根拠はどこにあるのか?

  日本人と朝鮮人との違いは色々あるけれど、特徴的な違いといったら歴史学に対する態度であろう。朝鮮人は自分に都合良く過去を創ることに努力を傾け、我々は事実を丹念に収拾し、出来るだけ厳密に検証することを旨とする。だから、日本にとって不利な過去でも認めるし、嫌な出来事でも直視することを厭わない。日本人は自国史に限らず、外国史についても同様の態度を取るべきだ。そこで、気になったことがある。6月頃にチャンネル桜を観ていたら、有本香さんが出演していて、インドの歴史について語っていた。いわゆる「手首塚」の話である。彼女は「虎ノ門ニュース」でも同様の事を語っていたから、ご存じの方も多いだろう。

Arimot Kaori 1(左 / 有本香)
  初めて聞く方もいらっしゃると思うので、簡単に説明したい。有本氏の説明によると、産業革命で英国は繊維産業が盛んになり、マンチェスター地方など随分と景気が良かったそうだ。当時のイギリス人は、自国の繊維産業を拡大したかったが、植民地のインドでも伝統的な繊維産業があったので、英国のライバルとなっていた。そこで、イギリス人たちは競争相手を潰すために、インドの機織り職人たちを集め、彼らの手首を切り落としてしまったという。大勢の手首が切断されたことで、各地に「手首塚」が出来たそうだ。筆者は以前、この残虐行為を西部邁が話していたのを覚えている。筆者の記憶は正しかったようで、西部氏は黒鉄ヒロシとの対談本の中で、同じ事件を語っていた。

  インドの職人をあつめて行列させ、一人ずつ右手首を鉈でちょん切ったというです。その数、三万個。その手首塚があるというんです。(『もはや、これまで : 經綸酔狂問答』 PHP研究所 2013年 p.243)

  驚くことに、イギリス人は三万人の右腕を切断していたのだ。むごい。でも、少々気になるのは、どうやってそれを知ったのか、ということである。両者とも情報源を明かしていないので、インドの現地へ行ったことのない人には分からない。たぶん、インド人の学者か観光案内人に訊けば、「手首塚」がどこにあって、どんな経緯だったのか教えてくれるだろう。でも、こうした残虐行為は何らかの物的証拠がないと信じられない。まづ、基本的な疑問点から整理してみる。(1) いつ、どこで起きたのか? (2) 誰が誰の手首を切り落としたのか? 誰が発案し、命令し、実行者は何人いたのか? (3) この事件を誰が目撃し、誰が報告書を書いたのか、または、どのインド人が書き記したのか? (4) 塚に埋められている白骨は、本当に切断されて埋葬されたものなのか? たとえ、その骨が人の手首だとして、被害者の手首と一致するものなのか、という点である。

Nishibe Susumu 1(左 / 西部邁)
  有本氏は著作もあるジャーナリストで、西部氏は元大学教授で、学術論文やビジネス本の類いも執筆する知識人である。両名とも何らかの根拠があって紹介しているはずだ。しかし、両名とも肝心な証拠物件を明かしていないので、聞いている我々はどこかもどかしい。せめて何らかの文献を示してくれれば有り難いのに、と思ってしまう。日本人は「南京大虐殺」の苦い経験があるので、こうしたショッキングな出来事を聞くと慎重にならざるを得ない。外国人はアイリス・チャンの偽書で欺かれたし、日本人は本多勝一のインチキ本と朝日新聞の政治宣伝で、まんまと騙された。やはり、具体的に事実を検証してみるべきだ。

  とはいっても、この残虐事件が起きたのは遙か昔だから、科学的調査は困難なはずである。そもそも、インド政府やインド人の究者は、「手首塚」の発掘調査を行ったのだろうか? 発掘した何万個もの骨と、当時の様子を書き記した文献をどう照合したのか不明である。もしかしたら、西部氏や有本氏は伝聞のみを紹介していたのかも知れない。これは非常に脆い歴史物語で、もし単なる口伝ということになれば、誰かが手首切断の話を適当に膨らませていることもあるし、意図的ではないにしても、都市伝説のようないかがわしい噂や嘘が混じっている可能性だってある。インドのように大雑把な国だと、日本人のように、几帳面な日記をつけている庶民とか、詳細な報告書を作成する役人がいたとは思えない。イギリス人に支配された事を恨むインド人が、白人の悪口として伝えたのかも知れないのだ。有本氏や西部氏は一体、どんな一次資料を基に事件を語っていたのか? アジアには朝鮮人や支那人のように、同時代の人間が嘘を書き記すということだって、ないとは断言できず、逆に大いに考えられることなのだ。

伝説にヒントがあった

  今はバングラデッシュとなっている地域でも、昔はインド帝國に属しており、ベンガル地方は英国に占領された領土の一部であった。このベンガル地方には、イギリス人が機織職人たちを不具にするため、その手首や指、舌などを切り落としたという伝説が残っている。ベンガルに住むムハマド・アフメドュラという人が、「プログレッシヴ・バングラディッシュ(Progressive Bangladesh)」というニュース・サイトに意見記事を投稿していた。まだ若かった時、彼は家族や友人、教師、地域の指導者などから、イギリス人がベンガル職人の手や指、舌を切断したという話を聞いたことがあるそうだ。手首や指を切断したのは、ライバルとなる職人を働けなくするためで、舌をちょん切ったのは、機織りの技術を後輩に伝えることが出来ないようにするためだったらしい。アフメドュラ氏はは若かったので、この話を鵜呑みにしていたそうだが、成長するにつれ、この蛮行を裏付ける証拠がないことに気づいたそうだ。(Muhammad Ahmedullah, Did teh British under the East India Comapny's Rule, cut off Bengal Weavers' Hands or Thumbs and Tongues in order to destroy the Famous Bengal Textile Industry, particulary the Weaving of the Muslin Fabrics?, Progressive Bangladesh, February 21, 2015)

  インド人の職人から手首を奪うためには、誰かが計画を立てなければならない。というのも、職人たちは一つの地域に密集していた訳ではなかったからだ。ベンガル地方西部からダッカにかけての広い地域に散在していたので、イギリス人の実行犯は離れ離れの村々を巡って、バラバラに住むインド人職工を捕まえ、無理矢理手首を切断せねばならない。当然、これら実行部隊に資金を提供したイギリス人が居たはずで、それが誰なのか西部氏や有本氏は公表していないのだ。それに、もし、こんな横暴をはたらいたら、現地人の抵抗運動や叛乱を招きかねない。だから、予め暴動を計算に入れねばならず、被害者の親族や同胞からの報復に対して、常に備えなければならないから、ルーティーンを考えた兵隊を雇うことになる。また、手首を切断された職人は治療が必要となったはずで、イギリス人に対して深い恨みを抱くし、彼らの家族や部族仲間も激怒したはずだ。 そのうえ、不具にされたインンド人は失業者になるから、必然的に家族への負担が増えて、窮乏生活に陥る者も続出したはずである。この残虐行為を許したブリテン政府ならびにインド総督、統治担当の官僚などは、各地で勃発する叛乱を鎮圧せねばならなくなり、軍隊の海外派遣も必要になってくるから、行政の側の経済的負担が増加したことは容易に想像がつく。でも、こうした余計な出費に対して、英国議会では何の問題にもならなかったのか? もし、大問題となっていたのなら、議事録や調査報告書が作成されたはずで、後世の我々は具体的な経緯を知ることができるだろう。ところが、西部氏や有本氏は、そうした公式文書を提示していなかった。

Britain East India Company 1British Rule of India 1






(上 / インドを支配するイギリス人の)

  東インド会社は、イングランド国王から勅許状をもらって運営していた民間企業で、国防軍に支えられた政府機関ではなかった。インドを征服する過程においてさえ、本国の軍隊を正式に動員したわけではない。俗に言う「インド征服」の事業だって、その費用と人員は会社の自前であった。第18世紀末、東インド会社の軍隊は九千の歐洲兵と四万五千の土人兵で編成されていたのだ。その前は殆どが現地の兵隊で、イギリス人や西歐人が占める割合は、ごく僅かであったという。つまり、傭兵集団ということだ。このへんの事情はジョン・シーリー(John Robert Seelley)の『英国発展論史(Expznsion of England)』を読むと分かる。とにかく、東インド会社の主な目的は、インドにおける収益の確保と利益の拡大であったから、無用な叛乱を招く事態はなるべく避けたかった。だから、いくら英国本国の繊維産業を保護するためとはいえ、原住民の憤激を助長するような真似はしないだろう。また、もしイギリス人が「モスリン(Muslin)」と呼ばれる綿製品産業を根絶したかったといっても、一体何名の職人を不具にしたらいいのか? たとえ、ベンガルの数箇所で切断行為を行ったとしても、他の地域に住む職人をどうするつもりだったのか? イギリス人はインド全域に恐怖を広めて、全職人の労働意欲を削ごうとしたのか? こうした疑問が次々と湧いてくる。

Susan Brownmiller 4(左 / ウェンディー・ドニガー)
  インドを支配するイギリス人が、現地の絹織物職人を捕まえて、その手や指を切り落としたという話は、どうもの或るイギリス人による根も葉もない発言が元になっていたらしい。東インド会社にウィリアム・ボルツ(William Bolts)というイギリス人が雇われており、彼は何らかの理由で1768年に解雇されてしまった。しかし、彼はクビになった後、『インド問題の考察(Considerations on Indian Affairs)』という本を書いて、その中で会社に酷い扱いを受けていたベンガルの絹織物職人に触れていた。絹織物産業の独占を図った東インド会社は、ベンガルの職人たちが再び絹を織れなくするため、彼らの親指を切り落としたというのだ。(William Bolts, Considerastions on Indian Affairs; Particulary Respecting the Present State of Bengal and its Dependencies, London, 1772) しかし、インド史を研究する米国のユダヤ人学者ウェンディー・ドニガー(Wendy Doniger)は、ボルツの話を眉唾物とみている。ボルツは何の証拠も根拠も示さず、単にインド人職工の手首が切断された、と書いているだけだった。たぶん、彼は会社にケチをつけるため、この不確かな噂を挿入したのかも知れない。ドニガーはなぜこんな話が後世にまで伝わったのかについて述べている。当時の英国では、著名なエドマンド・バーク(Edmund Burke)がウォーレン・ヘイスティングス(Warren Hastings)を批判したことがあり、その際バークはこの話に言及したそうだ。そして、これが切っ掛けで、世間に広まったという。(Wendy Doniger, On Hinduism, Oxford University Press, Oxford, 2014, p.445) その後、インドで起きたショッキングな話は、様々な本で孫引きされるようになったので、こんにちの我々にも伝わっているという訳だ。

Warren Hastings 2Edmund Burke 1William Pitt the Younger









(左: ウォーレン・ヘイスティングス / 中央: エドマンド・バーグ / 右: ウィリアム・ピット)

  ところで、このヘイスティングスというのは、あの初代インド総督を務めたイギリス人であり、彼はベンガルの知事を務めたこともある。だが、彼はカルカッタに赴任した時、瀆職の容疑が濃い不正行為に手を染めたらしく、英国議会でチャールズ・ジェイムズ・フォックスやバークが彼の腐敗を問題にしたそうだ。そこで、容疑を掛けられたヘイスティングは議会で弾劾されたのだという。ただし、当時の政権はウィリアム・ピットが率いていたから、どうもホウィッグ党の反対派が彼をやっつけるため、ヘイスティングの件を利用したのではないか、と疑いたくなる節がある。日本人の中には、保守思想の巨星であるバークをトーリー党員と勘違いしている人がいるけど、バークは自由主義を掲げるホウィック党員であった。(この辺の英国史はちょっと複雑になるので、詳しい説明は省略する。) 結局、残虐事件の真相は捜査はされず、伝聞だけが英国内で流通したようだ。

Ekalavya's_Guru_DakshinaPandava 1(左: エカライヴァ / 右: パーンダヴァ)
  ヒンドゥー語も達者なドニガーによると、この信じ難いスキャンダルは、インドの宗教的叙事詩「マハーバーラタ(Mahabharata)」にあるエピソードがヒントになったらしい。この「バラタ族の物語」には、エカライヴァ(Ekalavya)という弓の名手の事が述べられていた。彼は矢を射ることにかけては秀でていたが、その肌は浅黒く下層階級の出身なので、パーンダヴァ(Pandava)の五兄弟、すなわち高貴な出身であるバーントゥの子供たち、から嫉妬を買ってしまったのだ。エカライヴァを忌々しく思った兄弟は、弓の師匠に頼み込み、エカライヴァの右手の親指を切断してもらったというのだ。アジア大陸には、この手の残酷な物語や神話が多く、肉刑が常識のインドなら不思議ではない。ボルツの信憑性を疑うドニガーは、この逸話が手首塚神話のネタではないか、と勘ぐっている。(上掲書 p.446)

脚を切断して乞食を作る

  我が国の学者やマスコミは、人種上の類似から日本がアジアに属している、と盛んに宣伝するが、正常な日本国民なら、アジア大陸の民族を同類とは見なしていないだろう。朝鮮人とは月とスッポン以上に違うし、超音波でも混ざることはない水と油の関係である。支那人に至っては兇暴な古代生物だから問題外。インド人は不潔でゴチャゴチャした街にうろつく貧民というイメージが一般的だ。インド人の上流階級といえども親近感は湧かないし、ただ豪華に着飾っているだけの外人としか思えない。たとえ日本語を流暢に話しても、インド人の顔を見てしまうと、「やはり遠くの異邦人だよなぁ」、と感じてしまう。そして、何よりも彼らの精神が全く異なっているのだ。インドの伝統文化とか庶民の風習なんか、日本の文化とは本質的に相容れないのである。我が国の精神文化は清らかで簡素だが、それでいて奥が深い。インドの宗教と神道を比べれば一目瞭然。インドの寺院なんか成金の悪趣味で飾った豪邸みたいで、心が落ち着く雰囲気とか「雅(みやび)」というセンスが全く無い。気持ちの悪い神様を描いた絵なんか実に下品だ。あんな国に住もうなんて日本人はどうかしている。そんなにインド人が好きなら、日本国籍を棄ててインドに永住すればいい。こうした元日本人は再入国なんかさせないで、空港で追い払うべきだ。

  インドの風習は日本人の理解を超えている。この大陸には数多の乞食がいるが、その姿は日本の乞食とは比べものにならないほと酷い。例えば、アミール(Aamir)という12歳の少年の話は悲惨だ。彼は飲んだくれの父親から虐待を受けていた。彼の母親は数年前に他界したという。田舎に住むアミール少年はこんな家庭で暮らすのが嫌になり、ボリウッド(インド版ハリウッド)で知られるムンバイを夢見たらしい。そこで、彼は都会へ向かう列車に潜り込み、やっとの思いでヴィクトリア駅に着いたのだが、あいにく一文無しだった。そこで、アミールは路上で乞食を始めることにした。ある日のこと、親切そうなカップルが彼の前に現れ、食べ物を与えてくれたのだが、それを食べたら急に眠くなったそうだ。後で分かったことだが、彼が口にした食べ物には薬が混ぜてあったという。病院に輸送されたアミールは、手術室に運ばれ片足を切断されてしまったそうだ。(Andrew Malone, The real Slumdong Millionaires, Daily Mail, 24 January 2009) アミールは親切なカップルを宗教的な動機から慈善を行う人か、福祉関係の人かと思ったらしい。だが、実際は乞食を利用してお金を稼ぐ悪党だった。健康な乞食を無惨な姿にすれば、もっと人々の同情を引くという理由から、わざと乞食を不具にするのだという。それにしても、お金をもらって無邪気な子供の脚を切断するなんて、卑劣というか殺人鬼に近い医者である。インドには昔からこうした残虐行為が多い。

  西部氏や有本氏が紹介した残酷物語は本当なのかもしれないが、彼らが根拠を示してくれるまで信じるわけにはいかない。インド各地にある「手首塚」に埋められた骨は、もしかしたら、暴君のような土豪とか、情け容赦ない匪賊が殺した庶民の遺骨、とも考えられるからだ。昔、支那人が「万人坑」をもちだして、日本軍による惨殺死体が埋められた場所である、と騒いだことがある。しかし、実際は疫病で死んだ支那人が埋められた無名墓地であった。余りにも大量に死亡したので、生き延びた村人が引き取り手のない死体を穴の中に放り込んで、腐乱死体による伝染病を防いだのである。それなのに、嘘つき支那人は日本人を非難するために、日本軍の仕業にすり替えたのだ。そもそも、支那人には事実を検証する考えは一切無いので、利益次第で歴史を作り替えることがよくある。それを知ってか知らぬか、奴隷根性の朝日新聞が協力者となり、支那人と共に日本批判を展開していたのである。まったく、毎度毎度、朝日新聞は反日の火種を撒き散らす放火魔みたいな宣伝機関である。その火消し役となる保守派の国民としたらたまったもんじゃない。

  日本人には英国人の罪を隠したり、彼らの擁護をする義務は無い。英国の名誉を守るのはブリテン人の仕事で、我々が代わりにしてやることはないだろう。しかし、我々は支那人や朝鮮人とは違う。捏造史を鵜呑みにする国民ではない。我々はタイム・マシンを持たないから、揺るぎない歴史の真実を掴めるわけではないが、それに近づく努力はするべきだ。ブリテン人の対日感情を害しようとも、我々は残虐行為があれは、そのことを否定しないが、無かった事を有ったと認める訳にはいかないのである。だからこそ、事件を科学的に検証したり、過去の文書や物的証拠を吟味し、出来るだけ正確な歴史を学びたいのだ。一般の歐米人が「南京大虐殺」や「性奴隷としての慰安婦」を信じることは勝手である。現地の馬鹿を利口にするのは日本人の義務ではなく、歐米諸国の政府が果たすべき役目だからである。そもそも、日本の歴史を貶めようとするジャーナりストや大学教授は、自分で確かめもせず、支那人や朝鮮人の嘘に踊っているのだから、品格と名誉を弁えた教養人ではない。イエロー・ペーパーを歴史書と勘違いする下郎である。日本人はこうしたクズと同類になってはならない。本当に知能が高い歐米人は、日本の庶民が持つ知的水準と探究心に驚愕するはずだ。そして何よりも、日本国民はニセ情報で操られることに我慢がならない。我々はあやふやな話を鵜呑みにせず、伝えられる歴史的事件を吟味すべきだ。西部氏や有本氏は、こうした高度な庶民を相手に喋っているのだから、せめて出典を明らかにすべきである。そうしないと朝日新聞みたいになっちゃうよ。




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