利用された愚かな女子高生

  作家の安部譲二は再犯を繰り返す服役囚や前科者を描いたが、我々はNHKの中に潜む「赤く懲りない面々」を目にしている。8月18日、NHKニュースは「子供の貧困 学生たちみずからが現状訴える」と称する特集を行った。ところが、この取材はNHK記者の戸田有紀がしでかした「政治宣伝番組」であった。戸田記者は杉山麗(すぎやま・うらら)という女子高生に注目し、パソコンすら購入出来ない貧困層の子供として紹介したのである。うららが五歳の時、彼女の両親は離婚し、それ以降、母親が一家の暮らしを支えているそうだ。母子家庭ゆえ、経済的に苦しく、夏でも冷房を使わず、家計を助けているという。将来はデザイナーの道に進みたいと語るうららだが、経済的に厳しいので、50万円ほどかかる専門学校への進学を諦めたらしい。戸田記者は彼女のような子供が他にも多くいると説明し、日本では母子家庭の半数が貧困状態に喘ぎ、先進国の中でも最低の水準であると嘆いている。天下のNHKで記者になれた戸田氏は、経済的な理由で学業を続けられないことで、充分な収入を得られない子供が増加し、それが悪循環となり、「貧困の連鎖」が誕生していると警告していた。

  あぁ~あ、またNHKの十八番(おはこ)、「ドキュメンタリー風ヤラセ番組」だ。世間ではこの女子高生が、貧しい母子家庭なのに、分相応の暮らしをしていなかったことに非難が湧き起こった。彼女はアニメ・グッズ集めに熱中したり、一皿1000円以上の外食をしていることを携帯を使って公開したうえ、人気のあるイベント・チケットまで購入していたからだ。それなのに、番組では貧しさ故にパソコンを購入出来ず千円程度のキーボードだけを買ってもらい、パソコンの練習をしていたのである。番組の視聴者が驚き呆れたのも無理はない。家計が苦しいと言っている割には、高価なコンサート・チケットを買ったり、机の上には約二万円もするペン・セットが置かれていたからだ。しかも、iPhoneらしき携帯電話まで持っていたから、月々の使用料も結構かかっていたはずで、本当に貧しければ、携帯さえ持てないだろう。一般国民が怒るのも分かる。

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(うららが公開した写真)

  ただ、彼女はNHKの戸田記者とスタッフに利用されただけだ。NHKの番組制作者は、最初に結論を決めてから、その目標に適った人物や事件を集め、脚本通りに取材を進めることがよくある。今回の特番も、いつもの「特番ドラマ」に違いない。あの女子高生は制作スタッフの注文に適合した“駒”である。問題になった番組を料理に譬えるなら、お客が食べた料理に蠅が入っていたとか、中味の人参や大根に妙な味がする、と文句を垂れているようなものだ。問題とすべきは安物の食材ではなく、いい加減な具材を選び、それを不味くした調理人の方である。話題となった特番も、NHKスタッフが最初から結果ありきのストーリーを描き、視聴者を誘導する「貧困ドラマ」を作ったことにあるのだ。一般人はとんでもない無駄遣いをする女子高生を責めたが、本来なら、こうした「プロパガンダ・ドラマ」を「報道番組」に粉飾した戸田記者たちを譴責すべきである。ただ、NHKの人間は卑怯者ばかりだから、自分たちの罪を認めず、「事実」を報道しただけと、と押し通すに違いない。あとは少女を責めないで、と庇うだけ。戸田記者はどんな思想や主義を持っているのか明かさないし、私生活でどんな政治活動をしているのかも秘密にするだろう。自分の「プライバシー」を守りながら、公共の電波を使って自分の政治活動をしているんだから狡い。

  今回の番組に多くの非難が一般人から寄せられる中、著述家の古谷経衡(ふるや・つねひら)が、片山さつき参院議員の行動を批判していた。NHKの番組内容に疑問を抱く片山議員は、真相をNHKに問い質すと公言し、世間の注目を集めたという。彼女は外食費を節約すれば、もっと良いキーボードが買えるはずと述べていた。確かに、レストランで洒落た料理を食べずに我慢すれば、4、5千円くらいの品物は買えるだろう。この発言に対し、古谷氏はネット・ユーザーの人気取りに走った片山議員を「拙速だ」と批判している。つまり、片山議員は根拠があやふやな「ネット右翼」の騒動に便乗し、右翼的ネット・ユーザーの御機嫌取りになっている、と警告しているのだ。古谷氏が憤っているのは、公権力を持つ片山議員が、無名の少女を痛めつけていると感じたからだろう。有名人の河本準一ならともかく、今回の相手は素人の高校生だ。政治家が出向くまでもない。要は、NHKを非難する国会議員なら、信用できない「2チャンネル」の情報を鵜呑みにするな、と古谷氏は言いたいのだろう。ちょっと余談だけど、かつて古谷氏はチャンネル桜で番組司会者をしていたが、病気で降板となったらしく、筆者は残念に思っていたが、最近は元気になったようだ。今月、偶然にも支那人特集を組んだ「ビートたけしのTVタックル」を観たら、古谷氏が出ていた。随分と有名になったものだ。もしかして、テレビ朝日の制作者は左翼でも、こっそりチャンネル桜を観ていたのかも知れない。なら、水島社長をゲストに招けばいいのにねぇ。

  筆者には古谷氏が呼ぶ「ネット右翼」がどんな人達か分からないけど、たぶん朝日新聞を支持するような左翼と対極にある人々であろう。でも、彼らの中に「常識派」がいたら、どのような分類になるのか興味がある。しかし、古谷氏が「ジャパン・デビュー」裁判でチャンネル桜が敗訴してから、「ネット右翼」にとってNHKが「巨悪の対象になった」との見解には同意できない。筆者が覚えているだけでも、NHKはソ連の軍事侵攻や支那の腐敗、朝鮮に関する歴史問題、大平洋戦争などで偏向報道を繰り返していた。二、三十年前からだってNHKは良識的国民に嫌われていたのだ。また、雑誌『正論』では故・中村粲教授の「NHKウォッチング」が注目を集め、保守派読者の間では人気があった。とりわけ、NHKニュースの「南京大虐殺」の報道は酷かった。(筆者は中村先生編集の「NHK偏向報道ビデオ・カセットテープ」を持っているぞ。いずれその内容を紹介したい。) こう考えてみると、「ネット右翼」の人々は、過去を知らない若者が主流なのかも知れない。たぶん、古谷氏はネット右翼の身元を知る資料を持っているのだろう。ただ、古谷氏自身も昭和の頃にあったNHKに対する反撥を知らないのかもね。

とんでもないクロウォード・ピヴン戦略

Richard Cloward 2(左: リチャード・クロウォード/右: フランチェス・フォックス・ペヴン)
  NHKが頻りに取り上げる「貧困家庭や母子家庭」を聞くと、筆者は「また例の手口か !」とつぶやきたくなる。というのも、この番組の意図を知った時、悪名高い「クロウォード・ピヴン戦略」を思い出したからだ。1960年代後半、アメリカ人左翼のリチャード・クロウォード(Richard A. Cloward)とフランチェス・フォックス・ピヴン(Frances Fox Piven)が、社会福祉予算の増大を目指し、全米の左翼知識人や有色人活動家を叱咤激励していたのである。この二人は共に左翼活動をライフワークにしていた夫婦であった。夫のリチャードはバプティスト教会で牧師を務めるドナルド・クロウォードの息子で、この父親は過激思想の持ち主だったらしい。アメリカにはリベラル派の牧師が結構いるから、ドナルドも社会改革を訴える革新左翼だったのではないか。母親のエスターは藝術家だったが、女性の権利を主張するフェミニスト活動家でもあったという。つまり、息子のリチャードは左翼家庭で育ったという訳だ。こんな環境で成長したリチャードは、これまた左翼の巣窟コロンビア大学を卒業して学者となった。そこはオバマ大統領が編入先に選んだ大学で、フランクフルト学派の拠点となった悪の巣窟である。

  この左翼学者と結婚したフランチェスも左翼学者だった。彼女はロシアから来たユダヤ人移民の娘で、思春期の頃に米国籍を取得したらしい。両親のアルバートとレイチェルは小売店を営んでいたそうだ。毎度お馴染みちり紙交換じゃないけど、ユダヤ人の娘が左翼活動家になっても珍しくない。ユダヤ人の家庭だと「社会革命」というのが立派なこととされるから、娘が社会党や左翼団体に入っても両親は気にしないケースがよくあるそうだ。(ちなみに、フランチェスは再婚者だったから、クロウォードと結婚しても、前夫の「ペヴン」姓を保持していた。) 日本人でも、ユダヤ人学者ネイサン・グレイザーの著書を読むと分かる。保守的なアメリカ人家庭だと、娘が学生運動なんかしたら大騒ぎだ。ひと様に迷惑を掛けるなんてトンデモない。両親はショックを受けるし、直ちにやめるよう娘を説得するだろう。第一、恥ずかしいじゃないか。下品で反社会的だし。まともな日本人の親なら同じ事をするだろう。ユダヤ人青年の左翼指向は、有名なユダヤ人左翼活動家のマーク・ラッドも肯定していた。マークは大学で暴れまくっていたが、彼の母親もすごかった。この話はまた後で。(本当に、ユダヤ人家庭はおかしい。) そう言えば、作家の塩野七生が学習院大学に通っていた時、学生運動に加わっていたそうで、ある日、帰宅した時に玄関先で父親にビンタされたそうだ。彼女の家庭はまだ健全だった。でも、筆者はこの逸話を知った時、「やっぱりねぇ」と妙に納得した覚えがある。彼女の著作をほとんど読んでいたから、彼女の頭に隠されたリベラル思考が気になっていたからだ。

  話を戻すと、クロウォードとピヴンは1966年に雑誌「ザ・ネーション」に、後に話題となる「貧民の重み : 貧困を終わらせる戦略(The Weight of the Poor : A Strategy to End Poverty)」を発表した。この戦略を解説すれば長くなるので、かいつまんで紹介したい。時は、ベトナム戦争や公民権運動で揺れる1960年代半ばのアメリカ。都市部の黒人やその他の有色人種だと一般的に所得が低く、中には失業中の者や低賃金労働者など様々な下層民がひしめいていた。黒人の母子家庭だと亭主が失踪とか服役中、または殺されたなんてことがざらである。当然、政府からの福祉に頼る貧民が多い。だが、悲しいことに、こうした貧乏人には知識がないから、どんな福祉プログラムがあるのかさえ分からないのだ。また、気づいていないという場合もある。なぜなら、学校でまともに勉強したことがないから、社会のシステムを理解していないし、法律が書いてある文章なんて、自宅や近所で見かけたことがないのだ。法制度に詳しいクロフォードとピヴンは、本来なら福祉受給資格があるのに、福祉をもらっていない貧民が結構いる事を論文の中で指摘し、こうした人々はきちんと貰えるものを貰うべきだと主張した。そして、活動員は無知蒙昧の貧民に受給できる福祉を教えて、その手続きも手伝ってやれと訴えた。

  でも、そんなことを貧民が気づくと、我も我もと役所に押しかけ、「お金ちようだい !」とか「食券よこせ !」、「医療補助は?」、「子供への補助あるんでしょ ?」など尋ね始めるから、地方自治体は支払金の手続きや予算確保に大慌て。町役場は青色吐息になって州政府に、「何とかしてくれ。予算が足りない」と嘆願する。州内の各地域からお金を無心された州政府は、ワシントンの連邦政府に泣きつく。そうすると上院議員や大統領が動くようになり、福祉対策が優先課題となり、巨大な予算が組まれることになる。また、福祉増大による財源の危機は、民衆党の結束を強め、党内での貧民有権者の地位を高めることになるそうだ。従来は、労働組合とか、中産階級、民族集団でバラバラになりがちな民衆党が、政治的に目覚めた新しい貧民集団の出現で終結しやすくなる。つまり、多数の貧民が強力な政治勢力になって福祉予算を要求し始めれば、彼らに引き摺られて他の集団も甘い汁にありつこうとするから、政党に求心力が生まれてくるというのだ。例えば、貧民への福祉プログラムが増えれば、白人リベラルの役人や活動家、福祉関係者などの権限やポストも増える。一つの問題を解決するために新たな役職が複数必要となるから、社会主義者にとっては嬉しい。どうせ、財源は税金で、自分で稼いだお金を使う訳じゃないから、気前よく補助金を配ることができ、そのうえ「良い事をした」と満足感に浸れる。社会主義者の左翼なんて、他人の金で慈善活動するんだから、いくらでも寛大になれてしまうのだ。

  クロウォードとペヴンが考えたことは、なるべく多くの貧民に限度一杯の福祉を与えて、福祉予算を最大限に肥大化させ、国家的危機にまで導き、福祉政策を国家の一番重要な政治課題にしてしまおう、という計画である。この夫婦は無知な貧民に、「遠慮しないで、ドンドン福祉金を役所に請求しなさい。あなたは貰えるはずのお金を見逃しているんだから。福祉を貰うことはあなたの“権利”なのよ。当然の権利なの !」とけしかけていたのだ。正義感をふりかざしたリベラル学者というのは、誰がその予算(税金)を生み出しているのかを問わない。誰が稼いで納税しているかに関心が無いのだ。そもそも、ブルジョアどもは彼らの敵であるから、いくらでもお金を奪ってもいいのである。左翼活動家は身を粉にして働く事はなく、「他人のゼニ(税金)」を如何に再分配するか、という点にだけ注目するんだから、まともな納税者は怒りが込み上げてくる。もし、左翼活動家が自分で汗を流してお金を稼いだなら、絶対に貧民へ分け与えることはあるまい。彼らも多額の税金をふんだくられれば、きっと福祉依存の貧民に、「お前らも働け。家の中でぼけ~としてるんじゃない ! どアホ !」と激怒するんじゃないか。社会主義者には「自助努力(self-help)」という美徳がない。つねに、他人のお金を使うことが「正義」と考えているのだ。更に恐ろしいのは、一旦ある福祉部局ができると、その組織には終焉がないとい事である。つまり、貧民が消滅することはないから、営利目的ではない福祉職員は永久に安泰だ。これが政府機関と民間企業との著しい違いである。

貧困家庭の連鎖

  福祉問題に取り組む場合、厄介なのは福祉を貰っている受給者に精神的缺陷(けっかん)があるということだ。全員というわけではないが、離婚して貧しい母子家庭になる女性には、毅然とした女性とか能力の高い女性が少ない。夫婦の諍いには知的能力とか所得は関係無いが、別れた後の生活様式に問題があったりする。何と言うか、「だら~とした、無気力な暮らし向き」になってしまうのだ。ただ、夫の暴力が原因で別れた専業主婦は気の毒で、何とか自立してもらいたいが、これといった職歴や能力のない女性だと就職が難しい。雇ってもらえる職種も限られているし、賃金だって安いから子供を抱えて生活するのは大変だ。しかも、子供手当などを受給するため、所得を高くすることもできない。したがって、まともな給料を稼ぐことができる場合でも、勤務時間を短くして給料の額を抑えなければならないから、昇進ができるような働き方はできないだろう。すうっとパート・タイマーといった身分に留まるしかない。このような状態だと、いつ解雇されるか分からないから生活か不安定になって、よけい自立しにくくなってしまう。福祉依存のために低所得を“続けなければならない”とは、本末転倒である。

  離婚しても能力のある女性ならいいが、何をやらせても“ダメ”な人も居るもので、いわゆる「使いものにならない人」はどうしようもない。これといった才能も無ければ、根性・気力・体力も無い。中学・高校の頃から凡庸で、勉強は「中の下」くらいで物覚えが悪い上に、不器用で態度が悪かったりする。これは偏見になってしまうが、もしも容姿が悪い、あるいは“パッ”としない、好感度が低い人だと、就職の面接でマイナスとなる。外見での判断は良くないが、渡る世間には不平等がある。例えば、哀しそうな美人とかを見ると、採用するスケベ爺が色心を出して雇ってくれることもあるのだ。刑事裁判でも、被告人が美人だと、男の裁判官は「反省してるみたいだなぁ」と判断し、判決にちょっと手心を加えることもあるそうだ。逆に、ブスだと「なんだそのツラは ! ちゃんと反省しているのか ?」と疑ったりする。単に「ふて腐れた」ように見えてしまう顔つきだと、意外な場所で損をすることがある。ひどい話だけど、現実は教科書通りに綺麗事ではすまない。話を戻すと、あまり立派じゃない性格を持ち、生活様式もだらしない女性だと、子供を抱えてどうしたらいいのか分からないし、とりあえず福祉の補助金で生活してゆくしかない。パート・タイムの仕事だって、スーパー・マーケットのレジ打ちか、ファミリー・レストランの女給、コンビニの店員くらいしかないから、低賃金労働者のままだ。何年働いたって技術者になれない。水商売を選べば高給取りになれるが、美しさの「賞味期限」というか「耐久年数」が短いから、中高年以降はきつくなる。ドラマ「黒革の手帖」に出ていた山本陽子なみの女性なら別だが。(譬えが、ちょっと古いか。 今だと、どんな女優になるのかなぁ? 筆者はライリー・キーオゥ(Reily Keough)くらいしか思いつかない。)

  以前、ある報道番組で福祉を貰っている子持ちの女性を観たが、彼女はたった4、5時間のファミレス女給の仕事で、「あぁ~、疲れちゃった」と愚痴をこぼしていた。筆者は「これくらいの労働でか?」と呆れたが、彼女からすれば重労働なんだろう。なにしろ、外の仕事と家事と子育てがあるんだから当然なのかもしれない。でも、昔の農家では、母親が野良仕事と家事を両立し、田植えで腰が曲がるほどの仕事をしていたのだ。もちろん、電子レンジ、電子炊飯器、洗濯機、掃除機などは無い時代だ。毎日がサマー・キャンプみたいで、釜で御飯を炊き、風呂は薪で用意する日々は骨が折れる。現代の母子家庭の女性だと、都市の生活に子供の頃からどっぷり浸かった人が大半だから、農村や漁村での生活なんて想像できないんだろう。厳しい意見になるが、本当に惨めな福祉生活から抜け出したかったら、厳しい労働を選ぶしかない。政府は農家の人口減少を食い止めたいと考えているなら、貧困女性に農業に就くようすすめ、休耕地でも耕してもらえばいい。果樹園だって人手不足だ。熟練の農民が技術を教え、20年働いたら土地を彼女たちに無償供与するとか、何かできるんじゃないか。例えば、麻を作る特殊な農民になってもらえば助かるし、低所得に喘ぐ母子家庭の子供が、後継者不足の造船工場や鋳物工場の技術者になれば素晴らしい。

  母子家庭はお金だけもらっても、安定した生活など持てない。貧乏な母子家庭の子供は低学歴の低所得者になるという悪循環が続くだけだ。貧困家庭だと、親は子供の世話だけで精一杯で、とても勉強のことまで見てやれないのが現実だ。第一、親自身が勉強したことがないから無理もない。子供だって学校の友人を見れば羨ましくなる。番組で紹介された「うらら」という女子高生も、視聴者からは贅沢をしている、と非難されたが、彼女としては自分なりに慎ましい生活をしていたつもりなんだろう。「ワンピース」のグッズを集めたり、人気歌手のコンサートに行ったりしたのも、節約生活を普段強いられている反動ではないのか? 周りの友人と平等になりたい気持ちを当然持っているだろうから、彼女は高価な物を買えない代わりに、少額のグッズにお金を使ったのではないか。彼女の部屋にぎっしり詰まっていた小物の数々は、長年に亙って買った雑貨の集積なんだろう。彼女の親も子供に惨めな思いをさせたくないから、自分の出費を抑えて子供に小遣いをあげていたんじゃないか。だから、あの親子を責めてもしょうがない。NHKは福祉予算の肥大化を願っているだけで、貧困家庭の解決には興味が無いのだ。彼らの左翼仲間が集う厚労省や社会福祉組織で、より多くの予算が支給されれば満足なんだから。

  女手一つで我が子を育てる破目になった女性は大変だが、母子家庭で育つ子供だけは、何とかしなければならない。日本は豊かな社会で平等主義が徹底しているから、学歴はもちろんのこと、生活水準でも「人並み」にしたがる。年頃の女の子なら、流行の服装や化粧品を買いたくなるし、友人と一緒に旅行やショッピング、コンサートなどに行きたくなるだろう。しかし、貧しさゆえに不可能となれば、どこか性格が歪んでしまい、性格がネガティヴになってしまう虞もある。成績が悪ければ進学できないから、低賃金の職業にしかつけず、しかも怪しい男性と付き合って結婚したりするから、碌でなしの亭主と分かって離婚することも考えられる。実際、壊れた家庭が継承されるということはよくある。筆者は米国で低所得の黒人を見たことがあるが、彼らはまず精神的に「ダメ」な人々である。元々、家庭の躾けがなっていないから、仕事でも成功しないし、家庭生活もすさんでしまうのだ。下層階級から抜け出せないので、その子供や孫までも下層民のままである。日本でも他人事ではない。乱暴な言い方だが、凡庸な子供は進学などしないで、農民か職人になる道を選んだ方が良い。手に職をつけて地道だが、堅実な人生を歩ませることだ。アニメのデザイナーなんて、余裕のある家庭の子供が就く仕事と割り切り、諦めるべきである。

  機会があれば岡野工業の岡野雅行・社長や旋盤工の小関智弘の話を紹介したい。堅気の職人とか健全な農民は、NHKの左翼職員みたいにならない。世間のしきたりや常識を守って、平凡に暮らす庶民なら、他人のお金をもぎ取ってばらまきたいとは思わないだろう。どうしても福祉予算を増やしたいなら、2、3千万円の給料から貧困家庭の親子に寄附すればいいじゃないか。でも、年収が2千万円に低下して嘆いているのが、NHK職員なんだから、気前よくチャリティーなどできないだろう。女房相手に、「たった二千万円でどうやって暮らしていったらいいんだ?」と愚痴をこぼす奴がいるらしいから、NHKの主張なんて無視するに限る。貧しい母子家庭の福祉を増額したければ、NHKへの予算を大幅に削減したらどうなんだ。NHKのスポーツ・音楽・娯楽番組を全部廃止すればいいだけだ。何百億円も浮けば、大勢の親子が助かる。でも、そうしたら今度はNHK元職員の、豪華な貧困生活を特集するかもね。 




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