不法入国者が闊歩するアメリカ社会

  日本では「盗っ人猛々しい」という言葉が未だに使われているが、米国ではこうした言い回しは消滅したようだ。「政治的に正しい言葉(political correctness)」が蔓延しているアメリカ社会では、野ネズミのように国境を越えて侵入してくる異邦人を「不法外人(illegal Aliens)」と呼んではいけないらしい。ニューヨーク・タイムズ紙のような左翼メディアによれば、これらの密入国者は単に公的書類を持っていない渡航者であるという。だから、ぶっきらぼうに「エイリアン(外人)」と呼んではならず、「入国審査証明書を欠いた移民(undocumented immigrants)」と上品に呼ぶべきなんだって。でも、これじゃあ、パスポートやヴィザをうっかり家に忘れてきた旅行者みたいじゃないか。南米からやって来る密入国者は、買い物に出掛けて「財布を忘れた !」と思い出すサザエさんじゃないぞ。(余談だけど、なんで財布を忘れると、サザエさんが「愉快」なのか疑問である。筆者の場合、「あっ ! いけねぇ」と落胆した気分になってしまう。アニメ『サザエさん』のエンディング・ソングにおける永遠の謎である。)

  たとえ、当たり障りの無い「言い換え」を普及させても、その本質や容姿は明確に分かるんだから、「不法入国者」でも「泥棒猫」でもいいじゃないか。(でもさぁ、猫には国境意識が無いんだから、その本能を非難したら可哀想だよね。焼き魚をくわえたって自然な行動だから、メキシコ人の「泥棒」と一緒にしちゃいけないよ。渡辺明・竜王じゃないけれど、この譬えの是非は「ニャンとも言えない」。) 日本でも似たような偽善がある。「南鮮人」を「韓国人」と言い換えたって、それが示す人間は変わらないじゃないか。彼らの口臭とオナラは同じくらい臭いんだから。(「お口直し」じゃなかった「お耳直し」に、ウィリアム・シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』からジュリエットを引用をどうぞ。「薔薇は如何なる名で呼ばれようとも、甘い香りがするものです。<A Rose by any other name would smell as sweet.> 第二幕 シーン2 」)

  「入管法破り」というのは特殊な法の蹂躙で、世間は違反者に対する非難と同情を併せもつ。メキシコからの密入国者が一人だけ検挙されれば、問答無用で有罪となり追放処分を受ける。しかし、そうした犯罪者が千人ないし百万人まで増えると、今度は逮捕する政府機関に問題があるんじゃないか、と世間は考えてしまうのだ。しかし、この考えはおかしい。もし、西部百貨店で支那人観光客の万引き犯が1名捕まったら、即刻、警察官に引き渡され、しかるべき処罰を受けた後、国外追放になるだろう。だが、もし千名の支那人が万引き犯になったらどうするのか? それでも、我が国の警察官は容赦なく逮捕するし、百貨店の責任者はもとより一般の日本人もも、こうした不逞支那人の強制送還に反対しないはずだ。たとえ、逮捕された支那人が「ワタシ悪くない。出来心あるヨォ~」とか、「勝手に品物が私のポケットの中に入ってきたアルね」、「昔、日本人、ワタシの国で盗んだ殺したアルヨ。今ワタシが盗んで何が悪いアルカ !」と反論しても、「ふざけるな ! コラ ! テメー達は意図的にパクっていたんだろ !」と我々は叱りつけるだろう。支那人の言い訳は余りにも馬鹿げているので、聞いている日本人の方がほとほと疲れる。それに、もし支那人が1000人あるいは10万人も百貨店で窃盗を企てるのなら、支那人の入国禁止を求める国民運動が起こるだろう。百貨店の化粧品コーナーや食品売り場で、1000人の支那人が万引きする光景を想像したら、誰だって怒りと不快感で震えが来るじゃないか。不法移民もこうした窃盗犯と同じ犯罪者である。この認識が希薄になっているところに、深刻なアメリカ人の国民病があるのだ。

  不法移民問題に関するアメリカ人の精神病は、末期的とも言えるくらい深刻である。卒業式シーズンを迎えた米国で、ある女子高生の告白が話題となった。彼女の名はラリッサ・マルティネス(Larissa Martinez)。ラリッサはテキサス州にあるマッキンリー・ボイド高校を今年の6月に卒業し、成績が良かったので卒業式の演説をする卒業生総代に選ばれた。ところが、この晴れ舞台でラリッサは、衝撃の告白を行ったのである。なんと彼女は不法入国者の娘であることを公言したのだ。(Kait Richmond, Valedictorian declares she is an undocumented immigrant in graduation speech, CNN, June 11, 2016) ラリッサは母親と妹の三人暮らし。2010年、彼女の母親はアル中で暴力をふるう夫から逃れたい一心で、娘を連れてメキシコからアメリカに渡ってきたという。もちろん、マルティネス親子は「観光ヴィザ」で入国した訳で、永住を申請してアメリカの国境を通過したのではない。親子共々テキサスに移り住んだラリッサは、アメリカ人のような振りをして地元の高校に通い、熱心に勉強した甲斐もあって成績が良かった。彼女は「クウェスト・ブリッジ(QuestBridge)」という非営利団体を通して奨学金を得ることができ、東部の名門校プリンストン大学に進学するそうだ。

  卒業生の代表として演壇に昇ったラリッサは、勇気を振り絞って自分の正体を暴露したというが、彼女の演説はトンデモない内容だった。彼女は自分が日陰の存在で1千100万人もいる「入国書類を持たない移民」の一人である、と述べた。彼女は米国に住む不法移民の状態と合衆国政府の移民政策に触れ、不法移民の現状を訴えたという。そして彼女は続けて、次のように語った。

  討論の中で最も重要で、しばしば見落とされている点は、書類があるなしにかかわらず、移民も人間だという事実です・・・人は夢と向上心と希望、そして愛する者を持っているのです。私のように。(Willa Frej, Undocumented Valedictorian Takes Down Trump In Epic Speech, The Huffington Post, June 10, 2016)

  ラリッサが演壇上で、こう聴衆に語りかけると、大勢の卒業生が立ち上がり、“勇気ある”ラリッサに大きな拍手を送ったそうだ。おそらく、感動して拍手喝采を送った生徒の多くは、ヒスパニック系や黒人などの有色人種ではないのか。彼らが育った下劣な家庭では、法秩序や倫理に基づく善悪の区別が西歐系生徒の家庭とは違うので、入管法違反など“取るに足らない悪戯(イタズラ)”程度に見えたのだろう。それにしても、アメリカには驚くほど馬鹿が多い。昔、映画の『スーパーマン』を観て興奮したアメリカ人が、自分も飛べると錯覚して建物の窓から飛び降りた、という事件があったが、アメリカにはそうしたアホが普通に住んでいる。「不法入国」や「不法滞在」など恥ずべき行為なのに、それを犯す人間が多くなると個人の罪を社会の罪に置き換え、あたかも邪悪な国家制度による「被害者」に祭り上げてしまうのだ。これを痴漢犯罪に置き換えてみれば分かる。痴漢の前科者が巷に激増し、その子供が学校の卒業式で、「私の父は変態でした。今でも電車に乗る度に女性の尻や胸を触っていますが、父は満員電車にもめげず、毎日通勤し、娘の私を養っています。愛する父のためにも、学校を卒業したら立派な警察官になりたいと思います」と演説したら、日本の子供はどう思うのか? みんなが立ち上がって拍手を送るとは考えづらい。たぶん、被害者女性を気の毒に思い、卑劣な性犯罪者を糾弾するだろう。それに、日本人ならこんな告白をした生徒を「英雄」とは見なさないぞ。

  祝福すべき卒業式で、「私は不法入国者の子供です」なんて告発する総代を見て、賞讃する生徒は元々頭がおかしいから除外するとして、せっかくの門出を台無しにされた西歐系アメリカ人の生徒は、一体どんな心境だったのか? テキサスのドイツ系ないしスコット系白人は、南米からの不法移民を忌々しく思っているから、ラリッサのような図々しい娘には同情しない。そもそも、「不法滞在」なんて自慢する話じゃないだろう。「私のお母さんは嘘をついて入国し、違法状態と認識しながら子供を育て、私も嘘がバレないように暮らしていました」という身の上話が賞讃に値するのか? 本来なら、「嘘をついてごめんなさい」とか「罪を償うためにも米国から退去し、故郷のメキシコに戻ります」と謝罪するのが普通だろう。それがどうだ。ラリッサのふてぶてしいこと。「私は成績が良いので名門校に進学できました。しかも、奨学金のまで貰えました。大学を卒業したら神経外科医になりたい」と述べていたんだから、聴いている方は呆れて物が言えまい。穏健な白人の親達は眉を顰めるが、愛国心の強い親なら、「アメリカから出て行け。この濡れネズミ野郎 !」と罵るだろう。(米国では南米からリオ・グランデ河を渡って密入国する者を「背中の濡れた奴wetback)」と呼ぶ。)

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(写真 / 河をわたって米国に密航する南米人)

  アメリカのマスメディアは娘ばかりに脚光を当てるから、我々はつい彼女の母親の存在を忘れがちである。まず最初に、どうして暴力的な夫から逃れるために米国にやって来るのか? メキシコは広いから、何処か安全な街を見つけられるはずだし、その地で地道にひっそりと暮らせばいいのに、わざわざ米国に渡ってくるのは、経済的動機があったからだろう。「酒浸りの野蛮な亭主」は不法滞在を正当化する口実で、本当は豊かで明るい未来を求めて渡米したんじゃないか? 貧乏なメキシコより、豊かなアメリカの方が断然いいからね。だいたい、単に夫の暴力から逃れるためなら、アルゼンチンでもベネズェラ、コスタ・リカでもいいじゃないか。南米諸国には母子家庭なんか珍しくないぞ。しかも、スペイン語が通じるから生活に支障が無い。「南米人でも低所得者なら米国に移住できる」なんて分かったら、一体、何人のヒスパニック移民が来ることか? もし、暴力をふるう夫からの逃避を是認したら、アフリカや中東アジアに住むイスラム教徒の女性が大挙して押し寄せるぞ。イスラム教徒の亭主には、言うことを聞かない女房の目玉をくり抜いたり、硫酸をかけて折檻する奴がいるんだから。妻をぶん殴る亭主なんか腐るほどいるんだぞ。甘っちょろい対応をすれば、アメリカ社会は直ぐ2、3億人の移民で溢れてしまうだろう。

  アメリカ各地には大量の不法移民が散らばっているが、特に南部ではヒスパニックの不法移民が極めて多い。今回のラリッサだけではなく、マテ・ララ・イバラ(Mayte Lara Ibarra)という高校生も、卒業を以て自分が不法移民であることを告白したので、マスコミで大々的に取り上げられる事となった。彼女はテキサス州オースティンにあるデイヴィッド・クロケット高校を卒業し、成績が良かったので総代に選ばれて演説を行ったそうだ。しかし、卒業式が終わってから数時間後に、ツイッターで自分が不法移民であることを公表したという。「卒業生総代。成績(GPA)は4.5。テキサス大学への授業料を払い込む。メダル13個。美脚。おっと、私は不法移民」だってさ。(Katie Rogers, 2 Valedictorians in Texas Declare Undocumented Status, and Outrage Ensues, The New York Times, June 10, 2016) 不法状態を立ち小便くらいに考えているヒスパニックの娘が、テキサス大学に進学できるんだから、現在のアメリカ社会はかなり重症というか、健康な気違いみたいで恐ろしい。

  ララが住んでいるオースティン・インディペンデント学区には、南米人が溢れているそうで、生徒の58パーセントがヒスパニック系であるらしい。もっと驚くのは、テキサス大学が不法移民家庭の学生にも支援サービスを行っているということだ。同大学の報道担当者であるゲイリー・サスウェイン氏によれば、テキサス州内の高校に通い、卒業生総代になれるような学生には、二学期分の授業料を免除しているという。しかも、その学生の身分は問わない、としているから暗に不法移民の子でもOKということである。アメリカ白人の学生が牧伸二を知っていれば、ウクレレ片手に「あぁ~あ、やんなっちゃった。あぁ~あ、お終いだ」と唄うだろう。こうした思考の倒錯を目の当たりにすると、ローマ帝國の衰亡を描いた名作『クウォ・ヴァデス(Quo Vadis)』を思い出す。(このタイトルはラテン語で「何処へ行く?」を意味する。まだ観ていない人に紹介すると、『哀愁』の主役ロバート・テイラー、『王様と私』で家庭教師を演じたのデボラ・カー、『ナイル殺人事件』などでエルキュール・ポワロを演じたピーター・ユスティノフが出ている。) 過去の威光が帝國に燦然と輝く中、悖徳(はいとく)の影が忍び寄っている。アメリカは物質的に繁栄しているが、その内部では道徳的腐敗が進行し、国家を構成している国民が人種的に入れ替わっているのだ。国家の主人が北方ゲルマ種族から茶色のメスティーソ(インディオ系混血児)に変わっているのに、それを食い止める事ができないんだから重症である。

  アメリカ人は犯罪者が少数だと排斥するが、その数が100万人となれば、自国に問題があると考えるようだ。そもそも、不法移民の子供が堂々と学校に通っていることが問題なのに、頭がおかしくなったアメリカ白人は、犯罪者家庭の子供がいかにして同化できるか、どんなサービスを実施したら学力不足を解消できるか、原住民からのイジメをどう防ぐか、など本末転倒の思考形態に陥っている。メキシコやコロンビア、エクアドルなどから潜り込んできた移民の子供を教育するのは、迷惑をかけた出身国の政府であって、被害を受けた合衆国政府の役目ではない。米国は公立学校に通う子供に、一人当たり約1万2000ドル(132万円くらい)の教育予算を費やしている。(Genevieve Wood, Undocumented children a drain on U.S. school, The Heritage Foundation, September 9, 2014) この額だって充分じゃないのに、そこへ不法移民の子供たちが加わるんだから、教育予算を圧迫するのも当然だ。例えば、南米からやって来た移民たちは英語が苦手で、家庭ではスペイン語ないしポルトガル語という子供が圧倒的に多い。したがって、英語が公用語の学校に通えば勉強について行けないから、どうしてもスペイン語を話す補助教員が必要となる。2009年の報告書によると、アメリカ国民は英語が不得意な子供のために、4億4千万ドルもの税金を「英語クラス」に注ぎ込んだそうだ。こうしたクラスメートを持つ白人の子供が、浅黒い異邦人を差別することが社会問題となっているが、「どうしてこんな子たちが私のクラスにいるの」と不満に思っても当然だろう。有色移民の子供がいる学校では学力水準が低下するし、クラスの雰囲気も悪くなるからだ。

  ついでに言うと、異邦人にやたらと親切なマスコミは、裸一貫でビジネスの成功を摑んだ移民や、不法滞在者の親を持つけど成績優秀者になった児童、素晴らしい業績を達成した浅黒いスポーツ選手などを積極的に取り上げる。これに続けて、「不法移民の子供でも立派になって、アメリカ社会に貢献してまっせ !」と一般国民にアッピールして、異国からの帰化人密入国者を褒め称える。しかし、白人が主体だった学校でとぐろを巻く南米系の不良や、高校に通えたのに殺人、強姦、強盗をはたらく落第生、本格的なマフィアになったヒスパニックの子供、あるいは全身に刺青を彫ったストリート・ギャングなどは、なるべく放送しないようにしている。そもそも、本当に悪い連中や警察官に顔を晒したくないチンピラどもは、テレビ局のインタビューに応じることはない。だから、テレビ局のスタッフは取材がしやすい善良な移民にマイクを向けるし、なるべく魅力的な若い女性を特集したがる。恐ろしい刺青を顔に彫ったMS13(悪名高いメキシコ系の犯罪集団)のメンバーなんか特集したら、南米移民全体の印象が悪くなるし、学校にはびこる不良どもだって、ネガティヴ・イメージの拡大となるから、左翼放送局としてはできるだけ避けたい。だから、ラリッサのような若くて魅力的なヒスパニック女性を映したがるのだ。でも、彼女のような生徒は少数派で、学校に繁殖するヒスパニック生徒といったら、ジャンク・フードでテブになった薄鈍(うすのろ)か、理解力に乏しい低能児、躾の悪い出来損ない、恐喝が得意技のゴロツキ、天性の犯罪者などが多数派を占めている。

  アメリカでも教育は優先課題である。きちんと英語を話せる中流家庭の子供を教育することさえ大変なのに、英語はおろか家庭の躾が欠落した移民の子供を負担するなんて馬鹿げている。しかし、異常精神をもつのは何も教育機関の役人ばかりではなく、治安維持に責任を持つはずの大統領までが、税金を食い潰す犯罪者に恩恵を与えているのだ。オバマ大統領は不法移民の親に連れてこられた子供達の強制送還を停止する暴挙に出た。アメリカでは不法移民の子供達が引き続き米国に滞在して、教育を受けられるようにする「ドリーム法案(DREAM Act)」が検討されていて、特に左翼の民衆党員が熱心に実現しようと努めている。白人によって建てられたアメリカ合衆国を心から憎むオバマは、白い西歐人どもが茶色や黒い肌の子供たちを追い出そうとする追放処分を許せない。自分が味わった黒人としての恥辱が蘇ってくるのだろう。彼は強制送還の停止を「これは恩赦、免除、国籍への道でもなければ、恒久的措置でもない。これは一時的な修復手段である」と述べていた。(Tom Cohen, Obama administration tostop deporting some young illegal immigrants, CNN, June 16, 2012)

  しかしながら、この黒人大統領は、非白人の密入国者に対して温情を持っている。「不法移民の子供たちは我々の学校で勉強し、我々の近所で遊び、我々の子供たちと親しくなり、我々の国旗に忠誠を誓っているのだ」から、「こうした才能に恵まれた若者をアメリカから追い出すなんて意味を成さない」と訴えかけていた。ヒスパニックの子供たちが学校や友人を必要としているなら、出身国に帰ってもそうできるじゃないか。メキシコ人の子供だって学校に通っているし、友達を作って広場で遊び、メキシコの国旗に忠誠を誓っていることくらい日本人でも知っているぞ。それにもし、ヒスパニックの子供たちが素晴らしい才能を秘め、努力を惜しまない秀才なら、祖国に戻って政治家や警察官、裁判官、起業家、教育者、藝術家になって、故郷を立派な国家にすればいいじゃないか。どうして他人の国家に忍び込み、ぬくぬくと暮らしているんだ? そんなにヒスパニックの若者が優秀で、アメリカ社会に貢献する移民なら、学校を卒業したら祖国に戻って、暴政や貧困に苦しむ同胞を救ってやればいいじゃないか。星条旗に忠誠を誓ったから、不法入国の前科が消えるなんておかしいだろう。法秩序を守る最高執政官が、自国民より犯罪者の将来を心配するなんて、それこそ「ナンセンス」だ。黒人大統領が持つ有色人種への愛は、国境と法律を超える使命感なのだろう。

  いかがわしい移民が増えると、不正な事でも黙認されるようになったり、非常識な判断でも妥当と見なされるようになるから恐ろしい。下品な移民に悩む南部では、不法移民が公立の大学に入ることを禁止する法律をもつ州が存在する。アラバマとサウス・ラロライナ、ジョージアの三州では、いくら成績の良い子供でも、税金が投入されている大学への進学はできない。しかし、アメリカには不法移民に対して甘い州もあって、カルフォルニア、ミネソタ、ニュー・メキシコ、オレゴン、テキサス、ワシントンといった州では、不法移民の子供でも金銭的に困っているなら、財政的支援をもらえるというのだ。(Matt Vasilogambros, The Folly of Under-Educating the Undocumented, The Atlantic, March 16, 2016)

  それに、先ほど紹介した「クェスト・ブリッジ」のような左翼団体が米国にはたくさんんあって、犯罪者の親を応援しながら、時間稼ぎのために政府の排除策を妨害しているのである。一時的でもいいから強制送還を先延ばしにすることで、移民の子供達が成長する時間を稼ぐ事ができるから、見え透いた妨害工作でも決して無駄ではない。米国での滞在期間が長引けば、それだけ子供たちはアメリカの生活に慣れるし、英語で教育を受けたから祖国に戻りたくないとゴネることができる。様々な口実をもうける駄々っ子が激増すれば、必ず行政側が根負けし、望外の譲歩を行う事だってあるのだ。移民を支援する左翼団体は、成長した子供たちの中から将来、有望な極悪分子をリクルートできるし、強力なプロ左翼にならない子供でも、いずれは国籍と選挙権を持つ潜在的支持者となるから、不法移民への「支援」は左翼活動家にとって将来への「投資」となっている。事実、「ラ・ラザ(La Raza)」や「メッチャ(MEChA)」の幹部には、「エスニック・スタディー(少数民族学)」を専攻したクズ学生が多い。

混血児を利用する日本のマスメディア

  左翼マスコミには大きな挫折感がある。かつて冷戦時代たけなわの1950年代、進歩的知識人は日本が社会主義国となって、ソ連の衛星国になることを望んでいた。しかし、皆が憧れたソ連は消滅し、共産主義の夢は破れたが、日本への憎しみだけは彼らの心に深く残った。日本を改造して共産主義の楽園にしようとしたのに、肝心のプロレタリアートまでが、裕福なブルジョワになってしまったから腹の虫が治まらない。しかし、日本を破壊するために若者を煽動し、皇室を尊敬する日本人を抹殺して国家転覆を実現しよう、と呼びかけても振り向く若者はごく僅か。以前、筆者は渋谷にある国連大学前を歩いていた時、印刷工員の組合によるデモ行進を見かけたことがある。だが、赤い旗を持って鉢巻きを締めている参加者は白髪の高齢者ばかり。もしかしたら、学生運動崩れか共産主義者の残党だったりして。青山学院大の学生はいなかったんじゃないか。ともかく、反日教育を進めたのに、未だに自民党の天下だし、自衛隊や皇室が解体されずに健在である。そこで左翼どもは、日本人を反日にするのではなく、日本人とは異質な肉体と精神を持つアジア人を輸入することに気づいた。まさしくコロンブスの卵だ。アジア移民の子供なら、反日教育をしなくても日本を恨む子供たちを育成できるし、日本に敵対的な人材も確保できる。アジア人は元々「非日本人」なんだから、最初から「日本人」あるいは「先祖代々の国民」という意識が無い。NHKやTBS、テレビ朝日などが移民の増殖に熱心なのはその為だ。

  テレビ朝日は昔からCNNと契約を結んでおり、女子アナの安藤優子や参議院議員の武見敬三、通訳の小西哲哉、作曲家の三枝成彰、元東京都知事の猪瀬直樹、元広島市長の秋葉忠利などは、深夜番組の「CNNデイ・ウォッチ」でキャスターを務めていた。1980年代に提携していたが、その後は中断したようだが、最近になってBS放送で「CNNサタデー・ナイト」という番組を流している。偶然、7月2日の放送を観たら、先ほど紹介したテキサス州のラリッサ・マルティネスの話を報道していたので、ちょっと気になった。この番組では杉山セリナという若い女性と、ライアン・ゴールドスティン(Ryan S. Goldstein/ゴールドシュタイン)という弁護士がキャスターを務めている。杉山氏はモデル事務所に所属するモデル風藝人で、メキシコ人の父と日本人の母を持つ混血児であるそうだ。プロフィールによると、4歳から5歳までアメリカにいて、6歳から12歳までメキシコに住んでいたという。それゆえ、比較的英語が得意なようで、流暢なスペイン語は家庭の言葉らしい。ラリッサ・マルティネスのニューズを読み上げる杉山氏の姿を観て、「たぶんCNN報道についての感想を述べるんだろうな」と予測ができた。

  案の定、杉山氏は自身の過去を踏まえて、ヒスパニック移民への同情を表していた。彼女はメキシコ人の移民問題を正面から取り上げ、自らの素性を語ったラリッサの勇気に感動したそうだ。「普段あまり表に出て声を上げ.ることが出来ない不法移民を勇気づけるニュースになった」と述べ、「移民たちは周りの状況が変化するのを待つのではなく、自ら変化を起こすよう人々が増えてゆくよう願っている」らしい。彼女はメキシコに住んでいた時、貧しさ故に働かねばならず、学校に通えない子供たち、すなわちストリート・チルドレンを数多く見たそうで、良い学校に通える裕福な家庭の子と、学校に通いたくても通えない貧乏家庭の子供との教育格差に憤っていた。すると、杉山氏の隣に坐ってたユダヤ系アメリカ人のゴールドシュタイン氏は、彼女に不法移民への奨学金について尋ねていた。彼女は不法移民に税金を投入することに賛成していないが、「若者にはすべて教育を受ける権利がある」と述べ、「勉強するチャンスをくれた国に恩返しをするという意味で、奨学金制度をもらった人は、たとえ不法移民であっても貢献するんだからいいじゃないか」という意見であった。

  彼女の意見を聞いた、このユダヤ人弁護士は、「教育を受けたい子供は全て受けさせてやりたい」と主張し、彼が幼い時、通っていた学校の教師はアメリカを「移民の国だ」と教えており、「当時の移民はプライドを持っていました」と回顧していた。だから「今、反移民という潮流があるのはどういう事なんでしょうね?」と首を傾げていた。彼も奨学金をもらったから大学に通えたし、日本にも来ることができたという。不法移民でも教育を受けたいなら受けさせるべきだ、というのがゴールドシュタイン氏の意見である。そんなに移民の子供が愛おしいのなら、ゴールドシュタイン氏は自分の預金口座から奨学金を出してやればいいじゃないか。それに、豊富な資金を誇るユダヤ人団体に提案してやれよ。ヒスパニック移民に反対するアメリカ人の税金で出来た学校や、公的優遇を受けた大学に不法移民を入れるべし、なんて言語道断である。ゴールトシュタイン氏はユダヤ人だから、アメリカを誰でも移住できる雑居地域と考えているが、建国の父祖を継承する子孫たちは、西歐系の移民、とりわけスカンジナヴィア系移民を奨励したのであって、ユダヤ人のような気持ちの悪いセム種族を歓迎したのではない。合衆国は歐洲のゴミ捨て場ではないのだ。それなのに、むさ苦しい乞食移民の子孫であるユダヤ人は、西歐世界のアメリカを有色人でも快適に暮らせるテナント・ビルにしたいのであろう。

  ユダヤ人が嫌われる理由の一つに、他人の国を勝手に改造してしまう行動様式が挙げられる。ユダヤ人は居候のくせに、自分たちにとって都合の良い社会に変革しようとするから、絶えず排斥されるのだ。特に、第二次世界大戦後、大量のユダヤ難民が米国に流入したので、下劣で図々しいユダヤ人が全米各地に繁殖してしまい、HIAS(Hebrew Immigrant Aid Society/ユダヤ移民支援協会)やADL(Anti-Defamtion League/反名誉毀損同盟)などの極悪組織が跋扈(ばっこ)する結果を招いてしまった。ヒスパニック移民やアジア難民が大好きなユダヤ人は、差別的なアメリカに居坐っていないで、心優しいイスラエルに移住して、彼らの国家を難民・移民の聖地にすればいいじゃないか。ゴールドシュタイン氏はイェルサレム辺りに多民族主義の楽園を造り、そこに南米移民を集めて教育を授けるべきだ。きっとヒスパニック移住者はイスラエルに感謝するだろう。ただし、根っからの排斥主義者が多いイスラエルで、ゴールドシュタイン氏のようなコスモポリタニズム(世界市民主義)が通用するとは思えないが。それにしても、甘ったるい理想論を述べるゴールドシュタイン氏は、国境意識の無い典型的なユダヤ人で、実に厚かましい。不愉快を絵に描いたような人物で吐き気がしてくる。

  一方、テレビ・カメラに向かい、緊張しながら拙いコメントを述べる杉山氏を見ていると、彼女の肉体から滲み出る同胞愛を感じてしまうのは、筆者だけではあるまい。半分メキシコ人の血が流れているせいだろうが、杉山氏は貧しい生活を送るメキシコ人に同情的である。日本人ならメキシコ政府の失政を糾弾するが、混血児の杉山氏は合衆国政府に責任を取らせようとするのだ。たぶん、彼女はメキシコ人が劣等民族であることを前提にしているのだろう。もちろん、彼女は否定するだろうが、その無意識的なところが却って悲しい。自分の見解が非常識と矛盾に満ちていることに気がつかないからだ。第一、メキシコの不法移民に理解を示す杉山氏だが、自分はさっさと母親の「祖国」である「日本」に移住し、モデルの仕事を始め、まだ若いのにテレビ番組のメイン・キャスターにもなれた。もし、メキシコにいれば主役級のキャスターなど絵に描いた餅で、彼女の実力では決してなれないし、テレビ番組に出演できるモデルにさえなれない。日本が南米諸国とは遙かに違う豊かで清廉な国だから、つまり、メキシコのような腐敗が蔓延する国ではないから、杉山氏はチャンスを手にできたのである。本当にメキシコの子供に同情するなら、日本国籍を捨ててメキシコに骨を埋めるつもりで現地に住むことだ。心優しい杉山氏はメキシコで政治家になって、だらしがないメキシコ社会を改善したらどうか。それをしないのは、メキシコ人が根本的に「ダメ民族」と肌で分かっているからだろう。ただ、杉山氏だけを責めるのは酷で、本当に悪いのは彼女のような小娘を使って、日本の視聴者に多民族主義を吹き込もうと企む、テレビ朝日の制作スタッフである。馬鹿娘を背後で操るなんて卑劣極まりない。

  ちょっと本筋から外れる話だが、日本人は「バイリンガル娘」に憧れるせいか、彼女たちを「教養人」とか「知的な女性」と思ってしまう傾向が強い。実際に聞いたことがないから確実な事は言えないが、ネット情報だと英語を流暢に話す藝人には、関根勤の娘である関根麻理とか、ハワイ出身のモデルという長谷川潤、報道番組キャスターの市川紗椰、藤圭子の娘である宇多田ヒカルなどがいるそうだ。(滝川クリステルのフランス語は聞いたことがあるが、英語が得意なreina<れいな>という女漫才師がいるとは知らなかった。最近の漫才師には、異色の経歴を持つ者がいるそうで、横山やすしが全盛の頃とは、時代が丸っきり変わってしまった。) しかし、「複数言語の使い手」といっても、その外国語は英語やフランス語、ドイツ語といった西ゲルマン語を流暢に操る者で、アラビア語やバントゥー語、タミール語、タガログ語などの不人気な言語を話す者ではない。つまり、憧れを持つゲルマン種族の言語なら羨ましいが、習得するだけの価値に乏しく、むさ苦しいだけの民族が話す言葉には興味が無いということだ。

  そういえば、CNNのキャスターとかに採用される女性のタイプは、たいてい若くて魅力的な帰国子女か西歐系混血児である。杉山セリナは西歐系美人というより、説明されなければメキシコ人とは気づかない、ちょっと可愛らしい混血児で、日本人の間にいれば目立つ女子高生、といった感じである。それよりも、軽率な日本の視聴者は、キャスターが容姿端麗の美人であったり、落ち着いた雰囲気を醸し出す女性だと、カメラに向かって述べた意見を鵜呑みにする癖がある。これは一般人に限らず、冷静なはずの裁判官でも、被告人が美人だと対応が優しかったり、うなだれる犯人への理解や同情が増すそうだ。とにかく、英語やフランス語を流暢に喋るからといって、その発言者に深い教養や鋭い洞察力があるとは限らない。容姿と思考は別物だ。キャスターやコメンテイターの意見などは、予め番組スタッフと協議した上での見解であったり、放送作家が仕込んだ論調だったりするから、真面目に受け取ってはならない。ちょっと裏事情を知ってる者なら、こんなヤラセは常識だろう。例えば、フジテレビが刷り込みたい意見なら、干からびた顔の日枝会長が言うより、美人アナで名高い加藤綾子を呼び戻して、自然な形で喋らせた方が遙かに効果的だ。こう考えれば、いかに発言者の容姿が重要で、影響力を持つかが分かる。

  だいたい、米国や英国に暮らしていた日本人の子供が、英語をペラペラと話せても当然じゃないか。筆者の昔話で恐縮だが、親しかった友人のN君は、アイドル歌手の早見優が大好きで、彼女のアルバムを買うほどのファンであった。N君は「彼女は英語が上手くて頭が良い」と話してくれたが、筆者は会話の中で彼女がハワイ出身だと分かったので、「当り前じゃん」と心の中で思ってしまった。彼女の歌も聴かせてもらったが、感動するような代物ではなかったが、社交辞令の意味もあって、「いいね」と嘘をついてしまった。まぁ、音楽の好みは人それぞれで、「蓼(たで)喰う虫も好き好き」だ。批判しても水掛け論になってしまう。それより、ハワイの浮浪者だって習得できる英語を、母国語の日本語より重要視する日本人の方が問題である。米国だと喋る英語がぎこちなくても、しっかりとした文章を書ける外国人の方が尊敬されるのに、日本人は中味の薄い日常会話をことさら重視する。西歐白人と対等に話をする姿に憧れるから、日本では軽率な英会話教育が流行するのだろう。

  学校の英語授業で劣等感を植え付けられた日本人は、帰国子女を見て「あ~ぁ、私もあんな風に話せたらなぁ~」と羨んでしまう。自分が苦手とする言語を話す人物だから、その者が口にする事は、いくら下らない意見であっても、何か上等な見解と捉えてしまうのだ。杉山セリナの移民論など、現実を弁えぬ小娘の願望に過ぎない。しかし、それを事前に分かっているテレ朝のプロデューサーやディレクターは、視聴者が賛同するはずだと踏んでいるから、彼女に喋らせるのだろう。腹話術の人形を使って自らの思想を吹き込む制作スタッフは、女郎を使って儲ける廓(くるわ)のババアと同じだ。しかも、隣に横柄なユダヤ人を坐らせていんるだから質(たち)が悪い。そんなに自分の意見を押しつけたいのなら、彼らが表に立って堂々と、その顔と名前を晒すべきだ。TBSの左翼番組「サンデー・モーニング」も同罪で、プロデューサーの金富隆は岸井成格(きしい・しげただ)や張本勲(張勲/帰化鮮人)を背後で動かさず、自ら雑誌や新聞に堂々と顔を出して、その素性や思想を公表すべきだ。そうすれば、一般視聴者はどんな人物が報道番組を作っているのか分かるだろう。移民を積極的に支持する変更番組を垂れ流すTBSは、「公平な報道」という建前を外し、きちんとした根本方針を述べるべきだ。

  後編では日本に於けるアジア人不法滞在者について論じます。


  


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