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意外な強制収容所への意見

  真珠湾攻撃で困ったのは、日本に居る兵卒ばかりでなく、米国に暮らす日系人も同じだった。公民権(citizenship)を持っていたのに、敵国人として収容所に送られたのは、明らかな憲法違反である。当時のアメリカ白人が、日系人に人種偏見を持っていたことは確かだ。人種と肉体が違うということは、これほどまでに深刻な事態を招くものであり、知識人がいくら「自由」や「平等」を謳っても、現実は理論通りには行かないものである。普段は紳士的な白人でも、一旦非常事態になると、心の底に隠していた本音を表してしまうのだ。したがって、民族や人種が違っていれば、離れて暮らした方がいい。

  日系人の強制退去の話を聞けば、国籍が違う我々とて、腹の立つことがある。せっかく築いてきた畑や店を没収されたり、手放さなければならなくなり、理不尽さに嘆く日系人の気持ちはよく判る。日系人のマサオ・イノタは、FBIの家宅捜査を受け、様々な財産を持って行かれたらしい。中には、子供が遊んでいたおもちゃのピストルまで押収されたそうだ。(アイリーン・スナダ・サラソーン編『The Issei 一世 パイオニアの肖像』p.200) 商店を経営するツグオ・オガワは、収容所送りになるので、店の商品を処分せねばならなかったという。戦争勃発後は日本人の店だということで、お客の足が途絶えていたし、仕入れのために借金もしていたから、なんとか在庫を処分したかったそうだ。退去まで猶予があったので、問屋に商品を買い戻してもらおうとしたところ、足元を見られてしまったという。市場価格は仕入れた時より高くなっていたのに、買い戻し価格は、仕入れの時と同じ金額であった。「法律違反の疑いが濃かった」が、立場が弱かったので、泣く泣く商品を原価で売ってしまったので、借金を返せなかったという。(p.217)

  多くの日系人にとり、収容所送りは噴飯物であったが、絶滅収容所というわけでもなかったので、辛い日々の中にも救いがあったようだ。リヨ・オリテは当時を回想して、「センターの中で保護されている、と感じました」と語る。収容される前は、石を投げられたり、嫌がらせを受けていたので、センターに送られて、ほっとしたのだろう。(上掲書 p.227) オリテ氏の意見で驚くのは、その収容所暮らしである。「収容所に入ってからは、朝起きて御飯を作らなくても良かったし、風呂は焚いてもらえ、食事も用意してもらえた。皿洗いもしなくてよかった」らしく、「センターでの生活は楽しかったです。戦争中でなかったら、天国でしたね。日本人の身の上に何が起ころうとしているのか分かりませんでしたが、戦争中にもかかわらず、このような生活ができて、ありがたいと思いました」。(p.228) もちろん、悲惨な生活を体験した日系人もいたが、楽観的な人もいたとは驚きだ。

  ニスケ・ミツモリの話も意外である。収容施設に送られたことについて、「私は日本人のためによいことだ、と信じていました」と述べ、「アメリカはキリスト教国で、自分の国民を飢え死にさせるようなことはしない、と思っていたのです」と語っていたのだ。(上掲書 p.229) 彼はインタヴューの質問に対し、率直に答えていた。「強制退去がおこなわれると聞いて、日本人は助かる、と本当に思いました。私たちの心配と不安はこれで解決されるだろう」と思ったそうだ。「たくさんの人が不安をもっていることを聞いていましたので、退去の知らせを耳にして、私は大喜びしました」と語っているんだから驚いてしまう。(上掲書 p.230) 日本で反米思想を吹聴する日本人と違って、米国で実際に「差別」を体験した日系人の昔話は興味深い。確かに、日系人は白人からの理不尽な差別に苦しんだが、その一方で、素晴らしい人物と出逢ったり、日本では見られない「公平さ」も経験したのだ。だから、色々あっても米国を離れなかった。本当にひどい国なら、さっさっと帰国して二度とアメリカの土を踏まないだろう。

  日本人は根が素直で、筋を通すから、何が正しいことか分かっている。「義理」や「人情」を重んずる日系一世のジュヘイ・コウノは、二世に対し「もし、日本人の本当の精神を見せたいなら、日本が勝とうと負けようと、義理のあるアメリカに忠誠を尽くしなさい」と何度も言ったそうだ。彼は対面したFBIの係員に、日本人らしさを語ったという。「私たちはアメリカという国に借りがあります。良い日本人なら、そのことを知っているし、たとえ敵国の人間であっても、アメリカに忠誠を尽くすのです」。(p.290) 戦前の日系移民は、日本人としての誇りを忘れていなかった。恩を仇で返す朝鮮人とは大違いだ。ハワイに住んでいたコウノ氏は、戦争が勃発すると、ホノルルの司令官デロス・エモンズ陸軍中将のもとに行き、軍隊に入りたいと懇願したそうだ。エモンズ司令官は、この志願兵にたいそう心を打たれ、嘆願書を公表するよう、ホノルルの新聞社に渡したという。さっそく、この話は各紙の記事になった。米国に忠誠を誓う日系人2世の勤労部位は、VVV(大学勝利部隊)と呼ばれ、これが基になって、有名な442部隊が編成されたという。(pp.213-214)

  日系人と対照的なのは、人格が歪んでいる朝鮮人だ。朝鮮人は何処に住もうが、我々に妬みや憎しみを持っている。ミネジロウ・シバタはイワシなどを獲っていた漁師である。彼と仲間の日系人は、とんでもない濡れ衣を着せられたそうだ。戦争が始まった頃のこと。現地に住む朝鮮人の医者が、政府にサンペドロの日本人漁師は全員スパイだと告げ口をしたそうだ。そこで、特別調査委員会が設置され、日系人すべてに訊問が行われたが、一人もスパイはいなかった。(p.205) 当り前だ。日本政府に対米工作部隊なんて発想は無かったからだ。昔から朝鮮人は、根拠の無い「妄想」で日本人を貶めていたのだ。こんな連中と顔つきが似ているので、日本人は歐米諸国で損をする事がよくある。そういえば、米国に居たある日本人留学生が、「朝鮮人」と間違われて腹を立てた話を聞いたことがある。支那人や朝鮮人と一緒にされることが、いかに日本人にとって屈辱的なことか。日本にばかり住んでいるジャーナリストには分かるまい。支那・朝鮮に同情的な左翼でも、外国でアジア人として扱われると怒り出す。なぜなら、支那人や朝鮮人と同類に見られるからだ。「あんな奴らと一緒にするな ! 」と言いたくなるのが、海外に住む日本人の本音である。

  櫻井よしこや西尾幹二のような、怪しい「保守派」言論人は、「営業保守」で雑誌に登場するだけで、本当の事実には関心が無いのかも知れない。彼らは日系人の苦労話を一般読者に披露するが、なぜ日系人は米国から脱出したり、亡命しなかったのかを伝えようとしないのだ。政府職員などに拘束され、収容所に輸送される前に、逃亡する余裕はあったはずだ。しかも、要請があれば、日本政府は彼らを引き取る意思もあったはず。それなのに、日系人は難民として日本に帰るつもりはなかった。彼らは心の底でアメリカ人を信頼していたのだ。つまり、虐待して殺すことはないだろう、と踏んでいたのだ。それに、普段の交際から、白人の中にも立派な人物がいるから、死ぬほどこき使われて餓死するなんてことはあり得ない、と信じていたのだ。これが、ロシア人や支那人なら別である。何があっても一目散に故郷の日本へ戻ったに違いない。支那大陸に住んでいた日本人なら分かるはずだ。支那人やロシア人を信用するなんて、どんな馬鹿でもしないだろう。自分の命が懸かっていれば、呑気な「綺麗事」を言ってはいられない。

  日系人の話を聞く時に、一世か二世かを確かめねばならない。一世は自分から進んで渡米したので、アメリカ人から嫌な事をされても、しょうがないと我慢できた。差別を受けて帰国しなかったのは、悪い白人ばかりではなかったからだ。しかし、二世の子供たちは、親の本音を知らないので、単に「有色人種だから差別された」と言って怒っている。ちゃんと親が事情を言い聞かせればいいのだが、子供に辛い思いをさせたという罪悪感から、本当の事が言えないのだ。出稼ぎ人の一世は、所帯を持ったり子供が生まれたりした時、日本に戻るべきだった。それをしないで、グズグズと住み続けたから、悲劇が起こったのである。最初の目的を果たしたら、お金を持って故郷に帰れば良かったのだ。こうした後ろめたさが日系一世にはある。彼らがユダヤ人のように、いつまでもグチャグチャ恨み節を言わないのは、自分で蒔いた種ということが分かっているからだ。

西歐人への好意と反撥

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(左: アルメニア人 / 支那人 / メキシコ人 / 右: アフリカ人)

  よく、日本人は「世界」と口にするが、それは歐米諸国が主流である。アゼルバイジャンとかイエメンを念頭に置いて、「世界」を語る庶民はいないだろう。かなり昔のことで正確には思い出せないけど、藝人の山田邦子がある会話の中で、「アメリカ人」について聞かれて、「私、アメリカ人て、白人のことだと思っていました」と答えていたのを覚えている。アメリカには黒人や支那人、キューバ人、メキシコ人なども多く住んでいるのに、白人だけというのは、余りにも無知である。しかし、庶民が興味を持つのは圧倒的に西歐の白人だからしょうがない。つまり、魅力的な文化を持つヨーロッパ人にしか興味がないのだ。歌手やダンサー、スポーツ選手とかの特殊な才能をもつ人物なら、黒人やヒスパニックでもいいが、たんなる平民だと興味を持てない。黒人が皆バスケット・ボールやダンスが上手というのは偏見である。一般の日本人からすれば、凡庸で無教養な黒人と付き合うことは、これといって何のメリットもない。黒人のフッションが好きな人でも、縮れ毛のアフロ・ヘアーにする、昔の笑福亭鶴瓶みたいな男性は、さっぱり見かけなくなった。また、美白化粧品は高くても買うが、肌を黒く焼いて鼻の穴を大きくする美容整形にお金を払う女性は、まずいないだろう。しかし、金髪に染める女性や男性がいるんだから日本は不思議な国である。

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(左: と中央西歐人女性 /右: 黒人女性)

  今では誰も読まなくなったけど、ナチスの理論家でアルフレッド・ローゼンベルク(Alfred Rosenberg)というエストニア人がいた。彼は工科大学で建築学を専攻したのだけれど、ギリシア藝術やゲルマン種族について興味を持ち始め、『二十世紀の神話』を書いて有名になった。戦後はユダヤ人や左翼学者から非難され、ボロクソに貶されているが、彼が述べたゲルマン藝術の価値や人種的な美の理念には頷くところが多い。だいたい藝術批評なんて学問は、主観的で何とでも言える分野だから、「見方が偏っている」とか「科学的・合理的根拠が無い」、と文句をつけても徒労に終わるだけだ。西洋美術に関する箇所で、ローゼンベルクはギリシア彫刻とゲルマン人の容姿について述べている。

   北方人種と云ふ、種に制約された美が、外的な静力学として現れたのが希臘主義で、かう云つた種に独特な美が内面的動学として現はれたのが北方的な西洋である。ペリクレスの顔とフリードリッヒ大王の頭とは、同一の人種魂、人種的には本来同一である美の理想の緊張幅を表はす二つの象徴である。(アルフレット・ローゼンベルク 『二十世紀の神話』 吹田順助・上村清延 訳 中央公論社 昭和13年 p. 233)

  西洋美術の絵画を鑑賞すれば、いかにギリシア藝術の影響が強いかが分かる。だが、実際のギリシア人なら、日焼けした肌で黒髪の女性の方が普通だったのに、彫刻にするモデルは北方種族の女性なんだから、ギリシアにもスラブ系かゲルマン系の市民がいたのだろう。当時、エジプトは高度文明国だったから、エジプト人の女性が「理想美」になっていてもおかしくはなかった。しかし、古代ギリシア人はエジプト人的容姿が好きではなかった。ルネサンス時代の絵画を見ると、もう白い肌のゲルマニア的女性が主流で、ムーア人みたいな黒髪のアラブ的女性は人気がなかったようだ。ヨーロッパ人は昔から「アーリア的理想美」を追求していたみたいだ。ローゼンベルクは述べている。

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(左: パルマ・ヴェッキオの聖母マリアとイエズス/右: ヴッキオの美人画)

  ヴェネチヤ派のジョルジョーネは彼のヴェーヌスに於いて、正に北方的な婦人美の古典的作品を創造し、また同じくヴェネチヤ派に属するパルマ・ヴェッキオは、金髪碧眼の大きな婦人より外には更に興味を持たなかった。かうした美の理想は極めて強く刻出されたので、黒い婦人達は、美しく、即ち金髪に見えんがために毛髪の色を染め変へるやうにさえなつた。(上掲書 p.235)

  ローゼンベルクの見解はもっともである。我々はラファエロの聖母子像などを観るが、そこに描かれているのは白い肌で金髪か栗毛色の髪をしたゲルマン的娘のマリアと幼きイエズスである。中東アジア系ユダヤ人の親子なら、両方とも黒髪で、鉤鼻、くすんだ肌で、もっと“いかつい”人相をしていたはずである。ミケランジェロのダビデ像も、ユダヤ人ではなく、ヨーロッパ人にしか見えない。もっとおかしいのは、日本の漫画である。日本人で北歐種族の容姿はまず見かけないのに、登場人物が北歐人というのが珍しくない。特に少女漫画雑誌など、スウェーデンかデンマークで出版されたのか、と疑いたくなるような内容である。

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(左: A.J.クック / 中央: ヴィーナスの誕生 / 右: ユダヤ人男性)

  ここでちょっと筆者の体験で申し訳ないが、ある少女と漫画雑誌の話を紹介したい。筆者が学生の頃、あるスカンジナヴィア系アメリカ人の家族と親しかった。憐れに思ったのか、そこの奥方が筆者をよく夕食に招いてくれた。その家を訪れたら、末娘のカレン(小学生1、2年くらいの少女)が日本語を勉強していたのだ。筆者が、「カレン、何やってんだ?」と尋ねると、彼女は「これ読みたいから」と、月刊か週刊の少女漫画雑誌を指した。日本で育ったアメリカ人少女は、魅力的な日本の漫画をどうしても読みたかったので、平仮名を覚えれば読めることに気がついた。漫画には「ルビ」がふってあるので、発音できれば外人の子供でも意味が分かる。母親は中年太りなのに、その娘はとても可愛らしく、いかにも可愛らしい北歐系の子供である。しかも、漫画の主人公と同じ容姿をしてるから違和感が無い。白人の子供が日本の漫画を読んでいる姿が、筆者にはとても新鮮であった。漫画のキャラクターを書いているのが非北歐的日本人で、読んでいる子供が非日本的北歐系アメリカ人なんだから、何だか奇妙であった。

  日本人の保守派には、妙に屈折した西歐嫌いがいるが、庶民は至って正直で、藝術の自由を謳歌している。好きなことを自由に表現できる日本は素晴らしい。ただ、西歐に好意を持つ日本人で問題なのは、日本人のくせに同胞を馬鹿にする連中である。特に、親の仕事により、西歐で育ったりした日本人が、帰国してからアメリカ文化やフランス文化を鼻に掛けて、英語やフランス語ができない日本人を下に見たりする。そして、これに劣等感を抱く日本人もいるから情けない。例えば、自分が英語を喋る事が出来ないと、我が子を英会話スクールに通わせたり、アメリカン・スクールに入学させて、バイリンガルにしようとするのだ。大切な幼児期を二重言語生活でメチャクチャにする阿呆な親がいるんだから、日本の国民教育は地に堕ちている。英語なんて現地に育てば、乞食でも話すことができるのに、それを有り難がっているんだから馬鹿らしい。日本語習得を犠牲にしてまで学ぶものでもなかろう。

  筆者も英語を流暢に話すことを自慢する英文科の女学生と会ったことがあるが、その時「うぁぁ、フィリピン人みたいに上手ですね」とからかってやった。アメリカ人になったつものり彼女は不愉快な顔をして、筆者を睨みつけていた。日本人として生きることを大切にしない、愚かな西洋かぶれは日本から出て行けばいい。そうすれば、どれほど日本が上等な国であるかが分かるだろう。英語なんかより、京都の言葉を話せる方が何倍も素晴らしいのに、「お遊戯英語」に大金を払っている日本人は間抜けである。英語が話せると「国際的ぃぃ!」と考える国民が多いのは、学校で英語の試験を強制され、試験の点数でランク附けされるからであろう。仕事などで必要なら別だが、一般国民にとっては雑談用の英語より、日本史を学んでご先祖様に感謝することの方が先だ。貴重な遺産である日本語を粗末にする日本人は、自ら「根無し草」になる愚か者である。

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(左: ウェルシュ・コーギー / 右: スコティッシュ・フォールド)

  日本人は西歐に対して複雑な感情を持ちすぎる点に問題がある。西歐が好きだと白人になったつもりで「西歐べったり」になるし、西歐で何か不愉快な事を経験すると、「やっぱりアジアがいいな」と思ってしまう。そうして、NHKの罠に嵌まって、「日本はアジアの一員でぇ~す。お隣の韓国と仲良くしましょ~ねぇ」というフレーズに賛同してしまうのだ。外国人と接する時は、日本人同士の付き合い方ではなく、別の考え方をもつべきだ。すなわち、日本人以外の人間は、地球上の生物と考えればいい。例えば、ある日本人が支那大陸のパグが嫌いで、ブリテンで人気のウェリッシュ・コーギーや、耳が折れた猫のスコテッシュ・フォールドが好き、と言っても問題はないだろう。だから、朝鮮半島やルソン島のアジア人が嫌いで、ノルウェーの北歐人やアメリカ大陸のアングロ・サクソン人が好き、と言ってもおかしくはない。白人全員から好かれることを期待する方が愚かであって、日本を好きな白人だけを相手にすればいいのだ。それに、西歐の白人は日本に密入国したり、偽装結婚をして日本国籍を取らないから、我々にとって最も良い外国人である。中流階級の西歐人女性が、日本のキャバレーで裸踊りをしたり、特別滞在許可を得るために、中高年の日本人男性とセックスして子供を産むなんてことはしないだろう。日本人が自国に招いて交流したいと思う外国人は、日本人にとって望ましい外国人であるべきだ。

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(左: 北歐系女性 / 中央: イギリス人女性 / 右: フィリピン人女性)

  日本人が間違いを犯すのは、常識に反した行動を取ったり、本心に背いた選択をする時である。戦前は右翼国粋派を装った左翼が「白人の帝国主義を許すな ! アジアとの連帯を!」と叫んで調子に乗っていたが、常識的に考えれば、白人国家のアメリカやブリテン、オランダ、フランスと争わず、日本も帝国主義の一員になっていれば良かった。インドネシアやフィリピンが白人に支配されたって、日本が困るわけでもないし、内地で日本人差別があった訳でもない。白人国家と貿易を続けていれば、日本の中流階級はもっと成熟したはずである。白人が嫌いな日本人は、歐米に旅行しなければいいだけだ。それに、付き合うなら西歐白人の方が、アジア人やアフリカ人よりも遙かに気分がいい。これは自分の身や家族にかかわる、実際の場面を想像してみれば判る事だ。例えば、アメリカやブリテン、あるいはドイツに転勤することになった日本人夫婦が、現地で子供の学校を探す時の事を考えてみれば分かるだろう。日本人学校や幼稚園が無い地域だと、現地の子供と同じ幼稚園や学校に我が子を通わせねばならない。その時、子供をもつ親は、どんな基準で選ぶのか? もし、幾つかの幼稚園があって選べるとしたら、一番気に入った所に決めるはずだ。例えば、ユダヤ人の幼稚園か黒人ばかりの保育園、イスラム教徒が経営する幼児施設、白人が多いキリスト教系幼稚園、異人種・異民族混合の公立施設などがあった場合、日本人なら白人の幼稚園を選ぶだろう。普通の日本人で不気味なユダヤ教やイスラム教の学校は選ばないし、第一、ヒケもじゃのユダヤ人やアラブ人が先生なら、子供が怯えるし、母親だって嫌がるだろう。また、異民族混淆施設だと、園児の育ちや言葉がバラバラで、我が子の成長が心配になる。

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(左: アフリカ人の子供 / 中央: ユダヤ人 / 右: アラブ人)

  結局、白人だらけの幼稚園が一番良く見えてしまう。もし、若い白人女性ばかりが保母さんで、キリスト教会が経営する幼稚園でも、嫌がらないだろう。普通の日本人なら、自分が好ましいと思う人物に子供を預けるのであって、いくら博士号を持った教育学の専門家であっても、アラブ人やユダヤ人みたいな中東アジア人とか、黒光りのケニア人、褐色のモロッコ人などは避けたい。なるべくなら若くて美しい白人女性の方が子供だって喜ぶし、旦那だって幼稚園のイベントに協力してくれるかも知れない。そういえば、故ダイアナ妃は保母さんだった。スペンサー家のご令嬢が幼稚園で働くなんて驚きだが、彼女は理想的な保育士だった。しかし、未来のプリンセスは、スチュワーデス(air hostess)になりたかったそうだ。英国人作家のポール・ジョンソンとの会話で、ダイアナは素直にその理由を打ち明けていた。

  結婚する前になりたかったのは、客室添乗員だったの。でもね、それになるための知的な教育が充分ではなかったのよ。(Paul Johnson, Brief Lives, Hitchinson, London, 2010, p.93)

   あれだけの美貌があればスチュワーデスくらいになれたかもしれないのに、それを知識が足りないからという理由で諦めたというんだから、何とも“もったいない”話である。もっとも、幼稚園の子供たちは幸せだ。あんな美人なら、「うちの子もその幼稚園に入れたかった」と悔しがる父親も多いだろう。「政治的正しさ」からすれば、白人女性ばかりの幼稚園は、性的・人種的・文化的に“とんでもない”施設だが、日本人の親は黒人ばかりの幼稚園より遙かに“まし”と考えるはずだ。

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(左: イギリス人の子供 / 右: ダイアナ妃)

  前回、高山正之の白人嫌いについて触れたが、日本人は西歐白人に過度な善意や好意を期待するから、それを裏切られた時ショックに感じてしまうのだ。白人に対してなら自ら進んで卑屈になる日本人や、白人と聞けば直ぐ反感を感じる日本は、両方とも片思いが強いからだろう。日本が好きな日本人でも、反日分子に会えば彼らを憎んだり嫌ったりするが、全体として日本人を嫌うことはない。それと同じで、日本を毛嫌いする西歐白人と無理して付き合う必要はない。日本が好きな西歐人だけを歓迎すればいいだけの話だ。地球上の人間を比較して吟味すれば、西歐人が最も好ましい外人であることが分かる。それを無意識的に分かっているから、日本の庶民は熱心に西歐の文化や社会を学び、歐米人と交流したいと望むのだろう。ヒンドゥー語やアラビア語を学ぶ日本人が少ないのは、いくら偉大な文明を持っているとはいえ、インド人やアラブ人に魅力を感じないからじゃないのか。昔、ベトナム戦争が泥沼化した時、散々アメリカを非難した左翼でも、アメリカ文化が好きだったり、留学するならアメリカを選ぶ人が多かった。言行不一致が左翼の特徴だけど、やはり個人の生活となれば、建前ではなく、本音で動いてしまうということだ。日本人の不幸は、我々とかけ離れたアジア人の近くに日本列島が存在し、我々と文化レベルが近い西歐人と地理的に離れている点にある。戦争中、収容所に送られた日系人はアメリカ白人を憎み恨んだが、アメリカを去ることはなかった。彼らはアメリカ白人の中に、怨恨を帳消しにするほど素晴らしいものを見たのだろう。「元日本」の朝鮮半島から一目散に脱出した日本人は、本心に忠実だったからだろう。





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