教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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これを読むと彼らの隠された過去が分かる !


意外と自由に作れた昔のドラマ

  今、どこのテレビ局も低視聴率に悩んでいる。特にドラマ部門がひどい。せっかく大金を注ぎ込んで作ったのに誰も観てくれないだから。(それでも、ちょっとはいるけどね。) いくら生活様式が変化し、一般視聴者の趣味が多様化したからといって、こんなに無惨な結果はないだろう。筆者はもう随分と日本のTVドラマを観ていないから偉そうな事は言えないが、つまらない作品を押しつけられたら、人々の心が離れても仕方ないんじゃないか。机にふんぞり返ったテレビ局社員は、スポンサーから大金をもらっているのに、汗水垂らして自分で作らず、「はいよ!」とばかりに下請けの制作会社に丸投げだ。そのくせ、ちゃっかりピンはねをして、自分の懐はホクホクなんだから、低視聴率には子会社の怨念が籠もっていても不思議ではない。テレビ局のプロデューサーどもは綺麗事の報道番組を作って「ブラック企業」を糾弾するが、自分たちも同じ穴の狢(むじな)ということを忘れているのだ。高級取りの正社員たちを羨ましそうに眺める制作子会社とその契約社員は、お偉方の薄っぺらい正義感と自分たちの薄い財布を見て不条理を感じてしまうだろう。かつて、フジテレビは「面白くなければテレビじゃない!」というキャチ・フレーズ公言していたが、今や自分たちの番組じたいが“面白くない”んだから皮肉なものである。

  TVドラマを観ないのにそれを評論するのはフェアじゃないけど、観ようとする前に時間の無駄とも思えるような内容と、どうでもいい俳優陣を揃えているので、端(はな)っから視聴する意欲が湧かないのだ。世のお姉ちゃんやオバちゃん達は、松嶋菜々子や米倉涼子を「すてきぃ~い」と褒めそやすが、筆者からすると「なるほど美人だが、何か才能でもあるのか?」とつぶやきたくなる。昔、ちょっとだけ彼女たちの演技を観た事があるけど、アクビが出るほど退屈だったし、「これ!」といった印象も無かった。それに、筆者は最近の若手俳優に馴染みがなく、名前を教えてもらっても顔が思い浮かばないから、いくらテレビ局が宣伝したって食指が動かない。漫画『進撃の巨人』が映画化された時も、出演者に見覚えがなく、人づてに有名俳優が出ていると聞いたが、役者の顔を見てもピンとこなかった。知っていたのは國村隼だけ。制作会社には気の毒だが、この人気作品の実写版には魅力を感じなかった。毎年毎月放送されるTVドラマも同じで、たぶん、テレビ局の制作者は藝能事務所の依頼で「ドラマ製造」に着手しているんだろう。どうせ、事務所肝煎りの新人役者とかアイドル歌手を世間に売り込もうと、急遽テレビ局側が、昵懇の脚本家にお願いし、中抜きをした予算で適当なドラマを作っているんじゃないか。番組の中身なんかどうでもよく、既に人気のある漫画などを原作にして“無難な”ドラマを放送しているから、庶民の反感を買っているのかも知れない。でも、世間には人気藝人の贔屓筋がいるので、ある程度の視聴率だけは取れるよね。

  先々月だったか、偶然BS11の番組表で『大都会 闘いの日々』を見つけ、「そういえば見逃していたなぁ」と気づき、興味本位で予約録画し、後から観てみた。最初、これといって期待していなかったけど、観てみると意外とおもしろい。「セレンディピティー(Serendipity)」とはこの事か、と思ったほどだ。(ちなみに、「セレンディピティー」というのは、作家で政治家のホレス・ウォルポール<Horace Walpole>が、偶然に良いものを見つける話を綴ったスリ・ランカのお伽噺『セレンディップの三王子The Three Princes of Serendip』を基に広めた言葉である。) 幸運にも最初のエピソードから観はじめたので、ドラマの全31話を楽しむことができた。それにしても、ゲスト俳優が豪華だ。例えば、石橋蓮司、内田朝雄、森次晃嗣、藤岡琢也、室田日出男、志賀勝、蜷川幸雄、橋爪功、高橋悦治、伴淳三郎など渋い役者を招いていた。また、女優たちも贅沢で、丘みつこ、坂口良子、いしだあゆみ、さらに若き日の浅田美代子まで出演していたのだ。「大都会:パート2」ではレギュラーになった松田優作も、第二話でゲスト出演していたからファンにはたまらない。

  石原プロモーションの刑事ドラマといったら、すぐ「太陽にほえろ」とか「西部警察」を思い出してしまうが、実は1976年に開始された「大都会」シリーズが魁(さきがけ)だった。とはいっても、第1作の「大都会: 闘いの日々」と第2作目以降の「大都会」では、月とスッポン、「別物」と言っていいくらい、クウォリティーに雲泥の差がある。後者は派手なアクションを中心とした凡庸な刑事ドラマだ。しかし、前者は非常に地味ではあるが、人間の微妙な心情を丁寧に描いている。演劇にうるさい大人が観ても充分に満足する内容だ。犯罪者が抱える問題ばかりではなく、刑事が苦悩する心の葛藤までも扱っているので、観ている方も共感するところが多い。今のフジテレビやTBSが放送するTVドラマなんか、軽薄な若い兄ちゃん姉ちゃんが、恋愛で浮かれたり拗ねたりするだけのドタバタ劇だ。こんな作品をいい年した大人が観るとは思えない。制作者側のオッチャンたちも馬鹿らしく思っているんじゃないか。

  1970年代(昭和50年代)に制作された「大都会」には、現在では許されない「表現の自由」があった。例えば、「トルコ風呂」とか「トルコ嬢」といった用語が作品中に使われているのだ。第23話では山谷(さんや)にあるドヤ街で元ヤクザが死んでしまい、その愛人はトルコ嬢だった。この回では、死んだ弟分の葬儀を出してやろうとするヤクザの兄貴を演じた志賀勝がとにかくいい。顔附きや物腰が堂に入っている。映画「アウトレイジ」の椎名桔平なんか気取ったあんちゃん程度なのに、「俺って演技が上手いだろう」という臭いをぷんぷんさせていたから、大人の観客なら白けてしまうだろう。ただし、「アウトレイジ・ビヨンド」でヤクザを演じた塩見三省だけは別格。極道者が似合っていて、ドスの利いた声と恐ろしい顔附きが良かった。一方、共演者の西田敏行は真剣なんだろうけど、極道が似合わずどうしてもピエロに見えてしまう。

  また、第26話の「雨だれ」では、兇悪殺人を犯すヤクザに妹がいて、この妹は兄貴が刑務所に入っているあいだ、兄貴の暴力団仲間に輪姦されてしまい、そのうえトルコに売り飛ばされてしまうのだ。しかも、売春生活に疲れた彼女は自殺するという筋書きであった。この回では「トルコ」の音声が消されていたが、前後の会話から察しがつく。面白かったのは、第23話で「トルコ」の音声が消されていたけど、街角にある「トルコ」というネオン・サインは映し出されていたので、視聴者は放送禁止用語が抹殺された事に嫌でも気づいた。そう言えば、NHKのBS放送がアニメ「海のトリトン」を放送した時のことだ。敵となった怪獣が無口なトリトンに向かって、「お前はオシか?」と尋ねるシーンがあったけど、その言葉は消されていたのである。子供たちは怪訝に思ったろうけど、口の利けない人を指す侮蔑用語とは分からなかったはずだ。

  「大都会」のストーリーには、戦後の話が盛り込まれていたりする。例えば、第11話「大安」では、大日会の組長を演じる杉山(内田朝雄)が、堅気として育てた娘の結婚式で悩むストーリーになっていた。杉山はれっきとした組長ではあるが、殊のほか子煩悩で、それ程の悪人ではないのだ。彼は戦後の貧しさの中で、やむなく極道の道に堕ちてしまったという。(このへんの事情については、拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』を読んでね。) 居酒屋で黒岩と向き合う杉山は、敗戦後の日本における第三国人、すなわち特権階級となった朝鮮人が如何に暴力をふるったかを語っていたのだ。今でも腸が煮えくり返るが、警察でも太刀打ちできぬ朝鮮人に、我々の同胞は歯ぎしりしながらじっと堪えていた。それでも堪えきれぬ時は、男気のあるヤクザに頼るしかなかったのである。たぶん、脚本家の倉本聰は朝鮮人の横暴を知っていたのだろう。今なら絶対に、たとえ自爆覚悟でも、台本にできぬセリフであった。我々は昔のテレビ界が意外と寛容的だった事に驚く。こんにちでは、朝鮮系スポンサーの目が怖くて「自由」にドラマを作れないのだ。

やっぱり役者は豪華でなきゃ

  アルフレッド・ヒッチコック監督じゃないけど、映画はキャスティングが命だ。第1作目の「大都会」にはうっとりするほど、実にいい役者が揃っていた。主役はもちろん渡哲也。渡が演じる黒岩頼介(くろいわ・らいすけ)は、元々、奈良県にある大和警察署に勤めており、そこでは暴力団対策課の刑事であった。しかし、妹・恵子の「事件」が原因で長野県警本部へ異動となり、その後、深町行男(ふかまち・ゆきお)警視に拾われて、舞台となる城西署勤務となる。綽名は単純で「クロ」。柔道や空手の達人であるが、いたって無口。そのうえ女の扱いが下手ときいてるから、図体は大人でも心は少年のようだ。こんなクロさんは剛直清廉で仕事一筋。風呂も無い狭いアパートの一室で、百貨店で働く妹と一緒に暮らしているんだから、本当に妹思いだ。彼らの生活を観ていると、1970年代の雰囲気が伝わってくる。近くの銭湯に妹を連れて出掛けるなんて、南こうせつが歌う「神田川」の情景を偲ばせるじゃないか。

  この妹、黒岩恵子(けいこ)を演じているのは若き日の仁科明子。兄貴の世話をする明るい妹で、とっても可愛い。今の仁科氏は中高年女性と化しているが、当時は初々しかった。かつて田村正和は「女は魔物だ」と呟いたが、別な意味で女は時と共に「魔物」となってゆく。それはさておき、ドラマの中で明かされる恵子の過去が痛ましい。奈良県に住んでいた頃、兄がマル暴のデカであるため、逆恨みをしたヤクザが報復として、彼女を輪姦したのである。妹の強姦を聞きつけたクロは、激昂して拳銃を手に復讐しようとするが、同僚刑事から力ずくで制止されてしまう。そこで、やむなく妹のもとへ向かうことにした。すると、恵子は降りしきる雨の中、暗い場所に独り佇んで、傘もささずにずぶ濡れになっていた。輪姦された事を物語る破れたセーラー服が目に焼き付いて離れない。この凄惨な過去は黒岩刑事と妹に絶えずつきまとっている。後に恵子が新聞記者の九条(神田正輝)と恋仲になるが、この暗い過去のせいで破談となってしまう。それにしても、今のドラマでこんな設定はまず無いよなぁ。いくら昭和50年代の初めとはいえ、暴力団犯罪を専門に扱う捜査第四課という舞台設定は珍しかった。

  渡哲也を主役とするも、彼と並ぶ重鎮は石原裕次郎だ。彼は東洋新聞社会部のキャップで、人情肌の「滝川竜太」を演じていた。この渋い顔が似合う滝川は、いつも城西署の記者クラブに陣取って、賭け麻雀や将棋に興じている。(渡扮する「クロ」は彼の後輩。) そこで附いた綽名が「バク」さん。無類の博奕(ばくち)好きであるからというが、「もう賭け事はしない」と誓ってカミさんと結婚したのに、何かと言えば記者仲間とお金を賭けるんだから呆れてしまう。現在では信じられない設定だけど、新聞記者が警察署内で堂々と賭け麻雀をするんだから、こっそりと賭けゴルフを楽しんでいる本物の県警本部長たちは、仲間内で「いい時代だったよなぁ」と溜息をつくかも知れないな。これも余談だけど、「バク」さんはいつもパイプを加えてセリフを吐いていたけど、後輩の「クロ」もしょっちゅうタバコを吹かしていたので、「タバコ会社の回し者か」と思える程であった。昭和の頃は頻繁にタバコの広告(CM)がテレビで流れていたから、今のような禁煙ブームは無かったし、気にする人も少なかったのでヘビー・スモーカーにとっては古き良き黄金時代だった。

  こうしたビッグ・スターを看板にした「大都会」はいかにも石原プロの作品らしいが、このドラマがもつ魅力の一つは、主役の脇を固める役者にあった。先日亡くなった石原プロの大番頭、小林正彦(愛称「コマサ」)専務はいい仕事をする裏方であったことに間違いない。ゲスト俳優もさることながら、捜査四課の面々がこれまた上質なのだ。

  とりわけ刮目すべきは、捜査課長の深町行男を演じる佐藤慶(さとう・けい)。「大門軍団」じゃなくて「深町軍団」を率いる佐藤慶は、警視庁きっての腕利き課長で、冷静沈着、暴力団捜査に関しては冷血とも思えるほどの豪胆さを持っていて、犯人検挙のためなら深遠謀略さえ厭わない。だが、その鋭敏な性格に似合わず、甘い物が大好き。彼はしばしば好物のチョコレートを口にする。深町が捜査の進展を聴きながら、チョコレートを食べる仕草が実にいい。佐藤慶が見せる冷徹な官僚の表情が絶妙なのだ。思わず「上手い !」と膝を叩きたくなるような演技である。さすが、「新・必殺仕掛人」で辰藏(たつぞう)を演じた役者だけに、重厚な演技であった。彼は数々の作品に登場し、その存在感は圧倒的で、例えば、TVドラマの「玉と砕けず」では森鷗外を演じたし、「白い巨塔」主役の財前五郎をこなし、映画でも「動乱」「白昼の死角」「野獣死すべし」などに出演し、異彩を放っていた。まさくし「名優」に相応しい。惜しい人を亡くしたものである。

  その他の脇役には、捜査四課の係長・加賀見乙吉を演じる中条静夫(ちゅうじょう・しずお)がいて、まさしく役所の中間管理職といった役割を担っていた。しかし、その中条より「渋い味」を出しているのが、「トボケの丸さん」こと丸山米三(まるやま・よねぞう)を演じた高品格(たかしなな・かく)だ。派手な挌闘シーンを見せる二枚目役者と違い、ずんぐりとした体型の中高年刑事を演じているところが実にいい。街中で拳銃をぶっぱなす現実離れした警官ではなく、聞き込みや張り込み、資料漁りといった地道な捜査を積み重ね、確実に犯人を追い詰める手法を取るところがとてもリアル。あるエピソードでは、威厳がありドスの利いた雰囲気を漂わせているので、伴淳三郎扮する旅館の客引きからヤクザと間違われた事もあるくらいだ。(この時の伴淳がまたいい。いかにも田舎にある温泉旅館で働くオッさんといった感じで、下っ端役が板に附いていた。さすが、昭和の名人は腕が違う。)

  「大都会」には今では考えられない配役があって、バクさんが属する記者クラブには、同業者に扮する宍戸錠や柳生博、平泉征(現在は「成」)がいて、麻雀相手となっていたのだ。しかも、バクさんの部下には有名人が揃っていて、チョビ髭を生やした寺尾聰や新人俳優の神田正輝が陣取っていたのである。今でもそうかも知れないが、神田正輝の演技が素人並にひどい。スキーはプロ級でも舞台に上がると新鮮な大根役者といったところだ。セリフの棒読みが誰にでも分かるから、石原裕次郎が苦労したのも察しがつく。

篠ひろ子は美しかった

  これは筆者の個人的趣味だからご勘弁頂きたいが、劇中でクロさんと親しくなる女優の篠ひろ子が素晴らしい。可憐だが影のある三浦直子(みうら・なおこ)を演じていて、観ている方も何とかして助けたくなる。美人は得だなぁ、と実感するのは男ばかりじゃないだろう。それはともかく、この直子も悲惨な過去を持っている。彼女はヤクザの素性を隠す久光公次(伊吹吾郎)に惚れていた。黒岩刑事たちは久光を追跡する捜査の一環で、直子に接近することにしたのだ。最初、クロさんは久光を捕まえるためナイト・クラブ「ムンク」を訪れ、そこに勤める直子と接触し、野球好きで北海道から上京したスポーツ店の経営者と偽って、直子と親しくなろうとする。もちろん、これは囮捜査なのだが、直子はクロさんを気さくなお客と思っていた。

  ところがある日、久光に会いたかった直子は、彼の名前を騙る者から旅館に呼び出されてしまう。そこで、指示された部屋に入ってみると、数人のヤクザ者が控えていたから驚いた。ただちに帰ろうとする直子であったが、下劣な男どもに羽交い締めにされ、無理やり蒲団の上に押し倒されてしまうだ。このヤクザたちは予め撮影カメラを用意しており、必死で抵抗する直子を輪姦する一方で、そのシーンを一部始終録画したのである。その後、直子はこのブルー・フィルム(卑猥な映像)の件でヤクザたちから恐喝され、これ以降ずっとフィルムの存在に怯える日々を過ごす事になるのだ。

  この強姦を隠す直子は久光にホテルで会おうとするが、その現場にはクロや丸さんたちが張り込んでいた。ホテルで直子に会った久光は、ヤクザ仲間に呼び出され、階上のトイレに入るが、そこで待ち受けていたヤクザに刺し殺されてしまう。久光のヤクザ仲間は捜査四課の刑事たちに気づいていたのである。つまり、トカゲの尻尾切りで久光を始末したということだ。恋人の久光を亡くした後も、直子はクロに会い続け、当初は情報提供者として接していたクロも、次第に直子への感情を強めて行く。寡婦のようになった直子もクロの正体を分かっているが、客として「ムンク」にやって来るクロに好意を抱き、温かく迎えるようになった。彼女は黒岩と接するうちに恋心を抱くようになる。直子は黒岩の助けになればと思って時折、ある筋から仕入れたヤクザの情報を伝えるようになった。クロは「危険だからやめてくれ」と警告するが、直子は暴力団の情報を彼に与え続けた。しかし、どうして彼女が組の極秘情報を手に入れることが出来たのか? この秘密については、後に明らかとなる。でも、クロさんに少しでも役に立ちたいと思う女心がいじらしい。思い切って「好き」と告白できたらどんなに嬉しいことか。だが、あの輪姦シーンを収めた「ブルー・フィルム」がある限り、黒岩との真剣な交際は不可能だ、と直子は諦めていた。

  一方、クロはブルー・フィルムを執拗に追い求めていた。ある取り調べが切っ掛けで、問題のフィルムが熱海に存在すると聞きつけ、色々と探りを入れてようやく所有者を見つけるが、あと一歩というところで取り逃がしてしまう。クロと丸さんが熱海の温泉旅館に赴いて分かったことは、直子のブルー・フィルムが温泉街の密室で上映されていたという事実であった。その時の案内役が、伴淳扮する旅館の客引きであった。このフィルムは実際の強姦を撮影した映像であったから、“本番”を望むお客の反応が良く、儲けになると踏んだ地元暴力団が、温泉客に見せて資金源にしていたのだ。クロに心を寄せる直子にしたら、あのフィルムがある限り黒岩とは一緒になれないし、もし一般に公開されたら生きてはいられない、と思っていた。確かに、ヤクザ者に凌辱されるシーンを世間に知られたら、とても普通に生きて行ける訳がない。直子やクロさんが必死になって捜すのも当然だ。

 そんな直子には頼りたくないが、強力な頼みの綱があった。それは政財界と暴力団を繋ぐフィクサー、桂木俊二郎(山内明)であった。直子は行方不明のフィルムを取り返すために、暴力団に顔が利き、裏社会に精通した桂木の情婦になっていたのだ。一方、こんな事情を知らぬ黒岩には、先輩デカの丸さんから縁談の話を持ち掛けられていた。捜査四課でお茶くみや事務仕事をしている清水英子がクロに惚れているから、「クロさんの結婚相手にどうか」と料理屋で飯を喰っている時に丸さんが尋ねてきたのだ。戸惑う黒岩は直子に惚れていると正直に告げて断れず、丸さんの話にうなづいてしまうのだ。「クロさん、小学生の坊主かよ」と叱りたくなるが、女に関してはズブの素人なので、なかなか直子に本心を晒すことができない。観ている方からすると、クロさんの態度がもどかしく、まるでゴルディアス(Gordias)の結び目を見ているようだ。クロさんはアレクサンダー大王みたいに、難問を一刀両断にすべし。もじもじしていないで、直子に向かってはっきりと「好きだ」って言えばいいじゃないか。でも、クロさんは仕事一筋の堅物だからしょうがないか。

  それでも、「あんたアホか!」とクロさんに言いたくなる。店で丸さんの話を承知したクロさんは、直子に会うためバー「ムンク」を訪れ、直子を侍らせながら大酒を呑んだ。無神経にも程があるが、クロさんは彼女に縁談の事を話し、浮かれ気分でベロベロに酔っ払ってしまう。ドンチャン騒ぎが一段落してクラブを後にした二人は、帰宅しようとタクシーに乗り込む。車内で泥酔状態のクロさんを介護する直子は、英子との縁談を「いいんじゃない」と賛成した。凌辱された直子にとって、刑事の黒岩との結婚など夢のまた夢。冷静さを装う彼女のしぐさが胸に突き刺さる。もう、馬鹿というか意気地無しというか、酔っ払ったクロさんは本当の気持ちを直子に伝えられないのだ。好きな女の子を目の前にして告白できない中学生みたい。そうするうちに、タクシーは直子のマンション(高層長屋)に着いてしまう。クロさんは車内でぐったりしていて、直子は酔っ払ったクロさんを残し、タクシーを降りる。建物に入った直子は、エレベーターに向かって歩いて行く。エレベーターに乗った直子は扉を閉めようとした。ところが、エレベーターの扉が閉まる前、突然クロさんが直子の目の前に現れた。そして、黒岩は彼女に抱きつく。そして衝撃的な言葉を口にした。

    「結婚してくれ。あんたしかいないんだ !」

  勇気を振り絞って告白をしたクロさんは、さっと踵(きびす)を返して立ち去ってしまう。予想もしない告白を受けた直子は、エレベーターの中に佇んだまま、驚きと喜びで茫然となっていた。

  何だよ! やれば出来るじゃないか! 格好良すぎるよクロさん。そうだ、男は度胸を持たなくっちゃ。全身の血が沸騰するほど愛した女なら、何も言わず抱きしめればいいじゃないか。理屈なんていらないだろう。燃え上がる恋はいくら消しても再燃するんだから。直子だって嬉しいはずだ。冷たく閉ざされた彼女の心を解かすのはクロさんの情熱しかないんだぞ。映像からは判らないけど、クロさんは酔っ払っていても頭は醒めていて、告白するタイミングをずっと窺っていたんだろうなぁ。だから、最後の最後に、タクシーから飛び降りて直子のもとに駆け寄ったんだろう。それにしても、「あんたしかいないんだ」っていうセリフは憎いねぇ。これこそ、「殺し文句」っていうもんだ。

  一方、女の勘は鋭いもので、片思いの英子は気づいていた。黒岩には誰か他の女性がいるのだ、と。この時、英子の父親は娘が恋心を抱く黒岩に手柄を立てさせようと、ある馴染みのヤクザ関係者に接近していた。英子の父親は元刑事で隠居の身だったが、危険を冒して桂木たちの壮大な計画を暴こうとしていたのである。(娘の結婚を何とか支援したいという親心が伝わってくる。) 支那大陸で暗躍した経歴を持つ桂木は、闇社会と政界とを結合させて、暴力団の一大勢力を築こうと企んでいたのだ。しかし、英子の父親はその意図をヤクザたちに察知されて殺されてしまう。この殺人事件を解決し、フィクサーの桂木を逮捕せんとする黒岩は、桂木が潜むホテルを張り込んでいた。ところが、そこで信じられない人物を目撃する。桂木の情婦を確かめようとしていたクロは、1階のロビーに潜み、桂木の部屋から出て来てエレベーターに乗り込んだ女を待っていた。そして、物陰に隠れていたクロは、エレベーターの扉が開いた瞬間、その目を疑った。降りてきたのが直子だったからである。直子は自分の肉体と引き替えに、例のフィルムを取り戻してくれるよう桂木に頼み、それがやっと叶ったのだ。

  直子が桂木の女と知って黒岩は愕然とする。しかし、英子の父を殺した犯人を逮捕し、桂木たち暴力団を一網打尽にしようと意気込む深町課長は、こっそりと直子に接触し、このまま桂木の情婦を続け組織の情報を流してくれ、と協力を求めた。深町に告げてはいなかったが、フィルムを取り戻した直子は、恐ろしい桂木と手を切って、黒岩と一緒になりたかった。彼女は情婦の件を黒岩に知られていないと信じ、深町の要求に応えて桂木の情報を流すことにした。しかし、組織の内部情報が漏洩していることに勘づいた桂木は、直子を疑いつつも、彼女を愛人として囲い続け、二人で香港に高飛びしようとする。

   危ない橋を渡っている直子は再び黒岩に会うが、本当の事情を告げることができない。黒岩も捜査課と直子の関係を自分が承知している事を暴露できずにいる。直子は自分の気持ちを押さえながら、惚れた黒岩との静かな会話をもつ。何もかも棄てて一緒になれない二人の姿が痛ましく、花嫁衣装を着た自分を夢見る直子が不憫でならない。二人は昔話をしながらも、決して本心を語らず、そのまま別れてしまう。そうこうしているうちに、暴力団幹部が続々と逮捕され、深町の手が桂木に伸びてくる。しかし、捜査が大詰めを迎えようとした時、桂木は既に空港に着いていて、香港行きの飛行機に搭乗する寸前だった。直子は空港の公衆電話から警察署にいる黒岩に最後の別れを告げる。彼女は深い悲しみを堪(こら)えながら、自分は昨日まで、否ついさっきまで一緒になれると思っていた、と口にしたのだ。この胸が張り裂けそうな会話を終えると電話を切り、後ろ髪を引かれながらも直子は香港へと旅立つ。直子は桂木と共に飛行機に乗り、二度と日本に帰らぬ覚悟であった。

  現在の我々なら、「ヤクザとの肉体関係なんか気にせず、黒岩の胸に飛び込めよ」と思ってしまうが、古風な考えの直子はそっと身を引く事を選んでしまったのである。黒岩とは一緒になれない。穢れてしまった体を恥じたのだろう。幸せを求めながらも、自ら不幸な道を歩んでしまう直子。もの悲しくも美しい彼女の表情に、つい惹かれてしまうのは男の性(さが)なのかねぇ。脚本家の倉本聰も随分と憎い筋書きを作ったもんだ。筆者は昔から篠ひろ子が好きだったけど、子供のころ見逃した「大都会」を観て、もっと早く発見していれば良かったと後悔している。自分の気持ちをクロさんにぶつけられない、直子の奥ゆかしさ、愛する刑事に何とかして尽くしたい、と考える直子の役に篠ひろ子を起用したのは正解だった。それにしても、可憐な美女を救ってあげたいと考えてしまうは、大抵の男がもつロマンなのかも知れない。

  何十年も前に放送された重厚なドラマを観てしまうと、軽薄なドラマを大量生産する現在のテレビ局が情けなくなる。今では「大都会」みたいな社会派ドラマを作るプロデューサーなんかいやしない。テレビ局のプロデューサーやディレクターにとって、失敗しない作品を放送するのが最優先で、視聴者がどう思おうと自分のクビが繋がればいいのだ。視聴率が10パーセントに満たなくったって平気。たとえ4、5パーセントでも大勢の人が観ているんだから、屁理屈を捏ねれば言い訳が立つ。でも、失敗を恐れて失敗作を産み出すなんて馬鹿げている。だいたい、小うるさい視聴者からのクレームを気にして良いドラマを作れるのか? ドラマが陰惨なストーリーだったり、暴力的なシーンを含んでいても、観客にどうしても伝えたい情熱がこもっていれば、とこかに評価してくれる人が出てくるはずだ。ヒラメのように上司ばかり見ている局員じゃ成功しないぞ。偉大な科学的発見だって、山のようなな失敗から生まれるんだから、テレビ局はもっと勇気を持ってドラマを作るべきだ。



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