軍人になることは名誉か苦役か

  我が国の安全保障をめぐる議論で、奇妙というより愚かな憶測がある。安保改正を阻む勢力が徴兵制の恐怖を持ち出してきた。集団的自衛権を反対するマスコミは、「徴兵制の復活」を騒ぐことで一般国民を脅かし、安保改正を葬ろうという魂胆だ。「軍国主義反対 ! 」と馬鹿丸出しの掛け声を上げるマスコミは、「お宅の息子さんが戦地に送られますよ ! 」と仄めかす。大衆煽動を得意とするテレ朝の「モーニングバード」では、番組制作者が自民党の船田元(はじめ)を招いて、徴兵制復活の懸念を視聴者に擦り込んでいた。番組では、宮田佳代子や玉川徹が徴兵制の可能性があるんじゃないか、と心配そうな演技を披露する。どうせ、ディレクターかプロデューサーの入れ知恵を、局アナがあたかも自前の意見のように喋っているだけだろう。しかし、せんべいを囓(かじ)りながら番組を観ているオバはん達は、「あら、戦争が始まるの? うちの息子が兵隊に取られちゃうわ ! 」との短絡思考。テレビ局の自称“エリート”社員らは、視聴者のオツムなんか中学生程度と見なしているから、愚民の感情を揺さぶれば心理操作できると思っている。情報源がテレビと新聞だけの一般人を騙すことは簡単だ。夏になれば、テレ朝は「徹子の部屋」に林家こぶ平の母ちゃん、海老名香葉子(えびな・かよこ)なんかを呼んで空襲体験を語らせて、黒柳徹子が涙ぐめば一丁上がり。視聴者は「戦争はいやねぇ~」で、また来年も同じ番組を観るんだから。

黒柳徹子海老名香葉子玉川徹船田元








(左: 黒柳徹子 / 海老名香葉子 / 玉川徹 / 右: 船田元)

  反戦平和を叫ぶ左翼に限って、武器の性能や国家戦略、地政学、兵站を真剣に検討ようとはしない。もし、彼らが戦争を具体的に考えれば、あんな愚劣な意見は吐けないはずだ。現代の戦争では、ある程度の知力と体力が備わっていないと軍人になれない。国防意識が缺如(けつじょ)した上に、ふて腐れてひねくれた若者だと、新兵訓練を担当する軍曹の方が参ってしまう。「うちの大切な息子が徴兵されるなんて、もう絶対反対よ !! 」とヒステリーを起こすオバちゃんには、こ次の質問が効果的。「では、あなたのご子息は、アスリートの如き強靱な肉体を有し、高度な知識や技術を即座に吸収できる頭脳の持ち主ですか? 」と質問すれば、たいていのオバはん達は答えに詰まるだろう。5km歩いただけで疲れてしまうドラ息子に、アサルト・ライフルを持たせても戦力にならないし、こんな木偶(でく)の坊に20ないし30kgの装備品を背負って行軍させるなんて無理。ハイテク装置の操作だって覚えられない低能児なんか要らない。根性無しの穀潰しなど部隊の足手まといになるだけで、小隊長からも苦情が出るだろう。徴兵部隊などいくら機関銃や迫撃砲で武装したって、レイション(rations/携帯野戦食)を持ったピクニック集団になってしまうだろう。徴兵制に反対するマスコミは、戦場に投入できる兵卒に育てるまで、どれ程の教育と訓練と費用がかかるかを調べたことがあるのか?  新入社員の育成を命じられた営業担当者なら、この苦労をちょっとは想像できるはずだ。やる気の無いアカンタレを一人前にする方が、敵を倒すことより難しいかも知れない。

  左翼マスコミは兵役を苦役と見なしているが、祖国を守っている自衛官をどう思っているのか?  おそらく、左翼活動家は自分が安心して暮らせる日本は、軍事力がなくても維持できると思っているのだろう。日本が武装するから戦争が起きる、と信じている左翼には何を語っても無駄。左翼分子は偽善と矛盾の塊だ。NHKの極左社員は警備員と警察官からしっかりと守られているのに、一般国民や日本国は無防備のままで良いと思っている。彼らにとって日本国とは、快適なオフィスと娯楽を提供するテナント・ビル程度。掃除や守衛といった雑用は管理会社、つまり政府に税金を払って丸投げ。自衛隊は便利な警備員かレスキュー隊といった認識しか持っていない。民主党の岡田克也とか福山哲郎、小西洋之(こにし・ひろゆき)、枝野幸男などの発言を聞けば、衆愚政治の末期症状かと思えてしまう。彼らにとり、日本はどれ程の価値があるのか? 彼らだって自分の家族が暴漢に襲われれば、ゴルフ・クラブでも手にして闘うだろう。女房や娘が目の前で強姦されているのを黙って観ているはずはない。そうなったとき、彼らも自分が無力で、無防備だったことを後悔するだろう。左翼連中は自分が武器を取って戦う事を想定しないから、いつまで経っても他人事の議論を繰り返すのだ。

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(左: 岡田克也 / 枝野幸男 / 小西洋之 / 右: 福山哲郎)

  敗戦前の日本人は現在の日本人とは違う。国家防衛を当然と思っていたし、何よりも独立国家の気概を持っていた。国家への奉仕は崇高な義務であったし、軍人になることは名誉であり、子供達の憧れでもあった。国家の命運と自分の生死が一致すれば、政治討論も真剣になる。誰だって自分が命を賭けて守る国家とは、如何なるものかを考えるはずだ。昔なら日本男子が入隊するのは普通だった。作家の三浦朱門は若い時、女子供を守るためなら出征してもいい、と思っていたそうだ。筆者にも思い出がある。ニューヨークといった不快な大都会に住んでいると、米国を守ることに大した意義があるようには思えなかった。しかし、中西部の田舎では違う感情が湧いてしまう。ある陸軍事基地に用があって、そこから自動車で帰る途中、以前乗馬をした牧場の側を通りかかったことがある。筆者は路肩に車を止めて、以前馬を世話してくれた母親と娘を眺めた。若い馬に乗って調教する娘の長い金髪が、夕日に照らされて美しく見ていて飽きなかった。母親の方は何か喋りながら、娘に指示を与えていたから、多分馬を調教していたのだろう。美しい自然に囲まれた牧場にいる彼女たちを目にした時、アメリカの軍人が守りたいものを見たような気がした。戦前の日本人も、きっと女子供の姿を目に焼きつけて出征したに違いない。その時、ふとポケットにあった弾丸を取り出して握ってみると、こんな冷たい鉛で我が軍の将兵が死んだのか、と改めて感じ哀しくなったのを覚えている。祖国を守ることが苦役と感じる現代の日本人は、精神の何処かが歪んでいるのではないか?

国家への献身とローマ人の気概

Mucius 2
















(上/ムキウスとポルセンナ王を描いた絵)

  ローマ人の偉大さは色々あるが、やはり戦争に於いて発揮された美徳(virtu)が最も輝いている。ローマ兵の勇気(virilis)や峻厳さ(severus)は際立っていたし、指揮官ともなれば、その威厳(auctorityas)や重厚さ(gravitas)は磨きがかかっていた。ローマは戦争を通して鍛え抜かれていったと言えるだろう。こうしたローマ人の強さは、その熱烈な愛国心から由来する。もちろん勝利での名誉を求める野心があったのは確かだが、それ以上にローマという国家を愛したのだ。君主政というのが普通だった時代において、共和政という特殊な政体を守りながら発展したローマには、卓越した何かがあったはずだ。それは、自分の身を犠牲にしてまで祖国に尽くしたいという情熱と、死を怖れず義務に忠実であることを本望としていたからだろう。ローマでは特に貴族が、戦闘能力と堅忍不抜で優れており、平民を凌ぐ勇気を持っていた。

  王政から共和政に移行して間もない頃、ローマはエトルリア人から包囲されていた。そこにガイウス・ムキウス(Gaius Mucius)という貴族が登場し、ローマの危機を救ったのである。ローマ人は高慢な王タルキニウス・スペルブス(Lucius Tarquinius Superbus)を追放し、ブルートゥスらが共和政を敷くと、タルキニウス家の者たちは、クルシウムの王であるラルス・ポルセンナ(Lars Porsenna)の所へ逃げこんだ。亡命したタルキニウス家の者たちは、このエトルリア人の王様に、君主政を廃絶するローマ人の悪業を力説したというから見下げた奴らである。一方、彼らの讒言(ざんげん)を聞き、共和政が広がる危険性を悟ったポルシンナは、ローマ懲罰の戦(いくさ)に乗り出すことにした。戦争なら得意だったローマ人なのに、今回ばかりはローマ市城外をエトルリア人に占領され、ローマは敵軍に封鎖される窮地に陥ってしまった。ローマ市城内の食糧は底をつき始め、人々は不安と焦りで苦しむ。ローマは王政の時から、敵に負けて包囲されたことはないし、ローマ人は過去に幾度もエトルリア軍を粉砕してきたのだ。それなのに、今となってはこの有様。これを見かねたムキウスは、単独で敵陣に侵入しようと試みた。しかし、元老院や執政官に黙って行動すれば、逃亡兵と間違われてしまうので、元老院に出向いて計画を説明したという。

  元老院はムキウスがティヴェル河を渡って、敵領内に潜入する事を承認した。そこで、ムキウスは懐に剣を隠して出発したのである。彼がポルセンナの陣地に着くと、王が居る高座の周りに人混みができていて、ムキウスはその中に紛れ込んだ。丁度、兵卒らに給料が支払われている最中で、王の側に書記が一人坐って、事務をこなしていた。ところが、王と書記がほとんど同じ服装をしていたので、ムキウスにはどちらがホルセンナ王かが分からない。でも、ムキウスが給料を貰っている兵卒に、どちらが王かを尋ねれば、エトルリア人でないことがバレてしまう。迷っていてもしょうがないので、遂にムキウスは意を決して、運命の女神が偶然に命ずる方に向かって突撃しした。彼は見事に一撃を加えたのだが、運悪くムキウスが殺したのは書記の方だった。

  とっさに、その場から飛び出したムキウスは、恐怖に包まれた群衆を鮮血が滴る刃(やいば)で掻き分け逃走を図ったが、叫び声を聞きつけた人々によって取り押さえられてしまった。王の親衛隊はムキウスを高座に連行し、王の前に突き出したという。しかし、怯えたのはムキウスではなく、彼を囲んだ群衆であった。ムキウスは言う。

  我はガイウス・ムキウスなり。汝等の敵である。私は敵対者として、汝ポルセンナを刺殺せんと欲した。したがって、殺すことと同様に、敵に殺されることをも覚悟している。果敢な事をなし、死を堪える事こそローマ人の流儀である。汝に対して私だけが、刺客と思うなかれ。私が死んだ後も同様の名誉を求める若者が長い列を作って待っているのだ。もし、汝の命が価値あるものとするならば、汝の身を注意して守るがよい。なぜなら、いつ如何なる時でも、汝はひとりで戦わねばならず、王宮の玄関には常に武装した敵が次々と現れるからだ。これこそ、ローマ人の若者が汝に仕掛ける戦争である。ローマ軍の戦列や戦闘を怖れるな。汝一人と我々各自の間で決着がつけられるからだ。(リヴィウス<Livius> 『ローマ史』 Book II, xii, 8-15)

こうした言葉を聞いたポルセンナ王は、たちまち怒りで全身を震わせ、迫り来る危機と恐怖に心を取り乱した。王はどんな陰謀が待ち構えているのか不安で堪らない。そこでムキウスの口を割らせるため、「お前を火の中に投げ込んで焼き殺すぞ」と脅しを掛けたのである。しかし、こんな脅し文句に屈するムキウスではない。

  「見よ、名声を求むる者にとっては、その肉体が如何に安いものかを目にするがいい」

こう啖呵(たんか)を切ったムキウスは、犠牲の獣を焼くために燃やしていた炎の中に右手を突っ込んだのである ! 彼はまるで痛みの感覚を失ったかのように右手を炎で焼いたのだ。ムキウスの闘魂たるや凄まじいの一言に尽きる。これにはポルセンナ王も驚愕。度肝を抜かれた王は玉座から転げ落ちてしまった。ポルセンナはそのローマ人を祭壇から遠ざけるよう部下に命じ、ムキウスに対して語った。

  「若者よ、自由に立ち去るがよい。お前は余以上に己の体を害したのだ。もし、お前が我が国のために、その勇気を示してくれたのならば、余はその勇気に祝福を与えたであろう。しかし、汝は敵国人ぞ。だが、お前を戦時懲罰から解放して、傷一つ加えることなくお前を釈放しよう」

これに対し、ムキウスは王の寛大な処置に感謝するが如く、こう言い放った。

  「貴国に於いて、勇気に対して名誉が与えられたからには、私の返礼として、脅迫で得られなかった情報を陛下に受け取って頂きましょう。我々ローマの若者、すなわち三百人の代表がこのような手口で王を攻撃しようと策略を練っております。籤(くじ)で最初に選ばれたのは私でした。他の者は先行する者がいくら斃(たお)れようとも、自分の番が来れば必ずや陛下の前に現れましょう。それは運命の神が陛下を我々の掌中にゆだねるまで続くのです」

  かくして、ムキウスの脅しは真実として受け取られた。こんなハッタリでも、右腕を炎に包むという奇策を見せつけられては、信じてしまうのも無理はない。ローマ貴族の気概たるや恐るべし。ムキウスはローマに帰ったが、火傷が元で右腕を失う破目になった。そこで彼には「スカエヴォラ(左利き / Scaevola)」という添え名が附けられたという。ポルセンナ王は自分を狙う伏兵に怯え精神が参っていた。何しろ、最初の一撃が余りにも鮮烈で、あんな男が続々と襲いかかってくることを想像したら、毎日毎晩不安に駆られて気持ちの休まる時がない。ムキウスという刺客に戦慄を覚えたポルセンナ王は、講和の使節をローマに派遣し、屈辱的な和平を結ぶことになった。元老院は、ガイウス・ムキウスの勇敢な行為に報いるため、ティヴェル河対岸の土地を贈与したという。そこは、後世「ムキウス牧場」と呼ばれる土地となった。

日露戦争で発揮された日本人の勇気

日露戦争 3








(映画の1シーン / 突撃をかける日本軍)

  ローマと同様に、我が国が偉大だったのは、戦場に於いて指揮官はもちろんのこと、一兵卒までが勇気を示して闘ったからである。尚武の精神が各国民にまで浸透し、我が軍の将兵は自らの命よりも、祖国の独立と栄光を優先したのだ。かつて闘争に挑むローマ人には二種類あった。敵に向かって突進し、勇猛果敢に挌闘する「真の男(Vir)」と、国内に残って畑仕事に従事しながら子供を増やす「単なる人間(Homo)」である。ローマ人が誇りにした男らしさ(virtue)という徳目は、基本的に戦争で発揮される才幹(さいかん)である。真の男が持つ特質だから、人々が模範としたのだ。現在の学校で教える道徳とは、他人の庇護のもとで、ヌクヌクと暮らす“単なる人間”にとってのマナーである。左巻きの女教師が子供に教える「反戦平和」など、「敵が来たら押し入れに隠れてじっと助けを待ちましょう」という“臆病のすすめ”に過ぎない。しかし、明治の日本人は違った。強国ロシアが目の前に迫った時、決死の覚悟で挑んだのである。

  日本軍の強さの秘密は、一兵卒が優秀なことだ。指揮官なら英米独軍の方が上かも知れぬが、日本軍は下級兵士になる程その資質が高くなる。兵卒のレベルでいえば我が軍は第一級だ。例えば、近衛歩兵連隊に大橋啓吉という上等兵がいた。大橋上等兵が所属する連隊が、九連城方面の腰溝(ようこう)の高地に進もうとした時のこと。靉河(あいか)の水深を測るため偵察を命じられ、大橋上等兵は直ちに軍服を脱いで丸裸となり、率先して河の中に入った。すると、彼はたちまち敵の標的となってしまった。それにもかかわらず、彼は雨のように降り注ぐ銃弾の下を潜って中隊を誘導し、無事に渡河を終えたという。岸に着いた大橋上等兵は、軍服をまとう余裕がなかったので、裸体のまま敵の陣地に突入し、逃げ惑う敵兵を追って馬溝の高地に達したそうだ。ところが、敵兵も逃げるばかりでは癪に触ったのか、踵(きびす)を返して大橋上等兵に向けて銃を発射し始めたという。一発の銃弾が放たれてあわや最期かと思われた瞬間、大橋上等兵は硝煙の中から現れた。彼は「何をこしゃくな」と言い、いきなり敵兵に襲いかかってその銃を奪ってしまった。その奪い取った銃を逆手に取り直すと、銃床で相手の脳天を鋭く打ち据え、一撃のもとに敵兵を撲殺してしまったそうだ。傍らにいた数名のロシア兵は、大橋上等兵の剛胆さに懼れをなし、抵抗する勇気をなくしたらしい。彼らが次々と地面に頭をつけ降伏を乞うたので、大橋上等兵は彼らを捕虜として本隊に連れ帰った。大胆不敵な彼の名声は、陣中に響き渡ったという。(来原慶助 『日露戦争における黒木為楨』 南方新社 2012年 p53)

  軍隊での友情は素晴らしい。生死を共にする軍人には、一般人だと得られない強い絆がある。第十二師団のとある連隊に、橋本喜代吉という一等卒がいた。大甸子(だいてんし)で闘っている木越安綱支隊は、コサック兵の砲撃を受けたが、それを猛烈な反撃でもって蹴散らしたという。これより先、橋本一等卒は平川軍曹の指揮下に属し、玉丸工兵小隊の防禦工事を掩護(えんご)する任務を帯びていた。こうしたことから彼は、木越支隊が陣取る丘に派遣されたのである。すると、約50の敵騎が来襲し、平川軍曹と橋本一等卒はこれを工兵部隊に報告したという。その後、敵の後続部隊がどうなのかを確かめるべく、地面の割れ目に潜んでいたらしい。敵軍は工兵部隊を包囲するように接近してきたので、「今はこれまて」と判断し、橋本一等卒と平川軍曹は溝を抜け出し本隊に帰ろうとした。まさに、その瞬間だった。数十メートルの近距離から敵の乱射を受けてしまい、平川軍曹は敵の銃弾に斃れてしまった。

  橋本一等卒はこれを目にし、急ぎ後方に退こうとしたが、みすみす上官の遺体を敵軍に委ねるのは忍びないと思ったそうだ。そこで、銃弾が飛び交う中をかいくぐり、軍曹の遺体を肩に掛けて、見上げるような急な崖をよじ登ろうとした。そこに、二人の敵兵が駆けつけ、馬を下りて橋本に接近したらしい。橋本は下の方から這い上がってくる敵の一人を足を上げて蹴った。蹴られた敵はよろめき、足を踏み外すや崖の下に落ちていったという。これを幸いとした橋本は、軍曹の遺体を崖の途中に置き、残る一名の大柄な敵兵に組みついた。両者は必死で挌闘し、終いには組み付いたまま斜面を滑って谷底にまで落ちたが、偶然にも敵兵が岩角に体を打ち付けて悶絶したそうだ。強運な橋本は無事で、再び軍曹の遺体がある場所までよじ登り、元のように肩におぶって、本隊を目指したという。やっと帰還した橋本一等卒の顔や手足は擦り傷だらけで、血みどろになったままであった。本隊の仲間も橋本の勇気には舌を巻いたらしい。(上掲書 pp.89-90)

  我が軍の将兵は負傷をものともせず、出血を隠しながらも闘った勇者が大勢いたそうだ。中でも野戦砲の連隊は相当な激戦に堪えたらしい。紅庿子(べにびょうし)の西方に陣を敷いた我が砲列は、敵の集中砲火を浴び、我が軍も猛烈に反撃を加えたという。轟音が鳴り響く中、古賀幸太郎・軍曹は弾薬小隊長として戦列にあった。中隊長の命令を受けて、各砲車の発射弾数を調べ、第一から第五砲車を調べ終わり、まさに第六砲車の調査を終わらせようとする瞬間であった。敵の曳火弾(えいかだん)が、目の前で炸裂。第三小隊長がまず斃れ、古賀軍曹も重傷を負って地面に倒れた。しかし、古賀軍曹は地面に倒れたまま、大声で第六砲車の発射弾数を中隊長に報告したという。古賀軍曹は再び立ち上がろうとしたが、力尽きて遂に出来なかった。瀕死の重傷を負いながらも、己の義務を果たそうとする日本兵は軍人の鑑(かがみ)である。

  この時、河野羊次郎・伍長も右肩に破片を喰らい、戦友が続々と傍らで斃れるのを目にした。河野伍長は傷を処置する暇もなく、鮮血を流しながら戦闘を継続し、砲車が反動で転覆するのを必死で押さえていた。しかし、悲運にも右の脇下に敵の弾が当たって貫通し、砲架の傍らに倒れたまま息絶えたという。まさに戦場の鬼神である。日本軍には、河野伍長に劣らぬ武士(もののふ)が綺羅星の如く存在した。伍長の秋吉作郎は、射弾の分火を正すため自ら照準棍(しょうじゅんこん)を握り、照準点の指示を部下に出そうとしていた。その時、敵軍からの曳火弾が砲車の前で破裂したのだ。弾の破片が彼の胸部および左脚に突き刺さって貫通したが、秋吉伍長はなおも照準棍を放さず、戦闘を継続したのである。彼の負傷を心配した小隊長が、一名の砲手に命じて、秋吉伍長を後方に退かせた。彼は運んでくれた砲手を送り返そうとした時、こう告げたという。「我はひざまずいて行くことができる。この大切なときに再び我に従う必要はない」と。その時である。曳火弾が再び彼の頭上で炸裂し、伍長の体を粉砕した。炸裂による肉片の飛沫(ひまつ)は、雨のように地面に落ちたという。(pp..93-94)

  日露戦争では至る所が修羅場と化し、まさに肉弾戦というべき様相を呈していた。激戦の末、大勢の将兵がいとも簡単に命を落とし、大地は流血で赤く染まり、爆裂で引き千切られた遺骸がそこら辺に転がっていたのだ。敵の砲兵陣地からは大量の砲弾が発射され、我が軍の損害は甚大であった。我が軍もありったけの砲撃で応戦したが、圧倒的なロシア軍を前にして苦戦を強いられ、戦闘員の半数を失う部隊などざらにあった。こうした死闘の中、砲兵中隊長の白石七郎・大尉は猛将として応戦に努めた。ところが、そんな大尉の身辺を不意に敵の一弾がかすめ、その後方で炸裂したという。轟音と共に爆煙が天にみなぎった。ようやく煙が去って、一撃のもとに粉砕されたかと思った大尉が、地面に立っていたのだ。白石大尉は依然として双眼鏡を手にしたまま、直立不動の姿勢を保っていたという。しかし、よく見ると、大尉の首より上は吹き飛んで跡形もない。一瞬で絶命した大尉の近くには、被っていた軍帽が落下しているだけであった。(pp.144-145)

  戦場で壮絶な最期を遂げた我が軍の将兵を知ると、思わず目頭が熱くなり涙が溢れてくる。たった一つしかない命を平然と銃弾の嵐に曝したのだ。一瞬で肉片になる砲弾の炸裂に怯まない軍人とは、いったいどのような人物なのか、と現代人なら思うだろう。しかし、彼らも我々と同じ日本人である。普段なら家族に囲まれ、友人と語らい、両親祖父母をいたわる一般人だろう。しかし、国家の存亡を賭けた戦いとなれば、そうした幸せな人生を捨てるのだ。まだ新婚の妻や幼い娘、年老いた両親と別れても、祖国のために身を捧げるのである。日本男児には守るべきものがあった。死ぬと分かっていても、守りたい国家があるのだ。帝國軍人は爆発で指や耳、目、手足を吹き飛ばされるかもしれない。出来ることなら国内に留まりたいと思っただろう。しかし、恐怖に震えながらも、敵に向かって前進する魂を持っていた。戦前には、彼らをそこまで突き動かす「祖国愛」があったのだ。自分が生まれ、その体が土に還(かえ)る国家を、敵兵に一歩たりとも蹂躙されたくない、という気持ちで一杯だった。こうした将兵が出征するのを、家族や同胞は祈りをもって見送り、英霊となって戻ってきた彼らに感謝をし、その亡骸を涙で迎えたのだ。

Leonidas 1Leonidas 300








(左: レオニダス王の彫像 / 右: 映画「300」のレオニダス王)

  徴兵制を騒ぎ立てて、若者を脅かすマスコミは、国防で命を犠牲にした英霊の美談を決して語ろうとしない。戦死を“犬死に”と考えている左翼には、戦場での勇気や友情を話しても一生理解できないだろう。彼らが我が軍の勇士を伝えようとしないのは、子供たちが先人の偉業に感動してしまうことを怖れるからだ。日本の子供は不幸である。先祖の栄光を隠されているのだ。古代スパルタの詩人ティルタエオス(Tyrtaeus)は、レオニダス王率いるギリシア兵が、テルモピライの戦い(Battle of Thermopylae)で勇敢に戦ったことを後世に伝えようとした。スパルタの若者は、ペルシアの大軍に怯むことなく玉砕した同胞に感動したのだ。彼らはこうした英雄の子孫であることを誇りに思っていた。翻って、日本ではどうか? 学校で行われる歴史の授業では、我が軍の将兵は野蛮な侵略者か強姦魔だ。勇気を持って戦うことは愚行であり、悪徳となっている。守るべき祖国は単なる住宅地。良い就職先を見つけて健康に過ごし、年金を貰うまで長生きすることが、何よりも貴い人生と教えられている。これでは豊かな牧場で過ごす家畜と変わらないじゃないか。我々の祖先は子孫のために、その身を犠牲にしたのだ。いまの我々は自分のためだけに生きている。卑怯な日本人の大量発生は左翼教育の成果であろう。しかし、我々の心臓は祖先の英雄的行為により鼓舞されるし、我々の血管には熱い英霊の血が流れている。現在の日本が如何に頽廃していようとも、我々にはまだ守りたい祖国が残っているのだ。平和という念仏を唱えている国民は、どんな祖国に住んでいるのかを考え直すべきだろう。



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