英国婦人が家庭教師

  世間では「歴史は小説よりも奇なり」と言うから、筆者は小説よりも歴史書を読む。しかし、昔はたまに小説を読んだ。その数少ない読書歴の中で、懐かしいのはジェフリー・アーチャー(Jeffrey Archer)の『ロスノフスキ家の娘(The Prodiggal Daughter)』である。原書のタイトル「放蕩娘(ほうとうむすめ)」は、新約聖書の中で語られる「放蕩息子」をもじった造語であろう。(ルカによる福音書15章11-31節) 最近本棚を整理していたら、偶然目について少しページをめくってみた。そこで、確か上智大学教授の渡部昇一先生が、アーチャーの小説について、随筆を書いていたことを思い出したのである。渡部先生が御著書で指摘しなかった点を述べてみたい。

Jeffrey Archer 1(左/ジェフリー・アーチャー)
  『百万ドルを取り返せ(Not a Penny More, Not Aa Penny Less)』という作品で有名になったジェフリー・アーチャーだが、日本人にとっては、彼の代表的小説『ケインとアベル(Kane and Abel)』の方が馴染み深いだろう。この小説はドラマ化され、日本でもテレビで放送されたから、多くの視聴者が覚えているだろうし、レンタル・ビデオで観た人も多いに違いない。ちょっとストーリーを紹介すると、主人公アベルは、ポーランド貴族(男爵)の庶子として生まれ、祖国が戦争に負けたことでシベリア送りとなってしまう。イギリス人に助けられ、やがて米国に渡り、ウエイターとしてホテルで働くようになった。一方、上流家庭に生まれたケインは、エリート・コースを歩み、銀行の重役に納まる。貧しい身分からやがてホテル王になったアベル・ロスノフスキは、銀行家のケインと対峙するようになる。出世した貧乏移民と裕福なアメリカ人銀行家がある誤解が元で敵対し、ケインが死んだ時に誤解が解けて、アベルは涙を流す。異なった二人の人生が交わるストーリー展開は、読む者を釘付けにする。人気作家の腕前はすごい。アベルは自分の出生を示すかのように、自分のホテルを「バロン(男爵)」と名づけた。

Kane & Abel(左ケイン役のサム・ニール/右アベル役のピーター・シュトラウス)
  『ロスノフスキ家の娘』は続編で、アベルの娘フロレンティナ(Florentyna Rosnovski)が主人公となる。前作では、ホテルの給仕から身を興してホテル王となったアベルは、ボストンの銀行所有者たるケインと、不倶戴天の敵になっていた。しかし、続編ではケインの息子リチャードが、アベルの娘と恋仲になるのだ。そして、彼女はアメリカ大統領になるという物語である。未来を予想した小説だったが、アーチャー氏も、まさか黒人が先に大統領になるとは、予想外の出来事だったに違いない。ヒラリー・クリントンが大統領になっていたら、駆けつけた記者のインタヴューで、さぞかし自慢できたことだろう。現実は小説よりも意外性に富んでいる。ところが、不測の事態は自分の身に起きてしまった。ある裁判で友人に嘘のアリバイを頼んだことで、アーチャー氏は偽証罪に問われ、実刑を喰らってしまった。現実の世界でウェストン・スパー・マーレ男爵となったアーチャー氏は、ホテルではなく刑務所で暮らすことになってしまった。『ああ、無情』といいたくなる。小説とは大違い。現実は甘くなかった。

Sharon Stone 3Sharon Stone & Roan 1(左シャロン・ストーン/右養子と一緒のシャロン)
  小説の中で、ホテル王アベルは娘のフロレンティナに家庭教師兼保母をつけようと、ニューヨーク・タイムズ紙やロンドン・タイムズ紙に求人広告を出したところ、ある英国婦人が応募してきた。ミス・トレッドゴールド(Miss W. Tredgold)英国人牧師の娘で、独身婦人という設定である。女子大で国語(英語)はもちろんのこと、ラテン語、ギリシア語、フランス語、を習得し、ケムブリッジ大学でも優秀な成績を収めた才女だ。(Jeffrey Archer, The Prodigal Daughter, Coronet Books, London, 1983 p.26) 邸宅で一緒に暮らしてくれる“英国人”家庭教師は、アメリカ人の成金にとって、たいへんなステイタス・シンボルとなる。爽快なブリティッシュ・アクセントと毅然とした態度、察しが良くて機知に富むイギリス人女性は、子供の養育掛として最高である。そういえば、薩摩藩主の島津家に雇われた家庭教師エセル・ハワード(Ethel Howard)女史を思い出せば分かるだろう。献身的な英国人女性は、島津家の子供たちを魅了し、幼き島津陽之助がハワード婦人を母親のように慕う姿はいじらしかった。これとは正反対の話になるが、人気ハリウッド女優のシャロン・ストーンは、自分が養子にした子供にフィリピン人保母(nanny)エリンダ・エレメンをつけたという。ところが、シャロンはそのエレメンの民族性や宗教をしばしば侮辱したという。リベラル派女優であるはずのシャロンが、保母のフィリピンなまり英語を馬鹿にしていたのだ。(Sharon Stone sued by former nanny over unfair dismissal, BBC, 24 May 2012) 我々もよく耳にするあの不快なフィリピン・アクセントを、彼女の子供が真似することを懸念したのである。裕福な有名女優でもイギリス人保母は高価に思えたのかも知れない。確かに、英国人の執事や保母は、いかにも高級取りに見えてしまう。

  現在では、ギリシア語やラテン語といった古典語は、大学生でも修得せず、ましてや高校生がキケロやヴェルギリウスを暗唱するなんてまずない。昔なら大学に進学するような若者は、ラテン語くらい教養として身につけていたものだ。ミス・トレッドコールドは、そんな古き良き時代に生まれた良家の子女である。後に、彼女を雇ったアベルが正しかったことが証明されたのだ。彼女は教科書を積んだロバではなく、叡智と判断に優れた婦人という意味である。「有名女子大の英文科卒で、帰国子女で~す。英語がネイティヴ並みに話せます」なんて馬鹿丸出しのキャリア・ウーマンとは大違い。小賢しさを教養と間違えている人物ではない。

ポラックと馬鹿にされて

Kane & Abel 2 (左/赤い服の女性がフロレンティーナ)
  裕福な家庭に生まれたフロレンティーナは、5歳でシカゴ女子ラテン・スクール附属幼稚園に通い、ミス・トレッドゴールドの教育も手伝って、フロレンティーナはフランス語を習得するようになった。ただ、ミス・トレッドゴールドが気がかりだったのは、フロレティーナの友達をお茶に招待するのだが、鄭重に断られるのだ。親友のメアリー・ジルとスージー・ジェイコブソンはよく来てくれるのだが、その他の友達はポーランド移民の邸宅に招かれることを嫌がった。ミス・トレッドゴールドは何とか招待しようと努力したが、しょせん雇われ教師に過ぎず、子供たちの親を説得することが出来なかったのである。彼女はフロレンティーナがこの偏見に気付かぬよう祈るのみだったという。(p.31)

  意地悪なガキんちょは、いつの時代にも、どこの国にもいるものだ。ちょっとした事でも子供は気になり、級友をおちょくることがある。第二学年に進級したフロレンティーナは、まだ幼さが抜けきっておらず、熊のぬいぐるみを手放すことが出来なかった。彼女は大好きなぬいぐるみに<尊敬するフランクリン・D・ローズヴェルト(F.D.R.)と名づけ、いつも側から離さず、学校にも持って行ったぼどだった。セオドア・ローズヴェルトにちなんだ「テディー・ベアー」は有名だが、アーチャー氏はパロディー感覚でF.D.R.という「ぬいぐるみ名」にしたのだろう。フロレンティーナのフランス語クラスには、毎週月曜日ラテン・スクールの男子児童が加わっていた。担当教師のメティネ先生は、男女混淆のクラスを快く思っていなかったらしい。当時は、エリート校は男女別というのが普通だったので、現在の公立校とはかなり違った雰囲気を持っていた。フランス語が得意な家庭教師を持っていたフロレンティーナには、退屈な授業だったのかも知れない。彼女はお気に入りのF.D.Rに向かってフランス語で話しかけていたというのだ。早熟な女の子にしたら、初歩のフランス語なんか真面目に聞いてられなかったのだろう。彼女の隣には、背が高くちょっと怠惰な少年エドワード・ウィンチェスターが坐っていて、フランス語の男性・女性名詞や定冠詞の理解に四苦八苦していた。外国語が苦手な少年の側で、ぬいぐるみ相手に流暢なフランス語を喋る少女がいたのでは、男の子の沽券(こけん)に関わり、こしゃくな奴と思ってもしょうがない。エドワードは彼女に自慢を止めろと言うが、フロレンティーナはF.D.R.に男性定冠詞のleと女性定冠詞のlaを教えているだけ、と言ってエドワードの気持ちを察しなかった。まあ、小学生の少女では無理だろう。

  フロレンティーナの語学力に嫉妬したエドワードは、彼女のぬいぐるみを奪い取って、熊の腕を引き千切ったうえに、インク壺の中身をふりかけてしまった。フロレンティーナは、インクで青くなってしまった大切なF.D.R.を手に取り、必死で拭き取ろうとした。この顛末を目にしたメティネ先生は、エドワードを校長室に連れて行き、こってり油を絞ったらしい。一方、フロレンティーナは床に落ちたぬいぐるみの腕を拾い、元に戻そうと無駄な努力をしていた。すると、フロレンティーナが好きになれなかった女子児童がそれを見て、「いい気味よ、頓馬なポラック(stupid Polack)」と嘲ったという。「ポラック」とはポーランド人を馬鹿にした侮蔑語である。ちなみに、ユダヤ人は「カイク(kike)」と呼ばれる。映画で「カイク」という落書きを目にするが、日本人観客には何のことやら分からない。文盲のユダヤ移民が入国管理所で、書類に記入する際、欄に「X」を書けと言われたが、十字架を連想するので拒否した。そこで「丸(カクル/kikel)」を空欄に記入したことから、「カイク」という綽名ができたという。意地悪な少女が「ポラック」と呼ぶと、級友たちもおもしろがって「頓馬なポラック、頓馬なポラック」と合唱するようになった。先生から叱られたエドワードが教室に戻ってくると、フロレンティーナにした無礼を謝ってから席に着いた。しかし、反省は表面だけで、級友に向かってエドワードは笑顔でニンマリしていたという。(p.32-33)

Governess 1(左/英国の家庭教師を描いた絵)
  ミス・トレッドゴールドがフロレンティーナを迎えに学校へ来た時、トレッドゴールド女史はフロレンティーナの泣き顔にきづいた。帰宅の途中、彼女は学校での出来事を聞き、夜になってからその話をアベルに打ち明けたのである。これを聴いたアベルは「絶対に許せん」と激怒し、早速あの学校から娘を転校させようとした。ところが、彼女は雇い主の意向に反対したのである。アメリカ人にはポーランド移民だけではなく、アイリス人、ユダヤ人に対する根深い偏見があることを説明し、それをどうすることも出来ぬと認めたのだ。アベルはお金持ちだから、その現実から娘を隠すことが出来ようが、初めて遭遇した困難から逃げることは、彼女にとっても良くないことを懇切に説いた。ミス・トレッドゴールドは無遠慮な自分の意見を謝罪すると共に、人々の偏見を非難するが、同時に雇用主の現実逃避も宥恕(ゆうじょ)できかねる旨を伝えた。彼女の毅然とした態度には、アペルも脱帽した。アベルは「あなたは家庭教師じゃなく、外政官になるべきでしたな」と感服したという。

  そこで、ミス・トレッドゴールトはある提案をした。アベルが忙しいのは分かるが、愛する娘のために毎朝30分時間を割いてポーランド史を教えるよう頼んだのである。この役目はミス・トレッドゴールドでは、不適格であると判断したのだ。なぜポーランドが偉大な国で、勝利が絶望と分かっていてもドイツと戦わねばならなかったのかを教えるのは、実の父親でなければならない、と。他人からではダメだ。血の繋がった親子の間で祖国の歴史を伝えねばならぬ。フロレンティーナは父親から、直に“祖先の過去”を物語として教えてもらわねばならないのだ。こう説得されたアベルは、すっかり彼女を尊敬してしまう。ジョージ・バーナード・ショーがかつて、「イギリス人家庭教師に逢わねば、なぜ英国が偉大なのか判らぬ」と言ってましたな、とアベルは付け加えたのである。こうしてアベルは毎朝、娘に自分の生い立ちや辛い幼年時代、実父の素性などを語ったという。

  自分の先祖や祖国の知識を身につけ、自信をつけたフロレンティーナは復讐の機会をうかがっていた。しかし、当のエドワードはすっかり忘れている様子で、なかなかチャンスが訪れない。だが、クラスメート全員が忘れていたわけではなかった。フロレンティーナに聞こえるよう、「頓馬なポラック」と陰口をたたいていた。ある歴史の試験が行われた時だ。あの意地悪な少女が成績でビリになり、フローレンティナが一番になったのである。彼女は教室内で「私は少なくともポラックじゃないわね」と宣言した。エドワードは顔を歪め、他のクラス・メイトはクスクス笑っていた。教室のみんなが静まりかえるのを待って、フロレンティーナは意地悪少女に向かって「確かに、あなたはポラックじゃないわ。百年くらいしか遡れない歴史を持つ第三世代のアメリカ人よ。私の歴史は千年遡れるの。だから、あなたがビリで、私がトップなの」と事実上の勝利宣言をしたのである。それ以降、クラスの友達は誰もその話題を口にしなかったという。(p.38) 一件落着。

labrador(左/ラブラドールの仔犬)
  後日、ミス・トレッドゴールドはフロレンティーナをある場所に連れて行った。彼女は新聞広告を見て、フロレンティーナを驚かせてやろうと思ったのである。フロレンティーナが室内に入ると、そこには白みがかった黄色い毛並みのラブラドールがいて、六匹の仔犬がいた。そのうちの一匹はびっこを引いていたが、フロレンティーナは妙に気になったらしい。ミス・トレッドゴールドが、その仔犬は良くないわ、と告げても、フロレンティーナはどうしてもその仔犬がいいと言い張った。その仔犬を彼女が抱き上げると、嬉しそうに彼女の顔を嘗めた。ミス・トレッドゴールドが値段を尋ねると、そこの主人は無料でいいと言ってくれた。おそらくびっこの犬は売れ残りになり、殺処分の対象になるからだ。大切な熊のぬいぐるみを失い、落ち込んでいたロレンティーナに、粋な計らいをしたミス・トレッドゴールドは素晴らしい。さすが英国婦人の家庭教師だ。

アメリカだからこそ成功した

  渡部昇一先生は、この小説を紹介し、祖先の歴史を父が教える重要性を紹介していた。(渡部昇一 『文明の余韻』 大修館書店 1990年 pp.53-55) フロレンティーナの話は、大人の小説家アーチャー氏が書き上げたフィクションで、実際に起こったことではない。短いアメリカの歴史と比較して、ポーランドの長い歴史を自慢するフロレンティーナだが、致命的な欠点がある。ポーランドが悠久の歴史を持ち、偉大な英雄や立派な貴族が居たことは分かるが、そんなに偉大なポーランドから大勢の移民が米国に押し寄せたのはどういうことか。千年以上の歴史を誇る素晴らしいポーランドなのに、国民が塗炭の苦しみにあえぎ、祖国を見捨てて新興国のアメリカを目指したのである。本当に立派な国民なら、祖国に残って国家再建に尽力すべきだし、指導者層も国民と共に歩んで一致団結したはずである。残ったポーランド国民と米国へ移住した元国民の違いは何か? アベルはどう答えるのか? 彼はアメリカ国籍を捨てて、再びポーランドへ戻ってホテル王になるのか? 祖国の復興よりも、豊かな異国を選んだポーランド移民は偉いのか? もし、意地悪少女がフロレンティーナに、「ポーランドはいつになったら、アメリカ人が移住したくなる国になるのかしら?」と質問すれば、優等生のフロレンティーナだって答えられない。父アベルでさえ言葉に詰まるだろう。

  移民のジレンマはまだある。アベルはポーランドではなくアメリカでチャンスを掴み、人もうらやむホテル王になって、東欧出身のバロン(男爵)だ、と自慢していた。もし、アベルが“偉大な”ポーランドに残っていたら、百姓かせいぜい行商人にしかなれず、運が悪ければ一兵卒で戦死かも知れない。歴史は短くとも、東欧の貧乏国に無い活力と能力を備えたアメリカだからこそ、アベルは出世できたのである。アベルにいくら能力があっても、ポーランドに住み続けたら平民で一生を終わっていただろう。これなら日本人にもよく分かる。帰化した朝鮮人藝人は、朝鮮系歌手が居ないと紅白歌合戦は成立しない、とか、在日鮮人俳優が日本の藝能界を支えてているんだ、などとほざいている。なら、みんな朝鮮に帰れ。我々は日本人歌手や役者だけで日本の藝能界を構成すればいいだけだ。朝鮮人藝人が居なくても寂しくない。かえって清々する。次々と新しい藝人が出てきて、歌謡曲を歌ったり、映画を制作するだろう。日本の藝能界を去る朝鮮人の方が、よっぽど困るだろうし、戻った南鮮でつらい思いをし、日本を懐かしむのではないか? 活気に溢れ潜在能力が豊富で、民度が非常に高い日本だからこそ、穢多(エタ)としか見えない朝鮮人が、大企業の経営者になったり大物歌手になれたのだ。

  作者のアーチャー氏は、英国人の僻(ひが)みからか、米国という大市場を意識したのか分からぬが、非西歐移民の自尊心をくすぐるような場面を書いたのだろう。アメリカ合衆国は、確かに歴史が短く、統一国家の体裁を整えたのは、南北戦争以降である。それ以前は独立志向が強い州の連合体といった方がよい。日本人学者にも、アメリカの短い歴史をあざ笑うことが格好良いとする風潮がある。左翼活動家から保守派に転向した西部邁も、アレクシス・トクヴィルを引用して、アメリカ人の性急さや軽薄さ、愚劣さをあげつらっていた。(西部氏は個人的に話せば、気さくだし面白い。良いオッチャンである。居酒屋の常連客なら楽しい人である。) もちろん、アメリカ人にはアホなところが多い。筆者だって、言い始めればたくさんある。しかし、現実に日本を屈服させ、超大国にのし上がった事実を認めねばならない。現代日本人に欠けているのは、戦国武将のような冷徹な洞察力である。生死を賭けた戦乱の世に生きた、歴戦の武将や軍師は、感覚や判断の点で我々とかなり違う。強い相手を見くびることはしなかった。織田信長が「うつけ者(ドラ息子の不良)」という評判を耳にしても、斎藤道三はジッと将来の婿殿を観察していたのだ。そして、信長の潜在能力に気づいていた。さすが「蝮(マムシ)の道三」はひと味違う。三好三人衆ならもっと用心深いのではないか? アメリカ合衆国の元勲たち、すなわち“元イギリス人”指導者は、新たな共和国を建設するだけの才幹(virtu)があった。信玄や謙信でなくても、竹中半兵衛、黒田官兵衛、直江兼続、藤堂高虎といった武士なら、決して西部氏のような意見はとらない。難解な哲学論をふりまわす保守論客は、戦後教育を受けた一般個国民を丸め込むことが上手だ。それに、日本国民の根底にアメリカへの反発心が渦巻いているので、そこを煽ってやれば、保守派国民は言論人の太鼓に合わせて踊るのだ。保守派を自認する日本国民は、慧眼の戦国武将に学ぶべきだ。我々は歴史的偉人を豊富に持っている。ただ、学校でマヌケにされているだけだ。

Nishibe(左/西部邁)
  イギリス人(アメリカ人)入植者というのは、インディオの土地から竹の子のように生えてきた人間かではない。イングランドの歴史や慣習を継承した人々である。したがって、彼らは千年以上の歴史を相続した入植地経営者なのだ。ちょっと複雑になるから省略するが、ギリシア・ラテンの伝統(シヴィック・ヒューマニズム/civic humanism)やルネサンスの思想を継承した人物が、国家の中枢を担っていたのである。法律だって、ブラクトン、クック、ヘイル、ブラックストーンの流れを汲む、英国の正統派憲政思想をアメリカに持ち込んでいた。東大法学部でクルクルパーにされた連中には分からない。法務省や裁判所に勤める卒業生が、無知で異常なのは変態憲法思想を注入されているからだ。筆者派はかなりの期間、英米國體思想を勉強していたので、我が国の異常な学会を痛いほど知っている。いずれ小林節らに鉄槌を下す。弁護士に気違いじみた人物が多いのはこのためである。

  当代きっての碩学渡部昇一先生が強調した、子供に誇りを持たせる歴史教育には大賛成である。外国人からみれば、大したことのない歴史と言われようが、我々にとっては貴重な遺産である。子供は自分の血管に、偉大な祖先の血が流れていることを悟る時、胸が高鳴り、勇気が湧き、祖国への義務と忠成を認識する。幸い、日本の歴史には誇るべきものが満ちており、各時代に高潔な人物が詰まっている。学んでいて楽しい。こんな国家は珍しい。宝石を石炭と呼ぶ学校教師は、子供の心を踏みにじる犯罪人である。我々は祖先の子孫であるとの常識に気づいたら、日本人はもっと立派になれるのだ。




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