営業保守かも知れない産経新聞
左翼新聞ばかりの日本で産経新聞は、一応「保守派の新聞」と位置づけられている。冷戦時代ののマスコミは、ソ連や支那、朝鮮を露骨に賛美し、社会主義陣営の応援団になっていたから、左翼勢力に荷担しないサンケイ新聞はちょっと目立っていた。しかも、朝日新聞のように皇室を憎まず、むしろ敬意を示していた産経新聞は皇室伝統を守りたい国民から支持されたのである。ところが、新聞社に入りたい若者には、大学で左翼思想にかぶれたり、真っ赤に洗脳されなかったけど、ピンク色程度に染まった連中がいたのだ。今では朝日・毎日新聞と対立する保守主義の立場を取っている産経新聞だが、その内部に左翼分子が混ざっていることは確かである。具体的事実や個人を見て行けば読者にも分かるだろう。見えにくい場所に散らばっているが、重要な事実を見逃してはダメだ。それに、フジ産経グループの雑誌『正論』があるから、安易に産経新聞を保守派メディアと考えてはならない。大きな会社になれば、いかがわしい人物が紛れていることだってあるだろう。世間では「営業保守」という言葉もあるくらいだ。
産経新聞を辞めた記者の中には、高山正之みたいに正常なジャーナリストもいるが、元ロンドン支局長の木村正人みたいな怪しい人物もいる。一般社員と同じで海外特派員とか政治部記者というのは、原則的に自分の思想を記事に披露しないから、読者はどのようなジャーナリストなのかはっきりと分からない。しかし、時たま雑誌に寄稿する論文で、如何なる思想の持ち主かが判明する場合がある。木村氏が最近自身のブログに掲載した記事には驚いた。6月6日附の『ミス・ユニバース日本代表が問いかけた「ハーフ」の意味「あなたは日本人じゃない」』という文章は、馬鹿馬鹿しい論調に満ちている。木村氏は日本代表に選ばれた宮本エリアさんを取り上げ、日本人の閉鎖性について論じていた。海外暮らしが長い木村氏の周囲には「ハーフ」がたくさんいて、外国人との「ハーフ」は気にしたことがないという。ロンドンに在住している木村氏にとっては当り前じゃないか。今やロンドンなんて西洋の“カイロ”か“バグダッド”みたいな都市だろう。東欧出身者ばかりではなく、アフリカ人や中東アジア人もウジャウジャいるのだ。ロンドンがまるで第三世界の首都に思えてくる。しかし、木村氏は日本が英国みたいになれば良いと考えているみたいだ。
日本にアジアやアフリカ出身の移民が少ないことは良いことだろう。ところが、木村氏にとっては不満らしい。彼は経済協力開発機構(OECD)の統計を持ち出して、各国に於ける外国生まれの者が占める割合を話題にする。英国だとその比率は11.9パーセントだが、日本はそうした統計が無いので、外人の人口が総数の1.6パーセントである事実を示した。木村氏の分析によれば、日本人が肌の色や文化宗教の違う外人を受け入れられないのは、日本が島国である事に加え、極めて同質性が高い社会だから、という点に理由があるそうだ。多文化主義に対しては、英国でも地域差があるという。しかし、木村氏の観察だと「移民が多いほど違いに寛容になる」んだって。それは「寛容」じゃなくて「諦め」と「無関心」の結果ではないのか? 戦後、大英帝国の存続を希望するあまり、ブリテン政府はインドやアフリカの旧植民地からの移民を許してしまった。それまで白人が主流だったイングランド王国に、有色人種が大量に上陸したもんだから、当時の民衆はかなりの不安と不満を持っていた。英国の黒人問題を知りたければ、たくさん文献がある。例えば、ピーター・フライヤーの『The History of Black People in Britain』やディリップ・ヒロの『Black British, White British』、デイヴッド・ゴールドハート『The British Dream』とか、文献を挙げればキリが無い。
(左:英国の街頭/右:英語を学ぶ移民たち)
木村氏の政治評論では、EU離脱と移民規制を掲げるブリテン独立党(UKIP)が勢いを増しているが、外国生まれの人口比率が高い選挙区では独立党の苦戦が目立つという。それは普段から肌の色や宗教の違う人と一緒に暮らしていると、違いが気にならなくなるから、だってさ。しかし、これはイギリス人が寛容になったからではなく、移民排斥をするだけのガッツが無くなったことを意味しているのだ。余りにも有色移民が増えすぎたので、取り除くことが出来なくなってしまった、というのが実態。現実に目を向ければ住民の多くが、移民かその子孫、あるいは配偶者が外国人となれば、移民排斥の候補者には投票しないだろう。それに加え、戦後左翼教育のせいで、イギリス人も赤ないしピンク色に染まってしまったのだ。恐ろしいことに、労働党のブレア政権下では、政府が意図的に移民を増やしていたのである。これは新聞で暴露されてしまった。英国の研究だと、移民が元々少ない低所得地域で、移民の数がある一定のレベルを超えると拒絶反応が起こってしまうそうだ。そりゃ確かにそうだろう。イングランドの片田舎に、突然茶色のパキスタン人が住み着いたり、中東アジアのイスラム教徒がモスクを建てたら、誰だって怒り出すじゃないか。村の景観を損ねるし、奇妙で醜い人種が街を闊歩したら不愉快だ。たとえば、英国中部の美しい田園地帯のコッツウォルズ(Cotswolds)に、インド人やケニア人、支那人がうろついたら嫌だろう。日本人観光客だってガッカリするに違いない。わざわさ美しいイングランドを見に来たのに、カルカッタやイスタンブールとそっくりな風景じゃ、せっかくの旅行が台無しである。
(写真/コッツウォルズの風景)
良識を備えた日本人ならば、有色移民でごった返すイングランドを見て、日本は移民を排除せねば、と考えるのが普通だ。多民族主義は百害あって一利無し。嫌な人種と一緒に暮らすなんてストレスが溜まってしまう。しかし、木村氏は違う。「問題を抱えているのはエリアナさんではなく、日本と日本人の方なのだ」とおっしゃる。木村氏曰く、
デジタライゼーションで世界が1つに結ばれる21世紀の「ガラパゴス諸島」になりたくなかったら、日本と日本人は多様性を受け入れる寛容さを身につける必要がある。
「多様性(diversity)」という言葉の響きは良いが、その実態は世界中の有色人種がひしめく雑居状態である。イスラム教を熱心に信仰するアラブ人とか、それに反発するユダヤ人、妙な臭いを発するヒンドゥー教徒、黒光りのアフリカ人、白人娘を手込めにする不良パキスタン人、狡賢い支那人など日本人なら卒倒する世界が今のブリテン社会なのだ。ロンドンのある地区には、目を疑いたくなるような小学校がある。学校に通う児童に、アングロ・サクソンの子供がいなくて、イギリス人かと思いきや東欧系の子供だったりする。小学校児童の90パーセントくらいが第三世界出身者の子供で、100ヶ国以上の言語が飛び交っているのだ。家庭で喋る言葉が英語ではなく、パンジャブ語やウルドゥー語、ベンガル語、ソマリア語などの子供がいたら、学校の教師は頭が痛くなる。算数や理科を教える前に、英語のレッスンじゃ気が滅入ってしまう。我々日本人も、黒や茶色の児童を見て典型的なイギリス人の子供だとは思わない。これならデンマークやスウェーデンの子供の方が、遙かにイギリス人の子供らしい。
テレビをつけてドラマを見れば、非西欧人の役者が異様に多い。英国ドラマに出てくる女優や有名藝能人がパキスタン系やレバノン系、エジプト系では、何処の国でテレビを見ているのか分からなくなる。ブリテンならやはり西欧系女性の方が自然である。たとえば、『オースティン・パワーズ』のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)やヘザー・グラハム(Heather Graham)、『MI-5英国機密諜報部』のミランダ・レイゾン(Miranda Raison)、『シャーロック』のケリー・ライリー(Kelly Reilly)、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のキーラ・ナイトレー(Keira Knightley)、人気モデルのヘレン・フラナガン(Helen Flanagan)、などである。
テレビ司会者ならキャト・ディーリー(Cat Deeley)の方がいいし、BBCキャスターならアフリカ系やインド系アナウンサーより、フィオナ・ブルース(Fiona Bruce)の方が見ていて気持ちが良い。ブリテン風のアクセントでニュース原稿を読んでいるが、顔を見たらインド人では違和感がある。日本でも同じ事が言えるだろう。例えば、京都のローカル放送局がニュース番組を放送する際、メイン・キャスターがタイ人やビルマ人では、京ことばで話していても何となく場違いな気がする。それに、もしアナウンサーの大半が金や朴、李、劉といった帰化支那人や在日朝鮮人だったら、日本の放送局とは思えない。彼らが京都の美や伝統を紹介したって、日本の視聴者は感動しないだろう。
日本はアジア大陸に近いが、日本海という自然の壁があったお陰で、アジア人の流入を防ぐことができたのである。偶然出来た地理的条件だが、日本人は同質メンバーで暮らせるという幸せを享受してきた。しかし、木村氏にはそれが不満らしい。異民族混淆社会を経験していないことが、我が国の「不利」であると木村氏は考える。彼は「幼いころから子供たちに多文化を経験させてやる」ことや「国際交流の機会をつくる」ことが大切だと説く。さらに「テレビや新聞、雑誌でエリアナさんのようなバックグラウンドを持つ日本人が働く姿を頻繁に取り上げる」ことを提案し、「移民の社会参加を促す」のが重要と語るのだ。なんだこりゃ ? 朝日新聞かNHKの回し者か? これでは「アジアやアフリカからの移民が一生懸命、日本社会で働いていますよ。彼らも日本の一員じゃないですか。民族差別はいけませ~ん。皆さん仲良く一緒に暮らしましょうね。国際化の時代に遅れちゃいますよ~ぉ」という左翼の謀略宣伝と同じてはないか。左翼メディアは人間が持つ「馴れ」という習性を利用する。嫌なものでも、何度も見るうちに馴れてくる。例えば、左翼テレビ局はゲイやレズビアンへの偏見を無くすためという口実で、同性愛藝人を頻繁にテレビ番組へ出演させて、一般人の嫌悪感を薄くしようと謀る。つまり、心理操作を行っているのだ。不気味なアジア移民でも、毎日テレビで見かければ変に思わない。大衆煽動に長けた反日左翼は、テレビや雑誌という娯楽メディアを使って、一般人を“再教育”するのだ。木村氏は、エリアナさんを選出した選考委員会は「進取の気風に富んでいた」と評価している。まるで、嘗ての「進歩的知識人」みたいな発言だ。
日本人の良さの根底には、血統に基づく国民的結束や、同質社会で育まれてきた君臣の交わりがある。特に、皇室と国民の絆を考えれば直ぐ理解できるだろう。異民族が雑居するバルカン半島では考えられぬ特徴だ。民族が違えば血で血を洗う戦いになる。日本では、満員電車でも紛争が起きない。外国なら殴り合いの事件が毎日起きても不思議ではないだろう。それにもし、外国で大震災があれば底知れぬ恐怖と暴力が広まり、窃盗、殺人、強姦、放火が頻発するんじゃないか。多民族社会の米国なら、黒人が恒例の掠奪祭りを始めるし、白人は自己防衛の殺人を行い、支那人はさっさと逃げるのが定番。同じ民族で二千年以上も同居してきた日本人は、誠に幸せな国民である。それなのに、木村氏は国籍取得で「血統主義」を「生地主義」に改めよ、と促す。つまり、両親が日本人でなくても、日本の国内で生まれれば、外人の子供でも日本人にしちまえ、と提案しているのだ。木村氏は生地主義にすることが、“日本人の心の奥底に根ざす”「血統主義」を一変させるきっかけになる、と考えている。これは日本国の構成員を人種・民族的に変質させて、日本を別の国に改造してしまおう、とする文化攻撃型共産主義(Cultural Marxism)の戦術とソックリだ。産経新聞には同類の社員がいた。あの千野境子だ。彼女は大阪の猪飼野を取材して、在日朝鮮人と日本人が共存していることに感動していた。「異なる民族、文化と共に刻まれた猪飼野の知恵と教訓」だとさ。(千野境子 『大阪の扉』 産経出版社 2005年 p.58) 普通の日本人なら絶対住みたくない朝鮮人密集地で、一体どんな知恵や教訓があるんだ? 洗脳されていない日本の女性なら、キムチの臭いが漂う市場で買い物なんかしたくないぞ。 店頭で豚の頭や、豚足、何が入っているか分からぬ漬け物、糞尿まみれの海苔を見て楽しくショッピングなんて有り得ない。いかにもアジア主義者の千野らしい考えだ。
(左:北欧系の子供 / 右:アフリカ人の親子)
日本に難民を入れたがっているのは、なにもNHKやTBSばかりではない。移民問題で苦悩する欧米を熟知しているはずの特派員なのに、木村氏は産経の記事や『正論』を読んだことがないのだろう。ロンドン支局長は「東スポ」や「スポニチ」の方を愛読しているんじゃないか? 産経社員だって朝は、野球やゴルフ、藝能といった気楽なコラムが楽しいよね。どうせ会社でつまらない産経新聞を読まなきゃならないから。話を戻す。歐洲は移民で大混乱。しかし、木村氏は日本が僅かしか難民を引き取らないことに不満があるようだ。「日本の難民認定はわずか11人」と嘆くが、いやむしろ素晴らしいじゃないか。一般人にとったら、難民が隣りに住み着つくなんて嫌だろう。住宅の資産価値が下がってしまうじゃなか。難民の第三国定住は迷惑である。米国は難民を66,200人、オーストラリアは13,200人、スウェーデンは1,900人、英国は970人受け入れたそうだ。木村氏は欧米諸国が厄介者を引き取ったから、日本も引き取れと言いたいのだろう。それなら、木村氏が自分の家に10人くらい難民を引き取って養えばいいじゃないか。各人に寝袋を与えれば、1世帯で10人くらいの難民は住めるぞ。庭にダンボール・ハウスを作ってやれば5、6人の難民が住めるだろう。産経新聞の重役なら、30ないし40人の難民を世話できるはずだ。高級住宅地の豪邸ならそれくらい楽だろう。木村氏は、欧米でイスラム系移民がイスラム過激派に変身する事実をもって、外人排除の純血主義を唱える日本人を譴責する。木村氏は、「好むと好まざるにかかわらず、人やモノ、カネ、情報がどんどん国境を越えて行き交う」から諦めろとでも言いたいのか? 日本の庶民は反対だ。木村氏のような博愛主義者や多民族主義者がそんなに難民や移民を好きになら、移民や難民を日本に引きずり込むのではなく、アフガニスタンかパキスタンの曠野に難民共和国を作ればいいじゃないか。言いづらいことかも知れないが、迷惑な移民を排斥し、難民を拒絶することが日本人の幸せである。
(左/ジェーン・ケリー)
英国人は油断をして移民を入れてしまった。移民とは恥も外聞も無い下層民で、一旦英国に住み着けば大量に繁殖して、宿主・大家の数より増えてしまう。気がつけば、イングランドは嘗てのイングランドではなかった。『ソリズベリー・リヴュー(Salisbury Review)』の編集員であるジェーン・ケリーが嘆いている。英国政府の統計によると、過去10年間で60万人のブリテン系白人がロンドンを去ったそうだ。学校には有色人種の子供が溢れ、イングランドの教育機関とは思えない。父兄の間では、「良い学校(good school)」とは「白人のイギリス人が通う学校」を指す隠語だという。アジア・アフリカからの移民に加えて、英国には東欧からの移民も多い。クリスマスの頃、ケリー氏はある市場に買い物に出掛けたという。入店した彼女は、隣で買い物をしていた白人女性に店の野菜について話しかけた。しかし、彼女はちっとも反応しない。ケリー氏はその白人女性が英語を話せないことに気づいた。もう白人だからといって英国人とは限らない時代になったのである。彼女は嘗ての英国を懐かしんでいた。昔は、婦人たちが外出する時は、一番良い帽子と手袋をしていたのに、今ではそんな女性はまず見かけない。幼い頃の英国と比べると、ケリー氏はまるで異国にいるような気がしたという。(Jane Kelly, I feel like a stranger where I live, The Telegraph, 29 January 2013)
欧米諸国と同様に、日本でもジャーナリストは左翼が多数派である。いくら社長が保守路線を主張しても、社員がそれに従わない。面従腹背は世の常だ。そもそも新聞記者なんて、昔は「羽織ゴロ」と呼ばれていたくらい蔑まれていた。他人の弱みを嗅ぎつけて脅すから、日本の庶民は忌み嫌ったのである。それに、昔の日本人が新聞を買ってまず読むのは、殺人強盗のような事件か求人広告であった。明治の士族だと、悪影響を及ぼすから、子供に読むことを禁じたこともあったらしい。戦後になると、「民主主義」の時代になったとばかりに、やれ「社会の木鐸(ぼくたく)だ」、「政治の腐敗を糺す」なんて気取った若者が新聞社に入った。彼らは単に大学で、赤い教授に言いくるめられただけなのに、その自覚がない。産経新聞には、給料が良くて待遇がいい朝日新聞を受けたが、採用されなかったので仕方なく二流の産経に入った者もいるんじんないか? 朝日社員なら天下り先まで用意されている。朝日志望だった新米は、産経の社風に染まっても、自分の思考までは変えないだろう。読者も産経だから安心なんて思っていたら大間違いだ。産経新聞には、とんでもない連中がまだ他にも棲息している。滅多に言及されることのない闇の部分が産経にはあるのだ。次回は別の人物を取り上げたい。つづく。
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左翼新聞ばかりの日本で産経新聞は、一応「保守派の新聞」と位置づけられている。冷戦時代ののマスコミは、ソ連や支那、朝鮮を露骨に賛美し、社会主義陣営の応援団になっていたから、左翼勢力に荷担しないサンケイ新聞はちょっと目立っていた。しかも、朝日新聞のように皇室を憎まず、むしろ敬意を示していた産経新聞は皇室伝統を守りたい国民から支持されたのである。ところが、新聞社に入りたい若者には、大学で左翼思想にかぶれたり、真っ赤に洗脳されなかったけど、ピンク色程度に染まった連中がいたのだ。今では朝日・毎日新聞と対立する保守主義の立場を取っている産経新聞だが、その内部に左翼分子が混ざっていることは確かである。具体的事実や個人を見て行けば読者にも分かるだろう。見えにくい場所に散らばっているが、重要な事実を見逃してはダメだ。それに、フジ産経グループの雑誌『正論』があるから、安易に産経新聞を保守派メディアと考えてはならない。大きな会社になれば、いかがわしい人物が紛れていることだってあるだろう。世間では「営業保守」という言葉もあるくらいだ。
産経新聞を辞めた記者の中には、高山正之みたいに正常なジャーナリストもいるが、元ロンドン支局長の木村正人みたいな怪しい人物もいる。一般社員と同じで海外特派員とか政治部記者というのは、原則的に自分の思想を記事に披露しないから、読者はどのようなジャーナリストなのかはっきりと分からない。しかし、時たま雑誌に寄稿する論文で、如何なる思想の持ち主かが判明する場合がある。木村氏が最近自身のブログに掲載した記事には驚いた。6月6日附の『ミス・ユニバース日本代表が問いかけた「ハーフ」の意味「あなたは日本人じゃない」』という文章は、馬鹿馬鹿しい論調に満ちている。木村氏は日本代表に選ばれた宮本エリアさんを取り上げ、日本人の閉鎖性について論じていた。海外暮らしが長い木村氏の周囲には「ハーフ」がたくさんいて、外国人との「ハーフ」は気にしたことがないという。ロンドンに在住している木村氏にとっては当り前じゃないか。今やロンドンなんて西洋の“カイロ”か“バグダッド”みたいな都市だろう。東欧出身者ばかりではなく、アフリカ人や中東アジア人もウジャウジャいるのだ。ロンドンがまるで第三世界の首都に思えてくる。しかし、木村氏は日本が英国みたいになれば良いと考えているみたいだ。
日本にアジアやアフリカ出身の移民が少ないことは良いことだろう。ところが、木村氏にとっては不満らしい。彼は経済協力開発機構(OECD)の統計を持ち出して、各国に於ける外国生まれの者が占める割合を話題にする。英国だとその比率は11.9パーセントだが、日本はそうした統計が無いので、外人の人口が総数の1.6パーセントである事実を示した。木村氏の分析によれば、日本人が肌の色や文化宗教の違う外人を受け入れられないのは、日本が島国である事に加え、極めて同質性が高い社会だから、という点に理由があるそうだ。多文化主義に対しては、英国でも地域差があるという。しかし、木村氏の観察だと「移民が多いほど違いに寛容になる」んだって。それは「寛容」じゃなくて「諦め」と「無関心」の結果ではないのか? 戦後、大英帝国の存続を希望するあまり、ブリテン政府はインドやアフリカの旧植民地からの移民を許してしまった。それまで白人が主流だったイングランド王国に、有色人種が大量に上陸したもんだから、当時の民衆はかなりの不安と不満を持っていた。英国の黒人問題を知りたければ、たくさん文献がある。例えば、ピーター・フライヤーの『The History of Black People in Britain』やディリップ・ヒロの『Black British, White British』、デイヴッド・ゴールドハート『The British Dream』とか、文献を挙げればキリが無い。
(左:英国の街頭/右:英語を学ぶ移民たち)
木村氏の政治評論では、EU離脱と移民規制を掲げるブリテン独立党(UKIP)が勢いを増しているが、外国生まれの人口比率が高い選挙区では独立党の苦戦が目立つという。それは普段から肌の色や宗教の違う人と一緒に暮らしていると、違いが気にならなくなるから、だってさ。しかし、これはイギリス人が寛容になったからではなく、移民排斥をするだけのガッツが無くなったことを意味しているのだ。余りにも有色移民が増えすぎたので、取り除くことが出来なくなってしまった、というのが実態。現実に目を向ければ住民の多くが、移民かその子孫、あるいは配偶者が外国人となれば、移民排斥の候補者には投票しないだろう。それに加え、戦後左翼教育のせいで、イギリス人も赤ないしピンク色に染まってしまったのだ。恐ろしいことに、労働党のブレア政権下では、政府が意図的に移民を増やしていたのである。これは新聞で暴露されてしまった。英国の研究だと、移民が元々少ない低所得地域で、移民の数がある一定のレベルを超えると拒絶反応が起こってしまうそうだ。そりゃ確かにそうだろう。イングランドの片田舎に、突然茶色のパキスタン人が住み着いたり、中東アジアのイスラム教徒がモスクを建てたら、誰だって怒り出すじゃないか。村の景観を損ねるし、奇妙で醜い人種が街を闊歩したら不愉快だ。たとえば、英国中部の美しい田園地帯のコッツウォルズ(Cotswolds)に、インド人やケニア人、支那人がうろついたら嫌だろう。日本人観光客だってガッカリするに違いない。わざわさ美しいイングランドを見に来たのに、カルカッタやイスタンブールとそっくりな風景じゃ、せっかくの旅行が台無しである。
(写真/コッツウォルズの風景)
良識を備えた日本人ならば、有色移民でごった返すイングランドを見て、日本は移民を排除せねば、と考えるのが普通だ。多民族主義は百害あって一利無し。嫌な人種と一緒に暮らすなんてストレスが溜まってしまう。しかし、木村氏は違う。「問題を抱えているのはエリアナさんではなく、日本と日本人の方なのだ」とおっしゃる。木村氏曰く、
デジタライゼーションで世界が1つに結ばれる21世紀の「ガラパゴス諸島」になりたくなかったら、日本と日本人は多様性を受け入れる寛容さを身につける必要がある。
「多様性(diversity)」という言葉の響きは良いが、その実態は世界中の有色人種がひしめく雑居状態である。イスラム教を熱心に信仰するアラブ人とか、それに反発するユダヤ人、妙な臭いを発するヒンドゥー教徒、黒光りのアフリカ人、白人娘を手込めにする不良パキスタン人、狡賢い支那人など日本人なら卒倒する世界が今のブリテン社会なのだ。ロンドンのある地区には、目を疑いたくなるような小学校がある。学校に通う児童に、アングロ・サクソンの子供がいなくて、イギリス人かと思いきや東欧系の子供だったりする。小学校児童の90パーセントくらいが第三世界出身者の子供で、100ヶ国以上の言語が飛び交っているのだ。家庭で喋る言葉が英語ではなく、パンジャブ語やウルドゥー語、ベンガル語、ソマリア語などの子供がいたら、学校の教師は頭が痛くなる。算数や理科を教える前に、英語のレッスンじゃ気が滅入ってしまう。我々日本人も、黒や茶色の児童を見て典型的なイギリス人の子供だとは思わない。これならデンマークやスウェーデンの子供の方が、遙かにイギリス人の子供らしい。
テレビをつけてドラマを見れば、非西欧人の役者が異様に多い。英国ドラマに出てくる女優や有名藝能人がパキスタン系やレバノン系、エジプト系では、何処の国でテレビを見ているのか分からなくなる。ブリテンならやはり西欧系女性の方が自然である。たとえば、『オースティン・パワーズ』のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)やヘザー・グラハム(Heather Graham)、『MI-5英国機密諜報部』のミランダ・レイゾン(Miranda Raison)、『シャーロック』のケリー・ライリー(Kelly Reilly)、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のキーラ・ナイトレー(Keira Knightley)、人気モデルのヘレン・フラナガン(Helen Flanagan)、などである。
テレビ司会者ならキャト・ディーリー(Cat Deeley)の方がいいし、BBCキャスターならアフリカ系やインド系アナウンサーより、フィオナ・ブルース(Fiona Bruce)の方が見ていて気持ちが良い。ブリテン風のアクセントでニュース原稿を読んでいるが、顔を見たらインド人では違和感がある。日本でも同じ事が言えるだろう。例えば、京都のローカル放送局がニュース番組を放送する際、メイン・キャスターがタイ人やビルマ人では、京ことばで話していても何となく場違いな気がする。それに、もしアナウンサーの大半が金や朴、李、劉といった帰化支那人や在日朝鮮人だったら、日本の放送局とは思えない。彼らが京都の美や伝統を紹介したって、日本の視聴者は感動しないだろう。
日本はアジア大陸に近いが、日本海という自然の壁があったお陰で、アジア人の流入を防ぐことができたのである。偶然出来た地理的条件だが、日本人は同質メンバーで暮らせるという幸せを享受してきた。しかし、木村氏にはそれが不満らしい。異民族混淆社会を経験していないことが、我が国の「不利」であると木村氏は考える。彼は「幼いころから子供たちに多文化を経験させてやる」ことや「国際交流の機会をつくる」ことが大切だと説く。さらに「テレビや新聞、雑誌でエリアナさんのようなバックグラウンドを持つ日本人が働く姿を頻繁に取り上げる」ことを提案し、「移民の社会参加を促す」のが重要と語るのだ。なんだこりゃ ? 朝日新聞かNHKの回し者か? これでは「アジアやアフリカからの移民が一生懸命、日本社会で働いていますよ。彼らも日本の一員じゃないですか。民族差別はいけませ~ん。皆さん仲良く一緒に暮らしましょうね。国際化の時代に遅れちゃいますよ~ぉ」という左翼の謀略宣伝と同じてはないか。左翼メディアは人間が持つ「馴れ」という習性を利用する。嫌なものでも、何度も見るうちに馴れてくる。例えば、左翼テレビ局はゲイやレズビアンへの偏見を無くすためという口実で、同性愛藝人を頻繁にテレビ番組へ出演させて、一般人の嫌悪感を薄くしようと謀る。つまり、心理操作を行っているのだ。不気味なアジア移民でも、毎日テレビで見かければ変に思わない。大衆煽動に長けた反日左翼は、テレビや雑誌という娯楽メディアを使って、一般人を“再教育”するのだ。木村氏は、エリアナさんを選出した選考委員会は「進取の気風に富んでいた」と評価している。まるで、嘗ての「進歩的知識人」みたいな発言だ。
日本人の良さの根底には、血統に基づく国民的結束や、同質社会で育まれてきた君臣の交わりがある。特に、皇室と国民の絆を考えれば直ぐ理解できるだろう。異民族が雑居するバルカン半島では考えられぬ特徴だ。民族が違えば血で血を洗う戦いになる。日本では、満員電車でも紛争が起きない。外国なら殴り合いの事件が毎日起きても不思議ではないだろう。それにもし、外国で大震災があれば底知れぬ恐怖と暴力が広まり、窃盗、殺人、強姦、放火が頻発するんじゃないか。多民族社会の米国なら、黒人が恒例の掠奪祭りを始めるし、白人は自己防衛の殺人を行い、支那人はさっさと逃げるのが定番。同じ民族で二千年以上も同居してきた日本人は、誠に幸せな国民である。それなのに、木村氏は国籍取得で「血統主義」を「生地主義」に改めよ、と促す。つまり、両親が日本人でなくても、日本の国内で生まれれば、外人の子供でも日本人にしちまえ、と提案しているのだ。木村氏は生地主義にすることが、“日本人の心の奥底に根ざす”「血統主義」を一変させるきっかけになる、と考えている。これは日本国の構成員を人種・民族的に変質させて、日本を別の国に改造してしまおう、とする文化攻撃型共産主義(Cultural Marxism)の戦術とソックリだ。産経新聞には同類の社員がいた。あの千野境子だ。彼女は大阪の猪飼野を取材して、在日朝鮮人と日本人が共存していることに感動していた。「異なる民族、文化と共に刻まれた猪飼野の知恵と教訓」だとさ。(千野境子 『大阪の扉』 産経出版社 2005年 p.58) 普通の日本人なら絶対住みたくない朝鮮人密集地で、一体どんな知恵や教訓があるんだ? 洗脳されていない日本の女性なら、キムチの臭いが漂う市場で買い物なんかしたくないぞ。 店頭で豚の頭や、豚足、何が入っているか分からぬ漬け物、糞尿まみれの海苔を見て楽しくショッピングなんて有り得ない。いかにもアジア主義者の千野らしい考えだ。
(左:北欧系の子供 / 右:アフリカ人の親子)
日本に難民を入れたがっているのは、なにもNHKやTBSばかりではない。移民問題で苦悩する欧米を熟知しているはずの特派員なのに、木村氏は産経の記事や『正論』を読んだことがないのだろう。ロンドン支局長は「東スポ」や「スポニチ」の方を愛読しているんじゃないか? 産経社員だって朝は、野球やゴルフ、藝能といった気楽なコラムが楽しいよね。どうせ会社でつまらない産経新聞を読まなきゃならないから。話を戻す。歐洲は移民で大混乱。しかし、木村氏は日本が僅かしか難民を引き取らないことに不満があるようだ。「日本の難民認定はわずか11人」と嘆くが、いやむしろ素晴らしいじゃないか。一般人にとったら、難民が隣りに住み着つくなんて嫌だろう。住宅の資産価値が下がってしまうじゃなか。難民の第三国定住は迷惑である。米国は難民を66,200人、オーストラリアは13,200人、スウェーデンは1,900人、英国は970人受け入れたそうだ。木村氏は欧米諸国が厄介者を引き取ったから、日本も引き取れと言いたいのだろう。それなら、木村氏が自分の家に10人くらい難民を引き取って養えばいいじゃないか。各人に寝袋を与えれば、1世帯で10人くらいの難民は住めるぞ。庭にダンボール・ハウスを作ってやれば5、6人の難民が住めるだろう。産経新聞の重役なら、30ないし40人の難民を世話できるはずだ。高級住宅地の豪邸ならそれくらい楽だろう。木村氏は、欧米でイスラム系移民がイスラム過激派に変身する事実をもって、外人排除の純血主義を唱える日本人を譴責する。木村氏は、「好むと好まざるにかかわらず、人やモノ、カネ、情報がどんどん国境を越えて行き交う」から諦めろとでも言いたいのか? 日本の庶民は反対だ。木村氏のような博愛主義者や多民族主義者がそんなに難民や移民を好きになら、移民や難民を日本に引きずり込むのではなく、アフガニスタンかパキスタンの曠野に難民共和国を作ればいいじゃないか。言いづらいことかも知れないが、迷惑な移民を排斥し、難民を拒絶することが日本人の幸せである。
(左/ジェーン・ケリー)
英国人は油断をして移民を入れてしまった。移民とは恥も外聞も無い下層民で、一旦英国に住み着けば大量に繁殖して、宿主・大家の数より増えてしまう。気がつけば、イングランドは嘗てのイングランドではなかった。『ソリズベリー・リヴュー(Salisbury Review)』の編集員であるジェーン・ケリーが嘆いている。英国政府の統計によると、過去10年間で60万人のブリテン系白人がロンドンを去ったそうだ。学校には有色人種の子供が溢れ、イングランドの教育機関とは思えない。父兄の間では、「良い学校(good school)」とは「白人のイギリス人が通う学校」を指す隠語だという。アジア・アフリカからの移民に加えて、英国には東欧からの移民も多い。クリスマスの頃、ケリー氏はある市場に買い物に出掛けたという。入店した彼女は、隣で買い物をしていた白人女性に店の野菜について話しかけた。しかし、彼女はちっとも反応しない。ケリー氏はその白人女性が英語を話せないことに気づいた。もう白人だからといって英国人とは限らない時代になったのである。彼女は嘗ての英国を懐かしんでいた。昔は、婦人たちが外出する時は、一番良い帽子と手袋をしていたのに、今ではそんな女性はまず見かけない。幼い頃の英国と比べると、ケリー氏はまるで異国にいるような気がしたという。(Jane Kelly, I feel like a stranger where I live, The Telegraph, 29 January 2013)
欧米諸国と同様に、日本でもジャーナリストは左翼が多数派である。いくら社長が保守路線を主張しても、社員がそれに従わない。面従腹背は世の常だ。そもそも新聞記者なんて、昔は「羽織ゴロ」と呼ばれていたくらい蔑まれていた。他人の弱みを嗅ぎつけて脅すから、日本の庶民は忌み嫌ったのである。それに、昔の日本人が新聞を買ってまず読むのは、殺人強盗のような事件か求人広告であった。明治の士族だと、悪影響を及ぼすから、子供に読むことを禁じたこともあったらしい。戦後になると、「民主主義」の時代になったとばかりに、やれ「社会の木鐸(ぼくたく)だ」、「政治の腐敗を糺す」なんて気取った若者が新聞社に入った。彼らは単に大学で、赤い教授に言いくるめられただけなのに、その自覚がない。産経新聞には、給料が良くて待遇がいい朝日新聞を受けたが、採用されなかったので仕方なく二流の産経に入った者もいるんじんないか? 朝日社員なら天下り先まで用意されている。朝日志望だった新米は、産経の社風に染まっても、自分の思考までは変えないだろう。読者も産経だから安心なんて思っていたら大間違いだ。産経新聞には、とんでもない連中がまだ他にも棲息している。滅多に言及されることのない闇の部分が産経にはあるのだ。次回は別の人物を取り上げたい。つづく。
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庶民、貧困層派=社会主義、共産主義
これに当てはまらない事例は、挙げればキリが無いほどあるのだが・・・。
ならば、戦前、富裕層と呼ばれた人々、即ち華族や知識人などの上流階級に、社会主義や共産主義にかぶれた者達が多かったのか?その辺りを理解していれば、こんな頓珍漢な当てはめ方が、的外れである事が分かるだろう。
そもそも、庶民や貧困層に「社会主義」や「共産主義」の実態など理解できる者は少ないだろう。保守派を装う共産主義者も多くいた事からも分かるはずだ。
庶民や貧困層は、日々の生活で手いっぱいで、学問に浸る時間が中々取れず、難解な「資本論」やら「共産党宣言」などを読める程の教養力があったとは思えない。
彼らが不満があったとすれば、日々の生活に対しての不満だけだろう。それは厳密には「社会主義」や「共産主義」ではない。
また、新自由主義、グローバリズムが実は形を変えた社会主義、共産主義であるという意見も見られる。
富が、グローバル化の中で、どこか一か所に集約されているという話だ。これらは、本来の資本主義とは異なる体系であるという。
これもまた、共産主義の実態のように、正体がつかめない存在だ。共産主義は、ゾンビのように倒されながらもしぶとく生き残る、本当に厄介な存在だ。