友よ、さらば!

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  綾小路きみまろの<持ちネタ>に「あぁ、あれから40年、奥様も若い頃はおモテになったのでしょう?」と観客席のご婦人に尋ねる。きみまろが「お幾つで?」と訊けば、妙齢のご婦人は「65歳よ!」と2、3歳ほどサバをよんで答える。すると、「あら !? そんな年に見えない。64歳かと思ったわ !」と述べて、会場のオバちゃん達は大爆笑。「年は取りたくないですね~」と誰もが思う。「白塗りババア」と呼ばれた小池百合子知事も、昔はアシスタントとして竹村健一の横に坐って、ニッコリと微笑むお嬢さんだった。「光陰矢の如し」で月日が経つのは早い。筆者の趣味で恐縮だが、小学生の時に好きだった女優の多岐川裕美や引退したアン・ルイスもだいぶ老けてしまったし、よくレコードを聴いた実力派歌手のしばたはつみや英国人歌手のバーニー・ノーランは病気で亡くなり、懐かしいドイツ人歌手のニーナ(Nena)や「ハート」のナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson)も嘗ての美貌が薄くなった。二枚目俳優の田村正和も、最近では滅多にドラマで見かけないから、きっと引退しているのだろう。(いつか、彼が主演した映画「ラスト・ラブ」についても述べてみたい。もう、爆笑といっていい程のすごい映画である。)

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(左: 多岐川裕美 / 田村正和 / ニーナ / 右: ナンシー・ウィルソン)

  前置きが長くなったけど、国家や人間にも栄枯盛衰があって、特にアメリカの変容と劣化は著しい。我が国が明治の頃、アメリカ合衆国は今とは比べものにならぬくらい素晴らしかった。福澤諭吉や内村鑑三、新渡戸稲造、高橋是清、秋山真之が目にした古き良きアメリカは、江戸時代の余韻が残る日本人にとって魅力的であったらしい。高橋是清なんか、半ば家庭内奴隷のような境遇にあったのに、米国での生活を懐かしんでいた。(彼の自伝を読むと非常に面白い。) 現代の日本人は米国を「あんな金銭至上主義で、差別大国のアメリカなんてゾっとする」と嫌悪感を抱くが、明治の日本人にとってはとても新鮮で、人種差別がある反面、意外と親切で公平さに富み、中々の美徳をもつ国として感銘を与えていたのである。何しろ、出稼ぎに行くなら絶対アメリカと考えていた日本人が実に多かった。それくらい憧れの外国であったということだ。

Hoshi Hajime 1(左 / 星佐吉)
  こんな米国に希望を抱く一人の若者が留学した。星製薬の創立者で、星薬科大学を建てた星一(はじめ/以前の名は佐吉)である。彼の米国滞在は興味深いけど、長くなるのでここでは触れない。ただ、彼が留学前に感動した話がある。当時、佐吉は小学校の教師をしていたそうだ。12歳で教員とは奇妙だが、明治19年の日本はこんなことも可能だったのだろう。それはともかく、明治の頃だと、小学校で使っていた教科書のほとんどは、米国の教科書を翻訳したものであった。ちょうど、フランス的なものからアメリカ的なものへと移行した時期だった。教師用の参考書には、次の様な物語が載っていたそうだ。

  二人の少年が、古い教会の屋根に上がって遊んでいたが、そのうち大きな音をたてて、屋根が壊れてしまった。二人のうち一人は、何とか梁(はり)に掴まることができたという。そして、彼の足首にもう一人の少年が掴まっている、という形だった。そのまま時が流れるが、誰も助けに来てくれない。梁に掴まっている少年が、足にぶら下がっている友人に言ったそうだ。

  「手が疲れて、もう、これ以上は我慢できない」
  すると、足に掴まっていた少年が尋ねた。
  「僕が足から離れたら、君は助かりそうかい?」
  「たぶん、梁の上に上がれるだろう」
  こう聞くと、ぶら下がっていた少年は、
  「分かった。じゃあ、僕から落ちよう。友よ、グッド・バイ」
  (星新一 「明治・父・アメリカ」 筑摩書房 1975年 pp.34-35)
  
  こう別れを告げた少年は、下に落ちていったという。若き星一、すなわち、佐吉少年は深く感動したらしい。彼がそれまで読んできた道徳本には、儒教臭さが滲んでいたから、こんな話は一切無かった。その他のページをめくってみても、ジョージ・ワシントンの少年時代、有名な桜の木を切った話とかがあって、佐吉にとってはどれも目を輝かせるような話で満ちていた。分かりやすくて具体的な逸話は、抽象的で押しつけがましい旧来の教訓とは違っていたのである。アメリカの教科書には、活き活きとした世界が広がっていたのだ。佐吉は生徒を前にして熱弁をふるい、彼の話を聴く生徒たちも強い印象を受けたという。

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(左: フィリス・シュラフリー / 中央: クラーク・クリフォード / 右: 古き良きアメリカ)

  現代の日本人なら、「こんな話はでっち上げで、空想を物語っただけさ」と嘲笑うだろうが、第19世紀のアメリカ社会なら、こうした逸話が誕生するだけの素地があった。今のアメリカは、フランクフルト学派をはじめとする左翼学者や、書斎から破壊思想を語るアームチェア・テロリストなどの影響で、淫乱、怠惰、下品で卑劣になった無知蒙昧の大衆で溢れかえっているが、以前はそんな風ではなかった。少なくとも1960年代前半までは、普通のアメリカ白人は家庭の躾を重視し、下劣な行為を恥じる若者を育てていた。国務長官を務めた遣り手弁護士の(Super Lawyerと呼ばれていた)クラーク・クリフォードが著書の中で述べていたが、彼が若かった頃は、レディー(身なりが正しく気品のある婦人)がエレベーターに入ってくると、男同士の私語を慎んだそうだ。また、女性も家庭を尊ぶ教育を施され、専業主婦は立派な地位を占めていた。これは保守論壇の女帝フィリス・シュラフリーの活動と思想を聞けば分かる。昔のアメリカ人は別人のように保守的だったから、明治の偉大な日本人が感銘を受けたのも当然である。伝統ある英国を尊敬していた日本人は、新興国の米国を馬鹿にする気風もあったが、実際に訪れてみると立派な紳士や軍人がいたので、日本で持っていたイメージを反省したそうだ。米国を訪れた日本人の紀行文や随筆を読むと、驚くような体験記が書かれている。

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(左: 1950年代のクンリト・イーストウッド / 右: 良き時代のアメリカ人家庭)

国旗に恥じぬ行いを

  日本だと家の軒先に日の丸を掲げると、国粋主義的な右翼の家庭と見なされてしまうが、米国だと当り前のように国旗を庭先に掲げていたりする。高校生や大学生だと、自家用車のボディーに星条旗のシールを貼ったり、部屋に小さな国旗を飾ったりと、もう日常生活の一部としてすっかり溶け込んでいる。中には、まだ星の数が少ない頃の古い国旗を持ってる若者だっているから、国旗への愛着は尋常ではない。筆者もある友人から、彼の家に代々伝わる古い国旗を見せて貰ったことがある。その色褪せた星条旗は彼の家宝であったから、取り扱いは非常に丁寧で、日本ではちょっと考えられないくらいだ。アメリカ人は星条旗を「オールド・グローリー(Old Glory)」と親しみを込めて呼んでいる。それを考えると、日の丸を切り刻んだ民主党の連中などは不届き千万で、民衆から半殺しにされなかったのは不思議なくらいだ。日本は平和というか異常である。

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(左: 国旗を縫う婦人たち / 右: 国旗に忠誠を誓う少女)

  今ではアメリカも随分と変わってしまい、国家や国旗に対して反感を抱く者も増えたが、左翼思想が蔓延する前のアメリカでは、学校の教師が子供たちに様々な逸話を教えて、星条旗への敬意を染み込ませていた。例えば、第一次世界大戦の時に起きた海戦での逸話である。ドイツ軍の潜水艦が米軍の艦船チェムング号を攻撃し、沈没させたことがあったという。ドイツ潜水艦の艦長は、敵艦のジョン・L・ダフィー艦長に、国旗を降ろすよう、つまり降伏せよと命じたが、ダフィー艦長は部下にこう命じた。

  我々の国旗は本艦と共に沈むのであって、その前ではない。

船に海水が流れ込んできたが、国旗は帆柱の尖端に高く掲げられていたそうだ。そして、船が次第に海へと沈んで行く時、最後に消え去ったのが星条旗であったという。(Grace A. Turkington, My Country, Ginn and Company, New York, 1918) アメリカの子供達は、星条旗は勇敢な国民と正しい戦争だけを行う国家を象徴するものだ、と教わっていた。自由を尊ぶ共和政の米国は、野望に満ちた君主が引き起こすような戦争はしないんだ、という自負があった。今となっては信じられぬ誇りだが、第二次世界大戦までのアメリカ人は、みんなそう思っていたのである。

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(左: ジョージ・ワシントンに国旗を渡すベツィー・ロス / 右: 国旗に忠誠を誓う子供たち)

  国旗の重要性を教える話は色々あるが、オハイオ州の或る町で起こった逸話がちょっとおもしろい。日本の中学校に当たるグラマー・スクールでは、毎朝みんなで集まって国旗を掲揚する習慣があった。生徒たちは星条旗がポールの尖端に上るまで、じっと注目せねばならない。そして、国旗が高々と掲げられると、生徒全員で忠誠の誓いを述べることになっていた。

  私は我が国旗と共和国、則ち、それが象徴する皆の衆に自由と正義をもたらす、不可分たる一つの国家に忠誠を誓います。I pledge allegiance to my flag and to the republic for which it stands, one nation indivisible , with liberty and justice for all. (これは当時の古いバージョン。)

  ところが、ある日のこと。校長先生は子供たちに、「今日は国旗掲揚を行いません」と告げたという。これを聞いて生徒たちは驚いた。しかし、校長先生はその理由を話したそうだ。昨日の午後、学校の少年たちが帰宅途中に、あるイタリア人が所有するカートをひっくり返してしまった。カートには野菜が積んであって、そこからは人参やじゃがいもが投げ出され、道端に転がった野菜を見て少年たちは笑い声を上げ、さっさと逃げ去ったそうだ。それを見ていた幾人かの少女たちも、一緒になって笑っていたという。このイタリア人はアントニオ・アポロニオという名前で、セダー通りに住んでいた。この悪戯(いたずら)をしでかした少年たちが野菜を弁償し、ちゃんと謝るまで学校で国旗を掲げないことになったらしい。先生に叱られた日の夕方、十名の少年たちはアポロニオ氏の家を訪ね、10ドルを手渡して謝罪したという。最後に謝った少年は、家を去ろうとしたとき、アポロニオ氏に小さな国旗を差し出したそうだ。(上掲書 pp.363-364)

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  何処の国かと疑ってしまうような、心温まるエピソードである。現在のアメリカでこんな素直な少年は滅多にいないんじゃないか。国旗に対する真摯さがまるで違う。それにしても、今の日本なら、学校に通う生徒が悪戯をしたから、国旗を掲げません、なんて言う校長先生は想像できない。日の丸を憎しみの対象としか見ていない教師が大勢いる日本で、「国旗に対する恥を知りなさい」と説教できる教師はいないだろうし、叱られた子供だって「先生、何言ってるの?」と不思議な顔をしてしまうだろう。国民全員が「正しい」と認める規範が無い国家では、大人はどうやって子供に善悪を教えていいのか迷ってしまうのだ。例えば、以前「援助交際」という少女売春が話題になったが、大人はなぜセックスと交換にお金や品物をもらってはいけないのか、少女たちを納得させることができなかった。売春も肉体労働の一つだから、体を使って稼いでなぜ悪いのか、と反論されれば、大人たちはお手上げだ。倫理道徳は理窟を附けて教えるものではないから、子供が小さい時に無条件で叩き込むべきものである。国旗への忠誠も同じで、「どうして日本国に忠誠を誓うべきなの?」と訊かれて、ぐちゃぐちゃ説明することはない。ただ、親とか周囲の大人が自然と国旗に敬礼をする姿を見せれば、子供だってそこに何らかの神聖さや畏敬の念を見出すはずだ。

  敗戦後の日本は国家を貶める進歩的文化人の天下であった。自由・平等・人権・民主主義とかいう空虚な価値観をまき散らし、明るい社会主義の時代を予言していたのである。心の底では全体主義者だったのに、個人を尊重する振りをしながら、国家に殉ずる心は時代遅れで、軍国主義の臭いがする、と批判していたのだ。しかし、国家があるからこそ個人があるのだ。国家という庇護者が無いのに、個人が自由を満喫できるなんてことはあり得ない。ちょっと前までは、国防軍が無いのに「毅然たる態度で外交を行え」と叱責する朝日新聞が、大きな顔をして一流新聞を気取っていたのである。健全な日本国民は朝日新聞の社旗が早く沈むように、不買運動を呼びかけるべきだ。でも、変節漢の一面を持つ朝日のことだから、「右翼保守のみなさん、これは旭日旗を模したものなんですよ!!」と命乞いをするかもね。




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