「つまらない職」に就いてしまう危険性

  人の幸せは十人十色。これと言った定義があるわけじゃない。でも、江戸時代に詠まれた戯れ歌をもじって語れば、「女房十八、わしゃ二十歳(はたち)、子供は元気で、親孝行。使って減らぬ金三両。死んでも命がありますように !」といった願望が達成されれば、人生はますまずだろう。一般人の生活は、平凡でも安泰な方がいい。売れっ子女優みたいに、二枚目俳優と浮き名を流して結婚するが、愛想尽かしてすぐ離婚では不幸だ。エリザベス・テーラーの如く再婚と離婚を繰り返し、気がつけば子供を産めない年になり、皺(しわ)伸ばしが日課となるような毎日では気が滅入る。小松政夫の「長~い目でみてちようだい ! 」というギャグは、年増のホステスが独りで鏡を見つめながら、目尻を横に引っ張って、おもむろに“つぶやいた”一言がヒントになっていた。酌婦も女優も若さが命。いかに波瀾万丈の華麗な人生でも、死に際がマンションの一室での孤独死なら哀れだ。(大原麗子は魅力的だったのにねぇ。ちょっと例が古いかな。) 藝人ならこんな最期でも構わないだろうが、一般人には堪えられない。

  デフレ不況が定着化した日本では、若者の就職難が続いているようだ。確かに、万年劣等生のスペインやイタリアと比べれば、若年層の失業率は遙かに低い。イタリアたど10年前は33%だったが、2015年になると約44%に跳ね上がってしまった。(Mike Bird, Italy's youthunemployment just hit a new record high - here's what's going wrong, Busines Insider, July 21, 2015) 太陽が没してから何世紀も経つスペインでも、若年の就職率が悪化していて、最近だと45.5%になっているらしい。(Peter Eavis, The Mystery of Spain's Perpetual Jobs Problem, The New York Times, May 2, 2016) ヨーロッパだと正社員を雇用するとき色々な保証をつけないといけないし、簡単に解雇もできないから、経営者はどうしても慎重にならざるを得ない。それに、教育レベルが低い者や、未熟練労働者では即戦力にならない。しかも、こんな社会状況なのに、北アフリカから移民や難民が来るんだから、生活苦の若者が抗議の声を上げるのも分かる。

Spain 5Italy 1








(左: スペインの失業者 / 右: イタリアの失業者)

  日本の失業率は低くなったとはいえ、若年労働者は低賃金で苦しみ、劣悪とまでは言わないが、企業の冷たい扱いに不満を持つ者が少なくない。でも、そこそこ見栄の張れる職種なら我慢できるが、不本意で選んだ職業や、いつクビになるか分からぬ会社に勤める若者だと、そうした悩みは深刻である。特に、何年勤務しても給料アップが期待できない会社、あるいは、いくら頑張っても出世できない企業に就いた社員は、将来を想像して憂鬱になるだろう。しかし、もっと辛いのは、“これ”といった技能が身につかない職種を選んでしまったケースである。例えば、新刊書を扱う書店に勤めると、本屋としての技量を習得することはない。毎日、問屋から運ばれてくる本を並べるだけの仕事なら、さしたる技術は要らないだろう。一方、同じ商品を扱うにしても、古本屋で修行すれば、どんな本が高値でどんな本がクズ本なのか、が分かるようになる。例えば、いくら東大教授が出版した箱入り本でも、内容がスカスカなら100円コーナー行きだ。逆に、無名の著者でも勉強になる本だと信じられない値段が付いている。(筆者も何度エグイ値段を付けた本屋のオヤジさんを恨んだことか。「欲しい!」と思った古書が結構な値段だったりしたから、しょんぼり帰ったこともある。) つらい経験を重ねれば、骨董屋の徒弟の如く「目利き」になれるかも知れない。また、安月給でも何年か辛抱すれば独立だって可能である。

  生活の安定を第一に考える人なら、不本意でも大企業とか公務員を目指せばよい。しかし、どちらも不可能な場合、何らかの技能や知識を習得できるような職業を選ぶべきだ。例えば、厳しい修行が待っている板前とか、大工、革職人、仕立屋とかである。大手で簡単そうだからといって、ファミリー・レストランの厨房で働いても得るものは少ない。レトルト食品を電子レンジで温めるだけなら子供だって出来るじゃないか。そんなのを10年間も続けてリストラにあったら大変だ。製パン工場勤めも同じで、ベルトコンベアに載せられたあんパンやメロンパンを検査しても、パン職人にはなれないぞ。昔、筆者は大手の靴屋に勤めていた若い人と話をしたことがあるが、その人はリストラされて再就職に困ったそうだ。これといった技能がなかったからである。靴職人ならいいけど、お客を相手にして靴のサイズを計るだけでは、再就職先で自慢できる特技ではない。

  いま、安倍晋三首相は長期政権を維持するため、野党も感心するくらい積極的に左翼政策を促進している。すなわち、「高度人材の獲得」とか「技術研修生の受け容れ」といった名目で、低賃金のアジア人労働者を輸入しているのだ。安倍政権は移民に反対する保守派を牽制するため、「少子高齢化」という脅し文句を用いているが、アジア人労働者を導入すれば、逆に日本人の人口が減って、その穴埋め以上にアジア人が激増するだろう。なるほど、移民を輸入すれば人口減少の歯止めとなるが、その場合、日本人の子供の数は良くて横ばい、下手をすると更なる減少を招くことになる。低賃金労働者を渇望する国際商人が、日本国民の割高な賃金水準を下げれば、若い夫婦は子供を一人に抑えるかも知れないし、未婚の若者はますます結婚できなくなる。一方、アジア移民は眩(まぶ)しいくらいの社会福祉に感動し、所得なんか気にせず、ボコボコと子供をもうけるだろう。アジア諸国からの貧乏人は、子沢山による生活水準の低下なんて考えない。産後の激太りだってへっちゃらだ。南洋土人の女房には、曙を小さくしたようなタイプがゴロゴロいるし、美容整形が大好きな朝鮮人だと、「脂肪吸引手術があるから安心」と考える。もっとも、危険性を心配しない脳天気な朝鮮人ならではの発想だが。とにかく、アジア人は「セックスしたから子供が出来ちゃった」というのか普通だ。

  グローバリストの企業家は、日本人の人種や民族の構成に興味がなく、我が国の未来がどうなろうが知ったことではない。四半期ごとの決算や株価の推移だけが優先事項で、国家は単に労働者と工場を稼働させる「敷地」でしかないのだ。彼らは低賃金でもよく働くアジア人を雇用することで、賃上げを要求する厄介な日本人労働者を黙らせ、使い勝手の良い「道具」にしようとする魂胆だ。日本の若者や一般労働者は、目先の所得や安定に釣られて大企業の小さな歯車となり、気がつけば自分ではどうしようもない状況になっている、というのが落ちだろう。ちょっと言いづらいのだが、コンビニ業界を例に取って見てみれば、現在の経済状況を理解できるんじゃないか。コンビニで働いている人には失礼だけど、この業種を理解する上で、アメリカの奴隷制を回顧することは有益である。

馬並に酷使される奴隷

  アメリカ合衆国のプランテーション(大規模農園)が、黒人奴隷に基づいていたことは教科書でも紹介されているから、ご存じの方も多いだろう。特に、南部のプランテーションは有名で、白人農園主は黒人を使って砂糖キビや綿花、タバコ、麻、米などを栽培していたそうだ。ちょっと意外だが、サウス・カロライナ州やジョージア州では米作プランテーションが多く、ケンタッキー州やミズーリ河流域だと麻の産地となっていた。タバコ栽培はメリーランドやケンタッキー、ミズーリの各州で盛んに行われていたようで、砂糖プランテーションと言えばルイジアナ州南部がメッカである。

Black slaves 3(左 / 農園で酷使される黒人)

  小規模なプランテーションだと奴隷は数人だから、農園主が奴隷たちに直接指導し、時には一緒に働くこともあったそうだ。しかし、奴隷の人数が増えれば、「作業割当制」や「班組織」といった労務管理だけでは不充分になってくる。そこで、農園主は奴隷たちを指図する白人の監督を雇うことにした。ところが、一応この管理者に奴隷の世話を任せてはみたものの、その働きぶりに満足する奴隷主は稀だった。大きな地所を運営する技量を備え、奴隷たちの心理を掌握し、彼らを統率するだけの知力と体力に恵まれた者は、滅多に見つかるものではない。農園主は誰か適当な者はいないものか、と探したそうだが、徒労に終わることがほとんどだった。なにせ、課された任務が重い割には世間の評判が良くないし、まずもって金銭的報酬が充分ではない。したがって、一級の才能を持ちながら、こんな職業に就く者はまずいなかった。常に、人材不足はプランターの悩みの種であり、1、2年以上にもわたり、同じ監督を使用するのは例外だったという。ある砂糖プランテーション経営者だと、17年間に14回も監督を変えたという記録がある。ミシシッピーのある人物も、自らが味わった不愉快な体験を思い起こし、「あの連中はやくざな流れ者だ」と腹を立てていた。(ケネス・M・スタンプ 『アメリカ南部の奴隷制』 疋田三良訳 彩流社  1988 年 p.44)

  南部の奴隷といえば、農園で綿摘みをやらされている、というイメージがあるけれど、奴隷にも白人と同じように、何らかの技術を身につけた職人がいたそうだ。彼らの中には、技師、樽職人、大工、鍛冶屋、レンガ職人、織物工などがいて、奴隷主から高い評価を受けていた。日本の工場でも、日本人労働者と同じくらいの仕事をこなす外国人もいるから、手先の器用さに民族の違いは無いのだろう。ただ、こうなると奴隷所有者の中に欲張りが現れてしまう。自分の畑で農作業させるより、余った奴隷を綿織物工場やタバコ工場に貸し出して、賃貸料をもらったり、鍛冶屋か靴職人のところへ徒弟に出し、技能を習得させる方が得だと考えてしまうのだ。(上掲書 pp.70-71) 労働者の派遣や賃貸で儲ける資本家といえば、日本の口入れ屋(派遣業者)とか「技術研修制度」を考えた役人を思い出す。そして時代と国が違っても、やることは似ているんだなと思えてくる。

  南部の鉄道会社が使っていた奴隷も、たいていの場合、会社の所有物ではなく、他の奴隷主から報酬を払って掻き集めた人夫(にんぷ)であった。賃貸奴隷の需要はかなりあったようで、例えば、「13歳から15歳までの黒人男子を求む。募集人員25名。求人先、毛織工場」という広告があったそうだ。(上掲書 p.73) こんな募集広告を聞けば、就職氷河期に自動車部品工場や冷凍食品工場に派遣された、哀れな若年労働者を思い出してしまうじゃないか。工場で扱(こ)き使われた奴隷は大変だったが、野良仕事で酷使された奴隷も悲惨だった。奴隷主は毎日長時間労働を課し、収穫時期になると、1日15、6時間畑にいることもざらだった。元奴隷の記憶では、作業開始時刻は朝の4時半で、作業が終わるのは日が暮れて、あたりが真っ暗になった頃であったという。一応、農園主は夜間労働をさせなかっというが、必要があればそれを強要し、農繁期には砂糖キビや綿花摘みをさせていたそうだ。

Blacks, plantation 1(左 / プランテーションで働く黒人)

  耕作奴隷にも「休日」というものがあったが、そんな日でも“のんびり”と過ごす事はできなかった。奴隷主は「余暇」を利用して自分の食糧を作れ、と命じていたのだ。あるプランターは「自分のジャガイモを植える日」とか「自分のジャガイモを収穫する日」を勝手に作っていた。これって、ブラック企業の社長じゃないのか? 勤務時間を終えて帰宅する社員に、自宅で残業の書類作成や翌日の準備をやらせた上に、「国際化時代だから」との名目で、自主的に英会話を習得しろ、と命令じていたんだから、どことなく奴隷主と似ているじゃないか。それにしても、「休日」なのに「自宅勤務」になっているんだから可哀想だ。

  農園経営者は奴隷を束ねる現場監督に、過重労働はさせぬよう指示を与えていたそうけど、注意を受けた監督がその言いつけを守るとは限らなかった。というのも、監督は生産高でその手腕を評価されたのだ。だから、奴隷の健康維持なんかに構ってはいられなかったという。たとえ、奴隷を損なわずに一年を終えたとしても、翌年も引き続き雇用されるとの保証は無かった。それゆえ、監督の関心事はもっぱら収益を上げることだ。ミシシッピーで16年の経歴を誇る、あるベテラン監督によれば、この業界で「遣り手」と評されるのは、綿の詰まった箱をクリスマス迄に一番多く用意できる人物であったという。したがって、監督なら誰でも全神経を綿の梱包に注ぎ、他の事には目もくれず、只ひたすら生産を高めようとする。奴隷を預けているプランターも、農園から上がる収益ばかりに気を取られているから、監督を褒めるにしても叱るにしても、、これだけを基準にしていたのだ。プランテーションがどう管理されているかは二の次で、「収穫から得た利益より、酷使による奴隷の損失の方が大きかったのではないか?」と考える者はいなかったという。

  経営者は報奨金を約束して部下を働かせるのが常。農園主も生産高に応じて監督に出来高報酬、つまりボーナスやコミッションを与えたそうだ。例えば、綿1箱につき2ドル75セントのコミッション(手数料)とか、とうもろこしを収獲すれば、1籠(かご/ブッシェル)当たり4セントのコミッションといった具合である。増産ばかり考えている監督は、ゼニの亡者に成り下がり、奴隷の疲労なんて眼中に無かった。刈り入れの時期になると悲惨で、奴隷は疲労の極限まで酷使されたという。1日16時間から18時間も働かされたのだから、過労死が無い方が不思議である。誰だ?!、ユニクロとか和民とか言う奴は ! 日本の企業がそんな事をする訳がない。きっと、何かの間違いだ。しかし、電通でも超過勤務による自殺が起きたからね。 う~ん、そりゃ問題だな。天下の電通様でも不当残業があるなんて。でも、「社会の木鐸」と称する朝日新聞だって、出勤記録の改竄による長時間労働が問題になったというから、ヒラ社員の酷使は深刻なんだろうね。(「“残業隠し”の朝日新聞 長時間労働の実態を現役社員が激白」 2016年11月11日附「日刊ゲンダイ」) 時間外労働が300時間を越えた社員がいたというから、「日本の良心」を自認する朝日新聞も、随分と阿漕(あこぎ)じゃないか。人員削減に伴う社員の負担増みたいだから、凋落した“元一流”新聞はつらいねぇ~。

  話を戻す。ノース・カロライナにある某プランテーションの監督は、雇い主に「俺は雨だろうが晴れだろうが、徹底的にやる人間だ」と売り込み、奴隷を人間ではなく「馬みたいに」働かせてきたんだ、と自慢していたそうだ。(上掲書 p.85) 現地の白人は「ここいらのプランテーションで使われる黒ん坊になるくれえなら、死んだ方がましだ」とつぶやいていたらしい。鉱山経営者や鉄道会社に貸し出された奴隷も悲惨なもので、酷使されても体を壊さずにすめば幸運な方だった。過労で早死にする者が多かったんだから。黒人奴隷の値が高くなる前は、農場主が黒人を死ぬまで使い潰して、また別の奴隷を買い入れることも珍しくなかったという。中には、奴隷を更新するために、意図的に7年で消耗品にする、つまり、使い捨てるために死ぬまで労働を課す者がいたというからすごい。

刑務所労働よりも拘束時間が長い

  アメリカの奴隷制と日本のコンビニ店を重ね合わせれば、激怒する経営者の方もいるだろうが、類似点を発見してうなづく方もいるだろう。大手コンビニ・チェーンの「セブン・イレブン」(以下/「セブン」と省略)に加盟した個人オーナーの中には、セブンを選んで良かったと思う人もいるだろうが、死にたくなるほど嫌だと思っている人もいるはずだ。事実、経営難に陥った加盟店オーナーが自殺したくらいだから、コンビニの運営は決して楽なものではない。ある地域にはセブンが幾つか出店されているのに、さらにローソンやファミリー・マートまで進出して過密状態となっているから、利益を上げるのは至難の業である。

  こうしたコンビニ激戦区では、前々からあった既存店がライバル・チェーンの新規店に圧迫され、赤字経営に陥っているケースもある。売上げが頭打ちか減少しているのに、商品廃棄は毎度の事だし、盗難(万引き)による損失が出れば粗利がさらに少なくなる。よく知られているが、おにぎりを一つ売っても30円くらいの儲けにしかならないので、もし120円のおにぎり1を個棄てると、4個のおにぎりを売って損失分を埋めなければならない。ただし、おにぎり販売なんて客寄せ商品で、実際には儲からない品物だから、店舗はお客がついでに買うジュースやお茶で利益を上げるそうだ。でも、セブン本社はあこぎで、飲料商品を店舗に卸すだけで儲けている。例えば、ペット・ボトルのお茶は量販店で購入すれば1本78円くらいで買えるのに、セブン本社が売りつける値段は83円くらいだ。それを150円でお客に売っても、店長が利益を懐に入れる訳ではない。店で商品を売った「上がり」は全額本部に送金せねばならず、オーナーは本店からの給料をもらうだけ。その額だって微々たるものだ。したがって、店舗オーナーとしたらディスカウント・ストアーから商品を仕入れた方がよっぽどいい。オーナーが独立経営者というのは見せかけで、実際は本社に隷属する雇われ店長である。

  これに加えて、光熱費や人件費もオーナー持ちなので、諸経費が上昇すれば目が眩んでしまう。しかも毎日、嫌でも本社に現金を上納するんだから堪ったもんじゃない。契約で売上金の送金が義務づけられているので、オーナーは原則的に拒否できない。もし、売上金の一部を生活費に充てると、本部から店舗指導員が飛んできて、送金するまで監視体制が続くというから怖い。ヤクザの下っ端だって、親分に隠れてちょっとくらい「くすねる」だろう。しかし、セブンだと小銭も盗めないから、親分の目を盗むチンピラが羨ましい。さらに可哀想なのは、常に現金不足なので銀行から追加融資を受けたくても、信用が無いから貸してえないという。もっと恐ろしいのは、本社から下される「契約解除」の決定だ。契約破棄となれば、自分の店を取り上げられたうえ、取引勘定が清算され、莫大な借金だけが残されることになる。これじゃあ、二進も三進も行かなくなり、首を吊りたくなる訳だ。

  もうかなり前になるけど、「ブラック企業」という言葉が無い時代には、脱サラをした旦那さんが「一国一城の主」を夢見てコンビニを始めたりしたものだ。それ以外だと、ちょいと屋台の傾いた酒屋さんが、店舗と敷地が自前であることや、お酒の販売許可を強みにして、コンビニ加盟店に転身したケースなどがあった。(註/ 昭和の頃はお酒の小売りは免許制だった。) 昔、高校生だった筆者は、地元の街で次々と新たなコンビニが増えて行くのを垣間見て、「時代の変わり目なのかなぁ」と漠然と考えていたが、その運営形態に疑問を感じたものである。なぜなら、セブンは元々午後11で閉店のハズなのに、いつの間にか24時間営業となっていて、コンビニの店主が深夜のアルバイトが見つからない、と嘆いていたからだ。年中無休の24時間営業では、バイトが欠勤すれば急遽オーナーか、その家族がシフトに入らなければならない。地方の店舗に行けば、今でもそうだろう。多くのコンビニでは店長の旦那さんが、奥さんの協力を得て開業し、時には息子や娘も店員として助っ人になるし、それでも人手が足りない場合は、老骨に鞭打っておじいちゃんやおばあちゃんまでが手伝う破目になる。実際、筆者も深夜コンビニを訪れた時、店主の家族らしい高齢のオバはんがレジで働いていた。(註/深夜にコンビニで買い物なんて滅多に無いんだけど、その時は車で遠くに出掛けていたから仕方がなかった。) 身内を動員しながら店を維持しているオーナーと、それを黙って支える家族の姿を見て、哀しいというか気の毒というか、何とも説明できぬ一種の寂寥感を抱いてしまったことを今でも覚えている。

  コンビニ店の詳細な経営事情は、それを扱った専門書を読めば分かるから、ここでは一々言及しないけど、ちょっと個人的な意見を述べてみたい。コンビニを切り盛りするオーナーは、傍(はた)から見れば半独立の経営者だが、実質的には大企業に搾取される「黒人奴隷」みたいな存在である。どんな職業でも大変な事はあるもので、コンビニ業界だって例外ではない。数ある問題の一つに、人材不足という悩みがある。いくら店主が有能でも、24時間働く事は出来ないから、誰かが代わりに働いてくれないと眠れないし、独りでこなせる仕事量にだって限界がある。しかし、アルバイトや正規店員を募集しても中々集まらない。以前なら、コンビニ・バイトは楽というイメージがあったが、最近ではキツい仕事であるとバレてしまった。

  第一、深夜の仕事では体内時計が狂ってしまい、勤務が明けてもスッキリしないし、ぐっすりと眠ることが出来ないから、だるくて一日中ぼんやりとしている時間が多い。それに、健康を害して治療費がかさんだら、何の為の割り増し時給なのか分からなくなる。(筆者が知人から聞いた話だけど、深夜勤務をしていた配送業者で、ある日、お昼の弁当を食べた後、心筋梗塞で急死した運転手がいた。不規則な勤務で体調を崩していたそうだ。) 次に、激戦区だとコンビニが乱立しているから、バイト生の争奪戦となってしまう。それに、ちょっと言いづらいけど、コンビニ仕事はやり甲斐が無いし、友達に自慢できるわけでもないから、上記の理由を加味すれば、少々時給が高くても「なり手」がいないのだ。「いや、そんなことはない」と言える人は、筆者を無視して頑張ってくれ。

  深夜にコンビニでのバイトといったら、割り増しの時給が魅力的なだけで、見栄を張れるステータスでもないし、いつか就きたいと思う希望の職業に繋がる職種でもないし、そこで活かせる能力が身につくわけでもない。では、恋人になりそうな人と出逢える職場か、と言えば、そうでもなく、一緒に働くのが年増(としま)のオバちゃんとか、パっとしない中高年のオっさん、あるいは「キモ~い」と感じる根暗な青年じゃ嫌になる。バイト生を募集する店主だって、求職者が覇気の無い小娘とか、ヨボヨボの退職高齢者では考えてしまうし、いくら元気でも刺青をした“いかがわしい”兄ちゃんじゃマズいだろう。ということで、頼りになりそうな店員を確保する本当にのは難しい。

  バイト募集が困難を極めているというのに、コンビニ・チェーンの本部は次々に新たな仕事を増やしてくる。例えば、店員は各種の電子マネー、クレジット・カード、割引券、商品交換券、ポイントカードなどの取り扱いを覚えなければならないし、料金振り込みサービスや宅配荷物の引き受けまで担当するよう言い付けられるから、相当な知識と腕前を要求されるのだ。それでいて、こうしたサービス業務から得られる利益は無きに等しい。神経をすり減らす店長としては、複雑な業務を任せられる有能な店員を揃えたいが、そもそも、優秀ならコンビニ・バイトに応募しないだろう。結局、気が気ではない店長自身が、頼りない深夜のバイト生を監視する役目になってしまうのだ。

  これじぁ、何の為の代役捜しなんだか分からない。だから、店長の奥さんとか家族の誰かが煩雑な業務を覚えて、不足する店員のローテーションを補填しているのだ。でも、日が昇っている昼間に仮眠する店長はつらいだろうな。毎日が海外旅行の時差ボケみたいだから、すっきりとした時間が無いのが現実だろう。比較するのは無礼と承知しているが、コンビニの店長はある意味、刑務所の囚人より大変だ。いくら肉体労働を強制される受刑者だって、毎日の深夜勤務とか1年365日の責任なんて要求されないだろう。疲労困憊のコンビニ店長とその家族を目にすると、店舗という監獄に繋がれた囚人に見えてくる。年中無休だから家族旅行だって出来ないし、元旦でも家族揃ってのお正月なんて期待できないだろう。はっきりとは言えないけど、20年くらい前までは元旦の朝となれば静かなものだった。ところが、近年では元旦からコンビニのお弁当を食べ、福袋を買うために行列に並んでいる人がいるんだから、普段の生活と変わらぬ風景となっている。一年を締めくくる大晦日と新年を祝う元旦の境目が曖昧となって、日本らしい正月の風情が消えてしまったので、何となくもの悲しい。

使い捨てのアジア人移民がやって来る

  こんな状態だから、深夜でも働いてくれる人を確保するために外国人、つまりアジア人を雇うコンビニが増えている。大手企業の幹部連中が「国際化時代だ」とか「少子化対策のための移民受け容れ」、「労働力不足の解消」などを聲高に叫ぶのは、安くて便利な労働者が欲しいからだ。日本人の若者や中高年だと、高い給料を払わなければならないし、ちょっと粗く使えば直ぐ文句を言うし、けったいな労働組合もうるさい。仮に、組合に属していない店員でも、すぐ辞められたら現場の店が困ってしまうから、雇い主もちょっとは考えるようになる。ところが、立場が弱くて使い捨てに出来る外人は格別だ。脛に傷を持つアジア人は廉価なうえに、社会保障を完備する必要が無い。気に入らなければクビにすればいいだけのこと。元々、労働環境が劣悪な国から来ているので、日本のブラック企業など屁でもない。本国全体が「ブラック」なんだから、泣き言を吐露する日本人が贅沢に見えてくる。露骨に言えば、アジア人は人間の姿をした家畜だ。

  しかし、ブラック企業と無関係な国民からすると腹立たしいことがある。こうした外人労働者が作業中に怪我や病気をすれば、企業は「国民健康保険」を使って治療させるし、家族同伴なら政府にその面倒を丸投げしてしまう。外人が住む自治体が子供の教育費を出してくれるし、給食費が払えなければタダにしてくれる。言葉が分からない女房には役所が「日本語講座」を用意してくれるし、失業した外人には生活保護が支給されるから心配無用。しかも、企業は暗に「長く勤めれば憧れの日本国籍を取得できますよ!」とちらつかせているから、日本永住を目論む外人は大喜び。一方、日本人労働者にこうした「ボーナス」は無意味だ。日本人に「帰化できるチャンス」を呼びかけたって、誰も振り向かないだろう。それに、日本人労働者だと「失業したのに生活保護をもらえてラッキー!」なんて喜ばない。まだ普通の日本人には、他人の税金で暮らす事への羞(は)じらいや躊躇(ためら)いがあるからだ。

  こうした企業の都合でアジア移民を背負い込む日本国民は不幸だが、彼らを雇うコンビニ店長にも悩みが尽きない。というのも、外人アルバイト生が店のお金をクスねる懸念があるからだ。いくら監視カメラを設置しているからといって、完璧に防止できるわけじゃないし、設置費用は店長持ちで、しかも監視役も店長だから、気が休まる時が無い。そうじゃなくても、複雑な業務内容を外人に教えなければならないし、日本語だっておぼつかないから、接客は主に店長がやる破目になる。外人に任せてお客と揉め事になったら一大事だ。喧嘩や口論の模様が携帯で録画され、インターネットにでもアップされれば、炎上事件となってしまう。最悪の場合、閉店の憂き目だってあるのだ。よくよく考えてみれば、バイト料を払ったのに負担増加なんて馬鹿げている。頭を抱えた店長は、「これなら、ちょっとくらい割高でも日本人の方がよっぽどましだ」と愚痴をこぼすだろう。

  一般人は気づいていないが、日本の労働者は国際比較すると、最上級にランクされるのだ。雇う前に基礎知識が備わっているし、学校や家庭で「日本人の常識や感覚」を身につけている。一番凄いのは、「無理」がきくということだ。(大東亜戦争中の日本兵を見るとよく判る。) 歐米の高級将校や企業経営者からすれば、末端の日本人労働者は垂涎の的である。釣り銭の暗算や包装の仕方もすぐ覚えるし、商品の扱いが丁寧で、間違えは素直に謝り、笑顔を心掛けて、お客様への誠意を示す。しかも、融通が利いて機転も利く店員がいたりするから驚異的だ。百貨店の惣菜コーナーで働くベテランのオバちゃん店員などは、上司のサラリーマンより心強い。日本の中高年女性は、度胸があって粘り強く、ちょっとやそっとではヘコたれないし、亭主や子供を思いながら、黙々と仕事をこなす上に、商品や売り方の改善まで提言するんだから、アトラスも三舎を避けるってもんだ。(「アトラス」とは天空を永遠に肩で支えるよう宣告された巨人族の神人。) 支那人や朝鮮人の接客態度を見れば、如何に日本人の資質が優れているかが分かるだろう。企業はこうした日本人的特質を外人も習得できると思い込んでいる。本当に馬鹿な連中だ。

    ちょっと余談になるけど、筆者がニューヨークの黒人地区にある雑貨店に入った時の体験を紹介したい。日本では滅多に見られない暗い感じの店で、入り口の所に黒人の店員が控えていた。筆者が店内に入ろうとすると、持っていたバッグを預けろ、と言われた。万引きを警戒しての規則なんだろうけど、その黒人は手荷物を預かるだけの仕事を任されていたので、筆者は呆れてしまい、思わず「この黒人は一体いくらもらっているんだ?」とつぶやいてしまった。西歐系白人ならこんな仕事には就かないだろう。日本人がこうした低賃金の黒人を見ると、アメリカに潜む根深い社会問題を考えざるを得ない。我が国が竹中平蔵が目指している「活力ある日本」になれば、黒人並みの下っ端日本人が街中に溢れ、人材派遣会社のパソナが儲かる仕組みとなるだろう。

  一般国民は政府やマスコミから「少子高齢化に伴う労働力確保のために外国人を活用しましょう」と言われて、「そうかもなぁ」と安易に同意してしまうが、実はとんでもない危険が隠れている。アジア移民の弊害については、当ブログで既に散々述べてきたので割愛する。でも、ちょっとだけ述べたい。日本政府や経団連は隠しているが、アジア移民を輸入することは、日本人労働者の価値を一段と下げることに繋がるのだ。特に、コンビニや建設業などのきつい現場で働く日本人は、廉価なアジア人と同等に扱われ、給料が伸びないばかりか、逆に減給を宣告されるかも知れないのだ。待遇だって悪くなるし、簡単にクビにされる場合だってある。それに、使い捨て労働者があふれる社会になれば、再就職先を見つけることが益々困難になるので、解雇されたくない日本人は会社の言いなりとなり、「サービス」残業が常識となって、薄給のまま労働時間だけが増える事になる。仮に、時給1,000円の仕事でも、タダ働きが3時間か4時間増えるから、実質、時給800円か700円で働いていることになってしまうのだ。例えば、仕事開始の2時間前から「準備」に取りかかれとか、仕事が終わっても「後片付け」で3時間も拘束されているのに、無給になっていたりする。これに通勤時間が加味されれば、1日中職場にいることになり、わざわざ家に帰って寝ることが馬鹿らしくなってしまうのだ。

  さらに、外人の輸入で安い労働力が大量に供給されるから、業務の機械化とか合理化がなくなり、劣悪な労働環境がそのままに放置される可能性だってある。例えば、ゴミ収拾作業で無人化とか機械化を進めるより、未熟練でも貧乏なパキスタン人とかフィリピン人を使った方が安上がりである。それに、危険と分かっている仕事中に怪我をしても、アジア人なら泣き寝入りを期待できるから「お得」だ。農作業だって耕作機械を導入するより、インドネシア人に手作業をさせれば、機械のリース代が浮くかも知れないのだ。燃料代が高騰する時代だと、人件費を低く押さえられる外人は魅力的である。それに、無理して高額な機械を購入することもなかろう。こういう社会になれば、日本人の若者に投資をしようとする企業が少なくなり、技術を習得しない日本人が増大するから、さらなる低所得の未熟練労働者が固定化してしまうだろう。

  アジア移民を安易に歓迎する中高年は、自分の子供や孫が直面する恐ろしい未来を分かっていないのだ。若年労働者の人口が減少すれば、一人一人の日本人が貴重になり、高い給料が支払われるケースが増えてくる。彼らを採用した企業も、せっかく雇ったのだから高度な技術を身につけてもらいたい、となるだろう。例えば、土木作業現場でも労働環境が改善されたり、重機を操縦できる若者が多くなるだろうし、危険な作業になれば親方が厳しく監視するようになる。しかし、アジア人の土方を雇うと、日本語が通じないから技術を教えられないし、危険な現場でも気軽に使うようになる。それに、同じ民族じゃないから親近感も湧かず、いつまで経ってもよそ者扱いにしがちだ。もし、親方(現場監督とか社長)の扱いが悪いと、外人労務者が同胞の誼(よしみ)で固まり、一致団結して抗議するだろうし、職場でも日本人と外人組で対決姿勢となって、険悪なムードになってしまう懸念がある。こうなれば、外人を味方につけたい野党が躍進し、日本人の国であった日本を外人にとっての居住国に変えてしまうだろう。

  外人の導入で雇用不安と社会の紊乱が増大し、部外者の日本人にも被害が及べば、必ず「どうしてアジア人なんか日本に入れたのか?」とか、「移民政策の責任者出てこい!」との怒号が飛び交うことになる。移民導入に積極的な安倍首相は、やがて任期切れとなって退陣するから、引退後に「責任」を取ることは絶対ない。経産省や法務省の役人だって、「政治家の先生に従ったまでで、手前どもには責任はございません」と突っぱねるはずだ。結局、惨憺たる結果に対して誰も「責任」を取らず、移民政策のツケは全て一般国民に降りかかってくる。移民の輸入は百害あって一利無しが現実だ。もし移民を入れずに、日本人労働者の不足がもっと深刻になれば、コンビニの無人化、あるいは少人数化が進むかも知れない。例えば、会計はバーコードを使った清算になり、お客は商品を詰めたカゴをレジの機械に通すだけで金額が分かり、あとは電子マネーで払えばよいとなる。

  しかし、安いアジア人が輸入されれば、コンビニ店員は外人ばかりという状態が続くだろう。店内に入った日本人のお客はフィリピン人店員からカタコトで「イラッシャイませ!」と迎えられ、「あれっ、俺はフィリピン・パブに来たのかな」と錯覚するかも知れない。また、複雑な振り込みを頼んだ支那人店員から、ぶっきらぼうに「よくわからないアルヨ。店長呼んでくるから待ってろ!」と言われ、いつまでも待たされることだってあるだろう。仕方なく外人雇った日本人店長は、10円か20円の差で別の店に移ってしまう朝鮮人バイトや、友人にタダで品物を渡してしまう支那人店員に悩むかも知れない。日本人はアジア人バイトを雇うと、想像もしなかった問題に直面するという危険性を覚悟すべきだ。本部の重役から「もっと売上げを増やせ!」とノルマを課せられる一方で、とんでもないアジア人の部下を教育しなきゃならない店長は、身も心もボロボロになるだろう。何度も繰り返すが、日本国民は政府の甘い囁きに騙されてはならない。あとで「こんなはずじゃなかったのに」と愚痴をこぼしても遅いんだぞ。



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