朝鮮人が話したくない過去を暴く !
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税金をもらってシャブの売人に

  「この朝鮮人野郎 !」と殴りたくなるような事件がまた起きた。近畿厚生局麻薬取締部が、無職の在日韓国人である李光士(り・みつし / 70歳)と河井国護(かわい・くにもり / 68歳)を覚醒剤取締法違反(営利目的所持)の疑いで現行犯逮捕したという。(2016年12月21日附『朝日新聞デジタル』) 大阪市東成区に住む李は、自宅で覚醒剤44グラム(末端価格314万円)を所持しており、河井は知人名義で借りていた長屋の一室で覚醒剤39グラム(末端価格277万円)を所有していたそうだ。「遊興費が足りなかったので売っていた」というのが、二人の動機であったらしい。

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(左: 押収された李光士の覚醒剤 / 右: 生活保護詐欺で逮捕された辛雲起)

  まったくもう腹立たしいというか、憎たらしいというか、日本の役所は図々しく居坐る南鮮人に何と「生活保護」を与えていた。つまり、我々の「税金」で養っていたのだ。いくら他人のゼニとはいえ、役所はあまりにも太っ腹すぎるじゃないか。もっとケシカランのは、朝日新聞が李を「韓国籍」の外国人とは伝えず、単に「無職」としか記していなかったことである。要するに、またもや朝日の「特別配慮」が発動されていたということだ。どうして日本政府やスマコミはこうも朝鮮人に「親切」なのか? 税務署は日本国民から“きっちりと”財産をむしり取るくせに、朝鮮人をはじめとする在日アジア人には格別の待遇を与えている。そもそも、貧乏な在日南鮮人を引き取るのは、韓国政府の「務め」じゃないのか。それなのに、在日同胞を「棄民」扱いにした上に、「日帝支配」を非難するなど無礼千万。だから朝鮮人は嫌われるんだ。生活保護をせがむ在日鮮人など、鼻毛と尻毛を結んで日本海へ沈めてしまえば良いのである。

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(左: 生活保護の詐欺で捕まった許愛栄 / 右: 生活保護を不正受給した朴順京)

  敗戦後に密入国してきた朝鮮人にはクズが多い。(この辺の事情は拙著『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』の第5章を読んでね。) 今年八月、同じ大阪市でも西成区に住む無職の南鮮人、魚興秀(ぎょ・こうしゅう / 65歳)が事件を起こした。この朝鮮人は西成区のファミリーマート太子店に押し入るや、カウンターにいた女子店員に果物ナイフを突きつけ、「金を出せ」と脅迫し、現金を奪おうとしたそうだ。(2016年8月19日附産経新聞) そこで、男性店員が非常通報装置を押したので、警察官が直ちに駆けつけ、その場で強盗犯を捕まえという。女性従業員に怪我はなく、この強盗は未遂に終わったから、まぁひとまず良かった。

  それにしても、上記の不逞鮮人ときたら、一体どんな人生を送ってきた連中なのか。報道によると、魚(ぎょ)は「生活保護費」を酒代に使い果たしてしまい、お金が無くなったのでコンビニ強盗をしようと考えたらしい。もう、普段は温厚な日本人でも、「こらっ、鮮人 ! テェメー、いい加減にしろ !」と激昂するだろう。だいたい、賤民が高度文明国である日本に住めただけでも有り難いのに、そのうえ役所から福祉金(他人のお金)をもらって、酒を呑んでいたただと? こんな鮮人を耳にすれば、誰だって「はぁ~?」とナマズみたいに口を開けて呆れるじゅないか。(漫談師の「まちゃまちゃ」なら、マイクを床に叩きつけて睨み付けるぞ。) これじゃあ、日本国民が納税拒否を言い出してもおかしくはない。我々の税金は節分の豆以下なのか?

  覚醒剤所持で捕まった李光士も、引っぱたいてやりたくなる程アカンタレである。70歳にもなって麻薬の密売とは、どんな育ち方をした老人なんだ? 三面記事なので詳しく報道されていなかったが、この鮮人にも家族や親戚くらい居るだろう。肉親にも見放された碌でなしじゃないのか? 少なくとも、普通の暮らしをしてきた奴じゃない。高齢の在日朝鮮人には「不良のなれの果て」が多いから、晩年に惨めな暮らしをする者が珍しくはないのだ。それに、相棒の河井の素性も怪しい。彼はいつから生活保護を受け始めたのか? また、どうやって二人は出逢って、誰から覚醒剤を入手したのか? (まさか、河井が帰化鮮人ということはないよな。) いつも不満なんだが、マスコミは藝人の色恋沙汰なんかほっといて、こういった悪質外国人の素性と背景を報道すべきだ。不倫や離婚をした歌手とか俳優が税金を食い潰した訳じゃないだろう。日本のマスコミは朝鮮人の犯罪だと突撃取材を避けるから、余計に一般国民が朝鮮人を「胡散臭い」と思うのである。もし、彼らが朝鮮人を「対等者」と見なすなら、どんどん不逞鮮人の家庭環境を暴くべきだ。皮肉なことだが、朝鮮人への偏見を助長しているのはマスコミの方なのである。

憧れの日本に住みつく朝鮮人

  朝鮮人は矛盾に満ちた民族である。朝鮮民族の血統を大切にするくせに素性や本名を隠すし、親からもらった身体まで改造しようとするから変だ。しかも、世界に冠たる文化を誇る民族なのに、有名なのは屑野菜を拾い集めた臭い漬け物だけ。サッカーの国際試合となれば愛国心を発揚する割に、国家への愛着が無く、チャンスがあれば外国へ逃げようとする。最も嫌いなはずの日本が一番憧れる国なんだから、朝鮮人の思考経路には何らかの異常があるとしか思えない。右脳と左脳を繋ぐ脳梁が切断されているのか、前頭葉が破損しているのか分からないが、日本人には理解できない構造になっているのだろう。

  韓国政府は盛んに反日教育を行ってきたので、頭のおかしい国民は事ある毎にヘイト・スピーチを繰り返すが、日本へ移住できるとなったら別の行動を取るらしい。2011年に東日本大震災が起きた時、我が国は大変な国難を味わった。しかし、朝鮮人には絶好のチャンスだった。日本人がパニックに陥っている隙を狙って、我が国へ忍び込もうとした朝鮮人がいたのだ。ところが、彼らは釜山で摘発され、密航の夢は打ち砕かれてしまったという。( 崔碩栄 『韓国が「反日国家」である本当の理由』 彩図社 平成24年 p. 45) 朝鮮人は原発事故を耳にして、「日本は危険だ」とか「放射能汚染が深刻だ」とわめき立てたくせに、こっそりと日本に侵入しようとしていたのである。しかも、相変わらず日本旅行が一番人気だったというから、彼らはどれ程日本が好きなのかが分かるだろう。でも、朝鮮人が日本の街をうろつくのは目障りだから、「安全を考慮して」北京にでも旅行してもらいたい。支那は朝鮮人にとって中華の国だし、儒教の本場で思い存分支那の空気を満喫すれば本望だろう。ちょっとくらい肺が汚れたっていいじゃないか。

朝鮮人に懺悔する日本人

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(左: 船に乗っている朝鮮人 / 右: 農村の朝鮮人)

  それにしても、平成生まれの子供は、なぜ朝鮮人が特別扱いされ、生活保護費まで貰えるのか分からない。特別永住を許す法的措置など色々と理由が考えられるが、その根底にあるのは「日本人は朝鮮人に対して酷いことをした」という罪悪感が挙げられる。実際のところ、不当に非難される「朝鮮統治」は、貧乏人よりも貧しい朝鮮人が得た最高の「恩恵」で、世界史的に見て「奇蹟」に近い対外援助であった。歐米人がこの支配を賞讃しないのは、日本への嫉妬心でこり固まっていることに加え、歴史家が日本の文献を読めないからである。もし、歐米の研究者が朝鮮総督府の資料や東邦協会の出版物を読めば、如何に我が国の先人が朝鮮統治に心血を注ぎ、多くの朝鮮人が幸福になったかが分かるはずだ。しかし、肝心の日本人自身が朝鮮人に謝っているんだから、外国人を責めることはできない。

  戦後、朝鮮統治を悪かったと刷り込まれた日本人は結構多かった。崔碩栄がある日本人教師と朝鮮人学生の話を紹介している。忠清道公州にあった名門校「公州師範学校」に通っていた朝鮮人Aが、当時を思い出して証言を残していたという。A氏によれば、日本人教師は「内鮮一体」を実践し、日本人と同じように朝鮮人を扱っていたから、日本に対する拒絶感とか反撥は無かったらしい。彼は日本が負けるはずがないと思っていたので、終戦の時など泣けてしまったそうだ。彼には千葉先生という恩師がいた。戦後まだ日韓の国交正常化前で、往来が難しかったのに、千葉先生は教え子たちに会うため、わざわざ韓国にやって来たという。

  そこで、恩師を迎えた教え子たちが挨拶すると、驚いたことに千葉先生はその場で土下座をし、平伏したまま立ち上がろうとはしなかったそうだ。意表を突かれた元学生たちは、「先生、部屋に上がって下さい」と言葉を掛けるが、千葉先生は依然として門の前で土下座をしている。彼らが再び「上がって下さい」と懇願すると、千葉先生は「君たちが私を許すと言ってくれないと上がれない」と答えたそうだ。すると、彼らは「戦時中のことは国家がやったことで、先生は何も悪くありません」と述べたらしい。それでも千葉先生は「事情があるんだ。許すと言ってくれたら上がる」と頑なに拒んだという。当惑した教え子たちは仕方ないので、理由も分からず「許します」と口にしたそうだ。

  千葉氏の要望を叶えた元学生たちは、ようやく恩師にその「事情」とやらを尋ねた。なんでも、戦時中、漢文を教えた際、ある朝鮮人学生にビンタを喰らわせた事があったそうだ。「もし日本人ならビンタをする事はなかったろう」と後に反省したらしく、千葉氏は日本に帰ってからも悩んでいたらしい。千葉氏は朝鮮に戻って教え子に謝らないと死んでも死にきれないと考え、やっとのことで旅券を発行してもらい、朝鮮を訪れることができたというのである。千葉先生は集まった弟子たちに、「ここに私から叩かれた者はいるのか?」と尋ねた。そこで、教え子たちは「叩かれたことはありません」と返答したそうだ。すると再び先生は、「私に叩かれた事がある子を誰か知っているか? 」とか、「叩かれたという話を聞いたことがあるのか?」とも訊いてきたという。彼らの中にはそんな噂を聞いた者がいなかったので、「知りません」と答えた。さらに、彼らは「もし自分が教師になっていたら、千葉先生と同じことをしていたかも知れませんよ」と付け加え、「先生も謝ったし、私たちも許すと言ったので、これで終わりにしましょう」と持ち掛けたそうだ。(上掲書 pp. 149-150)

  たぶん、千葉氏は「馬鹿」が附くほど真面目な教師なんだろう。当時、進歩的知識人が「軍国主義」の大日本帝國を糾弾し、朝鮮や支那に“迷惑をかけた”と頻りに叫んでいたから、敗戦でしょげていた日本人は謝るしかなかった。否、「謝罪すること」が“流行”となっており、我が国が犯したという“罪状”を認めて土下座することが、「善人」の証明になったのである。小林秀雄のように、これを拒否できる知識人は少数派で、有名人だからできたのであろう。しかし、これといった知識も勇気も無い一般人は、大学で偉そうに説教する学者から、「お前らのような帝國の手先は、朝鮮の独立と尊厳を踏みにじり、日本に文明をもたらした朝鮮人の恩恵を忘れんだ。しかも、朝鮮人を侮辱しただけではなく、彼らの言葉を奪った挙げ句、朝鮮人を虐待し続けたんだぞ!」と叱られたのである。こんな叱責を受ければ、「戦犯」を恐れる一般国民は怯えるじゃないか。良心的な教師だと、ますます自虐的になり、かつて自分が犯した「愛の鞭」が、実は「朝鮮人への侮蔑」だったと反省するようになる。だから、千葉先生のように「教え子に謝らねば」と考えてしまうのだ。こうした罪悪感が行政の現場にも引き継がれ、本来なら外国人に対して拒絶するはずなのに、議員の圧力も加わって、役所が在日朝鮮人に福祉を与えるようになってしまうのである。

裕福だった戦前の来日朝鮮人

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(写真 / 朝鮮人の鉱夫たち)

  「日本は朝鮮を殖民地化し、朝鮮人を差別していた」というプロパガンダは、田原総一朗のような阿呆んだらの日本人ばかりではなく、両親や祖父母の正体を知らない在日3世、4世、5世に伝播し、多くの「虚像」が時を経るにつれ「実像」に変化してしまった。ところが、貧乏の極地にある朝鮮から逃げ出して、明るく輝く日本に渡ることができた在日1世は幸せだった。たとえ、下っ端の鉱夫として炭鉱で苦労しても、文明的生活の“おこぼれ”に与(あずか)った朝鮮人は、桃源郷にでも住んでいるかのような気分であった。例えば、日本人には普通だった電気のある生活を送り、都会に出ればクーラーのある百貨店で買い物ができたのだ。朝鮮の片田舎では、人間が豚と同じくらい不潔で、南京虫や蚤と一緒に暮らしていたんだから、日本で捕まって牢屋に入っていた方がましである。それに、罪を犯しても弁護士がつく世界だし、朝鮮と違って日本の刑務所には拷問がないから安心だ。

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(左: 高村光太郎 / 岡本綺堂 / 夏目漱石 / 右: 永井荷風)

  洞窟よりも暗くて寒い朝鮮から見る日本社会は、四季折々の優雅な風情が楽しめる楽園だった。何処をみても眩しい。例えば、街ではお洒落な服装をした娘が「カフェー」でコーヒーを飲んでいたりする。今の小学生は知らないだろうが、彼らが祖父母や曾祖父母に聞けば、高村光太郎や岡本綺堂が「カフェ・プランタン」でお茶を飲んでいたよ、とか「資生堂パーラー」にはよく永井荷風や谷崎潤一郎が通っていたよ、と教えてくれるだろう。今でも神楽坂の「松栄亭」に行けば、夏目漱石が好んで注文していた「洋風かきあげ」を食べることができる。一方、貧村に住んでいた朝鮮人には夢に現れる希望すらなかった。ここで面白いエピソードを一つ。ある鮮人少年が村に住む日本人夫婦の家に招かれ、緑茶をご馳走になったという。普段お湯くらいしか飲めない少年は、その香ばしい極上のお茶を口にして、お腹がビックリしてしまったそうだ。今まで触れたこともない「贅沢品」を、日本人の家庭で体験したのである。こんな朝鮮人から見れば、日本の水呑百姓だって遙かに幸福だ。「貧乏」という基準が桁違いなのである。

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(左: カフェ・プランタン / 右: 銀座のカフェで働く女給たち)

  ちょっと前まで、在日朝鮮人の孫たちは、祖父母が強制連行されたと信じていたが、実は鮮人労働者の待遇は悪くなかった。給料が安くて同僚の日本人から「ぞんざいに」扱われたのは、技量が足りない未熟練労働者であったからだ。しかし、彼らにはそこそこ小遣いがあって、休暇を楽しむことも出来たのである。例えば、元朝鮮人渡来者がインタヴューに答えていたが、1ヶ月に3日ほど休みがあって、休日には酒の配給があったから、それを飲みながら花札に興じていたそうだ。彼は600円ほど所持金を持っていたが、金に困った友人に頼まれて、全部貸してしまったことがあるという。(上掲書 p.145) これはすごい。月給が100円から200円の時代だぞ。ちなみに、戦前のウィスキーがいくらだったのか調べてみると、一級ウィスキー1本(720ml)を例に取れば、昭和4年で4円50銭、16年になると5円87銭、20年だと28円になっていた。(週刊朝日編 『続続・値段の明治大正・昭和 風物史』 朝日新聞社 昭和57年 p.29) これが「強制連行」で「奴隷」の如く扱われていた異民族の「悲劇」なのか。これじゃあ、大金を貯め込んだ「鮮人慰安婦(鮮ピー)」と同じだろう。

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(写真 / 戦前の東京にあったカフェ)

  日本人が在日朝鮮人や帰化鮮人に毅然とした態度を取れないのは、虚構に基づく歴史を刷り込まれているからだ。もし、“本当の”日本史を学校で教わったり、在日1世の本性を学べば、日本人は朝鮮人を前にして卑屈になることはないだろう。「日本人であることへの罪悪感」を払拭することが、現在行われている歴史教育改善への第一歩となる。

  正月を迎えようしているのに、朝鮮人の話で年末を締めくくるなんて残念だ。もっと楽しい話題を書きたかった。でも、これが日本の現状なんだからしょうがない。皆様も良い新年をお迎え下さい。




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