犯罪のオンパレード

  「恋愛」と「金儲け」は日本の学校で教えてもらえない。これには納得するが、朝鮮人の過去を教えない、というのは変だ。「従軍慰安婦」という嘘を教科書で教えるのに、戦後の不逞鮮人とか第三国人に触れないというのは、政治的配慮からであろう。日本社会に根深く残る害悪を理解しなければ、次世代の子供がより良い未来を築けない。歴史的事実を検証しようとする日本人を朝鮮人は憎む。在日朝鮮人が歴史の闇に埋めたはずの、恥ずかしい過去をほじくり出す日本人は、朝鮮民族の敵であり、あらゆる「レッテル」を貼って社会的に葬るへく努力するのだ。ところがどっこい、日本には図書館や個人蔵書があった。朝鮮人はこれら全てに放火して、不都合な書物を燃やしたい。そんなに燃やしたい歴史書には何が書かれているのか? 具体的にみてみよう。

  坪井豊吉によれば、終戦によって戦勝国民になったつもりの朝鮮人は、従来の労働を忌避する傾向を強め、我が国の法律を無視して、闇取引、密貿易、酒と煙草の密造、麻薬取引、風俗営業、パチンコ営業に従事した。常習的に集団掠奪、詐欺、監禁、暴行、脅迫、汽車、電車、家屋の不法占拠を行い、治外法権的な暴力を恣にした。(『<戦前戦後> 在日同胞の動き』p.14/以下参照。) 朝鮮人の本性がむき出しになったということだ。日本政府への特別配給を要求、隠匿した軍需物資の摘発、闇取引、配給物資の詐欺取得、日本人との対立が激化した。そして毎日のように襲撃されたりする暴力事件が発生し、その都度日本人や警察官が巻き添えとなった。朝鮮人の勝者意識、警察無視の態度は益々昂じて、その傍若無人な横暴は、善良な日本人を畏怖させるに充分であった。(p.14) それに、“濡れ手で粟”方式で、金廻りの良くなった朝鮮人は、飛ぶ鳥を落とす勢い。急に「両班」になったようなものだ。焦土となった東京で、勝手に縄を張って、日本人の土地を奪い取る朝鮮人に、元所有者の日本人は悔しがった。八百屋とか魚屋の主人が「おい ! 鮮人、そこはオレんちだ」と怒鳴っても、ヤクザまがいの不逞鮮人には馬耳東風。「日本人パ~カ、戦勝国民に逆らうな」で終わり。怒りに震える日本人は泣き寝入りするしかなかった。東京の一等地を朝鮮人が所有している理由が分かる。

  在日本朝鮮人連盟の指導幹部は「我々は搾取と奴隷的待遇を受けたから、解放された現在、我々は連合国人であるから、敗戦国日本の法令に従う義務はない」とか「我々は二等国民で、日本人は四等国民となった」、したがって、我々は日本人より優遇されて然るべき」だ、とほざいていた。また、「我々を虐待した日本人は戦犯として制裁を加えられねばならない」など、と反日言論をひろげ、一般大衆を扇動したのである。朝鮮人は法令を無視して、官憲と抗争し、私怨を晴らしたりした。目に余るものがあった。たとえば、食糧の集団買い出しに、威力を示して乗車券の優先入手を計ったり、公然と無賃乗車をし、客車を不当占拠したりは毎日随所で見られた光景であった。(p.232)

Yamada Fuutarou(左/山田風太郎)

  敗戦後は朝鮮人だけでなく台湾人や支那人も、「第三国人」として横暴な態度になっていた。こうした「第三国人」の傲慢さについて、小説家の山田風太郎が記している。あの大人気作品『伊賀忍法帖』の作者だ。昭和22年4月5日山田氏は、臨時列車に乗り、熱海に停車した時の出来事だった。当時、列車に乗ろうとすると超満員で、中々乗車できない場合が多かったという。山田氏は列車に乗ろうとしたが、満員で乗車できぬ人物を目撃したらしい。ある壮漢(そうかん)が列車の窓を叩き、「開けねばそのガラスをたたき割るぞ」、と怒号していた。しかし、これに応じる人がいない。しびれを切らした壮漢は、
  「汝日本人なりや、同胞愛なきや、この汽車に遅れなば明朝までまた待たねばならぬ者のことを考えずや、敗れたりといえかくまで日本人は情なき人非人となりり下がれるか」
  とわめいていた。列車内にいた客が、こんなに込んでいるのが分からぬのか、もう誰も余計に乗れず、乗客だって満員の苦痛を堪えているのだ、と反論し、ガラスを壊すなら壊してみろ、と怒鳴り返したという。こうしたやりとりから、プラットフォームでつかみ合いの挌闘となったが、駅員は来ても傍観するのみだった。車内の朝鮮人は「日本人(にぽんちん)は馬鹿(ぱか)なり、これだけ貧乏になりて未だ硝子をこわさんなど怒鳴り居る」と声高に笑っていたという。

  飛び出して喧嘩していた連中が、車内に戻り窓を降ろすと、その壮漢は「ケンカならやろう、清水港のやくざはナ、斬った張ッつはおまンまより好きなんだ。刃物でも何でも出しやがれ、ドスがこわくて腹が斬れるけえ、何でい、腹を切れァ文句はねえだろう」。言うことは大げさで勇ましいが、意味不明で皆ば爆笑していたらしい。そんな光景の中で、ある老婆が前にいた女に、ちょっと足を動かしてくれ、と頼んだそうだ。満員列車では、さぞ窮屈だったのだろう。すると、その女はいきなり、「お前日本人だろう」と声を荒げた。然りと老婆は答える。「日本人のくせに生意気な ! あたしゃ中華だよ ! 」と怒鳴った。しばらくして老婆が何かボソボソ言うと、「文句があるなら何とかの事務所へ引っ張ってゆくよ」と威嚇する。何でも華僑の事務所があったらしく、車内の日本人乗客は何も反論できず、沈黙を保ったままだったらしい。熱海で殴り合いしていた男どもも、ただ黙っていたという。ただ、車内の片隅で、誰かが「威張りたいだけ威張れ、あんまり長かァねえぞ」と小声でつぶやいていたらしい。(山田風太郎 『戦中派闇市日記記』 小学館 2003年 pp.65-66) 戦争で対戦したアメリカ人に威張られるならまだしも、日本にコソコソ住み着いていた支那人に威張り散らされてはシャクに触るだろう。しかし、虎の威を借る狐ならぬアジア人を日本人は、心の底から軽蔑した。石原慎太郎都知事が第三国人発言をした時に、東京の高齢者は心の中で知事に喝采を送り、公権力を持たぬ高齢庶民は、第三国人への怒りを思い出していたのだ。敗戦後の日本人が味わった支那人や朝鮮人の横柄さを、日本の若者は知らぬので、石原都知事を差別主義者と見なした。しかし、彼らの祖父母は孫に言えぬ悔しさをジッと堪えていたのだ。誰かがはっきりと歴史を伝えねばならない。

  日教組教育でクルクルパーにされた世代の日本人は、尚武の気風をもつ日本人が噛みしめた屈辱を分からない。丸腰になるというのは、実に情けないことである。守るべき家族でさえ守れないのだ。日本男子は女子供を命に代えても守る、という覚悟があった。名誉が生命より重いのだ。しかし、敗戦国民に成り下がってしまったので、狂暴な朝鮮人どもに反撃することすら出来なかったのである。朝鮮人は官公庁や会社、事業所で不当な要求を突きつけ、拒否されれば、自衛隊、保安隊、青年隊と称する暴力団を結成し、腕章をつけて警察隊きどり。不法占拠も度々行われた。東京では、総理府出張所、朝鮮銀行支店、東拓銀行、青山の陸軍大学、陸軍経理学校、憲兵隊、興生会事務所など、不法占拠や接収工作が行われたという。そうした際、拳銃、日本刀、棍棒を用いる殺傷事件が平気で行われたのである。(p.234) 「解放」という春を朝鮮人は満喫した。こんな「ならず者」が、“虐げられた弱者”なのか? 朝鮮人擁護の日本人は、ビビンバにウジ虫が混ざっていても気付かぬ、愚かな観光客と同じだ。

日本共産党と朝鮮人との連携

Korean Violent Posrwar(左/デモを行う在日朝鮮人)

    朝鮮人と日本共産党は、日本人を共通の敵とみなしている。朝鮮人が日本人を憎むのは分かるが、日本人共産主義者は二面性を持つ。日共は反共の現体制を打倒したい。つまりマッカーサー将軍と結託した反共の吉田茂政権を転覆させ、日本にソ連主導の共産主義政権樹立を目指す。自分たちで武装蜂起して政権を創設するなんて度胸もないし、第一その能力に欠けていた。だから、ソ連軍が侵攻しやすいように地均しをする役目を担っていたのだ。米軍を排除した後に、ソ連の赤軍がやって来て、日本人共産主義者は金日成のように「首領様」になれると夢見ていた。スターリンはそんなに甘くない。祖国を裏切りる日共など、いつソ連を裏切るか分からぬから、用が済めば皆粛正される。徳田や志賀はそんなことを予想していなかった。悪党のスターリンは、悪党が利益でいつでも裏切ることを熟知していたので、悪党を信用しなかった。だから裏切り者を笑顔で招いて、即抹殺。日共が占領軍を支持したのは、共産党を弾圧した帝國日本を恨んでいたから、それを戦犯にする米国を褒めていたのだ。占領軍の威光に隠れて、裏で日本人を貶めていたのである。保守派の多くは、なぜかこれを力説しない。占領軍批判で止めてしまう。おかしい。

  日本共産党中央委員会は、在日朝鮮人の勢力を革命運動に利用しようと図った。共産党は「朝鮮人間における活動方針」を発し、日本の革命運動と連携させるよう指示した。(指令71号 1947年3月19日) そこでは、日本の共産主義者と朝鮮人運動家が個別に活動していたことを戒めている。そこで、従来の認識を改める必要性を説いたのだ。たとえば、

  日本に於ける朝鮮民族は今だ解放されていない。日本の保守反動勢力が民族の生活と利益を蹂躙しようとしている。・・・朝鮮人党員の最大の任務は民族解放のため徹底して反動勢力と闘う事にある。(p.45)

  在日朝鮮人団体の功績を認めながらも、その弱点を改めるよう促していたのである。

  何よりも決定的な弱点は、日本における朝鮮人大衆には革命運動について決定的な要素をなす労働者および農民の勢力が欠けていることであり、その反面大多数の大衆はごく少数の中小商工業者以外には殆どすべてが失業者であり、しかも分散している上に清算から離れた生活を営んでいる事実である。(p.46)

  日本で共産主義勢力を巨大な“うねり”にするには、日本人プロレタリアートを動員せねばならぬと論じたのである。日本に於ける朝鮮人の利益は、日本のプロレタリアート及び共産党の利益になるから、朝鮮人党員と日本人党員は、相互に擁護せねばならず、両者の共同運動を確認せねばならない、と。だから、民族の枠を飛び越えて、朝鮮人問題も日本人や日共の問題として取り上げねばならぬとした。共産党版「内鮮融和」となって、何となく笑ってしまう。従って、朝鮮人が民族の問題を解決したいならば、党の基本路線に沿って大いに活動せねばならぬし、日本人党員もその認識を持って党の組織拡大を図らねばならない。まるで支那大陸の「国共合作」みたいだ。

  そこで日鮮共同の活動目標が総選挙となった。来る選挙は日本の平和革命を遂行する上において最大の意義を有するもの。「平和革命」とは共産主義者からの見解で、実際は、武器弾薬を節約した紙投票で、暗黒時代を実現させる事を意味する。創価学会の「平和」とかいう用語と同じだ。共産党は、朝鮮の党員はもちろんのこと、朝鮮大衆も選挙に対して積極的に協力、参加せしめるよう、大いに働きかけなくてはならない、とけしかけた。また、刮目すべき綱領がある。朝鮮人の選挙権、被選挙権獲得のためにおいて闘うべき、と謳っていたのだ。(p.48) 日本社会を合法的に乗っ取ろうとする反日勢力の魂胆が見える。日本人は武力攻撃されれば、正気に戻って戦う。しかし、民衆参加政治や選挙といった平穏な事態だと頭が鈍いまま。「在日に与えてもいいんじゃない。それに、いずれ帰化するんだから」などと呑気に構えている。朝鮮人参政権要求をNHKや民放は「外国人参政権」と呼んで、その実態を曖昧にしていた。日本人有権者なら、地域公共工事とか、エネルギー・貿易問題、直間比率是正、とか医療・教育改善、など多岐にわたる課題を考える。しかし、在日朝鮮人や帰化鮮人は、日本に於ける朝鮮人の利益を如何に獲得するかの「一点」集中。日本の国防や外政なんか知らない。どうでもいい。それより、朝鮮学校への税金投入をしつこく要求するのだ。後の問題は日本人が時間を掛けて解決してくれる。楽なもんだ。朝鮮人は昼寝していればよい。馬鹿な日本人がせっせと朝鮮人にお金を貢いでくれる。

  地味な社民連に属していた菅直人が、しぶとく政界に食いついて首相になった時、北鮮人からの政治献金が問題となったのを覚えているだろう。北鮮と繋がっている斉藤まさし(本名/酒井剛)から6250万円を貰っていたそうだが、実際はもっと多くの資金を得ていたはずである。この斉藤は連合赤軍テロリスト田宮高麿の息子、森大志と「市民の党」で繋がっていた。(母親は森順子である。) こんな北鮮工作員が我が国の総理大臣になったのだから、どれだけ国家機密が漏洩したか、考えただけでも気絶してしまう。だから、戦後、北鮮は日共の立候補者に対して出来るだけ資金カンパを行い、積極的に応援するよう在日朝鮮人に命令したのである。地道に努力を重ねると「菅直人」みたいな成果が現れるということだ。金日成は在日鮮人が朝鮮人民共和国を支持し、祖国統一のために、民主主義民族戦線の運動を在日同胞の間にも強く展開することを指示したのである。それと平行して、在日鮮人は民族教育を新設充実させ、兵隊としての青年活動家の教養と訓練に努めたのだ。

  在日朝鮮人は外国人なのに、堂々と政治活動を行う。「幣原内閣打倒人民大会」には約2千名が参加し、首相官邸に押しかけ、暴徒化したしたとき、朝鮮人が中心となっていた。またかよ ! 殴り込みだと断然張り切っちゃうのが朝鮮人。血が騒ぐのか? そして各地で保守党候補の選挙運動や演説会を妨害していた。また、全国で約120万の資金を集めていたというから、ムスリム・テロリスト細胞と似ている。さらに5月1日の食糧メーデーには皇居に押しかけ、19日には飯米獲得人民大会があり、約3千名の朝鮮人が参加し、デモ隊の中心となって皇居に押しかけ、大いに暴れた。天皇陛下に対して無礼きわまりない。彼らの憎しみは皇室に焦点が絞られていることが分かるだろう。また、この頃は日共党員と一緒になって各地で会社、工場、鉱山、などで闘争を繰り返した。(p.104) 日本人の経営者が、なぜ朝鮮人応募者を採用しなかったかが、こうした背景を知れば分かるだろう。積水ハウスでも、朝鮮人社員を雇ったことを悔やんだ重役がいたんじゃないか? (この訴訟事件はまた別の機会に説明します。)

  共産党は無産労働者をおだてて、赤い支持者にしようと画策する。昔はよく「ゼネラル・ストライキ」略して「ゼネ・スト」が頻発していた。国鉄の運休だってあった。乗客が困っても知らぬ振り。駅員は怠惰で、「親方日の丸」根性丸出し。ふんぞり返って仕事をしていたのである。メーデーには大勢の労働者が参加し、赤旗の元で気勢を上げていた。今では老人となった共産党員は、昔が懐かしい。あの頃は良かったなぁ。みんなでワッショイ・ワッショイ騒いで、デモ行進を楽しんだ。資本家どもから金を奪え、とか労働者の権利を守れ、賃金を上げろ、なんて無責任な要求を突きつけて、威勢良く啖呵を切ることができた。皇室が日鮮共通の敵だったから、宮城(きゅうじょう/いわゆる侮蔑的呼称の「皇居」)前で、人民大会を開き、労働者らが組合闘争に酔っていた。民族教育や密造酒取締反対を日共が応援し、生活保護や反税闘争を叫んでいたので、朝鮮人側もこれに応えたわけだ。昭和24年1月の総選挙では朝連が組織をあげてこれを応援し、選挙資金のカンパに保守党候補の運動妨害、朝連はベストを尽くした。(p.67) キターぁ。朝鮮人の得意技、選挙妨害。アントニオ猪木のコブラ・ツイストか卍(まんじ)固めみたいなもんだ。ちょっと古いかな。今なら「アナコンダ・チョーク」か「エルボー(肘打ち)」といったところ。

  共産主義者の総本山はモスクワなので、日本共産党は東欧諸国の共産支店と同様に、ロシア本部から指令を受けていた。「日本共産党」とは「コミンテルン日本支部」という下部組織である。昭和22年10月には、ロシア人や支那人、朝鮮人、日本人ら八カ国の代表が集まって、「極東コミンフォルム委員会」が組織された。そうした組織から革命指導員が日本へ派遣されたのだ。極東コミュンホルムが北鮮を経由して、発した指令の中に注目すべき内容があった。朝鮮人党員は日共の命令を忠実に守り、全ての闘争を日共の路線に置くよう命令されたのである。そして、

  朝連は如何なる場合でも、日共よりも表面に出て闘争せよ。その理由は、第三国人的立場をもつ有利があるからである。・・・・朝連は日共に資金提供の役割をはたせ。朝連の資金の入手方法は、中央から大阪経由でサントニン、その他の物資で送付する。(p.73)(註: サントニンとは回虫の駆除剤)

   遵法精神がない在日朝鮮人には、北鮮から多額の活動資金が、色々な方法で提供されていた。その一部として、米ドル、サントニン(回虫の駆除剤)、マイシン(結核用の抗生物質)、モルヒネ、ペニシリン、魚類など一年間に約1億円が送られていたらしい。(p.72) 当時の1億円といったら大金だ。国家公務員の給料が平均6千円くらいの時代である。北鮮は日本という巣に産みつけた悪魔の卵を大切に暖めていたのだ。 

  貧乏を絵に描いたような朝鮮にとって、日本は戦略物資や生活必需品を入手するための便利な百貨店である。北鮮が欲しい部品や知識が豊富で、将来の革命戦士や資金提供者、科学技術者も養成できるのだ。そんな訳で北鮮はスパイを日本に送り込む。北鮮労働党財務部員の李元鳳(朝鮮商事会社の李元賢の弟)は、昭和21年9月頃から党の密命で、引揚日本人に化けて南鮮を経由し、10月下旬東京に潜入した。彼の使命は、日本の産業復興状況、生産資材の購入と貿易調査、政治経済軍事の文献購入であった。そして、朝鮮引揚者として平壌に帰国した。この李は日共朝鮮人部の金斗鎔と密接な連絡を取っていた。李元鳳と入れ替わりに、22年5月頃、朝鮮商事会社の重役・韓国亨や白龍祭が東京に潜入し、金天海や金斗鎔らと連絡をとり、資金工作と政治工作に携わっていた。とくに韓国亨は大連からの日本人引揚者を介して、ベアリング、発電機部品、医薬品、工業技術関係の文献を調達したのである。

  工作員は次々と潜入した。朝鮮商事の重役・李英傑や白龍河は南信子こと廬南嬌が手引きしていた。日本人の名前(通名)を持ち、スパイの手引きをする在日朝鮮人は沢山いて、日本人拉致事件も、こうした日本風朝鮮人の協力が欠かせなかった。昭和24年8月、北鮮内務省政治保衛局から派遣された岩村こと許吉松中佐は、大阪でスパイ活動をしていた高達敏が帰国した後、東京都北区で製菓会社を経営しながら、北海道から九州にかけて常に40ないし50名の工作員を駆使していた。(p.71) このスパイ許は翌25年逮捕されたが、その時すでに米軍の仁川上陸作戦を1ヶ月前から探知し、本国に報告済みであった。朝鮮人が「指紋押捺」や「スパイ防止法(防諜関連法)」に反対したのは、日本国内でスパイ活動をしやすくするためで、「人権」を掲げていた日本人左翼も、本当は敵国に協力していたのである。

    在日朝鮮人連盟が解散の憂き目に遭っても、しぶとい朝鮮人は反日活動を諦めない。(在日鮮人は、もっとまともな職業で頑張れよ。) 昭和26年に現在の在日朝鮮人総聯合会(いわゆる「総聯」)の前身、在日朝鮮統一民主戦線(民戦)が結成された。朝鮮人は日本人に復讐するためなら、苦労を厭わずチョコまかと活動する。民戦は、在日朝鮮民主愛国青年同盟など、各地に散在する中小団体12個傘下に納め、広範な大衆組織に再編したのだ。もともと解散させられた朝連の残党が再集結した訳だから、当初この民戦は非公然の組織であった。しかし、図々しさにかけては比類無き朝鮮人は、段々とその本性を露(あらわ)にし、逐次表面に押し出してきたのである。民戦の基本綱領は、祖国統一と英米帝国主義者及び傀儡の李承晩政権撃滅掃討である。そして、日本革命のために参加するというものだった。(p.409)余計なお世話だ。というより、迷惑だ。

  昭和27年12月に開かれた大会の議事録では、在日朝鮮人をアメリカ帝国主義との闘いに動員することや、吉田政権を打倒することが記録されている。在日鮮人としたら、祖国の共産主義勢力(北鮮)を一掃しようとする、吉田政権は不倶戴天の敵である。米帝と一緒になって、朝鮮戦争に参加しようとする吉田茂が、警察予備隊を創設すれば、北鮮の工作機関は「日本軍国主義の復活反対 ! 」と声を上げねばなるまい。昭和26年9月に開かれた民戦の代表者大会では、『在日朝鮮民族当面の任務について』という方針が持ち込まれた。そこには、「平和擁護、反米帝ファッショ闘争は、全世界平和愛好民主勢力を一環とするもの」と述べられている。(p.411) 共産主義者の「平和」とは、個人的自由の無い監視社会に生きる奴隷の生活である。朝起きて工場で働いて、夜寝るだけの無味乾燥な人生。セックスは国家の命令で、生まれた子供は冷酷な役人が飼育し、未来の忠実な労働者に改造する。薔薇色の楽園という北鮮では、飢餓で空腹の鮮人が、山林でカエルを見つけたら、美味しい肉だと思ったらしい。えっ生喰い? 日本人なら嫌がる。贅沢できない北鮮人にはご馳走だ。どうりで朝鮮総連の在日鮮人が祖国に帰らない訳である。


朝鮮人革命かを育成する学校教育

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(左:旭日旗を侮辱する朝鮮人/右:日の丸を引き千切る朝鮮人デモ隊)

  朝鮮総連が北鮮の対日工作機関であることは悪名高い。朝鮮人が「朝鮮学校」と呼んでいる施設は、日本の法律で承認された教育機関ではなく、単なる「私塾」に過ぎない。だから、「朝鮮大学校」を卒業したからといっても、大卒の学士ではない。在日朝鮮人の親が民族教育を施そうと、我が子を朝鮮学校に送るが、そこは革命家養成機関であり、無法者製造工場である。朝鮮学校の実態については以前紹介した通り。こんな所を“卒業”したって、就職先は、朝鮮同胞が経営する朝鮮料理屋(いわゆる「焼肉屋」)か、パチンコ屋といった賭博業、風俗店くらいしかない。そして暴力団が優良民間就職先である。これも無理なら、朝鮮総連職員になるしかない。朝鮮学校を選択する親は頭がおかしいのだ。

  こんな洗脳工場は、もともと北鮮のお金で成立したようなものだ。昭和30年4月、北鮮からの第一次教育資金約1億2千万円が送られてきたのである。当時で1億といったら相当な金額で、巨額の現金は各方面に大きな反響を呼び、総聯の感激は頂点に達した。全国各地で感謝決議か沸き起こったという。昭和32年10月には、第二次教育資金約1億円が送られ、31年から開講された朝鮮大学の建設資金になったらしい。北鮮から二回も資金を送ってきたということは、北鮮側が対日工作をいかに重視していたかが分かる。第一次教育資金のうち、1千万円は奨学金とされ、全国の大学生など300名に毎月1,000円から5,000円が支給されたのである。(p.576) 貧困にあえぐ在日朝鮮人が、いかに金日成に感謝したか日本人には分からないだろう。豚小屋暮らしが普通だった朝鮮人が、毎月現金を貰えるなんて夢のようだ。こうした贈与が在日鮮人の忠誠心を強固にしたことは、誰でも容易に理解できよう。

  朝鮮学校の教育内容は既に報道され、およそ教育とは呼べぬカリキュラムで、ロボットのプログラミングとみなされても仕方ない。在日朝鮮人が目指した教育とは、真面目に理解しようとする者すら呆れてしまう内容だ。在日朝鮮人青年を朝鮮民主主義人民共和国の忠実な公民として準備させることであった。それなら北鮮にさっさと行け。「わが国の悠久な歴史とサンランたる民族文化遺産をおしえなければならないし、わが国を外来侵略者から守った愛国先烈たちの革命伝統、とりわけ金日成元帥によって抗日遊撃闘争の栄光ある愛国伝統を教え込む」ことだって。(p.599) 「悠久な歴史」というが、どこだって時間の流れは同じだ。1日24時間しかない。朝鮮だけ30時間なわけないから、「悠久」なんてたんなる修辞語。「サンランたる民族文化」って、あの埃(ホコリ)や糞尿にまみれた朝鮮の風習のことか? 糞尿が薬になる文化は素晴らしいのか ! 朝鮮社会の実態は、恥ずかしくて言えまい。たとえば、朝鮮人は公然と他人の乳房を揉む卑猥な慣習があったことを隠しているだろう。朝鮮人が祖国で何を教えようが構わない。我が国で朝鮮学校を建てるな。朝鮮人の教育指導では、「高尚で新しい民主道徳的品性で教養」を持たせるそうだが、実際はそれと随分かけ離れているじゃないか。左翼や鮮人は何かと言えば、「民主」とか「平和」をスローガンに掲げるが、出来上がった教え子はグズが大半とはどういう訳なんだ? 朝鮮学校出身の偉人なんて見たことない。誰なんだ?

朝鮮人の不法行為

Korean League (左/在日本朝鮮人連盟中央総本部)

  終戦直後の昭和20年から21年だと、個人的感情等に基づく報復的詐欺、脅迫、暴行、親日派という民族反逆者への監禁、暴行、あるいは会社、鉱山、事業所、に対する旅費、退職慰労金などの不当要求が多発した。賤しい生まれの朝鮮人らしく、良心の咎(とが)めもなく活き活きと犯罪を重ねていた。もっとも、当人たちは自由な行動を取っていただけかも知れない。

  昭和20年12月23日、下関人民解放連盟青年隊約30名は、市内の朝鮮料理店の酌婦6名を監禁し、取締に赴いた警察官9名も監禁されてしまった。この事件でこの青年隊は解散させられた。今ならヤクザだって、警察官を監禁するなんて出来ないぞ。筋肉労働者が大勢集まる土建業界だと、朝鮮人は大胆不敵になる。北海道の朝鮮民族統一同盟は、労務者を煽動したり、朝鮮に帰る者へ退職金を払えと、不当に要求したらしい。朝鮮人は脅迫と占拠8件起こした。これにより、軍政本府から解散を命じられたという。(pp.230-231)

  在日朝鮮人に媚びる朝日新聞やNHKは同業者への暴力をどう思っているのか? 朝日新聞襲撃事件を毎年宣伝する朝日社員は、朝鮮人の襲撃事件をどうして無視するのか不思議だ。昭和21年9月22日には、新潟県岩船郡重尾村で、警察が主食取締をしたところ、支那人15名と朝鮮人50名が妨害し、警察官7名を負傷させた。警防団やアメリカ占領軍の応援で、ようやく鎮圧でき15名を検挙した。ところが29日、朝鮮人19名は新潟日報社に押しかけ、この事件の報道記事は事実に反するから取り消せと迫り、社員3名に暴行を加えたうえに新聞社を破壊した。(p.237) ああ、文藝春秋社に押しかけた朝鮮人に似ているね。昔から、報道機関にイチャモンをつけていたんだ。これぞ「朝鮮民族の伝統文化」なのだろう。“イチャモン”なら、他にもあった。昭和21年10月10日から防犯週間に掲げたポスターの図案の中に、朝鮮国旗に類似したデザインがあったので問題となり、朝連、民団、建青、国際新聞社から抗議された。民団の団長である朴烈の名義で、総理と内大臣宛にも抗議があった。(p.237) これじゃあ、ヤクザの因縁づけと変わりない。もし、朝鮮人が朝日新聞社の旗は、帝國海軍や軍国主義を連想させると抗議したら、朝日は押し入れに隠すのか? でも、朝鮮人になら丁寧に謝罪するかも知れない。

  戦後は労働組合活動の黄金期であった。朝鮮では両班になれなかった下層民も、大企業を相手にすれば組合貴族になれた。日本には恐喝で搾ることができる太った企業経営者がゴロゴロいたのだ。荒れ地の北鮮に豊かな資本家など存在しない。やはり日本は金の卵を産む国である。昭和24年6月1日、広島県日鋼製鉄所では、多くの首切りを含む企業整理案を発表した。ところが労働組合側では、日共中央特派員と県委員の支援を得て、これに抗議し、日共党員約200名(うち朝鮮人約100名)の応援を受けて、労働組合員約500名が向上に押しかけ、板垣所長代理以下、11名を吊し上げ要求貫徹までこれを監禁暴行したのである。この騒動で48名が検挙された。(p.244) 柄の悪い朝鮮人が殴り込んできたら、育ちの良い企業経営者など震え上がって要求に応じてしまう。朝鮮人の話し方など日本人とまるで違うのだ。朝鮮人の顔が近づいてくれは怖い。当時の日本人経営者が、朝鮮人と関わりたくないと思って当然である。

祖国に帰るのは死んでも嫌

Koreans Poor North 2










(左/貧困にあえぐ北鮮人)

  朝鮮人にとって祖国への帰還は、「シベリア送り」にも似た残酷な処罰である。「絶望」を描くのにピッタリの題材が朝鮮だ。終戦の喜びと帰国熱が冷め始めると、浮かれていた朝鮮人は帰国を渋るようになった。多くの鮮人は日本への長期滞在を決め込んだ。そこへ戦後帰国した朝鮮人が、舞い戻ってきて鮮人の数が増加するとともに、生活が益々苦しくなった朝鮮人は、強盗・窃盗・暴力事件をしばしば起こした。昭和21年だと、警察署襲撃、集団詐欺恐喝、金措置法違反、集団強盗、鉄道輸送違反、官公庁への不当要求、集団暴行など、1ヶ月で平均440件も発生していたのだ。家屋の不当占拠がなくなったと思いきや、家屋を家主から安値で購入して、居住者を第三国人的暴力と嫌がらせで追い出し、大儲けをする事件が起こった。(p.235) 1980年代のバブル景気より以前に地上屋(ぢあげや)をしていたのだ。

  祖国へ戻ることが刑罰に思える朝鮮人は精神異常者である。民戦中央本部は、強制送還反対闘争強化の檄文(げきぶん)を各地に配送したそうだ。昭和26年10月22日、兵庫県下里村で朝鮮人約200名が生活保護や強制送還反対を陳情するため役場に押しかけた。陳情のはずが、朝鮮人は官吏を吊し上げ、椅子を投げつけるといった暴行をはたらいたので、15名が検挙されたという。(p.550) 一般庶民は誤解しているようだが、朝鮮人は日本国民ではない。生活保護は朝鮮の政府に求めるべきもので、日本政府に要求するのは筋違いだ。朝鮮人に与えるなら、世界中の人間に与えることになってしまう。現在でも福祉補助金とかの名目で、偽装年金を与えている役人は、国家の裏切り者である。儒教精神が篤い朝鮮人など虚構だ。家族から見捨てられた在日朝鮮人は、未だに日本の役場へ“たかり”に来る。昭和27年にも、強制送還の規定を含む出入国管理法の全面改正に反対し、全国から約3,500名の朝鮮人が動員されたらしい。不逞鮮人は国会その他の機関に対する、強力な抗議陳情闘争を展開した。この陳情団は衆議院面会場に集合し、共産党、労農党、社会党、改進党らの各代表者から激励の挨拶を受け、気勢を上げていた。左翼の政党はこうして反日勢力と結託していたのだ。

  戦前から、朝鮮人は豊かな日本へ勝手に渡ってきたのに、いざ帰国となるや日本政府にお金をせびったのである。(p.100) 朝鮮人は客を呼んで大盤振る舞いすることが好きで、懐が寒くても大見栄をきって食事をご馳走することがある。ツラの皮が厚い朝連は、各種の集会や行事への特別配給を要求し、帰国者の旅費と慰問金品を要求したのである。そこで、日本政府と事業主から総額2、3億円に達する物資の配給を受けた。その間、中央と各級幹部は横流し、横領などの不正を犯し、それらの不正者は朝連の運動から離脱し、今日では巨万の富を築いた者がいたという。また、在日朝鮮人の第一、第二預金封鎖は約3億円に達していた。その第三国人的立場と朝連の組織を利用して、巧妙に早期に引き出している。払戻申請書には「建設同盟」とか「青年同盟」とかのインチキ団体名があった。在日朝鮮人は最近までも、偽名(通名)で預金口座を持っていたりと、普通の日本人では不可能な蓄財をしていたのである。日本は朝鮮を「植民地」にした前科者であるから、騙しても朝鮮人の良心は痛まない。むしろ、国家を奪った倭人(わじん/日本人)に復讐できたことで満悦。

  朝鮮人がどれほど日本人から、金品をせしめたかを紹介しよう。昭和21年4月には、厚生省と運輸省に対して、「帰国朝鮮人の仮払運賃の払戻請求陳情書」を提出し、20年12月12日帰国無賃輸送発表の前に帰国した朝鮮人993,558名分の旅費として3,725万425円(1人あたり37円50銭)を請求している。自分のお金を使って帰国した朝鮮人は損をしたから、その旅費を払えとカツアゲしてきたという。昭和21年8月までに朝連総本部で、記念行事、帰国者送別会、慰安会などに使用したとの理由で、当局に物資の特別配給を要求した。その内訳を見てみよう。

  ビール 527,850本  ウィスキー 356本 生酒16,919本  ゼリー酒1,344本  酒2,985本   煙草359万本 その他、甘味料、主食、医薬品なども請求されたという。(.107)

  何だ大したことないじゃないか、と思う現在の日本人は、戦後のひもじさを知らない世代である。日本政府はGHQに食糧輸入の要請をしていたのだ。当時、主食配給基準量成人1人1日1,015カロリーの最低限にとどめたくらいだ。具体的に当時の食糧事情を見てみよう。東京都の中野区と大田区田園調布の回覧板を例にとってみる。

<21年3月22日> 冷凍ではない白長須鯨(しろながすクジラ)を配給します。
         配給量 1世帯200匁(もんめ/1匁は3.75グラム) つまり750グラムだけの配給だ。
<21年6月15日> 「新興麵」を特別配給します。 配給量は1日1人あたり50匁(一食分)となっており、価格は市価100匁5円を特価2円で配給します。「新興麵」とは昆布、粉末、芋、とうもろこしの茎や実を取った芯などの粉末で作った麵です。
<21年2月26日> 輸入小麦について。米軍総司令部よりの好意による物にして1人につきコッペパン2個、1個40匁のものを100グラム差し引き1個17銭、近く配給します。 
<21年3月23日> ローソク 1本 2円、修理用本革靴底 1組 48円、沢庵(タクアン) 100匁 4円50銭、 醤油 1升 65円、ソース(一級品) 1合 12円50銭、など。 ( 『1億人の昭和史 日本占領(3) ゼロからの出発』 毎日新聞社 1980年 pp.80-81)

  どうだろう、当時の食糧事情や物価が少しは分かるだろう。トウモロコシの芯を粉にした麵なんか、美味しくないだろう。日本人は空腹で栄養が不足し、食べ物も粗末で酷かった。恥を忍んで米軍に食糧を恵んでくれ、と懇願していたのだ。そんな食糧難の時に、闇市でボロ儲けした朝鮮人がいて、しかも、狂暴な鮮人を追い払うために、貴重な食糧を泣く泣く献上したのである。酒だ、タバコだ、なんてふざけている。我々なら、こんなふてぶてしい朝鮮人を一列に並べて、野球バットで各人の頭をジャスト・ミートで叩きたくなる。何が可哀想な在日朝鮮人だ。冗談じゃない。

警察に暴力をふるう朝鮮人

  現在でも同じだが、朝鮮人にとって日本の警察官は敵である。朝鮮民族を弾圧する暴力装置としか見ていない。日本の法秩序というのは、朝鮮人を取締るよう考案されたものと信じている。日本は「植民地支配」をした鬼畜国だから、朝鮮人が日本の法律に従わなかったり、無闇に反発するのも理解できる。彼らはそもそも不法滞在者で、本来ならとっくに祖国へ帰っている外人である。在日一世が密入国者だったり、いかがわしい商売や闇市の帝王だったりするから、匪賊の子孫みたいなものである。日本人が在日朝鮮人の過去をほじくり出すと、余りの恥ずかしさから唾を飛ばしながら激怒する。痛い所を突かれた者は必死で隠そうとするものだ。

  日本人にとって、警察官というのは、治安を守ってくれる味方である。しかし、在日朝鮮人にとっては、攻撃対象であった。昭和21年5月16日闇市の取締で、朝鮮人30名と日本人約100名が逮捕連行された。朝連幹部の丁奎鳳、朴善奎らは青年自治隊百名と支那人を含めた総勢二百名で長崎警察署を襲撃し、暴行破壊を行い、警察官を負傷させた。(p.236) ヤクザでも滅多にしない警察署襲撃を、朝鮮人は平然と行えるから怖い。昭和24年1月26日に起きた島根県での事件。関税法違反その他で、朝鮮人8名が検挙された。そこで朝連支部員約150名は、同日夜、兇器を持って益田警察署を襲撃し、警察官10数名に怪我を負わせた。署長等は威嚇射撃をもってこれを解散せしめ、首謀者4名を逮捕した。

  昔、『狼なんか怖くない』という流行歌があったが、朝鮮人は警官を怖がらなかった。彼らは捜査妨害や犯人隠匿、逃亡幇助も気にせず、したい放題。昭和23年12月9日宇部市人民会館で、朝連系朝鮮人約200名が生活擁護人民大会を開催中、北鮮旗掲揚事件で手配中の崔民煥が列席していたので、SPと警察官がこれを逮捕した。すると、これを見た群衆が暴力をもって犯人を奪還したため、双方相乱れての格闘になり、警察官はやむなく発砲した。このため犯人は逃走し、警察官38名と朝鮮人約20名が負傷した。(p.241) 昭和24年4月6日<東京都枝川町朝鮮人部落で刑事3名が窃盗犯を逮捕同行中、逃亡したので威嚇射撃を行った。そこで部落の朝鮮人50名が刑事に殴打暴行を加えて瀕死の重傷を負わせ、拳銃二丁を奪取した。さらに朝連支部に交渉しに行った警部補ら5名を暴行し、トラック運転手の免許証を取り上げた。警視庁は13日から19日にかけて容疑者17名を検挙し、10名が懲役刑を受けたという。(p.243) 6月福井県本郷派出所の巡査が戸口調査に赴いた際、朝鮮人に暴行され、さらに朝鮮人約200名が若狭警察署と派出所に押しかけ、暴力で抗議した。昭和27年3月26日から5日間にわたる大阪多奈川町事件では、密造酒の検挙に赴いた警察官に対して、約500名が襲撃して、押収品ドラック九台文を破棄して被疑者全員を逃走させたのである。(p.431)

  逆恨みから警察官に暴力をふるう外人は、日本から叩き出した方がいい。大阪市東成警察署の警官が泥酔した安金鎔を保護したが、拘留中に死亡してしまった。偶然の死亡だろう。警察官の落ち度ではなく、無茶苦茶に酒を飲むアホ鮮人が悪いのだ。しかし、昭和26年12月1日、朝鮮人約30名が抗議に押しかけ、庁舎内に乱入しようとし、催涙ガス弾や石を投げつける暴行に及んだという。この乱闘で3名が検挙された。(p.550) 昭和26年11月21日に福岡市での暴力人民大会とデモ事件が起き、12月1日に大阪市東成警察署に朝鮮人が押しかけ、催涙ガス弾などを投げ込んだりして、数日間にわたる暴力デモを繰り広げた。催涙ガスなんて、どこから入手したんだ? 朝鮮人の闇ルートは幅が広い。蛇の道は蛇か。昔からテロリストなんだろうな。

  筋肉労働者が殆どの朝鮮人にとって、労働者の祭典は大暴れできる口実となる。。昭和27年のメーデーではデモ隊の一部が日比谷公園前で、「人民広場に押しかけろ」の合図で警備線を暴力で突破し、警察官と乱闘中、約3千名の朝鮮人部隊が合流し、暴力と放火の修羅場と化してしまった。そしてアメリカ人の自動車10台と警視庁白バイ、その他が焼かれたのである。この事件で双方に数十名の重軽傷者を出し、日本人1,078名と朝鮮人121名が検挙された。(p.553) ブラジルに“リオのカーニヴァル”があるように、日本にも朝鮮人による“血祭り”があつたということだ。

  27年6月24日と25日、朝鮮人学生自労隊員約1,500名は山中で竹槍を作り、二つの隊に別れて伊丹駐留軍襲撃を計画したが警察隊に阻止された。もう一つの隊は吹田駅で軍用列車を襲撃するつもりて赴き、制止の警察官に暴力をふるい、傷害を負わせた。そして、拳銃二丁を奪取し、交番2カ所に火炎瓶を投げつけ、竹槍で破壊行為に及んだという。その時、たまたま出逢った駐留軍のクラーク司令官が搭乗する車に火炎瓶を投げつけ、司令官の顔面に火傷を負わせたらしい。大胆不敵な朝鮮人。アメリカ軍司令官を攻撃するとは恐れ知らずだ。吹田駅や大阪駅で警察隊と衝突し、火炎瓶と竹槍で抵抗した朝鮮人は、自らも負傷したという。他の朝鮮人部隊は軍需工場を襲撃したので、警察官は発砲してこれを鎮圧したのだ。この時、警察官32名が重軽傷を負う羽目になり、113名の暴徒が検挙された。

  6月24日夜に、日共の日本人と朝鮮人が甲斐田地区第四工場に侵入し、時限爆弾二つを仕掛け、そのうちの一つが爆発した。そして、火炎瓶を投げつけて破壊活動を行ったのである。この事件で日本人と朝鮮人65名が検挙された。7月7日には名古屋市大須球場周辺で、朝鮮人を主力とする約1千名が暴力デモを行い、警察隊に硫酸瓶や火炎瓶を投げる衝突事件に発展したという。そこで、警察官はやむなく発砲し、暴徒側に死者1名、重軽傷者19名を出すことになった。警察官は54名が重軽傷を負い、一般人の負傷者は10名で、被害物件は24にも上ったという。火炎瓶、手榴弾、竹槍、棍棒など約400点を押収したのである。検挙者261名中、朝鮮人は145名だった。(p.554) 6月30日福島県で日共掲示板が撤去され、日共側は連日抗議した。日共党員と朝連員の約300名は平市警察署前で気勢を上げ、ついに署内へ乱入し、署長を軟禁し、巡査の拳銃を奪い被疑者を解放した。そして署内に赤旗を立て、町内にピケを張って、検問を行った。騒擾罪で百余名を検挙した。(p.244)、

  朝鮮人には「突撃月間闘争」があり、強制送還反対、資産凍結反対、日本の再軍備反対などを掲げて臨戦態勢に入っていた。昭和26年3月7日には王子朝鮮人学校で暴力事件が発生。2月23日蒲田警察署は反米文書を配布中の李相泰を検挙し、その自供に基づいて王子朝鮮学校を捜査した。このガサ入れで多数の不穏文書を押収できた。そこで学校側は約3千名の父兄と1千名の生徒が参加する総会を開き、不穏な空気が流れたらしい。学校の外にいた警察官は、朝鮮人青年隊約200名が投げつける石や唐辛子に堪えていた。しかし、乱闘騒ぎで警官23名が負傷して、拳銃、手帳、制帽などを破棄されたり奪われたりしたという。(p.427) ちょっと待て ! プレイ・バック。「おい、鮮人 !!」なんで学校に集まった一般人が警官を暴行した挙げ句、拳銃を奪う必要があるんだ? 米国なら襲撃者は射殺されてもおかしくない。心優しい日本人の警官だから皆殺しにならなかったのだ。もし、朝鮮で日本人が鮮人警官に襲いかかったら、間違いなく全員射殺されるだろう。

  日本は米軍の戦略物資を供給する下請け工場、との認識から、朝鮮人は祖国に報いるためテロ活動を行った。昭和26年12月16日には、大阪市東成区の金谷軽金属工業所など四カ所の軍需品製造工場を、青年行動隊が襲撃して破壊を行い、暴行を加えたという。いわゆる後方攪乱(かくらん)の一環である。同月18日、滋賀県日野町の青年行動隊50名が白たすきを掛けて自転車隊を編成し、メガホンとスピーカーで強制送還反対のデモ行進を実施した。そこでは警察官と乱闘騒ぎを起こし、重軽傷25名を出し、拳銃を奪取される事件となった。また、拳銃かよ。朝鮮人は警官の拳銃を見たら奪いたくなるらしい。まともな神経の持ち主では考えられぬ事を、躊躇なくできるのは、気違いか確信犯だからだろう。

  「祖国解放二周年記念」と称し、大衆武装を呼びかけ、各地で革命騒ぎを起こした。日本共産党と共同して闘争を繰り広げたが、朝鮮人がその尖兵の役割を果たしたことは特筆に値する。昭和27年6月25日、大阪吹田市を中心としたいわゆる「吹田騒擾事件」は日共との共同計画でであった。民選中央本部は同胞朝鮮人を叱咤激励し、暴力による破壊行為を煽った。6月28日福岡県若松市で民選系鮮人約2千名による韓国民団幹部住宅と派出所が襲撃される事件が起きた。7月3日は大阪市曾根崎警察署を襲撃し、火炎瓶を投げ込んで同署員と激突した。(pp.553-554)

Korean Madness 1 (左/ヴァージニアで銃を乱射した朝鮮人)
  米国ヴァージニア州でで銃の乱射を行った朝鮮人がいたが、激昂した朝鮮人にはお手上げだ。昭和26年1月23日、三重県四日市で旧朝連財産接収妨害事件が起きた。この時、朝鮮人側はガラス破片、灰、唐辛子などの目潰し弾と濃硫酸をふりかけて妨害した。このため係官7名が2から3週間の重軽傷を負う羽目になった。そこで市警察は15名を検挙して接収を完了した。あぁぁ。濃硫酸をぶちまけるって、警官に射殺されたって文句は言えないぞ。しかも、唐辛子まで使うとは。そのうちキムチまで投げるかも知れないな。

  武器の調達や製造まで行った在日朝鮮人は、もう立派なテロリストだ。昭和26年12月では民戦の大会が開催された。第一日目は神戸市長田区西朝鮮人学校で、第二日目は大阪市浪速区木津川朝鮮人学校で全国の代表約300名が集まったらしい。大会では、朝鮮戦争で使われる軽武器の製造を朝鮮人がいる工場で反対すること、出入国管理令と日韓会談反対の闘争を行い、裏切り者とスパイに対する闘争強化、米帝と吉田政府に反対、日本共産党との共同闘争、闘争戦術と武器の研究などが決議されたという。(pp.429-430) 警察が朝鮮人から押収した兇器には次のような物があったという。

  火炎瓶、硫酸瓶、ダイナマイト、竹槍、日本刀、投石、人糞、拳銃、催涙ガス (p.556)

  おぉぉーい。「人糞」まで使ったのか? そうだ、人糞は朝鮮人の伝統的武器だった。現在でも南鮮人はバキューム・カーを用いて、気にくわない奴に糞尿を吹きかける。

   日本の警官を暴行した朝鮮人は、同胞の敵にも容赦しなかった。昭和27年1月3日、兵庫県で北鮮系旧朝連員が高砂町にある南鮮系民団の団長宅へ訪れ、悪口を投げかけたことから喧嘩となり、まもなく朝連員約40名が押しかけて、暴行を加え、傷害事件を起こした。そこで4日に至り、民団員70名と朝連員200名の対峙となって、ある民団員を朝連員が拳銃で撃ち、負傷させてしまった。警察官が出動する騒ぎとなり、30名を逮捕、雷管、三八式銃剣、機関銃弾を押収した。暴力団の抗争と同じだ。姫路市でも2月28日朝連員約20名が民団の団長宅を襲撃し、暴行を加えたという。また、別の朝連員は市内交番四カ所を襲撃し、警察官を軟禁し、暴行したり脅迫するという事件を起こしたので、 21名が逮捕されたという。その際竹槍27本も押収したらしい。(pp.552-553) もう、嫌だ。朝鮮人の顔なんか見たくない。はやく朝鮮人を駆除しなければならない。キンチョーで「朝鮮人ホイホイ」とか「鮮人コナーズ」とかの製品を発明してくれないかな。

  だいふ長い朝鮮人犯罪史になってしまったが、どうだろう。こんな在日朝鮮人を知って、それでも彼らが帰化することを許し、国籍や選挙権を与えて良いものなのか。こんな暗い過去だから、学校で子供たちに事実を教えられないのだ。警察に保管されている朝鮮人の犯罪歴は子供たちに披露できない。したがって、我が国では事実を伝える歴史授業は不可能である。帰化朝鮮人が必ず反対するからだ。「偏見」を助長すると朝鮮人は、しばしば口にするが、日本人から嫌われるだけの前科を重ねてきたのも事実。日本人は朝鮮人と違って、歴史教科書では事実を重視する。それを阻止するのは、左翼学者と赤い官僚、および朝鮮人の手が回っている政治家であろう。もういい加減、朝鮮人を弱者扱いするのは止めたらどうか。朝鮮人が歴史的事実を知った日本人を恐れるなら、我々はどんどん歴史を勉強しよう。




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