黒いドイツ人

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  「親分、大変(ていへん)でぃ ! 」と黒門町(くろもんちょう)の伝七親分に、子分のちょろ松が言いそうなセリフだが、こんな言葉を発したくなるほど今のドイツはひどい。(中村梅之助が主演した時代劇『伝七捕物帖』は、もうだいぶ昔のドラマだ。) かつて、鳩山由紀夫は「日本列島は日本人“だけ”のものじゃない」と「迷言」を吐いた。ドイツも然り。だって、どう見ても、ゲルマン人じゃない人間がうじゃうじゃ居るんだもの。明治の軍人や文人がドイツに留学した時には、ザクセン人とかバヴァリア人といった西洋人ばかりだった。外人といっても、ヘルムート・フォン・モルトケ参謀総長のようにデンマーク人だったりするから、日本人にはどれも同じく見えてしまう。英国貴族だって、マウントバッテン卿みたいに、名前からしてドイツ系だと分かる西洋人もいれば、エディンバラ侯爵フィッリップ殿下みたいに、ギリシア出身の軍人なのに、血統的にはドイツ人という貴族もいる。とりわけ、日本人にとって不思議なのは、アルザス・ロレーヌ地方の住人だ。ロタリンギアに王様がいなくなったので、フランス語圏かドイツ語圏かも分からない。それでも、ゲルマン系ヨーロッパ人だから問題は無いのだろう。

  ところが、アフリカや中東アジアからの移民で溢れる現在のドイツは、余りにも違う人種の混淆で悩んでいる。我々日本人だって、「えっ ! この人がドイツ人 ? 」と言いたくなるような人物がいるから困ったもんだ。例えば、テレビ司会者のヤード・ディババ(Yared Dibaba)は、北ドイツ地方のオルデンバーグ育ちだが、1979年に母国エチオピアの内戦を逃れてきた移民である。また、ドイツのテレビ局VIVAなどに出演する歌手で、役者も務めるモラ・アデビシ(Mola Adebisi)は、地方都市のゾーリンゲン育ちだが、ナイジェリアからの黒人である。ゾーリンゲンと言えば、刃物製造で有名だから、日本で言うと金沢みたいな場所である。考えてみたら異様だ。もし、これを日本に置き換えてみよ。 どう見てもアフリカ人にしか思えないのに、「ワタシ加賀藩出身の日本人でぇ~す」なんて言う黒人がいたら、とっさに「嘘だろ ! 」と言いたくなる。色白の北越美人なら分かるが、色黒のナイジェリア人を目の前にして、日本人と思う奴がいるのか? 前田利家が生きていたら、「あれ ? 信長が雇っていた黒い異人じゃないか ? 」と怪しむだろう。(黒人を初めて見た織田信長は、家来に命じて彼の体を洗わせたらしいが、ホントかどうか分からないけど、ありそうな話である。生まれつき肌が黒い人間なんて信じられなかったのだろう。)

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(左: ロベルト・ブランコ / 中央: 白人女性の肌を吸うブランコ / 右: ロン・ウィリアムズ)

  ヨーロッパではサッカーが一番人気のスポーツだから、各国のチームには外人がたくさんいる。日本と同じく、雇われたサッカー選手が帰化する場合が多い。ドイツでも黒人選手が国籍を取得しており、ジェラルド・アザモア(Gerald Asamoah)は、ガーナ出身の黒人だし、アントニー・バフォー(Anthony Baffoe)は、ガーナ系帰化人だ。バフォーの父親はガーナの外交官で、アントニーは父が駐在したボンで育ったという。また、スポーツ選手に限らず、藝人にも外国出身者が多い。例えば、アメリカ黒人だが、ドイツで活動する有名な俳優のロン・ウィリアムズ(Ron Williams)がいるし、黒人藝人ジョセフィン・ベーカーと一緒に活動したロベルト・ブランコ(Roberto Blanco)が挙げられる。彼はチュニジア生まれのキューバ人だが、育ったのはベイルートやマドリッドだという。ZDFといったテレビ局の歌謡番組によく出演していたようだが、明らかにくドイツ人の歌手とは思えない。CDで歌を聴くぶんにはいいだろうが、映像で鑑賞するとなれば違和感がある。彼とは容姿が違う、スコーピオンズやアクセプト、プライマル・フィアーといったロック・バンドのミュージシャンなら、「やっぱり、ゲルマン人だなぁ」と思えるが、キューバ人だと異邦人にしか見えない。

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(左: ヤード・ディババ / モラ・アデビシ / ジェラルド・アザモア/ 右: アントニー・バフォー)

  余談だけれど、オランダの人気アルト・サックス演奏者、キャンディス・ダルファー(Candice Dulfer)の方が、よっぽどゲルマン系ミュージシャンらしい。彼女は映画『リリー・イズ・ヒア(Lily Is Here)』のサントラを手掛けたミュージシャンだから、日本人でも知っている人がいるんじゃないか。筆者も1990年代にはよく聴いたから懐かしい。同様に、「クォーターフラッシュ(Quarterflash)」のサックス演奏家で、ヴォーカルのリンディー・ロス(Rindy Ross)も、今となっては懐かしいミュージシャンだ。中学生の時彼らのアルバムを買ってよく聴いていたが、当時は女性で有名サックス演奏者は少なかった。現在だと、有名な日本の女性サックス演奏者って誰だろう? とにかく、ダルファーがドイツ人ミュージシャンなら納得するけど、ガーナ系黒人とかトルコ系アジア人の歌手じぁ、特別滞在の外国人にしか思えない。日本人だって人気アイドルグループが、モンゴル系朝鮮人とかエチオピア系混血児じゃ嫌だろう。若い頃、人気アイドル歌手だったアグネス・チャンも、年を取った現在は、日本国籍を持つ完全な支那人だ。先祖返りの典型例である。

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(左: キャンディス・ダルファー / 右: リンディー・ロス)

  二、三年前、とあるラーメン屋で「AKB48」について初めて教えてもらったことがある。カウンターに坐っていた営業マン風の若い男性が、テレビに映っていたAKBを筆者に説明してくれたのだ。最初、「AKB」と聞いて石橋凌がいたロック・バンド「ARB」のパクリかと思ったが、いま流行(はやり)の人気アイドル・グループだという。彼から「ARBて何 ?」と訊かれた時、筆者はどう答えていいか分からなかったので、その場はお茶を濁したが、「48」の意味を聞いて驚いた。(今では、高校生や大学生だって「乾いた花」という曲も知らないだろうし、ギターリストがBow Wowの齋藤光浩という事も知らないだろう。) メンバーが48名もいるなんて信じられなかったが、説明を聞いて理解したことを覚えている。つくづく思うけど、ラーメン屋のお客さんは親切だ。経済学者の田中秀臣教授もファンみたいだから、よほど魅力的なのだろう。それよりも、もしAKBのメンバーがリビア人とか、エリトリアやザンビアからの移民の子供だったら、あれほどの人気を博したのか疑問である。また、メンバーのほとんどが、ラオス人とか、マレー人、フィリピン人、タイ人、朝鮮人、支那人、蒙古人だったら、多くの日本人ファンがついたのか? でも、近い将来、アジア系帰化人の子供が作るアイドル・グループが登場するだろう。

  横道に逸れたから話を戻そう。移民や難民を大量に受け容れるドイツでは、大規模な反対論が湧き起こったが、ちょっとした日常でも、異人種に対する拒絶反応が生じるらしい。とりわけ、黒人だと白人国家のドイツで目立つから、様々な人種対立が勃発する。例えば、ファトマタ・アブ・セネジーというアフリカ系ドイツ人女性は、ドイツ生まれのドイツ育ちだが、地元のドイツ国民からゲルマン人とは見なされない。生まれてからずうっとドイツで暮らしているのに、ドイツに属しているという感情が湧かないし、時折、居たたまれない時があるという。彼女が「私はドイツ人です」と自己紹介すると、人々は怪訝な顔をするらしい。こういう反応を受けると、彼女はまるで不適切な発言をしたように思えてしまう。ドイツの一般人は、彼女の自宅住所ではなく、種族的出身地を聞きたいのだ。しかし、彼女がイラつくのはドイツ人ばかりではない。街を歩いていると、アラブ系の若者が、「よう、ねぇちゃん ! 」と声を掛けてくるという。それを彼女が無視すると、彼らはとたんに怒り出す。白人のドイツ娘ならいざ知らず、黒人女が何ら答えずに通り過ぎるのが侮辱と思えるらしい。彼らは黒人女なら、簡単に引っ掛けられると思っているからだ。ゴロツキどもからすれば、「黒人女のくせに何だ。お高くとまってやがって」と言いたいのだろう。

Fatmata Abu-Senesie(左/ファトマタ・アブ・セネジー)
  ファトマタは職場でも黒人への差別を体験するらしい。かつて彼女は、ベルリンの靴屋で働いたことがあるという。その店がある地域では黒人店員は珍しかったようで、お客の反応には微妙なところがあったのだ。あるカップルが来店し、連れの女性が靴を探しているところだった。ファトマタはそのお客に近づき、挨拶をして何か手伝えることがないか、と声を掛けたという。しかし、その女性客はそっぽを向いて、何も聞こえない振りをしたのである。その女性客が無視していると、彼女に同伴していた男性が、ファトマタに「ボクの恋人は靴を探しているんだけど」と答えたそうだ。そこで、ファトマタは再び、「何かお探しでしたら、お手伝いしましょうか ? 」と尋ねてみた。すると、その女性客は「何ですって? (あなたが)何言っているのか分からないわ」と口にするや、恋人の腕を引っ張って店を出てしまったという。(Fatmata Abu-Senesie, A Foreigner in My Own Country: Being Young anf Black in Germany, The Huffington Post, February 17, 2015)

  嫌な客に思えるが、ドイツ人の女性からすれば、黒人と親しく話して靴を選びたくなかったのだろう。女性のショッピングはとても長くかかるので、相手をする店員は大変だし、お客に気に入られるような人物でなければならない。筆者が大学生の時、米国のニュージャージー州で靴屋に寄ったことがある。その時の男性店員は、とても親切で色々な種類の靴を出してくれ、かえって恐縮するくらいだった。筆者は履き心地が良ければいいと考えていたが、彼は店の奥からイタリア製の靴を取り出してきた。ちょっと高かったけど、良いデザインなので購入したが、あんなに会話して買うことになるとは予想していなかった。隣に居た白人女性のお客は、さんざん靴を試したが、気に入る靴が無かったので帰ってしまった。筆者は心のなかで「えっ、買わずに帰っちゃうのか? 」と驚いたが、彼女は平気な顔で店を出て行った。女は度胸がある。その時気づいたのだが、白人客の場合には白人店員が接待することが多いということだ。興味があってショッピング・モールのお客と店員を観察したことがあるが、商店の経営者はそれとなく人種的配慮をしているようだった。やはり、高価な靴を買う白人女性客だと、接客係は白人女性の方が良いのかも知れない。ある宝石店に入った時、売り子は端正な顔をした西歐女性が多かった。ニューヨークにある安物のアクセサリー売り場には、ちゃらちゃらした黒人店員でもよいが、上層中流階級の客が来る店だと、接客係の容姿が重要になるのだろう。心理学の論文でも、容姿と好感度を研究したものを読んだことがある。

  異国だからしようがないけど、黒人はヨーロッパの白人国で、その外見を嫌でも思い知ることになる。ある日、ファトマタが幼稚園に姪を迎えに行った時のことだ。ある男の子が彼女に近づいてきて、「どうして黒いの ? 」と尋ねたという。その子は同じ幼稚園に通う女の子の名をあげて、彼女の方が肌の色が明るい、と言ったそうだ。ドイツ人の幼稚園児からすれば、両親や友達と違うアフリカ人に違和感を覚えたのだろう。ファトマタはドイツ社会で疎外感を持ったようだ。彼女はこう告白する。

  私はドイツ人だけど、他のドイツ人とは似ていないの。私の両親はイエラレオーネから来たから、わたしの肌は浅黒い。私はここで生まれ、ドイツの旅券を持っている。ドイツは私の故郷よ。でも、未だに外国人と感じる時があるの。(上掲記事)

そりゃそうだろう。ドイツはゲルマン民族の国だから、有色人種が疎外感を感じるのは当然だ。嫌ならアフリカに住めばいい。大人のドイツ人は寡黙になっているが、「政治的正し(political correctness)」を知らない子供は正直だ。ベルリンに住むビム・アデウムミというアフリカ系の“ドイツ”女性は、日々黒人であることを意識するらしい。彼女が空港や駅に出掛けたり、あるいはパン屋で買い物をする時、多くのドイツ人が奇妙な目つきでジロジロ見るという。ある時、小学生の集団と出くわし、その中から一人の少年が彼女に近づいてきて、じっと彼女を見つめていた。その子には悪意は無く、ただ興味本位で凝視を続けただけである。しかし、彼女には無礼に思えたらしい。(Bim Adewunmi, The everyday microaggressions I experience as a black woman in Berlin, The Guardian, 8 December 2013)

Bim Adewunmi 1(左/ビム・アデウムミ)
     ベルリンは国際都市で外国人も多いが、ベルリンのドイツ白人は未だに黒人が珍しいのだろう。やはり、ドイツ人は同類だけで一緒に暮らしたいので、なるべく有色人種と混ざらぬよう心掛けているのだろう。ドイツ人とギクシャクするビムだが、東ロンドンに行った時は、そうした憂鬱が無かったという。なぜなら、彼女は目立たなかったからだ。つまり、街中の風景に溶け込んでいたというわけだ。なぜか? ロンドンでは、ジャマイカ人とかケニア人、インド人、トルコ人、アラブ人があちこちに棲息していて、多数派を形成しているからだ。要は、ロンドンの数ヶ所では白人が脱出して、有色人種がそこに流入しているためである。ビムは言う、「ベルリンだと、私は外人という身分だけど、ここ(ロンドン)では通りの黒人に笑顔で挨拶できるの。そして、彼らも笑顔で返してくれるのよ。」わーい、すばらしいロンドンだ。黒い英国萬歳 !  

  ついでに言うと、西歐が黒くなると有色人種は快適になるが、先祖代々その地に住む地元民には不幸が訪れる。スウェーデンは移民政策で壊滅状態になった具体例である。あんな北極に近い国なのに、中東アジア人がわんさか居るのだ。朝鮮人まで住みついているんだから恐ろしい。そんな「多民族社会」になったスウェーデンでは、子供のイジメが深刻になっている。数年前、ヘルシンクボルクで傷害事件が起きたのだが、その原因が信じられないものであった。15歳のアラブ人少年が、同級生のスウェーデン人少年を殴ったというのだ。それというのも、そのスウェーデン人同級生が「青い瞳」を持っていたからだという。(How the wrong eye color was beaten, Fria Tider, December 28, 2013) 中東アジアからの移民にとって、青い瞳を持つ白人は同類ではなく、憎しみの対象である。法廷に出頭したこのアラブ人少年は、判事から被害者の瞳を訊かれて、「青くて緑色をしています」と答え、それが暴行の原因である認めたそうだ。

Swedish child beated by Muslims(左/被害者のスウェーデン人少年)

  この裁判で我々が注目すべき点は、このムスリム少年の言い訳だ。法廷で自己弁護をする少年は、母国語ではないから誤解されているのだ、と判事に訴えていたという。彼が家庭で使っているアラビア語が第一言語だからである。移民を受け容れると、法廷通訳が必要になり、国民が余計な税負担をする事になるから、安易に低賃金だからと言う理由で輸入すべきではない。民間企業は安い労働力で儲かるかも知れないが、関係ない国民がその労働者の為に、不必要な税金を使っているのだ。外人犯罪が増えるに従って、取調室や法廷でアラビア語やヒンドゥー語、バントゥー語など、聞いたことも無い特殊な言語に対応せねばならなくなる。自国民に被害を与えた犯罪者でも、「人権」という馬鹿げた言葉のために、法外な恩恵を与えているのだ。それでは人権派に聞きたいが、ビルマやフィリピン、バングラディッシュ、タジキスタンなどの警察署や刑務所で、我々は日本と同じような待遇を受けられるのか? 「人権」すら無い支那で逮捕されたら、どんな目に遭うのか、恐ろしくて言えないだろう。支那人の裁判官なら、日本人容疑者に1、2分で死刑判決を下せる。第一、日本語の供述調書があるのか? 捏造大国の韓国なら、濡れ衣を“真実”に作り替えることなど朝飯前だ。こう考えると、日本の司法制度は、外人にとって非常に親切である。移民輸入を国会で議論する時、こうした陰の費用に触れる議員はいないから、国民は“高くつく安い労働力”に気づかないのだ。

差別が増える移民の流入

  同質民族で暮らしてきた日本人は幸せだった。江戸時代の日本人は、人種対立を知らずに日々を送っていたのだ。歴史の教科書で記載される黒人奴隷の叛乱や、ユダヤ人へのポグロム(虐殺)なんか存在しなかった。殿様から百姓まで、みんな似たり寄ったりの顔をしていたから、人種論で国内が分裂することなく、みんなで助け合って国難を乗り切ることができた。日本は特殊である。朝廷が外国の皇統になったこともないし、お公家さんが支那とか蒙古からの征服者という訳でもなかった。貧乏で権力の無い貴族とは驚きだ。ところが、こうした幸せな日本は、自虐的なドイツと同じ轍を踏もうとしている。異人種を入れなければ起こらない問題を、わざと持ち込む西歐のリベラル派は愚かとしか言いようが無い。日々のちょっとした差別事件にはうんざりする。ドイツ国籍を取った有色人からの不満は途切れることがない。

Lewis Otoochocolate mashmallows(左: ルイス・オトー / 右: チョコレートで包まれたマッシュルーム)

  異人種と同席すると言葉の選択に気を遣いストレスが溜まってしまうことがよくある。ドイツの小学校でも言葉にまつわるトラブルがあるようだ。黒人少年のルイス・オトーは理科の授業で、チョコレートで覆われたマッシュルームを加熱して、どう破裂するかの実験を教えてもらったという。ところが、理科の先生はそのマッシュルームを「黒いキス」という言葉で呼んだのだ。チョコレートでコーティングされたマッシュルームは、デンマークで流行ったものらしく、「黒いバン(negerboll)」つまり、小さなロールパンのようなマッシュルームに、黒いチョコがかかっている、ということから由来するネーミングだそうだ。それを別名「黒いキス(negerkys/Negerkopf)」と呼んでいたのである。「ネグロ」という言葉は、元来ラテン語だから、ヨーロッパ諸国では普通の言葉である。ただ、黒人奴隷を「ニグロ」と白人が呼んできたから、1960年代以降、黒人たちが嫌がって反対しただけ。しかし、黒人の子供ルイスには分からない。彼は帰宅して早速、授業の事を母親に話した。母親はその教師に「ニグロ」を使わぬよう頼んだらしいが、教師はそれを反省せず、その後3回もその言葉を口にしたという。ルイスは手を挙げて先生に抗議したが、その教師は反省する素振りはなかったらしい。ルイスの義父がその教師に面談してからようやく、教師が発言を控えるようになったという。(Multicultural Germany: How We Experience Racism, Spiegel, September 19, 2013)

  こんな話を黒人が聞けば、ドイツ人は根っからのレイシストだ、と思うに違いない。しかし、ドイツ人教師からすれば、慣習的に用いてきた言葉を使っただけだ。だいたい、ドイツにやって来たアフリカ人がドイツ語に文句をつける、なんて我慢できないだろう。おそらく、その教師は最初の抗議を受けて意地になったのかも知れない。黒人の母親からクレームを受けたのが気に入らなかったんじゃないか? オーストリアとかネーデルラント出身の親なら、そんな抗議はしないだろう。別文明の国からやって来た黒人が、従来の言葉を「侮蔑語」だといって禁止するのは不愉快だ。ドイツ語に不満があるなら、アフリカに戻って好きな言語を話せばいい。ドイツ人は表だって黒人を批判しないが、心の底では癪に触っているはずだ。さらに悪いのは、教養階級のドイツ人ほど、左翼メディアの非難を恐れて声を上げないことである。本来、彼らが堂々と反論し、黒人たちを排除するか、祖国へ帰れと追放すべきなのだ。彼らが世間の体裁を気にして尻込みするから黒人がつけあがる。したがって、見栄を気にしない労働者階級のみが抗議をすることになる。部外者は「ネオ・ナチの台頭だ」と騒いでいるが、実態を把握していないから、無責任な事を言えるのだろう。社会の指導者こそ、厄介な問題を解決すべきなのに、彼らは黒人の居ない学校に子供を通わせたり、有色人種やイスラム教徒が寄りつかない高級住宅地に避難する。これが文明国の末期症状だ。

  現在、日本や欧米では、所得だけではなく生活環境の面でも、格差が広がっている。住宅事情を見ると一目瞭然。高額所得者は警備会社に保護された、あたかも要塞に浮かぶ「安全地区」に住んでいるみたいだ。緑豊かな広い敷地の外には、似たような豪邸が並んでいて、みすぼらしい中古住宅なんか一軒も無い。移民や難民に同情的なニュース・キャスターだって、一歩テレビ局を後にして自宅に向かえば、一等地に建てられた巨大なビル、すなわち高級長屋(コンドミニアム)に住んでいる。(「マンション」とは一戸建ての豪邸を意味するから、俗に言う「マンション」とは不動産屋の詐欺的用語である。筆者がTBSに問いただした時も、番組スタッフははっきりと反論できなかった。報道番組には嘘が多いから注意すべし。) 高額所得者の素顔を見せないテレビ藝人は、庶民が黒人を排除する行為を見つけると、自分を棚に上げて批判するから、確信的偽善者である。以前、漫画家の楳図かずおが、赤と白の奇抜な「まことちゃんハウス」を建てて問題となった。吉祥寺の閑静な住宅地に、あんな派手な家が建ったら近隣住民は、さぞ迷惑だろう。街の景観というものがあるはずだ。それでも、こんな家なら辛抱できようが、隣に遺体安置所とか霊園、難民収容所、浮浪者センター、ポルノ・ショップなどができたらもっと嫌だろう。通りすがりの他人は気にしないだろうが、毎日毎日、1年365日、必ず目にする住民は我慢がならない。

楳図かずお マコトハウス楳図かずお2








(写真/楳図かずおの「まことちゃんハウス」)

  ベルリンに住むサンドリン・ミコセ・エイキンスという黒人女性は、新しいアパートメント・ハウスを探していた。しかし、予想以上に困難だったという。それというのも、彼女の容姿がアフリカ人だからである。電話で大家に問い合わせた時は、さして問題があるように思えなかったという。実は、大家が彼女の名前を聞き、フランス系住民と勘違いしたからだ。しかし、実際に部屋を見物に行ってみると、大家の態度は冷たかった。それから数ヶ月しても一向に音沙汰が無い。給料も確実に入る職業を持っているのに、彼女には何の連絡も無かったのだ。彼女は黒人の亭主が一緒だったから断られたのでは、と考え、今度は彼女一人で物件探しを行ったという。そうしたら、ある不動産屋から電話が掛かってきて、部屋を借りられるかも知れないという通知を受けた。喜びの返事を述べる彼女に、その不動産業者は申込用紙があるので記入が必要だと告げる。

Germans Sandrine Micosse Aikins(左/サンドリン・ミコセ・エイキンス)

  だが、契約を結びたい彼女に、またもや困難が訪れた。不動産業者は残念な回答を口にしたのだ。彼女とその夫の名前を聞いた業者は、他にも希望者が居るので望みは薄いと言う。だが、彼女には見え透いた言い訳にしか聞こえなかった。彼女は帰宅すると、そのことを亭主に話し、後日、市役所の差別対策課に相談したそうだ。対応した役人は明らかな人種差別だと判定してくれた。サンドリンは母親にそのことを話し、彼女の母親が業者と談判することになったそうだ。しかし、結局サンドリンはその部屋を諦め、裁判沙汰にもしなかったという。(上掲記事) 大家の気持ちを忖度すれば、黒人がアパートに住みつくと、他の住人から苦情が来るかも知れないし、白人の入居者が来なくなるかも知れないことを心配したのだろう。もし、黒人カップルをひと組許可したことで、2組3組の白人世帯が引っ越すことになれば、大家の損になってしまう。筆者もこうした例を聞いたことがある。ある女性事務員が普通のアパートに住んでいた。ところがある時、隣にインド人かパキスタン人のような茶色の外人が入居したという。一人暮らしの彼女は不安に感じて、そこを引き払うことに決めてしまった。別段、何をされたという訳でもないのに、余計な出費をかけて引っ越したのだから、よほど嫌だったのだろう。筆者は庶民の隠れた本音を調べるのか好きなので、こうした具体例を聞くと現実が分かって嬉しい。

  中東アジアからのイスラム教徒は、キリスト教国のヨーロッパで肩身が狭いばかりでなく、不条理な差別に出くわすことがよくある。特に、ロンドンなどで起こったバスの爆発テロをテレビで観と、一般人はイスラム教徒のアラブ人やトルコ人に対し警戒心を強めてしまう。英国ではアフリカ移民が白人の首を鉈(ナタ)で切断するという事件も起こったから、なおさら有色人種への恐怖が深くなっている。ドイツに住むアジザ・ヤナというムスリム女性は、いつもスカーフを頭に被せて外出する。イスラム教徒にとってベールを附けずに外出することは、ノーパンで街中を歩くようなものだから、破廉恥行為に近い。だから、白人の西歐女性を目にするムスリム青年からすれば、異教徒の女はスカートを穿かずに道端を歩いているようなものだ。ヨーロッパ人とイスラム教徒が口論すれば、両者とも言い分があるのは当然で、いつまでも収集がつかなくなるので、別れて暮らすのが一番ということになる。民族対立を解消したければ、異民族を強制送還させることが最も効果的だ。

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(左: アジサ・ヤナ / 右: 「ブルキニ」という水着)

  ある日、アジサ・ヤナというモロッコ系の女性が、バスに乗るため停車場に居た時のことである。彼女はちっとした事でその場を離れたという。しかし、手荷物をその場に置いたまま、バス停を離れたものだから、気づいた人々が驚いた。彼らは爆弾がセットされていると勘違いしたのだ。また、彼女がスカーフを被ってバスに乗り始めると、今まで声を掛けて挨拶をしてくれた運転手が、急に無口になり彼女に「やぁ」と挨拶しなくなったという。それだけではない。彼女が水泳プールに行った時の事だ。人前で肌を見せることを禁じられているムスリム女性は、特別仕立ての水着、「ブルキニ(burqini)」という全身を覆う水着を着けて泳ぐ。そうしたところ、監視員が彼女に近寄ってきて、他の水泳客にとって目障りだから、そんな水着はつけるな、と注意したそうである。つまり、ドイツ人のお客にとって不愉快だから、普通の水着で泳げというわけだ。アジサはそうした監視員を古い頭の持ち主で、女性に対する差別だと憤っている。彼女の母親はドイツ人だそうだが、父親の信仰を受け継ぐ娘は、敬虔なイスラム教徒なんだろう。しかし、ドイツ人からすれば、自分たちの国に住んでいるのに、どうして望みもしない異人種と共存し、不愉快な宗教文化を我慢せねばならぬのか、まったくもって納得できない。こうした日常の不満が鬱積すると、ある日突然感情の爆発が起きる。為政者は前もって異人種を排除すべきなのだ。医療だって、病気に罹ったり症状が悪化してから治療するよりも、病気に罹らぬよう予防をした方が良いだろう。社会問題も同じである。

難民・移民の流入で起こる人種混淆の恐怖

  異人種が入国してくることで一番厄介なのが、望ましくない混血児の発生である。人間は身体的特徴で仲間を識別することが多い。野生動物なら互いの肛門を嗅いだり、体臭で判断するかも知れないが、人間は他人の肛門や小便に鼻を近づけて同胞と判断することはない。見ず知らずの人間に親切にする場合、大抵は顔を見て判断するだろう。もし、自分と違った種類の人相をした者を見れば、それが味方なのか敵なのか不安になる。だから、国民の一体性を保つには、その遺伝子を変えるような事態を防がねばならない。国民というのは祖先の遺伝子を貯蔵する生きた貯水池(プール)のようなも、と認識すべきなのだ。ところが、ドイツではドルコ人を始めとした非ヨーロッパ人を大量に受け容れたため、国民の遺伝子プールに異変が起きている。

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(左: ビューレントシャリフ / 中央: GSG-9のポスター / 右: アンドレアス・ピューチマン)

  少し前、日本でもドイツのTVドラマ『GSG-9対テロ特殊部隊』が放送されたから観た人も多いだろう。英国BBCが放送したスパイ・ドラマ『スプークス(Spooks)』もそうだが、諜報組織や特殊部隊を扱った映画では、有色人種や非ヨーロッパ系国民が登場しても不思議ではない。映画やTVドラマの制作者には左翼が多いので、異人種をドラマの配役に混ぜて、視聴者に「多民族主義」を注入しようとする魂胆がある。『GSG-9』では、ドイツ人部隊の中にトルコ人が混ざっている。ドラマの中では、トルコ人の隊員デミアンをビューレント・シャリフ(Bülent Sharif)が演じていて、ドイツ人とトルコ人が自然な感じで仲間になっていた。トルコ人は既にドイツ社会の一員、という悲しい現実を容認しているのだ。もちろん、トルコ人やアラブ人を中心にすると、視聴率が悪くなるからゲルマン系ドイツ人をメインにしなければならない。対テロ特殊部隊の中でも、コニーを演じるアンドレアス・ピューチュマン(Andreas Pieschman)は、典型的な二枚目ドイツ人だ。北方種族系のドイツ人女性は、ピューチュマン氏のような男子と結婚し、彼の様な遺伝子を温存することを使命とせねばならない。左翼メディアの宣伝に引っかかって、シャリフのようなトルコ人と結婚してしまえば、ゲルマン人の遺伝子は削減され、そのかわりに得体の知れないトルコ人の遺伝子が、ドイツ国民の遺伝子プールに混入されることになる。ドイツ人の父親なら、娘の子宮にトルコ人やアラブ人の精子が注入されるなんて、想像しただけでも嫌だろう。

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(写真/ドラマで「コニー」を演じるピーチュマン)

  ついでに言えば、TVドラマをめぐるドイツ人とトルコ人の関係で面白いことがある。数年前、トルコでオスマン朝トルコの有名なスルタン、スレイマン壮麗帝(Süleyman the Magnificent)を描いたドラマ『ムテシェム・ジィズリ(Muhtesem Yüzyli)』が大ヒット。視聴率はうなぎ登りで、ドラマが始まる前になると家族全員が揃うなんて家庭がザラにあった。NHKの大河ドラマ制作者が聞いたら、羨ましくなって溜息が出そうなくらい。注目すべきは、スルタンの妃ヒュレムを演じるメリエム・ウゼリ(Meryem Uzerli)という女優である。彼女の父親はフセインというトルコ人だが、母親はドイツ人で女優みたいだ。そして、彼女の容姿は全くの西歐人。日本人なら彼女を見て、ほとんどの者がヨーロッパ人と思うだろう。イスラム世界の歴史を調べれば、直ぐ分かることだが、アラブ人やトルコ人、シリア人、フェニキア人とった連中は、東欧や西欧の白人女が大好きだ。彼らと同類のユダヤ人を見ればよく判るだろう。ドラマの中に登場するヒュレムも、奴隷からスルタンの妃になった女性である。

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(左: スレイマン壮麗帝 / 中央: ドラマのポスター / 右: メリエム・ウゼリ)

  イスラム圏にヨーロッパ人みたいな人物が居るのは、過去にヨーロッパ人を攫うか買うかして奴隷にしたからである。ヨーロッパの白人女は上等な性奴隷で、黒人奴隷と比べたら格別に値段が高かった。イスラム教徒のトルコ人やアラブ人は、アフリカ女を奴隷にしたが、その主な使用目的は洗濯や掃除といった家事労働で、それ以外なら畑での野良仕事であった。貴重な白人奴隷は、もっぱら性慾を満たすため。やはり、ヨーロッパ人女性の方が美しいから、寝床には白人女を呼んだというわけだ。どうりで、イスラム教徒がヨーロッパを攻めたがったはずである。下級のトルコ兵だって、白人女を掠奪できるから頑張る。奴隷商人も稼ぎ時になるから、何か胸がワクワクしちゃうじゃないか。スルタンだって、セックスの相手は上玉の白人奴隷ときている。ユダヤ人の奴隷なんか目じゃない。ドラマを観ているトルコ人にしたって、そのへんの事情が分かっているから、ミリエムが西歐人でも平気なわけだ。むしろ、西歐美人の方がリアリティーがあったりして。とにかく、彼女の抜擢は大好評で、トルコはもちろんのことドイツでも有名女優になってしまった。哀れなのは日本の高校生だ。彼らは、こんな基礎的知識さえ得ずに卒業してしまうのだから。イスラム圏で周知の事実は、民族平等思想にとって都合が悪いから、学校の先生は口を閉ざして語らない。(良い子のみんなは学校の先生に、このブログを話しちゃダメだよ。叱られたうえに、ネット禁止になっちゃうから。)

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(左: 奴隷にされた白人女性の絵 / 右: メリエム・ウゼリ)

  日本のマスコミ報道を聞いている日本人は、知らないうちに洗脳されている。ドイツで移民排斥のデモや反対論者の演説を聴くと、「白人の人種差別は嫌よねぇ~」と安直に考えてしまう。しかし、彼らが民族の遺伝子プールを守るのは当然であり、逆に守らず「どんな遺伝子でも受け容れOK ! 」なんてほざいている者は、確信的左翼でなければ、単なるアホである。ドイツだと豆腐の代わりに、チーズの角にでも頭をぶつけて死んでしまえ、と言うのかも知れないが、人種混淆の恐ろしさを自覚していないのだろう。学校では国家主義や民族主義が悪い、と教えられているが、それならどうして家族主義はいいのか、答えられまい。黒人と結婚すると言い出した娘や息子に対して、両親が反対するのは頷(うなづ)ける。ある国民が黒人との混血に対して、他の国民に警告しても不思議ではない。容姿が異なる異邦人との混血が続くと、結束していた国民に分裂現象が起こるからだ。アフリカ人やアラブ人と混淆した下層民と、白人の遺伝子を守った上層民とに別れ、「我ら」と「奴ら」という分離が起こってしまう。インドのカースト制のようなものができて、所得と身分、遺伝といった要素で分類される事態が発生するかも知れないのだ。日本でも部落出身者との婚姻で、家族や親戚がバラバラになったケースがあるだろう。後進国からの移民と交わるのは、下層階級の者に多く、一部上場企業の重役とか、高度技術専門職の高額所得者、由緒正しき名門の御曹司や御令嬢は、ルワンダ人やシリア人、アフガン人などと結婚しない。戦後の日本人でも、朝鮮人との縁談を断固拒絶する両親が多かったじゃないか。善い悪いは別にして、移民との結婚で下層階級が増大し、固定化されるという悪循環が必ず起きるのだ。

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(写真/様々なタイプのアフリカ人)

  各民族には独自の文化や美意識がある。意外なことかも知れぬが、民族差別反対を唱える人権派ほど、実は有色民族への差別心が強い。各民族が独自の好き嫌いという感情を表明してもいいし、それが縄張りの範囲なら容認されるべきだ。いけないのは、他国を支配して原住民を貶めることである。自国内でどんな美意識を持とうが、各民族の自由じゃないか? そう考えれば、特殊な容姿を持つヨーロッパ人や日本人が、他民族の容姿や文化を嫌っても問題はない。日本の左翼人権派は、ユダヤ人がアラブ人を公然と侮蔑しても沈黙しているし、トーゴやジンバブエのアフリカ人が、支那人や朝鮮人について暴言を吐いたって、新聞で一面記事にしないだろう。朝日や毎日の海外特派員は、オマーンやイエメン、レバノンの民衆が、ユダヤ人やエチオピア人に対して、どんな人種観を持っているのかに関心が無いし、取材しようとも思わない。アラビア語は読み書きが難しいから避けるだろうし、アフリカの言語については馬鹿らしくて学ぶ気がしないだろう。ザンビアのチェワ族やケニアのバントゥー族の言葉なんか、学ぶだけ時間の無駄である。したがって、怠慢な日本のマスコミはもっぱら、取材が楽な欧米諸国の差別問題だけに焦点を絞るのだ。

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(写真/西歐人の男女)

  我々はアフリカやアジアの原住民が、どんな文化や美意識を持っているのか学ぶべきである。日本人や欧米人とかなり違う民族と言ったら、アフリカのディンカ(Dinka)族を挙げるんじゃないか。体や顔の皮膚を傷つけてイボをつくり、独自のデザインを施した身体は、我々にとって気持ちが悪い。しかし、彼らには自慢のイボイボである。それに、もっと醜悪なのは、彼らが下唇を切り裂き、そこに円盤を嵌めこむことだ。彼らはこれ見よがしにひけらかすが、我々ならゾっとして目を背けてしまう。同様に、ブラジルの土人たるリクバクツァ(Rikbaktsa)族の美観も、我々には理解しがたい。耳に穴を開けて、大きな円盤を嵌め込むことが、格好良いとは恐れ入った。鼻や耳、唇、乳首にピアスをする日本人もいるから、彼らを一概に変だとは言えないが、あの部族に生まれなくてよかった、とつい思ってしまう。この部族も変わっているが、インドのアパタニ(Apatani)族は、もっと奇妙だ。この部族に属する女性は、鼻に穴を開けて、竹製の栓を詰めるのだ。何らかの理由があるんだろうけど、お互いに見ていて怖くないのか? 世界各地に住む個人や民族は、それぞれだから仕方ないが、こんな文化は嫌だ。このように異文化を見て行くと、ヨーロッパ人がイスラム教徒やユダヤ教徒を嫌ってもおかしくはない。我々は自分の国に居る時は、不愉快な民族を見ないですむ生活が欲しいし、自分たちが望むような環境を作る自由だってあるはずだ。

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(左: ディンカ族 / リクバツァ族 / アパタニ族 / 右: ムルシ族)

  現代の欧米人や日本人は、ユダヤ人によって刷り込まれた、民族平等主義や人種論禁止に縛られている。特に、西歐人はナチズムの後遺症により、民族の白血球が極端に削減されたような状態にある。もし、我々の体内で、リンパ球や好中球(Neutrophil)、単球(Monocyte)が失われたら、どうやって侵入した細菌やウィルスを攻撃することができるのか? 考えただけでも恐ろしいだろう。ユダヤ人というのは、西歐人の骨髄をねじ曲げたり、グイグイ圧搾したりして、白血球を攻撃する有害なエイリアンである。西歐人が以前持っていた異分子排除システムがあれば、現在のように移民・難民で悩まなかったはずだ。異民族として寄生するユダヤ人が、永久に集(たか)るためゲルマン民族の白血球を撲滅したのだ、と言えよう。ゲルマン人の遺伝子プールに、アフリカ人やアラブ人の遺伝子が混ざれば、ユダヤ人と変わらぬ顔つきになってしまう。そうなれば、ドイツのみならず西歐はユダヤ人にとって楽園となる。第三帝國以前は、人種が違うから追い出される羽目になったので、ヨーロッパ人の外見が変質すれば、彼らはユダヤ人を排除する理由が無くなってしまう。この企みに気づかないと、なぜユダヤ人が移民・難民を西歐に引きずり込むのか、ちんぷんかんぷんで分からない。

  異人種混淆には悲しい現実がつきまとう。日本人は「人を見かけで判断しちゃいけないよ」と教えられているから、異人種排斥はいけないことだと思っている。しかし、こうした教えは、同質民族の国家だから言えることなのだ。日本人は何処の藩に住んでいようとも、みんな同じ肉体を持っており、仏様の信じ方が違っても、八百万の神様を拝むことでは違いが無い。しかも、朝廷は本家の本家、すなわち全国の総本家だから、日本人は遠い祖先で皆つながっている、という感覚を持っていた。こうした国は地球上でも本当に珍しい。異民族混淆社会になってしまったブリテンでは、親子の間でも人種が違うという悲劇が起きている。英国で有名なジャーナリストで、ローリー・ターナー(Lowri Turner)という女性司会者の話は、聞いていて心が痛む。

  ターナー女史は最初はデイン人で元デイリー・ミラー紙の編集員ポール・コニュー(Paul Connew)と結婚していた。彼との間には、二人の息子をもうけた。彼女の息子は二人とも白い肌で、金髪をなびかせているらしい。彼女には双子の妹ケイトリンがいて、デイン人と結婚したそうだ。デンマーク出身の帰化人は、言葉を喋らなければどちらの国民か分からないくらい、人種的に近い民族である。ケイトリンにも二人の息子がいて、淡黄色の髪をしているらしい。ターナー姉妹の息子たちは、従兄弟同士で似ているわけだ。ところが、ロリーはポールと離婚したあと、浅黒い顔のニコル・バトラ(Nicol Batra)というインド人と結婚してしまった。恋は盲目というが、結婚するなら目玉を移植しろ、と言いたい。生まれてくる子供がどうなるかくらい予想できるだろう。

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(左: ローリー・ターナー / 中央: ポール・コニュー / 右: ローリーとケイトリンの姉妹)

  案の定、ローリーは妊娠した。彼女が身ごもり、お腹を大きくすると、周りの者たちはどんな子供かしら、と興味津々。彼女は夫がインド人と皆に告げると、「うわー」と囁く。だが、彼らが心の底で何と思ったかは不明である。一方、ロリーはきっと可愛い子が生まれてくると、楽しみにしていたそうだ。まったく、英国人ってどこまで馬鹿なのか分からない。そうこうしているうちに時が経ち、彼女は混血児の女の子を出産。我が子だからいとおしいのは当り前だろう。しかし、娘が成長するにつれ、母親の胸には何かが引っかかる。ある日、彼女は娘と一緒に寝室の鏡に映った姿を見た。ローリーはこう告白する。

  私はショックを受けました。娘が外人(エイリアン)に見えたの。彼女の長くて黒い睫毛(まつげ)、濃くて暗い茶髪を見ると、私とちっとも似ていないのよ。(Lowri Turner, I love my mixed race baby, but why does she feel so alien ? , Maily Mail, 13 July 2007)

  お腹を痛めて生んだ娘が、自分と似ていないなんて、まさしく胸に突き刺さる衝撃だ。鏡に映った我が子が他人に見えてしまうなんて悲しい。インド人の濃厚な遺伝子は、アングル人の遺伝子に優越するから、生まれた雑種の子供はどうしてもインド人風の人相になる。彼女はそうした感情を振り払おうとしたが、どうしてもできなかったらしい。有名人のローリーは、人々が娘を養子と勘違いしたらどうしましょう、と不安になった。欧米の有名女優は、よく黒人やアジア人を養子にするから、事情を知らぬ大衆は、実の娘を他人の子と思うかも知れない。歌手のマドンナや女優のシャーリーズ・セロン、ニコール・キッドマン、アンジェリーナ・ジョリーなど、ペット感覚で有色人種の子供を養子にしたのだ。ローリーは娘が自信をなくすことを心配したのである。確かに、街行く人から養子かも、と思われたら娘だって嫌だろう。ローリーは別の不安も抱えていたらしい。父親違いの息子たちが、異人種の妹をどう思うのか、が心配だったという。ローリーはインド人みたいな娘が、自分の風貌を汚点と見やしないか、と気がかりだった。混血児を産んだローリーは別の事にも思いを馳せたという。彼女は次世代に伝えるべき遺伝子の重要性に気づいたが、自分はそれに失敗したと思ったらしい。人種混淆が他人事の時は、どんな綺麗事でも言えるものだ。しかし、自分の身に起きてしまうと、取り返しのつかない現実に悩む。彼女が死ねば愚かさは消えるだろうが、娘に残されたインド人の遺伝子は残ってしまう。我が子への贈り物が、負の遺産では笑えない。

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(左: マドンナ / 中央: シャーリーズ・セロン / 右: ニコール・キッドマンと養子のコナー)

忍び寄る民族消滅の危機

  日本人を皆殺しにするなら刃物はいらぬ。支那から難民を3億人くらい送り込めば達成できる。これで脅す習近平の笑顔が怖い。アフリカ人なら1億人以下でも可能だろう。敗戦後、日本の左翼勢力は、様々な反日政策を打ち出してきた。赤い教科書を用いて、暗黒史観を子供に植え付けたり、社会主義体制を称賛して自由を圧殺したかと思えば、軍隊を持たせぬことで尚武の精神を根絶しようとした。しかも、彼らは最も憎む皇室を何とか撲滅しようと、あらゆる手段を講じ、罵詈雑言はもちろんのこと、女系天皇を推奨して数十年後に反撃しようと企んでいたのだ。しかし、彼らは「コロンブスの卵」に気がついた。今まで、日本人の子供を非国民にしようと努力していたのであるが、外人を日本国民にしてしまえば、日系国民はインディオみたいに少数民族になる。こんな簡単なことで日本破壊ができるのだ。そのためには、可哀想な難民を大きく取り上げて、数人でもいいから難民認定を増やせばいい。最初は10人以下でも、2年、3年、10年、と時間をかければ、1万人も夢じゃない。そうすれば、100万人の難民だって輸入できるのだ。「スンバらしい」の一言に尽きる。そうなれば、念願の皇室抹殺たって可能になる。国民あっての皇室なら、その国民を外人か混血児にしてしまえばよい。日本人の血統が続くから、皇統が続いてしまうのだ。ロマノフ王朝のように油をかけて焼き殺す手間が省ける。左翼は「難民萬歳 ! 」と叫ぶんじゃないか。

  最近気になるのが、黒人混血児のスポーツ選手が増えたことだ。温和で気の弱い国民が多い日本では、混血児に対してあからさまな嫌悪感を表明できない。もちろん、混血児の小学生や高校生に罪は無い。具体例を挙げればけっこう多い。柔道ではガーナ人の父を持つズンイラ華蓮とか、ケニア人の父を持つ陸上選手の高松望ムセンビ、ナイジェリア人の父を持つ宮部藍梨などの女子アスリートが挙げられる。男子だと、ガーナ人の父を持つ陸上選手のアブドゥル・ハキム・サニ・ブラウン、野球選手のオコエ瑠偉、バスケットボール選手の八村塁などがいる。黒人の親から受け継いだ肉体と、本人の努力で活躍するんだから、素晴らしいと言えるのかも知れない。しかし、彼らは日本人なのか? スポーツの世界は既に無国籍状態だ。世界大会などで各国代表が競合するというが、どうみても個人の資格で参加しているとしか思えない。例えば、サッカーのワールド・カップでは、フランス代表チームなど、マグレブ連合チームみたいだ。シリア人、ガーナ人、アルジェリアの選手が、「フランス」という看板を掲げたチームに所属するに過ぎない。これでは、昔からガリアに住むケルト系のフランス白人は、どこの国を応援しているのか分からないじゃないか。選手の名前だって、発音しづらいアフリカ名だったりするから、ますます非フランス的と思えてしまう。

  黒人系日本人が増えることで問題なのは、日本人の親と日本に住つく黒人の親だ。まず、混血児を産むことになる日本人の母親は、黒くてアフリカ人のような顔をした子供が、どんな人生を送るのか考えたことがあるのか? スポーツで頭角を現せる子供はいいだろうが、これといった才能が無い混血児はどうなるんだ? 色黒の子供は物心がつく頃から、周りの日本人と違うことを痛感することになる。鏡に映った自分の顔を見ながら、なぜ友達と違うのか悩むだろう。黒色混血児として生まれれば、何らかの特技を持たないと、異質な仲間内で存在する意味が無くなってしまうのだ。野球やバスケットといった競技で、秀でれば馬鹿にされなくてすむかもしれない。だが、凡庸な混血児は困ってしまうだろう。他の日本人と変わらないくらい、平凡な子供になれば、黒人の血筋という負の特質だけが目立ってしまうじゃないか。黒色混血児に生まれたことで、特別な努力をせねばならぬ子供はつらい。日本にやって来て、日本人女を娶る黒人は、さぞ幸せだろう。彼らの祖国は捨てても惜しくはない、ダメな三等国か半永久的な後進国だ。黒人の容姿だって気にならない。出身国ではみんな黒いから、特に気にするような少年時代を送っているはずだ。しかし、混血児として生まれた子供は、日本人の中で成長し、様々な苦しみを耐えるのだ。剃刀で顔の皮膚をそぎ取っても、また同じ黒い肌になるんだから堪らないだろう。こんな肉体で日本人としての自覚を持て、と諭したって無理だ。教師だって容姿に触れないよう気を配るから、子供はなおさら傷ついてしまう。黒人の父と混血児を産んだ母は、自分の子供にどう謝るんだ?  

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(左: セウェルス帝 / 中央: カラカラ帝 / 右: ジュリア・ユリア・ドムナ)

  一般的に、肉体が変われば、精神も変わってしまうものだ。我々は古代ローマ史を思い出してみれば分かる。有名なローマ皇帝セプティミウス・セウェルス(Lucius Septimius Severus)は、レプティス・マグナ(現在のリビア)に生まれた。母のフルヴィア・ピーア(Fluvis Pia)は、貴族階級の出身ローマ人だったが、父のプブリウス(Publius Septimius Geta)は、リビア・ベルベル系の騎士階級出身者だった。セウェルス帝ともなると、もはやローマ人の貴族というより、世界帝国の支配者という意識が断然強い。ローマ人の第一人者(プリンチェプス)ではなく、ヘレニズム世界の帝王(バシレウス)と言った方が似合っている。したがって、カラカラ帝が彼の息子であったことは象徴的だ。この弟殺しの皇帝は、フェニキア系ラテン人とシリア人の間にできた混血児である。カラカラは「アントニウス勅令(Constitutio Antoniniana)」を発布して、ローマ帝國内の住人にローマ市民権をばらまいてしまった。この大規模な市民権付与は、税収を上げる目的で行われたのだ。もはや、ローマ市民権はイタリア半島に生まれた貴族的ローマ人の特権ではなく、ローマ帝國の境界線内に住む者なら誰でも持てる「表札」程度になってしまった。市民権を付与した皇帝だってローマ人ではないのだ。お金の為なら何でもやるさ。

  かつてはイギリス人がアングロ・サクソン人であったように、ドイツ人はゲルマン人であった。ローマ共和国はローマ人によって建てられ、ローマ貴族がその支柱になっていたし、イングランド王国は、アングル人の貴族とジェントリーが国家の中枢を握っていたのだ。ドイツだってプロイセンが中心となって、ドイツ人のドイツ帝國を築いたのである。ドイツという国家は、ゲルマン人の血と肉を継承した者が維持する、独特な民族共同体であった。それなのに、今じゃ黒人までが政治家になっている。日本人には全くゲルマン民族と思えない人物が、ドイツ人と称しているのだ。ドイツ人女性から生まれてくる黒い赤ん坊なんて、ラインラントの私生児(Rheinlandbastards)みたいでおぞましい。フランス軍がドイツ占領のために利用したセネガル兵が、ドイツ人女性の子宮に種を流し込んだ結果生まれた、黒い混血児は悲惨だった。白い肌の母親にしがみついた黒い子供は、違った顔つきの子供たちの中で暮らすことになったからだ。どちらの民族にも属さない混血児はグレやすい。安心できる仲間を持たない子供は、周囲の者と険悪になり、粗暴になりやすいという。(シカゴ大学のユンスン・チョイ<Yoonsun Choi>教授は、混血児のアイデンティティー・クライシスを研究して、不良になった原因を調べていたという。) こんな子供が増えれば、国家の将来は暗くなるし、活力が無くなる一方で、種族別の集団ができて国内は分裂してしまう。終いには誰の国でもなくなるから、国家に尽くそうという人物は居なくなる。国家は自分に利益をもたらすだけの団地となり、自分の命を捧げる尊い祖国ではなくなってしまうのだ。

  難民受け容れに賛成の日本人は、茶の間の正義とか、浮き世の善意に酔いしれているのだろう。豊かで快適な生活が消滅するなんて微塵も考えていないのだ。祖先が血を流して遺してくれた遺産を、チョコレート菓子のオマケ程度にしか考えていない。自分の子供がアフリカ人やアジア人と結婚するなんて想像もしていないし、黒い孫を抱くことになるとは夢にも思っていないのだ。黒い顔をした男から「お母さん」と呼ばれて、震える姑は頭が真っ白になるだろう。大切に育てた箱入り娘が、黒人に抱かれるなんて、日本人の父親には耐えられない。こうした苦悩から逃れるには、「オレが死んだら、後のことは知らねぇ」と思うことだ。自分の子供が結婚したら、あと数十年で死ぬから、それまでの辛抱さ、と開き直るしかない。棺桶に入れば世界が滅びたって構わない、と考えれば気が楽になる。孫や曾孫の事を考えたら、心臓に負担が掛かるから、将来を憂うのは止めた方がいい。伝七親分みたいに、「よぉ~。よよよい、ヨヨヨイ、よよよいな。目出てぇな !」、「へい !」と言ってハッピーエンドにならない、日本の将来はどこまでも暗くなる。やだねぇ~。考えると一晩中寝られなくなっちゃう。春日三球・照代(かすがさんきゅう・てるよ)の漫才みたい。もう誰も知らないか。またね !




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