在日本朝鮮人商工連合会本部」が結成されたのである。この創立目的は、「在日商工産業の親睦連絡と新朝鮮の建国に寄与する」ことにあった。(p.220) つまり、全国の朝鮮商人や職工がつるんでカルテルを結んだということだろう。朝鮮人どうして経済活動資金を工面してやったり、仕事を紹介・融通してやったりして共存繁栄を図ったということだ。しかも、北鮮を支援する資金を貢いだ、ということは重大である。今風に言えば、テロ国家支援を行っていた組織で、日本の敵国を育成していたのだ。こうした連合会は、生活物資の“獲得”と“減税闘争”を指導していたのである。(p.221) 朝鮮人による生活物資の調達とは、力ずくで日本人から物資を奪う事を意味し、闇市で物資を売ってボロ儲けすることでもあった。減税闘争とは、朝鮮人個人ではなく、朝鮮人団体が税務署に対して、「朝鮮人差別」や「朝鮮の植民地支配」を武器にして、税金を払わなくて済むように脅迫することを指している。ヤグザと同じ“ドス”を利かした朝鮮人幹部の前では、日本の役人なんか「キャン」とも吠えぬ仔犬と変わらない。試験だけで採用された役人が、筋金入りの恐喝屋とか人殺しも辞さない朝鮮ゴロに反論できるわけないだろう。

  第三国人の身分を利用した朝鮮人の横暴には、日本人のみならす占領軍でさえ我慢の限界を超えるものがあった。朝鮮人の具体的悪行は後編で述べるが、日本の警察官を襲撃したり、アメリカ占領軍に対しても暴行をはたらく無法者が数多く現れたので、占領軍総司令部もその重い腰を上げたのだ。法務府審査局は在日朝鮮人連盟や在日本青年民主青年同盟、在日本大韓民国居留民団宮城県本部、大韓民国建国青年同盟塩竃本部に解散命令を下した。民団宮城県本部の団長たる朴四次は、昭和24年7月8日、朝連の裵開東を殺害し、逮捕起訴された。同民団は日常的に反朝連のビラをばらまき、これを巡って民団塩竃支部では朝連側数名に集団リンチを加えたのである。これは団体等規制第2条第1号第7条に該当するので、同令第4条により解散させられた。建青塩竃支部も、反朝連ビラを貼りまくり、朝連員を建青事務所に連行し、民団員と共に暴行を加えたのだ。しかも、傷害を受けた朝連員を引き取りに来た朝連幹部に対しても、同民団員らは二十数名で集団暴行を加えたのである。(pp..273-274) 暴行事件が絶えない朝鮮人の団体に解散命令が下されても当然だ。内ゲバとなったら収拾がつかない朝鮮人だから、劣勢に立たされた者は命の保証さえ無い。朝連内部で風向きが悪くなった金天海が、密かに東京を脱出して、山陰から香住丸で北鮮の元山へ逃げたのもうなづける。権力闘争に敗れた共産主義者の末路は哀れだ。こうした解散を受けても、朝鮮人はまた別組織を結成したのである。

  まったく、朝鮮人ったら懲りない奴らだ。悪性腫瘍のように各地に転移する。団体役員を公職追放しようが、資金を凍結しようが、日本での活動を諦めて祖国朝鮮に帰らない。坪井氏が指摘したいるように、「在日朝鮮人は、なによりも強制送還をおそれている。したがって、いろいろな動機をとらえて、全面的な強制追放に発展するのではないか考え、反対運動を展開していた」という。在日朝鮮人が読む『解放新聞』には、来日した李承晩が
吉田茂首相と会談した際、「米と交換に日本から武器を送り、また青年の強制徴兵と追放が約束された」とのデマ記事が載ったらしい。(p.303) もう、朝鮮人は真っ青。「エッ、朝鮮に強制送還 !!」どうしよう「アイヤ~」「アイゴー ! (哀号)、 アイゴぉ~う !!」としか言えない。朝鮮人と仲間の日本人「日朝親善準備委員会」は「朝鮮人強制送還陰謀は、世界人権宣言に違反する」と声高に叫んだ。あれ~!? 朝鮮人が愛しい祖国に戻ることが、「世界」で共通の「人権」に違反するのか? 在日朝鮮人は両親や祖父母が生まれた国より、残虐で冷酷な野蛮国日本に住みたがる。強制的に朝鮮に戻すなら、テコでも動かない覚悟。奴隷狩りをした冷酷な夷狄と一緒に暮らしたいのだ。こうした朝鮮人を見ると、我々はつい笑ってしまう。強制送還を提唱する日本人に対して、朝鮮人は真っ赤になって怒るのだ。姜尚中などがテレビ番組で、「日本人は強制的に朝鮮人を併合して、皇民にしたのだ」とほざいていた。在日は仕方なく日本に住んでいる、と言い張っていたが、本人の体験談では違うようだ。彼が学生時代、憧れのドイツ留学をすることになり、日本を発つことになった。しかし、姜尚中は日本に戻ってこれるのか不安に思ったそうだ。確かBS-NHKの“姜さま礼賛”番組だったと思う。(録画テープが見つからない。ゴメンなさい。) 嫌いな日本に戻れなくなったらどうしよう、と不安だった姜尚中は滑稽だ。やはり、朝鮮人を祖国に追放することが、朝鮮人に対する一番有効な攻撃である。相手の嫌がることをすべきだ。福田康夫みたいな「相手の嫌がることはしない」なんていう外政方針ではダメ。

  後編では在日朝鮮人の悪行を紹介するので、気分が悪くなりそうな人はお菓子かプッチン・プリンをご用意ください。



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