国家滅亡の戦争に反対された昭和天皇

  今や日本国籍は投げ売り商品より粗末な扱いだ。バナナの方が価値がある。少なくとも定価があるし、商店でもタダでは呉れない。支那や朝鮮、フィリピン、タイなどから、アジア人が豊かな生活を求めて押し寄せ、あわよくば日本国籍を取得しようと企む。彼らは日本が先進国だからとか、福祉が充実している、または日本人と結婚したから、という簡単な理由で、日本国籍を手に入れようとするのだ。肥だめのような祖国を捨てても惜しくはないから、喜んで日本にやって来るし、いつまで経っても帰らない。本国では棄民(きみん)か厄介者と見られているアジア移民は、日本人としての誇りなど元々無いから、日本がどのような国家になるべきかの理念も無ければ、興味も無い。いわば「根無し草」の居留民である。彼らは我が国の歴史を共有しないし、先人の血統も継承しないのだ。したがって、そんな連中が皇室を尊敬するはずはない。先の大戦で甚大な被害を受けたにもかかわらず、日本国民は昭和天皇への敬愛を捨てなかった。敗戦でどんなに苦しくとも、陛下と共に歩んで行こうと考えた。そこで、偉大な昭和天皇のエピソードをいくつか紹介し、帰化人の精神を論じてみたい。(出雲井 晶 編 『昭和天皇』 日本教分社 平成8年参照)

showa 2  昭和天皇が対米戦争にご反対なされていたことは有名だ。立憲君主制を理解できぬアメリカ人は、「日本のエンペラーは最高軍事指導者だから有罪だ」と思っている。まさか内閣の決定に逆らえぬ君主とは思っていないのだ。『イギリス君主政体(The English Constitution)』を著したウォルター・バジョット(Walter Bagehot)なら、昭和天皇の苦悩を推察できようが、一般のアメリカ人は大卒者でも日本の國體(こくたい/constitution)を理解できる者は少ない。大東亜戦争開戦以前でも、昭和天皇は支那事変を早く終熄させたかったが、陸軍が中々言うことを聞かなかった。それに、共産主義者の近衛文麿が、支那事変を泥沼化させて、日本を混乱に陥れれば、国家体制を左翼官僚による統制経済や全体主義に移行させることができる、と踏んでいたからだ。さらに言えば、戦略的縦深性(strategic depth)がある支那大陸で、支那軍を海岸沿いに追い込むのではなく、奥地に追撃していたのだから、陸軍首脳に支那事変解決の意思はなかったのだろう。兵卒だって分かる。あの天才ナポレオンだって、ロシア遠征で失敗したのだ。直接対決ならロシア軍なんて簡単に蹴散らせるナポレオンも、ちょっと戦っては、退却するロシア兵にやきもき。しかも、野蛮なロシア軍はフランス軍に食糧などの物資を渡さぬよう、退却時に村を焼き払ったのだ。そこにロシアの冬が訪れたのだから、いくら革命のためとはいえ、フランス兵だって不満が鬱積する。ロシア遠征は散々な結果に終わって、ナポレオンが凋落したのは、皆さんご存じ。我が国は同じ轍を踏んだのである。あの広い支那大陸で、匪賊どもを内陸部まで追いかけるんじゃ、我が軍の方が疲れてしまう。愚策としか言いようがない。何か裏がある。現場の日本兵は分かっていた。

  外国から日本の領土的野心や侵略行為を非難された時、天皇陛下から陸軍大臣に対し、本当に部下の統制をとれているのか、とのご下問があった。陸軍大臣は責任を持って必ずとる、との奉答をしたようだが、実際はぐずぐずしていたのだ。陛下は陸軍大臣自ら、外国新聞の記者を前にして、日本には領土的野心は無い旨を明言したらどうか、とのご提案をされたのである。(p.98) 帝國海軍同様、帝國陸軍にもかなり共産主義者が浸透していたから、戦線拡大を密かに画策していたのだろう。昭和天皇は名目上「大元帥」と呼ばれるのに、陸軍将校らは陛下を単なる「シャッポ」くらいにしか思っていなかった。満州事変の時に不拡大方針を表明していた陸軍がは、逆に事件を拡大してしまったので、陛下はたいそう不快感を表されたのである。うがった見方をすれば、戦争が深刻化すれば、軍官僚は権限の拡大になるからまんざらでもないし、軍幹部も予算を多く分捕ることができるから嬉しい。平和だと軍備縮小や予算削減、失業軍人も増えるし、ポストも少なくなってしまう。有事になった方が、国家を全体主義に持って行きやすくなるから、赤い軍人や官僚は密かに切望していたのではないか。あのソ連のスパイ尾崎秀實(ほつみ)と昵懇の仲であった軍務局長の武藤章(あきら)を思い出せば納得できよう。昭和の頃になると、マルクス主義の著作物が世に氾濫して、学校秀才はこぞって共産主義革命に共鳴し、軍部や官僚に多くの細胞が浸透したのである。“アカ”どもを取締る役目の官僚の方がてんてこ舞いになるくらいだった。治安維持法がなければ、もっと過激な共産主義運動が頻発ししていただろう。

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(左:ソ連のスパイであったリヒャルト・ゾルゲ / 尾崎秀實 / 近衛文麿 / 右:武藤章)

  ドイツやイタリアとの三国同盟にご反対の昭和天皇が、自由主義を掲げる英米との対戦ご反対なされたのも当然だ。我が国が太平洋や南方で英米と対決するとなれば、背後の北方からロシアが襲いかかってくるのは必定。日露戦争を痛いほど実感なされていた陛下は、ロシアの軍事的圧力を憂慮なされていたのだ。しかも、支那大陸では国民党や共産党に手を焼いていたのである。陛下が近衛文麿に対米開戦を回避するよう促されても、肝心の近衛が共産主義者なのだから陛下がお気の毒である。さらに許せないのは帝國海軍の無責任というか博打体質である。未だに人気のある山本五十六など、綿密な戦争計画を立てたこともないのに、ハワイへの奇襲攻撃を陛下に進言したが、自分で連合艦隊を率いることをしなかった。左翼・右翼軍人と同じく、在野の東洋主義者も狂っていた。日本人はアジア人でもないのに、「欧米帝国主義からのアジア解放」などほざいていた。昭和天皇は中々解決しない支那事変を誤魔化すため、国民の目を東南アジアに向けようとしていたことをお見通しであった。陛下は「支那事変の不成功による国民の不満を南方に振り向け様と考へているらしい」と仰った。(p.108/『木戸幸一日記』下巻 p.812) 南進論とは建前上、植民地の解放とされていたが、実際はソ連が目指す西歐帝国主義の打倒と共産主義革命の輸出を実現するためのカモフラージュであった。大東亜会議を高く評価していた深田祐介などは、左翼ではないが、共産主義者から支援されてもおかしくはない“便利な馬鹿”である。

国民を心からいたわる陛下

  対米戦争となれば、危険な前線で奮闘するのは、参謀本部でタバコを吹かしながら議論する高級軍事ではなく、何の政治権力も持たない一兵卒がほとんどだ。1、2年暴れたら後は知らない、と言い放つ山本五十六大将が死ぬのは構わないが、日本国民が玉粋するのは本当に痛ましい。驚くほど国際政治と軍事戦略に精通なされていた陛下は、ご自分が裁可した戦争で次々と将兵が斃れて行くことに、御心が引き裂かれる思いであった。最初から大東亜戦争がさしたる計画もない無謀な戦争であることを熟知されていたのだから、各地で部隊全滅の報告を受ける陛下が、断腸の思いであった事は容易に推察できよう。昭和18年5月12日、アッツ島を守っていた山崎部隊は米軍の急襲を受け、隊長以下二千数百の将兵は勇敢に戦っていた。しかし、5月下旬になるや戦況は極めて憂慮すべき状態となり、その苦境は陛下に伝えられていたという。5月24日杉山参謀総長が上奏した時、陛下より「山崎部隊はよくやった」という主旨の御沙汰があり、このお言葉は直ちに参謀総長から現地部隊に伝達され、現地部隊からは「驚愕感激、最後まで善戦健闘」するという旨の返電が大本営に送られてきたという。

  しかし、やがて悲しい電報が送られてくる。5月29日、現地部隊は最後の攻撃に先立ち、本発信と共に暗号書の焼却、全無線機の破壊を済ませた。参謀総長は最後の打電をもって拝謁を願った。参内した杉山参謀総長は、陛下に山崎部隊の最期をご報告したが、陛下は静かに上奏をお聞きになり、何の御下問もなかったという。ただ、陛下は「部隊の将兵は最後までよくやった。この事を伝えよ」と仰せられた。杉山大将は「畏れながら、ただ今奏上いたしました如く、無線機は既に破壊してしまっていますので、お伝えすることはできません」という旨を申し上げた。ところが、陛下は「それでもよいから電波を出してやれ」と仰せられたという。杉山大将に帰ったら直ぐ発電するよう指示されたのだ。(p.137) 陛下は祖国のために散っていった将兵の気持ちに、何としても報いたかったのであろう。日本国民は、陛下のこうした純粋な御心を知ると、感激して何も口にできず、ただ嗚咽(おえつ)するしかない。陛下のご尊顔に涙が流れる時、我々の心は共鳴し“自然と”涙がこぼれてくる。日本人とは書類上の国民ではなく、心と体が陛下と共振する民族を意味するのだ。

  歴史上には時折「救国の英雄」が登場するが、昭和天皇は日本という国家ばかりでなく、日本民族の過去と未来を救った為政者であった。連合国に降伏するという決断を内閣の政治家は誰も下せなかった。本土決戦を主張する阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣が、降伏を提案できるはずもないし、個人的には無謀と思っていた梅津美治郎(うめづよしじろう)参謀総長だって、はっきりと停戦を表明できなかったのだ。卑怯なのは隠れ共産主義者の疑いがある米内光政(よないみつまさ)海軍大臣である。英米と対峙してしまう「南進」を推進し、対米戦争強硬派の米内は、一体どんな顔をして終戦を迎えたのか? 停戦へ向けての努力の中で、愚かしいのは東郷茂徳がソ連に和平の仲介を頼んだことだ。(重光葵 『昭和の動乱』 下巻 中公文庫 2001年,p.313) 在日ソ連大使のマリクにいくら仲介の依頼をしても無駄だった。既にスターリンは如何にして戦争の果実を最大限にするかを考えていたのだ。強盗が刃物を研いでいるのに、「平和の使者」になってくれと頼む東郷は、脳天気の“アホ”としか言いようがない。ちなみに東郷は朝鮮人で朴という。ドイツのユダヤ人エディタ(Editha)と結婚し、朝日新聞記者だった孫の東郷文彦はその孫。痴漢行為で記者を辞めたことで有名だ。弟の和彦はロシアの手先で、あのスパイと思える佐藤優(まさる)とつるんでいた。ユダヤ教徒の考えによれば、ユダヤ人とは母親の血筋で規定される種族である。同じ薩摩出身でも、日露戦争の英雄東郷平八郎元帥とは何ら関係ない、日本国籍を持つ朝鮮系ユダヤ人東郷兄弟は、日本から追放したい有害生物と言えよう。  

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(左:東郷茂徳 / 東郷和彦 / 山本五十六 / 右:米内光政)

  立派な重臣に恵まれた明治天皇とは違って、凡庸な政治家と赤い軍人囲まれた昭和天皇は、一刻も早く終戦に持ち込むため、股肱(ここう)の臣鈴木貫太郎に頼むしかなかった。母のように慕っていた御養育掛、足立たかが鈴木大将の夫人であったからだ。元侍従長の鈴木貫太郎は当初高齢を理由に、お断り申し上げたのだが、陛下が「どうしても」という強いご要望をお持ちであったから、貫太郎は最後のご奉公として拝命したらしい。陛下が無理を承知で頼んだということは、よほどお困りになっていたという証拠だ。しかし、他に適任者がいなかったとは、昭和の人材不足は嘆かわしい。陛下は御自身がどうなろうとも気になされず、ひたすら日本国民を救う方法を求めていらした。閣僚の意見を聞いた後、陛下は仰せになった。

  私は世界の現状と国内の事情とを充分検討した結果、これ以上戦争を継続することは無理だと考へる。・・・陸海軍の将兵にとって武装解除なり保障占領と云ふ様なことは誠に堪へ難い事で夫等の気持ちは私には良くわかる。しかし自分は如何になろうとも万民の生命を助けたい。此上戦争を続けては結局我邦が全く焦土となり万民にこれ以上の苦悩を嘗めさせることは私としては実に忍び難い。祖宗の霊にお応へが出来ない。和平の手段によるとしても素より先方の遣り方に全幅の信頼を措き難いことは当然であるが、日本が全く無くなるといふ結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすれば更に又復興と云ふ光明も考へられる。
  私は明治大帝が涙を呑んで思ひ切られたる三国干渉当時の御苦衷をしのび、此際耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び一致協力、将来の回復に立ち直りたいと思ふ。(栗原健/多野澄雄編 『終戦工作の記録』 下巻 昭和61年 pp.490-419)

  我々はこうして陛下のお言葉を読むと、哀しみが込み上げてきて胸が詰まる。昭和天皇は常に国民を第一に考えておられた。国民あっての日本であり、国民あっての皇室でもある。戦局が深刻化した昭和19年7月、軍部で大本営の移転が持ち上がった。米軍による空襲が激しくなったので、陛下の身を案じた軍部は、御座所を移すと共に、本土決戦に備えて指揮系統を確保する意図があった。小磯国昭首相が陛下にご相談したところ、陛下はこれに反対なされた。「自分が帝都を離れては、国民に不安感と敗北感をいだかせるおそれがある」と陛下は仰ったが、陸軍はご反対にもかかわらず密かに長野県松代に「新大本営」を構築していたのである。(『昭和天皇』p.153) 陛下はこの工事が進んでいることをご存じなかった。完成してから1ヶ月後、梅津参謀総長が完成のご報告をし、陛下の移動を要請したのだ。陛下は唖然とした表情をなされ、「・・・私は国民と一緒にここで苦痛を分けあう」と仰り、数日後木戸幸一内大臣が勧めた時も、憮然として「私は行かぬ」と仰せになったという。アジア人を自国民より優先し、日本を滅ぼす道を提唱した南進論者や東洋学者は、日本人を優先なされた陛下に土下座しろ。
  
陛下を熱烈歓迎した国民

  敗戦国の君主が退位したり、亡命することがあっても、国民から歓迎されるなんてことはない。ただし、日本は例外。ご巡幸が各地で大人気とは奇蹟だ。昭和21年10月に天皇陛下は愛知県においでになった。群衆は駅前で御料車を取り囲み「萬歳」を連呼し、公会堂までの御道筋を埋め尽くした。八町国民へ向かわれた陛下を拝見しようと沿道の両側は人で一杯。身動き取れぬほどの込みようで、中には前夜より徹也で土下座してお待ちしていた人がいたくらいだ。陛下は農場や郵便局、師範学校などをご視察なされ、たいへんな歓迎を受けた。引揚者収容施設をご訪問なされた陛下は、それぞれの者にお慰め、御いたわりのお言葉を掛けて廻られた。朝鮮や満洲から着の身着のまま、幼児をや乳飲み児を抱えて帰ってきた人々は、陛下のお言葉に返す声が出ない。ただ流れ落ちる涙を手で押さえ、顔も上げられぬくらい感動していたという。

  陛下が大津町の市役所を訪れた時の出来事である。その日は雨であったが、大勢の人々が一時間前ほどから陛下をお待ちしていた。沿道には群衆が十重二十重に立ち並んでいたが、警護官というものはおらず、丸腰の警官が立っているだけだった。予定よりやや遅れて陛下の間お召車が到着した。御車を降りられた陛下が、雨の中を御傘も無く歩き始めると、沿道の両側に立ち並んでいた奉迎者は、「萬歳、萬歳」を絶叫しながら、どっと陛下の間近に押し寄ってきた。黒山の人だかりに陛下は、帽子をとられて御微笑を含みながら、左右親しく御会釈をなさり、凛としてお進みになられたそうだ。陛下を拝した国民は感動のあまり、胸が高まり「萬歳」と喚声を上げることしかできない。熱い涙がこみ上げてきて何と表現したら良いか分からないのだ。

  そのご訪問の際、県庁前広場である騒ぎが起きた。数千人の人がもの凄い気迫と怒号で一人の男を徹底的に叩いていたのだ。その男は、「天皇は萬世一系では無い」と演説した不心得者であった。激怒した民衆は「踏み殺せ、殺せ」と絶叫しながら、その男を暴行していたのである。血まみれになった男はついに県庁の中へ押されていった。激昂した群衆は尚も県庁内に雪崩れ込んだ。武器を持たぬ人は拳で、傘を持つ者は刀代わりにし、その不届き者を懲らしめようとする。殺されそうになったその男は、危ういところで警官によって保護されたという。警察部員は必死で民衆を宥めたらしい。「陛下の身近で騒ぎを起こしては申し訳ではないか」との言葉に、人々はようやく納得したのである。群衆は一斉に「天皇陛下萬歳」を連呼しながら表に出たという。(鈴木正男 『昭和天皇の御巡幸』 転展社 平成4年 pp.98-100)

  ご巡幸の美談は尽きない。昭和21年6月、陛下が兵庫県の神戸女学院をご訪問なさった時のことだ。御昼食を済まされた陛下が、便殿(御休憩所)を出られると、中庭には生徒、職員、卒業生、父兄等五千人がお待ちしていた。御前で700名の専門学部生「賛美歌第412番“祖国”」の二部合唱を始めたのだ。合唱のメロディーが流れると、畠中院長が陛下を次へ促し申し上げても、陛下は釘付けにされたかのように動かれない。歌が進むにつれ、合唱していた女学生らがすすり泣く。しまいには、陛下のご尊顔を一心に見つめていた女学生らが、泣きながら合唱を繰り返す。歌は幾度も涙で途切れる。見ると陛下も泣いておられる。侍従長をはじめ、お付きの人々も皆涙を流し、数千の奉迎者も感泣。嗚咽(おえつ)の歌声をあとに、陛下は静かに玄関を離れられたという。御予定を終えられた陛下は、萬歳の歓呼をあとに、女学院を去って行かれたのである。(pp.117-118)

書類上の日本国民たる帰化人

  日本国民と皇室の紐帯は一朝一夕に出来たものではない。数千年も皇室と共に歩んできた日本人が、代々継承する国民的感情である。日本国民は、栄光の喜びを陛下と共に分かち合い、国難の苦痛を陛下が堪え忍ぶ時、共に堪え忍んだ。外国人が陛下を侮辱すれば、日本人は自分が侮辱されたかのように怒った。たとえ、自分が無力だったり、貧しかったりしても、日本人であることを恥じることはない。天皇陛下の日本国民に誇りを持っていたのだ。しかし、現在の我々は外国人に貴重な日本国籍を無料配布している。我々の祖先が苦労して築いてきた国家のメンバーシップを、気軽に分け与えているのだ。便益性だけを求めて帰化する外国人に、祖先の遺産を平気で配っている。日本を憎み侮辱する支那人や朝鮮人にも、何らの制約条件をつけずに帰化を承諾しているのだ。裸踊りか酌をするしか能が無いフィリピン人やタイ人にも、過去を問わず日本人と結婚すれば帰化を許す。彼らは日本人としての意識が体に刻まれていない。

  我々は日本国内だと日本人ということを意識しない。ところが仕事や勉強で、いざ外国に住み始めると、自分が日本人であることを実感するのだ。まず、自己紹介する時に、「日本人です」とか「日本から来ました」と口にするだろう。また、日本語ではない外国語を喋るわけだから、母国語を常に意識するようになる。たとえば、アメリカ合衆国に住むことになった日本人が、日本は戦争犯罪国だ、日本人は全体主義を奉じた侵略者だ、と非難されれば、思わず反論したくなる。反論するだけの知識が無い時は悔しく思うだろう。最近では、「従軍慰安婦」だとか「セックス奴隷」だとかの非難が沸き起こってしまった。日本政府が反駁せず、謝罪しているのだから、在米日本人は顔を伏せて歩くしかない。情けない外務省に怒ってもしょうがない。官僚は庶民とは別の種族だ。

  アジアの侵略者を刷り込まれている日本人は沈黙を続ける。それでも、日本人が責められれば、何とか反撃したくなるのは自然な感情だろう。日教組教育でクルクルパーにされた日本人留学生だって、「日本のエンペラーは神道という狂信宗教の司祭で、侵略を続けた軍国主義の親玉」とアメリカ人から批判されれば、どうにかして反論したくなる。やはり、日本は立派で素晴らしい国と自慢したい。異国に住めば、日本の真実が知りたくなる。自分の両親、祖父母、曾祖父母が日本人なら、日本の歴史は自分の家族の歴史でもあるからだ。しかも、学校で習ったことのない天皇陛下について、本当の話を知るようになると日本人としての意識が変わるのだ。大切なことを教えず、南京大虐殺や従軍慰安婦といった嘘を教えてきた教師を恨むようになる。

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(左:帰化支那人のアグネス・チャン / 中央:工作員の張景子 / 右祖国朝鮮で人気者の秋成勲)

    外国で日本を擁護したくなる日本人、というのは納得できる。では、支那人や朝鮮人といったアジアの帰化人は外国でどんな反応を示すのか? 南鮮で反日教育を受けて来日した者が、日本人を侮辱するのは分かる。こんな連中に日本国籍を与えねばよいだけの話。しかし、在日朝鮮人は、南鮮に帰るつもりもないし、かといって日本に忠誠を誓うわけでもない。しかし、生活に便利だから帰化申請を行う。また、外人工作員は破壊・宣伝活動のために有利だから国籍を取得するのだ。朝鮮系支那人の張景子は日本への忠誠心は微塵も無い。北京政府の命令で日本国籍を取得したのだろう。意地でも帰化しない朝鮮人はいるが、そうした世代は縮小しており、日本人との結婚を機に帰化してしまう朝鮮人が多い。日本の旅券を持てば外国旅行は楽だし、留学だってスムーズに行える。たが、もし彼らが米国に仕事や勉学で住むことになり、反日場面に出くわしたらどんな反応を示すのか? たとえば、「日本人は朝鮮人女性を性奴隷として狩り出した」という捏造話を聞いたり、朝鮮系アメリカ人が日本を非難するデモを見たら、どんな行動をとるのだろう? 米国の大学に留学した支那系や朝鮮系帰化人が、歴史の講義で日本を非難するアメリカ人学生の意見に対し、どんな反論や意見を述べるのか? 支那系アメリカ人学生が、昭和天皇を“支那人虐殺の責任者”と糾弾したら、帰化支那人は「日本国民」として反論するのか? 政治家や法務省の官僚は、こうした疑惑を抱いたことすらないのだ。そもそも関心が無い。アジア人帰化申請者に対し、「国籍を与えてもいいかじゃん」と気安く答える日本人は、こうした疑問を抱いたことがあるのだろうか? そして、帰化人を仲間と見なしているのか、嘘発見器(polygraph)にかけて確かめてみたい。

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(左:赤軍派テロリストの情婦である辻元 / 右:国会議員になった辻元清美)

  アジア移民の帰化という事態を想像していなかった日本人は、外国に住む帰化人が如何なる行動を取るか考えていない。たとえば、韓国の学校で日本の戦争犯罪を罵る南鮮人や支那人留学生に対し、帰化朝鮮人や帰化支那人の日本留学生は、日本人が不当に批判されたのに反論できなくて悔しいとか、間違った資料による中傷に対して反駁したい、と思うだろうか? 朝鮮系アメリカ人が、日本軍による慰安婦狩りを言い出したら、朝鮮帰化人は、元同胞と一致協力して帝國日本を断罪するかも知れない。国家公安委員長となった民主党の岡崎トミ子は、南鮮人と一緒になって日本政府に抗議した前科を持つ。社民党から民主党に鞍替えした、辻元清美は日本人拉致に対して非情に冷淡だった。女性の人権を声高に叫ぶピース・ボート活動家にとって、拉致された邦人女性は、保護対象の「女性」リストに入らないのだろう。連合赤軍の情婦は日本人離れしている。こうした反日議員に加えて、白真勲(はくしんくん)のように韓国のために頑張る参院議員だっているのだ。日本の役所は事務手続き上誤りが無ければ、帰化申請をする朝鮮人に国籍を与えてしまう。愛国心を持っているのかを確かめることさえしないのだ。たとえ役人が質問したって、朝鮮人や支那人は「持ってま~す」と平気で嘘をつける。二酸化炭素と嘘はタダで口から排出されるのだ。帰化人が直立不動で日章旗に敬礼する姿を想像できない。大学教授や弁護士になった帰化鮮人は、日本の旅券を持って外国の大学に行って、堂々と反日演説を行うかも知れない。外国人は彼らの発言を、日本人に抑圧された少数民族の内部告発と捉えて、帰化鮮人の捏造歴史や反日言論を信じてしまうだろう。日系日本人が反論しても、真実の隠蔽としか思わない。

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(左:大使館前で日本を糾弾する岡崎 / 右:政治家になった岡崎トミ子)

  普通の日本人は外国で日本批判を受けても、近代史や朝鮮統治に関する知識が無いので、まともに反論ができない。筆者は米国にいた時、支那人や朝鮮人がちょっとでも不当な批判をしたら、絶対に許さなかった。降参するまで徹底的に反論したし、彼らが用いた資料や根拠を要求し、情け容赦なく追求したものだ。ある朝鮮人学生が日本統治を非難した時、筆者は彼に一次資料(primary sources)を見せてみろ、ちゃんと精読したのかと迫り、真綿で首を締めるように追い詰めた。結局、南鮮の学校教育で仕込まれた知識だったから、あっけなく筆者にやり込められてしまった。生っちょろい日本人なら、「日韓友好」でお茶を濁しただろうが、筋金入りの日本男子だと妥協はしない。日本の名誉は国外追放になっても守る。昭和天皇が批判されれば、逮捕されようとも反論する。それが戦争で命を捧げた我が軍の英霊に対する感謝である。戦場で敵軍に突入した一兵卒を思えば、論争くらい何でもない。一般の日本人が外国で屈辱を味わうことは良いことだ。外国に住むことで日本人は、国家の名誉が大切であることを学ぶ。日本国への侮蔑が、自分に対する侮蔑と感じられるからだ。

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(左:白真勲の選挙ポスター / 右:韓国のために頑張る白真勲)

  一般の日本人は、帰化した朝鮮人や支那人が、自分の仲間になるとは思っていない。国籍は運転免許証みたいに、日本に永住するための会員カードくらいにしか考えていないのだ。米国で日本の歴史や皇室を侮辱する帰化朝鮮人や帰化支那人に対して、「お前それでも日本人か」とは言えないだろう。日本人の家系じゃない者たちを叱っても無駄である。敗戦の辛さを共有しないアジア帰化人は、「天皇なんか関係ないよ」とか「何で天皇を尊敬しなくちゃならないの?」と吐き捨てるように言うだろう。在米日本人は帰化人を陰で「あの人たち」と呼び、よそ者扱いにするんじゃないか。こうして日本人と帰化人の溝が深まり、日本国内で新たな種族対立が発生するのだ。意識調査でも、日系日本人とか支那帰化人1世、フィリピン系混血児とかの分類が必要になるだろう。将来は「我々日本人」という表現すら時代遅れになり、数種類の血統が混ざった「国際人」が普通の日本人となる。七色の虹があるように、七つの民族が混ざった「レインボーマン」が珍しくない日本になるだろう。そうなれば、日本人とは何かという問いに、「日本旅券を持つ人」という答えしかないだろう。近い将来、「へ~ぇ、昔は天皇とかいう奴を尊敬する人がいたんだ」と驚く子供が普通になるかも知れない。まさか、と思う人は幸せだ。
   


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