ヘイト・スピーチへの怯え

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(写真 / 秋葉原で最後の演説する桜井誠)

  東京都知事選挙が投票日を迎え、予想通り小池百合子が約291万票を獲得して当選した。案の定、増田寛也の知名度は、終盤戦に於いても絶望的なくらい低く、自民・公明党の推薦があったにもかかわらず、獲得数はたった179万票しかなかった。これは一般の自民党支持者のみならず、動員をかけられた党員にも裏切り者が多く居たということだ。表面では仕方なく増田を応援していたものの、裏ではこっそり小池氏に投票したのだろう。だいたい、増田寛也の顔を見て自民党婦人部のオバちゃんたちが奮い立つのか? ダメ亭主みたいな風貌に加えて、演説に魅力が無く、何を言っても心に響かず、退屈であくびが出てしまう。中には、「増田」という名前さえ覚えられない高齢の有権者がいたり、応援演説に立った石原伸晃まで彼の名前を「増田たくや」と間違える始末。慎太郎の愚息が名前を呼び間違えるから、他の議員も伸晃につられて、「増田タクヤをよろしく」なんて叫んでしまった。宣伝カーの上で側に立つ増田氏は立つ瀬がない。こんな調子だから、党員でもない一般都民になるともっと酷い。ある人は増田氏と握手しながら、本人に向かって「増田さんはどこ?」と尋ねるんだから参ってしまう。選挙公約云々以前の問題だ。

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(左: 小池百合子 / 増田寛也 / 石原伸晃 / 右: 石原慎太郎)

  自民党は巨大な組織だが党員は人間だ。感情が入らなければ、支援している方だって辛い。党本部からの号令で動いている連中だけど、渋々手伝っているのは傍から見ていても分かる。彼らだって増田が当選するとは信じていなかったはずだ。「弾(タマ)が悪いよなぁ~」というのが本音だろう。だって、増田なんかどう見たって、市役所の用務員みたいじゃないか。都知事というより庶務課の係長程度だ。鳥越俊太郎に至ってはもう論外。単に原発反対と憲法遵守くらいが公約で、後は「ガンに負けない」という健康キャンペーンをしているだけ。厚労省の宣伝キャラクターにでも応募した方がいいんじゃないか。こんな二人がライバルなら、小池氏は楽勝だとほくそ笑んだはずだ。彼女は師匠の小泉純一郎を真似て、巨大な自民党に一人で立ち向かう「ジャンヌ・ダルク」を演じればいんだから。公約なんかどうでもいい。どうせテレビを見て投票を決める有権者なんか、大した見識を持っている訳じゃないから、エンターテイメントを重視すりゃOKだ。当選が決まれば彼らは紙屑同然となり、いくらでも騙せる。したがって、小池氏はテレビ映りだけを注意すればいい。竹下登じゃないけれど、演説なんか「言語明瞭、意味不明」で充分。さらしを巻いた女任侠(にんきょう)を気取って、彼女が啖呵を切れば、オッちんゃんオバちゃんらは「よっ ! 大統領。じゃなかった、小池の女将 ! やっぱり粋だねぇ~。小池の姐(あね)さんシビれちゃう !」と感心する。あとは褌(ふんどし)かパンティーを締め直せば勝利したのも同然だ。

Sakurai Makoto 3(左 / 選挙演説中の桜井誠)
  今回の選挙で最も輝いていたのは桜井誠である。有権者に媚びず、自らの信念を貫く姿が凜々(りり)しい。久しぶりに、演説らしい演説を聴いた気分である。たぶん、明治の頃は自らの本音を真摯に語っていた代議士がいたんだろうな。しかし、敗戦後に民衆政治が強化され、国家意識よりも銭の分捕り合戦に焦点が移ったから、選挙は地盤・看板・地盤と、議員の評判を守る為だけの行事に堕ちてしまった。ところが、桜井氏の公約は福祉のバラ撒きではなくかった。東京のみならず、日本全国へ向けてのチャレンジだ。国家意識を喪失した日本人への処方箋を示したのである。さらに、その鋭い舌鋒は、日教組教育で鈍くなった日本人の魂を覚醒させたのである。マイクを握って民衆を叱責する桜井氏は沖天(ちゅうてん)の勢い。日本人が抱く支那人や朝鮮人に対する遠慮を粉砕し、日本人の利益ならびに祖先への敬意、子孫への配慮を訴えていた。自分の国を愛せない左翼が、他人への愛を説くなど笑止千万。「日本第一主義」を嘲(あざ)笑う者こそ、「私益第一主義」という魂胆を持っている。NHKの受信料が視聴者の為ではなく、優雅な生活を送るNHK職員の為になっていることを思い出せば分かるだろう。

水島社長の懸念と誤謬

Mizushima 1(左 / 水島総)
  先週、チャンネル桜の水島総社長のコーナーを視聴した。どうやら、桜井氏の選挙活動をチャンネル桜が取り上げなかった事に不満を持つ番組視聴者がいるらしい。しかし、チャンネル桜が誰を支援しようが、それはチャンネル桜の自由だ。水島社長に文句を言うのはお門違いである。同番組に不満があるなら、自ら体を動かし、桜井氏の選挙活動を支援すれはいい。ただ、番組内で水島氏が殺人鬼の植松聖(さとし)と桜井氏をダブらせていたことには異議がある。過去に行われた在特会のデモ行進で、桜井氏が「朝鮮人をぶっ殺せ ! 朝鮮人を叩き出せ!」と叫んだのは確かである。実を申せば、筆者も民主党政権時代に、在特会の反鮮デモに参加したことがあるからだ。筆者には実際に在特会がどんな集会で、如何なる人達が参加しているのかに興味があった。実態を目にすることは重要である。もちろん、朝鮮人に対する抗議の意図もあった。

  筆者が見たところ、在特会は共産党や創価学会のような鉄の掟で束ねられた組織ではなく、素人の一般人が不満や理念を持って集まるクラブみたいなものであった。在特会の幹部を別にすれば、誰でもデモに参加でき、これといった資格を要求されない緩やかな団体である。したがって、会員や参加者の中には、純粋に朝鮮人への怒りを抱く者や現状の政治を憂える者、朝鮮人への優遇を打破したい者など様々である。もちろん、オープンな市民団体だから、悪意を持った人物や下品な者ばかりではなく、朝鮮人の回し者や在特会を内部から攪乱したい左翼分子が混じってくる危険性もあった。もともと豊富な活動資金を有する政治団体ではないから、有害な人物を摘発・排除したり、密かに監視を行う幹部を持っている訳ではない。したがって、在特会はいつ人的爆弾を仕掛けられてもおかしくはない状態であった。当時、筆者は過激分子で在特会が窮地に陥るだろうと危惧していた。なぜなら、在日鮮人がこうした組織を潰したければ、送り込んだ会員に不祥事を起こさせるはずだ、と推測できたからだ。もし、鉄砲玉がちょっとでも事件を起こせば、マスコミに潜伏した同志がそれを大々的に報道するだろう。そして、事情を知らぬ大衆は、在特会を「ならず者」が集まる極右団体と見なし、決して同調しなくなる。これは多少謀略工作を学んだ者なら分かるはずだ。

  それでも、在特会は左翼マスコミに少なからずショックを与えた。なぜなら、若者がタブーとなっていた朝鮮人特権に堂々と抗議し始めたからだ。テレビと新聞、雑誌を牛耳っていた左翼は、自分たちの縄張りを超えた領域で、新たな世代が誕生したことに焦った。つまり、インターネットの普及だけは、彼らのコントロールが利かなかったのだ。テレビ番組に満足しない若者は、動画の中に毅然として朝鮮人を批判する桜井氏を目にした。それは新鮮であり、かつ衝撃的であった。桜井氏は闇に葬られた歴史を地上に引き揚げ、政府による犯罪統計を根拠とし、常識に基づく正論を貫いたのである。とりわけ、兇暴な顔つきの朝鮮人に対し、一歩も退かなかった。むしろ、自ら進んで挑戦状を叩きつけた。桜井氏が放つ言葉の槍は、朝鮮人に媚びる役所にも向けられたから、観ている者は役所の不正が分かって憤りを隠せない。一般人なら決して気づくこともない、役所の闇を明るみに出したから痛快である。例えば、役人たちは年金受給の資格無き朝鮮老人に、「生活補助金」の名目で実質的な年金を渡していたのだ。また、地方議員による理不尽な圧力や、朝鮮人や支那人といったアジア系外人に対する特別配慮も浮き彫りになった。まったく以て腹立たしいが、「人権」という名の下で、外国人に生活保護が与えられていたのだ。

  水島社長が在特会メンバーによる下品な言葉遣いや殺人教唆めいた煽動を嫌うのは分かる。だが、それを以て桜井氏と植松を同一視することには納得できない。植松に関しては様々な評論がなされており、「ヒトラー思想」を持っていたとか、フリーメイソンの信者だった、障害者を侮蔑する精神の持ち主など、次々と情報が出てきた。しかし、表に出てきた情報のみを考察すれば、この植松は単なる卑怯者で社会のクズでしかない。精神科の医師や心理学者がテレビに登場し、あれこれ専門知識やご託を並べているが、植松は“憂さ晴らし”で大量殺戮に及んだのではないか。植松は大学時代に教師を目指したが、刺青を彫ったので教員にはなれなかった。ということは、世間の常識も知らない馬鹿が教職を目指していたということで、教員になるための知識さえあったのか疑問である。しかも、在学中から脱法ハーブに手を伸ばし、挙げ句の果てに大麻にも手を出していたという。教員になれなかった植松は、運送業の会社に入って運転手をしていたそうだ。これは単に生活の為だけだろう。

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(写真 / 色々な顔の植松聖)

  本気で好きな職業ではないから長続きしなかったのも当然だ。そこを辞めて次に目指したのが、障碍者を世話する福祉施設というんだから呆れる。身体障碍者や智慧遅れ、寝たきりの老人などを看護する職業は、崇高な使命感を持つ人でなければ務まらない。西歐で修道女が養護施設やホスピスを運営できるのは、天主への信仰心が人一倍厚く、不幸な人々への愛に溢れているからだ。キリスト教会の聖職者には人に仕えるという気高い意思がある。そういえば、イエズス・キリストが殺される前に、弟子たちと食事を共にしたことがあった。その時、予想外の出来事があった。師と仰がれているイエズスは、手拭いを腰にまとい、たらいに水を汲んできて、弟子たちの足を洗ったのである。当時、このような足洗いは奴隷がやる仕事で、決して高位の人物がする行動ではない。イエズスは弟子たちの足を洗い終わると、彼らにこう告げたという。

  ・・・主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わねばならない。(ヨハネによる福音書第13章14節)

  つまり、イエズスは弟子に模範を示したということだ。偉い者が敢えて卑しい仕事をするのは、謙虚になるための試練なのかも知れない。高位のラビ(ユダヤ教徒の教師)なんかは、偉そうにふんぞり返って他人に指図するのが常で、自分は上品にタルムード(教典)のお勉強に勤しむだけ。足を洗わず赤ん坊のチンチンを吸うことくらいが趣味という奴も珍しくない。日本の女性は気持ち悪くなるが、ユダヤ教では伝統的儀式だからしょうがない。それはともかく、自活できない他人を介護するのは並大抵の決意がないとできない。それが無いと途中で心が折れてしまう。だいたい、思いつきで就職する奴が真剣に働くのか? 植松に高尚な職業倫理かあるとは思えない。給料目当てで勤めたんじゃないか。だから、嫌な仕事を続けているうちに、身体障碍者への侮蔑が芽生えてきて、「こんな奴ら生きてる価値があるのか?」と考え始めたのだろう。しかし、これは障碍者への差別ではなく、不本意な仕事しか見つからない自分への不満があったからじゃないのか? 惨めな自分を「偉人」にするために、障碍者の抹殺を思いつき、その私慾を隠すために「国家への貢献」とか「ヒトラー思想」を持ち出したんだろう。おそらく、低俗な雑誌か雑学本を読んで感激し、格好をつけたかったんじゃないか? いかにも低能児がやりそうなことだ。

Uematsu 5Uematsu 6(左写真 / 植松の刺青)
  植松が腕や背中に刺青を彫ったのも、みんなに見せびらかして自慢したかったからだろう。これといった能力の無い奴ほど、簡単なことをやらかして格好をつけるもんだ。例えば、タバコを吸って大人のふりをする中学生がそうである。タバコなんて誰だって買えるし、吸ったからとて偉くなるわけじゃない。時間が経てば誰もが二十歳になるのに、それを先に行ったからとて自慢にならないだろう。それよりも、勉強やスポーツに精魂を注ぎ、偉業を達成できるような人物になる方が素晴らしい。ただ、これは地道な努力の積み重ねが必要で、直ぐに披露できる結果に結びつかないから、意気地無しや半端者には不可能だ。植松のようなクズには理解できぬ事柄である。テレビに登場する評論家や藝人は、植松の心理や過去をあれこれ推測するが、そんなのは時間の無駄である。空っぽの頭をした単細胞が、殺人を英雄的行為と錯覚しただけの話である。しかし、この下郎はちゃんと「心神喪失」を前提に犯行を実行していた。つまり、逮捕されても精神喪失を訴えて、刑期を短くしてもらおうと企んでいた。だから、大島衆院議長へ宛てた手紙の中で、刑罰は二年くらいの懲役刑にしてください、と頼んでいたのだ。呆れた奴だが、馬鹿は馬鹿なりに計算していたのである。こんな奴は死刑にすべきで、精神鑑定など税金の浪費に過ぎない。

  水島社長が桜井氏を応援しなかったのは、チャンネル桜の方針だから構わない。しかし、水島社長が気違いの植松と立候補した桜井氏を結びつけるのは、強引な“こじつけ”としか思えず、かなり無理がある。いくら在特会に同意できぬ水島社長でも、桜井氏が「朝鮮人をぶっ殺せ」と叫んだからといって、本気で朝鮮人を殺すとは思っていないだろう。むしろ、桜井氏の周辺に集う仲間の中に過激派が潜んでいる可能性がある。もし、在特会のメンバーや賛同者が朝鮮人に危害を加えるような傷害事件を起こせば、マスコミはこぞって桜井氏との関係を報道するし、朝鮮人排除が刑事事件に結びついた点を協調するだろう。だから、水島社長は桜井氏たちの暴言に警告を発したに違いない。マスコミは国益を考える在特会の意見は無視するが、針ほどの事件を起こせば棒や電柱くらいの扱いで報道するだろう。よくマスコミはテレビ番組や新聞で使わないのに、在特会のデモを撮影したりしているが、それは在特会メンバーが事件を起こした時に特集を組むためだ。左翼は在特会が暴力集団であることを広めたいし、この鮮人差別団体が自滅するよう願っている。

辛いが「大人」の政治運動

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(左: 都知事選挙での田母神俊雄と水島社長 / 右: 小池百合子)

  水島社長が桜井氏と距離を置くのは、その過激な発言への嫌悪感だけではなく、チャンネル桜という組織を防衛するためだろう。もし、気軽に桜井氏を支援すれば、在特会や元会員が起こすかも知れない事件に巻き込まれるからだ。どんな連中が紛れ込んでいるかも分からぬ在特会に肩入れすれば、チャンネル桜へも火の粉が飛んでくるし、局の存続にも影響が出てくる。したがって、制禦できない在特会とは係わらないという水島社長の判断は妥当である。それに、今回の都知事選ではどうしても勝ち馬に乗りたくなるだろう。前回の都知事選では田母神氏を擁立し、大やけどを負ったから、もう二度と危険なギャンブルはできない。当初から桜井氏が当選できないことは明白だ。いくら一部の保守派に人気を博したからとて、東京という巨大な票田では一滴の清涼剤に過ぎない。それよりも、当選確実な小池氏を応援し、貸しを作って後で何らかのお願いを聞いて貰った方が得である。桜井氏を支援したって何の得にもならない。権力者に寄り添った方が悧巧である。

  今回、チャンネル桜で水島社長が、いきなり桜井氏の排外主義と植松の刺殺事件を関連づけたのは、桜井氏を応援しないための口実なのではないか。たぶん、チャンネル桜の視聴者から「なぜ小池氏を応援し、桜井氏を取り上げないのか」という意見が多数寄せられたのだろう。保守派のチャンネル桜としては、反朝鮮感情を持つ視聴者が多いから、彼らを納得させるため、何らかの正当な理由が必要だ。そこで、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論理を組み立てたのだろう。だからこそ、一部の視聴者はその“こじつけ”に気づき、チャンネル桜へ批判を送り、チャンネル桜はそれを撥ねつけながら、断固たる方針を貫いたのかも知れない。国益を重視する保守派なら誰だって、小池氏より桜井氏の主張に共感するはずだ。しかし、現実は損得計算に基づく「大人の論理」で動いている。チャンネル桜の苦悩を理解すべきだ。それに、批判のコメントの中には、チャンネル桜を困らせる絶好の機会と捉え、視聴者の攪乱や保守派の分断を狙った連中がいたから、一概に水島社長を責めることはできない。大きくなった団体を守るのは大変である。小さな組織のうちはリスクを我慢できるが、影響力を行使できるくらい大きくなった組織だと、それを運営するだけでも骨が折れる。だから、気が進まなくても小池氏を担ぎ、惨敗のリスクを回避したかったのだろう。

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(左: 安倍晋三 / 松原仁 / 馬渡龍治 / 右: 西田昌司)

  しかし、ここにジレンマがある。勝ち馬に乗れば利益が大きいが、その代わり不満が鬱積してくるからだ。そもそも、保守派の草莽は、既存の左翼政治が嫌で保守運動を始めたのに、集団の成功を目指すあまり、批判してきた政治家に擦り寄ってしまった。カメレオンのように態度を変える小池氏との同衾(どうきん)では、何の為に努力してきたのか分からない。移民問題や外国人労働者の政策に関し、水島社長は小池氏の回答に満足しいていたが、実際はどうだったのか。そういえば、安倍晋三は保守派国民にとって期待の星だった。ところが、今や移民推進派の旗手になってしまい、チャンネル桜の支援者を裏切った。もっとも、側近が左翼議員ばかりだから、仕方ないという見方もある。だが、金貨で裏切るユダは他にもごまんといた。チャンネル桜はバック・アップした政治家に裏切られてきた。野党時代の松原仁をゲストに迎えていたが、与党になった途端、掌を返して知らぬ顔。民主党で役職に就くと顔を合わせなくなった。以前、日本の素晴らしさを讃えていた馬渡龍治は好印象だったが、落選して細川護煕の都知事選を手伝うようになると、原発反対派になってしまった。更に酷いのが西田昌司。レギュラー・ゲストにしてやったのに、政治的妥協から有田芳生と協調し、言論弾圧法を作ってしまったのだ。でも、こうした例を挙げてチャンネル桜を批判するのは酷だろう。これまで築いてきた同局の功績を考えれば、政治家の裏切りなど些細な事だ。

桜井誠の栄光と伝説

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(左: 硫黄島での海兵隊員の記念碑 /右: 星条旗を掲げるアメリカ軍人)

  筆者の私的な感想で申し訳ないが、秋葉原で行われた桜井陣営の最終演説会を聴いて、心からの感銘を受けた。今まで数々のデモ行進に参加したが、桜井氏のグランド・フィナーレに集まった聴衆は格別だ。確か平成8年(1996年)頃だったと思う。筆者は竹島奪還・韓国への抗議デモに参加ししたことがある。当時はまだインターネットが普及しておらず、参加者募集も困難で、よほど熱心な保守派でない限り来ない。たまたま筆者は「国民新聞」や「月曜評論」、「動向」などを定期購読していたから、抗議デモの情報を掴んでいた。当日、筆者は大通りを行進しながら韓国への反対を叫んでいたが、デモ参加者の中には気恥ずかしそうな人も見られたし、大声を張ることに馴れていない女性もいたりで、今のような堂々としたデモ行進ではなかった。国旗を掲げることさえ躊躇する人がいたくらいである。偶然だけど、筆者は中学生の時、朝礼の国旗掲揚係を務めていたから違和感が無い。第一、戦勝国のアメリカ人が意気揚々と星条旗を振っていたのだ。これを知っていたから、いくら子供とはいえ別段恥ずかしいとは思わなかった。1980年代ならびに1990年代の左翼時代を目撃したから、チャンネル桜のデモに参加した時、みんなが当然の如く日の丸を掲げているのを見て、しみじみ「時代の変化」を感じたものだ。もちろん、桜井氏のような候補者が現れるとは予想していなかった。

Koike Uriko 12(左 / 当選した小池百合子)
  チャンネル桜の支援者や視聴者の中には、小池百合子の最終演説会が行われた池袋に赴いた人もいるだろう。しかし、彼らに本物の“感動”があったのか? なるほど、開票特番で即座に当確が出たから、支持者は歓喜に沸いたに違いない。自分の支持者が当選したから自然な反応である。でも、その感動は二、三日もすれば希薄になるんじゃないか。たぶん、勝利に酔いしれた支持者は、今は何事も無かったかのように暮らしているはずだ。 一般人は堅気の庶民だから、お祭りが終われば、いつもの仕事が待っている。一方、桜井氏のもとに馳せ参じた支援者は彼らと違う。勝ち馬が放つ権力の香りを求めたのではない。既存の候補者なら絶対に口にしない“自爆的”発言を聞きに来たのだ。桜井氏の落選は百も承知である。だが、それでも彼のもとに行きたい。何か心の底から湧き上がるものがある。我々の肉体に燻っている「情熱」だ。祖国への愛だ。これといった権力を持たない草莽は、敗北必然の桜井氏に喝采を送りたかった。当選しなくたって負けじゃない。マスメディアが無視しようが、桜井氏のオーラは消えないし、益々その輝きを増している。なぜか? それは桜井氏が日本を心から愛する草莽の心に火をつけたからだ。そして、彼らの胸にともった炎が桜井氏の雄姿に注がれたからだ。チャンネル桜と水島社長が逃したのは、この眩しい愛国的草莽の輝きである。

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(写真 / 秋葉原に集まった桜井氏の支持者)

  いかなる団体にも栄枯盛衰がある。保守派と見なされた雑誌の『諸君』は廃刊となり、生き残った『正論』や『Voice』、『WiLL』なども昔ほどの魅力は無い。『文藝春秋』に至っては菊池寛もピックするほど左傾化した。残念ながら、やがてチャンネル桜にも衰退がくるだろう。しかし、チャンネル桜の視聴者やスタッフの中に、「オレも池袋じゃなく、秋葉原に行きたかったなぁ」とか「本当は桜井の方がいいよなぁ」とつぶやく者がいたら、少しは没落を先延ばしにできるんじゃないか。繰り返すが、チャンネル桜は独立した組織だから、誰を応援するかは桜の勝手だし、小池氏を支援するのを非難することは筋違いだ。桜井氏を応援したい者は、たとえ独りでも応援すればいいじゃないか。世間は小池氏が291万票以上獲得したとはしゃいでいる。そして、左翼どもは桜井氏がたった11万4171票しか取れなかった、と言って喜んでいた。しかし、桜井氏へ票を投じた11万4171名は、彼の激しい魂に共鳴し、確信を持って投票したのだ。そして、勇気と希望を体現してくれた桜井氏に感謝したのである。「テレビによく出ていたから」とか「自民党だから」、「一番勝ちそうだから」、「女性都知事を見たいから」との理由で小池氏に投票した連中とは明らかに違うのだ。負け戦にあえて挑戦する桜井氏に票を投じた都民は、本気で日本を考える人々だった。

  桜井氏の最終演説に馳せ参じた者は、彼の「荒ぶる魂」に触れたはずだ。集まった聴衆は不甲斐ない政治に腹を立て、座して死ぬことができない庶民であろう。何の得にもならない集会なのに、桜井氏に喝采を送っていたのは、心臓の鼓動が高まったからじゃないのか。秋葉原での感動は永遠に皆の心に残るだろう。熱い感動は無益じゃない。桜井氏が喝破した「魂の独立記念日」は聴衆の心を突き刺し、彼らの脳裡に深く刻まれたはずだ。桜井氏が問いかける言葉の一つ一つは、聴衆の魂を根底から揺さぶり、日本人として生まれた事実を覚醒させ、一歩も二歩も前進させたのだ。秋葉原の駅前広場に響き渡った「魂」の歓声は、決して消滅することはない。たとえ権力者が押さえつけても、その都度浮かび上がってくる。歴史に刻まれた言葉は誰も消すことはできない。勝ち馬に喜ぶチャンネル桜の支持者は、本心から小池氏の当選に感動したのか? 駆けつけた池袋で、桜井氏の叫びを超える言葉を聞いたのか? 心が揺れたのか? 小池氏の勝利宣言は、心臓を鷲づかみにしたのか? 筆者の勝手な感想だけど、チャンネル桜は僅かに沈没した。しかし、心配ご無用。たった花びら一枚ほどの深さである。しかし、小池氏への虚しさが何万枚も降り積もれば、手のひらに感じるほどの重さとなるだろう。桜井支持派にとって秋葉原の集会は、「魂の独立記念日」になった。一方、小池支持に便乗した国民にとっては、「衰退への晩鐘」だ。チャンネル桜の魂が沈まないことを望む。




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