アジアの利益と日本の国益

  国民病かも知れぬが、日本人は反省好きだ。今年も8月がやってくる。ご存じ“大東亜戦争大反省会”の到来である。歴史を振り返って反省するのは良いことだが、それを毎年の恒例行事とするならば、それは学問ではなくお祭りだ。NHKは相も変わらず広島・長崎への原爆投下と日本軍が行った侵略戦争の二本立て。そんなNHKに追従するのがテレビ朝日と朝日新聞。「核の無い平和な社会を訴える」といった、高校生のスピーチ・コンテストを放送したりする。学校秀才の小娘が世界に向けてのメッセージを何十年も繰り返している。しかし、一体何名のインド人やパキスタン人が優等生の演説に感激したのか? 誰か現地調査をしたのか? 日本語で話すより、ヒンディー語やウルドゥー語、ベンガル語で発言した方がよく伝わるのに、そうしなかったのは日本人向けの演説だからだ。支那人やロシア人、北鮮人に至っては何を言っても無駄。左翼メディアが自虐史観なら、保守派は反欧米史観に凝り固まっている。自衛に基づく大東亜戦争は、欧米列強によるアジアの植民地支配を打破した聖戦、と自画自賛。それなら、日本ではないアジア諸国が解放されたのに、我が国が滅亡の淵に追い込まれた挙げ句、アメリカの属国になったことをどう解釈したらよいのか? 我が軍の正直な将兵なら、日本の独立と繁栄を優先しただろう。現在の情けない日本を見て、帝國陸海軍が滅んで良かったと思う日本人はいないだろう。ただし、一部の日本人を除いては。

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(左:江藤淳 / 高橋史朗 / 西尾幹二 / 右:西部邁)

  大東亜戦争の目的は祖国滅亡であった。こんな事を聞けば「まさか、そんな ! 馬鹿げている ! あり得ない ! 」と思うのが一般の日本人だろう。当時の軍人や庶民だってそう思うに違いない。しかし、冷めた目で歴史を鳥瞰(ちょうかん)してみれば、色々とおかしな事に気づく。 保守系雑誌の『正論』や『WiLL』には、アメリカによる対日圧力や西歐人の植民地支配を糾弾する論文が目につくが、大東亜戦争を仕組んだ政治家や軍官僚、知識人を具体的に詳しく述べた論文は少ない。自虐史観を植え付けるための「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、頻繁に取り上げられるのに、日本側の戦争仕掛人や敗戦利得者を具体的に研究しないのだ。日本人は常識を持って考えれば理解できるのに、故・江藤淳や高橋史朗、西尾幹二、西部邁といった執筆者に丸め込まれている。彼らは「アメリカ憎し」のイデオロギーで日本の庶民を洗脳し、「日本人にとっての国益」を中心に歴史を語らない。いかにも変だ。何度でも強調する。日本人にとって優先すべきは日本の国益であり、アジア人は所詮アジア地域に住む異邦人なのだ。日本人にとって、我が軍の将兵は彼らより、数百倍いや数千倍も貴重な人間である。こうした認識から出発して、大雑把に歴史を検証してみたい。

(1) 大東亜戦争を望んだのは共産主義者

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(左:河上肇 / 近衛文麿 / 風見章 / 右:尾崎秀實)

  日米開戦時の首相が東條英機大将だったので、一般人は近衛文麿が対米戦争を仕組んだことに気づかない。近衛は根っからの共産主義者で、河上肇(かわかみ・はじめ)に弟子入りするため、東京帝国大学を中退し、わざわざ京都大学に入り直している。実刑を喰らった共産党員の河上に心酔する公爵など前代未聞だ。日本の伝統を守り、皇室の楯となるのが公家じゃないか。それなのに、日本社会を根底から転覆させようとする国賊を師と仰ぐなんて普通の神経じゃない。しかも、近衛はソ連が大好きな風見章(かざみ・あきら)を書記官長にしたくらい真っ赤であった。正常な為政者なら側近を共産主義者で固めるなんて狂気の沙汰であるが、確信犯の近衛は本気で日本を共産化したかったのだろう。朝飯会には佐々弘雄(さっさ・ひろお)、笠信太郎(りゅう・しんたろう)蠟山政道(ろうやま・まさみち)、尾崎秀實(おざき・ほつみ)、牛場友彦(うしば・ともひこ)、西園寺公一(さいおんじ・きんかず)などが揃っていた。昭和研究会や企画院グループにも共産主義者がひしめいていたのである。そのうえ、陸海の将校や軍官僚にも共産主義者が大勢いたのだ。たとえば、海軍の米内光政や豊田貞次郎、陸軍の武藤章(むとう・あきら)、富永恭次(とみなが・きょうじ)、影佐禎昭(かげさ・さだあき)などである。(ちなみに、自民党の谷垣禎一は影佐の孫。) 戦後、テレビによく登場していた陸軍参謀の瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)はソ連の犬として有名だった。したがって、政治権力の中枢がこれだけ深紅に染まっていれば、日本の進路は「破滅」しかないだろう。この辺の事情は、三田村武夫著『大東亜戦争とスターリンの謀略』と中川八洋著『大東亜戦争と「開戦責任」』に詳しく書いてある。

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(左:皇帝ニコライ2世 / 右:虐殺されたロマノフ家の子供)

  近衛や尾崎たちが戦争を望んだのは容易に理解できる。平和で繁栄した日本だと、共産主義革命が成功しないのだ。共産党が勢力をつけるには、社会の不安と民衆の動揺が必要である。正常な国民でも戦争で窮乏化したり、命に危険が及べば政府への不満が高まる。ましてや敗戦となれば、異常事態となり無秩序が到来するだろう。そうしたら共産党の出番だ。理性を失った烏合の衆を煽動して、一挙に政権を簒奪する。できれば皇族を皆殺しにして、共産党政権の基盤を不動のものにしたい。皇室があると勤皇の志士が現れて、反共産党勢力が結束するからだ。ロマノフ家を完全に抹殺したように、皇室伝統を根こそぎ撲滅するまで、共産主義者は安心できない。だから、共産主義者は強い英米の軍隊と日本軍をぶつけて、日本軍が負けることに賭けたのだ。案の定、帝國陸海軍はボロ負けし、夥しい数の将兵が死亡、負傷、行方不明となり、栄光ある日本軍は消滅。本土は絨毯爆撃を受けて、無辜(むこ)の民が焼き殺されてしまった。何千何万という単位で女子供・老人・病人が炎の嵐に包まれて、地上の地獄を見ながら死んでいったのである。しかも、原子爆弾でトドメを刺されたのに、まだ一億玉砕を叫ぶ軍人がいたのだ。ソ連が征服しやすいように、日本の抵抗勢力を削ぐ必要があったのだろう。日本が徹底的に破壊されれば、輝かしい共産主義勢力の降臨があると信じていたのだ。赤い軍人にとって誤算だったのは、日本に上陸したのがソ連軍じゃなくてアメリカ軍であったことだろう。

(2) 対米戦争を始めるための下準備

  我が国で地政学を勉強すれば、ロシアが一番の脅威だととうことが分かる。反対に、ロシアの地政学からすると、太平洋に進出するに当たって、邪魔になるのが日本である。これは現代の支那海軍にとっても同じ事だ。とにかく日本が目の上の「たんこぶ」となっている。誰でも知っているように、日清・日露戦争はロシアの圧力を押し返すための戦いであった。特に帝国陸軍は日露戦争で勝ったからといって、ロシアの脅威が去ったとは考えていなかった。国力を恢復(かいふく)したロシア軍は、また日本を圧迫するだろうと予想していたのである。だから、「北進論」が日本の安全保障にとって、重要な戦略となっていたのだ。しかし、日本が「北進論」を選択すれば、帝国陸軍の精鋭がソ連に襲いかかることになる。反共のドイツ軍がモスクワを目指して侵攻してくるのに、その背後を日本軍が突くとなれば、スターリンにとって悪夢だ。したがって、ソ連を祖国とする尾崎と近衛は何としても、日本軍の北進を阻止せねばならない。

  1941年6月にインドシナ半島南部への「南進」を決定しようと、御前会議で最初の草案が検討され、月末には大本営で南進の具体的進駐計画が形成された。その背景には、6月22日に開始されたドイツの「バルバロッサ作戦」があった。ソ連との不可侵条約を結んでいたドイツが、電撃戦をもってソ連を攻撃し始めてきたからさあ大変。ソ連が心配な日本の赤い軍人と官僚は大慌て。何としてもスターリン元帥を助けなきゃ。陸軍の「北進」派がソ連を攻撃しよう、と言い始める前に「南進」を実行してしまえば良い。そこで、7月2日の御前会議でフランス領インドシナへの進駐が決定となる。近衛が仏印攻撃をしたことで、米国は直ちに日本の資産を凍結し、日本との通商を全面的に停止してしまった。米国の対日経済制裁に呼応して、英蘭も同様な措置を講じたのである。これで日本は英米仏蘭と衝突することが決定的となり、北進論が消滅した事を受けてスターリンは胸をなで下ろした。(この辺の経緯は、重光葵 『昭和の動乱』 下巻 中央公論文庫 p.99-103を参照。)

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(左:スターリン / 米内光政 / 長勇 / 右:富永恭次)

  南方占領を調べていくと、軍部は欧米との問題をこじらせるために、わざと軍事的暴挙に出たのではないか、と考えたくなる。援蒋ルートを遮断するため、政府はフランスと談合して平和的な進駐にするという方針だったのに、出先陸軍の参謀将校が北部仏印を武力占領してしまった。陸軍の長勇(ちょう・いさむ)参謀長と富永恭次(とみなが・きょうじ)第一部長が、西原一策(にしはら・いっさく)少将の穏健な態度に不満を持ち、日仏交渉を無視して勝手な行動を取ったのだ。これでは満洲事変の再来である。本国政府が末端の軍人を制禦できないようでは、軍の規律が保てないどころか外交の機能不全と言うよう。軍の中堅将校によって平和的な進駐が歪められた仏印情勢は、さらに飛行機爆撃による軍事行動へとエスカレートしたのである。陸軍を悪者にして親米派とのイメージを捏造した海軍であったが、米内光政は際立って悪質で対米挑発の確信犯だ。海南島占領を強硬に主張した米内は、何としても日米を対峙させようと図ったのだろう。この海南島占領により米国は日米通商航海条約の破棄を通告。石油の調達では米国に依存している日本が、わざわざ挑発行為を断行したのだ。アホじゃないか。それでいて、陸海軍は有事の際に南洋の石油およびその他の資源を確保せねばならぬ、と主張していた。米国からの石油を確保することが優先課題なのに、軍首脳は北部仏印から南部仏印へと更に進駐すべし、と意気込む始末。これじゃ、問題解決ではなく紛争拡大じゃないか。国際摩擦を心配する重光葵に対し近衛は、こうした軍事侵攻を行っても日米交渉には影響はあるまい、と語ったそうだ。平気で嘘をつく近衛は間違いなく仕掛人である。もっとも、昭和天皇にまで嘘をつけたのだから、近衛は日本人離れしていた。

  南方資源の確保といった口実で、「南進論」を正当化した海軍だが、石油の輸送方法や海上交通の保護といった具体的な計画は考えていなかったという。大東亜戦争中、海軍は船舶護衛を真剣に考えていなかったから、日本の船舶は2500隻以上も撃沈されたのである。喪失量の半分は米国の潜水艦による撃沈が原因であった。南方資源確保を声高に叫んでいた海軍は、いったい南方の石油をどう運ぶつもりだったのか? まさか、水平が肩にポリ・タンクを背負って泳ぐわけじゃあるまい。石油資源を奪っても、タンカーを造っていなかったら意味が無いだろう。30隻にも満たない数のタンカーで、石油を日本に輸送するなんて机上の空論だ。南進論では面白いエピソードがある。昭和15年、『帝国国防資源』を書いたことがある小磯国昭が、近衛首相と松岡外相の依頼で、蘭印に出張する話が持ち上がり、意見書を纏めたことがあった。意見書を携えた小磯が、関係閣議に出席したところ、商工省の小林一三から「蘭印には一体どんな資源があるんですか」という「非常に無知、無関心な質問」(小磯の表現)が出た。(矢野暢 『「南進」の系譜』 中央公論社 昭和50年 p.153) 小磯は意識の低い閣僚に幻滅して、蘭印旅行を取りやめたという。ちなみに、小林一三(いちぞう)とは、あの宝塚歌劇団をつくった実業家で、阪急東宝グループの創立者である。こんな大物が南方資源について興味が無かったのだ。ましてや、商売音痴の軍人に、物資の流通システムが分かるわけないだろう。

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(左:武藤章 / 佐藤賢了 / 小林一三 / 右:小磯国昭)

  日米交渉が困難になるにつけ、海軍からは「ヂリ貧説」が出てきた。日本はじっとしていれば、米国からもオランダからも石油を輸入できないし、その他国民生活に必要な物資の輸入も不可能になる。このまま放任すると、日本の武力は萎縮し、国力は枯渇して、英米に降伏する羽目になるだろう。この際、乾坤一擲(けんこんいってき)、彼らを攻撃すれば南洋の資源を占領することができ、日本は長期の戦争に堪えうるだけの資源を入手できる、と論じていたのだ。こういうホラを吹いて南方進出を正当化していたのである。真珠湾攻撃以前の経緯を精査すれば、政府と軍部の主張がおかしいことに気づくだろう。だから、米国から石油禁輸を受けたので止むを得ず、日米開戦に踏み切ったのだ、という定説は怪しい。保守派の日本人でも、この定番解釈を信じている者が多いから、大東亜戦争の本質が分かっていないのだ。

(3) 東亜新秩序は共産主義圏の到来

  首相になった“ルーピー”鳩山由紀夫は「東アジア共同体」を提唱して批判されたが、この宇宙人的党首は共産主義者の伝統を継承していたのかも知れない。いかにも、ソ連のKGBに籠絡された祖父鳩山一郎の孫らしい。アジア人ではない日本人が、アジア諸国をまとめ上げて一つの文明圏に出来るわけないだろう。「日本はアジアの盟主たるべし」、なんて言っている御仁は脳天気。ヘドロのようなアジア地域に足を踏み込むのは愚かである。困ったことに、鳩山の愚論を嗤(わら)う保守派でも、妙にアジアに肩入れをして、「大東亜共栄圏」を肯定する人物がいたりするのだ。東亜の平和を嘯(うそぶ)く左翼が、アジア諸国を植民地にした西歐列強を非難すれば、義憤に燃えた一般庶民は「そうだ、そうだ。西歐白人はけしから~ん ! 」と同調する。調子に乗ったアジア主義の庶民は、白人の帝国主義を懲らしめ、アジアを西歐の植民地支配から解放するのだ、と気勢を上げてしまう。ついでに岡倉天心(おかくらてんしん)の「アジアはひとつ」だなんて妄想も信じていた。こうなれば、隠れ共産主義者はにっこり微笑む。当時、「東亜新秩序」を煽った赤い学者は、成功の祝杯を挙げたのだ。

  「東亜協同体」とか「東亜新秩序」の目的とは、簡単に言うと、東南アジア地域から西欧諸国を駆逐して、日本支店の共産主義者たちが新たな支配者になることである。英米蘭仏といった西歐資本制国家を排除して、共産主義経済圏にしてしまおうという計画なのだ。日本でも、赤い軍人や官僚、政治家、知識人が統制経済を主張していたし、国家総動員法が成立すると、左巻きの全体主義者は大喜び。水を得た魚みたい。陸軍中佐の佐藤賢了(さとう・けんりょう)などは、軍務課の班長に過ぎないのに、国家総動員法は電力国家管理法と共に国防上絶対必要なんだ、と力説していた。軍部の中堅層には赤い軍人がたくさんいて、こうした人々がソ連贔屓の高級将校を担いでいたのだ。日本で実現した真っ赤な全体主義をアジア地域にまで拡大し、独自の経済圏、すなわち共産圏にしてしまうのか「東亜新秩序」の本質である。日本はソ連の代理人となって、アジアの共産化に尽力していたのだ。

  近衛文麿に群がった共産主義者の知識人は、ソ連の手先たる尾崎秀實と協調して「東亜新秩序」を精力的に宣伝していた。たとえば、蠟山政道(ろうやま・まさみち)は、昭和13年月11号の『改造』で「東亜協同体の理論」を寄稿し、聖戦の何たるかを述べ、その戦いは東亜に新秩序を建設する道義的目的を有している、と強調していた。そこで、詐欺師の蠟山は説く。支那事変の意義が「東洋の統一」への東洋民族の覚醒にあることは、観念的に最早や疑いを容れない、と。我々なら「何言ってんだよ」と突っ込みたくなるが、こんな奴が東京帝國大学で政治学の権威となっていたのだ。蠟山は東洋が地域的運命共同体で、一個の新体制をもった政治的地域であると規定する。つまり、「アジアのみんなは仲間だ。アジア人は団結した家族だ」と言いたいのだ。東洋は西歐の植民地であってはならない、と主張するが、ソ連の縄張りならいいのか、と逆に問いたい。蠟山は東洋の地域経済を、「一種の共同経済であって、帝国主義経済ではない」と詭弁を弄しているが、見え透いた嘘である。赤い革新官僚がアジア人に計画経済を押しつけて、東京から間接統治をするつもりだろう。その官僚だってモスクワ本店の指令に従うのだ。

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(左:鳩山由紀夫 / 岡倉天心 / 蠟山政道 / 右:三木清)

  戦前のオピニオン雑誌で『改造』や『中央公論』といったら真っ赤な宣伝機関であった。こうした左翼雑誌に、共産主義者の知識人が投稿していたのである。例えば、三木清は「東亜思想の根拠」を昭和13年月12号の『改造』に載せたし、尾崎秀實は「『東亜協同体』の理念とその成立の客観的基礎」を昭和14年1月号の『中央公論』に寄稿したのである。全く馬鹿げたことだが、当時は尾崎が東亜協同体の理論家とみなされていたのだ。ソ連の工作員が提唱する新東亜の建設なら、マルクス・レーニン主義に基づく秩序に決まっているじゃないか。日本国内だって、近衛が大政翼賛会をつくって全体主義にしてしまったのだ。アジアで各民族の文化を尊重した自由な経済体制が実現される訳がない。尾崎や近衛が目指したのは、「大東亜共産圏」である。

大東亜会議を称賛するバカ

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(左:大東亜会議の記念写真/右:深田祐介)

  大東亜戦争をなんとかして美化したい保守派は、昭和18年11月にアジアの指導者が一堂に会した「大東亜会議」を称賛する。作家の深田祐介は『黎明の世紀』(文藝春秋 1991年)で、日本がアジアの独立を促進したと喜んでいる。東條英機首相が発表した「大東亜共同宣言」には、大東亜を米英の桎梏から解放して、その自尊自衛を全うする旨が謳われていた。しかし、対英米戦を始めて二年が過ぎようとしている頃に、突然アジアの解放を目的とする、と宣言しても説得力に欠けるだろう。真珠湾攻撃を決める御前会議で、重臣たちがアジア解放のために英米と干戈(かんか)を交えます、と議論したのか? アメリカの国力を考えれば、どんな軍人だって対米戦争を躊躇するだろう。軍国主義のはずが、正式な戦争計画だって作成できなかったのだ。英米を敵に回して総力戦となれば、結果は悲惨になると予想できる。しかも、昭和天皇は大反対。前線で戦う羽目になる兵卒も意気消沈。アメリカ兵の装備を見ただけで羨ましくなってしまうのが現場の将兵だ。(例えばジープで移動する米兵と、馬に野砲を曳かせる日本兵では話にならない。) それなのに、どの重臣もに断固反対できずに、対米戦争が決定されてしまった。日本の首脳に「アジアの解放」なんて課題は無かったはず。戦争の雲行きが怪しくなった頃に、英米によるアジアの侵略搾取を非難したり、大東亜の隷属化を阻止、と掛け声を上げても、世間は後からの言い訳としか思わない。もっとも、新聞は「不滅の大東亜を建設」という見出しで紙面を飾っていたが、これはいつもの商売文句。でも、マレー人やビルマ人のために息子が死んでもいいと思う親はいないだろう。

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(左:汪兆銘 / チャンドラボーズ / バー・モウ / 右:ラウレル)

  国会議事堂前で撮影された記念写真を見てみると、大東亜会議にアジアの大物がズラリと並んでいるのが分かる。支那の汪兆銘やビルマのバー・モウ、フィリピンのラウレル、インドのチャンドラ・ボーズとかが映っていた。しかし、インドネシアのスカルノが欠席していたのだ。現在では印象が薄くなっているが、スカルノとはあのデヴィ夫人のご主人である。でも、なぜスカルノ氏は大東亜会議に出席できなかったのか? 実は裏事情がある。日本軍は昭和17年にセレベス島やスマトラ党に上陸して油田地帯を占領していた。同年6月には今村均司令官麾下の第二師団がバタビアを占領したのである。そして、昭和18年には御前会議でインドネシアは「帝国領土」と規定されていたのだ。軍需物資としての石油や天然ゴムなどの資源を手放したくなかった陸軍は、インドネシアの独立に強く反対していた。資源の入手や補給を考えれば、インドネシアを直轄領としておきたかったのである。陸軍大将の東條も、陸軍統帥部が強硬姿勢を貫く理由が分かるので、その意向を変えることはできなかった。したがって、独立国ではないが故に、インドネシア代表は会議に招待されなかったのである。その一方で、東條はビルマとフィリピンに独立を与えると宣言したものだから、スカルノと右腕のモハマッド・ハッタは大きな衝撃を受けた。熱心な民族主義者のハッタは、インドネシアへの侮辱であると憤慨したそうだ。

国益を無視した異常な憎悪

  インドシナやインドネシアに侵攻した日本人は、現地を支配するフランス人やオランダ人をことのほか非難した。しかし、日本による南方占領は西歐人に替わって、日本の軍部が支配する事を意味していたのである。統帥部はアジア諸国を傀儡化して、「内面指導」で統治して行こうと考えていたのだ。「内面指導」と言えば聞こえはいいが、要は役人が発する行政指導の命令である。偉いお役人様の“勅令”だから、現地のアジア人は拒否できない。現地人と一緒に行政を担当する末端軍人には誠実な者がいただろうが、軍首脳は勝手な独立行動を許す気はなかった。インドネシアの憲兵隊は独立志向のハッタを暗殺する計画まで立てていたのである。そもそも南進の目的は、日本の兵力を欧米にぶつけて、そのアジア支配を破壊することにあった。スターリンの手下どもは、日本と西歐が共倒れになるよう謀っていたのだ。つまり、ソ連は漁夫の利を狙っていた、ということ。日本が南方で暴れてくれれば、満洲から日本陸軍が攻めてくることはない。しかも、アメリカと全面対決となれば、ソ連は英米側について日本とドイツを撃退できる。そうした地位を温存しながら、ソ連のKGBはアジアの独立主義者を裏から支援して、西歐人に対する抗争を煽っていた。戦後のアジア指導者に共産主義者や社会主義者が多いのはこれが理由。インドのチャンドラ・ボーズは社会主義に親近感を持っていたし、英国の支配から脱するためにソ連の手を借りようと思っていた。共産主義者は「敵の敵は味方」という考えで戦争を仕掛ける。インドが資本制国のブリテンと敵対すれば、叛逆者のインド人を煽動して内乱を大きくすればよい。毛沢東も邪魔な蒋介石を排除するために、日本軍を利用したじゃないか。戦後、蒋介石が台湾に逃れて、支那大陸は毛沢東の天下になった。支那共産党に謝罪した田中角栄は本当にバカである。

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(左:ハッタ / スカルノ / 蒋介石 / 右:毛沢東)

  「南進」による「大東亜共栄圏」とか「東亜の開放」といったスローガンが好評を博すのは、日本人が西歐白人に対し異常な愛憎を抱くからだろう。日本人は西歐人が日本へ関心を寄せれば喜び、無視されると妙に寂しくなる。「我々は世界から孤立したんじゃないか」と心配したり、とにかく西歐と良好な関係を築きたいと頑張ってしまう。日本人はよく「世界の中の日本」とか「外国からどう見られているか」を気にするが、その「世界」や「外国」とは、アメリカ白人やヨーロッパ人の国家を指す。「世界」と聞いてタジキスタンとかイエメン、エルサルバドル、エリトリアを頭に浮かべる人は少ない。そんな人々が日本をどう思っても、日本の庶民は気にしないだろう。フランス人やドイツ人、アメリカ人が日本のアニメを称賛すれば嬉しくなり、日本人は彼らと交流を深めたいと思う。ではもし、イスラム教徒のトルコ人やフィリピン人、パキスタン人が「日本のアニメは卑猥だからけしからん」と言ったらどう思うのか? 日本人は「そうでっか。嫌なら見るな ! 」と啖呵を切り、彼らと交際しないし別段寂しくもない。また、朝鮮人が日本人を格下の「弟分」と見なしたら、日本人は「ふざけるな。ヨボ。あっちへ行け ! 日本に来るな ! 」と叱って追い払うだろう。朝鮮人が日本から居なくなっても誰も悲しくない。千年くらい絶交しても平気だ。ではなぜ、日本人はアジア人に親近感を持つのか? それは、西歐人と友人になりたいのに拒絶されたから、その反動で「我々はやはり黄色いアジア人なのだ」と叫んでしまう。漢字を使用しているから日本は支那と同じ文明だ、なんて言い出す人物までいた。いやはや困ったもんだ。

   朝鮮人や支那人に好意を抱く日本人だって、実際に会って交流すると本当に嫌な民族と分かる。他のアジア人だって好きになれない。戦前、南方に進出した日本の商人は、原始的な生活を営む東南アジアの現地人を見て、彼らと人種的・文化的隔たりを感じたものだ。衛生観念が欠落していたので尚更嫌だった。一方、欧米諸国を旅した日本人は、その欠点を指摘して批判したが、同時に素晴らしい長所を褒めていた。西歐には恐ろしい影の部分があったが、それ以上に輝かしい文明があった。アジアに於ける西歐人の支配は苛酷だったが、ヨーロッパ式生活がもたらされて、土人の生活水準が向上したのは確かである。フランス人やオランダ人による土人の搾取は甚だしいと言うが、アジアにはそれまで搾取が行われたことがなかったのか? アジアという地域はいつも誰かが専制支配をしている。たとえば、インドはイギリス人の前にモンゴル人が支配していたし、フィリピンはアメリカ人の前にスペイン人が君臨していた。東南アジアでは西歐白人よりも、華僑などの支那人が原住民を搾取していたのだ。オランダ人がマレー人を酷使するから、日本人が助けねばならぬという義務は無い。オランダ人を攻撃することで、英米が日本に対して経済制裁を発動すなら、日本の国益にとってマイナスだろう。

  軍事大国の日本が無闇に東南アジアを占領すれば、日本の事情を知らない英米の政治家は、日本の野心を警戒するじゃないか。それに、欧米人が東南アジア諸国のインフラ整備をしてくれた上に、生産・流通システムを作ってくれたのだ。日本は大人しく貿易を続けて、国民の生活水準を向上させるべきだった。フィリピンなど日本に必要ない。厄介なお荷物はアメリカ人に任せておく方が悧巧である。フィリピン人だって、アメリカ人の支配下で嬉しそうだったじゃないか。貧乏くさい日本人なんて嫌い、というフィリピン人は大勢いたのだ。戦争でフィリピンを占領した日本兵が、フィリピンの「シャボン(石鹸)」は泡が立たない、とぼやいたことがある。しかし、それはチーズだった、という笑い話があった。田舎育ちの日本人はチーズを知らなかったのだ。それに日本兵は何かとビンタをする。アントニオ猪木のビンタだって今の外人は理解できないのだから、当時のフィリピン人からすると日本人は野蛮に見えた。今から考えると、石油を欲しい日本が、自ら石油禁輸を招くなんて馬鹿げている。白人がマレー人を搾取したって、日本人が憤ることではない。そもそも、日本は世界中の差別を撲滅するため、すべての地域で戦争を起こす義務があるのか? アフリカなんて白人が撤退したのに、ちっとも平和にならなかった。ウガンダのアミンやジンバブエのムガベを見れば、アフリカ人には自治能力が無いということが分かる。チェチェンとかコンゴ、ボスニアで人種差別が発生しても、軍隊を派遣すべきと主張する日本人はいないだろう。日本以外の社会では、差別なんか当り前の制度だ。

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(世界の独裁者たち/左:ウガンダのアミン/ジンバブエのムガベ/カンボジアのポルポト/右:フィリピンのマルコス)

  日本人は蘭領インドネシアを占領すべきではなかった。むしろ、英仏蘭米を味方につけて、北進を支援してもらう方が国益に叶っている。欧米諸国の植民地に文句をつけずに、貿易だけに専念すれば、彼らも日本人を排斥しないだろう。オイル・ビジネスは米国の専売と分かっていた日本は、東南アジアで軍事行動を起こすより、通商関係を重視すれば良かった。アメリカ国民だって、代金を払う日本人に石油を売らない合衆国政府を非難するだろう。赤い軍人の米内光政ら海軍首脳は、米国と対決することが望みで、日本の国益は二の次だった。もし、日本が欧米諸国と良好なビジネス関係を結び、「北進」を選んだら一番困るのはソ連とその手先の尾崎等である。だから、ソ連シンパの軍人や知識人は、「白人支配の打倒」を叫び、日本人と欧米人を血みどろの戦いへと向かわせたのである。好意を寄せる白人に、「黄色人種」と呼ばれて侮辱された日本人は、共産主義者の口車に簡単に乗ってしまったのだ。ロシア人は愚かな帝国主義者どもが殺し合うことで、両者の対立関係が永続することを望んだのである。

  西歐白人を憎む日本人は、その根底に失恋感情がある。明治になって鎖国体制が解け、一般庶民までもが西欧世界を見ることが出来るようになった。今まで禁止されていた未知の文明に触れて感動したのである。眩しいくらいの繁栄と驚異的な科学技術を誇る西歐人を尊敬したのに、その西歐人は日本人を有色人種と分類したから日本人は激怒した。西歐人と同等の一等国民と思っていたのに、格下の劣等民族と見なされたから怨みは倍増。欧米を訪問すれば人種差別に出くわしたから、日本人のプライドが傷ついたのだろう。それなら、日本人も自国の領土で白人差別制度を実施すればよかった。満洲や台湾、朝鮮を訪れた白人を差別すればお互い様になるだろう。しかし、日本人には躊躇いがあったから、露骨な人種差別が出来なかったし、なるべくなら西歐人と友好的な交流がしたかった。これがもし、支那人による日本人差別なら、あれほどの過激な憎しみは抱かないだろう。支那人に「東夷(ムジナ)」と侮辱されても、国家の命運を賭けた戦争を始めようとは思うまい。日本の庶民なら「チャンコロ如きが何言ってやがる。顔を洗って出直してこい ! 」と反論して終わり。日本人は支那人を劣等民族と見なしていたから、腹が立っても自暴自棄な行動は取らなかった。日本人は自分と支那人を含めて「東洋人」と定義するが、支那人は中華の民と自惚れているから、自分を「東洋人」とは考えない。世界の中心が支那だから、東洋とは朝鮮か日本である。支那人が日本人を侮辱するなら、日本人は絶交して付き合わない。日本人同士で暮らした方が幸せだからである。こう考えてみれば、日本人が如何に西歐人と対等になりたかったかが分かる。西歐白人をことさら憎む日本人は、惚れた女に振られて逆上した片思いの男みたいだ。

Willem Alexander & FamilyDutch Royal Family









(左ウィルヘルム・アレクサンダー王子一家/右オランダ王室)

  日本人は西歐人との交流で多大な利益を得たのだから、人種差別なんてつまらないことは無視する方が得である。日本人はせっせと国力を増強することが肝要。当時は、強力な軍隊を持つ日本は欧米世界でも一目置かれていたのだ。いつまでも日本人を侮蔑できない。人種隔離制度の崩壊を心配する西歐人に対しては、「日本人は有色人種でもないし、アジア人でもないから白人の隔離政策には干渉しません。日本人だけ特別扱いをして下さい。我々もあなた方を特別扱いします」と言って、安心させればよいのだ。日本人がアジア人を代表して差別撤廃だ、なんて粋がる方が愚かである。オランダとは敵対せず、長崎貿易以来の関係を温存し、オランダをヨーロッパ上流社会への窓口にすれば良かった。日本人の軍人や政治家、外交官がヨーロッパの貴族社会に潜入できれば、良質な情報を握ることも出来たであろう。貴族は重要人物と交際しているし、その人脈は幅広く、諜報活動には有利にはたらく。ドイツは貴族の人脈を使って英国を懐柔しようとしたのである。(これは最近、カリーナ・ウルバックが研究で明らかにしている。) 日本人がオランダ貴族をたらし込めれば、そこから貴重な情報を握れるかも知れないし、他国の貴族も仲間に出来るかもしれない。断片的な情報でも、多く集めて分析すれば意外な事実を掴めることもあるのだ。一般庶民の世界だって、友人には貧民より富豪を選ぶのが常識。貧乏なアジア人より、裕福で権力のあるヨーロッパ人と付き合えば、貴重な情報を入手できるチャンスが増えるのだ。歐洲の事情が把握できれば、戦争や外交で有利な立場につけるし、我が軍の損害を最小限にできるかもしれない。諜報活動で日本人の命を救える方がいいじゃないか。欧米に殴り込みを掛けて、大勢の日本人が死んでしまったが、一体誰が得をしたのかよく考えるべきである。

  第二次世界大戦を勉強する時、我々は余りにも膨大な資料を読まなければならないので、詳細な事に捕らわれて簡単なことを見逃す傾向がある。戦史は勝者によって書かれるし、都合の悪い資料は抹殺されるか隠匿されるかして、一般人に公開されることはない。だから、我々は日本人の利益を中心にして日本の歴史を学ぶべきだ。学校の教科書やNHKの歴史番組では語られない事実が多い。日本の左翼にとって不都合な歴史観は排除されている。また欧米でも、一般国民用の定番歴史がある。戦勝国民も騙されているのだから、敗戦国民と同じように怒るだろう。次回は別な角度から大東亜戦争を論じてみたい。



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