混乱する保守系雑誌

  保守思想は魅力的で強靱性がある一方、それを掲げる者には致命的欠点がある。その一つが「仲間割れ」だ。保守派知識人というのは潔癖な人物が多いから、金銭問題をめぐって適当な妥協をするとか、何らかの不当な圧力に対して黙認する、といったことに耐えられない性格がある。それに、論壇の中に偽装保守の知識人が紛れ込むことがあるから、こうした工作員が保守派サークルを攪乱したり、異端思想を流布して保守の団結を崩そうとする。いわゆる「第五列(the Fifth Column)」だ。保守派の看板を掲げて、保守系雑誌の内部に浸透し、執筆者たちを反目させようとする工作員、と考えれば分かる。もっとも、自覚の無い人物がいるから厄介だ。しかし、『ナショナル・リヴュー』や『ザ・アメリカン・コンサーヴァティヴ』に潜り込んだユダヤ人を見れば、内紛の種を蒔いている事実に気づくだろう。ユダヤ人とは実に迷惑な種族である。

半藤一利保阪正康山内昌之村田晃嗣 1








(左: 半藤一利 / 保阪正康 / 山内昌之 / 右: 村田晃嗣)

  日本でも似たような現象が起きた。例えば、硬派だった保守系雑誌の『諸君 !』は、冷戦終結後、徐々に左傾化し、執筆者にいかがわしい人物が多くなった。半藤一利や保阪正、山内昌之はもちろんのこと、今は同志社大学の学長になっている村田晃嗣が登場したり、マイナー雑誌の『発言者』しか出番がなかった宮崎哲弥も頻繁に書いていた。また、朝日や岩波に寄り添っていた中西輝政が、急に「保守」の名札をぶら下げて文藝春秋に接近し、何を言いたいのか分からない駄文を書いて、適当にお茶を濁していたのだ。ついでに言えば、保守派の大御所ぶっていた江藤淳の文など、退屈なだけでちっとも面白くなかった。老婆のストリップみたいで、何の期待感もない。たぶん、江藤は編集者と昵懇だから、下らない文章でも載せてもらえたんだろうなぁ、と思ったことがある。それよりも腹立たしいのは、『諸君』が田原総一朗などの無教養ジャーナリストを登用し、低品質の言論を掲載していたことだ。しかし、『諸君』に載った谷沢・田原対談で、谷沢永一・関西大学教授が彼の著書『日本の戦争』を、「空の米櫃(こめびつ)」と酷評していたのは痛快だった。一刀両断で有名な谷沢先生の書評は実に鋭い。配給会社に飼われている映画評論家の「おすぎ」にはできない藝当だ。

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(左: 中西輝政 / 谷沢永一 / 田原総一朗 / 右: 江藤淳)

  保守系雑誌の代表格を自認する『ナショナル・レヴュー』は、西歐的アメリカを主張する知識人を粛清するという動きに出た。リベラル派に手を広げることで読者層を増やそうとした『ナショナル・レヴュー』誌は、「政治的正しさ(policitcal correctness)」という物差しで執筆者を判断し、左翼陣営から批判されそうな人物を蹴飛ばしたのだ。同誌の編集員になったリッチ・ローリー(Richard Lowry)は、人種偏見の容疑でジョン・ダービシャー(John Derbyshire)の首を切った。問題の発端となったのは、彼が『タキズ・マガジン』に発表した文章である。その中でダービシャーは黒人に対する注意を促したことで譴責されたのだ。彼はただ率直に、多くの事例や統計から見解を導き、黒人が群れるとロクなことが起きない、と結論づけたに過ぎない。例えば、「個人的に知らない黒人が密集する所を避けなさい」とか、「近隣が黒人だらけの場所から離れろ」、「黒人が多く集まるイベントに参加するな」といった内容である。そして、浜辺や遊園地に出掛ける際、その日に黒人が集まるような何かがあるかどうか確かめよ、と警告し、もし、何らかのイベント会場で、急に黒人が群れだしたら、即座に立ち去るように、と助言したのだ。(John Derbyshire, The Talk: Nonblack Version, Taki's Magazine, April 5, 2012)

John Derbyshire 2Rich Lowry 1Ving Rhames 3Spike Lee 2








(左: ジョン・ダービシャー / リッチ・ローリー / ヴィング・レイムス / 右: スパイク・リー)

  アメリカ白人と同様に、普通の日本人ならダービシャーの注意事項を簡単に理解できるだろう。実際、イベント会場や街頭で黒人が群れだしたら、口論やド突き合いが始まることなど、日常茶飯事だ。特に幼い娘を連れた母親が、黒人に囲まれたら恐怖感を抱いてもおかしくはない。日本でも有名な格闘家のクリントン・ランペイジ・ジャクソンやUFC王者のジョン・ジョーンズ、俳優のヴィング・レイムス、映画監督のスパイク・リーなどを思い出せば、納得できるんじゃないか? 黒人じゃないけど、相撲取りの曙や俳優のルイス・ガッツマン(Luis Guzman)やベニチオ・デル・トロ(Benicio Del Toro)も、一般人だったら悪人ツラの典型だ。とにかく、子供の安全を第一に考える親なら、遊園地や公園で黒人が多数集まった場合、「そっちに行ったらダメよ」と娘の手を引いて、逃げるようにその場を立ち去るだろう。

Jon Jones 2Rampage Jackson 1曙 1Benicio Del Toro 2








(左: ジョン・ジョーンズ / ランペイジ・ジャクソン / 曙 / 右: ベニチオ・デル・トロ)

  アジア人が増加した現在なら、こうした人種のプロファイリングに納得する日本人も多いはずだ。例えば、東京上野にあるアメ横で、ケバブ料理の屋台に集まるトルコ人を見て、魅力的だから近寄ろうとする日本人女性はいないだろう。1990年代初め、筆者は京成上野駅周辺をうろつくイラン人を目にしたので、絶好の機会と思い、彼らの近くを通る日本人を観察したことがある。髭ヅラのイラン人を目にして、怪訝な顔をする人や急いで通り過ぎようとする日本人がいて面白かった。また、電車の人間観察も興味が尽きない。都電やJRの列車内で、黒人やアジア人が坐っている隣に、どんな日本人が坐るのか、またどんな人が避けるのか、こっそり見ていたこともある。若い女性や子供連れの母親で、あえて坐ろうとした人を未だに見たことがない。実際は違うのかも知れないが、その数は少ないはずだ。人種平等主義者は怒るだろうが、本能的嫌悪感はどうしようもない。もし、黒人ばかりの満員電車であったら、その車輌に乗り込む若い日本人女性は何人いるのか? (オバタリアンでも躊躇うと思うのだが。) 特別な黒人差別主義者でなくても、無意識に避ける日本人は結構いるだろう。アメリカの白人は日本人の前だと米国が「自由の国」だと自慢するが、白人ばかりの会合では別の顔を見せる。気の置けない友人と密談すれば、「自由の弾圧」について愚痴をこぼすことも珍しくない。もちろん、公の場では笑顔で沈黙。本心を吐露したら社会的地位を失うんだから。したがって、気配りのできる日本人は、彼の惨めな状態を笑ってはいけないよ。頭の良いアメリカ人は分かっているんだから、わざわざ現実を指摘する必要はない。

Richard Herrnstein 1Charles Murray 1John O'Sullivan 2Peter Brimleow 1








(左: リチャード・ヘルシュタイン / チャールズ・マレー / ジョン・オサリヴァン / 右: ピーター・ブリメロウ)

  黒人について正直に語ってしまったダービシャーは、リッチ・ローリーによって『ナショナル・レヴュー』から排除されたが、同誌はかつてリチャード・ヘルンシュタイン(Richard Herrnstein)とチャールズ・マレー(Charles Murray)が出版した『ベル・カーブ(The Bell Curb)』を擁護したことがある。ヘルンシュタインとマレーは、知能に関して、人種や遺伝、社会階級が影響していると提唱し、世間の話題となった。当然の結果だが、非難囂々(ごうごう)だ。しかし、現実を冷静に見れば、頭の出来具合は環境のせいばかり、とも言えないだろう。脳科学や遺伝子学が発達すれば、もっと明確な事実が分かるかも知れない。それなのに、編集権を握るリッチ・ローリーは、リベラル派メディアの追求を恐れて、ダービシャーを生け贄にしたのだ。『ナショナル・レヴュー』誌の卑屈さはそれだけに留まらなかった。同誌の総帥ウィリアム・バックリーは1997年、編集者だったジョン・オサリヴァン(John O'Sullivan)を「レイシスト」と断罪し、有無を言わさず追放処分。1998年には、有色移民の流入に大反対の論陣を敷いていたピーター・ブリメロー(Peter Brimelow)を編集部から粛清。2012年、『ナショナル・レヴュー』の編集部は、ロバート・ワイズバーグ(Robert Weissberg)を「白人ナショナリスト」の廉で排除。これじゃあ、気にくわないブルジョワや貴族を片っ端から「共和国の敵」と見なし、次々とギロチン台に送ったジャコバン派と同じじゃないか。アメリカは建国当時、本国から独立したイギリス系白人の共和国であったはず。大陸議会に集まった白人紳士が、有色人種と共存する多民族国家をつくろう、なんて議論したのか? バックリーやローリーの言う「アメリカの伝統」は、いつから「リベラル派への御機嫌取り」に変貌したのか、是非知りたいものだ。

Charles Krauthammer 2Chuck Hagel 1Hegel 1








(左: チャールズ・クラウト ハマー / 中央: チャック・ヘーゲル / 右: 哲学者のヘーゲル)

   『ナショナル・レヴュー』の変質には、編集部におけるユダヤ人の影響があるらしい。ウィリアム・バックリーは1997年、55歳のジョン・オサリヴァンを解任した後、29歳の若きリッチ・ローリーを編集員に迎えた。彼は大学を卒業したのち、ネオ・コンのユダヤ人チャールズ・クラウトハマー(Charles Krauthammer)のもとで、リサーチ・アシスタントを務めていたという。この経歴を知れば、ローリーがなぜイスラエル・ロビーに擦り寄っているのか、が分かるはず。ユダヤ人読者を意識したローリーは、チャック・ヘーゲル上院議員が国防長官に指名された時、ヘーゲルがイスラエルに批判的なのを咎めていた。彼はヘーゲル長官を「ヨーロッパ風に洗練されたイスラエルへの侮蔑感を持つ人物」と評していたのだ。(Gilbert Cavanaugh, The Neocowardice of Rich Lowry, Taki's Magazine, December 27, 2012) 普通のアメリカ人なら、「何言ってんだ? ヘーゲルはネブラスカ州という田舎で選出された議員だぞ」と言いたくなる。でも、彼の顔をよく見ると、哲学者のG.W.F.ヘーゲルにちょっと似ているから面白い。共和党からの国防長官は、実際に戦闘で傷つく将兵のことを考え、グローバリストによる米軍の「傭兵化」に警鐘を鳴らしただけである。しかし、ローリーにはそんな理屈は通用しない。彼にとって西歐系アメリカ人は合衆国の中心ではないからだ。とにかく、ユダヤ人への「おもてなし」が先決で、彼はアメリカのみならず、ヨーロッパでも吹き荒れる反ユダヤ主義に心を痛めていたという。(Rich Lowry, Hitler Was Right, National Review August 5, 2014)

ユダヤ人に乗っ取られた編集部

  バックリーが創設した『ナショナル・レヴュー』は当初、西歐の伝統を重視する執筆者が多かった。しかし、徐々にユダヤ人や親ユダヤの言論人が参入し、本来の保守主義から遠ざかるようになってしまい、今ではちょっと右寄りなリベラル雑誌に零落(おちぶ)れている。編集部からジョン・オサリヴァンやピーター・ブリメローといったアメリカ白人を追い出して、非西欧系の人物が仕切っているんだから、昔からの読者は白けてしまう。どんな編集員がいるのか、とちょっと覗いてみれば、ロン・アンズ(Ron Unz)とかジョナ・ゴールドバーグ(Jonah Goldberg)といったユダヤ人が、ふんぞり返ってデカい顔をしていたのだ。西欧系アメリカ人から長いこと侮蔑されていたユダヤ人が、急に保守主義者を名乗ったからとて、トマス・ジェファソンやジョン・アダムズ、アレグサンダー・ハミルトンに倣って、アングロ・アメリカの伝統を保持するなんて考えられない。バックリーに排斥されたブリメローは、変質した『ナショナル・レヴュー』を『ゴールドバーグ・レヴュー』と揶揄(やゆ)していたくらいだ。本当は『ジューイッシュ・レヴュー』と呼びたかったんじゃないか?

Jonah Goldberg 3Ron Unz 1Ramesh Ponnuru 2









(左: ジョナ・ゴールドバーグ / 中央: ロン・アンズ / 右: ラメッシュ・パヌル)

  ジョナ・ゴールドバーグが半ユダヤ人(母親がアイリス系カトリック信徒)なら、ロン・アンズはウクライナ系ユダヤ移民の子供で、婚外子という暗い過去を持つ人物である。学校の成績が良かったロン少年は、大学に進んでも優等生。しかし、ユダヤ人の血統を持つ秀才は、西欧系アメリカ人の家庭とは異なった環境で育った。彼は家でイデッシュ語(ドイツ語の方言にスラブ語やヘブライ語が混ざった言葉)を話していたそうだ。(Margot Hornblower, The Man Behind Prop. 227, CNN, June 8, 1998) まともな保守派なら、第三世界からの有色人移民に反対するはずだが、ユダヤ移民の子として生まれたアンズは、劣等国から逃げてきた南米移民に対して同情的だった。彼は移民に反対の立場を取るピート・ウィルソン(Pete Wilson)州知事に憤慨し、1994年のカルフォルニア州知事選を目指した。しかし、現実はそう甘くはない。彼はあえなく予備選で敗退。当時、公立学校から不法移民の子供を排除しようとする「提議187(Proposition 187)」が焦点となっていて、ウンズは移民排斥に傾くアメリカ白人に反感を抱いていた。移民や難民と聞けばアメリカに引き入れたくなるのがユダヤ人。表面的に共和党員であっても、中身は民衆党リベラル派と大した違いは無い。コブラとアナコンダのどちらが危険な蛇か、と尋ねるのと一緒。とにかく、アメリカを西歐人の国家に保ちたいと願う白人は、政党や思想の垣根を越えてユダヤ人の敵なのだ。

Maggie Gallagher 2Maggie Gallagher & Raman Srivastav






(左: マギー・ギャラガー / 右: ギャラガー夫妻)

  こんなユダヤ人を除いて残った連中を見れば、『ナショナル・レヴュー』にはラメッシュ・パヌル(Ramesh Ponnuru)とかマギー・ギャラガー(Maggie Gallagher)みたいな編集員が残っているだけ。パヌルは保守派みたいだが、肉体的にはインド系アメリカ人で、とてもアングロ・サクソンの歴史と伝統を守る人物には見えない。一応、保守主義者を名乗っているので、彼は同性愛者の結婚に賛成はしないが、現実には認めざるを得ないとし、この不道徳な結婚を容認しているようだ。一方、ギャラガーは宗教や道徳の面で保守主義を掲げているようで、「婚姻擁護全国組織(National Organization for Marriage)」を創設し、総裁の地位に就いている。ただ、彼女が結婚したのはインド系アメリカ人なので、ちょっとした問題があった。マギーは結婚と家族を重要視するイベントを企画し、ロード・アイランドで開催したのだが、肝心の総裁は亭主を同伴せず一人で登場。団体の役員たちは、夫婦揃って参加していたのに、マギーは夫のラマン・スリヴァタフを何処かに置いてきたのだ。おそらく、他人には言えない事情があるのだろう。しかも、宗教面で歯切れが悪かった。実は、彼女の夫がヒンドゥー教徒なのである。マギーはカトリック信徒なのに、夫に遠慮しているせいか、アメリカ合衆国をキリスト教徒の国だ、と断言できない。2007年、議会上院でヒンドゥー教の聖職者が祈りを捧げたことがあった。その際、保守派のアメリカ人が多文化主義の傾向に反駁したことがある。本来なら、保守派のマギーは同調するはずだ。しかし、彼女は「各個人が信仰を自由に表現することは、アメリカ国民の権利である」と述べて、米国がキリスト教国なのか否かを避けていた。マギーのケースは、異人種と結婚すれば何かと面倒が起きてしまう典型例である。

反ユダヤ主義の父親を持っていたバックリー

  ユダヤ人が住みつく国家には、余計なトラブルが多い。もし、アメリカにユダヤ人がいなかったら、バックリーは西歐の伝統を誇る保守主義者になれたであろう。彼の『ナショナル・レヴュー』もリベラル勢力に敢然と立ち向かう、保守派の牙城になっていたかもしれない。しかし、現実にはユダヤ人に媚びる“提灯雑誌”になってしまった。これはバックリーの個人的背景を考慮に入れなければ理解できない。

  バックリーはかつてパット・ブキャナンの反ユダヤ主義的傾向を非難したが、実はウィリアム・バックリー・ジュニアの父ウィリアム・バックリー・シニア(William Buckley Sr.)は、紛れもない反ユダヤ主義者だったし、彼の兄弟姉妹もユダヤ人嫌いだった。ウィリアム・ジュニアは少年時代のある出来事を話している。時は1937年。バックリー家はコネチカット州のシャロンに住んでいた。その近くにユダヤ人の保養地があったそうだ。ある日、シャロンに住む悪ガキども7、8名が、ユダヤ人のリゾート地で十字架を燃やすという悪戯(いたずら)をしでかした。ところが、その中にウィリアムの兄や姉が4人混じっていたのだ。ウィリアムはその場に居なかったというが、本当は兄や姉と一緒にその悪戯をしたくて堪らなかったらしい。しかし、ウィリアムはまだ11歳だからダメだ、ということで仲間に入れてもらえず、本人の回想によれば、泣きべそをかいていたという。(William Buckley, Jr., In Search of Anti-Semitism, Contunuum, New York, 1992, p.6) ウィリアムの言い訳だと、その悪ガキどもは、大人を怖がらせてやろうと思っただけで、ハロウィーン祭りにも似た面白半分の悪戯であったという。当時のアメリカでは、ユダヤ人を馬鹿にすることは普通のことだ。子供でもユダヤ人をからかう事に罪悪感は無かった。しかし、クー・クラックス・クランのように十字架を燃やすことができずに、悔しさを噛みしめたウィリアムを想像するのは愉快だ。

 2William Buckley 6(左: ウィリアム・バックリー・シニア / 右: ウィリアム・ジュニア)

  バックリー家の子供たちは無邪気にユダヤ人を馬鹿にしていたが、父親のウィリアム・シニアは筋金入りの西歐主義者だった。我々はバックリー家の反ユダヤ的風潮について、あるユダヤ人夫婦の悲劇を通して知ることができる。1944年3月に、ユダヤ人のサリー・バーマン夫妻が、バックリーが住むコネチカット州シャロンで家を購入したという。ところが、シャロンにはダヤ人を近づけないという暗黙の了解、つまり紳士協定があったのだ。しかし、そんな掟があるなんて知らないバーマン夫妻は、堂々とシャロンに引っ越してきたものだから、地元の紳士たちは大激怒。彼らはユダヤ人に土地を売った不動産業者のフランシス・J・M・コッター(Francis James Meadows Cotter)夫人を裏切り者呼ばわり。コッター夫人旦那さんは、地元にあるクライスト・チャーチで牧師を務める、監督派教会の教区司祭であった。コッター家には娘が二人いて、バックリー家の子供たちと親しかったという。しかし、ユダヤ人を蛇蝎の如く嫌うバックリー・シニアは腹の虫がおさまらない。彼は大声を上げてコッター夫妻に不満をぶちまけ、必ず復讐するぞと誓ったそうだ。

  それから間もない5月13日、クライスト・チャーチは何者かによって荒らされたという。教会に設置されている座席のヴェルヴェット製クッションには、蜂蜜と羽毛がふりかけられ、祈禱書も汚されてしまった。そのうえ、聖書にはポルノ写真が挟まれていたというから酷い。翌日、この事件は教会に集まった人々の間で様々な憶測をよび、すぐさまバックリー家に疑惑の目が注がれたという。事件を担当する刑事がバックリー家を訪れ、家の中をちょいっと捜査したら、ヌード写真が引き千切られた雑誌を発見したそうだ。さらに警察が捜査を進めると、事件当日バックリー家の子供三人が街にいたことが分かった。担当刑事は彼らの事情聴取を行い、自白調書を取ったという。バックリー家の子供たちは裁判で有罪となり、それぞれが損害賠償として100ドルの罰金を課せられた。これにはバックリー・シニアも激怒。彼は復讐の炎を燃やして、コネチカットの司教に直談判を行い、コッター夫妻をクライスト・チャーチから追い出すことを要求したのだ。しかし、これには街の人々もやり過ぎだと感じたらしい。彼らの同情はコッター夫妻に向けられ、バックリー・シニアは復讐を断念せざるを得なくなった。(Gore Vidal, A Distasteful Encounter with William F. Buckley, Jr., Esquire, September 1969) 成長してからのバックリー・ジュニアは、第二次大戦でドイツのユダヤ人が迫害を受けたことに深い同情を示しているが、自分の家族が起こした反ユダヤ的行為については語っていない。

Christopher Buckley 4(左 / クリストファー・バックリー)

  バックリー・ジュニアの父親に言及したついでに、彼の息子クリストファー・バックリー(Christopher Buckley)にも触れておきたい。父のウィリアムは保守論壇の大御所で、共和党右派の思想的支柱のように見なされていた。しかし、父の政治思想は息子に伝承されなかったようだ。クリストファーは2008年の大統領選挙でオバマに投票したらしい。彼は個人的に対抗馬のマッケイン上院議員を知っていたが、このベテラン議員には一貫性が無いと判断し、フレッシュな上院議員であったオバマを支持することに決めたという。(Christopher Buckley, Sorry , Dad, I'm Voting for Obama, The Daily Beast, October 10, 2008) もちろん、有名な保守言論人を父に持つクリストファーは、民衆党のオバマに投票することが、マスコミの注目を集めるセンセーションになることくらい分かっていた。それでも、政治的立場をコロコロ変えるマッケインよりも、“第一級の人格”と“第一級の知性”を有するオバマの方が、合衆国大統領にふさわしいと考えたようだ。なぜかと言えば、オバマの自叙伝に感動したからだという。「えぇぇ~? !」と驚いてはいけません。本人は真剣にそう思ったのだから。でも、「ちょいと待った ! 」と言いたい。たかが、オバマの自伝を読んだくらいで「一級の知性」を持つ人物だ、と判断するなんて軽率じゃないか。ベスト・セラーになったオバマの本は、極左の恩師ウィリアム・エアーズが何度も書き直させて、やっと出版に漕ぎ着けた代物だ。エアーズの代筆書と言ってもいいくらい。実際、本人が自慢しながら白状していたのだから本当だろう。劣等生だったオバマは文才に乏しく、『ハーバード・ロー・レヴュー』の編集長を務めたけれど、これといった自前の論文は無かった。学識ではなく“人種”で選んだところが、いかにも「リベラル派」のハーバードらしい。(ちなみに、エアーズは爆弾テロリストで逃亡者。マズいと思ったオバマは、彼との関係に言及することはなかった。)

Barak Obama 6Barak Obama 4William Ayers 5









(左: 友人と一緒のオバマ / 中央: 知的な雰囲気のオバマ / 右: ウィリアム・エアーズ)

  余計なことだけど、クリストファーを見ていると、石原慎太郎の息子で大臣にもなった石原伸晃を思い出す。慎太郎はかつて「スパルタ教育論」をカッパ・ブックスで出版した。当時はちょっと話題になったこともある。青嵐会を作ってハマコーさんと共闘し、防衛や憲法について熱く語っていたタカ派の政治家は、教育論でも硬派な意見を述べていた。しかし、息子の伸晃が自民党から出馬した時、慎太郎の愛読者はさぞビックリしたんじゃないか。我が子を千尋(せんじん)の谷に突き落とす、ライオンの如き父親をイメージしていたのに、息子が街頭演説をするとなるや、石原軍団総出陣で伸晃を支えていたのだ。渡哲也とか舘ひろし、神田正輝、伯母の石原まき子夫人が伸晃を囲んで応援し、半べそかいた伸晃は必死で大衆に懇願。オヤジの七光りと、亡くなっても輝く叔父の名声、それと華やかな軍団の人気で、いったい合計何光になるのか分からない。少なくとも50光くらいはあったんじゃないか。慎太郎の親バカはともかく、石原ファンの保守派は、「スパルタ教育」を受けたはずの伸晃を見て落胆したものだ。一番重要な軍隊や國體に触れずに当選するなんて、保守派のオヤジを持つ息子とは思えない。皇室や靖國神社についても、どんな信条を持っているのか分からない。総裁選に出た時は、自ら墓穴を掘ってレースから脱落。間抜けな外交感覚に唖然としたのを覚えている。父の慎太郎は嫡男に一体どんな教育をしたんだ? 他人の子供には厳しく、自分の子には甘い大物作家は、何て説明するんだ? 猪瀬直樹を笑えないぞ。

石原伸晃石原慎太郎渡哲也舘ひろし神田正輝






(左: 石原伸晃 / 石原慎太郎 / 渡哲也 / 舘ひろし / 右: 神田正輝)

  話を戻す。ウィリアム・バックリーがユダヤ人に擦り寄るのは、家族の暗い過去だけが原因ではなかった。彼は“優雅な”保守の大物になりたかったのだ。バックリーは「武士は食わねど高楊枝」なんて気はさらさらなく、霞(かすみ)を喰って生きるような人生を想像していたなかった。お金が第一。余力があれば、保守思想を語るといった具合。裕福なリベラル派というのは多いが、金持ちで真の保守派というのは滅多にいない。何事も金銭が優先されるアメリカに住むと、絶対に「負け組」とか「低所得者」にはなるまい、と心に誓いたくなる。貧乏人とは能力ばかりではなく、人格の面でも劣る者と見なされるのだ。かつてックリーの腹心だったジョセフ・ソブランは、あるエピソードを語ったことがある。彼はシカゴで行われたイベントに呼ばれ、そこで講演をしたという。スピーチが終わってから、彼はある老夫婦に出逢ったそうだ。その老夫婦はアイリス系カトリック信徒で、長年に亘りバックリー家と親しかった。彼らは幼い頃のバックリーを知っている、とソブランに語ったので、彼は興味深くその昔話を聞いたそうだ。この信仰篤い老夫婦は、ロザリオを手にして祈る時、ウィリアム・ジュニアのことも一緒に祈ったというから、ソブランにはこの話がとても印象深く残っていた。

Joseph Sobran 1(左 / ジョセフ・ソブラン)
  それからしばらくして、ソブランはニューヨークに戻り、バックリーと食事をする機会を持った。友人のバックリーと席に着くや、さっそ彼は偶然出逢った老夫婦のことを友に語り始める。ソブランはロザリオの祈りにも言及し、バックリーが懐かしむものと思っていた。しかし、話を進めて行くうちに、バックリーがイライラしてきたことにソブランは驚く。バックリーは不機嫌そうになって、「あの夫婦は負け犬なんだ。彼らは金を持っていない連中なんだぞ。君はどうしてそんな者と話をして、時間を無駄にしたのかね ? 」と言い放ったそうだ。これにはソブランもショックを受けた。幼いウィリアム少年のために祈りを捧げた夫婦は、今でも時折、彼のために祈っているというのに、目の前のウィリアムは親切な老人を罵倒したのだ。その後、ソブランがどんな態度を取ったのかは定かでない。しかし、こうした逸話から、いかにバックリーがお金に執着していたか、が分かるだろう。金銭的に成功しない者は「負け犬(loser)」なのだ。保守派の総帥気取りで数々の社交界に出たバックリーは、成功者の果実を充分堪能したに違いない。有名なリベラル派でユダヤ人女優のバーバラ・ストライサンドに招待されて、楽しく会話をかわすバックリーの姿を思い出せば、何となく不愉快な気分になってしまう。「結局ユダヤ人の金が目当てで、ユダヤ人を擁護したのかよ」、と言いたくなるじゃないか。

中条ゆかり(左 / 中条ゆかり)
  あるスーパー・マーケットで買い物をした時、5、6歳の子供が保険会社アフラックのCMで流れた歌「お金は大事だよ~ぉ」を口ずさんでいた。その時、笑いをこらえるのが大変だったことを覚えている。ウィリアム・バックリーは保守主義で色々なことを語っていたが、基本的には、お金が大切と歌っていた子供と変わらないのだ。バックリーは『ナショナル・レヴュー』の創刊50周年を祝う記念式典で、いかに雑誌の運営で苦労したかを語っていた。彼のスピーチによれば、50年間で約2,500万ドルもの損失を出したという。(Gary Shapiro, An Encounter with Conservative Publishing, The New York Sun, December 9, 2005) つまり、雑誌を維持するために年間50万ドルの赤字を出していたということだ。そもそも保守系雑誌を求める一般読者の層は薄いし、広告を出してくれる企業だって稀である。それなら、読者層を広げるために左翼の味付けをすればいいのだが、そうするとハードな保守層を失ってしまうから、ジレンマに陥って困ってしまう。雑誌を維持するためには、一般受けする「ユルくて甘い」記事の方が良い。日本でも同じだ。保守派が購読していた『諸君』は廃刊になったのに、左に傾いた『文藝春秋』が存続するもの、似たような原理が働くからだろう。ここで思い出すのは、新潮社の雑誌『新潮45』である。亀井龍夫・編集長の頃は読み応えのある大人向けの雑誌であったが、「中条ゆかり」というオバはんが編集長になったら、まるで女性週刊誌のような雑誌になってしまった。でも、読者を増やすためなら何でもやるのが商売だからしょうがない。

  ここまで、バックリーについて批判してきたが、経営者の肩書きを持つ知識人だと、嫌な妥協をしなければならぬ時もあるだろう。雑誌存続の為にお金をくれない保守派より、有り余るほどのゼニを持つユダヤ人の方に魅力を感じても無理はない。バックリーだって西欧系の大富豪が献金を渡してくれれば、喜んでユダヤ人と対決したかも知れないのだ。ユダヤ人がいくら保守主義者を名乗ったところで、アメリカ合衆国は西歐人が建てたキリスト教国家である。ユダヤ人の先祖が創ったわけでもない国の伝統を、現在のユダヤ人が守る義理は全くない。東欧や南欧からのユダヤ移民を祖先に持つ彼らにとって、故郷とはパレスチナであり、アメリカ国籍やフランス国籍を取得しようが、彼らの祖国とはイスラエルを指す。同胞といえば、国境を越えたユダヤ人であり、遺伝子的に異なるアメリカ白人は「ゴイム(家畜)」に等しい。アメリカに移住したユダヤ人からすれば、憎い白人がのさばる合衆国は他人の家と同じである。だから、キリスト教を「政教分離」の名目で単なる「趣味の宗教」に貶めても良心は痛まない。白人の女に刺青を勧めたり、映画で淫売を格好良く見せて、西歐人の性倫理を乱しても平気である。黒人と白人をセックスさせて喜ぶユダヤ人が如何に多いことか、ハリウッド映画を観ればよく判るじゃないか。ユダヤ人にとり、アメリカは自分の家じゃないから、畳の上に小便を引っ掛けても悪いと思わない。支那人みたいな連中と考えればいいだろう。

aida yuji渡部昇一 2日下公人小室直樹








(左: 會田雄次 / 渡部昇一 / 日下公人 / 右: 小室直樹)

  日本の保守論壇は悲惨な状態にある。まず、優秀な言論人が育っていないし、保守的読者が増えていないのだ。残念なことだが、保守派の文章を理解するには、基礎的知識とある程度の教養が必要だから、読者の数は限られてくる。一方、左翼の若者が多いのは、無知蒙昧だって直ぐ「リベラル派のオピニオン・リーダー」になれるからだ。「戦争はいけませ~ん」とか「平和が第一でぇ~す」、「軍国主義になるから改憲反対 !」なんて馬鹿な子供でも言えるだろう。保守になるのは相当な勉強が必要で、慎重に物事を判断せねばならない。でも、左翼なら「人生修養」はいらないから、脳天気な空想家や無責任な卑怯者でもいい。読書の習慣を持つ者でも、真っ赤ではないがピンク程度の者が大半だから、保守派人口の数は知れている。それに、保守系雑誌と言えば、わずかに『正論』くらい。(その『正論』だって最近は怪しいものだ。) 『WiLL』の執筆者は半分くらい左翼的人物で占められているし、渡部昇一や日下公人といったベテラン保守がいるだけで、若手の保守論客は皆無。保守もどきならいるが、小室直樹先生みたいに刺戟的で、魅力的な知の巨人にはお目にかかれない。腹が据わっている上に博学だった會田雄次先生が居た頃は良かったなぁ、と悔やんでも遅いのだ。保守系雑誌はスポンサーを探すのも大変だから、保守派のおじいちゃん読者だけを相手にしていられない。左翼雑誌なら、日本人を恨む孫正義やマルハンなどのパチンコ屋を広告主にできるだろう。移民で溢れる日本だと、次々にアジア系の大富豪が誕生するかも知れない。サラ金やパチンコ、飲食業で裕福になった朝鮮人を見れば分かる。現状でも、日本の国益を主張する保守的知識人は、インターネットの片隅でしか発言できず、テレビに登場するのは、朝鮮人か支那人に媚びる御用学者だけだ。バックリーが生きていたら、西海岸で一儲けしたインド人や、大金を持って逃げ出してきた支那人を旦那衆にしたかも知れない。でも、卑屈な顔をしながら「ニーハオ」なんて言うバックリーは見たくないなぁ。
 



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