他人のお金で子育て支援

  現在の我が国では、大衆迎合の政治が流行している。東京都知事選挙に鳥越俊太郎が急遽出馬することになったが、これといった政策も無いけど冥土の土産で手を挙げてしまった。その前は藝人の石田純一が出馬すると言い出して、さっそく記者会見を開き、国会議員選挙でもないのに、日本の外政や安全保障にケチをつけていた。アメリカ合衆国との集団安全保障に反対したければ、衆院議員選挙に出馬すればいいのに、軍事・外政を扱わない都知事になって反戦行政なんてふざけている。どうせ、役者としての仕事がなくなっているのだろう。結局、野党の推薦が得られず、出馬を取り消したそうだが、最初から本気じゃなかったのだろう。筆者は石田氏が主演したドラマを観たことがないので、彼の人気度や演技力を云々出来ないが、昔TVドラマ『マルコ・ポーロ』で石田氏がフビライ・ハーンの皇子チンキムを演じた事だけは覚えている。俳優業のことはともかく、彼が出馬に際し話していた内容に腹が立つ。都知事になって子育て支援をしたかったそうだが、そんなのは親の義務で、都知事が第一に考える事ではなかろう。暴力団や外人犯罪者を取締り、都内の治安維持を強化するなら分かるが、子育てのために税金を配るだけなら誰だって出来るじゃないか。あのセコい都知事の舛添だって、窮地に追い込まれた時、「子育て支援」を重視すると言っていたが、明らかに都民に対する「ゴマすり」だった。

  人気俳優が「人気取り」をするのは当たり前だが、こうした事は軽薄な藝能界ですればいいのであって、政界ですることではない。だいたい、誰も「子育て支援」を全面否定できないんだから、困っている家庭に財政支援とは、一番無難な政策である。しかも、財源が豊富な東京都なら、多少の「ばらまき財政」をしたって非難されまい。しかし、補助金をもらった親は役所に感謝するのか? 確かに、お金をくれる政策に喜ぶ親もいるだろうが、まともに税金を納めている家庭、つまり税金をむしり取られている中流家庭は、太っ腹な支援金の「ばらまき」に眉を顰めるだろう。議員や役人にとったら、都民の税金なんて、しょせん「他人の銭(ゼニ)」である。節分の豆まきと一緒だ。いくら投げ棄てても惜しくはない。一方、お金をもらった都民だって、本当に感謝するとは限らない。江戸時代の水呑百姓に恵むのと訳が違うんだ。都庁前で土下座をして、役人や都知事に感謝することはないだろう。それでも、母子家庭に補助金をくれたり、共働き世帯に保育所を与えたりすれば、担当する議員の評判が上がるので、他の議員もこぞって追随するようになる。しかし、こうした税金で養われた子供が将来、「お役人様、政治家の先生がた、本当に有り難うございました」と謝辞を述べるとは思えない。そもそも、赤の他人から他人の銭をもらって感謝するような子供を育てて、日本が立派な国家になるのか?

一兵卒の親孝行

  日露戦争は我が国にとって運命を左右する壮絶な死闘であった。そこには将校だけでなく、下っ端の一兵卒に至るまで、数えきれぬ悲劇が起こり、無名の兵士一人一人に涙の物語があった。日露戦争における旅順攻撃は酸鼻を極め、血の河ができる程であったという。このような哀しい戦いの中に、ある一つの美談があった。旅順を降伏させるためには、その背面にある白玉山(はくぎょくさん)の敵塁を奪取する必要があっという。そこで、中村覺(さとる)少将は、「白襷隊(しろたすきたい)」という決死隊を組織し、、新市街と旧市街をつなぐ白玉山を占領して、敵軍の連絡路を断ち切ろうとした。作戦が成功すれば、敵軍は分断されて手も足も出ず、旅順は開城となる。したがって、この任務は頗る重大であった。

  既に、名誉ある決死隊に選ばれし勇士は、この世の最後という訳で休養を取っていた。第三軍司令官、所属師団長、旅団長からの酒や肴の供与もあったそうだ。明治37年12月26日、白襷隊は戦闘を開始し、全部隊が一斉突撃を行った。工兵は竹竿に火薬をくくりつけ、鉄条網を破壊し、その突破口から歩兵が突き進んだという。敵の機関銃から弾丸が雨のように降り注ぐなか、我が軍の将兵は「露助(ろすけ/ロシア人)の弾丸なんか当たるか !」と啖呵を切って、猪突猛進。戦場の鬼神と化した日本兵は勇猛果敢、死を恐れず進撃し、銃剣を振りかざしながら、突撃に次ぐ突撃。まさくし肉弾戦だ。そんな中で、一時間の休戦が宣言された。我が軍の将兵は、「うむっ !」と敵を睨みつけたという。

  この休戦中に、白襷隊から一人の兵卒が列を離れたそうだ。彼は松樹山(しょうじゅざん)に布陣していた第十一師団司令部に向かっていた。しかし、そこには土屋将軍と三浦将軍が立っていたという。司令部に戻ってきた兵卒は両将軍を見ると、ひらりと身をかわし、もと来た道を引き返そうとしていたので、副官が二名の上等兵に「あやつを捕まえろ」と命じたらしい。上等兵に捕まえられたのは、田村亀吉(かめきち)という二等卒であった。捕まった田村二等卒は副官のところに連行され、訊問を受けたという。

 副官 「おい、お前は白襷隊の決死隊ではないか。何のために戻ってきたのだ」
 田村 「はっ !」
 副官 「訳を云え。訳を」
 田村 「はっ !」

  戻ってきた理由を答えぬ田村に、この副官は業を煮やした。副官が更に詰め寄っても、田村は固く口を閉ざしていたからだ。「訳は云うことができませぬ。放して下さい。第一線に戻ります」と述べる田村の目には、涙が浮かんでいたという。これを見た副官は、「貴様、命が惜しくなって逃げてきたんだな。決死隊になるほどの名誉をもらいながら、何という不甲斐ない奴だ。こういう弱い奴は日本軍隊の恥辱だぞ。たたっ斬ってしまうぞ !」と怒りを露わにした。すると田村二等卒は口を挟んで遮ったという。

  田村 「私も日本の軍人です ! 命が惜しくて来たのではありません」
  副官 「ならば、何ゆえ引き返してきた ?」
  田村 「実は・・・」
 
  田村二等卒は苦しい胸の内を吐き出すように答えた。

田村 「親の處(ところ)へ、金を送りたいのです !」

  意表を突かれた副官は、将校以外に内地(日本)へ送金できないことを田村に伝えたそうだ。もちろん、田村は百も承知であった。彼が上官に対し顔を上げると、その目からは涙が流れていた。彼は重い口を開いて述べた。

田村 「聞いて下さい。私は歩兵第十二聯隊、第十二中隊の歩兵二等卒、田村亀吉です。郷里は愛媛県温泉郡上山村、七歳の時に母と死に別れました。それから父の手一つで育てられ、家は貧乏であります。それに、父は酒好きです。私は幼い時から父の百姓仕事を手伝っていましたが、不運なことに父は病で半身不随となり、百姓ができません」
副官 「それを、お前が一人でやったというのか?」

  副官の瞳に同情心が現れた。田村二等卒は一人で畑仕事をこなした過去を告げ、飲酒以外何ら楽しみの無い父親についても話したそうだ。彼は酒好きの父のために、食事を取らずに酒を買ったこともあったという。軍隊に合格した田村は、独り残される父を心配し、村役場に後のことを頼んだらしい。事情を伝えた役場から励まされ、「父の面倒は見てやるから」と言ってもらったが、父親の飲酒までは無理だろうと彼は諦めた。そこで、田村二等卒は軍隊からもらえる俸給を全て郷里に送り、寂しい父にその金で酒を呑むよう伝えたという。それだけではない。彼の戦友は事情を分かっていたので、シャツ一枚一銭のお駄賃で彼に洗濯の仕事を与えてくれたのだ。また、班長や上等兵も気の毒に思い、この二等卒に日用品を分け与えていたそうだ。この情けにより、彼は日用品を買う必要が無くなり、その浮いたお金を父親に送ることが出来たという。しかし、戦闘が始まると、兵卒の身分では戦地から故郷に送金することができない。田村は父が酒も飲めなくなってしまい可哀想だ、と心を痛めたそうだ。この話を聞く副官は、感動して「ふむ」とうなるしかなかった。

 副官 「それでどうした?」
 田村 「はっ、戦争になってから二銭づつ多く頂けるので、それを父に送りたかったのであります。それで時々、旅団司令部にいる同郷の吉田上等兵殿に、特にお願いし、悪いことではありますが、うまく野戦郵便局から、父に送って頂いたのであります」
 副官 「ほう」と言って腕を組んだ。「その孝行心ゆえに命が惜しくなったのか?」
 田村 「いいえ」とはっきり答える。「御国(みくに)に捧げた命であります。惜しいなどと考えたことは一度もないのであります」

  しかし、田村は下を向いて、「白玉山の砲台を占拠するためには、私たち兵卒の命を、いくつも捨てなければ奪えません」と現実を述べた。これに「うむ」と頷(うなづ)く副官に対し、彼は「副官殿 ! お願いで御座います。この金を父に送ってやって頂きたいのであります。そして、この田村二等卒を心残りなく死なせて頂きたいのであります」と懇願したという。すると副官は一歩進んで彼の手を握ったそうだ。

副官 「き、貴様は、豪(えら)い奴ぢゃのう !」

 こう述べる副官の両眼からは涙が流れていた。田村は送金してもらえるのかを再確認したという。すると、そこへ意外な人物が現れた。なんと乃木希典大将であった。ちょうど、司令官巡察の時であったからだ。乃木さんは目の前の二人が涙を流しているので、「何事だ ?」と尋ねたのである。涙をすすり上げた副官は「はっ」と即答した。「この二等卒は、豪(えら)い奴でございます」と述べ、乃木将軍に事の次第を説明したという。副官の話を聴いた乃木将軍は、「そうか」とやさしく頷き、鋭い眼光で田村二等卒を見た。「田村二等卒 !」と呼ばれた兵は、直立不動の姿勢で乃木大将の言葉を拝聴したという。

乃木 「判った ! その金は司令部で預かり送ってやる」
田村 「はっ、送って頂けますか?」
乃木 「うむ、だが、この後、決して金など送ってはならぬぞ ! 」
田村 「はっ !」

  田村二等卒は嬉しさのあまり、感涙に咽(むせ)んだという。乃木大将は田村の上官である中隊長の許可を取っていることを確認すると、「早く隊に戻って働かねばならぬぞ」と言い渡した。彼の気持ちは晴れやかであった。

田村 「はっ、閣下 ! 田村二等卒は、もう思い残す處はありません ! 死なせて頂きます。日本の兵隊らしく立派にやらせて頂きます !」

  田村は金を渡すと、勇みだって前線へと戻っていった。白襷姿で部隊に戻って行く姿を眺めながら、乃木大将は粋な計らいをすることになる。

乃木 「天晴れな親孝行ぢゃ。副官、わしが、あの二等卒の金に少し足してやる !」

  こう述べると、乃木司令官は結構な金額を加え、事情を認(したた)めた手紙を添えて、田村の郷里にある役場に送ったという。しばらくして、その金と手紙が愛媛県の役場に届き、村長と助役が立ち会って、師団司令部からのお金と書面を繙(ひもと)いた。さっそく書面に目を通し、それを読み終えた村長は、はらはらと感動の涙を流し、田村二等卒の父、宗右衛門(そうえもん)は良き倅(せがれ)を持ったものだ、と感心したそうだ。村長は側で一緒に目を潤ませていた助役に、宗右衛門を呼んでくるよう頼んだ。役場に来た父の宗右衛門は、村長から事情を聞き、息子からのお金を渡されると、我が子への思いで胸が詰まり泣き出した。

宗右衛門 「倅が、いま、戦死するという間際まで、この私に酒を呑ませたい、との気持ちで、食うものも食わずに、金を溜めてくれたとは。そして、司令官閣下や師団長閣下や、お偉方から金を増やして頂いて、う、う、・・・もったいない ! もったいない ! わしゃ、わしゃ、こんな勿体ない金で酒が、酒が飲めますか、罰が当たります、ばちが !」

  宗右衛門は両袖で眼をこすって、すすり泣いたそうだ。その姿を目にした村長や助役も泣いていたという。

宗右衛門 「村長さん ! 助役さん ! わしは、もう酒は飲みません。鎮守の宮へ願いをかけます。そして酒を断ちます ! 亀吉 ! 亀吉 ! よう、戦場でも、わしの酒飲みを恨まずになぁ !」

  村長が宗右衛門の誓いを褒めると、宗右衛門は息子からの送金を押し頂いた。「この金は使いません ! 宝です。倅の化身です !」と述べたそうだ。こうした父の思いが届いたのか、天はこの息子を見放さなかった。田村二等卒は、幾度も戦場で奮闘し、名誉の負傷に苦しんだが、目出度く凱旋することが出来たという。そして、金鵄勲章七級白色桐葉章を授けられ、故郷で親孝行を続けたそうだ。(松波治郎 『悲絶 ! 壮絶 ! 血涙旅順開城秘史』 漫画時代社 昭和8年 58-70頁。)

親子の情が深かった日本

  日露戦争には美談が尽きない。血腥い殺戮の中に、清らかな逸話がある。田村二等卒の話も、数ある戦争物語の一つに違いない。それでも、こうしたエピソードを聞くと、戦場を知らぬ現代の我々でも涙ぐんでしまうだろう。まもなく自分の命が断たれようとしているのに、故郷に残してきた父親を心配していたのだ。田村二等卒は明らかに死を覚悟していた。激戦で多くの日本兵が壮絶な最期を遂げていたから当然である。だからこそ、規則違反でも、父にお金を渡したかったのだ。それに、敵の銃弾であっけなく死んでしまう兵卒が、最後に口にする頼み事を叶えてやろうとするのは、上官として当然だし人情じゃないか。指揮官なら死に行く兵卒に対し、心の中で「すまん」と述べているはずだ。田村の行動に感激した副官も素晴らしいが、その二等卒に内緒でお金を上乗せした乃木大将も偉い。長男の勝典(かつすけ)中尉と保典(やすすけ)少尉の両方を亡くされた乃木大将らしい、人情味溢れる取り計らいであった。

  明治といわず昭和の末期まで、日本社会では親子の情が深かった。少なくとも、現代ほど親子の絆が細くなった時代は無いんじゃないか。昔の日本は貧しく社会福祉が充分でなかったが、そのぶん助け合いの精神に富んでいた。こんにちのように、家族がいるのに見棄てられる孤独老人は少なかったし、病に伏している親を役所に丸投げする息子も稀であった。親孝行をする子供が多かったのは、親が苦労を苦労と思わず子供のために尽くしたからであろう。自分の身を削ってでも我が子に「人並み」の暮らしをさせたい、と必死になって働く親が当り前であったから、育てられた子供も何とかして親に報いたいと思った。たとえ、働きながらでも僅かな時間を作って猛勉強する者や、学費がかからぬ軍隊に入って親の負担を軽くしようとする者が珍しくなかった。共産主義に惹かれるような不届き者は別として、貧しい家庭に生まれても両親や世間を恨まず、却って奮発し、両親に楽をさせるために頑張ろうとする子供が多かった。現在、豊かな日本に暮らす少年少女は、冷暖房が完備された教室で、快適さを享受しつつ勉強ができ、学費の心配も無く、進学を当然の如く希望し、学習塾にまで通うことができる。だが、こうした子供の何人が、親孝行のために立身出世を望むのか? いったい何人の子供が、親だけではなく日本社会に感謝して、その恩恵に報いるべく、日々努力を積み重ね、いつの日にか偉大になろうと考えているのか? 役所からの「子育て支援」を空気のように「当然」と思っている親に育てられた子供は、自分の親に多少の感謝はするだろうが、自分の人生を犠牲にしてまで親に尽くそうとは思わない。「親孝行」の念が稀薄な子供なら、祖父母への感謝も薄いだろうし、見知らぬ先人ならもっと疎遠なはずだ。ましてや戦場で散った英霊に感謝などしやしない。

  日本の偉人を調べてみると、立派な母親を持つ人が多い。日本の母親は本当に子煩悩で、子供のために苦労を厭わない。自分は食わねども、子供にだけは“まともな物”を食わせたいと考える。だから、昔は内職をしながら子供を育てたり、知り合いに預けて行商に出たり、後ろ髪を引かれながらも工場で働いたり、と様々な苦労をしていた。だから、子供を背中におんぶして働く母親など珍しくなかった。せわしく動き回る母親の背中で寝ているのに、熟睡している子供を見ると周囲の者も心が和んだものである。現在だと、女性が外に出て働く事が賞讃され、政府や地方自治体も、こうした「働くお母さん」を支援すべく、補助金を出したり、保育所を建設したりと大忙しだ。しかし、肝心の子供は幸せなのか? 母親と離れて託児所に預けられ、知らない他人に世話をしてもらっても嬉しくないだろう。確かに、他の子供と遊んで社会性を身につけることは必要だし、自立心をつけることも大切だ。しかし、子供にとったら、ビジネス・スーツを着込んでハイヒールを穿いた「キャリア・ウーマン(career woman)」より、普段着の専業主婦の方が断然いい。会社から給料を運んでくるより、家で愛情を注いでくれる方がいいし、母が居てくれるだけで子供は心が安まるのだ。

  もし、子供に選択権があるなら、大半の子供が「ママと一緒がいい。いつもママと家に居たい。外に行っちゃ嫌だ」と答えるだろう。こうした心からの言葉を聞いた母親は、どう思うのか? 子供の瞳を見つめて「ママは外で働くと輝く女性になれるのよ」と本気で言える母親がいるのか? 母親と一緒にいたい、と涙ながらに訴える我が子に対し、霞ヶ関の高級官僚から吹き込まれた「活き活きとした女性」なんて言葉を吐けるのか? こうした願いを無視して働きに出る母親が素晴らしい、と賞讃するのは、家庭解体を目論む左翼フェミニストだけである。出来るだけ親子の関係を薄くし、砂粒のような子供を作れば、グレた子供やだらしのない子供になる。そうすれば将来、左翼分子になる若者を獲得できるので、社会転覆を狙う左翼にとって都合がいい。親子の情を大切にする正常な母親なら、子供をそばに置いて仕事をしたり、専業主婦が優先される社会を訴える政治家に投票するはずだ。それなのに、テレビ番組では「託児所を増やして欲しい」とか「政府はもっと子育て支援をすべし」といった街頭意見を垂れ流す。もしかしたら、テレビ局員と雇われ回答者との“ヤラセ”問答じゃないのか。

  日本人は母親に対して特別な感情を持っているようだ。日清・日露戦役のみならず、大東亜戦争の時も、戦場で母を気にかけ、ひっそりと感謝の意を表したり、遺書となる手紙を送っていた。日本の将兵は勇敢で、決死隊に属しても臆することはなかったが、故郷に残してきた父や母を心配する者が多かった。自分の命よりも両親の老後を誰が見るのか、が気掛かりだったという。とりわけ、自分を産んで育ててくれた母親に対しては、並々ならぬ感情が湧いてくるので、どうしても心残りが拭えない。我々が戦死した将兵の手紙を読む時、その熱い思いに胸が詰まるのも当然である。玉砕の前に書かれた手紙には、心からの感謝の言葉が認められており、自分を育ててくれた母に先立つ不孝を詫びているのだ。胸が張り裂けるような思いを素直に書き綴った手紙には、亡くなった将兵の涙がこもっている。こうした手紙を読めば、我々だって戦前の親子が如何なる情で結ばれていたかが判るじゃないか。「女性の自立」とか「輝く女性」とかいうキャッチ・フレーズを、ペラペラと喋っている政治家や知識人を見ていると、虫酸が走ってくる。「お母さん !」と最後の言葉を口にできず、絶命していった我が軍の将兵を思うと、涙がこぼれてくる。平和な時代に暮らす我々は、親孝行ができて幸せじゃないか。民進党や社民党の女性議員が、金切り声で「女性のみなさぁ~ん。安心して働けるように、待機児童をなくしたいと思いまぁ~す。どうか、どうか、投票日には清き一票を !!」と叫んでいるが、こうした馬鹿には、できるだけ早く棺桶に入ることを勧めたい。






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