支那人と朝鮮人の暗い歴史が明らかとなる!
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  今回は出版に伴った特別編で、『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』にページ数の都合で収録できなかったエピソードを紹介します。(朝鮮人が破り捨てたくなる拙著ですが、日本国民は気にせず読んでください。)

朝鮮文化を刷り込むNHK

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(左: 罰せられた李氏朝鮮の罪人たち / 右: 整形手術で西洋風になった朝鮮人女性)

  日本人からお金を巻き上げて、「これでもか」っと朝鮮人に尽くすNHKは、またもや日本人の怒りを買ってしまった。クールポコの小野君じゃないけど、「何ぃ~、やっちまったな!」と声を張り上げたくなる。同局で放送する連続ドラマ『べっぴんさん』で、出演する男優が「朝鮮式」握手を交わしたそうだ。なんでも、相手と握手する右手を左手で支える仕草をしたらしい。昔、橋本龍太郎首相が南鮮大統領の金泳三と会談した際、朝鮮式の握手にこだわって、年上の金氏に「敬意」を表したことがある。それを見た日本国民は「卑屈だ!」と批判したが、橋本首相はそんな野次に動じなかった。このポマードをつけた「あんちゃん」風の宰相は、朝鮮人に卑屈な態度をすれば相手が喜ぶと思っていたのだ。しかし、橋本には忘れている事があった。それは日本国の総理大臣という身分である。いやしも、天皇陛下から行政の大権を戴いているのに、南鮮の大統領ごときに媚びへつらうとは、昔なら切腹とは言わないまでも、土下座の謝罪と自宅蟄居を以て反省するのが普通だろう。

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(左:  橋本龍太郎と金泳三 /  右: 「べっぴんさん」での握手シーン)

  こんな橋本とは違って、マイクロソフト社を創業したビル・ゲイツの方が遙かに凜々しかった。彼は朴槿恵と面会した時、アメリカ人らしい気さくな態度を取っていたが、南鮮人は激昂したらしい。といいのも、彼は左手をズボンのポケットに入れたまま、大統領と右手で握手を交わしていたからだ。(Becky Evans, Bill Gates 'disrespects' South Korea's female president by shaking hands while keeping other in his pocket, Daily Mail, 23 April 2013)  事大主義をとってきた朝鮮では、片手のみの握手は無礼とされ、こうした挨拶は年下か、友人間でのみ行われるものだという。つまり、たかが民間企業の創設者ごときが、偉大な朝鮮の国家元首を「格下」に扱ったことが許せないのだ。でも、ビル・ゲイツでさえ朴槿恵を近所のオバはん程度にあしらったのだから、我が国の首相も小娘程度に扱うべきだ。そして、もしも、お金に困った朴が日本へ「無心(せびり)」に来たら、頭ぐらいは撫でてやってもいい。ただし、「いくらスネても、何もやらないからな!」と言い聞かせることが肝要である。

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(左 : 朴槿恵とビル・ゲイツ / 右: 朴槿恵とマーク・ザッカーバーグ)

  それでも朴大統領が「援助を欲しい。ゼニをくれ。日本人のけちん坊ニダぁ~」とゴネねたら、尻を蹴飛ばして「自分で稼げ」と叱りつけることだ。いくら反日を叫んでも、泣きつけば最後に折れてくれ、お金がもらえると計算している朝鮮人には、「世の中はそんなに甘くねぇぞ」と教えてやらねばならない。これこそ、真の国際貢献である。それと、スカンぴんになった朝鮮人が日本に潜り込んできたら、その襟首を捕まえて容赦なく叩き出し、「朝鮮で熱心に働け」と説教してやることも重要だ。安易な永住と帰化を許してはならない。朝鮮人は自分勝手な上に傲慢だが、そうさせているのは日本人にも責任があるのだ。

見渡せば一面が不愉快な朝鮮半島

  日本国民は反日を叫ぶ南鮮人に腹を立てるが、彼らが祖国に留まっている限りにおいては、どれほど反日・侮日でも構わない。しかし、この劣等民族が我が国にやって来て、図々しくも居坐ることになれば話は別だ。朝鮮人は自国で散々日本人を侮蔑してきたのに、いざ日本に永住するとなるや、途端に「日本人の朝鮮差別は許せなぁ~い。日本人謝れぇ~、アイゴ~!、あいごぉぉ~ぉう !」と喚(わめ)きちらす。涙と一緒に鼻水までもが下唇に溜まってしまい、見ている日本人は可哀想と思ってしまうけど、本心では不愉快だから「あっちへ行っちまえ! 鮮人 !」と言いたくなる。ただし、朝鮮人は根本的にしつこいから、いくら追い払っても再び戻ってくるだろう。そういう時には塩を撒くより、うるさい朝鮮人の口をこじ開けて、大量のナメクジを流し込んでやるしかない。こうすればちょっとは静かになる。

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(左: 餅つきをする朝鮮人 / 右: 背中に甕を背負う朝鮮人)

  朝鮮人は恥ずかしくて言えないけど、日本人が統治する前の朝鮮は、文字通り「汚穢の国」だった。子供だって厭なのに、ババァやジジィになればもっと汚らしい。何でこんな生物が日本の直ぐ近くに棲息するのか、天の摂理(Providence)を恨みたくなる。かつて、旧約聖書に登場するユダヤ人の神様は、悖徳の都、ソドムとゴモラを滅ぼしたんだから、「ついで」と言ったらなんだけど、朝鮮人も一緒に葬ってくれれば良かった。ただ、日本人の中には「支那人も一緒に滅ぼしてくれ」とお願いする人も居るだろうが、それはちょっと無理かも知れない。支那人ってのは、神様が操る火炎放射器の高熱にさえ耐えられるからだ。全面核戦争の放射能汚染でも生き延びる連中だから、ヴェスヴィオス火山の溶岩はもちろんのこと、ハルマゲドンの火柱だってへっちゃらだ。

  とまぁ、アジア人はしぶといから中々くたばらない。それよりも、我々は来日する朝鮮人の生態をはっきりと認識すべきだ。日本政府は安直に彼らを帰化させるが、受け容れ側の日本国民はその「新日本人」がどんな素性を持っているか分かっていない。そもそも、彼らはなぜ祖国を棄てて憎い隣国にやって来るのか? また、朝鮮人はなぜ自らの過去を隠したがるのか? 日本人は朝鮮人から所謂「植民地支配」について非難されると、反論もせずに萎縮してしまうが、それは日本人が密かに朝鮮を劣等民族と思っており、身体障碍者のような「弱者」と見なしているからだろう。しかし、日本人による朝鮮統治は、世界史的に見ても類い希なる「恩寵(grace)」であり、日本人が一方的に国富を分け与え、朝鮮人が最大の受益者であった。譬えて言えば、朝鮮人は年末ジャンボ宝くじに10回も連続当選したようなものだ。もし、当選者の朝鮮人が100億円もらったのに、「宝くじを数枚買うために千円も使ってしまったニダ」、と嘆いたら日本人はどう思うのか? 仮に、大金を渡した銀行が「お客様、札束が重すぎてどうも済みません。持ち運びが大変でしょう」と朝鮮人に謝ったら、日本人は銀行員に向かって、「あんた馬鹿じゃないのか」と野次を飛ばすだろう。したがって、我々は朝鮮人に謝罪するどころか、逆に満腔の感謝を彼らに要求すべきだ。

Usuda Zanun 1(左 / 薄田斬雲)
  敗戦後の日本では、なるほど「言論の自由」が謳われていたが、その実態は「制限された許認可」程度のものだった。しかし、敗戦前の日本は基本的に自由で、知識人は歯に衣を着せず、ズバズバ本音を語っており、進歩的知識人が聴いたら目を吊り上げて激怒する言論でも、意外と許容されていた。だから、「戦前真っ暗史観」は戦後に作られた虚構である。明治の頃には剛直な知識人がいっぱいいて、その一人に薄田斬雲(うすだ・ざんきん/本名:貞敬)がいた。彼は明治時代に活躍したジャーナリスト兼小説家で、朝鮮を描写する筆は軽いが的確。加えて、観察力も鋭かったから、読んでいて清々しい。やはり正直が一番だ。

  薄田氏は朝鮮人に対して遠慮が無く、訪問先の朝鮮社会を一刀両断。今では放送禁止用語になっている「ヨボ」を連発し、「老耄」という漢字まで当てて使っていたのだ。一般の日本人は「ヨボ」と聞けば侮蔑語と考えがちだが、「老耄(ヨボ)」という言葉は元々、「おいおい」とか「もしもし、あなた」といった他人への呼びかけであった。しかし、それがいつの間にか朝鮮人の代名詞となってしまい、それが日本人の間に定着してしまったのである。たぶん、「ヨボ」という音の響きが、日本人に“ヨボヨボ”の老人を連想させたから、間抜けで活気の無い朝鮮人にピッタリだったのであろう。現代の小学生が「ヨボ」を学校で習ったら、必ずや帰化鮮人の同級生を「ヨボ」と呼んでしまうだろう。何となく可笑しいので、「ヨボ、ヨボ、ヨボボボボ~」と鮮人児童をからかって笑い転げるんじゃないか。サッカーの練習でも、日本人の子供がドリブルする鮮人に向かって、「おいヨボ、今だ、シュートしろ !」と言いそうだし、失敗した子に対しては「こら、ヨボ ! 何やってんだよぉ~、トロいなぁ」と愚痴をこぼすかも知れない。そうなれば、馬鹿にされた子供の親がカンカンになって学校へ乗り込んでくるから、担任教師は平謝りで、教頭先生まで余計な厄介事に巻き込まれることになるだろう。だから、朝鮮人の過去には触れない方が利口だと先生は考えるのだ。

  でも、陰鬱な朝鮮を訪れ、汚らしい朝鮮人を見かけた斬雲は、『太陽』という雑誌にエッセイを寄稿し、感じたままを筆にして読者に示した。例えば、彼は朝鮮人の群れに入った時の状態を次のように描写する。

     『ヨボ』と尻上がりに怒鳴り付けると、土色に染まった白い廣股引(たんぶくろ)姿の韓人共は、『アイゴー』と、惶(あわただ)しく、脅(おび)へた目を振り返つて、ヨボヨボと路(みち)を開く。(薄田斬雲 「老耄國(ヨボこく)」 『太陽』第13巻第12号 明治40年 p.177)

  現在では、「韓流ドラマ」という捏造番組の影響で、朝鮮人はみんな色とりどりの鮮やかな衣装を身に纏っていた、と思われてしまうが、実際の朝鮮人は茶色く薄汚れた白衣、あるいは小便で黄ばんだ様な白い作業服を着ていたのだ。染料技術が無かったのか、着物にデザインを施すことができず、白い生地のまま服を着ていたのである。ただ、幼い子供は青や赤の交じった服を着ていたが、それは染め上げたものではなく、色の付いた布を継ぎ接ぎしたものであったという。つまり、半端な布切れかボロ切れを縫い合わせただけの雑巾だったということだ。そう言えば、日本統治が始まった頃、ある西歐人が朝鮮の村を訪れ、小汚い街並みと浮浪者みたいな通行人を目にしてショックを受けた。そして、彼が乞食のような村人を見かけたので、お伴の通訳に「あれは誰だ?」と尋ねたところ、その通訳は「この村で一番きれいな人です」と答えたそうだ。日本人なら理解できるけど、当時の朝鮮における不潔さといったら言語に絶するものがあり、西洋人の想像を遙かに越えていたのである。

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(左: 朝鮮のプリンス / 中央: たらいを頭に乗せて働く女性 /  右: 街中の老人)

  日本人は鎖国が長かったせいか、美しい自然に恵まれいるのを当然と考えているが、日本海を隔てた朝鮮と比較すれば、必ずや我が国の森林渓谷を再確認し、その天然財産に驚くだろう。日本各地が四季折々の風物で満ちており、山を見れば浮世絵にしたくなるほどの絶景で、川の水は清らかで澄んでいる。花鳥風月は詩を詠むために存在しているかのようだ。ところが、朝鮮半島は「過疎化が進む寂(さび)れた地獄」、良く言って「出来損ないの別天地」といった感じであった。汽車に乗って眺める風景は無惨で気が滅入ってくる。緑が削られた山の斜面は、太陽が照りつけると焼け石の塊みたいだし、山々の形はノコギリの歯みたいに高く聳えている。冬になれば極寒の地で、日本の雪景色とは大違いどころか桁違い。掃き溜めに降りる鶴だって、朝鮮には渡ってこないだろう。渡り鳥にだって「選択の自由」があるから、臭くて貧乏な朝鮮には近寄りたくはない。

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(左:朝鮮人の家屋と風景 / 右: 朝鮮の城壁)

  斬雲は宿場へ向かう途中、朝鮮の風景を眺めたが、何かが燻(くすぶ)るような臭気がして、それが鼻を突いたそうだ。文明と疎遠の朝鮮は臭いだけでなく、その大自然にも魅力が無かった。斬雲曰く、

  江山十里掌中に落つる明暗なく。江岸揚柳烟る唐詩の情趣もない。(p.179)

  日本の風光明媚に慣れた斬雲によれば、朝鮮の山は灰色に禿げていて、これといった河がなく、水なく、渓流もない。井戸水も乏しく、全都市は枯渇している。朝鮮には感動よりも失望の方が多い。しかも、住んでいる人間がこれまた酷かった。斬雲は露骨に評していて、「あちこちの大通りらしい處には白衣のヨボどもがいて、蟻が這いつくばるように蠢(うご)めいている」と述べていた。ただし、フランスの教会堂だけは高く槍のように尖っていて、周りの朝鮮人の住処(すみか)から突き出していたという。一方、低い建物しかない朝鮮人街は煤(すす)けて汚い。藁(わら)葺き屋根の家はみすぼらしく、ヨボの家屋は五、六寸の角石を縄で括って泥壁で積み上げているだけだった。こうした建築物だと屋根にも厚く泥を塗り、その上に瓦とか藁を葺(ふ)いていたそうだ。床は平石を張っていて、やはり泥を塗っており、その上に油紙を貼り付けている。朝鮮人はこうした床の下で松葉を焚いて暖を取るから、寒中でも平気で寝ていられるという。ただし、油断がならないのは、部屋が温まると南京虫や虱、その他、訳の解らぬ虫が這い出てきて身体に噛みつくから、日本人にとっては恐ろしい家屋である。

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(左: 朝鮮人の家屋 /  右: 家屋に集まった子供たち)

  確かに、ヨボの家は人間用の建物だけど、それは単に寒暑と雨露を凌いで、食事と睡眠をとるだけのものである。色々な装飾を施し、人と歓談するために用意されたものではない。それでいて、住宅の内部にある設備と、そこでの作業は大切な秘密らしく、他人から覗かれることを極端に嫌うらしい。もし、隣に日本人が引っ越してきて、二階造りの住宅を建てられると、朝鮮人は階上から見下ろされることを忌み嫌い、ついには引っ越しをしてしまうそうだ。しかし、こんなことをされたら逆効果となるだろう。「覗き」が趣味ではない日本人でも、「いったい朝鮮人は家の中で何をしているんだ?」と興味が湧いてしまうんじゃないか。支那人と同じく、朝鮮人も家屋を厳重に壁で囲い、女房子供を中に閉じ込める風習を持っている。もしかして、昼間から夫婦で変態プレーをしているのかな?

Korean old times 1( 左 / 朝鮮人のみすぼらしい住宅)
  それにしても、朝鮮の街並みはとても暗くて陰鬱だ。斬雲によれば、黒みがかった灰色の屋根は低く、まるで手足を縮め、艶気が無い亀の甲羅のようだった。昌徳や景福の王城跡でさえ、幾百年掛けて塵や煤煙(けむり)で煤(すす)けたミイラに見えたらしい。街を歩けば、やけに毒々しい化粧をした女が、紅や薄緑の派手な日傘をさしてゾロゾロと歩いていたそうだ。ちょっとした路地裏に入れば、牢屋のような屏や壁があって、重そうな扉が半開きになっていると、その間からヨボの女が顔を半分出してるといった具合だった。愛くるしいスコティッシュ・フォールドかアメリカン・ショートヘアといった猫ならいいけど、薄気味悪い朝鮮人の顔じゃぁ、背筋が寒くなってくるじゃないか。譬えがマズいけど、暗闇から素顔の黒柳徹子が現れてきたようなものだろう。また、そんな通りを抜けて裏町の空き地に出れば、ヨボどもは腹を出して犬と一緒にゴロゴロっと寝ていたというから、何とも呑気な話である。

ボンクラのヨボだとひっぱたきたくなる

  朝鮮人にはロクな奴がいない。これが日本人の正直な意見だろう。確かに、朝鮮人にも勤労者がいて、土方仕事に精を出したり、クズ鉄を拾って日銭を稼ぎ、副業に豚を飼って生活の足しにする、といった真面目な大黒柱もいた。だが一般に「朝鮮人」といったら、甲斐性無しの飲んだくれ、見栄っ張りの半端者、傲慢だけが取り柄の木偶(でく)の坊、あるいはヤクザにしかなれないゴロツキ、といった連中を想像してしまう。だいいち、朝鮮高校に通っている悪ガキどもを見れば「犯罪者予備軍じゃないか?」と思えてくるし、パチンコ屋を営んでいる社長だって、所詮は賭場の胴元に過ぎない。歌手や俳優といった藝人になっても、裏で付き合う「同胞の友人」には怪しい人物が多く、献身的に尽くして信用させるや否や、ある日突然、大金をネコババして逃亡、なんて事もよくあるそうだ。こうした朝鮮藝人は哀れなもので、裏切りによる損害を背負いながら、借金返済にあくせくするらしい。

  したがって、こんな朝鮮人と「共存」するなんて御免蒙るが、日本国籍を取得して続々と「日本国民」になっているから、「どうして朝鮮人はこうもアカンタレなのか?」だけは知っておく必要がある。斬雲が見るところ、ヨボは文明の進歩が止まり、懶惰にして利を貪る官吏に毒されていた。朝鮮人は未開人と違って辞礼に巧みで、人の顔色をうかがいながら近寄ってくるので、その狡猾な心事はなかなか予測できない。斬雲曰く、「日に孔孟を祖述して街に仁義大道を絶たぬが、手之を行ふの一段に至つて、虚偽を恥じず厚顔驚くべきものがある」という。(p.180) つまり、口先ではたいそう立派な言葉を吐くが、その行動は嘘八百に満ちていて、その嘘がバレても恥じることがないそうだ。

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(写真 / 朝鮮人の子供たち )

  斬雲は自身のエピソードを述べている。ある時、一人のチョンガ(10代の児童)が斬雲の家の台所に現れ、哀願百回、日本語を教えてくれとせがんだ。そこで彼が「日本語を学んで何をするんだ?」と尋ねると、その幼き朝鮮人は、日本語を学んで貴国に渡り、世界の知識を得て天下を救済したい、と答えたらしい。このチョンガは「貴公の自宅で炊事飯菜の労働をしたい。もし、これを許してくれるなら、貴公の徳は、山の如く、海の如し、千萬伏望(せんまんふくぼう)である」、と綺麗な字で筆答したそうだ。(まったく、朝鮮人ときたら気が利かないくせに、こうした大袈裟な修辞語だけは得意なんだから。) まぁ、こうした経緯から、斬雲は三ヶ月ほど使うことにしたという。しばらくすると、件(くだん)のチョンガは台所仕事ができるくらいの日本語だけは習得できたそうだ。しかし、ある日の事である。斬雲がちょいと外出し、一日不在の時があった。居候となってすっかり調子づいたのか、このチョンガは、近所の人々へ色々な嘘をついたらしく、あとでこの陰口がバレて叩き出されたそうだ。自業自得で夢破れた小僧は、独り寂しく郷里へ帰って行ったらしい。斬雲曰く、「ちょいちょいいい加減な嘘をつくのは朝鮮人の特性である」。(p.181)

  また、斬雲は別のエピソードを紹介していた。ある両班が一人のチョンガを雇っていたそうだ。ある日、両班の主人がチョンガに「汝、明日の早朝、結城(けつじょう)へお使いに行ってこい。だから、今夜は早く寝ろよ」と命じたらしい。この結城は京城(けいじょう/ソウル)から旅をして二日の距離にある。そこで、拝命したチョンガは、その夜早めに床へ入った。翌朝、主人が用件を伝えようとしたところ、肝心のチョンガが居ない。それから五、六日が経った頃、このチョンガが茫々然として帰ってきたそうだ。主人は目を吊り上げて、「どこに行っていた?!」と詰問したところ、「結城へ行ってまいりました」と答えた。主人は呆然。それにしても、お使いを命じられたチョンガ君は、用件を聞かずに目的地へ行って何をしたんだ? 日本人なら考えられない。日テレの番組「はじめてのおつかい」に出てくる4歳の幼女だって、ちゃんとママの言いつけを守って、しっかりと買い物をするんだぞ。それなのに、朝鮮人のチョンガときたら、お使いを命じたのに、ちっとも「使いもの」にならなかった。こういうアホは、キュウリで頭を殴ってやればいいのだ。

  斬雲によれば、これと似たような話があった。ある日本人がチョンガを雇っていて、重要な書類を届けるよう命じたそうだ。行き先は京城から約半里の場所で、途中何かあってはと思い、電車賃の外に余分なお金を渡しておき、到着時間を見計らって遣わしたという。ところが、朝に発ったチョンガは、いくら待っても戻ってこない。仕方なく待っていると、夕方になってようやく帰ってきたそうだ。そこで、主人はなぜ帰りが遅くなったを問い質した。聴けば、このチョンガは電車賃が惜しいので、電車に乗らず、徒歩で向かったという。さらに、途中でタバコや餅を買って時間を忘れ、山河の風景を眺めながらゆっくりと配達したそうだ。案の定、時間遅れでその書類は無効になったという。

  もう我々なら即刻、この鮮人の耳を捻りあげて、「このバカ野郎 ! テメェーは時間通りの配達を分かってんのか?! 」と怒鳴るだろう。 漫才師の「ユートピア」じゃないけど、こういうアカンタレの朝鮮人には、「お前このゴムを口にくわえろ!」と命令し、弾力性のあるパンツのゴムを目一杯、手で反対方向に引っ張り、「パチン」と離したくなる。日本人女性だってこんな朝鮮人には腹が立つから、お釜から「しゃもじ」を取り出して、朝鮮人を叩きたくなるだろう。ミラクルひかるじゃないけれど、篠原涼子を真似て、「お・ま・え・は・バ・カ・か?」と一言づつ尋ねながら、例のしゃもじで朝鮮人の横っツラをビンタするんじゃないか。(註/ 「ミラクルひかる」とは人気物まね藝人) たとえ、ぶん殴った朝鮮人が鼻血を出して泣きじゃくっても容赦しないことだ。まったく朝鮮人ってのは、「時間厳守」という観念がないから、配達を「遠足」と間違ってやがる。お餅を食べながらピクニック気分を味わっていたとは、もう呆れて物が言えないじゃないか。つい、「この唐変木(とうへんぼく)!」と叱りたくなる。まったく、これだから朝鮮人は「ヨボ!」と呼ばれるんだ。

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(左: 篠原涼子 / 中央: ミラクルひかる / 右: 朝鮮人の子供)

  斬雲が挙げたヨボの間抜けさは他にもあって、日本人がソウルに水道管を敷設した時、ある朝鮮人が誤ってその溝に落ちたという。すると、その朝鮮人は「日本人が王城に坑道を作っている」と訴えたそうだ。また、自然現象も日本人の「せい」にしていたらしい。朝鮮人は雷鳴を聞くと、「天公(てんこう)が怒った」と騒いだ。なら、日本人が統治する前に、朝鮮では稲妻が一度も無かったのか? 今でも不景気になれば、「日帝支配が原因だ」とわめき立てるから、朝鮮人は昔とちっとも変わっていない。これまた笑ってしまうが、以前、日本の陸軍大臣が朝鮮王族に大砲を献上したことがあった。すると、朝鮮人たちは「我が皇家を破砕(はさい)する陰謀なり」と憤慨し、長い煙管を握って王城の周囲を狂ったように駆けずり回っていたそうだ。こういう朝鮮人には、支那製の睡眠薬でも飲ませてやれ。直ぐに鎮静化するはずだ。ただし、心臓も止まってしまうから、支那人の薬には注意が必要である。

  朝鮮人の頭は一種独特で、その思考経路に慣れるまでは、日本人の驚きは絶えない。例えば、彼らの商売はいい加減なもので、売らんとする品物には定価が無かった。だから、日本人のお客が値切ると、朝鮮商人は最初「否」と言って断るが、五、六歩ほど外に出ると、急に「負けた !」と叫ぶ。すると、さっき30銭と言っていた品が3、4銭になってしまうから呆れてしまう。しかも、お客の日本人がその代金を払おうとすると、朝鮮人は銀貨よりも白銅を好み、銅貨よりも穴銭で沢山もらう方を喜んだという。何だこれ? 普通の日本人には理解できない。アホな子供を例にすれば分かると思うが、こうした子は、お年玉に千円札1枚とか500円玉を2枚もらうより、100円玉を10枚もらった方が「わぁ~い、こんなにもらっちゃった !」と大はしゃぎする。ピザ一つだって、6枚切りより8枚切りにした方が沢山あるように見えてしまうのだ。雑談だけど、当時の朝鮮人には数学は未知の学問だから、「3分の1」と言っても理解できないだろうなぁ。江戸時代に、庶民が「和算」を「娯楽」にしていた日本とは大違いだ。

  序でに朝鮮人の間抜けさを示すエピソードを一つ。現在の朝鮮人が憎む日本統治のお陰で、朝鮮人青年も医学を学ぶようになった。といっても、初歩的な知識だったが。ある時、日本人の教師が朝鮮人の教え子に「心臓は体のどこにあるのか?」と尋ねたところ、この「医学生」は手のひらで胸の辺りをグルグルっと撫でて思案していたそうだ。今の我々なら、朝鮮人医学生の頭に「このアホんだら!」と拳骨を喰らわせるだろう。胸をまさぐって「どこかなぁ」と迷う朝鮮人を見ていると、「お前は心臓の鼓動を聴いたことがないのか! バカたれ!」と怒りたくなる。朝鮮人ってのは漢字を用いて下らないご託を並べる事は得意なのに、自然科学となればからっきし駄目なんだから、「死ぬまでキムチでも漬けていろ !」と言うほかない。

Korean old man 1Korean old man 4(左写真 / タバコを吸う朝鮮人)
  朝鮮を訪れた日本人は余りにもかけ離れた異国に驚愕するが、現地で必ずと言っていいほど文句を垂れるのが、朝鮮人男の怠惰な生活である。昼間っから“だらしなく”道端にしゃがみ込んで、煙管(キセル)をくわえ、タバコを吹かしているのだ。人生に疲れた隠居でもあるまいし、働き盛りの壮年が一日中ボケ~と空を眺めて、物思いに耽っているから、勤勉な日本人はその煙管を取り上げて、「まじめに働け、この野郎 !」と煙管でひっぱたきたくなる。斬雲も述べていたが、朝鮮では女が働き、年下の亭主は終日長い煙管をいじって遊んでいたそうだ。特に、イライラするのは朝鮮の藝娼妓の亭主だ。彼女たちのほとんどが所帯持ちで、亭主が妓夫(ぎふ)と箱屋(はこや)、幇間(たいこもち)、帖場(ちょうば)を兼ねていた。

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(左 : 屋外で談笑する朝鮮人 / 右: サングラスをかけて通りを散歩する朝鮮人)

  だから、ヨボの女はフィリピン人やタイ人の女房と似ていて、亭主を養うために働いているようなものだった。一日中汚い川で洗濯をしている朝鮮人女性を見れば分かるだろう。ただし、こうした亭主でも、陰ながら女房に「すまない」と詫びていれば、まだ救いようがある。ところが、このダメ亭主、糟糠(そうこう)の妻が汗水垂らして稼いだお金をひっつかんで、他の女を買いに行くっていうんだから、長屋の棟梁も「この罰当たりめ !」と叱りたくなる。こういうアホは蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)から、数発ビンタをもらうのが良い。朝鮮人ってのは、「体が宙に浮く」くらいのビンタで怒られないと、なぜ悪かったのか分からないからだ。骨の髄まで性根が腐っているので、陸軍式の鉄拳制裁が必要なのである。(註 / 蝶野氏は有名なプロレスラーで、藝人の山崎邦正にビンタをすることで人気を博している)

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(左: 蝶野正洋 / 右: 野外でくつろぐ朝鮮人)

  煮ても焼いても食えない、根性無しのヨボ君だが、愛用の煙管(キセル)だけは矢鱈と大切にするようで、誰かと喧嘩する時は、まず頭に被った馬尾冠(ばびかん)を脱いで安全なところに置き、次に煙管を左手に持ち替えるそうだ。我々には奇妙に見えてしまうが、第三者の仲裁人が二人の間に入るらしい。そして、喧嘩する者は恭しく左手の煙管を空に捧げ、この仲介人を挟んで、彼の肩越しに右手で打ち合うそうだ。こんな馬鹿らしい喧嘩があるのか、と日本人は思ってしまうが、当の朝鮮人は真剣だったというから、もう「どうにでもなれ」と言いたくなる。曠野で決闘を挑む武士なんて、あの朝鮮には居ないんだから。しかしだからこそ、日本の時代劇をパクって「韓流ドラマ」を作り、ありもしない「勇敢な朝鮮人」を捏造するだろう。

お洒落な朝鮮人

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(左: 平凡な南鮮人の生徒 / 中央2枚: 変身前の少女と変身後の容姿 / 右: 美しい朝鮮人女性 )

  鏡に映った自分の顔を眺めて「うっとり」する朝鮮人男子ほど気色の悪いものはない。全体的にヨボ君は気持ち悪いが、とりわけ老人のヨボは見るからに不愉快で、馬尾冠を戴いたその顔は実に厭(いや)らしい限りだ。しかし、彼らのほとんどは見栄張りでお洒落好き。たとえ、どんな汚い服を着た労働者といえども、自分の外見が気になってしょうがない。そこで、彼らはそれぞれ懐中に鏡を持っていて、物陰に隠れてはこっそり大事な鏡を取り出し、人知れず自分の男前振りを確認するらしい。そして、ああでもない、こうでもない、と自分の顔を眺めては髪型を気にするらしく、泥溝(ドブ)の水を掬っては髪に附け、鬢毛(びんげ)を撫でていたという。(p. 188)

  おい、ちょっと待て! ドブの水って何だ? 髪に椿油を附けてお洒落を楽しむんなら分かるが、汚水を用いるなんて本末転倒だろう。でも、朝鮮の水はどこでも汚いし、小便や大便ですら「薬」にしてしまう民族だから、ドブを遣っても不思議ではない。朝鮮女性は小便で洗顔したというから、排水くらいで驚いていちゃいけない、ということだろう。だいたい、朝鮮人は井戸の中に家畜の屎尿が染み込んだって平気なんだから、もともと衛生観念というものを持っていないのだ。これだから、不潔な朝鮮に公衆衛生学をもたらした日本人は神様仏様、弁天様である。これを知らず朝鮮人に謝罪している国会議員は、ロープ無しのバンジー・ジャンプにトライしてみることだ。あの世で神様がよ~く教えてくれるからね。

  敗戦の時、朝鮮から引き揚げた日本人に、郷愁とか懐かしさが無いのは理解できる。何年住んでも朝鮮は好きになれない。だいいち、あのヌボ~とした鮮人の顔が厭(イヤ)だ。やはり、日本の方が断然素晴らしい。薄田斬雲も朝鮮の風土にウンザリしたようで、ちっとも感動が無かった。彼は朝鮮の風景を眺めて次の様に述べた。

  清い流れが一筋も無く、擂鉢(すりばち)の底の様な町々の溝に汚水汚物はブヨブヨしい居る。最初は、何でもかんでも臭いと摘まんだ鼻の感じも鈍って了(しま)つた。(p.183)

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(左: 子供を養う朝鮮人の母親 / 右: 乳房を出す服装の朝鮮女性)

  人間の体は良く出来ており、どんな異臭でも次第に慣れてくるらしい。でも、朝鮮人の体臭とかはイヤだな。それなら仔猫の肛門の方がましだ。朝鮮人柔道家の足の裏だと、ハムスターも後ろ向きで逃げてしまうんじゃないか。また、李朝の風俗を引き摺る朝鮮人女性だと、ゾッとするような乳房を出したまま街を徘徊するから、景観を損ねる露出狂に等しい。当時の写真を見れば分かるが、まるで賞味期限が切れた大福みたいな乳房を垂れ下げた女性が、子供を背負って授乳していたりする。こんな女にでも発情するんだから、朝鮮人男性の性慾というものは大したものだ。

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(左: モデルの朝鮮人美女 / 右: 伝統的な朝鮮人美女)

  現在の朝鮮人女性は医療技術の進歩もあって、誰も彼もみんな綺麗になった。美人コンテストを開けば、トップ・モデルになれそうな美女が勢揃い。西歐美人を凌駕する、絶世の韓国美人は印象的だ。さすが、世界に名だたる文明国の朝鮮。大韓民国マンセぇ~、だ。しかし、どの美女も一卵性双生児の姉妹かと思えるくらい似通っている。たぶん、これは気のせいだ。もし、似ているとしたら、朝鮮民族がみな親戚だからなんだろう。良い子の高校生は、間違っても「美容整形だ!」なんて言っちゃいけないよ。「ヘイト・スピーチ」で訴えられてしまうから。でも、我が国にはまだ「言論の自由」が残っていたよなぁ。




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