アジア人にされる日本人

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(左: アフリカで働く支那人 / 右: 将来の日本人が模範にする支那人労働者)

  昔、泉谷しげるが「なにやら変だよ、近頃おかしなことばかり~ぃ・・・カンカンのんのん、ええじゃないか ! カンカンのんのん、ええじゃないか!」と歌っていた。これは今村昌平が監督を務めた映画『ええじゃないか』の主題曲である。泉谷氏はもちろんのこと、桃井かおりや緒形拳、草刈正雄といった豪華メンバーが出演していたが、興行的には失敗で、イマイチ知られていない作品である。内容はこれといって大したものではない。かいつまんで言うと、幕末の混乱に際し、民衆が矢鱈目ったら「ええじゃないか」と叫びながら踊り狂って不安やストレスを発散する、といったストーリーである。こんな映画はともかく、我が国の教育界では今、小学校からの英語教育を導入するというので、みんなが「ええじゃないか !」と叫んで乱痴気騒ぎだ。日本の庶民は「グローバライゼイションに乗り遅れるな !」とか、「国際化時代のコミュニーションを重視 !!」といったスローガンに弱い。文科省の役人や大企業の経営者が言うんだから間違いない、と思ってしまうから哀れだ。「偉い」肩書きがあると日本人は直ぐ信じてしまう悪い癖がある。残念だけど、ネズミ講に引っかかる大衆と同じだ。何度警告しても、ほとぼりが冷めるとまた引っかかる。これでは注意する方が疲れちゃう。

  それにしても、文科省の役人は信用できない。「子供のうちからスタートすれば英語が身につく」とは本当なのか? 怪しいぞ。だいたい、物知り顔を決め込んだ奴らが、変てこな西洋語を使って囃し立てる時には、必ず裏がある。以前、マスコミは民主党の「マニュフェスト」を絶賛したが、民主党政権で日本はズタズタになってしまったじゃないか。言論統制が大好きな報道番組は、下層階級の母親が彫った「刺青」を「タトゥー」と言い換えて「ファショナブル」に仕立て上げたし、「無宿者」や「浮浪者」を意図的に「ホームレス」と呼んでいた。もっとケシカランのは、「長屋」を「マンション(一戸建ての豪邸)」と呼んでいるんだから、悪意が無くても詐欺と同じだ。そもそも、彼らは前科がある。例えば、バブル時代末期に、「日本の国際化」や「労働市場の開国」と称して「皆さぁ~ん、偏見を捨てて外国人労働者を入れましょう」、とNHKは唆(そそのか)したが、結果はどうだ? ピッキング犯罪が増えて、虎の子のタンス預金を盗まれる老人は周章狼狽。お気に入りの宝石や預金通帳を奪われた女性は泣き寝入り。また、朝出勤しようとしたら、高額なローンを組んで購入した4WD車が無くなっていたサラリーマンもいたそうだ。被害に遭ってもお金を貸した銀行は「払って下さい」の一点張り。いくら何でも、盗まれた車の借金を払うために働くなんて馬鹿らしいじゃないか。とにかく、日本国民は他人が囁く甘い言葉には注意せよ。

  日本の庶民が文科省の官僚を信じてしまうのは、彼らが立派であるからというより、“難しい入試”をくぐり抜けた学校秀才だからであろう。東大法学部を卒業されたお役人様のおっしゃることだから、在野の評論家が何と言おうとも、“絶対”と信じてしまうのだ。しかし、「エリート」なる称号を持つ彼らは、雲の下に住む庶民の生活を案じているわけではない。「グローバル化」された日本で、アジア人と同じように“安くコキ使える”日本人労務者を確保するために英語教育を実施するつもりなのだ。文科省が提示する資料によれば、「使える英語」を目指すのは、社会や経済が急速にグローバ化し、人、物、情報、資本などが国境を越えて移動するからだという。だが、本当の狙いは別のところにあった。「外国人労働者の増加などによって、国内に於いても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている」からだという。(中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会 第39会議事録 配付資料) 役人どもの見解だと、「世界では英語を母語、公用語、準公用語とする人々が多い」そうだ。つまり、ケニア人やインド人、シンガポールのマレー人、フィリピン人など指しているのだろう。どう考えたって、カナダやオーストラリアのアングロ・サクソン人でないことは確かだ。

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(左: 工場で働く支那人 / 右: 日本の官僚が「理想」とするフィリピン人)

  大企業がアジア人労働者を輸入する際、困ったことが幾つかある。各国の言葉がバラバラなので、工場に低賃金労働者を集めても、現場監督がどう仕事を教えて良いいのか分からない。アジア人に指示を下す工場長や工員が、ブロークン・イングリッシュあるいはジャングリッシュ(日本風英語)でもいいから話せれば、後はジェスチャーを交えて支那人やフィリピン人に教えることができる。例えば、「このレバーをアップ、ネクスト、ターン・ライト、OK? イフ・ユー・ドンド・アンダースタンド、アスク、ミー ! 」といった風に、笑ってしまうような英語でも、チンプンカンプンの日本語よりマシだろう。筆者は実際、イラン人が働いている工場を見たことがる。しかし、日本人だけの職場で見られるコミュニケーションはなかった。イラン人と日本人の作業員は同じ部屋にいるのに口数は少なく、工作機械を相手に黙々と働いているだけ。経営者は外人労働者を勝手に押しつけてくるが、彼らの世話をする工場長はたまったもんじゃない。シワ寄せはいつも下っ端にくるのだ。

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(左: 英語を学ぶ予定のタイ人の子供 / 右: 英語教育を受ける南鮮人の子供)

  中央教育審議会の議事録には、1996年にタイが英語を必修化し、次いで韓国と支那が段階的に必修化を開始したと書いてある。やはり、日本の労働者をタイ人や支那人あるいは朝鮮人と一緒にして、効率的に使うつもりなのだろう。日本人の農奴化を図る役人は、英語以外も視野に入れているようだ。「国際社会に生きる日本人の育成のためには、アジア諸国等とのコミュニケーションを促すという視点から外国語教育のあり方を検討することも必要」なんだって。でも、ちょっと待て。この「アジア諸国」って何処だ? フィリピンとかマレーシアのことじゃないよねぇ。じゃあ、アラブ人とかアフリカ人なのか? もしかして、シリア難民を想定しているのか? まぁ、楽天やユニクロ、パソナと癒着した審議員や官僚だと、インド人やベトナム人を輸入して、日本人社員と競争させるつもりなんだろう。グローバル企業を目指す楽天やホンダに勤める日本人社員は、お偉方がいる会議室以外でも、お“得意”の英語を話さなければならないそうだ。じゃあさぁ、楽天の三木谷氏やユニクロの柳井氏はそんなに英語が得意で、自分の見解を流暢かつ正確に表現できるのか? 一度、みんなの前で披露してもらいたい。本田宗一郎は英語のスピーチなんてからっきしダメでも、社員の多くから尊敬され、社外の人々からも愛された偉大な起業家であった。「ブラック企業」を育てた社長じゃなかったぞ。

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(左: 三木谷浩史 / 柳井正 / 本田宗一郎 / 右: 吉田松陰)

  退任した伊東孝紳・前社長や八郷隆弘・新社長が、どれほど英語がお得意なのか分からない。でも、本田宗一郎ほどの尊敬は集めないだろう。欧米の経営者からすれば、英語を上手に話せる黄色人種より、威厳に満ち、肚(はら)の据わった人物の方が印象に残るものだ。我々でもよく知っているのは、吉田松陰の例である。外国で見聞を広めたいと切望する松蔭先生は、金子重之輔(かねこ・しげのすけ)を連れて、下田に停泊中のポーハタン号に乗り込んだ。いきなりやって来た日本人2名と面会したペリー提督は、彼らの熱意に感動したものの鄭重に断ったという。禁止されている日本人の海外渡航を手助けすると、幕府との外政交渉に響くと危惧したからである。ここで注目すべきは、ペリー提督が松蔭先生を「ジェントルマン(準貴族)」と見なしたことだ。身なりが貧しく英語を話せないが、その物腰からして一目で「庶民」に非ず、と思ったそうだ。アメリカ人からすれば、日本人は皆同じ顔をしたアジア人にしか見えないが、その立ち居振る舞いで区別できるみたいだ。ペリーは日本語を解しなかったが、的確な判断をするよう訓練された軍人である。彼は松蔭先生が「並の」日本人でないことを瞬時に悟った。それでは現代のアメリカ人経営者は、三木谷氏や柳井氏をどう判断するのか? 実に興味深い。

二重言語社会だったイングランド

  日本語が喋れない天皇陛下を我々は想像できない。しかし、英語を喋らないイングランド国王なら珍しくなかった。英国女王エリザベス2世のご先祖、ゲオルグ(ジョージ)1世は、ドイツのハノーヴァーからやって来た王様で、英語の方はからっきし苦手ときている。しかし、ジョージ1世は平気だった。なぜかと言えば、普段は故郷から連れてきた側近とドイツ語で会話をしていたからである。雇われ人じゃあるまいし、王様が「英会話レッスン」を受講するわけないだろう。それでも、国政についてイングランドの臣下と話さなければならないから、仕方なく当時のヨーロッパで共通語だったラテン語で遣り取りをする、といった具合だった。とはいえ、英語で一々指図するのは面倒だから、政治は筆頭家老(プライム・ミニスター)であるロバート・ウォルポール(Sir Robert Walpole)に丸投げ。かくして、デモクラシーの濫觴(らんしょう)ここにあり。イングランドでは、王様が余計なことをしない時、デモクラシーが発展するという特徴がある。(リチャード1世の不在と最高判事のヒューバート・ウォルターの話は面白いけど、長くなるのでまた後で。この最高判事職<Chief Justiciar>は、ラナルフ・グレンヴィルRanulf de Glenvilleやウィリアム・ロンシャンWilliam Longchampが務めたことでも有名。)

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(左: 国王ジョージ1世 / 中央: ロバート・ウォルポール首相 / 右: 女王エリザベス2世)

  かつて、イングランド国王や貴族はフランス語を話していた。理由は簡単。1066年に起こったノルマン征服があったからだ。ノルマン人といっても、元々はヴァイキングでデンマーク辺りに住みついた海賊の子孫である。当然、話す言葉はゲルマン語であったが、ノルマンディー公国を建てて、フランスの封建貴族になったもんだから、軍事や慣習、宗教などがフランス風になってしまった。ついでに、言語もラテン系になって、すっかりフランス人。言語学的に見れば、ブリテン島に渡ったアングル人やザクセン人と、スカンジナヴィアのヴァイキングが話す言葉はどちらも西ゲルマン語の系統だから、大した違いは無かったはずである。しかし、ラテン語系のフランス語だと、やはり語彙に違和感があったんじゃないか。昔の日本人同士だって、関東と関西の言葉では違いが大きかったから、初めて上方の言葉を聞いた江戸っ子は奇妙に感じたはずだ。ましてや、津軽の百姓と薩摩の武士なら、コミュニケーションは難儀であったと思われる。

  ノルマンディー公爵のウィリアムは、ヘイスティングズ(Hastings)の戦いでハロルド(Harold)を倒して、イングランドの征服王になったわけだが、単なる王位簒奪者ではなかった。ウィリアムは、父のロベール荘厳王(Robert le Magnifique)が、愛人であったファレーズ出身のアルレット(Arlette de Falaise)に産ませた庶子である。ウィリアムは庶子であったことを非常に気にしていて、「妾の子(bastard)」と陰口をたたく奴に対して容赦はしなかった。本当か嘘か分からないが、舌を引き抜いたこともあったという。それでも、彼がノルマンディー公爵リチャード1世(大胆公/Richard Sans-Peur)の孫であることに変わりはない。問題は英国の王様に嫡男がいなかったことだ。イングランド国王だったエドワード證聖王(Edward the Confessor)は、1051年ウィリアムが英国を訪れた際、軽率にも王位を譲ると約束したらしい。まったく、気前の良い王様は困ったものである。このエドワードの父はエセルレッド無策王(Æthelred the Unready)であるが、御母堂さまが大胆公リチャード1世の娘エマ(Emma)であった。つまり、リチャードはエドワードの祖父で、ウィリアムには曾祖父に当たる人物なので、二人は親戚ということになる。ハロルドを破ってイングランドを手に入れたウィリアムは、王位継承の正統性を誇示すべく、エドワード證聖王が造ったウェストミンスター大聖堂で戴冠式を挙げたのだ。しかし、それでも土着の諸侯が抵抗を続けていたので、イングランドを平定するため、更に5年の月日を要したという。

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(左: エドワード證聖王 / ハロルド / ウィリアム征服王 / 右: ランフラク)

  アルフレッド大王やデイン王クヌートの流れを汲むアングロ・サクソン系及びデンマーク系の諸侯は、根気強く抵抗したというが、やはりノルマン軍には勝てなかった。5年間の討伐戦争でノルマン人は、イングラント貴族を一掃。こうして土着貴族が排除されると、今度はウィリアムが連れてきたノルマン貴族が彼らの後釜に坐ったというが、傲慢にも英語など全く喋る気配もない連中だった。要職に就いたのは武人の貴族だけではない。教会の高位聖職者もノルマン人に入れ替わったのだ。日本だと神社の宮司や権宮司(ごんぐうじ)が、幕閣の要職を務めることはないが、西歐だと聖職者が国王の補佐官になることは珍しくない。まぁ、家康に仕えた大僧正の天海みたいなものと考えればいいだろう。イングランドで戦乱が収まると、ウィリアム征服王はカンタベリー大司教の座からスティガンド(Stigand)を追い払って、ノルマンディーから連れてきたランフランク(Lanfranc)を大司教に据えてしまった。ウィリアムによるイングランド教会の“ノルマン化”は徹底している。彼は片っ端からイギリス系司教を追放し、代わりにノルマン人聖職者を司教にしていったという。武力だけではなく、精神的にもイングランドの民衆を支配するつもりだったのであろう。丸腰の坊主は武人の前では無力だから、よそから来た荒くれ者に平伏すしかない。実に哀れである。鎌倉武士の前で屈服したお公家さんみたい。

  かつて、アングロ・サクソン人に支配されたブリテン島は、今やノルマン人が国王、貴族、高位聖職者になる封建国家になった。しかし、ブリテンのフランス化はそれだけではない。彼らにくっ附いてきた騎士や従者だってフランス語しか喋らないのだ。しかも、彼らには親戚縁者や御用商人までゾロゾロいたから、イングランドにはちょっとしたフランス人租界が出来たという。イングランドに住みついたって、ノルマン商人たちは英語を話さないし、貿易の相手だって大陸の人間だから、商売でフランス語を使うのは当り前。こうして、ノルマン人によって征服されたイングランドでは、身分による言語の分離が発生したのである。つまり、英語は地方の小地主や百姓、職人、農奴が話すだけの言葉となり、国王や貴族、高位聖職者、宮廷人、大商人などはフランス語で生活する状況になったわけだ。もし、日本で英語化が進めば、英語を駆使する高級官僚や政界の有力者、大企業の経営者や重役、医者とか弁護士、科学者といった専門技術者が上流階級になり、英語を習得できない落ちこぼれは下流階級になってしまうかも知れない。現実的にはそうならないと思うが、学校に通う子供たちは、英語の成績で名門校に進学できる優等生と、三流校にしか進めない劣等生に分別されるだろう。

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(左: ロベール荘厳王 / アンジュー伯ジョフロワ4世 / ヘンリー1世 / 右: ヘンリー2世)

  ノルマン系貴族はフランス語を話し、イギリス系庶民は英語を話す、といったイングランドでフランス語が衰退したのは、百年戦争が終結した頃である。それまでのイングランドといったら、まるで海を隔てたフランスの領土みたいだった。当時はまだ国民国家なんて意識は無かったから、領土は王侯貴族の所有物で、領民は附属品程度。領土紛争だって、そのほとんどが王朝間の相続争いで、王様同士の派手な喧嘩の色彩が濃厚だった。ノルマンディー公ウィリアムはイングランド国王に昇格しても、長男ロベールが相続したのはノルマンディー公国で、イングランド王国は次男のウィリアム2世が相続。彼の死後は、征服王の三男ヘンリー1世がイングランド国王になって、ノルマンディー公爵を兼任したのだ。彼の娘マチルダ(Matilda)は神聖ローマ皇帝ハンイリッヒ5世に嫁いで皇妃になった。しかし、ハインリッヒの薨去(こうきょ)で後家となる。そこで父に呼び戻されて、今度はアンジュー伯ジョフロワ4世(Geoffroy d'Anjou)と結婚し、後の国王ヘンリー2世を出産。アンジュー伯爵の領地を相続したヘンリー2世は、大陸に広大な所領を有する大貴族となった。彼はフランス風に「アンリ2世」と呼ばれる方がふさわしい。

  フランスの方に大きな関心があるヘンリー2世は、フランス王ルイ7世と離婚したエレノア(Alienor d'Aquitaine)に見染められたという。ところが、彼女の方が8歳年上の27歳で姉さん女房。でも、そんな年の差なんて気にしない。だって、リムーザンやガスコーニュ、ペリゴールといったアキテーヌ公爵領を持参していたんだから。その結果、母のマチルダからノルマンディーを受け継ぎ、父のジョフロワから「アンジュー帝國」をもらったヘンリーは、妻の領地を加えれば、当時のフランス全土の3分の2を支配していた、というんだから凄い。フランス王より強大なイングランド王なんて変だけど、昔のヨーロッパにおいては不思議じゃなかった。国境の概念がまだ曖昧なんだから。それに加えて、中世のインングランドはまだ後進国で、フランス文化の方が水準が高かったから、支配階級や教養人がフランス語を喋っていても不思議ではなかった。ヘンリー2世の嫡男で獅子心王(Cœur de Lion)と呼ばれたリチャード1世も、父と同じくフランス語しか話さなかったらしい。すっかりフランス風に染まったこの王様は、10年間の在位のうちイングランドに居たのはほんの数ヶ月間だけ。祖国の統治はそっちのけで、十字軍に没頭する君主だったけど、イギリス人の間では輝かしい武勲を誇る英雄なのだ。

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(左: リチャード1世 / 中央: ジョン缺地王 / 右: エドワード3)

  ところが、騎士道に夢中だったリチャードにとって、重要なのは母方の領地アキテーヌの方だった、というから呆れてしまう。一般家庭なら、「亭主元気で留守がいい」と言えるが、外国で道楽に耽る王様が人質に取られては一大事。遠征に熱心だった王様は、意気揚々と十字軍から帰る途中、フランスでオーストリア公レオポルド5世に捕まり、その後皇帝ハインリッヒ6世に引き渡されてしまった。「殿様が監禁されたぞ !」との一報を受けたイギリス臣民は大慌て。囚人となった王様を助けるために、一生懸命身代金を工面したそうだ。でも、こんな王様に大金を拠出したイングランドの庶民を思うと気の毒になる。そんなリチャードが亡くなると、今度は弟のジョンが王様になった。しかし、このジョンは悪王としても有名で、父や兄を裏切っただけではない。彼はブルターニュのアーサーを暗殺したのではないか、という容疑を掛けられる始末。そこで、フランス王フィリップ・オーギュストに重罪人の宣言を受け、ジョンが有するフランスの領地は次々と奪われてしまった。ジョンは幼い時、兄たちと違って大陸に土地を貰えなかったので、「土地無しのジョン(Joh Landless)」と呼ばれていたが、大人になってからもその愚行によって、再び「土地の缺如(けつじょ)したジョン(John Lackland)」に戻ってしまった。彼はまた、イギリス貴族の叛乱を招くような軋轢を起こし、その結果ラミニードで屈服する羽目に。罰当たりのジョンは、「マグナ・カルタ(大憲章)」を渋々ながら認めるという屈辱を味わったのだ。

  英国史を述べると長くなるので、この辺で終わりにするが、ジョンが大陸で領地を失ったお陰で、フランスとの縁が遠くなり、イギリス貴族が持っていたフランス人意識が薄くなったみたいだ。そのうえ、エドワード3世時代に、英仏間で百年戦争が勃発したから、当然両者の関係は険悪となり、イギリスの支配階級に「イギリス人」という民族意識が芽生え始めた。フランスの領土を失った貴族たちの子弟は、徐々に英語を喋るようになったらしい。なんでも、学校や修道院でフランス語を学ぶよう促されたというから、フランス文化の優勢に翳りが差したと考えるのが妥当だろう。だいたい、貴族や紳士の若者がフランス語を使うよう注意されたり、フランス語を教えるための教本が出回るようになった訳だから、いかにイングランドの統治者が土着化したのかが分かる。それに、上流階級の若様たちが英語を話す娘と結婚するようになれば、生まれてくる子供が母親の言葉を真似てもおかしくはない。公式文書は依然としてラテン語で書かれていたが、議会での討論は英語になってきたし、法廷でも審議や判決は英語でなされるようになった。

  現在の我が国は、中世イングランドとは逆方向に進もうとしているみたいだ。英語は文法や発音の点で日本語と全く違うのに、文科省や財界は準公用語にしようとしている。日本人の母親は赤ん坊に「大和ことば」で話しかけるのが普通だ。例えば、幼い子供を動物園に連れて行く母親なら、カバを指して「あぁぁ、見て見て! カバさんでちゅよ~」と言うかも知れないが、「ルック・アット・ザット・ヒポァパタマス(Look at that hippopotamus.)」とか「見よ、その恐ろしい動物を(Behold the horrendous animal !)」なんて言わないだろう。拙い英語を無理して話す親ってバカみたい。それでも、日本の役人なら「フィリピン人やインド人の乳母を雇って、赤ちゃんに英語で話しかけましょう」、と促すかも知れない。「活き活きした女性」を訴える彼らにとって、育児で家庭に留まる専業主婦より、外で働く事くキャリア・ウーマンの方が「理想」なんだから。こうした日本人を見ながら、イギリス人やアメリカ人は内心「アホなジャプ」と笑っているんじゃないか。

征服者に感謝するフランス人

  母国語を捨てて外国語を採用した民族と言えばフランス人が有名だ。今は共和政となっているが、かつて君主政だったフランスは、ゲルマン民族の一派であるフランク人が建てた王国だ。本来ならゲルマン国家と言うべきところである。しかし、フランスはローマ帝國の衣鉢を継ぐ新しいローマを自負していた。ジャルル・ドゴール大統領の腹心アラン・ペイルフィットによれば、フランスはカエサルの孫娘であるという。なぜなら、ローマ・カトリック教会は、ローマ帝國の娘であるから、教会の長女たるフランスは孫娘に当たるから、だってさ。(『フランス病』 根元長兵衛 訳 実業之日本社 昭和53年 p.242) フランス人のみならずヨーロッパ人にとって、ローマ人は世界で最も偉大な民族であり、ある意味西歐を形成した創造主であった。英国の知識人ギルバート・チェスタトンでさえ、イングランドの歴史はローマの征服によって始まったと考えていたくらいだ。

Vercingetorix 1(左 / ヴェルキンゲトリックスの彫像)
  フランス人は「偉大さ(grandeur)」に敏感だが、「矛盾」に鈍感である。ケルト系ガリア人の末裔に当たるフランス人は、ローマ人に叛旗を翻した民族の英雄ヴェルキンゲトリックス(Vercingétorix)より、ローマからの征服者であるユリウス・カエサルの方を重要視しているからだ。エルンスト・ローベル・クルティウス(Ernst Robert Curtius)曰く、「ドイツの歴史はローマに対する反抗に始まり、フランスの歴史はローマに対する服従に始まる」。(『フランス文化論』 大野俊一 訳 創元社 昭和18年 p.100) そうは言っても、自尊心の塊みたいなフランス人だから、ヴェルゲントリックスの雄姿を忘れたわけではない。ナポレオン三世だって、アレッシア(Alesia)に巨大な記念碑を建立し、ヴェルキンゲトリックスを称賛していたくらいだ。それでも、ヴェルキンゲトリックスがローマ人に勝ってくれたらなぁ、と願うフランス人は少ない。カエサルに征服されてちょっぴり悔しいけど、それによってローマ文明がガリアにもたらされたんだから有益だったんじゃないか、と考えてしまうのだ。ローマ人と融合しなかったら、ガリア人は未開人のままだったし、「ローマ化」されなければ、いずれ侵入した野蛮人に「ゲルマン化」されただろうから、どちらかを選ぶとすれば、“ローマ人”というのがフランス人の本音である。しかし、ガリア・ローマ史の権威カミーユ・ジュリアン(Camille Jullian)は、ガリア人が自らの歴史を忘却し、その過去を裏切った、と嘆いていた。

  今のフランス人から見れば、ガリア人が征服者に擦り寄ったのは不愉快だろうが、当時のガリアを調べてみれば、ローマ文明に憧れた彼らの気持ちも分かる。従来のガリア人は森の中で生活し、都市の生活など全く知らなかった。この民族は練土や藁(わら)で造った小屋に住んでいて、芦(あし)の束に坐って談議したり、不味そうな地酒のビールを飲んで暮らしていたのだ。それに、部族の要塞といっても棒の杭で囲っただけのお粗末な代物である。身なりだって酷かった。山羊の皮で作った仕事着にズボンといった組み合わせ。穿いている靴は木製だったから、常日頃彼らを馬鹿にしていたローマ人も驚いた。そのうえ、カリア人はしょっちゅう部族紛争を起こしていたから悩みの種が尽きない。こんなガリアにローマ人は治安をもたらし、研究者も驚くほど立派な道路を敷設したのだ。(江戸時代の狭い街道や泥道を思い出せば、いかにローマ人が土木建築に優れていたかを理解できよう。) “文明化”されたガリアの入植地には、ローマ風の道路に沿って地中海式の新しい家が建てられ、円柱や廻廊を備えた別荘には、大理石の彫像が置かれていたという。ローマ人が来てからは、生活環境ばかりではなく学術文化も豊かになった。第4世紀には、ボルドー、オタン、ポワティエ、マルセーユ、リヨンなどで文法や修辞学を教える学校が開設されたという。教師は帝國の官吏で、グラティアヌス帝は、ガリア総督に教師の給料アップを命令したそうだ。修辞学の教師は30人分の給与を、文法の教師には20人分の給与という具合だった。我が国の大学で雇われている、低賃金の非常勤講師と比較すれば、何とも羨ましい話である。(「高学歴プロレタリア」では笑えないよね。)

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(左: 聖イレナエウス / 聖ブランディーヌ / 聖レミギウス / 右: 聖ドニ)

  ローマ人との戦争は熾烈だが、その占領政策は苛酷というより、むしろ有益であった。支配の天才と言えるローマ人は、原住民を同化させる政策を好んだ。被征服者も反抗するより同化した方が利益になると分かったので、積極的にローマの風習を受け容れ、高尚なローマ人になろうとした。こうしたガリア人にだって独自の文化や宗教もあったはず。だが、当時のガリア人は絢爛豪華な文明を誇るような民族ではなかったから、自らの伝統文化を捨てることに躊躇いは無かった。それに、ドルイド教みたいな土着宗教は、ローマ文化と融合したキリスト教に圧倒され、ひとたまりもなかった。特に、コンスタンティヌス帝以降、公認されたキリスト教は騎虎の勢い。地中海から伝播したこの新興宗教は、超大国の国定信仰であるうえに、自然の神々や偶像神を認めない排他的な一神教だったから、土着の信仰は根こそぎ否定。しかし、賢明な宣教師は昔ながら神様を失って寂しがる民衆に聖人崇拝をプレゼント。ランスには聖レミギウス(Remigius)がいたし、天から降りてきた鳩が聖油をもたらした、なんて逸話があったくらいだ。また、各地には聖人が続出。リヨンだと大司教の聖イレナエウス(Irenaeus)や、聖ブランディーヌ(Blandine)が殉教者になった。パリの大司教であった聖ドニ(Saint Denis)は、キリスト教を広めたことで、異教の僧侶から怒りを買い、間もなく斬首刑に処せられたという。伝説によれば、首を切断された聖ドニは、自らの首を抱えながら説教を続けた、というから凄い。こうした超自然現象に満ちた聖人崇拝がいっぱいあったので、土着の信仰から鞍替えした民衆に不満はなかったという。

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(左: ユリウス・カエサル / 中央: ローマの軍門に下るガリア人 / 右: ガリア兵の彫像)

  ローマ人は軍隊でも宥和政策をとったから賢い。勉強はてんでダメなガリア人だが、腕っ節はめっぽう強くて、戦争が三度の飯より好きな民族だ。若い頃カエサルは、ガリア出身のアンティフォンに師事したことがあったから、ガリア人の気質をよく弁えていたらしい。彼はガリア人に対して麾下の軍団を解放し、全員ガリア人で構成される精鋭部隊をつくってやった。その名も第五団雲雀(ひばり)軍(Legio quinta alaudae)。ガリア人貴族はこぞってローマの位階勲等を求めるようになり、ローマ人になりたくてウズウズしていた。こうしたことから、彼らの子孫は自分の祖先を自慢しなくなり、代わりにヴィーナスやヘラクレスの子孫だと言い張るようになった。(そう言えば、ユリウス・カエサルもヴィーナスの子孫であると自慢していたそうだ。) 洗礼名だってユリウスとかカエサル、アウグストゥスといったローマ風の名前が流行ったという。かくして、ガリアのローマ化は相当進んだが、最も効果的だったのはローマ人とガリア人の婚姻が増えたことだ。ガリア人は心からローマ人を尊敬した。ローマ式の水道や下水設備や、娯楽、市場だけではなく、組織による行政や法の支配に触れれば、自ずと畏敬の念が湧いてくる。ガリア人有力者にとって、ローマ貴族の娘を娶ることは、一つの幸福になったしステータスにもなった。こうした婚姻により生まれてきた子供は、母親の言葉であるラテン語を母乳と共に吸収するし、亭主の方もラテン語を話すことが多くなる。政治だって同じ事。ローマ化された民衆を束ねるには、統治者だってラテン語を習得し、ローマ法を知らなければ埒(らち)があかない。こうしてガリア人は肉体的および精神的に「ローマ人」なっていったのだ。

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(左: ガリアの女たち /  右: ガリア人の彫像)

  現在のフランス人はロマンス語系の言語を話している。しかし、ガリア人は「ズボン(bracae)」や「ウールの外套(saga)」「二輪車(carpentum)」といった言葉からも分かる通り、ケルト系のゴール語を話していた。フランス南部で話されるのオック語や北部のオイル語はともにロマンス系の言語でラテン語が基礎となっている。フランク人の言葉は辛うじてアルザス地方に残っている程度。中世以来、フランス人とドイツ人は何かといがみ合う間柄となっている。しかし、彼らは元々カロリング帝國から派生した民族である。これを思い出せば、EUとはカロリング帝國の復活である、と誰だって分かるだろう。だから、EUに東欧や南欧の非ゲルマン人を組み入れようとする考えは間違っている。カロリング朝の崩壊により誕生したドイツとフランスは、別々の歴史街道を歩んだが、言語的には似通っているところが多かった。こんにちでは、ブゥランヴィリエ伯爵(Comte de Boulainvilliers)のように、フランスのゲルマン的要素を強調する学者は少ないが、初期のフランスがゲルマン的なのは確か。サリー・フランク族のクローヴィスはフランスの建設者と見なされるし、ゲルマニアを文明化し、カロリング帝國をキリスト教化したシャルルマーニュは、いかにもゲルマン人の帝王といった風格だった。フランス人はこの大帝を「シャルルマーニュ(Charlemagne)」と呼んでいるが、日本人からすれば、ドイツ風に「カール大帝(Karl der Große)」と呼びたくなる。それに、このカール大帝が話す言葉はガロ・ローマン語ではなかった。カールはラテン語を少しばかり習ったけど、普段はフランク語や高地ドイツ語をごちゃ混ぜにして話していたのだ。(ジョゼフ・カルメット 『シャルルマーニュ』 川俣晃自 訳 白水社 1955年 p.79)

Fichte Johann 2(左 / ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ)

  中華思想に凝り固まっているフランス人は、フランス語を最もエレガントな言葉と自慢しているが、ヨハン・G・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte)に言わせれば、「死んだ言語」に外ならない。ドイツ人は故郷に留まって祖先の言語を保持すると共に発展させてきた。しかるに、ガリアへ移住したフランク人は、自分の言語を捨ててしまった。つまり、高級な外国語を取り入れて、自分に合うよう改造したのだ。他の言語に乗り換えなかったドイツ人は、先祖伝来の言葉を話し、単語の根源を実感できたり、それを遡って祖先の感覚を知ることができるという。しかし、ラテン語を取り入れて新たな言語を話すフランス人は、言葉の根源を辿ることができない。語源が分かっても「他人の言葉」であることには変わりがない。フランス人はローマ人の精神世界や感覚世界に入ることができないのである。フィヒテは述べている。

  ドイツ人が自然の力から初めて流れでる源泉に至るまで生きている言葉を話すのに対し、他のゲルマン系の民族は表面だけで生きていて根底においては死んでしまっている言葉を話す。(フィヒテ 『ドイツ国民に告ぐ』 石原達二 訳 玉川大学出版 1999年 p.65)

  ドイツ語はゲルマンの地で自然発生した言語(spontaneous language)だから、ラテン語を取り入れても基本的には継続した言語である。外来語でも自国語に置き換えれば、その意味が手に取るように分かるのだ。例えば、ドイツ人でもラテン語由来の「Humanität(人間性)」や「Popularität(大衆性)」、「Liberalität(自由性)」を口にするが、それらの意味を理解するには歴史的説明が必要となる。ローマ人なら「popularitas大衆性」と聞けば、「大衆の好意を得ようとすることだ」と理解し、野心家の候補者が世間の人々に対して慇懃な態度を取る姿を想像するだろう。また、「自由性(liberalitas)」と耳にすれば、「自由人や生まれの良い者にふさわしい言動」を思い浮かべるはずだ。これらの外国語がそもそも何を言い表すのかを、ドイツ人にドイツ語で分からせようとすれば、「humanitas」は「Menschenfreudlichkeit(人間を愛すること)」、「popularitas」は「Leutseligkeit(愛想の良いこと)」、「liberalitas」は「Edelmut(高潔な心)」と言えばいい。こういったドイツ語で説明すれば、ドイツ人は平民でも「なるほどねぇ」と直ぐ分かるのだ。

  日本人についても同じ事が言えるだろう。外来語で説明されると納得できない事でも、「日本語」で言い表せば簡単に分かることもある。例えば、「コンプライアンス(法令遵守/compliance)」とわざわざ英語で言わなくても、普通に「掟を守れ」と言えば済む話だ。また、米国のニュース番組などで、深刻な顔をしたキャスターが「精神分裂症」を「スキッツァフラニア(schizophrania)」と呼ぶけど、簡単に言えば「気違い(wacko)」だ。欧米だと、ギリシア語やラテン語から由来する専門用語を使うから、古典教育を受けていない一般人には“ちんぷんかんぷん”。階級によって使う言葉が違っている場合もあるんだから、民族によって異なる表現があっても当然だ。日本語にも外国語に訳しづらい言葉がある。例えば、「こころ」である。日本語を学ぶイギリス人なら、それが「胸」を意味するのか「頭」なのか、あるいは「精神」なのか、と迷ってしまう。

ふなっしー猫ラーメントトロピカチュウ








(左: ふなっしー / 猫ラーメンの大将 / トトロ / 右: ピカチュウ)

  また、外国人にとって、日本人が持つ感覚やその表現を理解できないこともよくある。我々がしばしば口にする「かわいい」という表現は、どんなものを見た時に発する言葉なのか分かりづらい。日本人はポケモンやトトロを見ると「かわいい」と言う。これくらいならアメリカ人も「キュート」みたいな表現だと分かるが、「ふなっしー」や「ねこラーメンの大将」が、どうして「ゆるキャラ」で「かわいい」のか分からない。「ゆる~い」といった表現は、日本人の独特な感性だ。当然だが、日本人にとって理解しづらい外国語もある。例えば、ドイツ人が同胞に向かって、「Gemütlichkeit(親しみやすく朗らかで快適なこと)」と口にしても、特別な説明は要らないだろう。しかし、日本人にはどうも“しっくり”とした訳語がない。フランス人だって訳しようがないから、そのまま「ゲミュートリッヒカイト」にしているのだ。それぞれの民族には固有の精神世界があり、それを伝達するには外国語では無理で、どうしても民族の言葉でなくてはならない。

フィリピン人程度の日本人

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(左: 和やかな夜のフィリピン人労働者 / 右: 不満を漏らす昼のフィリピン人労働者)

  日本人は日本語を粗末にしすぎる。日本人なら誰でも話せるから価値が低いのだろう。一方、英語は文法や語彙が日本語と全く異質だから、簡単に習得できないし、発音だって難しいから、誰でも直ぐにマスター出来るわけじゃない。したがって、英語で読み書きが出来て、発音もネイティヴ・スピーカーと同じになる日本人の数は限られてくる。だから、英語をペラペラ喋る程度で「すご~い」となってしまう。しかも、役人や企業が英語は世界の共通語だから、外国人と充分なコミュニケーションを取れるよう猛勉強しましょう、と呼びかけるから尚更だ。でも、日本人の子供が他の科目を犠牲にしてまで修得しようとする英語に、どんな価値があるというのか? 大半の子供は無理やり押しつけられた英語教育を途中で投げ出してしまうしか、嫌になって教科書を見ることすら拒否するだろう。第一、家庭で日本語を使っているのに、学校で1、2時間くらい英会話を習ったからとて、自分が言いたいことをスラスラ言えるわけがない。語彙が少ない上に、文法や発音までもが違う英語で、自分の考えを表現せよ、と命じられればフラストレーションが溜まるだけだ。オモチャを買って欲しい子供が、親に英語でねだるのか? 「ママァ~、あの~さぁ~ぁ、このフィギュア格好いいんだけど~、おうちに飾ったら格好いいよねぇ」てな具合に、間接的に購入をせがむだろう。いくら教育熱心な親でも、この“おねだり”を英語で表現しなさい、なんて我が子に命令はしないはずだ。可哀想じゃないか。日本に生まれた子供にとって、自分の複雑な心情や見解を表現するのに最も適しているのは母国語である。

  24時間英語だけの少数精鋭クラス、という特殊な環境に置かれた子供なら、英語を習得できるかもしれない。諜報員や外政官の育成がまさにそうだ。しかし、一般国民をスパイ並に仕上げる必要はないだろう。CIAで最も困難とみなされる外国語は、日本語やアラビア語である。ならば、逆に日本人が英語をマスターするのに困難を極めても当然だろう。英語の必修化を全国の子供に強制したら、英語の授業は単なる外人教師相手の「お遊びタイム」になってしまい、学校で遊んだぶん、塾で猛勉強せねばならなくなる。実際、大阪府立枚方市立中宮北小学校で行われた5年生の授業はひどい。教室には日本人教師2名の他、アメリカ人留学生のニコラ・シェスターさんが教壇に立ち、英語の挨拶を教えたり、動画を使ってアメリカや支那、フランスなどの「じゃんけん」を紹介していたのだ。児童が動画を見終わったら、ニコラさんが主導して、じゃんけん大会が行われ、子供たちはそれを“楽しみながら”学んだという。(「小学校の英語教育、何が行われている ? 」 Oricon Style 2015年6月30) 堀越校長はニコラさんが人気者で、保護者からもすごく評判がいいと自慢していたが、「じゃんけん大会」で無駄にした時間は戻ってくるのか? 子供時代の1時間は、中高年の1時間より貴重で、記憶力が歴然と違っているんだぞ。

  ある塾の経営者が言っていたが、「学校が馬鹿な事をやってくれると、我々は儲かるんです」と喜んでいた。学校が白痴化施設となれば、心配になった親は「可愛い我が子」を塾に送り出す。文科省が無茶な「英会話授業」を強行すれば、それを繕うために民間業者が「不安になったお母様」がたに、様々な特別コースを提供するから、益々塾は儲かる。その授業料を払うために、「お母様」たちはパート・タイムに精を出す。子供が帰宅して「ただいま」と言っても、誰も居ないから子供は無口になってしょんぼり。母親が居るだけで子供は安心感を覚え、知識の吸収に関心が向くようになる。子供は勉強部屋で一人でいるより、母親がいる居間や台所で宿題をした方がいい。昔の偉人が記した回顧録を読んだりすると、しばしば苦労しながら子の面倒をみた母親がいて、幼い時にその愛情を注がれた人が多いことに気づく。明治の頃、大逆事件で牢に繋がれ幸徳秋水は、自らの無政府主義や国家反逆罪をちっとも反省しなかった。ところが、自分の母親のこととなるや、老いた母を哀しませたことは罪深いと考え、たいそう心を痛めたそうだ。昔の日本では、こんなロクでなしのクズでさえ親のことを考えていたんだから、立派な愛国者ともなれば、両親への感謝は海より深いものになる。したがって、専業主婦を馬鹿にするキャリア・ウーマンは間違っている。温かい家庭で育った子供の方が断然成績が良いし、悪いことに誘惑されても心の何処かで抵抗するから、不良や犯罪者になる確率が低い。一方、冷たい家庭が増えて赤い官僚は大喜び。日本国をぶち壊すにはまず家庭から、というのが彼らのモットー。専業主婦に見守られ倫理観の強い子に育ったら、火炎瓶や角材をもって機動隊に突撃する革命戦士にならない。学生運動の感動を忘れられない左翼どもは、伝統社会に順応する子供が嫌いなのだ。

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(左:ウィリアム・シェイクスピア / パーシー・シェリー / ウォルター・スコット卿 / 右: 文豪に程遠いフィリピン人女性)

  「コミュニケーション」重視の英語教育など、フィリピン人を理想とした教育に過ぎない。スペインからお金でアメリカに委譲されたフィリピンは、英語圏になって原住民の多くが英語を喋るようになった。家庭ではタガログ語を話すフィリピン人も、学校や職場では英語を使うから、支配者のアメリカ人には都合が良い。奇妙な「なまり」が混じった英語でも、フィリピン土人の言葉よりマシである。欧米人は召使いに命令を下せればいいからだ。彼らはフィリピン人が立派な文学作品を生み出せるとは全く考えていないし、当のフィリピン人だってイギリス人が認める名作を生み出せるとは思っていない。シェイクスピアの演劇やシェリーの詩、ウォルター・スコットの小説なら率先して学ぶイギリス人だが、フィリピン人が書いた戯曲なんて馬鹿らしくて読む気にもならない。同様に、英語を公用語とするインド人やパキスタン人がいくら素晴らしいと思った小説でも、英国や米国の子供たちに学ばせる価値は無い。どんなにアジアで人気になっても、国語の教科書は載らないだろう。アジアにおける英語とは、劣等人種を調教するための“道具”である。フィリピン人は女中として働くために英語を習えばいい。南洋土人には日常会話で充分なのだ。それに、フィリピンの英語教育は、駐留するアメリカ人水兵にとっても好都合。茶色い娼婦との交渉がしやすいからだ。「安くて気軽な公衆便所」というのが、欧米人の対フィリピン人認識である。英語を話せるからといって、フィリピン人を尊敬することはない。フィリピン人など“性器に手足が生えた動物”程度にしか思っていないのだ。日本の学校が子供たちに英会話教育を施しても、しょせんアジア人並の低賃金労働者か外人相手の売春婦を大量に養成するだけである。

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(左: フィリピン人女性からサービスを受ける白人男性 / 右: 労働意欲旺盛なフィリピン人女性)

  英語熱は「怨み」が火元である。日本の親は教育熱心だから、学校で英語教育の必修化が始まれば、何としても我が子に英語を習得させなければ、と張り切るに決まっている。自分は英語が苦手だったから、子供にだけは同じ過ちを繰り返させたくはない、と考えてしまう。英語で手紙すら書けないし、会話なんかまったくダメという親が大半だから、国語教育を削ってでも、“英語教育を”と願う者が多いのだ。こうした親に限って、日本語の文章をきちんと書けなくても、英語が流暢なら我が子を一流企業に就職させることができると信じている。しかも、せっかく稼いだ給料を塾に費やして、無駄な英語教育を子供に与えるんだから哀れだ。長期間勉強しても、中途半端な英語しか身に付かない子供は、日本語の勉強を怠ったぶん思考能力が劣っているし、英語で表現する肝心な「内容」がスカスカなのだ。中央教育審議会が提唱する、英語のコミュニケーションを通して友達をつくるとか、外国文化への理解を高める、なんていう謳(うたい)文句は妄想だ。「アップル」や「オレンジ」といった単語の発音を聞いたから、子供の発音が良くなるとでも思っているのか? 日本の子供は「九官鳥」じゃないぞ。それに、「野球をしましょう(Let'splay baseball)」とか「おはじきをして遊びましょう(Let's play ohajiki)」程度の授業で、異文化の理解や異国人との交流が高まるとは到底思えない。それなら、我が国の歴史教育をまず改善する方が先だろう。自分の祖先を呪う教科書で洗脳された子供は、どんな風に自分と祖国を英語で外人に紹介するんだ? 日本人を外国人の下僕にするための英語教育だから、英会話ができるだけでいいと思っているのだろう。

  文科省は将来の日本人をグローバル企業で使い捨てにされる「アジア人」にしたいのだ。口では「国際化時代だから」と言うが、「お宅のお子さんを国際的ブラック企業で働かせるのが目標です」というのが、彼らの本音だ。でも、こんなことを漏らしたら大騒ぎになるから黙っているだけ。子供の勉強時間は限られているのに、英語教育をゴリ押しする人は、よっぽど従来の英語教育に怨みがあるのだろう。狡賢い官僚は大衆の怨念を利用して、愚民化政策を推し進めようとするから悪質だ。政府の責任者たる安倍首相だって罪が重い。安倍氏の英語はとても留学経験のある人物とは思えないほど拙い。しかし、二回も日本国の総理大臣になれたんだから、英語能力と政治生活は関係が薄かったのではないか? 安倍氏は堂々と「英語より国語を重視します」と訴えれば良かった。そう言えなかったのは、安倍氏にも英会話への劣等感があったからだろう。重厚な文化を持つ日本人が、祖先から伝わる国語を捨てて英語を優先するなど馬鹿げている。ちょっと正確に思い出せないのだが、英会話を上達するために、家庭での会話をすべて英語にする、というコメディー・フィルムがあった。滑稽なのは、英語のルールにしたら、家族の団欒が消えて、みんなが無口になったことである。笑いの後に虚しさが残っていたのが印象的だった。英語を強要された会社員は、赤提灯でも英語を通すのか? 上司の悪口も英語なら大したものだ。




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