政治的圧力と非西欧人の不当要求

Vikings 22












(写真/人気ドラマ「ヴァイキング」)

  ショー・ビジネネスとは営利目的の商売を意味し、小学校の道徳教科書をつくる作業ではない。当り前のことが当然とされぬ今日この頃。お客が観たい映画を勝手に作れる日本は、欧米諸国よりはるかに「表現・藝術の自由」がある。日本人に対して、自由を自慢するアメリカ白人は、井の中の蛙(かわず)だ。憲法に自由が記されていたからとて、運用する人間が不自由なら、それは「絵に描いた餅」か「空中に浮かぶパイ」と同じ。世界中でマンガ文化の頂点に立つ日本人は、各漫画家が勝手気ままに物語を作り、好きなキャラクターをデザインして、読者に販売している。アニメやテレビ・ドラマも同様である。しかし、欧米ではテレビ・ドラマや映画を制作する際、多民族主義(multiethnicism)や人種的多様性(racial diversity)とかの有害イデオロギーにより、藝術の自由が制限されている。脚本家や監督、経営者が国内の人種構成を考慮しながら、ストーリーを練ったり、配役を考えたりせねばならないのだ。左翼思想で精神が冒された白人には、毅然と抵抗するだけの勇気が欠けている。多様な人種をドラマの役どころに反映しろ、と強要されて拒否できないでいる。馬鹿らしいが、現在の欧米諸国の惨状は、やがて日本にも波及する。対岸の火事と思っていたら、自宅にも飛び火することを予測していないのだ。支那大陸で汚染された大気をニュース映像で観る日本人は、我が家だけは大丈夫と思わないだろう。悪いことは伝染するものだ。

  かつてオーストラリアは「白豪主義(White Australia)」を掲げていたが、多文化・多民族主義の思想ウィルスに感染し、国家崩壊の危機に瀕している。白人だけのオーストラリアと言うと、すぐ「とんでもないことだ」と怒り出す単細胞が日本人の中に大勢いる。こういう人たちほど人種主義に凝り固まっていることを自覚していないのだ。たとえば、コンゴとかギニアで、アフリカ人が黒人至上主義とかアフリカ人だけの国家建設を叫んだって、誰も彼らを非難しない。日本ではまず、「黒人だけとはケシカラン。支那人苦力(クーリー)やインド人労働者との共存を考えろ」、とは主張しない。アフリカ人が支那人を追い払っても、一向に気にしないし、そもそも関心すら無いのだ。日本の差別反対主義者はアフリカ人の部族主義を、「排他的国粋主義」とか「過激な同族主義」と批判しない。また、アゼルバイジャンとかチェチェン、タジキスタンで、民族主義による異民族・異教徒の排斥が起こっても、街頭で抗議デモや糾弾大会が開催されない。とても不公平な差別反対者である。批判は肌の色や種族を超えてなされるべきだ。

  差別反対を掲げる者は、言葉狩りにも熱心で、言い換えを用いて物事の実態を隠そうとする。西欧諸国の有色人を「少数民族(マイノリティー)」と呼ぶが、あれだけ人数が多いのに、未だに少数派と見なすのはおかしいだろう。「白人」以外の人物を指す言葉なのだから、率直に「カラード(有色)」と呼ぶ方がスッキリしている。また、日本人は自らを黄色人種と呼ぶが、我々は自らの肌を「肌色」と呼べばいいのだ。筆者は小学生の頃絵を描いたことがあるが、文具店に「肌色」という絵の具があった。白色でも黄色でもない色で、それが日本人の肌の色であった。外国でどう呼ばれようが、我々は「肌色人種」と考えれば良い。学問で西歐世界の用語を使っているのは便利だからで、我々が西歐人の価値観まで強要されることはないのだ。日本人は日曜日を安息日(休日/サバス)にし、キリスト教暦を採用しているているが、キリスト信仰を受け入れているわけではない。それと同じだ。NHKや朝日新聞はどうしても日本人をアジア人にしたがるが、普通の日本人は自らをアジア人とは思っていない。トルコ人やアラブ人、インド人だってアジア人だが、我々は彼らと同種類の人間とは思っていない。ましてや支那人や朝鮮人と一緒にするのは侮辱である。西歐人が我々をどう定義しようが、我々は独自の分類をしてもいいはすだ。西歐白人を非難する日本人でさえ、平気で日本人をアジア人と分類している。日本は「アジアの盟主」になるべし、と馬鹿なことを唱える東洋主義者や民族主義者がいるから困ったものだ。日本は彼らを利用しするが、面倒を見るべきではない。アジアとは政治的泥沼のような地域で、日本人が踏み込んだらエラい目にあうだろう。厄介な地域は西欧諸国に任せておけ。西歐人が問題を抱えるだけだ。現在、旧植民地から移民が流入して本当に悩んでいる。

Jay Laga'aia 1Firass-Dirani 2Deborah Mailman 1Remy Hii 1








(左:ジェイ・ラガイア/フィラス・ディラーニ/デボラ・メイルマン/右:レミー・ヒー)
  こんにちのオーストラリアは、とてもアングロ・オーストラリア人の国家とは思えぬほど、雑種文化に溢れた三流国家に成り下がってしまった。報道番組やトーク・ショーはもちろんのこと、TVドラマも人種的多様性を反映しろ、といった圧力に屈している。ハリアー戦闘機を配備している国防軍を持っていたって、日常生活が崩壊の危機に瀕しているなら、何のための国防か判らない。こんな事態を収拾できぬイギリス系白人は、明き盲(めくら)か痴呆症老人と変わらないじゃないか。TVドラマの配役に文句をつける役者が、最近特に多くなってきた。たとえば、サモア系俳優のジェイ・ラガイア(Jay Laga'aia)は、オーストラリアのテレビ局が人種主義に固執していて、異なる容姿の有色人俳優を登庸(とうよう)していないと不満を述べていた。もっとも、彼は多文化主義に基づく配役と婉曲的に言っていたのだが、要は非西欧系俳優をもっと使え、と強要していたのだ。長寿番組の『ホーム・アンド・アウェイ』というドラマの役を外されたから、余計頭にきたのだろう。(Paul Kalina, Diversity still out of the picture, The Sydney Morning Herald, March 1 ,2012)

Underbelly 1(左/「アンダーベリー」の一場面)
  その非難にレバノン系俳優のフィラス・ディラーニ(Firass Dirani)も参加してきた。テレビ局の制作者は、幅広い文化的背景を持つ俳優に役どころを作らない、と語っていた。非西欧(有色人)系の役者は、白人俳優に比べて役を射止める機会が非常に少ないと嘆いている。テレビ局側は、ラガイアの発言を攻撃的で侮辱に当たると反発していた。まさか「そうです」とは言えないだろう。嘘でも否定するもんだ。俳優組合の代理人マレア・ジャブロンスキーも、オーストラリアのテレビ広告は、人選においてとても保守的であるとコメントしていた。「保守的」とは、「白人役者」ばかりを起用するということだ。そんなの当り前だろう。社運がかかっているテレビCMに、いい加減なモデルや俳優を使えるはずないじゃないか。大金を費やして商品を宣伝するのだから、視聴者に好印象を与える白人を起用して当然だ。白人の登庸に文句があるなら、反対論者がCM制作費を出せばいいのだ。そして、商品が売れずに残ったら、在庫品を買い上げろ、と言ってやれ。そんな事を承知せずに、民間企業を責めるのは、世間の仕組みが分かっていない子供と同じである。大人の意見ではない。

Home & AwayCatherine Mack 2Kylie Minogue 2








(左:「ホーム&アウェイの出演者たち/中央:出演者の1人キャサリン・マック/右:かつて出演していた有名歌手カイリー・ミノーグ)

  有色人役者を代弁するジャブロンスキー氏は、非西欧系役者はいつもステレオタイプ化された役とか、おどけ役といった脇役で、主役を射止めることが出来ないと不満を述べている。たとえは、有色人の役者には、浅黒く醜悪な顔をした犯罪者(wog criminal)といった役しか廻ってこないという。日本でも似たような事情があって、「悪役商会」所属の俳優を思い出せば理解できよう。映画監督や脚本家、演出家は作品のイメージを重視するから当然のキャスティングをしているだけだ。しかし、制作者側も多民族主義に汚染された世間の圧力を感じるようになり、近年特にわざと有色人俳優を起用する作品が多くなった。ステレオタイプ化された役どころを見直す、というより意図的な配慮をするようになったので、刑事や医者といった役柄は白人だけにせず、有色人俳優をあてるようになったし、麻薬密売人や悪徳商人には中東アジア人俳優を用いるといった慣習を止めるようになった。

  俳優組合はテレビ局プロデューサーに、盲配役(めくらはいやく/colour-blind casting)を要求すようになったらしい。たとえば、原住民とマオリ族の混血児女優デボラ・メイルマン(Deborah Mailman)は、人気ドラマ『シークレット・オブ・マイ・ライフ』や『オフスプリング』に出演できたが、プロデューサーのジョン・エドワーズ氏によれば、彼女を用いたのは、そのアボリジニ(オーストラリア土人)という種族性ではなく、彼女には“存在感”があるといった理由によるものらしい。たが、ものは言いようである。非美人女優を「演技派女優」と呼ぶのと同じだ。エドワード氏は上層部から、アングロ系女優にしろとか、その他の俳優にしろ、といった圧力は受けていないと証言していた。でも、サラリーマンが上司の圧力を暴露したりするのか? 社内で漂う暗黙の掟を破って、白人役者だけでドラマを作れるのか? 上司が「君、時代の流れは分かるだろう。な、色々あるがよろしく頼むよ。こんど埋め合わせするから」と言われなくても、制作者は自己検閲を行って、多民族主義ドラマを作るものだ。サラリーマンは「ヒラメ」の集団で、上(重役とスポンサー)ばかり見ている。ドラマの内容に不満のメイルマン氏は、アボリジニである自分が演じているのに、ドラマ内ではアボリジニ役者ではない俳優と友達の役になっていた。彼女はこのことに異議を申し立てる。つまり、彼女が演じる役の友達には、白人役者ではなく、同じ容姿の役者を使え、と要求していたのだ。現実的に見れば、不自然だろうと言いたいわけである。アメリカのテレビ・ドラマでも、白人のキャラクターが持つ親友が黒人であったり、という設定があるけれど、そんなのは普通の生活では滅多に見られない。あるリサーチ会社のアンケートでも、白人の親友には白人がほとんどで、黒人というのはまず無かったらしい。アメリカのドラマでは、不自然な設定が多いのだ。

Brian Cox(左/ブライアン・コックス)
  悪役や脇役には少数民族(つまり有色人)俳優がしばしば登庸され、ドラマの看板役者とか主役は有名俳優か白人俳優が起用される傾向が強い。だがその一方、多民族主義が採用されると、ドラマの配役で白人が少数派になってしまうことがある。オーストラリアABCのドラマ『ザ・ストレイツ(The Straits)』では、有色人役者が多数派で、ブライアン・コックス(Brian Cox)もこれといった魅力に乏しく、主役を張れるような俳優ではない。案の定、同番組は人気に陰りが差し、視聴率が急激に低迷してしまった。視聴者だって観ていてワクワクしないし、政治的配慮の出演陣にうんざりしていたのだ。そもそも、テレビ局が演技力重視なら、俳優の人種的要素に関係なく配役を決めねばならない。先ほど紹介したフィラス・ディラーニは、主演ドラマ『アンダーベリー(Underbelly)』で人気者となった。ドラマでは、デラーニ扮する反抗的なレバノン系不良高校生が、闇社会と接触しながら、やがてナイトクラブを経営するというジョン・イブラヒム役を演じていたのだ。(オーストラリアにはレバノン系移民が多くて、社会問題や刑事事件をよく起こしているから、このドラマにはリアリティーがある。) もし、この役をアフリカ系かインドネシア系の役者が演じたら、視聴者は違和感を覚えるだろうし、役者仲間からも疑問が発せられるだろう。まあ、それも時間が経てば問題にならない。プロデューサーのペニー・チャップマン氏は、「40年もすれば我々はほぼユーラシアン(Eurasian)になるんだから」と発言していた。オーストラリアでは人種混淆が進み、近い将来白人と有色人の違いがなくなるというのだ。

  非西欧系のオーストラリア人俳優は、自国の白人中心的配役とキャラクター設定に愚痴をこぼす。TVドラマ『ワンダーランド(Wonderland)』に出演したものの、番組を降ろされたサモア系のラガイアは、キャストが白人だらけじゃないか、と不平を述べた。同番組のプロデューサーは、ドラマの設定は視聴者の日常生活を画面に反映させただけ、と反論したという。テレビ・ドラマ『隣人(Neighbours)』に出演していたレミー・ヒー(Remy Hii)は、ラガイアに同調して西欧系白人が主役を勝ち取る業界を非難している。(Alicia Vrajal, Does Australian TV have a white Australia policy ?, Reportage , 15 September 2014) 彼は母親がアングロ系白人だが、父親がマレー系支那人であるから、中途半端な立場に立っているのだろう。アジア人の血が混じる濁った白人となり、イギリス系視聴者が何となく受け入れたくないのだ。オーストラリアにはマレー人だけではなく、インド人移民もたくさん流入しているのでインド系俳優が多い。かつて『隣人』に出演していたインド系俳優サチン・ジョアブ(Sachin Joab)も賛成派で、ドラマ内で彼が演じる役がぞんざいに扱われていることに文句をつけていた。脇役の浅黒い俳優はドラマの筋書きで重要視されないのだ。でも、物語で主人公が中心なのは当然じゃないか?

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(左:ボーンズの宣伝写真 / 左と中央:エミリー・デシャネル/ 右:ラ・チャップマン)

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(左:「キャッスル」にベケット刑事役のカティク/右:スタナ・カティック)

  西欧系白人には主人公や良い役どころが与えられるのに、有色人俳優には脇役か、どうでも良いちょい役、犯罪者や筋肉労働者、ピエロ役などしか廻ってこない。それは人種差別だと非難する。朝鮮系女優のラ・チャップマン(Ra Chapman)は複雑な心境を語りつつも、やはりオーストラリア・テレビ業界に不満を漏らす。彼女が出演したドラマで、たまに普通の女性を与えられても、それは何となくぎこちない役で、彼女のアジア的容姿が障碍(しょうがい)となっていたそうだ。彼女はあまたのドラマ・オーディションに応募したというが、主役は西歐白人女性という設定で書かれた脚本で、アジア人女性を主役にしたものではなかったという。アメリカのTVドラマでも、主役女優は番組の看板となるので、魅力的な白人女性でなければならない。視聴者の目を引くような容姿でなければ、前評判が立たないのだ。例えば、米国の『ボーンズBones)』のエミリー・デシャネル(Emily Dschanel)や『キャッスル(Castle)』のスタナ・カティック(Stana Katic)、『ザ・アメリカンズ(The Americans)』のケリー・ラッセル(Keri Russell)、英国なら『ザ・フォール(The Fall)』のジリアン・アンダーソン(Gillian Anderson)などを観れば、制作者の意図が分かるだろう。朝鮮系女優チャップマンは、白人俳優中心のドラマ・キャスティングを示して、これがオーストラリアの人種的多様性を反映しているのか、と批判している。彼女の不満は逆恨みだ。白人のオーストラリアに移住してきた両親に文句を言えばいい。きっと朝鮮人独特の勝手な移住目的だったんじゃないか。南鮮が嫌になったが、米国移住が難しいから、オーストラリアに進路を変えて、多文化主義政策を利用して上手く潜り込んだのかも知れない。実際、多くの朝鮮人が政治的迫害を受けたわけでもないのに、オーストラリアに移住してきたのだ。チャップマン氏は南鮮ドラマに応募すれはいいだろう。まさか、南鮮ドラマは韓流ではなく三流ドラマだから嫌だ、なんて言わないよね。頑張って朝鮮語を習って、ソウルで活躍すればいいじゃないか。

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(左: ジリアン・アンダーソン / 右: ケリー・ラッセル)

ハリウッドでの人種的多様性ドラマ

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(左:レナ・ダナム/中央:ジェミマ・カーク/右:ブライアン・ウィリアムズと娘アリソン・ウィリアムズ)

 ユダヤ人が支配するハリウッドでは、現実とはかけ離れた無茶な物語や配役が横行している。HBOの人気ドラマ『ガールズ』では、原作者のレナ・ダナム(Lena Dunham)自身が主演しいる。ダナム演じるハナは真剣な恋人でもないアダム(俳優のアダム・ドライヴァー)と気軽にセックスをする。リベラル左翼が好んで演じる性的に奔放な女性だ。また、ジェミマ・カーク(Jemima Kirke)演じるジェサは、ボヘミアンという流れ者の役で、「私はいろんな種類の男と子供をつくりたい、そうキー・チェインかスノー・ボールみたいに集められた小間物みたいな子供たちを」というセリフがあった。(Jon Caramanica, HBO's ‘Girls’is Hardly the Only Example of Monochromatic, The New York Times, April 25, 2012) つまり、赤、白、黒、黄色といったビースがちりばめられた装飾品みたいな家庭をつくりたいということだ。洗脳ドラマといのは恐ろしい。視聴者に性的放埒は悪くなく普通だという印象を刷り込んだり、異なった人種とセックスして混血児を産むことは素晴らしい、というメッセージを発していたのだ。原作者のダナムは母親がユダヤ人で、ユダヤ教徒の家庭で育ったことを自慢している。そして、「ハナというキャラクターは、ダナム自身のユダヤ人的感覚を共有している」、と告白していたのだ。(Naomi Pfefferman, ‘Girls’writer lays bare women's insecurities, Jewish Journal, April 25, 2012) ユダヤ人はドラマを通してアメリカ人の西歐的倫理観や価値観を破壊し、代わりにユダヤ人的放縦さを注入している。西歐人になれないユダヤ人は、西歐の伝統的社会をひどく憎む。伝統や慣習は理屈に合わぬから、非合理的因習は廃止すべきだ、と勝手な主張で昔ながらの風習を撲滅しようとする。貞操観念なんて古くさい、と世俗的ユダヤ人は考えるから、ドラマの中で、淫乱行為を格好良く描く。伝統的価値観を転覆させたい性格のユダヤ人に、社会主義者や無政府主義者が多い理由はここにある。

Simon Kirk Bad CompanyJemima Kirke 2








(左:サイモン・カーク/右:娘のジェミマ・カーク)
  ユダヤ人原作者兼主役のダナムが手がけた『ガールズ』は、中心的役者陣がすべて白人という批判を受けている。レナ・ダナムの父親キャロルはプロテスタントのアメリカ人であるが、母親ローリーがユダヤ人であるから、東欧系の白色ユダヤ人と呼んだ方が適切かも知れない。それよりも美人のジェミマ・カークは、あの人気バンド「バッド・カンパニー(Bad Comapny)」でドラムを叩いていたサイモン・カーク(Simon Kirke)の娘である。彼女の母親ロレインはユダヤ人であるが、父のサイモンはイギリス系スコット人である。えっ、あのカークの娘か、と驚く人はロック通。筆者も好きなバンドである。いやぁ懐かしい。共演者のアリソン・ウィリアムズ(Allison Williams)は、これまた有名人の娘だ。NBCニューズのアンカーを務めたブライアン・ウィリアムズが、彼女の父親である。ダナムは白人キャストを揃えたけれど、ユダヤ人なので極端なバッシングを受けずに済む。ユダヤ人のインナー・サークル(身内)だから、他のユダヤ人仲間が助けてくれるのだ。彼女が西欧人なら公で謝罪しなければならないし、もしかしたらドラマの内容を変更するよう圧力を受けるかも知れない。そんな馬鹿な、と思う日本人は甘い。ユダヤ人の大御所監督ウッディー・アレンは、なぜ黒人俳優を起用しないのか理由を尋ねられた。すると、曰く、

  それ(黒人起用)が求められるストーリーを書くまでしないんだ。人種に基づいて人を雇うことはしないよ。その役柄に適切な人を雇うんだ。じっくり考えて黒人を採用しないようしているんだ。そんなこと(わざと黒人を雇うこと)馬鹿げているよね。僕はその役にぴったり嵌まる人物を雇うんだ。適役の人以外は人種や友人など関係ないさ。(Sergio, Woody Allen says he won't hire a Black actor unless the role calls for one.....Whatever that means, Shadow and Act, July 31 , 2014)

Woody Allen 2(左/ウッディー・アレン)
  すごい意見と信条じゃないか。ユダヤ人は正直だ。本音を公言しても抹殺されない。もし、西欧系監督が同じ事を口にしたら失言となり、マスコミが大騒ぎしてスキャンダルとなるに違いない。もし、映画制作に能力主義や自由主義があるならば、役者陣が全部白人あるいは黒人でも良いはずだ。配役は制作者が自由に気兼ねなく決めるべきである。日本人の漫画家は昔から自由を守ってきた。少女漫画では、登場人物がすべて北欧白人の場合だってある。しかし、日本人は誰も非難せず、漫画家の自由を尊重していた。外務省官僚や大学教授は、西欧諸国の方が「自由」が多くあり、日本は進歩が足りない、遅れていると文句を垂れていた。日本人こそ西欧人より、藝術分野で自由があるのだ。大衆文化を知らない学校秀才は物事の本質が分からない。こうした優等生は、教科書を暗記できても、漫画や異文化を理解できないのだ。すでに古典となった銀河鉄道999やUFOロボグレンダイザー、超要塞マクロスの吹き替え版アニメを知らずに、世界を語っているのである。アニメ論になると長くなるので省略します。(こっちの方が得意なんだけど。)

  人種平等や多文化主義というのは否定しづらい。マスコミの御用評論家は、難しい学術用語や巧みな話術で、素直な一般国民を丸め込む。しかし、常識を用いて反論すれば、悪徳知識人の企みを反駁(はんばく)できる。オーストラリアのテレビ・映画界で白人中心主義をやめて、多民族主義の配役にしろ、という政治的圧力は不当である。別の業界で考えてみれば分かる。あんパンなどの和風パンが主力のパン屋で、パンド・カンパーニュやバケットなどの西洋パンを並べろ、と文句をつけてくるお客はいない。小麦パンを売る店が、お米パンを焼かなくても、欲しい人は別のパン屋を探す。人気が出そうなパンなら誰かが売るだろう。日本国民はお米を原料にしないから、小麦を使うパン屋を差別主義者だとか非国民だと呼ばない。また、パン屋は小麦を扱っているのに、うどんを作らないのは「多様性に欠ける」とは非難しないだろう。こんな当り前のことは、大学で教えなくても分かる。しかし、白人ばかりのドラマを批判する有色人俳優は、イチャモンをつけて脅す客と同じである。白人ばかりのドラマを観たい客のために、アングロ・サクソン系俳優を中心にした映画を制作したって良いはずだ。黒人は黒人だけ、朝鮮人は朝鮮人だらけの映画やドラマを制作し、一般客に披露すれはいいじゃないか。人種を区別した作品をお客が自由に選んで、お金を払うことに何か異議があるのか? 筆者はコロッケパンが好きだけど、レーズンパンが嫌いで、子供の頃干しぶどうを取り除いて、残りのパンだけ食べたことがある。嫌な物を食べる義務はなかった。日本政府が我々にレーズンを強制したのか? 映画でも同じで、黒人を除いた作品かあってもいいじゃないか。

  欧米の有色人俳優が、指摘されて嫌がる点は、西欧系俳優が出演するドラマに混ぜてくれ、と懇願している事だ。黒人やアラブ人、ユダヤ人、支那人、南米人ばかりで映画やTVドラマをつくると、なかなかヒット作品にならない。たとえは、朝鮮系女優とアフリカ系男優の恋愛ドラマなんて、人気が出ないだろうし、多分お客が集まらない。制作費を出す投資家だって渋るだろう。失敗作になる作品に巨費を投じるバカはいない。また、アクション映画を例にとってみれば分かる。支那人俳優が主役のターミネーターに扮したり、アラブ系俳優がランボー役に抜擢されても、映画の興行成績は上がらない。ジャキー・チェンのターミネーターなんか観る客はカルフォルニアでも少ないだろうし、イラク人が「ランボー/怒りのアフガン」で、主役ジョン・ランボーになったら、テロリスト映画かと間違ってしまう。第一、日本で公開されるのか? 映画館経営者に尋ねてみたい。白人中心の配役に不平を述べる役者たちは、有色人俳優だけのドラマを制作できないことを承知しているのではないか? 脚本家のせいにしているが、本当は自分たちだけの出演では、魅力ある作品にならないのが分かっているから、白人俳優と一緒になりたいと切望しているのだろう。だから、政治活動でテレビ局側に圧力をかけるのではないか? 人気のないパン屋が政治家に頼んで、各国民がその店でも最低一個は購入するよう、法律で義務づけたら、それこそおかしい。しかし、俳優組合が要求していることは、本質的にこれと同じだ。

  欧米の病理とは、有色人俳優に向かって、「西欧系俳優ばかりで何が悪い」、「嫌なら他所の映画会社を探すか、自分で会社を興せ」、「美男美女だけでドラマを作ろうが、経営者と出資者の勝手だろう」と主張できないところにある。白人社会に有色移民が増えたからって、その社会状況をドラマに反映しなければならない、という理屈は変だ。『ジョジョの奇妙な冒険』などは日本の社会を反映していない。「スタンド使い」なんて日本にいないのだ。アメリカの子供が日本に亀の忍者がいると思っても、それはテレビ番組の勝手な虚構であり、実際の日本を反映していない。それに、我々は亀が忍者になるドラマに抗議しようとは思わないだろう。アジア人や黒人が配役されても平気だ。我々は観ないから。日本に黒人の忍者は居ないぞ、とテレビ局に政治的圧力をかけたりしない。白人国家で白人中心のドラマを作るのは自然なことだし、日本人なら気に入ったドラマにはお金を払う。フィリピン映画は魅力がないから日本で人気が出ない。白人ばかりが出演するアメリカ映画でも、魅力的なら喜んでチケットを買うはずだ。リベラル派のドラマ制作者は、有色人俳優を遠慮なく斬り捨てたり、前もって排除することが、逆に人種差別を解消することに繋がることを理解できない。彼らに譲歩することが差別撤廃の道だと思っている。でも本音では、有色人は白人と「抱き合わせ商品」にしないと、生活して行けないからね、と憐れんでいるのだ。白人が自分たちだけて映画を作るべきだ。黒人も黒人ばかりで映画を作って儲ければいい。それをお客が自由に選ぶ。ただし、自由に選んだ人をマスコミは差別主義者と糾弾しないこと。まともに考えれば、制作者を非難する有色人俳優は違っている。

藝術の自由と白人だけのドラマ

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(有名なオーストラリア出身女優 /左:ニコール・キッドマン/中央:ナオミ・ワッツ/右:ローズ・バーン)

  歴史好きの日本人なら『ヒストリー・チャンネル』をご存じだろう。筆者も大好きで気に入った番組をよく観る。日本の歴史物番組では変な藝人や俳優を登場させ、時間を無駄に費やすから、本題を説明する時間が短くなってしまう。視聴者からするとイライラしてくる。(NHKの歴史番組も無駄なゲストが多い。)だから、ヒストリー・チャンネルの方がはるかに面白い。大人の教養番組である。最近の大ヒット番組は、映画会社大手MGMと共同で制作した『ヴァイキング 海の覇者たち(Vikings)』が大変おもしろい。筆者も毎回楽しみで、シーズン3がもう少しで終了するので残念だ。シーズン4は来年まで待たねばならぬ。長いよ~、と愚痴をこぼしたくなる。(日本ではやっとシーズン1が放送されたところらしい。) 伝説の北欧ヴァイキングであるラグナー・ロスブロク(Ragnar Lothbrok)が冒険や襲撃で頭角を現し、王になるストーリーである。シーズン3ではパリのフランス人を襲撃するエピソードで終了するみたい。詳しい内容はバラさない方がいいかも。原作者マイケル・ハースト(Michael Hirst)はロンドン大学やオックスフォード大学で学んだ歴史専門の脚本家であり、映画『エリザベス』とその続編、TVドラマ・シリーズの『チューダー家』や『ボルジア家』などを手がけた人気作家である。彼は北欧サーガ(武勇伝)を基にして『ヴァイキング』を書き上げた。これが大ヒット。反響がすごい。役者の演技も素晴らしいが、脚本がよく練られているし、なんと言っても戦闘シーンが血しぶきをあげた大迫力。屈強なヴィイキングの肉体が敵と直にぶつかり、画面一杯に流血の死闘が映し出される。殺気に満ちた北欧戦士の手斧が、敵の体に食い込み、血がほとばしる激戦は視聴者を釘付けにし、思わず身を乗り出すほどの魅力がある。ヴァイキングの猛攻は命知らずだ。日本刀より斧の方が断然迫力があり、体に一撃を食らったら本当に痛そうだ。これと比べたら、NHKの大河ドラマやTBSの時代劇など高校生の学芸会である。日本ドラマの低品質には目を覆いたくなる。ぬるま湯に浸かった日本の制作者は『ヴァイキング』を観てみろ。恥ずかしくなるぞ。

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(写真3枚/トラヴィス・フィムメル)
  歴史ドラマ、とくに戦国時代作品は、真摯でリアルな演出でなければならない。「ウァイキングはとても真面目で現実に即した作品だ」との評価が下されている。(David Dale, How Australia conquered the Vikings \(and not vice verssa), The Sydney Morning Herald, March 15, 2015) 高評価を得たドラマは、英米のみならず、ノルウェー、スウェーデン、デンマークで大ヒットとなり、ヒストリー・チャンネルは初めてのドラマ作品に大満足。直ぐにシリーズ続行の指令が下ったという。やはり、本物のドラマには人気が出る。人種を口実にして、ぐちゃぐちゃ文句を垂れている俳優どもは、自分たちで素晴らしいドラマを制作しろ。『ヴァイキング』が大ヒットした理由の一つは、登場人物に有色人種が出てこない点に素晴らしさがある。人種を考慮したり、世間体を気にして無理なキャスティングをしなくてもいい。北欧人役者だけを自由に使えるのだ。北欧諸国のみならず、英米でもやはり、有色人俳優をねじ込んだドラマに不満を持つ視聴者が多いのだろう。「自分たちだけの時代劇」を欲しかったのだ。こうした潜在的不満層を掘り起こしたドラマは大したものだ。主人公のラグナー役には、オーストラリア出身の俳優トラヴィス・フィムメル(Travis Fimmel)を起用したが、これが大正解。まさしく“ハマリ役”だ。本当にヴァイキングらしく見える。拍手したいくらいだ。こうでなけりゃ。彼はカルヴァン・クラインのモデルも務めたくらいハンサムで、存在感がある。セリフの話し方が独特で、視聴者もついうっとりしてしまう。(熱狂的女性ファンが存在するのも分かるなぁ。)

Kathryn Winnick 5Kathryn Winnick 1Kathryn Winnick Vikings 2



(左と右:ラガサを演じているウィニック/中央:キャサリン・ウィニック)
  主役はもちろんのこと、脇役も素晴らしく、ラグナーの妻ラガサを演じるキャサリン・ウィニック(Katheryn Winnick)が美しいし、気が強いヴァイキング戦士を好演している。(女でも戦場に出るのだ。) ひときわ異彩を放つのはフロキを演じるグスタフ・スカースガード(Gustaf Skarsgård)である。いい味出している役者である。本当に演技が上手い。ヴァイキングの信仰をかたくなに守る一方で、戦闘となったらこれまた強い。恐ろしい顔つきになる。本当に狂気の戦士に豹変するからすごい。ラグナーの弟ロロを演じるクライブ・スタンデン(Clive Standen)の戦闘シーンは格別だ。大きな斧を振りかざして、敵兵を叩きのめす。あんな攻撃を見たら腰が抜けてしまう。気迫が違うのだ。自由なドラマ作りの原点を観ているようで、日本人の筆者としては羨ましいかぎりだ。ハンディー・カメラで撮影したような、日本の腑抜け時代劇など観たくない。

Clive Standen 1Gustaf Skarsgard 2






(左:ロロを演じるクライブ・スタンテン/右:フロキを演じるグスタフ・スカースガート)

  ヴァイキングで主役を射止めたフィムメルは、欧米の女性ファンから圧倒的な人気を得て、『サンズ・オブ・アナーキー』のチャーリー・ハナムと並ぶテレビ・スターになった。やはりアフリカ系やヒスパニック系の俳優とは違った人気である。やっぱり、適所適材でなけりゃ。ハリウッドの無茶なキャラクター設定は、観客の不快感を増すことがある。たとえば、人気シリーズ映画『ミッション・インポシブル』第1作目で、凄腕のコンビューター専門家ルーサーを黒人俳優ヴィング・レイムス(Ving Rhames)が演じたが、現実離れした配役で白人観客はしらけてしまった。太い指でパソコンのキーを叩く姿は滑稽だった。知的な黒人を設定して、黒人客に媚びたのだろう。彼はどちらかと言えば『パルプ・フィクション(Pulp Fiction)』で演じたギャング、マーセラス・ウォレスの方が適任だ。変態男に拉致されて、強姦されてしまう悪人役だが、レイムスの顔を見れば、その方が適役だった。また、白人役者でも不適任な配役もある。人気ドラマ『パーソン・オブ・インタレスト(Person of Interest)』でマイケル・エマーソン(Michael Emerson)が天才プログラマーを演じるのは分かる。しかし、エイミー・アッカー(Amy Acker)が、天才的ハッカーを演じているのは少々無理がある。彼女の容姿を見ると、ファッション・モデルの方が向いている。まあ、視聴率アップのために美女を置くのは、商売手法として昔からあるので、怒ってもしょうがない。しかし、西欧人視聴者からは文句が出ないから、監督のJ.J.エイブラムや局の重役も安心しているのだろう。

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(左:ヴィング・レイムス/中央:エイミー・アッカー/右:フィンチを演じるマイケル・エマーソン)

  日本のドラマで悪質なのはNHKである。日本のドラマを観ていないから詳しく評論できないが、何本かは情報を得ている。例えば、1994年から95年にかけて放送された『春よ、来い』という朝の連続テレビ小説は、有名脚本家である橋田壽賀子の自伝小説をドラマ化したものだ。筆者は観てなかったが、ある女子大生から聞いて驚いた。橋田氏の役を当時の人気女優であった安田成美が演じていたのだ。あまりにも本人と違う役者に、多くの女性視聴者が疑問を持ったらしい。「え~?! 美化しすぎるんじゃない? 」という意見を聞いた時、筆者も内心賛成してしまった。橋田氏が親友の泉ピン子を起用するなら分かるが、本人とかけ離れた容姿の女優とはNHKも「ちょっとさあ」と思ったんじゃないか。朝のドラマは結構たくさんの女性が観ている。筆者には作品の内容まで踏み込めないから、批評は専門家に任せたい。

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(左:橋田壽賀子/安田成美/柄本明/右:乃木希典)

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(左: 乃木大将役の仲代達矢/右: コントに出演した柄本明)

  NHKの大河ドラマも観ないが、噂だけは耳にする。以前、司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』がドラマ化された。人気小説なので御覧になった方も多いだろう。筆者が気になったのは、乃木大将役に柄本明を採用したことだ。司馬氏は乃木大将について批判的だったし、反日が生き甲斐のNHKはさらに乃木希典を罵倒したい。おそらく原作を歪曲・変更できぬから、配役で乃木さんを貶めようとしたんじゃないか? 尻尾を掴まれぬよう巧妙に、乃木大将の印象を悪くしようとしたのかも知れない。柄本氏といえば、実力派俳優で筆者も好きな方である。といっても昔の映画しか知らない。『道頓堀川』(1982年)で三味線弾きのヒモ役で、柄本氏がカルーセル麻紀演じる商売女との乱闘シーンは印象深かった。そんな柄本氏は東京乾電池のコメディアンで、志村けんの番組にも出演した有能な役者である。NHK制作者はこのイメージを利用して、乃木将軍を茶化したかったに違いない。どこまで根性がねじ曲がっているのだろう。昔、『二百三高地』(1980)で、乃木大将を名優仲代達矢が演じていた。堂々とした演技で、観ていて清々しかったのは筆者だけではあるまい。この映画での激戦には胸が締めつけられる思いだった。我が軍の兵が次々と戦場に斃れ、自然と目に涙が浮かんだものである。本当につらいシーンだ。映画の最後の方では、三船敏郎演じる明治天皇の御前で、嗚咽(おえつ)する乃木大将の姿はとても印象的だった。多くの兵を亡くしてしまったことを詫びる乃木さんに、観客も思わず泣けてくる。感動的場面であった。ちなみに、大ヒット映画『明治天皇と日露戦争』(1957年)では、嵐寛寿郎(あらしかんじゅうろう/アラカン)が初めて明治天皇を演じることになった。前代未聞の配役で、アラカンも大変緊張したらしい。当時、天皇陛下を演じるという大役は、様々な方面から批判もあったが、何とか乗り切り、すごい話題になった。昔は、真剣に映画を制作していたのである。

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(左: 嵐寛寿郎/右: 三船敏郎)

  日本ではまだ日本人だけで映画制作が可能である。欧米では多文化主義で、キャスティングが滅茶苦茶、時代劇は無惨なものだ。イギリス国王ヘンリー8世をクロアチア系俳優エリック・バナ(Eric Bana)が演じるという映画もあった。出身国のオーストラリアで「ウォグ(浅黒いアジア人/wog)」と馬鹿にされた男が、有名なイングランド国王を演じるとは、イギリス人だって不愉快だろう。日本でもし、帰化朝鮮人や帰化支那人の俳優が明治天皇や昭和天皇を演じたら嫌だろう。それに、もしNHKが日本育ちのタイ系やフィリピン系またはインド系俳優を天皇陛下の役に抜擢したら、日本人視聴者は喜ぶのか? NHKならやりかねないぞ。まさか帰化した黒人俳優を起用しないと思うが、人種的多様性とか多文化主義が普及すれば、こんな事態だってあり得る。そうなった時、一般人は筆者のように反対出来るのか? 西欧世界とは違うから安心している日本人は、将来きっと後悔するだろう。西歐の窮状を知りながら、有効な手を打たなかったことを反省するかも知れない。予測できる弊害は初期段階で解決すべきである。




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