またもや外人系ミス・ジャパン
ちょいと前、英国「デイリー・メイル」のサイトを斜め読みしていたら、「ミス・ワールド」日本代表の記事が出ていたので目を通してみた。しかし、優勝者の顔写真を見るとびっくり。日本人離れした日本代表者だったからである。「またか !」と思ったが、民間組織のページェントなのでしょうがない。コンテスト優勝者は、プリヤンカ吉川(Priyanka Yoshikawa)さんという名の女性で、日本生まれの日印混血児である。彼女の父親はインド人で、母親が日本人であるという。でも、家族名は日本風だから、たぶん母親の姓を取ったのであろう。よく日本に住む混血児は、外国人の片親を「誇りに思います」と言う割には、母親と一緒になって父親の姓を避けたりする。例えば、朝鮮人や支那人の親を持つ子供は、母親の日本名を欲しがる。理由はイジメに遭うからとか、いちいち他人へ説明しなくても済むから、とまちまち。プリヤンカは自分と母親が、なぜインド姓を採らなかったか、については語っていない。よく西歐人と結婚した日本人女性は、亭主の姓を名乗るのに。例えば、テニス選手のクルム伊達公子がそうで、夫であるミハエル・クルム(Michael Krumm)の姓を付け加えている。(結婚当初は「クルム公子」だったらしい。) もし、彼女が「金」や「朴」といった朝鮮人と結婚したら、「金伊達公子」とか「朴公子」としただろうか? きっと、夫の方が「伊達」の姓を名乗っていたに違いない。有名選手が朝鮮の姓に変えるなんて屈辱だろう。涙が溢れてくるじゃないか。それに、もし何かの大会で「金公子、銅メダル獲得 !」じゃ、名前とズレている。金を目指して銀に終わっても格好悪い。
屈折した精神を持つ歐米のジャーナリストは、日本の人種差別を喜んでいる。浅黒い吉川氏が優勝したことを受けて、「ミス・ユニヴァース」日本代表になった宮本エリアナを思い出した日本人が、またもや人種的偏見を露呈している、と報道していたのだ。しかし、歐米も左翼思想に染まる以前の社会なら、土着の白人と違う有色人種が代表者になる可能性は極めて低かった。ミス・ワールド大会が発足した1951年に優勝者となったのは、スウェーデン女性で白人だった。まさか、第一回の世界大会でアフリカ黒人やインド人が、ミス・ワールドになるわけないだろう。当時は有色人種と白人との結婚はもちろんのこと、両者のキス・シーンでさえ忌み嫌われていたのだ。だから、人気シリーズの「スター・トレック」で異人種間のラヴ・シーンがあったときは、観客から猛烈な抗議があったという。1950年代のアメリカで、「ミス・アメリカ」が黒人とかアラブ人、南米系インディオ女性になることはまずあり得なかった。そんなことしたら、「ミス・ワールド」の存在自体が危うくなる。
(写真 / ミス・ブラック大会に出場したミスコン美女たち)
一般の日本人の中には、日印混血児が「ミス・ワールド」の日本代表になったことへ違和感を感じる人がいる。筆者も同じ気持ちだったので彼らに同意する点も多い。でも、所詮は一民間団体のイベントなので、それ自体には目くじらを立てる程でもないと思っている。ただし、代表に選抜された吉川氏を利用する周囲の者やマスコミには異論がある。例えば、ミス・ワールド日本事務局の魂胆だ。日本大会は大橋一陽・社長が率いる「クー・インターナショナル(Koo International)」という会社が運営しており、同社はインドに進出する企業をサポートする業務を行っているらしい。また、同社はインド人の人材を紹介・斡旋するサービスや、インドのPRも行う国際ビジネスを展開しているそうだ。インド進出企業向けの戦略なのか、同社は元駐日インド大使のアフターブ・セット氏を取締役に雇っているという。まさか、商売の宣伝として、またインドへのゴマすりとして、プリヤンカ吉川氏を日本代表にしたのではあるまい。そんな事をする会社とは思えないから、たぶん偶然の一致か、全く予想もしていなかった事態なんだろう。だから、良い子のみんなは、「腹黒ろ~い !」なんて言っちゃいけないよ。コンテストの審査は公平無私なんだから。(とは言っても、実際どんな尺度や議論で吉川氏が選ばれたのか分からないから、部外者には判断のしようがない。)
(左: 大橋一陽 / 中央: アフターブ・セット / 右: インド人女性)
ちょっと余計な話をひとつ。ミス・コンテストの話題を耳にする度に思うのだが、どうして女性を水着姿にして品評する大会で、「知性」とか「品格」を審査の材料にするのか理解できない。ミスコン出場者は何らかの筆記試験を受けているのか? 審査員は初めて会う女性の知的側面を短時間で判断し、そのうえ品格があるかどうかまで見極めるんだからすごい。ベテラン刑事並の洞察力を持っている。でも、こんな建前を拵えずに、ただ単に「セクシーな体」をしているかどうか、とか均整のとれた体型か、といった項目を審査すればいいんじゃないのか? だいたい、どうして応募者は27歳以下でないと駄目なんだ? それは肉体の若さや肌のつやを重要視しているからだろう。もし、知性を重視しているなら、年齢を重ねた中年女性でもいいはずだ。思慮と知識を増した女性であっても、たるんだお腹や垂れ下がった乳房じゃマズイのだろう。そういえば、在京テレビ局の女子アナ採用も似たり寄ったりだ。なぜか新卒の美人が多く採用されている。たぶん容姿で採用しているからなんだろう。(「ホンマでっかTV」に出演している澤口俊之先生は美形アナの加藤綾子が気に入っているようだが、筆者はBSの歴史番組に出ていた小林悠とか滝川クリステルの方が好みなんだけど。まぁ、女子アナの「知性」や「品性」なんかは、いくらでも演技で誤魔化せるから、長く付き合っていない部外者には分からない。ただ、有賀さつきには「知性」が乏しいと推察できる。ちょっと古いか。)
何とか理屈をつけても、結局は審査員の個人的好みで、代表者や優勝者が決まる訳だから、「世界一」を決める尺度なんて端から無いんじゃないか? ミス・ユニバースで日本代表になった中沢沙理さんや、ミス・インターナショナルで日本代表となった本郷李來さんを見ても分かる通り、世間の賛否が分かれている。もし、審査員がデブ好みなら、相撲取りのような体型の女性を選ぶし、モンゴル人に興奮する審査員ならば、朝青龍や白鵬みたいな顔つきの女性を選ぶだろう。もし、ゲルマン系美女を優先する審査員だと、北歐人かそれに類するブラジル代表かベネズェラ代表を選んでしまうかも知りない。南米諸国だと、インディオ系の女性ではなく、現地人と異質な西歐的美女が代表になっていたりする。しかし、様々なイベントが乱立する現代で、今更ミスコンで美女を決めるなんて時代遅れである。
そもそも、本当に美人なら「ヴィクトリア・シークレッツ」で下着モデルになっているし、「スポーツ・イラストレイテッド」誌で専属モデルになっているはずだ。もっと言えば、応募しなくてもスカウトされる事もあるはず。現実的見地からすれば、こうした会社の方が、女性の審査が厳しい。お金を払うお客相手の商売だから、「知的な一面」とか「内側から滲み出る美しさ」なんて戯言(たわごと)は吐かない。露骨に別嬪(べっぴん)かどうかだけ。お客は女性の頭の中に興味は無い。ちょっと有名なモデルを思い浮かべれば直ぐ分かるだろう。例えば、アレッサンドラ・アンブロシオとか、ケイト・ボック、カミール・ロウ、イザベル・ゴウラート、アンニュ・ルビック、エミリー・ディドナト、シンディー・クロフォード、ヒラリー・ローダなど、いくらでも挙げることができる。今では、ミスコンというのは、ファッション・モデルや女優になれないB級女性がスターになるための登龍門というのが実態だ。
話を戻すけど、日本人離れした顔つきの吉川氏が、世界大会優勝者になろうが、最下位のビリになろうが、そんな事はどうでもいいことで、問題は邪悪な歐米のマスコミや日本の左翼メディアが、日本の民族的同質性を攻撃し、我が国を多民族・多文化社会に変えようとしていることだ。日本人が吉川氏や宮本氏のような、インド系・アフリカ系の容姿に拒絶反応を示すことは自然な事だ。人間は視覚で相手を峻別する性質を持っているし、同質的な種族に近親感を覚える動物である。日本人はアジア大陸の民族とは異質で、別の文化圏に属しているから、アジア系混血児を「仲間じゃない」と判断してもおかしくはない。歐米の白人は国家破壊思想に染まっていて、自国の人種を憎むよう教育されているから、無意識のうちに日本の同質性に敵意を抱いてしまう。それに、西歐の人種を抹殺したいユダヤ人に教育界とマスメディアを支配されているので、ゲルマン系白人の遺伝子を賞讃できないのだ。本来なら、各国民は自らの遺産を誇りにする権利を持っているはず。もし、アラブ人やシリア人が古代文明を誇っていいなら、ギリシア人も白色の大理石で作ったアーリア人の彫刻を自慢して良いし、ドイツ人はキリスト教ではなく、古代のウォーデン神やトール神を自らの宗教としてもいい。アフリカのホッテントットが、その突き出た尻を「セクシーである」と考え、外人を含めたみんなに見せびらかしていたのなら、ドイツ人もゲルマン種族の肉体美を自慢してもいいはずだ。黒人の美的感覚は“文化的に”良くて、白人のは”政治的に”駄目というのでは不公平である。
日本人が日本人の好みで、女性の美を決めるのは日本人の勝手である。もし、日本人がゲルマン人との混血児を好み、アフリカ人との混血児を嫌っても、それは音楽の趣味と同じで、客観的な基準を設定して判断したものではない。美術でも、ミケランジェロの彫刻が最高で、ダ・ヴィンチの絵画は少々劣る、なんていう評価は意味が無い。芸術は見る者の心で判断するものだ。日本において、フェルメールの絵に10億円の値がつき、ルノワールの絵に20億円の札がついても、それは日本人の勝手である。非難する外人が、フェルメールの油絵を30億円で買えばいいだけの話だ。歐米人は心の底で、「白色美人が自分たちの代表的女性なんだ」とか「黒人やアジア人なんか美しくない」と思っていても、口に出して発言する「自由」を持っていないから、精神がいじけてしまうのであろう。だから、“素直”に「インド系じゃ嫌だ」とか「黒人は日本人じゃない」と言える日本人が羨ましいのだ。「言論の制約(不自由)」に苛立つ歐米人は、その息苦しさを味わっていない日本人を許せない。彼らは言外に「オレたちと同じ苦しみを味わえ」と叫びたいのだろう。たぶん、歐米人が“本当”に“美しい”と思う「白人女性」を選抜できたら、日本人が誰を選ぼうが気にしないはずだ。仮に、世界大会で日本代表やインド代表、あるいはコンゴ代表の女性を全員落として、北歐系女性ばかりを優勝候補にしても、なんら疚しいことはあるまい。審査員が「美しい」と思った女性を選んだだけだ、と言い張れば、それ以上の非難は起こらないだろう。アジア人やアフリカ人が文句を垂れるなら、「ミス・白人大会」とか「ミス・西歐」とかの美人コンテストを別に開けばいいじゃないか。そしたら、もっと話題になって、歐米人の関心が湧き起こるかも知れないぞ。
複雑な心境を抱える混血児
吉川氏を擁護するマスコミには、フランクフルト学派的ないしユダヤ人的破壊思想が隠れている。ヨーロッパ世界に寄生するユダヤ人は、長年に亙って異質な民族を迫害してきた白人どもが許せない。傲慢で自らの容姿に自信たっぷりのヨーロッパ人が憎い。鏡を覗いたユダヤ人は、その中に映ったセム人的顔面に絶望感を抱く。「どうしてゲルマン人に生まれなかったのか?」と嘆くユダヤ人は、自己嫌悪のユダヤ人となる。詩人のハインリッヒ・ハイネやイスラエル建国の父テオドール・ヘルツェルが、その典型である。日本を殊さら糾弾する歐米のジャーナリストには、白人左翼が多いけど、その中にユダヤ人が混ざってる。新聞社や雑誌社のオーナーがユダヤ人なんだから、その報道姿勢が反歐米的、反白人的で、キリスト教や西歐の伝統に悉く悪意を示すものであっても、何らおかしいことでもない。いかなる種族でも平和的に共存できるのがユダヤ人の理想である。ただし、その例外はイスラエルで、冷酷な黒人差別やアラブ人虐殺をしてもお咎め無し。ユダヤ人の故郷ではナチズムが国是になっている。(ヘルツェルとヒトラーの類似性については、また別の機会で紹介したい。日本の学者が隠している事や、無知で気づかないことは沢山あるんだ。)
左翼思想で吉川氏を応援するマスコミは問題だが、そのマスコミに同調する混血児も困ったものである。吉川氏は、日本人から同じような非難と差別を受けた宮本エリアナに共感を覚えている。吉川氏は宮本氏が自分に混血少女の道を示してくれたことで大いに勇気づけられた、と語っていた。(22-year-old Indo-Japanese crowned MIss Japan, The Hindu, September 6, 2016) 「私たちは日本人なのよ」と吉川氏は宣言していた。「私は半分インド人だから、みんなは私の“純血性”を訊いてくるけど」と戸惑いをみせるが、インド人の血が流れていることを否定せず、逆に誇りにしていたという。だが、彼女には逃れられない不幸が襲いかかっていた。米国のサクラメントやインドから日本に帰ってきた10歳の頃、肌の色と顔つきがインド的なので、彼女は辛い日々を送ったようで、学校ではイジメに遭ったらしい。学校のみんなは「バイ菌」と呼んだみたいで、彼女に触れると何か汚い者に触ったかのように扱われたという。吉川氏はそのイジメが却って自分を強くした、とインタヴューでは語っているが、本当にそうだったかは怪しいものだ。年頃の娘が同級生から、身体的な特徴を馬鹿にされれば相当傷つくし、陰鬱になることはあっても、それを跳ね返して強くなることはないだろう。年頃の娘なら、色気づいてメークをしたがるが、吉川氏は美肌化粧品を使って、色白の顔にするのか? インドの現地女性は、こぞってイギリス的婦人になろうと、高額な美白クリームを塗りたくって、少しでも茶色い肌を白くしそうと必死になっている。おそらく、インドを知っている吉川氏も、その辺の噂は聞いたことがあるだろう。
アジア混血児は日本で生まれ育つと、精神のどこか片隅に、日本人への憎しみが芽生えてしまう。例えば、彼女は外国に、つまりアメリカやインドに住んでいた時に、「どんな種族の混血児なの?」と訊かれたことはない、と語っている。そんな当り前だ。全世界の人種が群棲するアメリカで、人々が一々「君はどなん種族の両親と祖父母を持っているの?」とは尋ねない。西歐系白人がアジア人にそんな質問をすれば、即座に「政治的正しさ」に違反していると訴えてくるし、そうじゃなくても険悪なムードになるから、こうした問答は御法度だ。黒人の場合、訊いても意味が無い。質問の回答で、相手がエチオピア人とギニア人の混血児と分かっても、黒人は黒人だし、もしケニア人とモロッコ人との混血児と判明したところで、「それがどうした?」という会話になってしまうじゃないか。第一、黒色人種と褐色人種の混血児なんか話題にするのか? 過去を棄ててきた移民の子孫にとって、祖先の国籍や種族は隠すべきもの、すくなくとも互いに詮索しないのがマナーである。こんなアメリカと日本を比較して、「日本はおかしい」とか、「精神異常だ」、「外人に対して閉鎖的だ」と非難すること自体、無意味というか馬鹿げてる。吉川氏はこんな事も分からないのに、「知的な側面」を評価されて日本代表になってんだから、審査員の価値判断はどんなものなのか。
日本人であると公言する吉川氏は、同時にインド人の血筋を誇りにしていたから、幼い時は自分がどちら側の人間なのか、分からなかったらしい。「子供の時、私は自分のアイデンティティーで混乱していました」と彼女はふり返っている。しかし、今は日本人であると実感しているそうだ。でも、それは「依怙地」のような自己識別(identity)で、“本当の”日本人ならそんな意識すら無いはずだ。確かに、我々は外国に暮らすと、強烈な日本人意識を持つことはある。米国や歐洲はもとより、もし反日国家の支那や朝鮮に暮らせば、熱烈な愛国者になって帰ってくるだろう。だが、それは自分の祖先と家系を再認識するとか、日本人の自覚、祖国への愛を取り戻すことであって、自分の体に流れる異質な血を忘れたい、消し去りたいという願望ではないはずだ。吉川氏や宮本氏が自分を「日本人」と認識するのは、日本で生まれ育ち、日本語を話して日本の生活様式に馴染んでいるからに過ぎない。つまり、日本での生活が楽だからである。彼女たちが米国に行った時、リラックスした生活をエンジョイできた、と懐かしむのは、自らの異質な顔立ちを気にせず暮らせたからだろう。したがって、日本に戻ってくると、再び「他人と違う」意識を強いられ、事ある毎に日本人からの視線を無視せねばならない。こんなストレスを毎日感じながらの生活なんて嫌だ。頭が狂ってしまう。いずれにせよ、彼女たちがどんなに「日本人です」と発言しようが、彼女らが無意識のうちに、我々へ怨念を抱いていることは確かだ。
利用されかねない馬鹿娘
こうした緊張と我慢を強いられる混血児は、日本を破壊しようと企む左翼勢力にとって、将来の有望な兵隊となる。日本の伝統や皇室を撲滅したいと熱望する左翼と、日本の民族的同質性から爪弾きにされた混血児には共通点がある。すなわち、日本人であることを当然とし、日本社会にどっぷり浸かっている、呑気な日系日本国民が敵なのだ。北京や平壌の工作員は、純粋馬鹿のアジア系混血児を利用するだろう。もちろん、その混血児は操られていることに気づかないし、自覚症状がないので使い勝手がいい。脚本に沿った反日活動より、自然な暴発の方が迫力があって、彼らの怒りを目にする一般人の心に訴えかけるものがある。もし、浅黒い混血児が政治意識に目覚めれば、日本に潜伏するスパイが資金援助したり、出版社やテレビ局にいる手下をけしかけて、裏工作を仕掛けてくるだろう。例えば、イメージ作戦を使うはずだ。日本人は綺麗事を謳う小娘が好きだからイチコロである。「国際的に開かれた社会を目指すプリヤンカ吉川さん、次期衆議院選挙に出馬する !」とか、「エリアナ宮本さん、英語教育と国際文化を重視する街づくりを目指して、市議会選挙に挑戦 !」なんてキャッチフレーズを掲げれば、脳天気な一般国民は「いいんじゃない」と一票を投じてしまうのだ。ただし、彼女たちの背後には、支那や朝鮮からの息がかかった秘書や後援者が控えており、間抜けな彼女たちに指令を出して動かそうとする。典型的な外国による間接支配だ。
一般国民は「まさか、そんな !」と思うだろうが、既に我々は実例を目の当たりしている。蓮舫だ。彼女は自分のプロフィール(選挙広報)に「帰化」と表示したが、今頃になってそれは「国籍取得」でした、と訂正し、本当の正体を曖昧にしている。法的には1985年に日本国籍を選択し、日本国民になっていたというが、基本的には支那系「台湾人」という意識があったから、「帰化」という言葉を使っていたのだろう。生まれながらの日本人と思っていれば、「帰化」なんて言葉は不用なはずだ。父親が台湾人であったため、蓮舫には常に「台湾人」の血統意識があり、日本国に属しているという意識が極めて薄かった。何よりも、天皇陛下に忠誠を誓う日本人という意識はなかったはずだ。まともな英国人だと、気持ちの悪い「ブリテン市民」なんて用語を使わずに、伝統的な「ブリテン人の臣下(British subject)」という言葉を好む。つまり、女王陛下に従う忠臣とか赤子という意味だ。敗戦前の日本人なら、皇室に忠実な国民なんて当り前だったから、わざわざ「君は国家と皇室に忠誠を誓うのか?」なんて学校や家庭で問わない。祖父母や両親が家に国旗を掲げ、陛下の御真影を拝んだり、出征する将兵に旗を振って見送る環境の中で育てば、自然と日本人という意識が芽生えてくるだろう。現在の日本人が、根無し草の浮浪者になっているのは、こうした家庭環境が消滅したからだ。
ちなみに、蓮舫は野嶋剛(のじま・つよし)のインタヴューを受けて、「日本国籍取得後に台湾のパスポートを使っていない」、と答えていたが、何か変だ。台湾籍を放棄したのに、台湾のパスポートを持っていたような口ぶりである。「使っているのはすべて日本のパスポートです。台湾のパスポートは失効しています」というのは、台湾旅券が手元に存在しないということなのか? それとも、台湾旅券を家の引き出しに閉まってあるが、有効期限が切れているので使っていません、という意味なのか、はっきりしないのだ。通常、台湾のパスポートについて訊かれたら、「日本国籍を取得した時に、台湾側に返却したので、もう手元にありません。だから、私は日本の旅券しか持っていないので、台湾に入国する際、今持っている旅券しか使いません」と答えるはずだ。二重国籍を問題にされてインタヴューを受けているんだから、現在の状態を明確に説明するのが普通である。それなのに、今でも台湾旅券を保持しているかのような言い方で、蓮舫は返却せずに記念品として持っているかのような印象を与えてしまうのだ。こうした受け答えを披露しているから、世間から蓮舫は怪しいと判断されるのである。
蓮舫に工作員疑惑があるのは、彼女が北京大学に留学した時、日本担当の支那人が目を附けた可能性があるからだ。既にモデルを経て有名藝人になっていた蓮舫が、父親のルーツを求めて支那にやって来たのだから、まさしく絶好のカモだ。しかも、テレ朝の「サンデー・プロジェクト」に出演し、支那にべったりの高野孟(たかの・はじめ)が、蓮舫に政治の指南を施していた可能性が高い。とすれば、北京政府が下拵えの出来た台湾系混血児を狙ってもおかしくはないだろう。 支那人は外国で手先を作る場合、同類の現地人をリクルートすることが多い。(カナダでの「サイドワインダー作戦」やFBIに浸透した二重スパイ陳文英Katrina Leung、通称「パーラー・メイド」の話はまた後で。) 日本人は民族や血統で人を判断することを嫌うが、冷徹な支那人工作員は、勧誘する人間の肉体を重視する。精神は肉体に従うからだ。容姿や家系をまず判断材料にするのは当り前。蓮舫はモデルだったから、まず容姿の点で合格だったし、血筋が支那系台湾人だったから、支那文化に親しみを持っていると推測できた。しかも、蓮舫自身が父親の文化に憧れを持っていたから、尚更リクルートしやすい。日本に潜伏する支那人が資金を提供し、幅広い人脈を動員すれば、蓮舫の議員当選は確実だろう。後は当選回数を増やしてやれば、民進党の大幹部になるし、政権を奪取すれば、総理大臣だ。事実、そうなっている。こうなれば、我が国の極秘情報および高度な軍事機密は、北京に筒抜けとなるだろう。したがって、蓮舫に10億円投資しても、充分な見返りとおつりがくる。自衛隊の高級将校は人民解放軍のサイバー攻撃よりも、蓮舫首相からの情報要請が怖い。焦った自衛官は如何に首相の命令に背くかで苦労するだろう。敵国よりも自国の最高司令官が最大の脅威になるんだから、愛国心のある自衛官は馬鹿らしくて訓練に励めない。
ミス・コンテストから政治の話になってしまったが、混血児を政治的に利用する左翼分子が居ることは確かだ。日本を多民族・多文化主義社会にして、伝統的な国民の紐帯をバラバラに切断し、新たなユートピアを築こうとする連中は、アジア系混血児を梃子(てこ)にする魂胆を持っている。肌の色や人相で屈辱を嘗めた混血児は、日本社会を破壊する為の便利な起爆剤となり得るし、わざわざ時間と費用をかけて左翼に洗脳する手間が省けている。躾の良い家庭の日本人をふしだらな左翼活動家にするのは大変だが、最初から憎しみに凝り固まっているアジア人なら、ちょいっと背中を押してやるだけで、反日活動家になってくれるのだ。宮本エリアナを見れば分かる通り、「日本が好きだ」とか「私は日本人です」と公言している口とは違い、目の奥に憎しみの炎を隠している。幼い時から肌や顔を馬鹿にされてきた恨みが、骨の髄まで染み込んでいるから、日本の伝統や民族の遺産を守ろうとする気概が無い。そもそも、よそ者が他人の財産相続人になるのか? 黒い肌に生まれてしまった彼女に、憎い連中の祖先を愛する精神が宿るとは考えにくい。プリヤンカ吉川氏にも同じような憎悪が見え隠れする。象使いの才能くらいなら褒めてやれるが、日本国民を操ろうとする野心が芽生えたら困る。そうならないことを祈りたい。混血児の悲劇は産んでくれた親を恨めず、その憤りを社会に向けるところにある。趣味や思想なら変えられようが、肉体では変えようがない。実に厄介だ。
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ちょいと前、英国「デイリー・メイル」のサイトを斜め読みしていたら、「ミス・ワールド」日本代表の記事が出ていたので目を通してみた。しかし、優勝者の顔写真を見るとびっくり。日本人離れした日本代表者だったからである。「またか !」と思ったが、民間組織のページェントなのでしょうがない。コンテスト優勝者は、プリヤンカ吉川(Priyanka Yoshikawa)さんという名の女性で、日本生まれの日印混血児である。彼女の父親はインド人で、母親が日本人であるという。でも、家族名は日本風だから、たぶん母親の姓を取ったのであろう。よく日本に住む混血児は、外国人の片親を「誇りに思います」と言う割には、母親と一緒になって父親の姓を避けたりする。例えば、朝鮮人や支那人の親を持つ子供は、母親の日本名を欲しがる。理由はイジメに遭うからとか、いちいち他人へ説明しなくても済むから、とまちまち。プリヤンカは自分と母親が、なぜインド姓を採らなかったか、については語っていない。よく西歐人と結婚した日本人女性は、亭主の姓を名乗るのに。例えば、テニス選手のクルム伊達公子がそうで、夫であるミハエル・クルム(Michael Krumm)の姓を付け加えている。(結婚当初は「クルム公子」だったらしい。) もし、彼女が「金」や「朴」といった朝鮮人と結婚したら、「金伊達公子」とか「朴公子」としただろうか? きっと、夫の方が「伊達」の姓を名乗っていたに違いない。有名選手が朝鮮の姓に変えるなんて屈辱だろう。涙が溢れてくるじゃないか。それに、もし何かの大会で「金公子、銅メダル獲得 !」じゃ、名前とズレている。金を目指して銀に終わっても格好悪い。
屈折した精神を持つ歐米のジャーナリストは、日本の人種差別を喜んでいる。浅黒い吉川氏が優勝したことを受けて、「ミス・ユニヴァース」日本代表になった宮本エリアナを思い出した日本人が、またもや人種的偏見を露呈している、と報道していたのだ。しかし、歐米も左翼思想に染まる以前の社会なら、土着の白人と違う有色人種が代表者になる可能性は極めて低かった。ミス・ワールド大会が発足した1951年に優勝者となったのは、スウェーデン女性で白人だった。まさか、第一回の世界大会でアフリカ黒人やインド人が、ミス・ワールドになるわけないだろう。当時は有色人種と白人との結婚はもちろんのこと、両者のキス・シーンでさえ忌み嫌われていたのだ。だから、人気シリーズの「スター・トレック」で異人種間のラヴ・シーンがあったときは、観客から猛烈な抗議があったという。1950年代のアメリカで、「ミス・アメリカ」が黒人とかアラブ人、南米系インディオ女性になることはまずあり得なかった。そんなことしたら、「ミス・ワールド」の存在自体が危うくなる。
(写真 / ミス・ブラック大会に出場したミスコン美女たち)
一般の日本人の中には、日印混血児が「ミス・ワールド」の日本代表になったことへ違和感を感じる人がいる。筆者も同じ気持ちだったので彼らに同意する点も多い。でも、所詮は一民間団体のイベントなので、それ自体には目くじらを立てる程でもないと思っている。ただし、代表に選抜された吉川氏を利用する周囲の者やマスコミには異論がある。例えば、ミス・ワールド日本事務局の魂胆だ。日本大会は大橋一陽・社長が率いる「クー・インターナショナル(Koo International)」という会社が運営しており、同社はインドに進出する企業をサポートする業務を行っているらしい。また、同社はインド人の人材を紹介・斡旋するサービスや、インドのPRも行う国際ビジネスを展開しているそうだ。インド進出企業向けの戦略なのか、同社は元駐日インド大使のアフターブ・セット氏を取締役に雇っているという。まさか、商売の宣伝として、またインドへのゴマすりとして、プリヤンカ吉川氏を日本代表にしたのではあるまい。そんな事をする会社とは思えないから、たぶん偶然の一致か、全く予想もしていなかった事態なんだろう。だから、良い子のみんなは、「腹黒ろ~い !」なんて言っちゃいけないよ。コンテストの審査は公平無私なんだから。(とは言っても、実際どんな尺度や議論で吉川氏が選ばれたのか分からないから、部外者には判断のしようがない。)
(左: 大橋一陽 / 中央: アフターブ・セット / 右: インド人女性)
ちょっと余計な話をひとつ。ミス・コンテストの話題を耳にする度に思うのだが、どうして女性を水着姿にして品評する大会で、「知性」とか「品格」を審査の材料にするのか理解できない。ミスコン出場者は何らかの筆記試験を受けているのか? 審査員は初めて会う女性の知的側面を短時間で判断し、そのうえ品格があるかどうかまで見極めるんだからすごい。ベテラン刑事並の洞察力を持っている。でも、こんな建前を拵えずに、ただ単に「セクシーな体」をしているかどうか、とか均整のとれた体型か、といった項目を審査すればいいんじゃないのか? だいたい、どうして応募者は27歳以下でないと駄目なんだ? それは肉体の若さや肌のつやを重要視しているからだろう。もし、知性を重視しているなら、年齢を重ねた中年女性でもいいはずだ。思慮と知識を増した女性であっても、たるんだお腹や垂れ下がった乳房じゃマズイのだろう。そういえば、在京テレビ局の女子アナ採用も似たり寄ったりだ。なぜか新卒の美人が多く採用されている。たぶん容姿で採用しているからなんだろう。(「ホンマでっかTV」に出演している澤口俊之先生は美形アナの加藤綾子が気に入っているようだが、筆者はBSの歴史番組に出ていた小林悠とか滝川クリステルの方が好みなんだけど。まぁ、女子アナの「知性」や「品性」なんかは、いくらでも演技で誤魔化せるから、長く付き合っていない部外者には分からない。ただ、有賀さつきには「知性」が乏しいと推察できる。ちょっと古いか。)
何とか理屈をつけても、結局は審査員の個人的好みで、代表者や優勝者が決まる訳だから、「世界一」を決める尺度なんて端から無いんじゃないか? ミス・ユニバースで日本代表になった中沢沙理さんや、ミス・インターナショナルで日本代表となった本郷李來さんを見ても分かる通り、世間の賛否が分かれている。もし、審査員がデブ好みなら、相撲取りのような体型の女性を選ぶし、モンゴル人に興奮する審査員ならば、朝青龍や白鵬みたいな顔つきの女性を選ぶだろう。もし、ゲルマン系美女を優先する審査員だと、北歐人かそれに類するブラジル代表かベネズェラ代表を選んでしまうかも知りない。南米諸国だと、インディオ系の女性ではなく、現地人と異質な西歐的美女が代表になっていたりする。しかし、様々なイベントが乱立する現代で、今更ミスコンで美女を決めるなんて時代遅れである。
そもそも、本当に美人なら「ヴィクトリア・シークレッツ」で下着モデルになっているし、「スポーツ・イラストレイテッド」誌で専属モデルになっているはずだ。もっと言えば、応募しなくてもスカウトされる事もあるはず。現実的見地からすれば、こうした会社の方が、女性の審査が厳しい。お金を払うお客相手の商売だから、「知的な一面」とか「内側から滲み出る美しさ」なんて戯言(たわごと)は吐かない。露骨に別嬪(べっぴん)かどうかだけ。お客は女性の頭の中に興味は無い。ちょっと有名なモデルを思い浮かべれば直ぐ分かるだろう。例えば、アレッサンドラ・アンブロシオとか、ケイト・ボック、カミール・ロウ、イザベル・ゴウラート、アンニュ・ルビック、エミリー・ディドナト、シンディー・クロフォード、ヒラリー・ローダなど、いくらでも挙げることができる。今では、ミスコンというのは、ファッション・モデルや女優になれないB級女性がスターになるための登龍門というのが実態だ。
話を戻すけど、日本人離れした顔つきの吉川氏が、世界大会優勝者になろうが、最下位のビリになろうが、そんな事はどうでもいいことで、問題は邪悪な歐米のマスコミや日本の左翼メディアが、日本の民族的同質性を攻撃し、我が国を多民族・多文化社会に変えようとしていることだ。日本人が吉川氏や宮本氏のような、インド系・アフリカ系の容姿に拒絶反応を示すことは自然な事だ。人間は視覚で相手を峻別する性質を持っているし、同質的な種族に近親感を覚える動物である。日本人はアジア大陸の民族とは異質で、別の文化圏に属しているから、アジア系混血児を「仲間じゃない」と判断してもおかしくはない。歐米の白人は国家破壊思想に染まっていて、自国の人種を憎むよう教育されているから、無意識のうちに日本の同質性に敵意を抱いてしまう。それに、西歐の人種を抹殺したいユダヤ人に教育界とマスメディアを支配されているので、ゲルマン系白人の遺伝子を賞讃できないのだ。本来なら、各国民は自らの遺産を誇りにする権利を持っているはず。もし、アラブ人やシリア人が古代文明を誇っていいなら、ギリシア人も白色の大理石で作ったアーリア人の彫刻を自慢して良いし、ドイツ人はキリスト教ではなく、古代のウォーデン神やトール神を自らの宗教としてもいい。アフリカのホッテントットが、その突き出た尻を「セクシーである」と考え、外人を含めたみんなに見せびらかしていたのなら、ドイツ人もゲルマン種族の肉体美を自慢してもいいはずだ。黒人の美的感覚は“文化的に”良くて、白人のは”政治的に”駄目というのでは不公平である。
日本人が日本人の好みで、女性の美を決めるのは日本人の勝手である。もし、日本人がゲルマン人との混血児を好み、アフリカ人との混血児を嫌っても、それは音楽の趣味と同じで、客観的な基準を設定して判断したものではない。美術でも、ミケランジェロの彫刻が最高で、ダ・ヴィンチの絵画は少々劣る、なんていう評価は意味が無い。芸術は見る者の心で判断するものだ。日本において、フェルメールの絵に10億円の値がつき、ルノワールの絵に20億円の札がついても、それは日本人の勝手である。非難する外人が、フェルメールの油絵を30億円で買えばいいだけの話だ。歐米人は心の底で、「白色美人が自分たちの代表的女性なんだ」とか「黒人やアジア人なんか美しくない」と思っていても、口に出して発言する「自由」を持っていないから、精神がいじけてしまうのであろう。だから、“素直”に「インド系じゃ嫌だ」とか「黒人は日本人じゃない」と言える日本人が羨ましいのだ。「言論の制約(不自由)」に苛立つ歐米人は、その息苦しさを味わっていない日本人を許せない。彼らは言外に「オレたちと同じ苦しみを味わえ」と叫びたいのだろう。たぶん、歐米人が“本当”に“美しい”と思う「白人女性」を選抜できたら、日本人が誰を選ぼうが気にしないはずだ。仮に、世界大会で日本代表やインド代表、あるいはコンゴ代表の女性を全員落として、北歐系女性ばかりを優勝候補にしても、なんら疚しいことはあるまい。審査員が「美しい」と思った女性を選んだだけだ、と言い張れば、それ以上の非難は起こらないだろう。アジア人やアフリカ人が文句を垂れるなら、「ミス・白人大会」とか「ミス・西歐」とかの美人コンテストを別に開けばいいじゃないか。そしたら、もっと話題になって、歐米人の関心が湧き起こるかも知れないぞ。
複雑な心境を抱える混血児
吉川氏を擁護するマスコミには、フランクフルト学派的ないしユダヤ人的破壊思想が隠れている。ヨーロッパ世界に寄生するユダヤ人は、長年に亙って異質な民族を迫害してきた白人どもが許せない。傲慢で自らの容姿に自信たっぷりのヨーロッパ人が憎い。鏡を覗いたユダヤ人は、その中に映ったセム人的顔面に絶望感を抱く。「どうしてゲルマン人に生まれなかったのか?」と嘆くユダヤ人は、自己嫌悪のユダヤ人となる。詩人のハインリッヒ・ハイネやイスラエル建国の父テオドール・ヘルツェルが、その典型である。日本を殊さら糾弾する歐米のジャーナリストには、白人左翼が多いけど、その中にユダヤ人が混ざってる。新聞社や雑誌社のオーナーがユダヤ人なんだから、その報道姿勢が反歐米的、反白人的で、キリスト教や西歐の伝統に悉く悪意を示すものであっても、何らおかしいことでもない。いかなる種族でも平和的に共存できるのがユダヤ人の理想である。ただし、その例外はイスラエルで、冷酷な黒人差別やアラブ人虐殺をしてもお咎め無し。ユダヤ人の故郷ではナチズムが国是になっている。(ヘルツェルとヒトラーの類似性については、また別の機会で紹介したい。日本の学者が隠している事や、無知で気づかないことは沢山あるんだ。)
左翼思想で吉川氏を応援するマスコミは問題だが、そのマスコミに同調する混血児も困ったものである。吉川氏は、日本人から同じような非難と差別を受けた宮本エリアナに共感を覚えている。吉川氏は宮本氏が自分に混血少女の道を示してくれたことで大いに勇気づけられた、と語っていた。(22-year-old Indo-Japanese crowned MIss Japan, The Hindu, September 6, 2016) 「私たちは日本人なのよ」と吉川氏は宣言していた。「私は半分インド人だから、みんなは私の“純血性”を訊いてくるけど」と戸惑いをみせるが、インド人の血が流れていることを否定せず、逆に誇りにしていたという。だが、彼女には逃れられない不幸が襲いかかっていた。米国のサクラメントやインドから日本に帰ってきた10歳の頃、肌の色と顔つきがインド的なので、彼女は辛い日々を送ったようで、学校ではイジメに遭ったらしい。学校のみんなは「バイ菌」と呼んだみたいで、彼女に触れると何か汚い者に触ったかのように扱われたという。吉川氏はそのイジメが却って自分を強くした、とインタヴューでは語っているが、本当にそうだったかは怪しいものだ。年頃の娘が同級生から、身体的な特徴を馬鹿にされれば相当傷つくし、陰鬱になることはあっても、それを跳ね返して強くなることはないだろう。年頃の娘なら、色気づいてメークをしたがるが、吉川氏は美肌化粧品を使って、色白の顔にするのか? インドの現地女性は、こぞってイギリス的婦人になろうと、高額な美白クリームを塗りたくって、少しでも茶色い肌を白くしそうと必死になっている。おそらく、インドを知っている吉川氏も、その辺の噂は聞いたことがあるだろう。
アジア混血児は日本で生まれ育つと、精神のどこか片隅に、日本人への憎しみが芽生えてしまう。例えば、彼女は外国に、つまりアメリカやインドに住んでいた時に、「どんな種族の混血児なの?」と訊かれたことはない、と語っている。そんな当り前だ。全世界の人種が群棲するアメリカで、人々が一々「君はどなん種族の両親と祖父母を持っているの?」とは尋ねない。西歐系白人がアジア人にそんな質問をすれば、即座に「政治的正しさ」に違反していると訴えてくるし、そうじゃなくても険悪なムードになるから、こうした問答は御法度だ。黒人の場合、訊いても意味が無い。質問の回答で、相手がエチオピア人とギニア人の混血児と分かっても、黒人は黒人だし、もしケニア人とモロッコ人との混血児と判明したところで、「それがどうした?」という会話になってしまうじゃないか。第一、黒色人種と褐色人種の混血児なんか話題にするのか? 過去を棄ててきた移民の子孫にとって、祖先の国籍や種族は隠すべきもの、すくなくとも互いに詮索しないのがマナーである。こんなアメリカと日本を比較して、「日本はおかしい」とか、「精神異常だ」、「外人に対して閉鎖的だ」と非難すること自体、無意味というか馬鹿げてる。吉川氏はこんな事も分からないのに、「知的な側面」を評価されて日本代表になってんだから、審査員の価値判断はどんなものなのか。
日本人であると公言する吉川氏は、同時にインド人の血筋を誇りにしていたから、幼い時は自分がどちら側の人間なのか、分からなかったらしい。「子供の時、私は自分のアイデンティティーで混乱していました」と彼女はふり返っている。しかし、今は日本人であると実感しているそうだ。でも、それは「依怙地」のような自己識別(identity)で、“本当の”日本人ならそんな意識すら無いはずだ。確かに、我々は外国に暮らすと、強烈な日本人意識を持つことはある。米国や歐洲はもとより、もし反日国家の支那や朝鮮に暮らせば、熱烈な愛国者になって帰ってくるだろう。だが、それは自分の祖先と家系を再認識するとか、日本人の自覚、祖国への愛を取り戻すことであって、自分の体に流れる異質な血を忘れたい、消し去りたいという願望ではないはずだ。吉川氏や宮本氏が自分を「日本人」と認識するのは、日本で生まれ育ち、日本語を話して日本の生活様式に馴染んでいるからに過ぎない。つまり、日本での生活が楽だからである。彼女たちが米国に行った時、リラックスした生活をエンジョイできた、と懐かしむのは、自らの異質な顔立ちを気にせず暮らせたからだろう。したがって、日本に戻ってくると、再び「他人と違う」意識を強いられ、事ある毎に日本人からの視線を無視せねばならない。こんなストレスを毎日感じながらの生活なんて嫌だ。頭が狂ってしまう。いずれにせよ、彼女たちがどんなに「日本人です」と発言しようが、彼女らが無意識のうちに、我々へ怨念を抱いていることは確かだ。
利用されかねない馬鹿娘
こうした緊張と我慢を強いられる混血児は、日本を破壊しようと企む左翼勢力にとって、将来の有望な兵隊となる。日本の伝統や皇室を撲滅したいと熱望する左翼と、日本の民族的同質性から爪弾きにされた混血児には共通点がある。すなわち、日本人であることを当然とし、日本社会にどっぷり浸かっている、呑気な日系日本国民が敵なのだ。北京や平壌の工作員は、純粋馬鹿のアジア系混血児を利用するだろう。もちろん、その混血児は操られていることに気づかないし、自覚症状がないので使い勝手がいい。脚本に沿った反日活動より、自然な暴発の方が迫力があって、彼らの怒りを目にする一般人の心に訴えかけるものがある。もし、浅黒い混血児が政治意識に目覚めれば、日本に潜伏するスパイが資金援助したり、出版社やテレビ局にいる手下をけしかけて、裏工作を仕掛けてくるだろう。例えば、イメージ作戦を使うはずだ。日本人は綺麗事を謳う小娘が好きだからイチコロである。「国際的に開かれた社会を目指すプリヤンカ吉川さん、次期衆議院選挙に出馬する !」とか、「エリアナ宮本さん、英語教育と国際文化を重視する街づくりを目指して、市議会選挙に挑戦 !」なんてキャッチフレーズを掲げれば、脳天気な一般国民は「いいんじゃない」と一票を投じてしまうのだ。ただし、彼女たちの背後には、支那や朝鮮からの息がかかった秘書や後援者が控えており、間抜けな彼女たちに指令を出して動かそうとする。典型的な外国による間接支配だ。
一般国民は「まさか、そんな !」と思うだろうが、既に我々は実例を目の当たりしている。蓮舫だ。彼女は自分のプロフィール(選挙広報)に「帰化」と表示したが、今頃になってそれは「国籍取得」でした、と訂正し、本当の正体を曖昧にしている。法的には1985年に日本国籍を選択し、日本国民になっていたというが、基本的には支那系「台湾人」という意識があったから、「帰化」という言葉を使っていたのだろう。生まれながらの日本人と思っていれば、「帰化」なんて言葉は不用なはずだ。父親が台湾人であったため、蓮舫には常に「台湾人」の血統意識があり、日本国に属しているという意識が極めて薄かった。何よりも、天皇陛下に忠誠を誓う日本人という意識はなかったはずだ。まともな英国人だと、気持ちの悪い「ブリテン市民」なんて用語を使わずに、伝統的な「ブリテン人の臣下(British subject)」という言葉を好む。つまり、女王陛下に従う忠臣とか赤子という意味だ。敗戦前の日本人なら、皇室に忠実な国民なんて当り前だったから、わざわざ「君は国家と皇室に忠誠を誓うのか?」なんて学校や家庭で問わない。祖父母や両親が家に国旗を掲げ、陛下の御真影を拝んだり、出征する将兵に旗を振って見送る環境の中で育てば、自然と日本人という意識が芽生えてくるだろう。現在の日本人が、根無し草の浮浪者になっているのは、こうした家庭環境が消滅したからだ。
ちなみに、蓮舫は野嶋剛(のじま・つよし)のインタヴューを受けて、「日本国籍取得後に台湾のパスポートを使っていない」、と答えていたが、何か変だ。台湾籍を放棄したのに、台湾のパスポートを持っていたような口ぶりである。「使っているのはすべて日本のパスポートです。台湾のパスポートは失効しています」というのは、台湾旅券が手元に存在しないということなのか? それとも、台湾旅券を家の引き出しに閉まってあるが、有効期限が切れているので使っていません、という意味なのか、はっきりしないのだ。通常、台湾のパスポートについて訊かれたら、「日本国籍を取得した時に、台湾側に返却したので、もう手元にありません。だから、私は日本の旅券しか持っていないので、台湾に入国する際、今持っている旅券しか使いません」と答えるはずだ。二重国籍を問題にされてインタヴューを受けているんだから、現在の状態を明確に説明するのが普通である。それなのに、今でも台湾旅券を保持しているかのような言い方で、蓮舫は返却せずに記念品として持っているかのような印象を与えてしまうのだ。こうした受け答えを披露しているから、世間から蓮舫は怪しいと判断されるのである。
蓮舫に工作員疑惑があるのは、彼女が北京大学に留学した時、日本担当の支那人が目を附けた可能性があるからだ。既にモデルを経て有名藝人になっていた蓮舫が、父親のルーツを求めて支那にやって来たのだから、まさしく絶好のカモだ。しかも、テレ朝の「サンデー・プロジェクト」に出演し、支那にべったりの高野孟(たかの・はじめ)が、蓮舫に政治の指南を施していた可能性が高い。とすれば、北京政府が下拵えの出来た台湾系混血児を狙ってもおかしくはないだろう。 支那人は外国で手先を作る場合、同類の現地人をリクルートすることが多い。(カナダでの「サイドワインダー作戦」やFBIに浸透した二重スパイ陳文英Katrina Leung、通称「パーラー・メイド」の話はまた後で。) 日本人は民族や血統で人を判断することを嫌うが、冷徹な支那人工作員は、勧誘する人間の肉体を重視する。精神は肉体に従うからだ。容姿や家系をまず判断材料にするのは当り前。蓮舫はモデルだったから、まず容姿の点で合格だったし、血筋が支那系台湾人だったから、支那文化に親しみを持っていると推測できた。しかも、蓮舫自身が父親の文化に憧れを持っていたから、尚更リクルートしやすい。日本に潜伏する支那人が資金を提供し、幅広い人脈を動員すれば、蓮舫の議員当選は確実だろう。後は当選回数を増やしてやれば、民進党の大幹部になるし、政権を奪取すれば、総理大臣だ。事実、そうなっている。こうなれば、我が国の極秘情報および高度な軍事機密は、北京に筒抜けとなるだろう。したがって、蓮舫に10億円投資しても、充分な見返りとおつりがくる。自衛隊の高級将校は人民解放軍のサイバー攻撃よりも、蓮舫首相からの情報要請が怖い。焦った自衛官は如何に首相の命令に背くかで苦労するだろう。敵国よりも自国の最高司令官が最大の脅威になるんだから、愛国心のある自衛官は馬鹿らしくて訓練に励めない。
ミス・コンテストから政治の話になってしまったが、混血児を政治的に利用する左翼分子が居ることは確かだ。日本を多民族・多文化主義社会にして、伝統的な国民の紐帯をバラバラに切断し、新たなユートピアを築こうとする連中は、アジア系混血児を梃子(てこ)にする魂胆を持っている。肌の色や人相で屈辱を嘗めた混血児は、日本社会を破壊する為の便利な起爆剤となり得るし、わざわざ時間と費用をかけて左翼に洗脳する手間が省けている。躾の良い家庭の日本人をふしだらな左翼活動家にするのは大変だが、最初から憎しみに凝り固まっているアジア人なら、ちょいっと背中を押してやるだけで、反日活動家になってくれるのだ。宮本エリアナを見れば分かる通り、「日本が好きだ」とか「私は日本人です」と公言している口とは違い、目の奥に憎しみの炎を隠している。幼い時から肌や顔を馬鹿にされてきた恨みが、骨の髄まで染み込んでいるから、日本の伝統や民族の遺産を守ろうとする気概が無い。そもそも、よそ者が他人の財産相続人になるのか? 黒い肌に生まれてしまった彼女に、憎い連中の祖先を愛する精神が宿るとは考えにくい。プリヤンカ吉川氏にも同じような憎悪が見え隠れする。象使いの才能くらいなら褒めてやれるが、日本国民を操ろうとする野心が芽生えたら困る。そうならないことを祈りたい。混血児の悲劇は産んでくれた親を恨めず、その憤りを社会に向けるところにある。趣味や思想なら変えられようが、肉体では変えようがない。実に厄介だ。
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コメントを頂き感謝申し上げます。長いことシリアでISISが暴れていますが、なんとも彼らの行動は不可解です。国家建設の気配は一向になく、ただ暴れ回ることが目的のようです。しかも、イスラエルに攻撃を加えないなんておかしい。ISISはイスラエルに都合の良いてろ集団に見える。もしかしたら、モサドの手先が資金を流して育成・支援しているのかも知れませんね。中東アジアの裏側やスパイ網などは証拠を挙げて実証できないので、これからも真相は闇のままなんでしょう。我が国の外交官は素人の集団だから、日本政府は各国の謀略作戦を把握していないと思います。